はてなキーワード: 兆候とは
日々の買い物も航空会社提携のクレジットカードで決済し、特典航空券のためにこつこつと「マイル」を貯める、航空会社の「ステータス」を維持するために、高い年会費を払ってカードを持つ──あなたの周りにも一人や二人、こういう人がいるのではないだろうか。
米ヴァンダービルト大学ロースクール教授のガネッシュ・シタラマンは、マイレージプログラムの進化が航空会社を「片手間に飛行機を飛ばす金融機関のような存在」に変貌させたと語る。
米デルタ航空は9月、マイレージプログラム「スカイマイル」のサービスに変更を加えると発表した。これまでの利用金額と飛行距離の組み合わせに応じたステータス(上級会員資格)の付与から、利用金額のみに基づいた付与に切り替え、ステータス取得に必要な利用金額を引き上げる。
つまり、スカイマイルは「頻繁に飛行機を利用する人」ではなく「大金を使う人」のプログラムとなるのだ。この変更による衝撃はあまりにも大きく、大手旅行ニュースサイト「ザ・ポイント・ガイ」のある記者が「航空会社のステータスを追い求めるのはもうやめる」と宣言したほどだ。
事情通でさえマイレージゲームに嫌気がさしているのだ。何かがおかしくなっているのは明らかだ。実際、マイレージプログラムは米航空業界にはびこる深刻な腐敗の兆候と言える。航空会社に腹を立てるのは至極当然のことだが、最終的な責任は米国議会にある。
1930年代後半から70年代にかけて、米連邦政府は航空会社を公益事業として規制していた。米民間航空委員会(CAB)が、どの航空会社がどの路線を運航するかを決め、運賃の設定も管理した。CABは、利用者にとって公正で、航空会社に適正な利益をもたらす運賃設定を目指した。だが、1978年、議会は航空業界の規制を緩和し、最終的にCABを廃止する包括的な法案を可決した。
規制から解き放たれた航空各社は、市場を獲得するための新戦略を考案した。特に積極的だったのがアメリカン航空だ。航空規制緩和法の成立に先がけ、同社は残りわずかな座席を売り切るための割引運賃「スーパーセーバー」を設けた。これで直前に予約する利用者の運賃は安くなり、アメリカンの収益は拡大した。全席が埋まっていようがいまいが飛行機は離陸するからだ。
だが、この割引運賃は、高額の航空券を前もって購入する傾向のあるビジネス客の機嫌を損ねた。そこで1981年、アメリカンはマイレージサービス「AAdvantageプログラム」を開発し、ビジネス客に追加の特典を用意した。他の航空会社もこれに追随する。
マイレージプログラムは当初、11杯目のコーヒーが無料になるカフェのポイントカードのように単純な仕組みだった。しかし、3つの大きな変化に伴い、現在のようなシステムへと変貌を遂げた。
まず1987年、アメリカン航空が米銀大手シティバンクと提携し、マイレージに交換可能なポイントを付与する共同ブランドのクレジットカードを発行した。次に90年代、航空各社は運賃種別を乱立させ、それぞれ異なる価格を設定した。運賃体系が複雑化するなか、3つ目の変化が訪れた。ヴァージン・アメリカが、飛行距離よりも運賃種別に基づく利用額のほうが収益にとって重要だと気づいたのだ。そこで2007年、獲得したマイレージではなく利用額に応じた見返りがあるロイヤルティプログラムを導入した。
この3つの変化が航空業界を根本から変革した。マイレージサービスは肥大化してこんにちのようなポイントシステムになった。そして航空会社は、片手間に飛行機を飛ばす金融機関のような存在に変貌した。
現在の仕組みはこうだ。航空会社は無からポイントを生み出し、共同ブランドのクレジットカードを発行する銀行に実際のお金で売る。銀行はカード所有者に利用額に応じてポイントを付与し、銀行とクレジットカード会社はいずれもカードの利用手数料で収益を得る。カード所有者はポイントをマイレージのほか、航空会社独自のオンライン通販(EC)サイトで販売される商品やサービスに交換できる。
航空会社にとってこれはうまみが大きい。ポイントが交換されるまで(あるいは忘れ去られた場合には永遠に)、ポイントによるコストが発生しない。この仕組みがロイヤルティプログラムを実入りの大きいものにしている。
消費者は現在、デルタ航空が提携するアメリカン・エキスプレスのクレジットカードだけで米国の国内総生産(GDP)の1%近くを利用している。
英紙「フィナンシャル・タイムズ」が2020年に分析したところ、ウォール街の金融機関は大手航空会社のマイレージプログラムを、会社そのものよりも高く評価していることが判明した。たとえば、ユナイテッド航空の「マイレージプラス」プログラムは220億ドルと評価されたが、当時の同社の時価総額は106億ドルにとどまる。
最近、都市伝説の動画を検索して試しに見ていた。こういうのはエンタメのための情報だから、一見するとただ面白おかしいだけに思える。
しかしよく背後の情報を確認してみると反ユダヤ主義が隠されていることに気がつく。
金融や戦争の原因を一部の権力者の裁量ですべてコントロールされているというニセ情報が典型例だ。
しかもその「権力者」が誰なのかということについて話があると、「ユダヤ人」という設定になっていることが多い。
これは危険思想の兆候である可能性がある。特定の人種が世界のすべてを牛耳っているなどということを、例えば政治家連中が信じたらどうなるか想像してほしい。
