はてなキーワード: インクルージョンとは
英マンチェスター爆発、被害者介抱したホームレス男性に称賛 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3129375
こんな記事でホームレスが英雄として讃えられているけど、日本限定かもしれないけど、一般的にホームレスの人たちはどちらかといえばおとなしい。気性が荒い人もいるけど、人が良すぎてホームレスになる人の方が多い。普段から食べ物を求めて炊き出しに並んで、最低限のルールを守らないとすぐにつまはじきにされてしまう経験を積んでいる人たちが、こういう場に遭遇したら、当然人を守る方になる。性格が悪くて世間に嫌われるやつは、ホームレスよりもヤクザになる。
ホームレスを狂人扱いする、某メディアみたいなことは当然忌避されるべきだけど、逆に聖人扱いするのもどうかと思う。こういう人たちは、不器用なだけで、性格は普通なのですよ。インクルージョンってそういうこと。
故に、本人意思や本人の代理人による権利擁護が担保された状態での選択性にしたら制度に実効性がなくなるし、実効性のない制度は意味をなさないでしょう。
これはもうすでに対策が進んでいて、退院したくても地域に受け皿がなく退院できないような長期入院の高齢患者なんかを除けば、新しく入院した患者はだいたい3ヶ月未満で退院させられます。まだ治ってなくても。
でた!イタリア!
この手の人って本当にイタリア大好きだよね。私はイタリアの実態について詳しくないので踏み込んだ意見は言えないのですが、イタリアについては「いい話しか聞こえてこない」のと、その素晴らしいイタリアに追従する国が出てこないことに懸念を抱いています。アメリカとかならやりそうだけどね。主に医療費削減のために。
そうですね、措置入院は公費負担ですし、国としてはできる限り措置入院制度よりも医療保護入院制度を活用してほしいところでしょうね。
ちなみに年間措置入院件数の都道府県格差は精神保健指定医の偏在とも大いに関係してると思いますが、いかがでしょうか。
参考人質疑の中でも、障害者権利を専門とする弁護士が、強制的な医療によって、患者が治療拒否状態になり、治療効果がでない、というようなこともおっしゃっておりました。また通院を義務化したことによって、自殺者も顕著に増えたとおっしゃっておりました。
強制的な移送や治療がトラウマになり、その後のスムーズな治療につながらなくなるケースは多々あるようですので、強制的な治療介入が必要になる前に早期に手を打てればいいんですけど、それが出来たら苦労しませんよね。ちなみに通院義務化で自殺者が顕著に増えたというのは何かソースがあるのでしょうか?
リソースを増やそうよというのは大正論だと思うんですけど、今後の情勢的にはどう考えても厳しいですよね。精神科の入院治療で最も手厚い人員が確保されてるのが精神科救急病棟(スーパー救急病棟)ですけど、あれ入院費10割で月額100万円近くかかるんですよ。
措置入院するようなタイプの精神障害者を、隔離ではなく地域で生活させるために増税しますっていって国民の支持が得られるとはちょっと思えませんけど、まあ希望を持つのは自由ですからね。
どうもありがとう。なんか話せそうになってきた。
あるケースで警察の介入をお願いしたいというものがあることは否定しませんよ。ですから本人意思や、本人の代理人による権利擁護が担保された状態での選択性にすればよいのでは、と考えているのですが、なぜ義務として必ずそうしないといけないとなるのでしょうか。その説得的理由がいっさいわかりません。
>ロクに治療が行われず、措置解除後はすぐに出されてあとは放置
まさしくこれが問題だと思ってますよ。日本の精神病院は他国とくらべて圧倒的に平均入院日数が高いということも問題だと思っています。措置入院件数の格差は、人口が違うので、人口当たりだと14倍程度と国会で議論されていたと記憶しておりますが、イタリアの基本的に入院治療は行わない、という制度意向によって、地域社会でのインクルージョンが大幅に進んだということなので、方向性としては、措置入院は可能な限り減らしていくことが望ましいのではないかと思っておりますが、私は専門家ではないので、これが必ず正しいとは思っておりませんが、まさしく地域間格差があるということそのものが、疫学的、社会学的に有効な処置の検証ができる状況にあると思いますので、厚生労働省にはしっかりとその面での研究を奨励して頂きたいと思いますね。
参考人質疑の中でも、障害者権利を専門とする弁護士が、強制的な医療によって、患者が治療拒否状態になり、治療効果がでない、というようなこともおっしゃっておりました。また通院を義務化したことによって、自殺者も顕著に増えたとおっしゃっておりました。結局、認知症治療や発達障害治療等と同様に、投入されるリソースが少なすぎるから、治療効果を無視した、対処療法的であったり、悪影響を与えかねないような治療形態しか選ばれていない、ということなんだろうと思っておりますので、私の結論としては、もっと金を出そうよ、というところですね。私個人としては、大きな政府支持ですので、そのための増税はむしろ歓迎しているところです。そういう意味で民進党、共産党を支持しているかといわれると難しいところはあります。
参院厚生労働委員会です。塩崎恭久大臣も橋本岳副大臣もちゃんと論理的にしゃべれる人なので、逆説的に法案の瑕疵が際立ち続ける精神保健福祉法の改正案。昨日、今日も金田さんは、「一般人は告発の対象にはならない」、「デジタルデータは監視対象にならない」と迷走されておりましたがね。
さて相模原の事件を受けて、その再発防止としてなぜかでてきた、措置入院後の管理強化をする法案、ただ医療福祉の法律で、治安、犯罪抑止を立法事実としたたてつけは無理だとさすがに判断したのであろうと思われますが、大臣や役人が述べているとおり、立法事実が変わっても法案は変わっていないので、グダグダになっている法案。
以前の記事
http://anond.hatelabo.jp/20170414142605
この法案については、読売新聞の記事がよくまとまっていると思います。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20170428-OYTET50006/
産経のクソみたいな記事と比べると、読売がまだまともな部分があることを気づかせてくれます。リンクは貼らないけど。
「野党が「共謀罪と一緒」と難クセで法改正の足引っ張り…抜け落ちた「再発防止」の観点」
再発防止なら、まぁ普通の頭をしていれば、障害者差別問題、障害者の権利の啓発、優生学的思想の否定、障害者を隔離しないインクルージョンの推進、というような方向に行くと思うんですが、産経にかかると、精神疾患の罹患者の予防的隔離、監視強化をしないことは野党の難クセだとおっしゃるのがすごいと思うよね。加害者の属性は日本人とか男性とか若者とか大麻利用者とか他にもいろいろあるわけだから、男性が刃物を買うことを規制、衆議院議長に陳情書を出した日本人は監視強化するとか、大麻の前科者の住所情報共有は本人意思関係なくするとかでもいいんじゃない?私個人はこのどれが「再発防止策」としてでてきても反対するけどね。
石橋議員はこの問題では、倉林明子議員、福島みずほ議員と3人で、もう完膚なきまでにディベートとしては勝ってると思います。大臣!の呼びかけ方は割りと不快ですが。国会はディベート大会ではないので、どうなるか見守っているのですが、これを通すようだとちょっともうかなり国会の機能はなくなってるんだろうなぁと思ってメルクマールとして注目しておる次第です。この法案は、まぁ安倍さんにとっては枝葉の問題で、自分が治安維持や犯罪抑止においてなんか実績を上げたんだっていう看板として、「改正した」っていう事実が欲しいだけで、そんなに是が非でも通したい法案というわけではないと思うんですよね。その法案でここまで強権的で、資料の公開はしないで、瑕疵を徹底的に指摘されても撤回しないとするとこれは相当ヤバイだろうと、こう考えておるわけです。
