はてなキーワード: イコールとは
子どものころからおしゃべりが苦手だった。休み時間に楽し気にぺちゃくちゃおしゃべりをしている人がどんな話をしているのか不思議でしょうがなかった。それでも低学年のときは親友と呼べる人がいて、その子の家に遊びに行ったりしていたけど、彼女が転校してしまってから個人的にそんな付き合いをする相手はいなくなった。その傾向は高学年になっても続き、遠足とかに行っても何となくぼっち感が漂い、バスの席を決めるにしてもなかなか隣に座ってくれる人がいないぐらいだった。
でもペーパーテストはわりとできた。特に記憶力がすぐれていて暗記物だけ成績がいいということでなく、中学時代までは数学とかもそれなりの成績を保っていた。でもおしゃべりが苦手なので暗いといわれていじめられた。3年生になってからようやく気の合うメンバーが見つかってそのグループの連中と遊んだりするようになった。
高校はわりと有名な公立の進学校に行った。その中に入ると、私の成績なんて大したことはなかった。文系科目はそこそこできたが、理系科目は全然ダメだった。1年生のときから受験を意識して塾に行っているようなクラスメートもいたけれど、私は特に大学に行って勉強したいことなんかなかったので、ガツガツと「東大に行きたい」とか「せめて私立なら早慶のどっちかじゃないと」みたいな連中についていけないものを感じた。
クラスメートとはそこそこ上手くやれている感じがしたけど、何となく疎外感もあった。卒業してから私は陰で「変な子」と言われていたことを知った。確かに表面的には優しかったけど、すごく親しくなれてる感じはなかった。皆大人というかうまく表面を取り繕うすべに長けていたようだ。
その後中堅の私立大学に進学。最初は専門学校にしようかと思ったけど、親に大反対されたのと、自分のやりたいことをできるサークルのある大学が見つかったので進学することにした。普通私の高校だと私大文系なら早慶ぐらいは受けるものらしかったが、入れるかどうか微妙な成績だったうえに、下手に受かると本命校じゃないところに行く羽目になりそうなので、他の人に比べて志望校のレベルが全体的に低かった。この安全策のおかげで受験した大学には全部合格した。
大学のサークルは楽しかった…と書きたいところだったけど微妙だった。結構うちの学年の人数が多かったので、私は要らない存在だったらしく、人数制限のあるイベントのみならず、普通なら全員出してもらえるはずのイベントでもメンバーから外されることがあった。基本的に空気が読めないタイプで、「自分が要らない存在だ」と認めたくなかったので、それでもサークルは止めなかった。同じ学年の連中は優しいというべきか厳しいというべきか分からないけど、容赦なしに世間の常識というものを教えてくれる存在だった。高校時代のクラスメートと違い、私が変な行動をとれば笑ったし、露骨に美人や可愛い子に優しく、そうでない女に厳しかった。「どうせ私なんて…」と思ってしまうこともあったけど、「女の子は笑えば可愛いよ」と言ってくれる人もいた。社会人になってからは「こいつ常識ない」とか「こいつ使えない」という判定を下されると黙って私のそばを去っていく人が多かったことを思うと、変に取り繕わずにはっきり言ってくれた学生時代の友人はつくづくありがたかったと今でも思う。
そして半年間サークルを休部して、ペーパーテスト重視の職場に就職を決めた。私は文学部だったけど、普通法学部出身でないと入れないところにも合格したので、周りにびっくりされた。自分はコミュ障で、空気読めないけどペーパーテストには強いんだなとその時も思った。当時は「コミュ障」とか「空気読めない」という言葉が世間に流布していなかったので、何となく生きづらさを感じてもそれを表現するすべがなかったけど、変な行動をとって笑われたり、皆が暗黙の了解としていることがさっぱり分からなかったりしたのはまさに「コミュ障」「空気読めない」がゆえの症状だったと思う。
…本題にたどり着くまでに長くなった。人によってはこうやって時系列にだらだらと書かないで、先に結論を書けというかも知れない。就職してからもコミュ障と空気読めない病ゆえに私の評判は悪かった。先輩や上司が期待していることを察することができず、自分のやりたいように行動したので、宴会の席で当時の課長に「○○(私のこと)さんはいまいちですな。気が利かない」と言われて涙が止まらなくなったこともある。私の同期は優秀だと評判の人が多かったが、中には露骨に私のことをバカにした目で見るのもいた。基本的に口が達者で人脈作りが得意なタイプの人は、私のようなコミュ障かつ空気が読めない人間をバカにした。