その「特定の権力者」が通貨発行権を利用できるから許せない!というタイプの浅はかな陰謀論も見たが、陰謀論自体が陰謀ではないかとさえ思えてくる。
資産大国である日本のような国の貨幣価値と資産力を弱体化させるためにインフレを起こそうとしているのではないかと。
つまり、経済というのは基本的に数学法則に支配されており、「裁定の限界」が存在するので、資産家がいつでも儲かるといううまい話ではないのである。
日本が世界一の資産大国であることは有名だが、資産を持っているだけで自動的に儲かるようなことはないのだ。
偽情報によって自らにダメージを与えたり、反ユダヤ主義を無意識に信奉している陰謀論者たちは、怪しい情報に真実性を求めるよりも前の段階で、経済の標準教科書を読むべきだろう。
はじめに、いま台風が来ていますので、激しい雨風がある地域に住んでいる方は、どうかお気をつけてください。
みなさんの身体の安全や心の安寧は一番大事なことで、W杯といえど所詮スポーツのラグビーとは、較べるレベルにもないことです。
さて。
2019年の日本大会で日本代表は素晴らしい結果を残し、レビューをしていた自分もみんなと楽しめたことがとても嬉しかった。
そのあとの4年で世界があんなことになるとは思いもしていなかったけど、僕はまたW杯を見ることができるし、みんなもまた楽しめるような状況、心境であるならばいいと思っています。
今大会、前回のように逐一レビューできるかはわからないけど、みんなが観戦する際の手助けが少しでもできたら嬉しいです。
このプールはオーストラリア、ウェールズ、フィジーなどが同居するプールCと並んで、何が起きるかわからない予測不能のプールであり、後述するけど、初戦がどう転んでもDは縺れていくと思う。
配置されたのはイングランド、日本、アルゼンチン、サモア、チリ。
最強豪と見做されるイングランドは、ここ数年不調が続いており、ブチ切れることでおなじみのエディー・ジョーンズHCが責を問われて解任、スティーブ・ボーズウィック氏の元、再出発となった。
こういった交代劇は短期的にはプラスに働くショックとなることも珍しくはないのだが、今のところその兆候は出ていない。
チームを牽引するオーウェン・ファレルをレッドカードのペナルティで3戦目まで欠くのも気がかりだ。
もう1チーム、日本の厚い壁となりそうなアルゼンチンは組み合わせ抽選時のプール内序列3位は明らかに過小評価で実力で言えばイングランドと同格に近い。
現ランキングではイングランドより上位、直近の戦績でもオーストラリアを降し、南アと1点差ゲームを演じるなど、上り調子だ。
「チームとしてまとまりがなく反則しやすい」という長年の弱点があったのだが、ニュージーランド、オーストラリア、フィジーが所属する国際プロリーグ、スーパーラグビー・パシフィックに代表のクローンチームを結成して参加するという強化手法で宿痾を克服してきた。
これは前回大会直前まで日本がとってきた強化手法と一緒で、日本のサンウルブズは戦績こそふるわなかったもの、チームの練度は確実に底上げされ、日本代表の前回の成果に一役かった。
今回のサモアは前回のような「罠に嵌めやすいチーム」ではない。
チリは正直なところ情報をあまりもっていないのだけど、アメリカ・カナダに競り勝って出場を勝ち取っており、これは「えっ」という感じ。
アメリカ・カナダは強豪でこそないものの弱いチームではないのだ。
チリは1勝をもって帰りたい立場なので、狙うのは日本かサモアとなり、初戦の日本に最大限の集中とリソースで挑んでくるように思う。
前回グループリーグ突破の我らが日本はというと、コロナによる強化スタートの遅れ、スーパーラグビーからの除外で強化がうまく進んだとは言い難く、実際の試合をみてもスクラムやキャッチ、パスなどの連携に明らかなほつれが見える。
おまけに初戦はFWの働き者、ピーター・”ラピース”・ラブスカフニをレッドカードの出場停止で欠く。
かなり立場が揺らいでいると言えるだろう。
プールDの初戦、日本はチリと戦うこととなるが、裏ではイングランドとアルゼンチンがまみえる。
本命同士がいきなり潰し合う展開となり、負けたチームは突破のためにもう1敗もできない状況になる。
こうなってくるとサモアがどのチームに取っても厄介だ。
チリ以外の4チームはどこが抜けてもおかしくない混戦になりそうで、なんとしたらしたらチリがこのリーグをかき回す可能性すらある。
未だ未完成の日本代表が波にのれて完成度を高めていけるかは重要で、初戦の開始20分でバタバタと反則を起こさないか、最初のスクラムが安定するかが注目だ。
日本の注目選手では、リーグワンでの脅威の走力と決定力で代表に選出されたCTB、長田智希がリザーブで登場する。
マジック・フットと呼ばれる突破力をもつが、ディフェンスに難があると言われてきた。
直近改善されてきたように思うが、とはいえ最後の砦ポジションのFB出場になったのは驚きだ。
少し心配もあるが、良さが出ればトライ後の「取って詰めてだす」エガちゃんパフォーマンスがみられるかもしれない。
熱戦を期待するし、できればもちろん日本代表には勝利してほしい。
ところでラグビーは頻繁にルール改正がされるスポーツで、ここで前回大会から変わったところと影響について解説したい。
