はてなキーワード: イメージとは
別に嫌なことがあったとして、それを書くかどうかは個人の自由なので、何ら問題はないと思う。 私が興味深いと感じているのは、わざわざリスクになり得る誹謗中傷や暴言などの書き込みを、脊髄反射でしてしまう心理。 書くという行為は、案外エネルギーを消費する。 大半の人は脳や脊髄とSNSが繋がっておらず、書き込むまでのハードルが高い。いや普通に繋がってたら怖いけど。 しかし、それでも書いてしまう場合、何を目的としているのかを考えたくなった。 これは心理学のお話だが、他者が否定的情動状態にある時、それについての共感を覚え、その相手を援助することを向社会的行動と呼ぶ。 実際、全ての人が同じ反応を見せる訳ではないが、それは大まかに3つに分けられているという。 ①共感→②同情 →③苦しみ ①は皆さんがイメージするような共感性。相手の情動的状態や状況について理解し、心配することから生まれる。 相手の情動と同じであるけど、相手が悲しければ、自分も悲しくなる。この共感は②か③に発展していく。 ②は共感とは若干違っており、相手への共感があるものの、心配や関心の情動が強い。 ③は共感が自分の個人的苦しみにつながる場合に生まれる。 相手の情動を心配しつつも、その気持ちに対する嫌悪的な情動的反応があり、自己が対象。 相手を助けるよりは、逃避、あるいは無視、攻撃をするのかもしれない。 同情に向かうか、苦しみに向かうかは、共感による情動の喚起が強いかによるらしい。 喚起が強すぎる場合、自分の情動を鎮めたいという気持ちが強くなり、自身の内面にそれが向かい、苦しみへと変わる。 何事も適度であればいいのだろう。 誹謗中傷を投稿したり、それに共感したりするのは、決して「向社会的行動」ではないだろうし、むしろ反社会的であると思う。 私はそこから「負の向社会的行動」みたいなものを感じる。存在しない定義を作っていてすまん。 もっと分かりやすく説明するのであれば、 社会的証明や悪意の共感(schadenfreude)、の定義を説明したほうが良いかもしれない。 一応言っておくけども、以下の例は私が経験した事なので、某芸能人の事じゃないよ。 例えばAさんはSNSで何気ない活動をしていたとする。 知り合いであるBさんは、Aさんを常日頃から嫌いに思っていて、表立って批判や非難の投稿をできない歯痒さを覚えている。 Aさんを嫌いなのはBさんの問題だが、Bさんにはそれが分からないし、何ならあらゆる全ての責はAさんにあると思っている。 そして何か些細なものが引き金となって、BさんはAさんへの誹謗中傷を書き込む。 BさんはAさんが皆から嫌われることへの共感を欲し、その自己の苦しみに同情すらしてほしい。 つまり嫌いな相手が嫌われているという「社会的証明ー個人の意見の妥当性が証明されることー」が欲しい。 そして自分のShadenfreudeー他者の不幸や失敗を喜ぶ感情ーを肯定されたい。 そして嫌いな相手のことを考えて嫌な気持ちになった自分を、周囲からヨシヨシされたい。 要は誹謗中傷や暴言を簡単に書いてしまう人は、かまちょを兼ねた愛情飢餓の餓鬼が多いのだと思う。 これに加えて、衝動制御の弱さが重なると、脊髄とSNSが繋がっているかのような速度で、 思ったことを何でも書き込んでしまうモンスターが出来上がる…のではないだろうか。
諦めずに頑張るなら、、
君ならできる、頑張れ
『代わりはどこにも居ない、誰も変われないの。
Seize the day, boys. Make your lives extraordinary.