そんなにコミュ力が高い方が偉くて、空気を読める人が優秀だというのなら、なぜペーパーテストなんかやるんだろう?ある程度頭が良い人を採るためにペーパーテストをやるんじゃないのか?「ペーパーテストができる人」イコール「仕事ができる人」でないのは分かるけど、だったら何かしらコミュ力や空気を読む力を判定する採用方法を選んで、それで決めればいいじゃないかと思う。
就職からウン十年が過ぎ、当社比では多少世間の常識が分かるようになってだいぶ仕事に必要なコミュニケーションはとれるようになったけど、相変わらず人付き合いや宴会での立ち回りは下手なままである。それでも給料を減らすこともなく、首を切る気配もない我が職場をありがたいと思う。でも、口が達者であちこちに人脈がある方が上手く渡って行けるこの仕事に対する違和感がずっと消えない。自分の能力以上の給料をもらっていると思うので簡単に辞められないんだけど、ただ黙々と手を動かしていれば成果があがる仕事があればそういう職場に行きたい。そしてコミュ障でも空気読めなくてもバカにされない世界に行きたい。
昔職場に似たような後輩がいて、背が高かったので、空調機の空気の出入口につかまったりしてたのを思い出した。そっちの方がホコリがいっぱいついていて不潔だろうと思ったんだけど、とにかく人が触ったものに触るのがイヤだったらしい。あと、お金は普通に触れるみたいだったので、元銀行員の後輩が「お金の方がいろいろな人に触られているから汚いんですよ」と言って聞かせていたけど、どうしてもお金よりつり革の方が汚く思える状態から脱出できなかった。
要するに価値観と気持ちの問題で、実際にホコリや雑菌がどのくらいついているかなんて関係ないらしい。個人的には「他人が触ったものに気持ち悪くて触れない」ということイコール「自分は清潔だけど他人は不潔だと思っている」と解釈できるので、そういう潔癖症の人は他人を見下す上から目線の鼻持ちならないヤツと認定したくなる。(単に上記の後輩がそういうヤツだったというだけで、元増田さんがそうかどうかは断定できないけど。)
大学で、「これやっとけ」ってこと | ライフハックちゃんねる弐式
けどどうせ向こうでは長文コメ読まれないだろうからこっちに残しとく。
文章がわかりにくかったらごめん。
下で使ってるポイントポイントっていうのは、大学生活で自由に使える全部の時間(1日16時間くらい)を100ポイントとして、だいたい1/2の時間(1日8時間くらい)を費やせば柱に50ポイント溜まって、1/3の時間(1日4-5時間くらい)費やせば30ポイント溜まって、3時間くらい費やせば20ポイント溜まるっていう空想のポイント制度のこと。
柱に大学に上がるより前から溜めたポイント(才能や高校までの努力)と足してどれか80ポイントになれば十分充実したライフが送れるので、全部80ポイントを目指す妥協として全部60ポイントを目指して不幸になるより、いくつか諦めて、限りある時間=ポイントを集中して費やすほうが今何も持たない凡人にとって幸せになれますよってことを伝えたかったんだけど伝わるかな。
それから単に時間を費やせば報われて幸せになれるわけじゃないのは分かった上で単純化して時間を割けと主張しているんだけど、それはまず時間を大量投入してからその中の効率のことを考えていこうということと、学生たちが卒業したらどうでもよくなること(自分の評判とか友達のゴシップとか、暇つぶしアプリとか最近の流行とか)、そういう自分の人生の柱以外の瑣末なことに時間を使いすぎなのを怪訝に思ったから、まず柱にポイントを貯める時間をどかっと投入して、それ以外のはみ出た時間を友達との時間にすればいいんじゃないかしらと思ったから。
何にもやりたいことなかったら就職と恋愛に時間を割けばいいと思う。多くの人にとってそれが人生のテーマになると思うから。
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全部努力してやろうと思わないこと
大学生活の柱を、勉強・就職・恋愛・バイト・趣味の五本柱だとする。
大学生のお前にはどれも重要でどれも充実させようと思うだろうが、それは愚策だ。
お前は100ポイントしかもっていない。それぞれの柱の最大値は100だ。
80以上を充実とし、59以下を不可とする。
お前はまず全部の柱を100にしようとするが、途中でできないと気づいたので全部80を目指し、
