はてなキーワード: アヘン戦争とは
いいなあ。それ。そしてその後はアヘン戦争みたいな展開になる気がする。
面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテストな大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。
まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。
むしろ今の入試制度は、ペーパーテストがだんだん軽視されつつある。
一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。
僕も昨日今出川の大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。
地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。
ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学に就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。
例えば論文を高校生のうちに、仮に稚拙なものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。
あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。
しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。
数時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂「コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。
就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO、特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。
なお、科挙が廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、
科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。
今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学で学問をやるには役に立つ。あと、科挙はあくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。
まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負の不安定感も一応軽減している。
別形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。
それでもやはり、大学を就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。
ゾーニングできてるじゃん。被害者なき犯罪。逮捕劇がなけりゃ誰も迷惑しない。
根本的にワイナリーや、クラフトビールのブルワリーで地域おこしするのと何が違うというのか。
追記:「村の人に迷惑かけたじゃないか!」というブコメを複数いただきました。
それは現在、大麻の所持・栽培・売買が違法であり、逮捕劇によって騒動をもたらしたからですよね?
大麻使用による迷惑ではなく、大麻取り締まりの"逮捕による迷惑"です。
離島民が迷惑してます。誰も住んでないと思ってんの? 石垣島には5万人近く住んでんの!! 一度は追い出されたんだけどねー。いつの間にか戻って来てた。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/shimasoba
そこに元々住んでた人やその子孫。当たり前だろ - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/mouseion
イメージの問題。観光で食ってる。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/pzp
高樹沙耶が移住したことで、石垣島在住の約5万人にどのような迷惑をかけましたか?
大麻吸引による被害と、大麻取締法違反による騒動への言及が混ざってませんか?
あなたの隣の住人が大麻吸ってたら嫌でしょ。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/jhflh
嫌いな人たちなら犯罪者として取り締まってもなんとも思わない、という発想ですね。
来年からアメリカでデバッグ始めるから。テストが終わってから段階的に導入しよう。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/yamadadadada2
テストはアムステルダム、クリスチャニア、ニンビンで実証済み。すでに10年以上の歴史があります。
日本の法律では外国で吸おうが違法行為で帰国した瞬間に捕まるから真似しちゃ駄目だぞ - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/Fushihara
なるほど、ブコメで「海外でやれ」「そういう国へ行け」って言ってる人たちは違法行為を教唆してるわけですね。恐ろしい恐ろしい
おまわりさんこちらです。いつもお世話になっています。ええ、またはてなブログなんです。すみませんいつもいつも、、、 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/is0ladelcane
増田って、「名前を隠して楽しく日記」であって、匿名掲示板ではないのに、なんでこんなことを書いてしまうのか(´・ω・`) - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/gui1
この増田の文章はどの法に触れましたか?大麻取締法に疑問を持つことは犯罪でしょうか?民主主義、言論・表現の自由への弾圧ですね。
増田でルサンチマンを燻らせていないで法改正へのロビイングから始めるのが筋。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/dot
増田でコソコソ法改正へのロビイングしてる、って解釈をする人がいるかもしれないし、いないかもしれない。
「人に迷惑をかけなければ何をやっても良い」なんてしょうもない考えすよ - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/yy00610106
ジョン・スチュアート・ミル、ディスってるの…?
法律っていうのがあってだな。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/nine009
日本は法治国家であると同時に、法改正、憲法改正もできる民主主義国家であります。法改正を訴えることに何の問題が?
