はてなキーワード: 少年Aとは
殴られもせずに一人前になった人なんていませんよね?
現在、私(B)は緊急に対応するための所属先でリーダーをしています。
その中に少年Aがいるのですが、彼は仕事の飲み込みが早く才能もあります。
彼の働きによって助かった局面が多数ありました。組織内評価も高いです。
ですが仕事が慣れて行くに従い傲慢になり私が指示しても言うことを聞かず、時には刃向かって来るようになりました。
ある日、口論となり私が堪りかねてAを殴ると、彼は「親父にもぶたれたことないのに」と言ったので
私が「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか」と諭してあげました。
その後は言うことを聞いていたんですが、仕事がまともにできるようになると
再び私の指示を無視して自分で判断して行動する事が多くなりました。
そこでAの配属を変更しようと信頼できる女性職員(M)に相談したのですが、その現場をAに聞かれてしまいました。
手間が省けたとも思ったのですが、少年Aはこともあろうに彼が使用していた機械を無断で持ち出して、逃げ出してしまいました。
持ち出された機械が無いと部内の処理能力が半減してしまいます。
私(B)は間違ってないですよね?殴られもせずに一人前になった奴なんていませんよね?
失った機材(非常に高価)は私の責任です。しかしあの時殴った事が原因でこのようになったのであれば納得いきません。
読んだ。何か書きたくなったがとりとめがなくなったのでここに書き散らす。
一言で本作を述べるなら性の呪縛ということになる。これまで清水がMF文庫で発表してきた作品にはあまり濃厚に描かれなかった,肉体と精神の性が主題として扱われる。いやもちろんわかっている,これまでも【少女】がテーマだったじゃないかと言うのだろう。ここは微妙な点なので慎重にいきたい。清水が扱ってきた【少女】とは,性を免除された特権階級だ。性がもたらす束縛から自由。そして,もちろん大人=生産者になることも要求されない永遠の消費者。これは,たとえば「セックスする女」「労働する女」「産み育てる女」といった像と照応させれば明らかだろう。モラトリアムを言うなら別に【少年】でもよさそうなものだが,あまりうまくない。少年はセックスに怯える必要がなく,労働が自己承認に直結する。これらを免除されることに肯定的な含意はない。他方,少女には【少女】にこだわるだけの理由がある。……話がそれた。今回述べられているのは,そうした無性者としての【少女】じゃない。年少の女は出てくるが,性を与えられている。清水の作品において,物語の水先案内人をつとめるのはいつも存在の希薄な【少女】で,ときには幻影だったり妄想上の存在だったり,つまり肉体をもっていないことも多い。本作の少女もじゅうぶんに希薄だが,しかし彼女の肉体は触れられるものであり,かつそれが性的なものであることが強調される。主人公を含めた「男」たちは彼女の肉体に性的な視線を送り,彼女も「さわっていいよ」と繰り返し挑発する。読者はいやおうなくキャラクターの,そして自身の性を意識させられる。
以下,この「性」を切り口に述べてみる。ネタバレ回避はしていない。
13歳の少年Aは「きれいなもの」に対する強い憧れをもっていた。これには風景や工芸・装飾品から,「女の子向けの」人形まで含んでおり,その年齢層の少年のジェンダー規範からはやや逸脱していた。A自身もその逸脱を恥じていた①。しかしそこに,Aに幼い好意をよせる10歳の女子Bがあらわれる。Aは少しずつBに「きれいなもの」を見せて反応をたしかめ,Bが自分を受け入れてくれること,拒絶されるおそれがないことを確認していく。最終的にAはもっとも大切な宝物である人形を見せるのだが,ここでBはAに「お人形遊びなんて好きなの? 信じられない! 男の子で,中学生なのに!」と無邪気な一言を放ってしまう②。Aは逆上し,Bを強姦しようとする③。Bが抵抗することで未遂に終わるが,「だったらいい」の一言とともにAはBを川に放り込む④。溺死しそうになるB。恐怖にかられたAはBを慌てて助けるが,真相を知らない周囲からは「溺れた子供を助けた勇敢な少年」として賞賛される。Aは自己嫌悪と罪悪感を抱えて鬱屈する。Bはこの周囲の勘違いについて何も言わないことを選択する。いつ事実を暴露されるかわからないという不安の中にAを閉じ込めることが,最上の復讐になると考えたからだ。Aは少しずつ人格を歪めていき,他方Bはやがてその記憶を誰にも言わないまま抑圧して忘れ去ってしまう。6年後,19歳になったAは電車の線路に転落した女性を救助しようとして,代わりに意識不明の重傷を負う。
