はてなキーワード: ステロタイプとは
恨みや本舗ほどステロタイプでもないんだろ
『アニメ(虚構)の世界に埋没するな、現実世界を生きろ』なのではないかと思った。
自分は90年代初頭の生まれで、旧世紀版をリアルタイムで観ていないので綾波とアスカ(や、ミサトさん)に対するリアルタイムの熱量を知らない。
その上で、新劇場版で新しく追加された真希波マリは、一体どんな意味合いを持つキャラクターなのかがイマイチ掴めずにいた。
いくら眼鏡っ子でお茶目でナイスバディーでCV坂本真綾と言えど、ジャパニーズアニメの偉大なヒロインである、『綾波レイ』と『式波(惣流)・アスカ・ラングレー』に今更割って入る意味とは?
そう、綾波とアスカは『アニメの偉大なヒロイン』でありそのアイコニックな在り方は虚構そのものだったのだ。
言うまでもなく綾波は旧世紀版から一貫してメタ的に造られた存在であり、無感情の中にあるシンジへのおぼろげな好意もそうであるようにデザインされている。
また、旧世紀版では『現実』の象徴として描かれたアスカもまた初出から20年が経過した現在では『ツンデレ』というステロタイプな虚構である。虚構への違和感は『認められたい求められたい相手が心配だ』という未熟な自我(エゴ)の反面で暴力を伴うシンジへの対応や、14歳で肉体の成長が止まることに対するメタ認知に現れる。
アスカより先に起こっていたであろう成長(老化)の停止を自分事として受け入れ、悩みはあれど明日を生き抜くために戦い、他のエヴァ(生物)を喰らい、得た能力に感謝する(ごちそうさまをする)、自我(エゴ)が確立しており誰に対してもマイペースにニュートラルなスタンスで接することができる。
マリもまた、現実世界から投影された虚構の一つでしかないが、旧世紀版の頃にはまだ若く「オレの言いたいことを察しろ」だった庵野監督も、時を経てオブラートに包む面倒をやめて、より直接的にメッセージを伝えようとしたのが真希波マリというキャラクターなのではないだろうか。
よくわからないです。
【日本人は全て「目の細い出っ歯カメラ」の見た目をしているよ。〇〇人である私達より醜くて愚かな存在です。殺しても罪になりません】という時代があったことは紛れもない事実だと、それはわかる。
自分は日本人ですが、世界大戦前後にアメリカが日本人を揶揄するために作った「目の細い出っ歯カメラ」というステロタイプを他国人に持ち出されて、「お前はこれだね」と言われても、やっぱり差別された!とか、自分自身が傷つくとは思えない。
文脈によるのかもしれないけれど。
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だいぶ逸れてしまったみたいだけど、そもそもは「オタクがチェック柄のシャツとターバンをつけている、というのは差別である」に対して、それは差別か否か?という話だったと思う。
「単なるわかりやすさのためだけに」ステレオタイプを選択しているのだとしたらそんな表現は淘汰されるべきなんだよね。(リンク先はそういう話っぽい。)
ただ、実際には「それだけじゃない」ことも少なくないことを配慮して欲しい、という話はある。
こういう表現が本当に「わかりやすさのためだけに」描かれているなら批判されて「当然」とまで言って差し支えないのだろうが、
「私は安酒をラッパ飲みする汚いおっさんをかっこいい・可愛いと思うんだ!」
という一種のフェチを批判する時、それ自体が表現者・観客の個人的な内面に土足で踏み込む行為であることは自覚して欲しいとも思う。そして現代において、こうしたステロタイプはもはやフェチと不可分じゃないかとすら思う。
これもまた「批判は全て無効」という話でもないのだが、「無くしても誰も困らない表現なんだから無くした方がいいよね」みたいな口調で言われると「おまえが死んでも誰も困らないからさっさと死ねよ」くらい返したくはなる。そこまで過激じゃなくても、アセクシャル・フィクトセクシャル当事者としては「じゃあ全異性愛者はステロタイプな異性と恋愛するの禁止な。いっそ同性愛を義務化しよう。いや恋愛という行為自体が既に人生のステロタイプだから禁止しよう。私は困らないし」くらいは言っていいよね。
またそれとは別に、「淘汰されるべき」と言ってもそんな焦って矯正するようなものでもないだろという話もある。