(Seizeだから掴むって感じでしょう。)
多様性多様性うるさい奴らでスポーツ強豪校の部活リーダだったとか
会社内の部門エースとかクラスの中心の人気者だったとか女にモテまくりだとか
どっちかというと
反社ではないが社会生活や集団にも馴染めない真面目系クズがネットで多様性棍棒振り回して他人をぶん殴ってるイメージ
あれは社会的マイノリティに連帯してマイノリティの地位が上がれば
真面目系クズも相対的に生きやすくなるんじゃないかという無意識の戦略やろなあ
連中は無能系クズだが性格が真面目だから、迷惑系ユーチューバーになるとかヒモになるとかクズルートで開き直ることもできず、
かといって無能なので社会一般で求められるような成果や能力にもコミットできず、
多様性を認める社会という正義かつクズにも優しい価値観にコミットすることで、社会の中に居場所を作りたいと、そういう魂胆なんやろ
だから自分らを叩いてくる奴らには寛容さのカケラもないんよ、連中にとって多様性とは自分らの生きやすさを作るための手段であって目的ではないんだから
ワイはソフトウェアエンジニアっていうのもあって、EU某国で働いておるんや
あぁ、こいつユダヤ人なんやって気付かないことのほうが多いけど、たまたまそれが
わかったケースが数件あるから伝えとく。
どんだけ頭の中、金金金なんや、こいつら
ガザでの蛮行を理由にイスラエルを招待しないなら核兵器開発疑惑のあるイランなんて呼べないだろという話なのになんか勘違いしていたり変な解釈してる人がいるな— 旧守派 (@kyuusyuha_001) August 7, 2024
俺は子供やうるさい人の声が死ぬほど嫌いであり、最近マナー悪い人と遭遇しがちな東海道新幹線新幹線に乗るのは極力避けてきた
しかし今回羽田空港の飛行機が欠航になり、振替が不能、新幹線以外に手段がなくなって渋々新幹線を使うことにした
日本人ではない
マジでこの年齢くらいで落ち着かない子を公共交通機関で長距離移動させるのはやめてほしい、はっきり言って社会における公害である
①乗った時から大騒ぎ
新幹線乗って楽しいのかな?1時間くらい騒げば黙るだろうと思ってたら全然だった
イライラゲージが溜まった
②野放しで通路を走り出した
イライラゲージが溜まった
流石に我慢の限界、直接注意するとトラブルになるので車掌さんに相談
これで一旦おとなしくなった
④また騒ぎ出す
なかなか降りないなぁと思ってたら親の会話を聞いてるとなんと旅程は新幹線で8時間らしい
おそらく羽田が欠航だらけになってるからだろうが3歳児連れでその旅程はアホとしか思えない
俺も4時間で死にそうになってるのにマジでそれは無理だろうとしか言えない
ノイキャンイヤホンを貫通していたので本当に尋常じゃないうるささだと思う
まだノイキャンで消せるからいいけど備えてなかったらやばかった
間違いなく金切り声がプラスされてたら静かにしろと直接言ってたと思う
と、同時にやっぱ新幹線は2時間以内じゃないと乗ったらあかんな…と痛感した
でも外国人(ヨーロッパ系)は睡眠薬で子供を寝せるってガセやん?マナー守るとかもガセやん!と思った
なんでみんなフワちゃんがCMやら教科書から消える度に喜んでるんだよ…
コロンブスのMVはMVが消えただけだったからキャンセルカルチャーじゃなかったけど
それならフワちゃんはツイ消しして本人に謝った時点で終わりじゃないかよ…
アムロの人はキャラクターのイメージを悪用してたから降ろされるのはキャンセルカルチャーじゃなかったけど
オレはてなーのこと分かんないよ…
なんか新書に対して悪いイメージを持っている人がいるような気がするな
いや、これは「新書ばっかり読むような人」に対する悪いイメージなのか?
わからない
あるいは内容がキャッチーすぎて内容が無いだとか偏向しているとかそういう話なのだろうか
そういう本は確かにあるかもだけど面白い新書も沢山あるじゃんねえ
「新書は(何らかの人の属性)が読むもの」のようなイメージが世代によって異なる?
例えば教養を身につける目的で新書を読む、のような人を嫌う層はいるかもしれない
個人的には新書にいいイメージも悪いイメージもなく単なる読みやすい薄い本(という時点で若干のいいイメージ寄りか)という感想はあるが
価値観の違いがあるのだなあという気付きがある
なんかそもそも男のサポートに徹し捕まったらおとなしく助けを待つ、そんな一歩下がって男を立てるようなピンクを育成する学校で、主人公のライバルとして出てくる「古き良きピンク」を目指してる頭よさそうなピンク候補が(名前や外見からして)外国人で高身長で理知的で悪く言えばキツそうな『強い女』の外見してるのはどうなの?と思ったな(個人的には超好みだけども)
なんかそういう世界って男より背が低くておっとりしてて優しそうな女の方が理想のピンク扱いされそうじゃない?