選手の安全性を高めるため、ハイタックルに関する審査は年々厳格化されており、今では肩より上に手がかかったと見做されるとペナルティを取られる。
安全性が高まることについて全く異論がないが、2人がかりのダブルタックルで相手を止めたい日本にとっては厄介なことで、足元をとめるAと上半身を相手の腕ごと殺してパスを出させないようにするB、縦に積まれるBのタックルはどうしても高くなりがちで、より高いタックルスキルと冷静さが求められる。
なのだが、これに、
になるルールが追加された。
導入当初は「難易度が高すぎてどこまでのチームが戦術に組み込めるのか」と言われていたが、蓋を開けてみると欧州勢やニュージーランドは普通に蹴ってくる。
日本を意識したルール改正とは思えないが、筋力に劣る日本にとっては結果として不利に働くルール改正と言えるだろう。
ただ、非常にスキルフルでスリリングなプレーなので、登場すればエキサイティングだ。
みんなも注目してみてほしい。
自分としてはみんなの観戦の手助けできればというのがモチベーションなので、この件に関する言及でもし耳目を集めることがあったとしたら、そこは本意ではないのだけれどもなあ、と思うけど、どんな思いのやつが書いてるのかわからない文書ではモヤがちらついてそっちに気がとられるよ、となるといけないなと思うので、櫻井翔さんがアンバサダーを務めることついても考えを少し話しておきたいと思います。
ラグビーは憲章において品位・情熱・結束・規律・尊重を掲げており、勝つだけでなく、どうあるべきかが重視されています。
性加害が事実認定されたあとも当事者の名前を冠している事務所が、説明を果たして世に価値観を示すべき態度であれているかどうか未だ疑問が残ります。
櫻井翔さんについてはラグビーのプレー経験者であり、アンバサダーの仕事についてもしっかりとした情熱をもって勤めてくれていたのだと思っています。
そのことを自分は嬉しいです。
櫻井さんが事象にどう関わりがあったのか自分は未だ一切わかりませんが、少なくとも事務所に所属したままアンバサダーを務めることは憲章の価値観そぐわないのではないのかな、と自分は思います。
また、自分がSNSのタイムラインを追った時、櫻井さんのファンの方々が櫻井さんきっかけでラグビーを観戦してくれていたのも多く目にしました。
みなさん楽しそうに声援を贈っていらっしゃいました。
そのようなファンの方が、今どう感じていらっしゃるのかは分かりません。
しかし、ラグビーの人気拡大と、人権の加害の問題は、存在する次元が違いすぎて天秤にかけてどちらを取るかというような比較になるべき問題でもないと思います。
櫻井さんファンの方に、ラグビーについてどういう事を言ったりしたり、言わなかったりしなかったりしてほしいかというような事は、烏滸がましくて何もいう事はできません。
ラグビー界側を見ても、日本ラグビーフットボール協会がこの件に関して見解を出さなかったり、意思決定を下して説明をしないのであれば、それは違うのではないかなと思います。
みなさんが最良の選択をしていただけたら良いなと願っています。
現在、9月9日4:49分、開幕戦フランス対ニュージーランドを観ながら自分はこの展望を書いている。
みんなもどうかこの大会を楽しんでほしい。
その手助けができればうれしい。
例えば親権失った親が子供に全然面会できない、って意見よく出るけど
親の求める頻度が月1とか月2なのがまず異常だと言うのが当人たちはわかっていない。
離婚したら当然住む場所は違うわけで、実家に戻る家庭の場合県をまたいだりするなんてことはザラにある。
そうなると会いにいくだけで非常に手間と金がかかるわけで
子供目線としてもわざわざ親に会うためだけにそこまでしたいと思わない。
自分は片道電車で2時間くらいの距離で父親には長期休暇の年2回泊りがけで会っていたが
自分としてはそれで十分満足だったし、父親は遊んで楽しい人だったけど母親抜きで一緒に暮らしたい人ではなかった。
共同親権になれば子供はそれぞれの親の元へ行き来して暮らす必要があるが、
学生なら転校する必要もあるし、生活内容だってそれぞれ違うだろうから子供からしたら相当の負担になる。
別に離婚でなく単身赴任で考えてみてもいいんだが、会うのに何時間もかかる親の元へ
自分以外にも単独親権の友達は数人いるが、片親に会う頻度は自分より低いまたは全く会ってない人がいたが
彼、彼女らがその親に会えなくて寂しいと思ってはいなく、会えなくても困らないが子の本心なんだよ。
何よりそんなめちゃめちゃ会いたがるような親だったら、子供だってそっちに親権を求めるじゃん。
あとは共同親権ならば子供の虐待を防げるという夢見がちな意見に思うのは
親権持った親が急に虐待するようになった前提で考えているのかもしれんが
残念ながらそういう親は離婚前からも虐待をしているかすでに兆候はあるわけで、
それにすら気づけないほど日頃子供に関心がないか全く関わってない人が
養育費が正しく使われているかどうかを確認するためという意見もそうだが、
日頃子供にどれだけの費用がかかっているかすらわかってない人が正しい判断なんてできないし、
基本そういう事言うのはモラハラの人だけなんだよ。
だから彼らは親権を持てないし、共同親権が導入されても離婚時点で親権を持てないから結果的には今の単独親権と変わらない。