フィクションなんかよりもノンフィクションの行動の方をまず矯正すべきなのに、なぜかあの人達は「まずフィクションを矯正することで、間接的にノンフィクションに影響を与えよう」としたがるんだよね。それって結局フィクションをノンフィクションの下に見ているから出てくる発想でしょ。
個人的には「実態に即してないから」ポリコレ的でないみたいな論調だったのでそれは違うよなあと。
実態に即しているのがポリコレならまだまだ家事は女性が主体で育児はワンオペだらけなのでそういう描写をするのが「正しい」ことになるのでは?っていう。
ポリコレってもっと人権的なものとか平等だとかそういうものだと認識していたので、ポリコレ的観念からリバが主体であるべきと主張するなら受け攻めの固定が役割の押し付けであるからとか人格の否定であるからとかそういう方向で語るべきじゃないのかなーと。
あと男女で家事を両性が分担しているのが基本、っていうのもそもそもそれポリコレって言えるの?という疑問は感じました。
自分にとってのポリコレ的に正しい家事の描写は「互いに相談の上でどちらが何を負担するか納得した状態で運営する」であって、分担した家事をしてても不満があってそれを相手に伝えられないなら正しくはないと思います。
同じようにポリコレ的に正しい同性の性行為の表現は互いにどちらが攻めてどちらが受けるか納得の上で同意して性行為をすることであって、例え統計的に現状いわゆるタチもネコもやるリバの方が多数派であるのが実情だったとしても、それを根拠に本来希望している役割とは逆の役割をやらされるようであれば正しくはないんじゃないでしょうか。
女でも男でもかわいくなっていい、女でも男でもかっこよくなっていい、っていうのがポリコレじゃないんです?自分のあり方を自分で決められるのがポリコレだと思っていたけど違うんでしょうか。ポリコレ的にはステロタイプの押し付けって一番ダメなやつでは?
だからと言っていちいちBLで互いの役割決定シーンを必ず挟むべきとは思わないし、家事の描写がある作品では役割分担の相談をして互いに合意する場面が必要であるとは思いませんけどね。
偏った情報しか周囲にないせいで認識が歪んでしまう問題や役割を押し付けられてしまう問題そのものはよくないことであり、改善のために何ができるか考えていくべきだと思うし、当事者の声は素直に聞くべきだと思います。
でもその問題を考えるために現実に即してないから、とか実際の割合はこうだから、ってのを持ち出してそれを根拠にすると、それは必ずしも倫理的な正しさや公平さに繋がらないんじゃないかと思います。
問題のアンケの人は【追記:自分の志向と合わないジェンダーロールを押し付けられたことを、実際の因果関係は不明ですが当時溢れていたBL的表現のある創作物が原因だという想定のもとで】「若い性的マイノリティーの手に取る物に自身のロールモデルになるキャラがある程度の割合でいてほしい」って言ってるんですよね。その気持ちは特に悪いとは思わないです。
でもそれ【追記:=ジェンダーロールの押し付けをなくすという目的】を満たすためのものが「受け攻め表記を撤廃して、創作物のタチネコ固定とリバの割合を現実に即した割合にする」になるとは思えないんですね。
ご本人がその辺の割合がこれくらいになってほしいとかそういう話をされてます。
それって海外で問題になってるような一つの作品内のキャラの割合を現実に即した物にするとか黒人キャラを黒人が演じるとか(個人的にはこのあたりにも色々思うことはあるし必ずしもそれがポリコレとして本当に正しいとは思えないとかあったりしますけど)ともまた違うんですよ。
世の創作物全体の割合を現実に即した物にすることをポリコレとは言わないでしょう。言いませんよね?
表現の自由的な問題からしても「あなたの書いた受け攻め固定BLは既に世に規定数出回っているのでアウトです。リバBLを書いてください」とか言われたらふざけんなってなるでしょうそれは。
そしてそれは「あなたは受け攻めを固定しているけれど現実の同性愛ではむしろリバが主流であり表現として正しくありません」って話は(その主張を受け入れるべきかどうかは別として)別の話であって混ぜて語るべきじゃないんじゃないんですか?
