はてなキーワード: オアシスとは
まず明るい声でおだやかに「お忙しいところ恐れ入りますぅ」って言おう。
であることを一発で伝えられるんだ。
僕は、電話に出た時はぶっきら棒だった相手の口調が、これを言った途端に突然柔和に変わるという経験を何度もしてる。
種種雑多な不特定多数の人から電話がかかってくるところでは、電話を受ける時に「頭のおかしいクレームじゃないか」と常に身構えながら電話をとっている。
そんなとき、明るくおだやかな「お忙しいところ恐れ入りますぅ」は、彼らを一撃で安堵させることができるよ。すっとガードを下げてくれる。
これだけだと、自分にはメリットがない「ただのお人よしの善行」に見えるかもしれないね。
でも本題はここからだ。
日ごろ理不尽な電話を受けることもある人々にとって、まともな相手との通話はオアシスだ。
(無意識のうちに)「この人と通話している限り自分の心理的安全性は保たれる」と感じるはずだ。
すると、彼や彼女は(無意識のうちに)通話時間を引き延ばそうとするかもしれない。
世間話なんかできないから、まっとうに「丁寧な手厚いサービス」で電話を引き延ばすだろう。
もちろん、電話を引き延ばそうと思ってそうするわけではない。早く切ろうとしないだけだ(無意識のうちに)。
とっとと切ってしまう理由がなければ、説明をふつうより丁寧にしたり、ふつうは言わない情報まで提供したり、必要最低限ではないプラスアルファをしてもいいわけだ。
つまり相手のガードを下げさせることで受けられるサービスの質が勝手に上がるわけだ。
もちろん毎回うまくいく作戦ではないよ。
でも明るい声でおだやかに「お忙しいところ恐れ入りますぅ」って言うのはタダなので、しておいて損をすることはないよ。
なんで半年以上前に書いてウンともスンとも言わなかった記事が今ごろ読まれているんだろう???
反応を見てると、電話の終わり際に一言添えてる、って人もけっこういるみたいだね。
自分も、問い合わせに丁寧に対応してもらった時はお礼を言うようにしてる。
「いろいろ教えていただいて助かりました」「お骨折りいただきありがとうございました」
これは、本文で書いたような「見返りも期待できるタイプの心配り」とは違う、相手への純粋なねぎらい・思いやりだよね。なにしろ電話はもう切るところだし、相手とはそれっきりだから。
本文とは別のテーマになるけれど、こういうコミュニケーションもだいじだと思ってる。
こういう一言を添えれば、相手は「親身に対応してよかったな」と思うだろうし、お仕事のモチベーションも少し上がるかもしれない。
そしたら、次にかかってきた電話の人にも少し親切に対応するかもしれない。
そしたら、少し親切に対応してもらった次の人もちょっといい気分になるかもしれない。
──みたいに、「ちょっといい気分のバトンリレー」がつながっていくと思うんよ。
電話に限った話じゃなくて、社会生活全般がそう。車で道を譲ってもらったり、合流しやすいように間隔を開けてもらったりした時ってやっぱり気分がいいし、自分もほかの人にこうしてあげよう、って思う。
一方でアルバム1枚の流れでひとつの作品になってる場合もある。
コンセプトアルバムもそうだし、DJミックスもそう(余談だが筆者は2Many DJsが好きだ)。
コンセプトアルバムとまではいかなくてもアルバムを通して聴いたときの曲の構成や歌詞などが意味を持つ場合もある。
彼らの1stアルバムは邦題で『オアシス』といい、原題は『Difinitely Maybe』というタイトルになっている。
difinitelyは「確実に、間違いなく、はっきりと」といった意味合い。
maybeは「たぶん、おそらく」だ。
つまりdifinitely maybeというフレーズは「間違いなくそうだよ。たぶんね」みたいなややはっきりしない態度になる。
『Difinitely Maybe』の1曲目は "Rock n Roll Star"。
この曲はまだレコード会社との契約すらない時代にノエル・ギャラガーが書いたもので
歌詞の大筋は「今の生活から抜け出して成功してやる。おれの頭の中では今夜おれはロックンロールスターだ」という感じ。
そしてアルバムの最終曲は "Married with Children"。
このwithは付帯状況のwithなので意味としては
「結婚していて子供が複数いて…」というニュアンスでこのタイトルは端的にいえば「家庭持ち」である。
この曲の歌詞にはノエルが当時付き合っていた彼女に別れ話で言われた言葉が使われている。
その一部を抜き出すとこんな感じである。
「あなたは大して賢くもないくせに皮肉屋っぽく振る舞うしそういうところが私は嫌いだった。
あなたはどうせ自分のやることなすことすべてがファンタスティックだと思ってるんだろうけど
いい歌詞だ。こんな歌詞を弟リアムに歌わせてるというのもいい。
察するにノエルの元彼女はノエルと家庭を持ちたかったのだろうが
ノエルのほうはロックンロールスターへの憧れを断ち切れず真面目に働かないでバンド三昧。
1曲目の "Rock n Roll Star" と最終曲の "Married with Children"。
このふたつは対比になっている。
"Rock n Roll Star" で「今夜おれはロックンロールスター」と大言壮語を吐いてみても
"Married with Children" で彼女にボロクソに言われているのが実際のノエル。
それが『Difinitely Maybe』というアルバムタイトルに表れている。
「絶対に売れてやる。おれはロックンロールスターになる」という野心と
計 算 が 嫌 い だ か ら
物理も化学もな、実は計算抜きの話題はかなり食いついてきてくれるのよ。おもしれ〜〜って目をキラキラさせてんのよ。でも計算が始まるとめんどくせえ〜もう駄目だ〜理系とか無理だ〜オラ文系さ行くだってなるんだよな
彼女たちの計算嫌いは文系科目でも顕在で、たとえば共通テストの政経とかでたまに計算問題出るんだけど、そこも嫌いだし苦手だし、生物もそう。受験生物は計算要素が少ないので計算嫌いのオアシスだが、それでも多くの生物選択者はDNAの塩基の割合とか、情報伝達速度とか、やるのは中1レベルの計算だが、とにかく事象と計算を組み合わせるのが嫌いだし苦手だ。まして化学物理計算計算計算に興味持てるはずがない
個人Vtuberを1年ほどやっているが本当に限界。地獄。この界隈は地獄。何が地獄ってもう人が地獄。Vtuberもだし、それを取り囲む人たちも地獄。ダサイクルの極み。個人Vtuberのカスっぷりについて人種別に分類しながら解説していこうと思う。
・ここが一番成功している層
・胸が異様にでかい
・胸が異様に揺れる
オタクのペニスをガッチリ掴んで離さないのがVtuberとして成功するポイント。