子の利益を最大限と言いながら、求めているのは親権失った親ばかりで
父親で親権取れている人は育児の実績がありつつ"子供が望んでいる"から取れている。
上記の子に会えない理由もそうだが、悲しいけれどよほどのことがない限り
どちらかと言えば子供にさほど好かれてないか母親の方が好きが大半なんだよ。
共同親権を実現するには離婚しても双方の親がそれほど離れていない場所に住んでいて、
これは良い記事。
少子化の話題になるとすぐに意識や価値観の変化に矮小化して経済問題ではない事にしたがる人が沸くけれど、
この記事を見れば分かるように「子育てはコスパが悪い」も「若者の恋愛離れ」も上位大学の学生の間では起きてないんだよ
親ガチャ当たりの上級国民にとっては結婚も子供も当たり前に経験する事であってそれらへの尻込み意識なんてない。
若者が希望を持てず恋愛や結婚出産から離れているのは階級による現象だってこと。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8dd6ebe824bc0984ceff04d12d5c429cb88678a
『子どもは「贅沢品」になったのか。上位大学と中堅以下の大学の学生たちに見えた「意識の差」』
おおむねの傾向として、上位大学の学生は子どもにお金がかかることを気にしてはいるものの、中堅以下の大学の学生ほどは不安を感じていない。ニュースなどで現状はきちんと把握しつつ、その上で「自分は困窮者に該当しない」というスタンスを取っている。
「子どもにお金がかかることは承知しているが、その分稼げばいいだけのこと。就職は総合商社かコンサル狙い」(22歳男性・欲しい)
そもそも語り口のトーンが違う。上位大学の学生は、口では「いやー、お金かかりますよねー」などと口にはしつつ、どこか余裕がある。自助努力でどうにかなると思っている。お金の心配はないかと問うても、多くが「自分が稼げばいい」と口にする。あるいは、冷静に対案を出す。
「私立を避けるなど、選択肢によって比較的お金がかからない方法があるので、適切に選択すればそれほど苦労しないのでは」(21歳女性・欲しい)
一方、中堅以下の大学の学生は、総じて経済的な不安の深刻度が高い。卒業後の収入に自信がない。自己肯定感の低さに連動して子ども願望が低め、もしくは希望人数が控えめ、という印象だ。
中堅以下の大学の学生に散見されるのが、染み付いた「負け組」意識だ。「自分は高収入を見込めない→だから子どもを持てない」ことを穏やかに受け入れている。「勝ち組」に対してルサンチマンを煮えたぎらせるわけでも、政府の諸政策に強く異議を唱えるわけでもない。グループインタビューの場にはソフトな諦念のようなものが漂っていた。
上位大学のグループインタビューに、そのような空気はない。稼げる仕事についてガンガン働き、複数人の子どもが欲しいと屈託なく言う。子どもが欲しくない学生であっても、経済的な不安を理由の第一とするケースは非常に少なかった。獲得したいライフスタイルに「子持ち」はそぐわないから……といった理由が主だ。
上位大学と中堅以下の大学の学生たちの意識の違いは想像以上に露骨だったが、彼らの話を聞いていて思い出したことがある。かつて、特に1980年代から90年代にかけての日本社会には、経済的にも外見的にも「上位」に位置する若年男性の一定数が、個人主義的・享楽主義的なライフスタイルを貫くため「独身貴族」を決め込む風潮があった。なんなら「独身貴族」は「勝ち組」ライフスタイルの一バリエーションですらあった。
が、今回話を聞いた上位大学の男子学生たちから、そのような兆候はまったく見えない。むしろ、勝ち組男子ほど子どもを作りたがる。「子どもは金がかかる=子どもは贅沢品」である現在の日本社会においては、当然と言えば当然の帰結であろう。
7月から妊活を始めたけどこれから始まるかもしれない不妊治療が怖くて仕方がない。
というのも、私は生理痛がかなり重く10年以上ピルを飲んでいた上、数年前に腫瘍ができて卵巣を1つ摘出しているので、きっと不妊傾向があるに違いないと怯えている。
ブライダルチェックでは2人とも若干数値は悪いものの許容範囲という結果で、私はとりあえず数値を適正にするためサプリと薬を飲んでいるけど今のところ妊娠はしていない。
早い方がいいと婦人科で言われたので、来週卵管造影検査をする。
調べていたら人によっては失神するほど痛いらしいとか、卵管閉塞だったらいきなり体外受精に進むとか、色々と情報が溢れかえっていて心が追いつかない。
そもそも婦人科に通っているのもブライダルチェックしてそのままなんとなく通っているだけで、本格的に不妊治療始めるのはまだ先でいいよねとか思ってたのになあ。
なのに今では基礎体温つけてサプリ飲んで排卵日予測して生理来るまでの色々な兆候に一喜一憂して…ってなっていて、このまま不妊治療のサイクルに取り込まれていくのかと思うと怖い。
卵管閉塞だったらどうしたらいいんだろ…
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1628418345
1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (プチプチW 93bd-imFy):2021/08/08(日) 19:25:45.61 ID:fqdQaa+w00808 ?2BP(1000)