一つ諦め、二つ諦め、結局60が二つ、それ以下が三つ程度で充実感のないまま大学を去ることとなる。
お前の不幸は五つの柱すべてを満たそうとしたことだ。はっきり言って、一本でも充実したら
大学生活は成功だ。そして自分の柱を一本でも充実させたら、人生の柱になることにお前は気づかない。
バイトとは金の工面のことだ。親から生活に困らない仕送りがあったら、それだけで60だ。
生活の20をバイトに当てるだけで充実した生活が送れるが、別にしなくてもいい。
食うのに困る人は30-40以上の時間を割かなきゃいけいない。
もともと頭がいい人や、高校の勉強の貯蓄がある人を50として、10頑張れば単位が取れる。
30頑張れば充実した学問ライフを送れる。生活の半分を犠牲にして頑張ればトップを取れる。
もともと顔がいい人や、会話が得意な人は、ちょっと努力すればいい彼女と付き合える。
顔も悪いし付き合いの悪い人は、40の時間を割いてやっと不細工でない彼女と付き合える。
学歴もあって資格やらコミュニケーションやらに問題ない人は少しの努力で就職できる。
ない人は資格の勉強に時間を割き、自己改善に時間を割くこととなる。
そうして残った時間でやっと趣味に時間を割ける。お前が目指すのはこの道ではない。
お前には今何がある。100ポイント使う前に柱に何ポイント溜まってる。
顔が良かったら20だけ努力して他の柱を充実できる。頭が良かったら、金があったら、
とにかく100ポイントを全部60にする使い方はやめろ。一つを80にするように使え。
彼女がいて、スポーツや音楽を楽しんで、いい所に就職できる奴は、どうせ都会の金持ちの息子だ。
アドバンテージが違う。馬鹿みたいに全部に20ずつ割り振っても充実する。
お前がやることは今50あるものに1/3=30の時間を使うか、30あるものに1/2=50の時間を使うかだ。
やろうと思えばできた。その言い訳の源は他のことに時間を割いてできなかったからだ。
俺は恋愛と就職を諦め、勉強に20、バイトに30を費やし、趣味というかスキルに
大学の1/2の時間=50を費やした。もともとのポイントは40,30,20,30,30くらいだった。
時間と資金を費やせば彼女もできただろうし、いい就職もできただろうけど、しなかった。
趣味を80にしたおかげで、今趣味で食えている。趣味とバイト(仕事)がイコールになった。
お金も溜まると、身だしなみも気をつけるようになり、彼女もできた。学生時代程度には
学習もしているのでちょっとずつポイントが溜まっている。いい就職こそできなかったから、
今は70,0,70,80,80くらいだ。それもこれも学生時代に一つを80にしたからだ。
卒業後時間をかければ他のことに回す余裕が生まれる。でも全部を60にすることを選んだお前は、
60以下になることを恐れ、80の柱を建てることがこのまま一生できない。
お前がやるのは選択と集中だ。さあ、やってごらん。
起動にちんたら7〜8分もかけてさ、この起動時間は、新モデルになるにつれてどんどん長くなっている。
Xeon積んでるのに、へんなインストール支援ツールやら、RAID構成ツールやらは、二万円程度で売られていそうなAtom機と遜色ない遅さ。
Windowsデスクトップからの管理ツールはWEBベースに成り果てて、無駄にhttps接続だったりして、証明書エラー。エラーのポップアップも多発するし却ってセキュリティ上気持ち悪い。
そりゃそうなんだけどそうおもったとか感じたとかじゃ話にならんのね
それでなにを失ってなにを得るべきかが具体的じゃないと意味ないんよね
なんかわかんないけど傷ついたから優しくしてって厳密に言おうがどうしようがそんなの全然意味ない
でも傷ついたのは事実だからお前に賠償を求めるって求めてるものだけ具体的すぎて原因が空虚すぎ
原因があって根拠がある だから無関係な全部とはいかず そこでかつ具体的な対象と具体的な問題について
いま不足しているものを補うべきだと限定的に求める べきとされるのが差別のそれなんだと思うよ
ビッグデータがあるから巻き添えもかまわんというデータ根拠とか巻き添えにあう人は差別被害者だよ
実際に被害にあって傷ついてどうしてほしいか望みがあるのにビッグデータ的には端数なので切り捨てってのも差別被害者だと思うよ
自分のいるクランは非課金、微課金の普通の社会人といったメンツで、他国を攻めることはない。当然やられる側だった。ボコボコにされていた。
が、いろいろ経緯あって、体制派のグループに所属することができた。