時々ASMRで耳を舐めまくって登録者を増やしている層もいるが、まれにゲーム実況をしても視聴者は耳舐め目的がほとんどだしトークもプレイもいまいちなので閑古鳥になってて可哀想。ギャグ発言をして芸人等と呼ばれる人間もいるが結局信者が持ち上げているだけで実際のユーモアのセンスは壊滅的なので外野からは何故面白い人間扱いされているのかが全くの謎。友達が欲しいとぬかすが、Twitterのフォロワーは4桁〜5桁でフォロー数は2桁止まりな事が多く、やはり気が狂っている事が窺える。
・登録者500〜3,000程度。
ここが一番まとも。友達のような距離感で、性やガチ恋売りではないので平和。体感8割くらい彼氏がいる。厄介なファンが少ない反面、いまいち伸び切らない印象。趣味でやっているので必死感も無い。オアシス。
■顔の良い男V
・人によるが基本地獄。
葛葉を目指しているが普通に失礼なだけの男に成り下がっているケースが多い。アホみたいにマーケットに対する需要がないAPEX配信を繰り返しながら伸びないと勝手に病む。サムネイルのダサさと配信のつまらなさが比例する。登録者800〜2,000くらいの層はリスナー、女性Vtuberとの男女のもつれの話が一番多い。メガネをかけてクールな見た目のVtuberはぼそぼそ喋っててユーモアも壊滅的で本気で終わってるケースが多い印象。リアルでもメガネかけてて面白くないことをクールと履き違えてそう。他人を思いやる心が無いので、フォロ爆してフォローされたらリムるような姑息な手段を用いて数字を増やそうとするのはこの層。
■バ美肉
・登録者0〜1,000
基本的に本気でオタクなんだなと感じる人間が多い。ゲームやアニメが好きというより、学生時代は隅っこでカードゲームしてたんだろうなって感じの。しかしプライドだけは異様に高く、マウントをとりたがる上に少しでも攻撃されると本気でブチギレる上に社会性の低さ故にズレたキレ方をするのであまり関わりたく無い。声はガビガビで耳が痛くなるし、サムネイルも大体終わっているので基本的に客観的に自分を見る事ができないんだと思う。誰も望んで無い思想やら政治発言とかしがち。
・登録者0〜300人
発言がどこか全てズレていて投稿する画像が毎回何故かガビガビ。YouTube外で活動している率が高い。ぼそぼそ喋るし元気もないしどう考えても伸びないのがわかりやすい。登録者は少ないものの、極少数の信者に支えられて宗教じみたルールを作りあげる。普通に炎上しそうなあり得ないルールやリスナー同士を監視させたりするが知名度が無さすぎる為話題にもならず燃えない。近寄りたく無い。
■ガビガビ3D男V
・アイコンがガビガビ
・壊滅的につまらない
・本当につまらない
なんで?って思うぐらいアイコンがガビガビ。アイコンの背景をグリーンのままにするな。Vroidとかフリーの3Dアバターメーカーで作ったっぽい身体で活動している。ただのパーカーを着て短髪メガネ等全くと言って良いほど特徴がないので絶対伸びようが無いしトークも壊滅的、ぼそぼそ喋る。そのくせ律儀に宣伝はするもやはりつまらないので誰も配信には来ない。本当に面白く無いのでなんで活動しているのか分からない。ちなみにこいつらもフォロ爆してフォロワーを稼ぐ姑息な手段をするが本人の魅力がないので全く伸びない。
スマブラを一言で説明すると、「バカでも勝てるゲーム」だ。これは別に蔑称ではなく、桜井雅博が言っている「スマブラはゆかいなパーティゲーム」という言葉を対戦ゲームという視点から見るとこうなる。
格ゲーストリーマーのスマブラデビューが最近点々と目立つが、そのプレイを見て共通して思うのはスマブラというゲームを根本から勘違いしているということだ。彼らが今までプレイしていた格ゲーというものは競技性を観点に入れて慎重に調整され、不用意な行動は即負けにつながる。そのため彼らは、(スマブラの標準と比較すると)異常に慎重なプレイングをする。
スマブラというゲームの格ゲーと最も異なる点はそこで、このゲームは相手の行動を咎めるということが非常に困難にデザインされていて、慎重に立ち回るより猿のようにボタンを連打したほうが強いようにできている。
もちろんこれはアクションゲームとして考えるととてもよくできている。スプラトゥーンのヒットの理由は、会敵していなくても「塗り」という大義名分のもとボタンを押せるところにあるというのはよく言われていることだが、スマブラはそれの格ゲー版と言えるだろう。だからこそ格ゲーにありがちな対戦の窮屈感がなく、自由気ままにコントローラーを操作し、オールスターのキャラクターを動かす快感がある。
「ゆかいなパーティゲーム」という言葉の意図はここにあり、このゲームはあくまでガチャガチャコントローラーを動かして対戦「のようなもの」を楽しむために作られたゲームなのだ。
ところが異常者がこのゲームに競技性を見出してしまったために、(一部の人間には)不幸なことになった。スプラトゥーンと対比するとよくわかるが、開発元はこのスマブラというゲームの競技シーンを明確に定義しようとはしておらず、アイテムありやステージランダムなど、運の要素をなるべく介入させたあくまでパーティゲームの大会としてしか主導していない。
これが何故かというと、開発元はこのゲームの競技性に対して一切責任を取るつもりがないからである。
特にキャラクターの強さのバランス、インターネット対戦機能の不十分さについては、昨今の格ゲープレイヤーからすると信じられないレベルの低さだが、これはそもそもそういう風に遊んでほしくないという開発側の強いメッセージ性が現れている。インターネット対戦のラグについては有線接続同士の対戦でなお、散々コミュニティに批判されていたストVのPS4より大きい遅延があり、元々行動を咎めづらいようにできているこのゲームがさらに振り得となっており、差し返しという概念はほぼほぼ成立しない。また、キャラクターの強さについては強力なDLCキャラが追加された後調整が終了し(この調整が「終了」という概念があるのも面白い)、そのキャラクターを使えば誰でも楽々に勝てるという状況になっている。今作では「調整班」という名目で前作までの有力プレイヤーが開発に協力していたとのことだが、最近開かれた大会ではその調整班の人間がDLCキャラクターに手も足も出ず敗北していたところを見ると、おそらく単なる批判のスケープゴートのために雇われていた可能性が大きい。
さて、ここまで対戦ゲームとしてのスマブラの未完成さを説明したが、ポイントはこの未完成なゲームに「なぜか」人々は競技性を認めているという歪みである。
今までの話を要約すると、スマブラはバカでもボタンを連打していれば勝てるようにできているのに、ほとんど全員がその事に気づいておらず、まるでゲームがうまいかのような扱いをうけることができるオアシスであるということだ。
実際強力なDLCキャラが追加されてから、今までまるで結果の出ていなかった人間が世界トップレベルのプレイヤーに勝利するということが頻繁に発生している。こんなことが他のゲームで起きればまず調整バランスの批判になるのが常だが、基本的にこのゲームの観戦層はキッズしかいないのでそういう話にはならない。