はてな匿名ダイアリーを利用するのは初めてだが、弱者男性論のメッカらしいのでここに書いてみる。
20代後半、童貞、友達なし、恋愛経験なし、子供部屋在住、フリーター、年収100万円以下。
弱者男性という言葉の定義をここでは試みないが、自分もそう分類されるのではないかと考えている。
睾丸摘出手術を受けて約1年が過ぎようとしている今思うことを記す。
ネットによれば「オッサン」というものは臭くて汚くて性欲まみれで世間に迷惑をかける気持ち悪い存在らしい。そんなものになりたくない、という気持ちがきっかけになった。
曰く去勢をすれば性欲が減少するらしい。性欲が減れば私が性犯罪を犯す危険も減るだろうし、そうなれば不幸な思いをする被害者も減らせる。私自身も不必要な性欲のために時間的・金銭的・肉体的コストを浪費せずに済む。唯一不幸になるのは孫の顔を見られないことが確定する私の親であるが(私は一人っ子だ)それはもう諦めてもらうほかない。私は反出生主義者ではないが、我が子や子孫という存在も生まれずに済む以上幸福になれずとも不幸になることもまたない。
また、去勢をすると体臭が減るという情報もあった。私の体臭によって不快な思いをする人が減るのであれば喜ばしい。なるべく引きこもって暮らしているが、どうしても出かけなければならない時がある。そんな時に誰かとすれ違ったり隣に座ったり同じ空間にいたりするだけで人々に嫌な思いをさせる、そんな心配も減るのだ。
人々に迷惑をかけない。私はそういうことに幸せを感じるのだ。そんなに人に迷惑をかけたくなければ自害せよと言う意見もあるかもしれないが、私にはその勇気がなかった。そしてそれに代わる手段として選んだのが去勢だった。
手術とその後
ネットで見つけた病院へ。性自認を問われることもなく(問われたら答えられなかっただろう)電話一本で日帰り手術。費用は15万円ほど。覚えているのは自分の体が電気メスで焼かれる匂い。火葬されるとこんな感じなのだろうかなどと考えていた。術後は抜糸不要で痛み止めを少し飲んだ程度。こんな簡単で良いのだろうか。
その後性欲は無くなりはしないものの確かに減少した。自慰行為に浪費する時間は減り、射精に近しい感覚は残っているものの精子は無くなり精液も透明なものがごく少量出るか出ないか程度になった。恋愛感情はもともと経験がないので変化がわからない。宦官は性欲の代わりに出世欲など他の欲望が強くなるとどこかで読んだがその兆候も今のところ見られない。週に一度ジムに通っているが体力や筋力の減少は特に見られず、体臭についても自覚できる変化はなかった。
現在私は男性と言えない何かであるが、分類上は普通の男性として生活している。といってもいわゆる「男性性」を演じることは元からしていないしするつもりもない。かと言って女性になりたいわけでもないのでこれ以上なにか手術などを受ける予定も現状ない。
最後に
ここまで書いてみたが去勢という不可逆なものを弱者男性にすすめることはできない。
自らの欲望や男性性を否定することを目的に睾丸摘出術を受けることは、自己肯定感を高めることで弱者男性を脱しようと言う考えとは対極にある。本来手術を必要としている方々にも失礼だろう。もちろん多少性欲が減った程度で解脱できるなどということはない。たとえ手術を受け「オッサン」になることから逃れたとしても、私自身あるがままで気持ち悪い存在なのだ、と改めて気が付かされただけであった。
はてな匿名ダイアリーを利用するのは初めてだが、弱者男性論のメッカらしいのでここに書いてみる。
20代後半、童貞、友達なし、恋愛経験なし、子供部屋在住、フリーター、年収100万円以下。
弱者男性という言葉の定義をここでは試みないが、自分もそう分類されるのではないかと考えている。
睾丸摘出手術を受けて約1年が過ぎようとしている今思うことを記す。
ネットによれば「オッサン」というものは臭くて汚くて性欲まみれで世間に迷惑をかける気持ち悪い存在らしい。そんなものになりたくない、という気持ちがきっかけになった。
曰く去勢をすれば性欲が減少するらしい。性欲が減れば私が性犯罪を犯す危険も減るだろうし、そうなれば不幸な思いをする被害者も減らせる。私自身も不必要な性欲のために時間的・金銭的・肉体的コストを浪費せずに済む。唯一不幸になるのは孫の顔を見られないことが確定する私の親であるが(私は一人っ子だ)それはもう諦めてもらうほかない。私は反出生主義者ではないが、我が子や子孫という存在も生まれずに済む以上幸福になれずとも不幸になることもまたない。
また、去勢をすると体臭が減るという情報もあった。私の体臭によって不快な思いをする人が減るのであれば喜ばしい。なるべく引きこもって暮らしているが、どうしても出かけなければならない時がある。そんな時に誰かとすれ違ったり隣に座ったり同じ空間にいたりするだけで人々に嫌な思いをさせる、そんな心配も減るのだ。
人々に迷惑をかけない。私はそういうことに幸せを感じるのだ。そんなに人に迷惑をかけたくなければ自害せよと言う意見もあるかもしれないが、私にはその勇気がなかった。そしてそれに代わる手段として選んだのが去勢だった。
ネットで見つけた病院へ。性自認を問われることもなく(問われたら答えられなかっただろう)電話一本で日帰り手術。費用は15万円ほど。覚えているのは自分の体が電気メスで焼かれる匂い。火葬されるとこんな感じなのだろうかなどと考えていた。術後は抜糸不要で痛み止めを少し飲んだ程度。こんな簡単で良いのだろうか。