あと外国籍ってのもマイナスに見られそうじゃん。そういう世界で本気にピンクになりたいと考える賢い女なら名前を変えるとか髪を黒に染めるとか思いついてやっててもいいと思う。
主人公もおっとり癒し系とは程遠いからキツイ女が合格して学校に通うこと自体はいい。
主人公はありのままの自分で、レッドを超えるピンクになりたいという設定だからもちろん世間のピンクのイメージに迎合する必要はない。
でも「古き良き理想のピンクを目指す」というキャラ設定なら、たとえ内面は几帳面な委員長キャラであっても、外側はか弱くて優しくて癒し系の女に擬態しそうなもんだけど…と世界観とキャラ設定の乖離が気になってしまった。
歯医者だと磨き残しに色をつけるやつあるよね
そのイメージで全身のヨゴレをはっきりとした色にしたい
洗いかた確認になるしシャワーだけでどのくらい落ちてるものなのか、必要強度の確認にもなる
世界よ、俺は美しい
言い方や使い方の問題かもしれないが、「人間は間違える生き物だ」というニュアンスからは後ろ向きなイメージしか沸かない
どちらかというと言い訳で使う
わざわざ生物の枠で語ることでもないし、人間だけが間違えるかのような異なる受け取りもできる
誰かが誤用したのが広まったんだろうか
キモおじ「『弥助の見た目が八幡神に近い』って根拠は?」 岡東大准教授「..
において、東大史料編纂所准教授の岡美穂子さんの言説(著作・インタビュー記事)に対してキモおじが疑義を呈し、岡美穂子さんがキモおじをブロックするところまでまとめていたが、進展があったので備忘のためにメモ。
岡美穂子さんのX投稿より(削除済み)
https://i.imgur.com/6vqALAK.jpeg
(サイゾーのインタビュー記事にて「弥助のビジュアルイメージが神に近かった」などとした理由を問われて)
○こういう発言をした記憶がないので、回答は保留とさせてください。ここで間違ったことを言うと、異常に揚げ足を取られますので。
↓
岡美穂子さんのX投稿より(削除済み)
https://i.imgur.com/01H6ZPL.jpeg
○この世界だけで生きている人には分からないかも知れないな、リアル世界の真のカラクリが。キモいオジサンに絡まれるのはお断りなので、ブロックしました。回答はいずれ『サイゾー』が掲載してくれるでしょう。ただし、『サイゾー』はカラーグラビア満載の月刊誌ですので、ちと高いですぞ。
↓
サイゾーの岡美穂子さん関係記事全て削除
普通に議論していた相手(しかも著作のミスを何点も見つけていただいた相手)をいきなりブロックし、「回答はいずれサイゾーが掲載してくれる」としながら、投稿もサイゾー記事も削除とか東大准教授ともなられると下賤の者と付き合うのはまっぴらだということでしょうかね。
私なら、著作のミスを指摘してもらえたなら感謝すると思うんだけどアカデミアのお偉い方々は違うのかな?