法律を破ってもいい、何をしてもいい、とは一言もどこにも書いてないのですが。
「無法地帯」って言葉知ってる? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/kuro_pp
法律を一切無くせ、とはどこにも書いてません。「非犯罪化して、規制して、課税すべし。」と書きました。新しい法律を作れという意味です。
その大麻コミュニティが発展して、サティアンみたいなアジトになったらどうするのよ? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/aoven
間違った類推です。オウム真理教はサリンを製造し、テロ事件という加害行為を起こしました。被害者が明確に存在してます。宗教団体やってて、田舎に集団で移り住んだから悪いのだ、ってわけではないです。実際に今も田舎で生活してる宗教団体はありますし、法律上は何の問題もありません。
「大麻 害」で検索したら普通にこういうの出て来て害だらけと感じた - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/zz_sexy
そのアンチ薬物を掲げてるサイトは英語版ウィキペディアによると、アメリカの新興宗教団体サイエントロジー関連っぽいですが。
Foundation for a Drug-Free World - Wikipedia
大麻は暴力団の資金源だから規制するわけで、 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/u06nh
暴力団の資金源にならないようにするため、海外の一部の国では合法化しています。逆ですね。禁酒法時代、酒を禁止したために反社会的勢力(アル・カポネが有名)の資金源になりました。
議論すれば少数派に勝ち目はない。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/kunitaka
それは議論ではなく、多数決だからですね。LGBT、障がい者、オタク、少数民族、自らの意見や権利を主張し、社会に浸透させている人たちが日本にもいます。民主主義、人権問題は多数決ではないのです。
グローバルに考えよう。ゾーニングとして合法な国に行けば誰も迷惑しないと思うよ。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/ybc
違法なものが一部では合法という状態が法治主義に与える影響がでかすぎる。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/son_toku
このグローバル・ゾーニング理論とあわせて考えるなら「日本で違法なものが、海外の一部では合法」ってことの意味や影響も考えたいですね。
すでに日本には海外旅行や留学中に大麻を経験した人がいて、合法の国や地域から大麻を吸ったことのある外国人がたくさん来日してるわけですから。
二度と一生そこから出てこないのならばいいのではないだろうか - http://b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/sharia
二度と出てこないと保証できるならいいよ。 ゾーニングってそういうことでしよ? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/momopopohate
ポール・マッカートニーやレディー・ガガの来日公演が見たい!
ブラッド・ピットやジョニー・デップと握手したい!東京オリンピック!
大麻が合法のアメリカ・ワシントン州の嗜好大麻ショップで、日本人がジョイント1本とバッズ1gを購入したときの映像https://t.co/lDU0Xh6WLV— SHIVA (@francisco_bot) July 11, 2016
これが通るほど薬物問題は簡単じゃないというか、国が何個も滅ぶような歴史的経緯があるからな…。b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/TakamoriTarou
麻薬によって国が崩壊した清の話とか知らないのかな? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/kenjou
医療用の大麻も含め、個人の使用で逮捕されない国や地域は現在もあるわけなんだけど、滅んでないよね?
今は大麻の話してるんだけど、もしかするとアヘン戦争と勘違いしてるのかな?
劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。
その判断は公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。
彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである。
唐の凌煙閣二十四功臣の第四位。
もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。
皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。
そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。
魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。
その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。
賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。
その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。
死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。
南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。
弱冠にして科挙に首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。
南宋の首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。
彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。
やむなく文天祥を処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。
エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。
首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。
地方の官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。
道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。
海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。
嘉靖帝の死後、釈放されてからも要職に就けないまま役職を転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。