その後性欲は無くなりはしないものの確かに減少した。自慰行為に浪費する時間は減り、射精に近しい感覚は残っているものの精子は無くなり精液も透明なものがごく少量出るか出ないか程度になった。恋愛感情はもともと経験がないので変化がわからない。宦官は性欲の代わりに出世欲など他の欲望が強くなるとどこかで読んだがその兆候も今のところ見られない。週に一度ジムに通っているが体力や筋力の減少は特に見られず、体臭についても自覚できる変化はなかった。
現在私は男性と言えない何かであるが、分類上は普通の男性として生活している。といってもいわゆる「男性性」を演じることは元からしていないしするつもりもない。かと言って女性になりたいわけでもないのでこれ以上なにか手術などを受ける予定も現状ない。
ここまで書いてみたが去勢という不可逆なものを弱者男性にすすめることはできない。
自らの欲望や男性性を否定することを目的に睾丸摘出術を受けることは、自己肯定感を高めることで弱者男性を脱しようと言う考えとは対極にある。本来手術を必要としている方々にも失礼だろう。もちろん多少性欲が減った程度で解脱できるなどということはない。たとえ手術を受け「オッサン」になることから逃れたとしても、私自身あるがままで気持ち悪い存在なのだ、と改めて気が付かされただけであった。
https://togetter.com/li/2205234 という「旦那のこういうところが嫌い」という写真付きツイートについての感想。
愛しているのなら男はビールの空箱ぐらいすすんで片付けねばならない
冷蔵庫に放置されたビールの空箱を巡る夫婦間の問題は、表面上のささいな問題のように思われるかもしれないが、実際には夫婦間の権力闘争や互いの価値観の衝突、愛情の減少の象徴ともいえる。妻は冷蔵庫を自分のテリトリーと見なし、夫がビールの空箱を放置する行為に不快感を覚える。これは夫がビールの空箱を片付ける意欲を持たないこと、もしくはそれを重要と思わないことから来るものである。しかし、理想の夫婦関係では、こういった問題は発生しない。愛情が深ければ、小さなことで争うことはなく、お互いを尊重し合う関係が築かれる。夫婦間の問題は一人暮らしのときとは異なり、一緒に生活することで新たな問題や課題が浮き彫りになる。愛情があれば、互いの習慣や欠点を受け入れることができるが、そうでない場合、愛情が薄れてしまう。最終的に、ビールの空箱の問題は愛情の有無を示す象徴として捉えることができる。
なぜ旦那がビールの空箱をそのまま放置するのかといえば、有り体に言ってしまえば「それほど妻を愛さなくなったから」であり、一方でなぜ妻が旦那のその空箱の放置にうんざりとして嫌ってしまうのかといえば、「それほど旦那を愛さなくなったから」である。
まずこれほどまでに社会に蔓延しており、全く解決できていないということは「その程度のささいな問題ではない」ということをそのまま証明している。1つの家庭を崩壊・険悪にさせるほどのエネルギーを持っているものが日本各地で続発しているというように認識を改めなければならない。
とはいえ、ビールの空箱の放置というのは、ささいな問題のように見える。しかしビールの空箱の放置が発生する原因は旦那の習慣的な行動によってであり、人生における集大成のような、本能に近いレベルの癖によるのである。そう考えると全くささいではない。
一方で、妻から見れば「自分のテリトリーである冷蔵庫をわざわざ間借りしている旦那が、与えた権利以上のものを絶えず主張している」というような状態であろう。不快感を覚えるのも当然である。
いわば妻側は冷蔵庫のマネジメントを任務としているがゆえに冷蔵庫の全権を獲得しており、旦那には借家としての権利を付与していると考えているのだが、一方で旦那は地権を持っていると考えている。仮に冷蔵庫に旦那専用スペースがあり、旦那がビールを購入する主体であれば旦那は容易にビールの空箱を片付けるであろうし、その行為に不満を感じることは1つもない(もちろん最後の1本を出したあとはそのままだが)。妻も他人のスペースがめちゃくちゃになろうが、臭いの充満などの他スペースの侵害をしない限りは関与しなくなるはずだ。しかしこうした「分譲」には、妻側から見れば権利の侵害を感じ、強硬な反発に遭うことだろう。
ここで、「恋愛的に自分が超次元で大好きな異性」という架空の存在を定義しよう。以下、理想人類Aと呼称する。
理想人類Aは、自分が全存在をかけて愛せるような存在である。そんな理想人類Aがビールの空箱をそのままにしていた場合どうだろうか。これは理想人類Aを自分に少しでも依存させることができるチャンスであり、喜んでビールの空箱を片付けるであろう。そのような理想人類Aでもやはり欠点はあったのだと嬉しくなり、自分の存在価値を確認できる崇高な行為となる。
男側から見ても、理想人類Aは、何も文句も言わずに何の痛痒すら感じず朗らかに笑いながらビールの空箱を片付けるような人間である。そんな人間に幻滅されたくない男は、その人間の歓心を買うためなら、喜んでビールの空箱を片付けるであろう。喜んで自分の存在を革命しようと欲し、これも自らの存在価値を確認できる崇高な行為となる。