また、そんなに強いなら(ストVのルークのように)そのDLCキャラに使用が集中するのでは、とも考えられるが、そういう事もあまり起きていない。それはこのゲームのプロプレイヤーのほとんどが最も強いプレイヤーになるためではなく、あるキャラクターの全1という看板を得て配信業を成立させるためにやっているからである。そのため、一見大会のリザルトを見るとキャラがばらけてバランスが取れているように見えるが、なんのことはなくそこに載っている人間の殆どが真面目に勝ちに行っていないからである(そういう意味ではメタな視線で「ゆかいなパーティゲーム」が再現されているのかもしれない)
よって、このゲームは(幻想の)競技シーンで勝つことが最もイージーなゲームとしてコスパがよく、またプレイヤーの民度も低いので常識的な言動のラインを守ることさえできれば人気も得やすい最もプロゲーマーになることが優しいゲームとなっている。そのため、プロゲーマー志望は全員スマブラをやるべきだ。
ただ、このゲームのプロになることが幸福かどうかは別の話ではある。基本的に賞金は国外の大会でしか出ないし、その額も他のゲームに比べると信じられないほど小さい。スマブラというゲームのバランスが取れていなくても、結局この程度のゲームで勝っても対して稼げない、という世の中全体のバランス調整はちゃんとされているということなのかもしれない。
それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
カフェインのオーバードーズに興味がある人多いな。誰の目にも止まらないと思ってたけど、見てくれる人がいて嬉しい。自分は企図をしてからメンタルを強くするために、誰にも期待することを止めたのだけど、やっぱりオーバードーズについて分かってくれる人がいたのも嬉しい。
分かって貰えないことが辛い。分かって貰えるなんて、相手に期待するのがダメだと分かってるけど。相手に配慮し過ぎるのに、自己中で繊細で。傷だらけの心身を引き摺りながら辿り着いた先、助けを求めて辿り着いた先。ここは砂漠のオアシスだと思っていたら、いつもと同じことだった。誰も分かってくれない。
心が折れてしまうかもしれない。誰を頼っても、どうせ無駄だと思ってしまうかもしれない。言葉では分かってくれない。じゃあ、実行しよう。
もしくは、もうこんな自分は生きていたら世間に迷惑がかかる。死んだほうがマシだ。じゃあ、死のう。
自殺企図、助けを求めるための、事を荒立てる方法としてはいいかもしれない。言葉で分かってくれない人間、言葉で上手く伝えられない人間には暴力的手段が効く。でもその暴力は自分に向かっている。最善の方法じゃない。現に自分の場合はあと一歩で戻れない所だった。(当時の自分は、こんな自分なんて死んだほうがマシだ、死なないといけない、と本気で思ってた節もあったけど。)
自殺念慮はもうヤバいからお気軽病院受診ひろまえー。病院にかかって相性も悪くて八方塞がりの時に死ねる手段があると、例え試みようとしなくても、心が軽くなるのは分かる。けどそれはまやかしなので、具体的な手段は書かない。自殺教唆もしたくないしね。色々なものを背負い過ぎて自殺念慮がある人たちは、死ぬより辛い生について向き合わないといけない。できれば楽しいと思える形で。できれば自分のやりたいことをやって。それが産まれたことへの責任なのかも。。
ここ数年の課題として、自分の毒が蓄積されている感覚があります。
おそらくその原因は「自分が他の人と比較して欲望を犠牲にして実績をつけてきた」という自負だと思っています。
これは半分事実で半分は嘘、というか運が良いだけだと思ってます。
そこで私はエンジニアの管理・調整などを行いつつプロジェクトを進めていく役割になりました。
なんだかんだで実績を出せて利益に繋がり徐々にメンバーも増えていったのですが
控え目に言っても3年は私がいなかったら存続しなかったのではないかと思っています。
これは驕りと思われるかもしれませんし、一方で会社なんて誰が辞めても存続はするように仕組みを整えるものだと思いますが
そうは言っても当時は私がコアメンバーだったとは思いますし、私が抜けなかったことで成立した側面は結構大きかったのではと思っています。
幸いなことにきちんと上司には評価され、平均年収を軽く超える収入を得ました。
労働時間もベンチャー企業と言いつつもある程度は管理され、規格外の残業時間になるようなケースはなかったです。
こう聞くと恵まれているように見えます。それは事実である一方で失われつつある感覚もあります。それは感性です。
仕事のせい、と言い切る訳ではないのですが、大きな要因ではあるのかなと思ってます。
コアメンバーになってしまったのである種必然的ではありますが、案件の難易度は高く、かつ会社的に重要なものが多かったのです。
そういう状況を繰り返す中で「難しくてもなんとか解決して乗り越える」実績はそれなりにつきました。
もちろん人間関係にも恵まれていた方だと思いますし、メンタルも結構強い方だったみたいです。
ただやっぱり、サービス残業や休日出勤はしないにせよ、勤務時間後や休日に仕事のことをモヤモヤ考えたり、仕事の分野を少し勉強したりはありました。
コロナ禍でリモートワーク主体になることもあって、余計に仕事とプライベートの分割の難しさを感じました。
とは言うものの、仕事がアイデンティティの中に入らないようにはコントロールしました。
というか、私の感覚としてどんな案件であれアイデンティティにそもそも入らないみたいでした。
「お客さんを助けたい」とか「社会問題を解決したい」とかそういう強い意思はなくて、ただ目の前の案件をクリアする。
ゲーム感覚でしかないのです。ただ性格・能力的にあった仕事で楽にお金を稼いで、それなりに快適に暮らせたらそれでいい。
ついでに周りの人から重宝されたり感謝されたら少し嬉しい。その程度でしかないのです。
もともと上昇志向なんてそんなにありません。プロジェクトをうまいことコントロールしつつ
トラブルなくスムーズに進められたらそれでいいという感覚でしかないのです。
適度に妥協しつつ、それでも要件は満たすように良い感じの着地点を設定して進める。
そういう感覚がベースとしてあるにもかかわらず仕事の難易度はそれなりに高かったので
「ちゃんとしないといけない」という感覚が自分の中で強まり、プライベートが徐々に侵食されていきました。
シンプルに頭が疲れるので、休日は結構寝ないと回復した気がしません。
残業は少ないにせよ、新しい娯楽を楽しむ気力がなかなか持てず、睡眠を優先してしまう。
仕事の方で頭をフル回転させないといけない。そういう感覚に徐々になっていくのです。
じゃあ休んでリフレッシュすればいいじゃんってなります。それはそうです。
もちろんストレスに負けたら有給は取得しますが、普段はなかなか押せないんですよね。
これは環境ではなく私が原因の側面が大きいのですが、替えが効きにくいポジションになってしまうことが多い以上
有給を取ったとしても自分の仕事を他の誰かがやってくれるわけではないからです。
なので、ある程度プロジェクトがうまくいってる時か、プロジェクトの切れ目とかではないと