体制派の筆頭のプレイヤー(すごく強い)が、うちのクランに来てサブを置いてくれた。
それをサブ置いてくれてる強いプレイヤーさんに報告した。
しかし攻撃者はもうシールドを張っていて、やり返すことができない状態だった。
が、彼はその王国に移動し、シールドしていないプレイヤーを片っ端から攻撃した。焼き尽くした。…
敵の王と、うちに攻撃したプレイヤーが謝罪したから、と彼は笑って謝罪メールを転送してくれた。
長々と英語で言い訳じみた文言が並び、素直な謝罪とも思えなかったが、sorryとは書いてあるので謝罪なんだろう。
生まれつき脳に障害があるわけじゃなくて、脳機能に多数の人とは異なる特徴があるってだけ。
それだけなら障害(disability)でもなんでもないの。ただの違いだから。
それが日常生活に支障をきたすと精神障害(mental disorder ≠ mental disability )のひとつとしての発達障害/神経発達症(developmental disorder / neurodevelopmental disorder ≠ developmental disability / neurodevelopmental disability)だったり、その度合いによっては障害者(developmental disability)と呼ばれることもあるってだけ。
すべて程度問題なんだよ。disorderレベルの人が「発達障害と診断されたから私は障害者だ、人生オワタ」と言うのを何度見てきたことか。
そして誰とは言わないが、声がでかい当事者の人がこういったことに無知なのは許されないと言っておきたい。はっきり言って非常に迷惑だ。私は君のことを無能な働き者だと思っているぞ。
横だけど関係ないでしょ。小さな政府、つまり行政の規模を小さくし公務員を減らしたとしても、社会保障を縮小することとイコールではない。
たとえばリバタリアンが小さな政府を主張するときは、弱者は自己責任とかいって切り捨てるような言い方をする人は実際にはいなくて(いるとしたら極右)、
事務処理が煩雑になる複雑な手当制度をやめて、シンプルな原理で機械的に給付できる制度を(負の所得税とか究極はBI)考えたり、ITなどを活用して効率的に行うことで人を減らしたりって提案がセットになる。
そうすると、最適化が進んでむしろ手厚い社会保障が可能になる未来まであるし、小さな政府は悪いことじゃなくむしろ誠実な姿勢だと思う。
大卒初任給と物価を比べてみればいい(そもそも大卒というだけでエリート扱いな時代だが)
見合いは親が持ってくるものであって、子供が自分で相手を探すものではない。
そもそも女性は4大を出ても就職先が無かったため、4大に行けるのは働かなくても良い(親の金で食えるし学費も出せる・親の力で卒後すぐ良縁が得られる)お嬢様だけだっただけ。
開かれた「婚活市場」などなく、見合いは同階層同士で行うものだから貧しい家の娘は貧しい男としか結婚出来ず
「玉の輿」など滅多にあるものではなかった(まあこれは今もそうだけど)
これもお嬢様だけ。お嬢様は最初から「男性社員の嫁候補」として親のコネで就職し、早いうちに結婚して辞める事を期待されていた。
昭和は給料が高く「結婚イコール専業主婦」が当たり前で、共働きは少数派だった。
高校卒業して働きはじめた男性でもローン組んで普通に車が買えたし、のび太みたいな人でも正社員になれた。
親とか世間の人たちは「妻を働かせるなんて甲斐性なし、男の恥、奥さん楽できなくて可哀想」とすごい圧力をかけていた。
見合いしまくった昭和の女性もいたけど、それはより年収が高く出世しそうな男性と結婚するために、選り好みしてただけ。
日本の専業主婦は家計を握れたから、年収の高い男性と結婚すれば働かなくても裕福な暮らしができたんだよね。
当時の女性は若いほど(24歳以下)婚活市場で価値が高いから、4大に行く人はお嬢様だけで、大体短大、高卒だった。
推してるグループ解散したら悲しいでしょって言われたんだけど、
まあ悲しいけど…泣くほどではないというか。
解散する理由があって解散するって決めた(そこまでには十分な葛藤があった)んだから「そっか」って言うしかなくないかなあ。
スマップ解散後のメンバーの解散以前は見せなかったようなきらきらな笑顔がつらいとも言ってたけど、それって「笑顔になれてよかったね」には繋がらないのかな。
私ら一般人で言うところの転職!みたいなもんでしょ?鬱になる前にやめてよかったわー。みたいなことじゃないの?