こうした理想的な夫婦関係においては、ビールの空箱の片付け問題などというくだらない問題は発生し得ない。
共同生活においては、一人暮らしで「単なる怠惰で自分の首がしまる行為」で済んでいたことが、そういう意図はないにしても「貴様がやっておけ」という意味のようになることが多い。気付いてしまうからだ。それの集合体が名もなき家事と呼ばれている。家事自体をしないまでも、そういう状態を目にするのも嫌なのだ。妻側は、怠惰と不潔の織りなすハーモニーに地獄の瘴気を感じ、精神が蝕ばまれていく。
もともと恋愛関係においては自分のベストに近いパフォーマンスを見せあうが、夫婦間においては自分の最悪のパフォーマンスも見せあうような関係となる。相手の習慣を受容しないということは相手そのものを受け入れないということであり、相手の価値観をわかろうとしないことも相手そのものを受け入れないということである。
旦那側はそういうものだから受け入れてほしいと考える。これに正しい間違っているもくそもなく、正しさの度合いは周辺のコミュニティが持つ価値観の相場によって決定される。そちらの方が都合が良いというだけだ。妻側は誰しも当然受けいれたくはない。当たり前に労力がかかる話だからだ。
「共に過ごす」という以上、共に過ごすために必要なコストは必ず発生する。そしてそのコストは分担される。多くは妻側が持っている。理想人類Aだったならば、すべてのコストを受容できるはずなのだ。それだけで理想人類Aの歓心を買って共に過ごすことができるのだから(現実的ではないが……)
結局のところ、お互いに、相手のために自分を変革してまでより愛したいと思っていないのだ。そのままでいたいのだ。妻は、妻でありたくはなく、旦那が旦那でなくなることを欲しており、旦那は、旦那でいたくあり、妻が妻でいてくれることを欲している。
もっと直接的に捉えるべきなのだ。「ビールの空箱を片付けないのは、全く愛されていないように感じる」とか「愛しているからめんどくさいけど自分の習慣を努力して変更し、ビールの空箱を片付ける」とか。「ビールの空箱を片付けないお前が嫌い」とか「ビールの空箱を片付けないことを責め立ててくるお前が嫌い」「ビールの空箱をわざわざ片付けようとは思わない程度にはお前が嫌い」とか、そういうことを暗示しあうからお互いがより愛せなくなるのである。
また考え方として、ハンロンの剃刀というものがある。これは「無能で十分説明されることに悪意を見出してはいけない」 という考え方だ。ビールの空箱を片付けられないのは無能の証であって、悪意ではない。能力が無い。能力を獲得する気がない。そのメリットを感じないというふうに思っているわけで、悪意より矯正しがたいものだ。何か強烈なショックが無ければ変わることはないであろう。
冷蔵庫の中のビールの空箱というのは、無能・怠惰・薄れた愛情・憎悪・夫婦関係の亀裂・闘争・緊張感・離婚の兆候・他責・愚痴・想像力の欠如・束縛・傲慢・依存・甘えがこの世に顕現した姿なのである。
3組に1組は離婚する。
某中古車販売店の恫喝LINEなんかを見ると、またこのパターンだなと思う。
あらゆる洗脳によって身近な人間が何人も姿を消していった増田なりに考えた洗脳についての話です。
洗脳と聞くと誰か特定のターゲットに行うものと思われがちだけど、実はそうでもなかったりする。
例えばカルト宗教を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのだけど、来た人間全員を洗脳しようとは思ってはおらず、間口は広くしておいて洗脳に引っかかった人間だけが残るような仕組みになっている場合の方が多い。
つまり、「Aを洗脳しよう!」ではなくて、「A、B、C、D、E、Fにそれぞれ洗脳を試してみて、B、Eが洗脳に引っかかったから次はより強い洗脳を試そう。」といって絞り込んでいくような感じだ。
なので、洗脳というのは割りと結果論的な側面が強いパターンが多いよというか、むしろほとんどですよということをまず知ってもらいたい。
言い換えれば、誰にでも効果が期待できる洗脳を追い求めるよりも、洗脳にかかりやすい人を探したほうが早いよということ。
某中古車販売となんの関係があるの?と思うかもしれないけど、恫喝は典型的な洗脳の手段だと思ってください。
洗脳とは、簡単に言えば相手を自分の意のままに言うことを聞くようにすること。
逆を返すと、どのような状況であれ自分の意のままに言うことを聞くようになっていれば、それは洗脳が成功しているとも言える。
この違いは何かというと、そこに本人の納得は必要ないという点。
宗教のように心から相手を信頼してしまうパターンもあれば、自分は納得していないけど大きな借金があるから言うことを聞かざるを得ない状況というのも、等しく洗脳されている状況といえてしまうのだ。
手段や関係性はどうであれ言うことを聞く状況になってさえいれば、それは洗脳において成功と考えてなんの差支えもない。
恫喝というのは世間一般で考えればどう見ても間違ってる行動だ。
それによって離れる人間もいれば、自分が悪かったと受け入れる人間が出てくる。
さらに言えば、恫喝された他の人間の反応を見て自分も恫喝する側に回れば支配する側に回れると考える人間だっている。
一度くらいなら自分が悪かったと思ってこらえる人間がいるかも知れないが、それが当たり前に何度も続けば結局は残った人間は恫喝を受け入れた人間だけということになる。