なかなか有給は心理的に取りにくいと感じてしまいます。うっかり仕事中心の生活にしてしまうし、うっかりクリアしてしまう。
だから評価されるし、次の案件の難易度は必然的に高くなる。そうして見えない神輿に乗せられて、徐々に降りられなくなっていく構造を感じます。
このサイクルを繰り返すことで、私は徐々に感性を失っていくような気がしてきました。
とは言いつつ完全に無趣味になってしまうかというとそういうことはなく
友人とゲームをやったり、たまにライブに行ったり、映画や漫画などの娯楽は適宜摂取しています。
でも、昔と比べて全部上滑りしている感覚を拭えないのです。
学生時代に何かに夢中になって徹夜したとか、ストーリーや登場人物に没入してめちゃくちゃ泣くとか
授業中にもそのことを考えて空想してしまうとか考察サイトを全部追って自分の解釈と比較するとか、そういう感覚になるほど夢中になれたりしないのです。
ストーリーものなら疲れたとか眠いとか思いつつ、時には仮眠をとりつつ完走するとか
競走系なら友人とDiscordで繋いでゲームするとかそんな感じでしかないのです。
感想も「なんとなく良い感じ」とか「中だるみもあったけどなんだかんだで割と面白かったな」で終了。
常に40-70点の感覚です。上振れも下振れもありません。ただ通過するだけ。
単純に年齢によるものかもしれません。あるいは体力もおそらく関係するのかもしれません。
そもそも、インドア趣味に飽きつつあるフェイズなのかもしれません。
あるいは、夢中になれるほど時間を費やしていないのかもしれません。
これまでの経験上、感性を培うにはそれ相応の時間が必要だと考えています。
現状では、その時間が不足している気がしてならないのです。
趣味は自分の感性を培うのではなく、ライトなコミュニケーションツールでしかない。
多くの人はそもそもそのくらいの温度感でしか趣味をしていないのかもしれませんが
どれもフワッとした楽しみ方しかできない自分の空虚感をすごく持ってしまいます。
今後仕事で更に求められる水準が高くなり続けるであろう状況を鑑みて
一人で心身をコントロールしながら乗り越えていくのは厳しいし
でも、現段階で一人で生きると決断できるくらい肝が座っているわけでもない。
そこでお互い現代社会を乗り越えて、色んな楽しみを共有できるようなパートナーが欲しいと思い、婚活を始めてみました。
1, 2年マッチングアプリをやってみて10人前後に会いました。
曲がりなりにもスペックだけ見ればそれなりに高いので、そこそこの人数と会えてしまいました。
でも、私の中での感性が減っており「ピンときた!」感覚になかなかなりません。そうして無意識にコミュニケーションの中で相手の地雷を踏んだり
アプローチの決め手に欠けて及び腰になったり、なんとなくで交際を申し出て
とりあえずOKをもらっても上手くいかなくて数ヶ月で破局したりというケースになりました。
こうした中で、私の致命的な欠点を感じました。それは「他の人を見下してしまう」というものです。
例えば仕事の愚痴を相手から聞くことがあったとして、うんうんと聞いてる裏で「どうしてこの程度で愚痴を言うんだろう?」
と思ってしまう自分が少なからずいるのです。そもそも自分の環境がある程度恵まれていることや、マネージャ的な視点が強いからという点もあるのですが
多くの人にとって仕事は「降って湧いたもので、理不尽を強いられるもの」という感覚だとか
自動的に仕事とアイデンティティを結びつけてしまうから、仕事の否定を自己の否定と直結させてしまうとか、そんな傾向を感じてしまいます。
そして、こういう類の愚痴を聞くと「それはあなたの認識の問題じゃない?」ってすぐに考えてしまうのです。
ある程度信頼関係があるなら直接言っても問題ないのかもしれませんが、そうでない関係だと言うのはさすがに良くないでしょう。
「それは本当つらいよね」とか「あなたはよく頑張ってる」とかで共感を示せたらいいのはわかっています。
というか言います。でも、心の中でそんなことを思ってない自分がいる。相手に好きになってもらうことを考えたら
それが最適解になるのはわかっています。でも、本心は全然共感していないのです。
私たちはそれぞれ地獄があるとは良く言われますが、オアシスを地獄だと思う癖があるのではないかとか
悲劇のヒロインぶる癖があるのではないかとか、メリットとデメリットを客観的に見ることができず
デメリットを過大評価してしまっているのではないかとか、そういう見方をしてしまうのです。
そういう考えが根底にあるのでコミュニケーションのどこかで「この人は危険だ」というセンサーをどこかで作動させてしまっている気がしてならないのです。
というか事実そうなのでしょう。自分の中で「真っ当ではない」心があるのを感じます。寛容になれない心があるのを感じます。
そう考えると、私の中でモラハラ気質はめちゃくちゃあると実感してしまいます。
幸い職場ではまだ発露していないですが、家庭を持つとなると何がきっかけで発露してしまうかわかりません。
ただこれは仕事ができてしまった、たまたま評価されてしまった報酬と引き換えに持ってしまった性質としか言いようがないのかなと思っています。
こうして見ると、分不相応な難易度の案件を仕事に過剰にリソースを割くことでクリアしてしまい、結果性格を拗らせてしまったという状態なのでしょう。
自分の中に蓄積された毒を認識し、それを発露させないように取り除くのは極めて難しいと思っています。
私の場合、仕事の報酬や実績と引き換えに持ってしまったので尚更です。
おそらく男性は自分の価値観や性格が変わりつつあることを意識しない人が多いと思います。
また内面を話して受け入れてもらったり、フィードバックをもらう機会はそう多くないと感じます。
ただ、そうやって定期的に毒や棘を取り除いていくことで表面的には穏やかな性格に見られるのかと思います。
しかし、そうした機会が少ないと棘の上から武装することになる。するとふとした瞬間に相手に毒や棘を見せて危険だと思われてしまい、結果的に拒否される。
そういうケースは非常に起こっているのではないかと感じます。現代社会を生き抜くためには精神の武装を強いられますが
鎧の耐久値を上げることに躍起になって解毒や棘を除くことを怠るのも、それはそれで歪みを生じてしまいます。
必要なのはパートナーという形でないにせよ、信頼できる人に内面を話して理解してもらうだとか、楽しいことにフォーカスするとか
仕事の役割を変えてもらうよう交渉するとか、そもそも転職や引っ越しをして環境をガラッと変えるとか、そういったことなのかなと思います。
とはいえ、私も体力がある方ではないですし、すぐに解決することは難しいので、できる範囲で少しずつ試していくしかない。
そうやって世の中とチューニングしていくしかないかなと思っています。
今回は解毒の手段の一つとして自分の状況を言語化し、可視化できる状態にしてみました。
そしてあわよくば全世界の人からフィードバックを得ようという算段で増田に投稿してみます。
みなさんの毒はどういう種類のものですか?
そしてそれをどのように取り除いていますか?