ジェンダーロールを押し付けられない世の中にするために創作物内での表現に配慮するなら、そこに出てくる人がどんなジェンダーロールを持っているかよりもキャラが主体性を持って己の求めるジェンダーロールを勝ち取るシーンを入れるべきというのがあるべき主張では?(その主張が正しいかどうかは別の話)って思うんですけどどうですか、という話です。
あと、例えば実際の現実の割合に基づいた結果性的マイノリティーの人の前に自分と同じ属性のキャラが登場する作品としてお情けのようにほんの数冊の漫画をお出しされたとしたらどんな気分になるかを考えると、自分としてはそんな世の中が性的マイノリティーを救うとは思えないなーとは。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takuramix/status/1271929413844627456を見て。ブコメが的はずれなのはいつものこととして、このツイート主の「わかってなさ」もひどい。今アメリカで問題になっている黒人差別の問題は、「バカにされた」「不快な思いをした」とかそういう次元の話ではない。もっと言ってしまえば、「劣等人種と思われている」「コロナとか言われていじめられた/暴力を受けた」ということですらない。現在のアメリカにおける黒人差別の問題は、そのステージにすら達していない。
では何が問題なのか?貧困とその再生産が問題なのである。例えばSTEM進学率の統計を見てみよう。https://nces.ed.gov/programs/digest/d18/tables/dt18_318.45.asp
現在のアメリカでは高所得者になるためにはSTEMと呼ばれる理系分野の学位を持ち就職することが一番の近道とされている。それがどうだろう、この黒人率の少なさは。アメリカの人口ではだいたい15%くらいが黒人なのだが、明らかに少ない。そもそも大学へ行けるような中流黒人家庭が少なく、貧困層から大学へ行ける道筋も限られているからである。奨学金をもらうにも最低限の教育が必要なのである。
もちろん、意識の高い皆さんはご存知だろうがアファーマティブアクションはこれを解決するかと思われていた。しかし、例えばカリフォルニア州ではアファーマティブアクションは違憲であるとの判決が出され、アファーマティブアクションをやめたのにもかかわらず黒人の学位取得者の数はほぼ変わらなかったという(出典:wikipedia アファーマティブアクション)。アメリカの大学は入ることより出ることのほうが難しい。そもそもアファーマティブアクションのようないびつなやり方で教育の機会の均等を確保しようとしても、「地頭」の時点で違いすぎてドロップアウトする学生が多かったということである。これは例えば幼少時の教育だとか、家庭の文化程度だとかそういう根深い問題があるということを示唆している。
そして、このような貧困とその再生産が問題になっているからこそ、「黒人はだいたい犯罪者で凶暴」という偏見が生じ、射殺・絞殺事件になってしまう。というか、悪いことに実際黒人の犯罪者は人口比で多いので、100%間違いと言えないところがたちが悪い。しかしもちろん、これは「黒人はそもそも凶暴」なわけではない。貧困が問題なのである。もちろん、こういう問題は貧しい白人にも当てはまることであろう。しかし、見た目からくるステロタイプは存在せず、問題の深刻度はかなり異なる。例えば警官に捕まって即射殺!とはなりづらいであろう。
この問題を日本で例えると、増田は東京出身なので正直あまり馴染みがないが、在日韓国・朝鮮人問題や被差別民問題が一番近いのではないだろうか。在日韓国・朝鮮人や被差別民として生まれただけで、進学や就職で不利益を蒙り貧困が再生産される。そして一部は犯罪者集団・ヤクザへ加わっていき、これが彼らの「残忍で凶暴」というイメージを固定化していく。異なるのは黒人の場合、見た目が違うのである。在日韓国・朝鮮人問題や被差別民問題は「通名」や、数世代を経て風化させることで(少なくとも東京圏では)ほぼなくなった(とか書くと怒られそうだが、地図で人権センターの場所でも探さない限り23区ではわからない、というのが東京出身の20代である増田の素直な感想である)が、肌の色はそうも行かない。タブーにしてみんなで忘れましょうね、ということができない以上根本的解決を目指さざるを得ないのである(こういうことを書くと韓国人は吊り目でとかいうバカが絶対来るだろうが…)。
