「行けるところまで登れればいい」か…。
まるで濁流を渡渉しようとするようなものなんだろうな。
山に登らない人々までもが、彼らの挑戦に心を打たれ、日常生活を進めるエネルギーに転化していた。もちろん彼らと同じように、私も平出に影響を受けていた。
そういえば、俺は誰かの挑戦に心を打たれたりしたことがないな。
かっこよさに憧れはしても、自分の日常生活を進めるエネルギーになったことがない。
誰かの挑戦をみて、よしがんばろうと思う気持ちって、そもそもよくわからない。
むしろ、がんばろうと思うときというのは、自分を育ててくれた先人を思い出すときだ。
自分がかつての親と同じ年齢になったとき、亡くなった父のすごさを思う。
それは憧れとも違うし、親父の歩んだ道をたどって登る、岩登りの言葉でいえば、セカンドで登っていく感覚に近い。
親父はここを乗り越えてきたんだな、そしてここからは息子よトップで登れ、という感覚。
日常生活を進めるエネルギーというと、俺的にはそういうイメージ。