はじめに断っておくが、増田が使っているサービス(ハローサイクリング)は主に首都圏や関西など
大都市圏を中心に提供されているサービスなので、地方にはまだまだ広まっているとは言い難く、
とにかく、個人のものでなくレンタルできる自転車のサービスが広まっていることはご存知だろうか。
駅周辺のビルや公園、コンビニなどに、専用のポート、要は駐輪場があったりする。
各サービスのHPやアプリに、ポートの所在地がわかる地図が設置されていると思うので、
気になる人は自分の行動圏にあるかどうか見てみるといい。
当時働いていた会社が秋葉原駅から徒歩20分くらいのところにあったので
終業後に時々買い物に行ったり、ヨドバシのバッティングセンターに行ったりしていた。
会社→アキバで用事→会社の最寄り駅から帰宅と、往復で40分と思うとちょっと面倒だった。
そこに現れたのが、レンタサイクル。徒歩20分の道でも、自転車なら10分かからずに行ける。
かなり気軽に行けるようになり、元々自転車に乗るのが好きだったのもあって、頻繁に利用するようになった。
各サービスによって異なるが、短時間の利用でならそこまで高額になるものはない。
増田が使っているやつなら30分130円、延長15分100円だから、1時間使っても330円だ。
増田の使い方は主に出先での短距離移動なので、だいたい130円で事足りる。
ロードバイクなどに乗るのが趣味の人ならば50キロでも100キロでも乗っちゃうだろうし、
なんなら輪行してしまうよ人もいるだろうが、そこまで本格的じゃない人が大多数だ。
ちょっとママチャリでぶらぶらするのが好き、というような人が一番刺さると思う。
自宅周辺だけでなく、出先(といっても主に都内だが)で自転車を漕げるのは新鮮さもあって楽しい。
都内は坂だらけの街も多い。
しかしレンタサイクルは基本的に電動自転車なので、坂だらけの街でもなんのそのだ。
電動というメリットを享受できないと、それは途端にただ重いだけの自転車に成り下がる。
サービスによるとは思うが、増田が使っているハローサイクリングでは事前に乗りたい自転車の予約ができる。
アプリ上でもおおまかな電池残量は確認できるが、可能ならポートに置いてある自転車を実際に見てみて、
電池残量が充分に残っているやつを選ぶとよい。
場合によってはポートにある自転車のすべてが死んでいることもある。祈るしかない。
当たり前だが、完全にどこでも自由に乗り捨てできるわけではなく、
所定のポートに置かなければならないという縛りがある。そうするとこうした問題が生まれてくる。
自転車がない問題はシェアサイクルという性質上、避けては通れないものだ。こればかりは仕方がない。
駐輪場問題のほうには2つのパターンがあり、「ポートが満車で置けない」パターンと、
「そもそも目的地の近くにポートがない」というパターンがある。
前者の場合、近隣に別のポートがないかチェックする必要があるし、
後者の場合はそもそもレンタサイクルという選択肢自体を選ぶべきではないだろう。
ざっくり説明すると
操作音や音声アナウンスがあるわけでもなく、視線誘導のような工夫はされていない。
同じサービスでも自転車そのものは複数のサービスにまたがって使われていたりするため、解錠の方法も複数ある。
慣れればわりとスムーズに使えるが、最初のうちは「これで本当に返却できたのかな……」と不安になったりもする。
と、こうしたデメリットはあるものの、基本的には便利なサービスだと思う。
どれも慣れや事前のチェックでどうにかなるものばかりだ。
先日、残業を終えて終電間際の電車に乗って帰宅していたのだが、乗る電車を間違えた。
疲れていたこともあって行き先を間違えてしまい、違う路線に乗り入れてしまった。
幸い、行き先が分岐する駅から1駅で気付いたのだが、引き返す電車はすでに終電が行ってしまったあと。
駅前では同じ境遇の人が家人に迎えの依頼をしているような電話をしていた。
迎えが期待できない増田のほうは、はてさてどうしたものかと思案した。
自宅まで歩けば30分程度だが街灯が少なく坂だらけの道を歩くことになる。
タクシーは呼ばなきゃ来ないようなところで、料金も3000円を超える見込み。
そんな状況で1台のレンタサイクルが停まっているのを発見したときは、
砂漠でオアシスを発見するとこんな気持ちになるのかと思ったね。
こんな辺鄙……と言うほどでもないが、住宅街の小さい駅に1台停まっていたのは幸運だった。
自宅の最寄駅そばにもポートがあることを確認し、夜中のサイクリングを楽しみながら帰宅しました。
とまあ、出先での移動によし、緊急事態での利用によしと、
延々とモヤモヤした状態が続いており、何とか言語化をして心を落ち着けるために筆を執った。
これを目にして気を悪くする人も多いと思うが、共感してくれる人も少なくないはずである。オタクの戯言をインターネットの海に投げ放つことを許してほしい。
2~3ヶ月ほど前から、YouTubeにて主に個人勢のバーチャルライバー(以下Vと略)による『ミリシタ』のゲーム実況配信が急激に増加した。
ブームの火付け役となったのは、ミリシタ運営側が5周年に合わせ宣伝活動の一環として打診した、いわゆる『案件配信』を受けて下さった大手V事務所のライバー達であろう。多くのVファン達がミリシタの存在を知ると共に、ミリP側も「画面の中のかわいい女の子が、我々と同じようにアイドル達を愛でている」という光景に微笑ましさを感じ、「ミリシタの実況配信って面白いんだ」と思い知らされたはずである。
しかし、彼女達が『ミリシタ』をプレイしてくれたのはあくまでバンダイナムコが案件を投げたからで、完全なる『お仕事』なのである。そもそも、リズムゲームの配信というのは楽曲が著作権に引っかかり、発生する広告収益が全て音楽レーベル(ミリシタであればLantisやコロムビア)に持っていかれてしまうため、職業Vが案件なしに実況を行うことにはディスアドしかない。この案件がきっかけで「もっとVのミリシタ配信が見たい!」と思ったP達は、そのあまりの供給の少なさから路頭に迷った事だろう。
しかし、ここで発生した需要に応えてくれたのが趣味で配信活動を行っている個人Vである。多くは5周年からの新規勢・復帰勢で、何故ミリシタ配信を始めたのか、これまでのアイマス遍歴などはそれぞれ異なるものの、皆一様にMVのダンスのクオリティに驚いたりトンチキなコミュにツッコミを入れたりしながら楽しそうにプレイしてくれている。