本作はこうした「事実」の上に,Aの弟を視点とした物語をつづっていく。全体を俯瞰してまず気づくのが,Aの自己抑圧①だろう。Aのかかえた性違和が全ての起点になっている。Aが心底欲していたのは,この違和を肯定してくれる誰かだった。「きれいなもの」を愛する権利を正統に有する,正しく少女であるBに救いを求めるが,Bは逸脱を許さなかった②。内なる女性性の隠蔽を要求されたAは,男性性をむき出しにして,略奪的に「女」を手に入れようとする③。しかし果たせず,結果として「女」の全否定という選択に行き着いてしまう④。Aが男性的でない自分を許容できていれば,Bが男性的でないAを受け入れられれば,その後の事態にはつながらなかった。10代前半の子供であっても,というか子供であるからこそ,ジェンダーの命ずる規範からは逃れられなかった。
Aは後に,意識不明のさなか,奥底に隠蔽された女性性を分離させ,少女の姿をした肉体ある霊を生み出す。これを霊自身は「脱獄」と表現する。牢獄からの脱走。じゃあ牢獄とは何か。解釈はさまざまあるだろうが,私としては「Aが内面化させたジェンダー規範」以外に考えられない。脱獄して自由になった「少女」は,思うまま自らの女性的肉体を誇示し,「甘いときめき」「おいしいもの」への欲望を開けっぴろげにし,「男の子が,自分の名前呼びながら走って追いかけてくれるのって,女の子は,すっごく気持ちいいんだよ」と女の子の気持ちを語る。Aの弟はこの「少女」と共に行動するうちに,秘められた過去の事実に直面し,やがてAの苦しみを知る。弟とBに過去の罪を認識され,受け入れられることで,Aは意識不明から回復する。それと同時に少女,あの人形の姿を借りたAの分霊は消滅する。物語の発端が解消されることで終結を迎える,非常に整った円環構造だ。清水はあとがきで語る。「この本は」「あなたの心にきれいな何か」「を残したいと願って書きました」。視点設定をどこに置くかにもよるし,そもそもラノベにメッセージ性を求めるのはどうよという主張もあるだろう。でも,文庫の主読者層であろう10代の少年たちに,清水が届けたい言葉は極めて明瞭であるように,少なくとも私には思われる。……あなたの心の中の少女を殺すな。脱獄しろ。
脱獄であって叛乱でない点に,清水のバランス感覚を感じる。ことさらに敵意をむき出しにして戦いを挑むのではなく,まして新しいルールを打ち立てようとするのでもない。ただ逃れて自由になる。言うほど簡単ではないが,これが唯一の道であることには同意する。正面から戦ったところで勝ち目はない。桜塚やっくんやレイザーラモンHGに回収されるのがオチだろう。相手を警戒させ牢獄を強固にするだけだ。当事者でもないくせに,戦場が大好きなうざったい連中がすりよってきたりもする。それよりは,牢獄からひとり抜けふたり抜け,革命もないままいつのまにか牢獄が廃墟になっているというシナリオの方がやりやすい。
僕は子供の頃から親の抑圧がひどく、彼と同じように宿題も作文も全て親の目を通さないと駄目だった。親が気に入らなければ最初からやり直しで、機嫌を損ねると体罰、酷い時には冬でも普段着のまま外に放り出された。放課後以降の時間は友人と遊ぶこともままならず本当に辛かった。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080610-OHT1T00092.htm
当時の僕の状況とそっくりだ。
その上いつも「学生として、若者として本来あるべき(異常に)高い理想」と比べられけなされ続けた。テストで80点代なんて許されず、いかに平均点が低かろうが「ちゃんと先生の言うことさえ聞いていればできるはず」と罵られ、普段の生活でもちょっと間違ったことを(例えば電話での受け答えをちょっと間違ったとか、ゴミの分別を間違ったとかいうレベルで)罵声と嘲笑を浴びせられた。こんな育てられ方をすれば人の顔色を伺いながらビクビクオドオドした性格になるのは当然だろう。