相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チームは、安倍総理の意向を受けて塩崎大臣が設置した審議会で、昨年12月に再発防止の提言を出しています(ぐぐってね)。この提言の、方向性や問題点の列挙まではまぁ理解できるのですが、もってくる対策が頭おかしいとしか、というものなのでね。最低限、支援計画段階での本人参加の法文上の必須化、どうしても警察を入れたいのならば、本人またはその権利の代理人(弁護士等)の同意、また本人が情報の共有措置を停止して欲しいと要求できるラインの確保、などが盛り込まれないとこりゃあどう考えてもダメだろとは思うんですがね。
んで、この再発防止チームの検討会の第7回で、障害の当事者から、警察に入られるとかえって病状が悪化する、など見直しを要求する意見陳述があったのにも関わらず、議事録非公開の第8回検討会を受けてでてきた提言の中で、ケース会議等に本人の同意がなくても病院や自治体の要求で警察が入って、病状、転居情報などの自治体間共有などを行う、というものがでてきたわけです。これはもともと、犯罪抑止を立法事実としてたてつけたときに作られた条文だったのです。それが取っ払われても、政府側としては法案の趣旨は社会復帰の推進で一貫しているから、まったく問題ないという態度なわけです。しかし、犯罪抑止という立法趣旨が消された現状では、警察が入ることが、病状の回復や社会復帰においてどのような好影響をあたえるというエビデンスがなければ、これをいれる意義が見出せないだろう、というのが前回までの石橋議員の指摘で、第8回議事録の個人情報部分があるのならば、そこは黒塗りでも良いから、その立法事実、エビデンスが書かれているというのなら見せてみろ、という状況。
「意訳)資料要求をさせていただいたが、結局エビデンスは提示されなかった。そのことについて聞いていきたい。第7回で参考人から指摘された、警察が情報共有するという兵庫方式にはマイナス面もあるということに対して、その後の第8回でいかなる議論がされたのか。この警察との情報共有が、いったいなぜ患者の社会復帰に繋がるのか、エビデンスがあるのなら示して欲しいと要求してきたが、明確な答弁はいただけなかった。個人情報は黒塗りでもかまわないから、第8回の議事録を提示して欲しいと理事会でも重ねて要求してきたが、今日も出せないとの答えがあった。なぜ出せないのか、ちゃんとエビデンスに基づいた協議をしたというのならば、個人情報に配慮した状態で良いから、立法事実、エビデンスを示してくれと要求したのにゼロ回答ではないか。これでは議論できない。」
「(略)資料を要求していただいている件についてですが、そもそもこの再発防止検証チームの審議会は、そもそも第1回の会議のときに非公開が前提で行われているものであります。個人情報がたくさん入った資料も配られるので、そういったものを含めて公開をしないという前提で、屈託のない議論をいただいたところでございます。ですので、原則非公開としたものを、個別の内容についてお示しすることはできないわけでございます。これは、当然第7回で参考人に指摘されたことを踏まえて、第8回でも議論を頂いたところでございます。公開されている第7回の議事録を踏まえて、第8回の議事は行われているということでご理解を賜りたい。」
「まったく納得できません。第8回でもう取りまとめの議論が出てきてるんでしょう。それが第9回で確認されているんだから。なんで、第7回の議論を受けて、第8回でいきなりとりまとめの案が出てくるんですか、むしろまったく検討されていないということを立証しているんじゃないですか。大臣、認められたほうが良いんじゃないですか。結局立法事実は示せないんでしょ。エビデンスがないなら、どうやったって法案の審議なんかできませんよ。最初から立法事実をはき違え、さらには立法事実がないのにも関わらず、法案を作ってしまった。だから法案の中身がいろいろ問題を持ってしまっているんですよ。今日は具体的に聞いていきます」
続きはトラバでに
http://anond.hatelabo.jp/20141023160653
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653
増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメも Twitter での言及も。
せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。
数々のコメントの内容の前に。
そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分が担任の経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。
自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署で仕事をしており、次年度の分掌として学級担任を希望しているという次第。
また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である分不安も大きいが自身の教員としての力量形成・キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学を卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。
で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。
学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。
これも高校の範囲でしか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である。
例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である小中学校は、公立校には基本的に地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校は学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。
柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域の中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較的生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供の幼児教育・初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHD,LD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供の教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間で教育格差が生まれるのは必然である。
そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。
そんな中で、高校教員の自分が言うのもなんだが小中学校の教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任がほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成も高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引きの通報が入ったりする。
まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校で自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。