そして、砂漠に現れたオアシスには、当然飢え渇いた民が雪崩の如く押し寄せる。それまで同時接続数1ケタほどで地道に活動を続けていたとある方は、ミリシタを配信した瞬間に突如現れた大量の視聴者や爆速で流れるコメントに驚く様子なども見せてくれた。「ミリシタをやればたくさんの人が見に来る」と感じたからなのか、ほとんどの方がそのまま継続してプレイして下さり、またその様子を見た他のVも同様にミリシタ配信を初め、そこにも巡回勢のミリPが押し寄せて……という好循環が生まれ、今ではVのミリシタ配信同士がバッティングし二窓or片方アーカイブ視聴という事態も珍しくなくなってきた。世はまさに大ミリシタ実況配信時代と言えるだろう。
しかし、ブームが始まる前から細々とミリシタを配信してくれていた個人を追い続け、前述したVの配信も片っ端から見ている人間として、最近の盛り上がりの中でどうしても許せないと感じることが一つだけある。それは
ということである。
キツい。いやーキツい。本当にキツい。Vの方の反応を眺めるのは楽しいのにコメント欄のせいで見る気が失せて途中でそっ閉じしてしまうミリシタ配信のなんと多い事か。
ミリオンライブに限らずアイマス全体に言えることだが、Pという生き物は所謂「教えたがり」の連中が多い。それ自体は別に悪い事ではないと思うのだが、「知って欲しい」という感情が暴走してミリシタ始めたての新人であるVの方に対して与える情報としては明らかに不適切と感じるコメントを書き連ねる人間がどの配信に行っても散見されて正直不快である。
では「具体的にどのようなコメントがキツいのか」という話だが、これは大きく3つに分けられる。
ミリシタ配信に限らず多くの視聴者が集まる配信でよく見られる、ネタバレがダメだと頭では分かっていても書きたくなってしまいがちなやつである。
コミュが始まる前に「次のコミュはヤバいので涙腺注意」と言ってみたり、花ざかりWeekendのラスサビやオペラセリアの求婚シーンなどの直前で「さあ来るぞ」と言ってみたり……本人はネタバレのつもりで書いているわけではないだろうが、何も知らないV側からすると「あ、この先なんかあるんだな」と分かってしまうことになるため、リアクションの新鮮味が薄れる。初見の感想を吸いに来ている他のPからしても興醒めな事この上ない。何かすごい事が待っているのを知っていても黙って見守るのが筋というものである。
キャラクターの年齢や身長などの設定からゲームの細かい仕様に至るまで、とにかく知ったかぶりで適当言う奴が多い。知らない事・間違って覚えている事自体が悪いとは思わないが、人に伝えるのは自信を持って確実だと言える情報だけにした方が無難である。その誤ったコメントと、それを訂正する他のP達のコメントバトルのせいで「へぇ~○○なんだ!え、違う?本当は××なんだ…そうなんだ…」ってなった時の空気の悪さや配信のテンポの損ない方は尋常ではない。頼むからちゃんと調べた上でコメント打ってくれ。
あえて最後の項目に回したが、これが一番多いし一番腹立つ。
「○○の中の人の△△さんは……」「この曲はこの間のリアルライブで□□さんが……」などなど。お前が声優さん好きなのは分かる。俺も好きだ。しかし、Vの方が今やっているのは『ミリシタ』というゲームの実況プレイである。そこにいるのはキャラクターで、声優さんが画面に出ているわけではない。ミリシタを始めたばかりの新人からすれば、アイドル達と対話をしている最中に突然顔も見た事がない3次元の人間の情報を伝えられてもポカンとする他ないだろう。
こうしたコメントを見るたび、お前は声優さんしか好きじゃないんか?キャラクターやゲームへの愛はないんか?その程度の熱量なんだったら今こうして真摯にアイドルと向き合ってくれてるVの方の足下にも及ばんぞ。という怒りで視聴している機器を破壊しそうになる。もっとミリシタを愛せよ声豚。それが出来ないならコメントするな。
語気が強くなってしまったが、それだけ耐えかねているという事だと理解して頂きたい。折角の楽しい配信がお前等のせいで台無しになっている。
嫌なら自衛すればいいのでは?と思う方もいるだろうが、書く奴を逐一ブロックしたりコメント欄を閉じたりしても、多くのVさんは画面にコメントを出しているのでどうしても目に入ってしまう。剰え、普段コメントがそれほど多くなく捌き慣れていなさそうな方は(コメントをくれること自体が嬉しいからなのか)そうしたカスみたいなコメントを一つ一つ丁寧に拾ってしまったりもする。こうなると最早コメントを避けて配信だけを見る事は不可能である。本当に悔しい。
匿名で投稿する卑怯な手を使っておいて恐縮だが、これを読んで共感してもらえる方には是非この記事を拡散して頂きたい。馬鹿はそもそもこの手の記事を読まないと思うのですぐに浄化されるなどとは思っていないが、この一オタクの吐露をきっかけに質の悪いコメントを書く人間が一人でも減って私の好きな配信が見やすくなってくれれば本望である。
・黄昏シリーズ第一作『アーシャのアトリエ』の主人公。フルネームはアーシャ・アルトゥール。
・公式の肩書きは「黄昏の大地で一人、生きる少女」。人里離れたアトリエに祖父と妹と三人で住んでいたが祖父は死亡、妹は数年前に行方不明になって失意のあまり塞ぎこんでいたという重い境遇がある。最近のアトリエ主人公は「家族と死別して一人ぼっち」だとか「周囲の環境がクソ」だとかの何かしら不憫な境遇を与えられがちだけど、その中の一人ぼっち部門に関しては堂々の一位を取れる不憫さ。マジで周囲に人がいない。
・そんな女の子がある日突然何の手がかりもないまま、「妹を救えるのは3年以内」という期限だけ与えられて黄昏の世界を彷徨うことになる。その心細さと合わせて、雰囲気がとてもよい。
・アトリエといえば「世界を救わない」というキャッチコピーがあるが、このゲームではその意味がちょっと変わってくる。"黄昏"という現象で世界の荒廃が進んでいるという、いわゆる終末ものの世界観でゲームが進む。その中でアーシャは世界を救うためではなく、妹を救うためだけに行動する。
・実は過去の文明が「黄昏からある方法で世界を救うための機構」としてある装置を作っていた。アーシャは妹を救うためにその装置を破壊するが、本当にその行動が正しかったのか悩み続けて"答え"を探すための旅に出る、というのがトゥルーエンド。とても好き。
・ただし続編ではその旅で無茶苦茶しすぎて指名手配というひどい扱いをされている。
・ゲーム序盤ではゲーム全体の雰囲気がとても暗い。アトリエ定番の「たる」も言ってくれない。
・妹を救出するとアーシャも元気に「たるー!」と言うようになる。アトリエのBGMも一気に明るいボーカルソングになる。その安堵感がとても好き。ただし世界は何も救われてないよ。
・アトリエでは作品ごとに百合CPだったりノマカプだったりが推されるが、アーシャではCV.中田譲治のツンデレおじさんとの28歳差歳の差CPが正規ルート。続々編の『シャリーのアトリエ』ではほとんど夫婦みたいになっている。