その子が丁寧に凹む理由を説明してくれたけど1ミリもぴんとこなかった。
その子は「仲良しだと思ってた私にうそをついていたんだね」みたいな……自分が信じてたことが嘘だったことが許せないことを悲しいと表現してて。幸せに暮らしてきたんだなあ。
推してるアイドルとかグループが解散するのってそんなに大騒ぎするもの?解散が悲しいってことと解散しないでほしいってことはイコールじゃないの?私に説明しながらむこうが熱くなりすぎて泣いちゃったから何が言いたいんだかよくわかんなかったし私が泣かしてるみたいですっごい気が引けた。そっちのがよっぽど凹む。
なんで解散とか引退って前向きにとらえられないんだろう。アイドルとかって、それまで犠牲にしてきたもの全部やれるようになるじゃん。そっから人生スタートだねって感じまであるじゃん。べつに他人じゃん。お金いくら出したかしらないけど好きで出したんじゃん。商品として与えられるもの以外の見返り求めすぎなんじゃないかなあ。
私もアイドルのファンだしアニメとかゲームも好きで買ったりなんだりしてるけど、世間一般でいうところのファン心理ってのは本当にぴんとこない。
そういう捉え方もありますね。「迷惑をかけられても怒らないように」というのは「迷惑をかけても良い」とイコールではないと思いますが、確かにかの国で起こる事件には日本人の常識を超えた凄惨さがあります。
多くの人間が「議論イコール一方が他方を打ち負かす手続き」としか捉えていない環境の中で何を言っても無駄でしかないよ。そうじゃ無い建設的な議論を呼びかけるまともな知性を持った人間も多少はいるかもしれないけど、そんな声は罵り合いの中であっという間にかき消される。意味なんて為さないよ。テーマが何に成り変わろうが関係ないしキリがない。なにが「はい論破」だよ。それで何がどうなるんだ。学級会じゃあるまいし。子供ならともかくいい歳こいた大人が何やってんだ。そんな程度の自称大人が大声上げて跋扈する社会にまともな未来が訪れるとでも思っているのか。満足行くまで勝ちだの負けだのと潰し合ってくれよ。その先には疲弊して対消滅する以外の道は無いという事に想いが至らないのなら、もう好きにすればいいさ。どうでもいい。もう本当にどうでもいい。まるっと全員でまとまって仲良く滅ぼし合うといいよ。くだらないにも程がある。
中学のとき男子に軽いいじめ~からかいやいじりの対象みたいにされてたことがあって、学校のヒエラルキー中以上の男は基本自分を馬鹿にしてるみたいに感じられる。
で、年代的に成長したり環境が変わったのやストパーかけたり化粧したりして見られるようになったのもあってか、高校~大学生くらいの頃から急にモテたりするようになって不信感が増した。
前者の人々と後者の人々はイコールではないんだけど「あんな風にいじめたりしたくせに見かけがいいと親切なんだ」って信じられなくなった。
そして三十超えてまた容姿が衰えはじめた今、元のメンタルに戻り、男は基本私を馬鹿にしにくるのかなとしか思えない。
学校のヒエラルキー中以下の人だったっぽい雰囲気(失礼な言い方をしたが、要はまじめで優しそうだったりオタクっぽい人)には比較的心を開けるが、あんまりまわりにはいない。