この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である。
明末、抗清の武将。
李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。
揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。
それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。
日本で生まれて七歳で明へ渡り、北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。
そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。
父親が清に降ったのちも、鄭成功は奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。
その地を支配していたオランダ人を追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。
清の官僚として、地方の農村の再建と腐敗した官吏の処分を行い、名声を高めた。
道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。
簡単。
実は現代的な精度の高い避妊具のというは非常に最近になって完成・流通したもので、少し前までコンドームの質は悪く、分厚く、装着感が悪く、破れやすいゴムで、しかも知名度の低いものだった。さらに流通ルートも限られていた。
そのころまで、子供というのは意図的に作るものではなく、自然にできてしまうものだった。だから昔は兄弟が多かった。
ということは子供ができるできないをコントロールできないということでもあった。結婚した若い男女が一緒にいて、セックスしないことはかなり難しいだろう。
結婚しないで子供を育てるのは大変だから、結婚するまでセックスをさせないというのは普通だった。男はセックスをしたいから、早く一人前の大人になろうとした。昔は大学進学率も低く、働き出すのも結婚するのも早かった。
昔と言ってもたかだか数十年前の話だ。
避妊具のというのは人間の欲望に作用して、全体としてその集団が衰退していくという、アヘン戦争におけるアヘンのようなものだ。
現代人はすっかり避妊具という名のアヘン中毒になってしまった。
誰か強力にリーダーシップのある指導者が、たった一つ避妊具を禁止する法律を作るだけでいいのだ。
時計の針をほんの少し戻すだけでいいのだ。
険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア、西アジア方面へ制度や文化を発信していた。
特に、「漢」は、同時代にある「ローマ帝国」と同じように、東ユーラシア大陸のシステムの基礎を作ったと言っても過言ではないだろう。
「ローマ帝国」が地中海地域やヨーロッパの基礎を作ったように。
伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族の文化を「漢化」した。
優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸の国家は確かに存在していた。
共産主義の下、さまざまな伝統が破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。
(それでもなお凄みを見せるのは、共産主義でさえ、中国化(あるいは「漢化」)していることだ)
かつての存在感を取り戻すための示威行為なのか、たんなる資源獲得なのかはわからないが、まるで遅れてやってきた帝国主義の国のようだ。
―列強、帝国主義の時代こそ、中国(清国)は東ユーラシアの盟主として立ち上がらなければならなかったのにも関わらず。
たぶん、日本にとって中国、というか海の向こう側にある大陸の先進国はあこがれであったと思う。
孔子の儒教や北側経由で回ってきた「道教」の影響を受けた仏教は、日本人の生き方に影響を与え、
茶、歌などはその後、独自の文化的発展を築く礎となった。
だからこそ、大陸の後継国の中国に対して、日本人だけでなく、多くの東ユーラシアの国々の人は複雑な感情を抱いているのではないか。
確かに、昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人や君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。
アヘン戦争では、あの清国が敗れたと日本で大騒ぎになり、国家としての改革が急務となった。
当時の日本の中に、清国と連携し、ヨーロッパと対峙しようとした人々がいると聞いた事があるが、
それはなされず、脱亜論に代表されるように、日本は東ユーラシアから抜け出していく。
この時、それまであった不文律の東ユーラシアのルールが変わった。
かつての超大国は列強に食い尽くされ、その輝きを失った。
アヘン戦争や列強の支配、そして日本の軍事侵攻は中国の大きな傷になった。
近年の経済発展と共に「中華」を認識し始めたこの国は、東ユーラシアの覇権を再度、力によって取り戻そうとしている。
「力」による支配はすでに時代遅れのものになっているが、大きな傷を癒すように、暴力的な行動が後を絶たない。
また、過去最大の領土を誇る事が、共産党の大きな統治理由になっているようであるが、その中で、各民族の独立の機運が高まっている。
今まで中国に投資をしてきた最大の貿易国である日本は、足場を大陸から南に移し始めており、経済成長も徐々に陰りが見えてきた。
強烈な貧富の差の拡大は、歴代の大陸の王制の崩壊要因にもなっている。
この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。
駄文長文失礼
“「モウタクトウ」と言えば「シセン」と言えば通じると思っている日本人”は相当のアレだと思うが。
(赤ん坊の臍の緒が、母親の臍と繋がっていると思っている人の数くらいはいるかもしれない。)
元増田が言うように、毛沢東=Mao Zedongくらいは知っておいても損はないと思う。逆に知らないと英語の文献読む時に困るだろう。
だからといって、カタカナ表記は微妙ではある。マオツートンという表記は、いまいち間抜けな感じがして好きではない。
そもそも、中国語は、四声、Uウムラウトの発音、ケンゼツ音、有気音・無気音など日本語では表現できないので、モノによっては原音と乖離すること甚だしく、人民と乖離するよりタチが悪い。原音表記したところでウソになってしまう。こういうところはハングルの表音力がうらやましいところだ。
先生。ルーシュンじゃなくて、Lu Xunです。Lu Xun。いえ違います。Lu Xunです。いややっぱり違います。
Luも、Xunもちゃんと言えてません。発音も声調も違います。先生怒らないで下さいよ。
はい。わかりました。先生。もう無理に中国語話すことないです。ロジンっていえば私ちゃんとわかりますから。
発音もさることながら、まず中国についてもっと教えるべきだと思う。お隣さんなのに知らなさすぎだ。お互い様ではあるが。
毛沢東選集4巻全部読めとは言わないが、老三編くらいは読んでも悪くあるまい。
中国の偉大な作家は魯迅だけじゃない。老舎、巴金、丁玲、茅盾、いくらでもいる。中国の懐は深い。中国を知ること其楽無窮!