この方は女性で、かつ以前まとめたとおり左翼(少なくとも右翼嫌い)のスタンスなのでアカデミアからは批判されないということなんでしょうかね。
(ご本人のブログ(削除済)ではサイゾーを高く評価されていたのに)
https://web.archive.org/web/20201104131757/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-03-01/
月刊サイゾー編集部なるところから連絡をいただき、星野博美さん(♡)と対談企画のお話をいただきました。嬉しい~。世の中のトレンドは何一つ追っていない私ですので、「サイゾー」というのは、「知恵蔵」のようなものかと思っておりましたが、表紙はかなり、あの、書店でレジに持っていくのはちょっと(ていうかかなり)恥ずかしい。しかし意を決して、一応事前リサーチとして、丸の内オアゾの丸善で購入しました。
中身はちょっとガッカリするほど(!)、活字が多い、インテリな雑誌でした。no nukes活動家のうちのアシスタントさんに言わせると、「週刊現代」もああ見えて、言論部分ではかなりシッカリとした雑誌ということですので、「見かけ」でおびき寄せて、裏で「啓蒙」するタイプなのか、、、、。
なお、岡美穂子さんについてはここでも綺麗にまとめられていたので紹介しておく。
前述のX投稿では「こういう発言をした記憶がないので、回答は保留とさせてください。」としていたにもかかわらず、それからなんのアクションもなしに「私自身はその発言をしていないと、10日以上前に回答しているのですが。」とのこと。
日本語を話しているようで何を話しているか全くわからなくて混乱している。
歴史学の中では、「保留する」は「回答した」ことになるのかな?
人文系のアカデミアの方々、わかるように解説してもらえませんか?
岡美穂子さんのX投稿より
https://x.com/mei_gang30266/status/1821499985961381948
敢えて見ませんが、だいたい何のことかは分かります。雑誌のインタビュー記事で、私自身はその発言をしていないと、10日以上前に回答しているのですが。自分で書いたものでないことは、文章を読む習慣がある人ならわかることなので、その後は放っております。
ソ連・ベルリンの壁崩壊まで資本主義と共産主義は経済発展において互角の戦いだった
マルクス共産主義を信じる左翼どもは、むしろ資本主義より共産主義の方が経済発展できるとすら思っていた
なぜなら資本主義は一部の強欲な資本家がその他の人間を搾取し放題の欠陥経済なのに対して、
共産主義は意識高くて優秀なエリートがいい感じに平等に経済をコントロールするので、みんなが豊かになれる経済体制だと考えていた
今では信じられないことだが、90年代までは共産主義はシンプルに儲かる話だった
なので左翼の主義主張のプレゼンもストレートでわかりやすかった
お前らは気づいてないけど搾取されてるんだぜ!だから貧乏なんだぜ!
共産主義社会になればお前らの年収もアップする!だから左翼を応援しよう!
こういう話ができた
このイメージの転換を見落としているとサヨクのことやサヨっぽい映画とか本とか言論とかを理解できない
ところが90年代に入ってソ連とベルリンの壁が崩壊して社会主義国が軒並みボロボロで貧乏でオワコンであることが誰の目にも明らかになった
資本主義より豊かな共産主義はバカでもわかるウソになってしまった
そこで共産主義の素晴らしさより資本主義のダメさを指摘する後ろ向きな戦法に作戦変更された
例えば資本主義は豊かになるけど環境を破壊するんだ!とか、搾取理論の延長で人権侵害がいっぱいあるじゃないか!とか、
豊かな国が貧しい国を利用して戦争や内戦を助長しているんだとか!な
しかし長く勝ち目のない戦いを続けているうちに左翼たち自身も本来の目的を見失ってしまった
なんか環境保護とか、人権尊重とか、戦争反対とかがそれ自体が目的であるように思えるようになってきた
歴史に詳しいサヨニキは補足よろ
「行けるところまで登れればいい」か…。
まるで濁流を渡渉しようとするようなものなんだろうな。
山に登らない人々までもが、彼らの挑戦に心を打たれ、日常生活を進めるエネルギーに転化していた。もちろん彼らと同じように、私も平出に影響を受けていた。
そういえば、俺は誰かの挑戦に心を打たれたりしたことがないな。
かっこよさに憧れはしても、自分の日常生活を進めるエネルギーになったことがない。
誰かの挑戦をみて、よしがんばろうと思う気持ちって、そもそもよくわからない。
むしろ、がんばろうと思うときというのは、自分を育ててくれた先人を思い出すときだ。
自分がかつての親と同じ年齢になったとき、亡くなった父のすごさを思う。
それは憧れとも違うし、親父の歩んだ道をたどって登る、岩登りの言葉でいえば、セカンドで登っていく感覚に近い。
親父はここを乗り越えてきたんだな、そしてここからは息子よトップで登れ、という感覚。
日常生活を進めるエネルギーというと、俺的にはそういうイメージ。