・女性主人公はどれだけビジュアルがよくても作中では「ちんちくりん」とか「色気がない」みたいな扱いされることがよくあるが、アーシャは違う。作中でたびたび美人だとか綺麗だとか言われまくる、設定からして美人。恐らくこんな扱いを受けてるアトリエ主人公は他にいない。実際イラストを見ると本当に美人なので納得するしかない。なお、本人は一切自覚していないので、直接言われても自分のことだと思わないかお世辞だと認識する。
・スピンオフ作品である『ネルケ』ではかなり影が薄かった。本人がボケるキャラでもないし同シリーズ内の他の錬金術師との接点もあんまりないし。薬師という設定だけ拾って「薬が必要になったら何でも作ってくれる」みたいな便利キャラになっていた。
・黄昏第二作『エスカ&ロジーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはエスカ・メーリエ。
・公式の肩書きは「黄昏の空に夢を追い続ける少女」。錬金術士の母を亡くしている、リンゴ農家の娘。ロジーさん(後述)と一緒に地元の役人として働く。
・タイトル名が「エスカ&ロジーのアトリエ」で、「エスカとロジー」→「エスカトロジー(終末論)」という言葉遊びになっている。
・ゲームとしてはエスカ主人公とロジー主人公のどちらかを選択して始めることになる。正直ほとんど変わらないが。エスカルートを選ぶと「暗い過去を抱えたイケメンを口説き倒す乙女ゲー」みたいな気持ちで遊ぶことができる。
・近年のアトリエの中でも特に恋愛要素が強い。他の作品では作中でCPが推されるといってもぼんやり出される程度なことが多いが、エスカとロジーの組み合わせに関しては作中公認カップルである。(ちなみに後のスピンオフ作品『ネルケ』でもそのレベルで甘々なカップルが出てくる。)ただしエスカを主人公にした場合でもロジーを主人公にした場合でもエンディングによっては別キャラとの恋愛要素を匂わせることができて、自由に脳を破壊することができる。
・『フィリスのアトリエ』でも登場する。何故か幼女の姿で。これはパラレルキャラとしての登場で、同じく登場するパラレルのロジーさんとここでもイチャイチャする。
・役人なのでアイテムは申請すれば自作せずとも補充してもらえる。これを悪用してお菓子を量産してもらっていた。
・アトリエシリーズの中で唯一テレビアニメ化されている。正直なところ出来が悪い...というか題材が悪いと思うけど。ゲーム自体のストーリーがそもそもかなり薄めなのでほとんど日常回だらけになっている。それを楽しむスピンオフくらいの気持ちで見よう。
・黄昏シリーズの主人公の中では一番露出度の高い服装をしている。というかすごいおっぱい推しされる。アニメの温泉回とかすごかった。ゲーム内のスチルでは作中の時間経過に合わせてどんどん大きく描かれるという細かさ。
・正直キャラクターそのものより担当声優のイメージの方が強い。アトリエシリーズの定番としてクリア後のおまけコンテンツで、登場した声優によるボイスメッセージのコーナーがある。そのメッセージがエスカ担当だけ異常に長い。他のキャラが1,2分で終わらせるところを10分とか15分とか平気で使う。『エスカ&ロジーのアトリエ』『シャリーのアトリエ』『フィリスのアトリエ』『ネルケ』のそれぞれでめちゃくちゃに語るし、長すぎて前後編に分割されたりしてる。内容もなかなか脳みそふわふわなトークで好き。
・黄昏第二作『エスカ&ロジーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはロジックス・フィクサリオ。
・アトリエキャラクター人気ランキング第5位。もちろん男性キャラクターとしてはトップ。
・公式の肩書きは「見果てぬ夢を黄昏の空に願う青年」。元は中央の技術者だったが、やらかした結果地方の役人としてエスカと一緒に働くことになった。
・空中に存在する遺跡「未踏遺跡」に到達するため、かつて大事故により挫折した飛行船の製造に再挑戦する。エスカのおかげで過去の傷と向き合うようになるという関係性が熱い。
・トゥルーエンド到達のためにはエスカルートとロジールートを両方クリアする必要がある。ロジーは功績を認められた技術者として中央に戻り、エスカは錬金術士として地元を守る。二人の道が一旦分かれるが、数年後成長した姿で再会する。好き。
・銀髪イケメン。近年のアトリエでは唯一の男主人公。イケメン。「彼のカッコよさを超えられないからもう男主人公は出せない」とまでいわれる。
・杖ではなく剣を使って戦う。かっこいい。さらに手甲のような仕込み武器を身に着けていてそこからエネルギー的なものを放出することもできる。かっこいい。なんかライダーキック的な技も出す。かっこ...いいか?
・戦闘面ではエスカと合わせてアイテムを使うコンビネーション技「ダブルドロー」が最強。どんな敵もこれだけで倒せる。二人合わせて屈指の戦闘種族となっている。
・過去の事故により腕に大火傷の痕がある。それがうっかり見られてしまうイベントスチルがあるのだが、どちらかというと「お着替えしてたらエスカが入ってきちゃったお色気シーン」みたいな印象の方が強い。ちなみにこれと対になる(1ルートでどちらかしか見れない)エスカのイベントスチルもあるが、これはお着換えではなく「盗み食いをしてる瞬間をロジーに見られる」というシーンになる。なぜだ。
・先述した通りエスカとの恋愛要素を出してくるが、DX版でゲームとして遊ぶとちょっとチグハグな印象を受ける。これは『エスカとロジーのアトリエ』の無印版からPlus版で追加された要素があるため。ただの相棒的な扱いとがっつりカップル的な扱いが混在する。その辺の解釈・表現がわりと作品ごとにふわふわ。
・個人的には恋愛感情よりもお兄ちゃんくらいの気分でロジーさんを慕うエスカと無意識にめちゃくちゃ距離が近いエスカにドキッとしちゃうロジーさんくらいの距離感が一番熱いんですがどうでしょう。あなたはどうですか?
・「新式錬金術」と呼ばれるエスカやアーシャとは異なる錬金術を扱う。錬金術を「理論化された科学」として扱うもの。これは黄昏世界ではむしろ主流の方式だが、錬金窯を用いた錬金ができない。じゃあ何するのかというと鍛冶場で武器を作る。というわけでこのゲームでは、アイテム作りはエスカが担当し、武器づくりはロジーさんが担当する。錬金術とか言ってただの鍛冶師になってるがそれでいいのか?それは錬金術なのか?
・『ソフィーのアトリエ』『フィリスのアトリエ』にもパラレルキャラとして登場する。本当にただの鍛冶師として。それでいいのか?
・アニメ版『エスカ&ロジーのアトリエ』にももちろん登場するが、めちゃくちゃ影が薄い。エスカ&ウィルベルのアトリエとか言われるくらい扱いが雑。イケメンお兄さんがターゲット層に合わなかったんだろうなあ。
・DVD特典のイラストとして、なぜかシャリーの衣装(女装)を着せられたロジーさんのイラストが公式で存在する。いや本当になんで?