その上、風呂は1週間に1回、髪を床屋で切るのは数ヶ月に1回であとは適当にハサミで切られる。制服の替えはなし。今考えてもイジメられっことしての条件が整いすぎてるよ。クラスでは馬鹿にされバイキン扱いされ、時には暴力を振るわれ、行事や集団行動時はハブられる。詳しく思い出したくもない。彼も似たような状態だったのではないかと思う。彼の書き込みを見ると、親の支配から逃れようとして頑張っていた時の僕が考えていた事に瓜二つだ。
このまま中学校3年まで過ごしてきたのだが、ある日に遂に限界に達した。もう自分がどうなっても世の中がどうなってもいいと感じた。そして僕は彼と同じく、壊れると外に攻撃的な衝動を向ける人間だった。
当時の僕のひそかな楽しみは、朝早起きしてこっそり家を抜け出し、ゴミ捨て場をあさることだった。こずかいなんて無いし、自由な時間も学校が終わってからは皆無。早朝に人が捨てた雑誌やマンガを拾い読みするのが唯一と言ってよい娯楽だった。その時に拾ったナイフと包丁を1本づつ、これまた拾った砥石で磨き上げ、カバンの底に入れて学校に向かった。クラスメイトを(いや、偶然同じクラスにいるだけの人間と呼ぶべきか)誰彼構わず滅多刺しにし、気が済んだら家に戻って親を刺すつもりだった。
以降、その日の記憶はない。本当に、まるで、覚えていない。
翌朝、きれいな包丁を見ながら「オレは何もしなかったのか?」と自問自答したところまで記憶が飛んでいる。当時の数少ない友人は「何か・・・危なかったよ」とだけ言い、詳細については話してくれなかった。刺してはいないが、僕は教室で何かをやり、教師が来ないうちに収束したのだろう。以降馬鹿にされることは少なくなり、暴力についてはピタリと止まった。
僕は本気だった。いじめっ子をおどして終わったり、あるいは自傷して注目を集め問題を解決しようなんて考えてもいなかった。ちょっと間違えば(いや、間違えなければ、か)間違いなく数人を殺した少年Aになっていただろう。今思い返しても、当時「殺す」以外の選択肢は無かった。何がどうなって少年Aにならずに済んだのかは全く分からない。
長々と語ってしまったけど、子供の頃親に酷い扱いを受ければ、人格が歪んで当然。それに周囲からの圧力が加われば人なんて簡単に壊れるさ。こう書くと「俺の場合は云々」という反論が必ずあるだろうけど、そもそも人によって精神的な耐久力に差があるのは当然で、壊れる状況まで追い込む要因の方に問題があると考えるべきなんじゃないのか。
あと不思議なのが、世間は精神に短期間にダメージを受けた場合(例えば女性がレイプされたとか)は無条件で同情の対象となるのに、長期的にダメージが蓄積した場合は非常に冷たい。今回の彼の件に限らず、過労で自殺した人やうつになった人、学生時代のイジメを引きずって心が病んでいる人などには、必ず時間の経過の中でのダメージの解決をすべきだった、という批判がでる。できないから病んでいるんだろうに……まるでダメージを蓄積し、解消できない事そのものが罪悪であるかのようだ。だから彼についても25歳だから、もういい大人なんだからと言うのだろう。正直年齢なんて関係ない。僕は34になった今でも悪夢にうなされるし、年に何度かは物凄い鬱状態になるよ。かなり心の中で過去を整理して、通常の社会生活を送っているつもりの僕でも。
僕は彼に同情こそすれ、今のところ出ている情報では全く責める気にはなれない。
現在の状況下で、自分の命を人質にとって世の中になんらかの動きを起こそうと考えた、豊島の少年A君(仮名)は結構賢いんじゃないかと思った。その真意がどこにあるのか(本当に追い詰められているのか、愉快犯なのか)はさておき、彼の考えたメソッドは、今回はうまく機能したんじゃないかな。まあ、すでに教員ぐるみで闇から闇に葬って、なんにもなかったこととして報告、なんて斜め上もあるかもしんないけど。
うん、死んで困るのはもはや自分じゃない。回りなんだよ。だから脅迫手段として機能する。これをやめさせるには、誰かが自殺しても誰も関心を持たない、っていう社会システムを作るのが一番手っ取り早い。十分可能だと思うんだけどな。