英語でマオザドーン!(英語圏の人はけっこうそういう風に発音する)と言われて、毛沢東のことだと分かるのは出発点としては大事であろう。
しかし、中国人が、Mao Zedongと発音するのを聞いて、天安門にかかっている肖像画だとか、百元札とか、一切の反動派は張り子の虎だとか、女性は天の半分を支えるとか、戦争は血を流す政治だとか、あの書法とか、あの「雪」という詩とか、東方紅のメロディーとか、タバコのヤニで真っ黒な歯とか、胸の皮膚に直接刺して止めるバッチとか、さまざまな記憶が一気に思い出されるような日本人がもっと増えてほしいと思う。
こんなのは中国語を勉強すれば済む話であるが、日本で義務教育化するのは大人の事情もあってすぐには難しかろう。
たった一つの冴えたやり方は、英語の教科書に、中国の現代史・文学史を掲載することではなかろうか。
Mao Zedongが、Hongjunを率いて、Long March やりました的な話にして。べチューンとか、スノー、スメドレーあたりを絡ませると面白かろう。ちょっとさかのぼってパールバックあたりを出してもいいかもしれない。北京は、Beijingということが分かるだろうし、アヘン戦争あたりから始めて、ついでに動詞のshanghaiの意味とか教えとくと教育上なお良かろう。歴史教科書でこういうことを教えようとするから、余計な奴らが口出ししてくる全部駄目にしてしまって、我が国にバカ者を大量生産してしまう。いきなり都市を攻めようとしてはならない。農村から都市を包囲すべし。味方を保存し敵を消滅すべし。遊撃戦を展開すべし。畢竟、英語の教科書でコソッとやればよい。
僕は法の人ではなく、テクスト論の人でこの分野に関しては専門じゃないから
すごーくいい加減な理解でなんか書かせてもらいます、ごめんなさい。
ただ、戦略としては「ブン殴られる」とか「殺される」とか「奪われる」のような
「客観的危害」(だれがどー見ても危害加えてますよね?)というようなものに「危害」を留めず
「主観的危害」(見てるだけで不快だ、チンコ出すんじゃねえ!)に拡張する論調がメインじゃなかろーか。
これが行き過ぎた例が楳図かずお自宅騒動で、「不快原理」なんて言葉が使われたりもする。
「わいせつ」を規制する論理基盤はこの辺りだったおぼろげな記憶。
そして、「麻薬」だけれども。
ミルの流れを真っ直ぐに受け継いでいる一派、要するにリバタリアンと呼ばれる人々は
個人の使用に限って(麻薬の使用が「個人の使用」という限定された根拠で語れるか否かは別の論点)
麻薬を解禁すべき、という主張をしている。また同様に「売春」なんかもそうだよね。
この論点は「麻薬は社会にとって色々マズイ」とか「売春自由化するとエイズがマジヤベー」とか
その辺をぶっ飛ばしてはいるけれど、自由主義者の根底としては「麻薬はアリ」のはず。
ただし、社会の上で公共の福祉にどこをどーやっても引っかかってくるからやっぱり規制はしゃーねえか、
みたいなのが「自由主義者と麻薬」の間の関係で、麻薬に関しては例えば「アヘン戦争」を見てもわかるとおり
「公共の福祉」が規制の論理基盤に成り得ているんじゃないかと思う。
むしろ、この議論の場合中心的なイシューは「自殺」になるんじゃないかな。
すげえ自信ないんで誰かクリティックしてくれ。
そして、「他者の介在しない個人や、他者を越えた社会や集団・組織を対象にする倫理や法」
というものは、僕の知る限りカントが最後だった気がする。現在は構造主義以後の世界なので、
この手の「根本原理」とか「正義規則」みたいなものについては、「無い」と答えるのがわりと普通。
実在論としての法とか実存的法理論、みたいなものを研究してる人が全くいないわけじゃないと思うけれど。
とりあえず、現在の研究者は「人権」っつーものを横目にチロチロ見ながら、「文化は相対的ですよ、善悪なんかないですよ、ぼくにゃーなーんにもわかりゃしねーんですよ」とビール飲みながら学生に愚痴るのがデフォかなーと。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。