・黄昏第三作『シャリーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはシャリステラ。小さな部族の出身なので苗字が存在しない。
・アトリエキャラクター人気ランキング第28位。ロロナ以降のアトリエ主人公としては最も低い順位。
・公式の肩書きは「使命を胸に黄昏の海へと赴く少女」。船の一族と呼ばれる部族の長の娘。水源が枯れた村を救うために砂漠を進む船に乗ってオアシスの街に来た。
・黄昏の海=砂漠。砂漠を駆ける不思議な船(兼アトリエ)を拠点に冒険する。
・愛称はシャリー。同じくシャリーと呼ばれる名前をきっかけに錬金術士・シャルロッテと仲良くなり、お互いをシャリーと呼び合うようになる。
・ある理由で仲違いするが、それぞれ別の事情がある別の人間なんだということを認識するようになり、それ以降は「ステラ」「ロッテ」と呼び合う。この関係性は好き。
・武器は杖ではなく鈴。ひらひらした衣装を身にまとってくるくる回りながら鈴を振って戦う。とてもかわいい。
・ゲーム開始時にシャリステラを主人公にするかシャルロッテを主人公にするか選ぶ。この選択肢によって序盤はわりと変わる。後半はだいたい同じ。
・シャリステラについて語ろうと思うとわりと愚痴が多くなる。作品として評価が低いシャリーのアトリエだが、特にその悪い部分の要因になりがち。
・シャリステラルートで最初に仲間になるキャラクターとシャルロッテルートで最初に仲間になるキャラクターが変わるが、シャリステラ陣営のキャラクターが全体的に薄い。シャリステラそのものも「村のために頑張ってる真面目な子」以上の印象が生まれなくてかなり薄い。せいぜい「お肉大好き」みたいな設定しか出てこない。それぞれのキャラデザがいい分描写が負けているのが惜しい。
・村の問題も特に解決しないままストーリーが終わる。無印版に比べてPlus版ではストーリーが追加されてるのだが、それでもシャリステラの問題に関してはノータッチ。すっきりしない。
・キャラデザはめちゃくちゃ好きだし「錬金術の船に守られた一族」って設定もワクワクする。もっといろいろ見せてほしかった。その辺はアトリエシリーズの悪いところ出てるなあと思う。
・通常戦闘BGMはシャリステラとシャルロッテのどちらを選んだかで変化する。さらにそれぞれストーリーの進行度によって三段階でアレンジが変化する。合計6曲あることになるが、その全てがクオリティが高い。シャリステラの曲は浅野さんが担当の神秘的で爽やかな曲、シャルロッテの曲は柳川さんが担当で明るくて元気なイメージの曲となる。キャラのイメージに合っていて好き。
・エスカ&ロジーのアトリエのアニメにも最後の最後にちょっとだけ出てくる。シャルロッテと揃って「がんばって!」とだけ言う。何を頑張るんだ。
・黄昏第三作『シャリーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはシャルロッテ・エルミナス。
・公式の肩書きは「大いなる野望を胸に黄昏の海を駆ける少女」。街の掃除屋として使いっ走りをさせられているだけのポンコツ錬金術士だが、いつかビッグになりたいという夢を持つ。錬金術士の父親は亡くなっていて、病弱な母と二人で暮らしている。
・愛称は「シャリー」「シャル」「ロッテ」といろいろ呼ばれる。
・蛍光色の緑のショートヘアと女子高生みたいな現代的な服装で、シリーズを通してもかなり異質なデザインになっている。錬金術の道具を詰めたバッグを常に掛けていて、パイスラッシュになっている。この点はあらゆる一枚絵で強調される。スピンオフの『ネルケ』でもここだけは欠かせない。おっぱいも全シリーズ全キャラを通してかなり大きい方。
・シャリステラ陣営はキャラが薄いと先述したが、それに対してシャルロッテ陣営はなかなかキャラも描写も濃い。
・シャルロッテは突然謎の歌を歌いだすアホの子でありつつ、年相応の悩みを抱えた女の子でもある。その二面性が魅力。特にシリアスが加速している『シャリーのアトリエ』において、服装もあいまって「等身大の普通な女の子」を感じさせる彼女の存在がとてもありがたく感じる。
・ストーリーの最初に、黄昏シリーズ皆勤賞の魔法使い「ウィルベル」と出会う。彼女のことを錬金術士と勘違いし、シャルロッテは弟子入りを申し込む。ウィルベルはちょうど不要になっていた箒を渡し、適当に師匠ぶってあしらうようになる。ウィルベルはウィルベルでちょうど魔法使いとしての行き詰まりを感じていて、だんだんシャルロッテの存在がウィルベルにとっての救いになっていく。シャルロッテがウィルベルを励ます一枚絵の美しさは必見。あるエンディングではシャルロッテがウィルベルに正式に弟子入りする。ウィルベルに居場所ができてよかった...という点だけでもシャルロッテ好き。
・将来に悩んでいたシャルロッテが、ストーリー終盤に見つけた目標が「空を飛ぶこと」なのが好き。ウィルベルの姿に憧れたんだね...。そのために錬金術の船の原理を調べ、過去主人公達の力も借りていく。全体的にシリアスな黄昏シリーズの、特に終盤も終盤で普通の女の子がちょっとした夢をかなえるために頑張る姿がよかった。「空を飛ぶ練習」と言って落ちるだけのアホなタスクが挟まるのも好き。
・シャルロッテの武器は箒。これは便利屋として街の掃除に使っていたことから。最終的にはウィルベルからもらった箒を装備して、ブンブン振り回して戦う。動きが全体的にコミカルでかわいい。
今でも誰かの
上辺ばかり気にしてる
その姿を指差して
笑って気付けば
鏡の中の自分だった
少し老けたおばさんなのに
全員注目してるらしい
脅された
今の職場で
何が正しいの?誰を救ったの?
知らぬうちにまた一つ
鬱憤を溜める
どこが駄目なのかな
すぐ否定されるね
私の年収を
覚えていますか?
そしたらもう
風に溶けて消えるだろう
今更何に変わろうが
ノートを黒く塗りつぶして
暴かれたらきっと終わり
永遠にもう会えない
何もかも
どこへ行きたいのか
わからないまま
逃げ出せば良かった
私はもう私じゃ居られないから
張り付けた笑顔で笑ってたんだ
怒号の飛び交う職場で
全てのミスを拾いながら
悲嘆にくれる日々
せめてあと一週間
親切さで
今はもう苦しくて
当て付けにされてるだけだけど
支えると言ってた人が
今更裏切り始めたんだ
靴を舐めるなら許すと
そう言って歪な笑みで
生きていくんだ
それだけだ
暑さにやられそうな都心の
オアシスは干上がった
ここには何もない
今は地球上どこにも
居場所なぞなく、輪に入れず
卑しい身分のまま
手を擦り合わせてる
音楽も聞こえない
忙殺されて、ひしゃげた
堅苦しい夢の途中
終わることもなければ
始まることもない
ただ胎のような、青空を蹴った