で、だ。最初のツイートに戻ってみよう。このツイート主は黒人に「差別」をされたらしいが、どういう差別だったのだろうか。具体的なことが書いてないのでよくわからないが、細い目をして"Chinese?"とかいわれるとかだろうか。あるいはカツアゲにあったとかだろうか(なぜこれがアジア人差別なのかはわからないが)。ここまで読んでもらえればわかるだろうけど、黒人差別はそういう問題ではない。教育・就職で制度的に「差別」されている、貧困層から抜け出せない構造ができてしまっているということが問題なのである。だからこそ黒人支援に予算をつけようとかそういう話になっているのだ。「サヨクは日本人男性がサベツされても助けてくれないんだ〜〜〜先生に言っちゃお〜〜〜」というような小学生レベルの議論とも言えないシロモノを持ち込んで混ぜっ返してみるのもいいが、単なるバカだと思われるのが関の山である。
元GIの黒人5人がベトナムに戦友の骨と金塊を掘り出しに行く話。
元GIたちは回想シーンでも今の俳優がそのまま演じてるのがおもしろいアプローチだなと思った。
音楽の使い方、過去の実在の人物や事件の挿入の方法もユニークで良かった。
メインキャラのポールはPTSDで感情のコントロールが効かず自他共に認めるクソ野郎なんだけど、
こいつ自身こそがベトナム人に対する差別丸出しで、でもその矛盾みたいなものを自分で感じてるわけでもない。
俺は壊れてる、だからしょうがないと開き直って、息子は愛してないと言い切るくせに、最後になって息子に愛してたみたいなことをぬかす。
いやいやお前40年現実的に愛してなかったくせに、愛してるよなんて言葉一つでcompensateできると思ってんのかよ。
ノーマンに依存してたくせに、俺の金は俺の金だとか言い張って仲間に牙を剥く。クソ中のクソだ。
ポールは自分たちは黒人だから、不当に虐げられて、差別されてきたという。一方で、ベトナム人に差別心を剥き出しにすることにはなんとも思ってない。
アジア人としてはむかつくが、ポールの理屈はなんかわからなくもない。
俺は国のために戦って、マッチョな男で、フィジカリーにはヒエラルキーの上にいるはずなのに、肌の色で得られるものが得られなかった。だから差別に対して怒る権利がある。
ベトナム人との関係だとそもそもなんらかの権利を主張する立場でもないし白対黒みたいなところにいないから関係なし。罵倒するけどそれはなんかの社会的な権利を剥奪してるわけじゃない、ただの嫌がらせでおれはクソ野郎だからほっといてくれ。
わからなくもないが、そう言われると白人でも黒人でもない人間は一体どんな気持ちで連帯すればいいのかよくわからなくなる。
いろんな立場の人間が出てきてそれぞれの言い分が述べられるので退屈しなくてよかった。フランス人は二人ともステロタイプだなーという感じがちょっと玉に瑕だけどまあ。
これって単に「シスヘテロの恋愛優先文化を捨てる覚悟がありますか?」って問うてるだけだよね。
シスヘテロ恋愛の特権的取り扱いを自明視していて、それをやめるなんて考えたこともないから、この文面が「露悪的な攻撃」に見えるんだろう。
これが「露悪的な攻撃」に見えるから、よく読めば当たり前のことしか言ってないことに気づかず、売り言葉に買い言葉で無理矢理にでも反論しないと気が済まないんだろう。
もし世の男たちが友達と同じように女と接したら
・昼はラーメン、夜は鳥貴族
・予約なんてするわけない
・歩くスピードは合わせない
・上座は俺が座る
・「お前」呼ばわりは当たり前
・褒めません
・おもんない話はテキトーに聞き流す
もう一度聞きます、本当に男友達と同じように接して欲しいですか?— いしい (@Teruhiko_Ishii) March 15, 2020
「女子校は男が思ってるようなところじゃないよw」とは何だったのか。男同士でも女同士でも、異性の目を気にしない関係に違いなんてないんじゃなかったのか。女性性に対するステロタイプを強化して、一体何がしたいのか。
女性はおもんない話を聞いても「すごーいw」と手を叩いてヨイショするとでも思ってるのか?
そんなわけがない。女性も男性と同じ人間だろう。それ以上でもそれ以下でもない。