思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます。
コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。
まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。
以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別な教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。
単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員は必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。
特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。
甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。
自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力、関係形成能力、客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団は必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10人前後の部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用な集団に属するのが良いと思う。
http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html
記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。
通信制高校も全日制高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。
まず通信制や全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。
あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導やカウンセリング、自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。
目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である。
教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校で高校生活を送り卒業することを希望したと判断し教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。
突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強の学習だけが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全に学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることなく教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。
そうだと思ってやっています。教科指導、生活指導、進路指導、全て教員の仕事です。
結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。
まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員の経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通の学校だけでなく、工農商の実業高校、定時制や単位制高校、進学校など様々な環境の学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初の経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。
ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外、田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員はわがままを言う。都心部、通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。
またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間と仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。
※個人の感想です
教育困難校は本当に、高校生とはいえその時その時の刹那的な感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。
高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験で因数分解や三角比の問題を解くことが就職につながる。
そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分で判断し学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。
感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。
そうなると学校の経営は破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業・就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供の自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校は存在する。
繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。
皆様の生活があり自分の仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります。仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます。
http://www.futoko.org/special/special-03/page0630-159.html
発達障害者支援法が通ったことで、特別支援教育は、ひどい方向に動いています。もともと危うさはありましたが、それでも当初は、特殊教育から障害児教育と変わってきた流れを変えて、障害児の教育ではなく、みんながいっしょに学ぶインクルージョンに向けていこうという話でした。支援のいる子には支援を、しかし基本は同一教育という考えで「特別支援教育」となったわけです。
ところが支援法が通ったことで、特別支援教育は、軽度発達障害児だけが焦点になったんです。これでは発想が逆になって、今まで普通学級で学んでいた子どもたちを、特別支援学級に抜き出して、そこで教育することになってしまっています。これによって、障害者を地域へという方針まで揺らいでいます。
子どもたちは総体としてのニードをもっているし、そのニードは、構成メンバーによって変わってくるものです。ところが、特別支援教育は、集団や母体への支援ではなくて、個人への支援で、支援の方向が個別化されているんですね。それが、発達障害者支援法の特色だと言えます。