つまりこの状況は、恫喝という非常識的な行為を繰り返すことによって、それでも言うことを聞く人間だけに絞り込めた状況と考えて差し支えがない。
そこに言うことを聞くようになった理由は必要ない。言うことを聞くという事実こそが重要なのだ。
洗脳する側にしてみれば言うことを聞く人間だけ残ればいいのだから、まともな判断力を持った人間はむしろ不要で、恫喝を受け入れた人間だけでなくそれを理解した上で利用する側に立った人間だって必要な人間だと言える。
この点も、信仰の強い信者だけでは宗教が広がっていかないのと同じで、同じような手段を理解した上で行使できる宣教師も必要だということと非常に近しい。
なぜ恫喝を受け入れざるを得なかったのか、その部分を説得や集団心理などを利用して騙していくことを洗脳だと考えている人も多いだろう。
しかし、それが最初にいった洗脳に対する誤解が多い部分でもある。
そこを自分たちで説得するよりも、注文の多い料理店しかり、正常性バイアスで受け入れてしまう人間を探したほうが早いと言うのが現実だ。
それならば、まずは相手がどのような考えを持っているかを知るよりもさっさと恫喝してしまったほうが結果は早いのだ。
某中古車販売店で言えば、その点において用意したものと言えば高い報酬と人間的成長くらいであろう。
ただし、人間的成長は逆説的に行なえない側を幼稚とするものだったと思われるが。
それでも納得しない人間たちを説得するよりは、ついてきた人間だけを選んでいったほうが遥かに効率がよいのだ。
今回はたまたまトリガーになったわかりやすい例が恫喝だったが、増田自身は勝手にそれを裸踊り的儀式と呼んでいる。
しかし、洗脳されている人間にしてみればありとあらゆる理由をもって裸踊りをする自分を肯定できてしまう状況にある。
つまり裸踊り的儀式とは、洗脳の手段ではなく洗脳度合いの効果測定を目的としている。
はじめから裸踊りをさせるわけではなく、最初はもっと小さなことから行われる。
人前で大声を出すとか、駅前を掃除させるだとか、普通ならやらないようなことに何かと理由をつけてやらせてみるのだ。
それでもし言うことを聞くようであれば、次のステップへと進む。
離脱してしまえば仕方ないし、迷っているようであれば背中を押すような理由を用意する。
そうして少しずつ洗脳の効果測定をしては、思い通りに動く人間を選別していくことが洗脳の本質であると考えている。
そういう意味では、落ち葉掃除のために誰もが犯罪だとわかるような枯葉剤をまいてしまうという行動も、すっかり洗脳が浸透している状況だったとも言えよう。
裸踊りには、周囲から奇異の目を向けられることによる社会的孤立という副次効果もある。
社会的孤立によってその2つから遠ざけることができれば、より洗脳をしやすくなるのだから選ばない手はない。
つまりは、ここが洗脳から助け出せる最後の分水嶺だとも言える。
もし何か怪しい方向に進んでいる近しい人がいるならば、突然社会的孤立につながるような行動が増えたときは要注意だ。
それが公序良俗に反していないだけであって、誰もが最初はおかしいと思うようなことでも、いつかは望んでするようになるし人に勧めたりもするものだ。
一部の体育会系運動部が好んで行う人前での奇行なんかはまさにこれだ。
過去に体育会系大学出身の人材が就職に好まれたのも、すでに洗脳されやすい土壌が学生生活の中で作られていたことが理由であろう。
そして何もこの話は対岸の火事ではない。
むしろワンマン経営者の中小企業に多いし大手学習塾でも当たり前のように見られる。
それ自体を悪だとは言わないが、仮にこの裸踊り的儀式の兆候が見られたときはそれより先に進むべきかどうかは必死で悩むべきだろう。
人間が自分の意志だけですべてを決定できるとは思っていないが、誰かの欲を満たすための道具にされることを望んでいる人なんていないはずだからだ。
この手の「はてな村は都合の悪いことをスルーする」みたいなの書いてる人って、他人が自分と同じ事に興味持ってくれてないと不安になる人なのかな?
自分の興味あることについてコミュニケーション取れる場がはてな村しかないのか?
それはそれで危ない気がする。
こうやって他人が自分の意に沿った行動しないことに対して不満を持つようになってるのは危険な兆候だから、しばらくネットを絶った方がいいと思う。
書いた当人としては何かを揶揄したつもりなのかも知れないけど、心が蝕まれ始めてるサインのように見える。
有名人が不倫しようが、子供誘拐しようが、それぞれの記事にブコメ付けてるヤツはバラバラだろ。
落ち着け。
それに件の福原愛の件は、はてな村でもホッテントリの下の方にちょいちょい載ってたから、はてな村でもスルーはされてないよ。
お前が望むラインには達してないってだけで。
「真剣に交際したい」と申し出ることは悪ではないし、他人からとやかく言われるような問題ではないと思うんだけど。手を出してたならいますぐ警察に通報して逮捕するべきだけど、好きになることは何も問題ないじゃん。
「気持ち悪い」というブコメもあったけど、かつて(あるいは保守派の人たちからは、今も)同性愛者に向けられ、現在近親相姦当事者や小児性愛者に向けられている差別とまったく同じ。人のセクシュアリティを簡単に「気持ち悪い」と言い切ってしまうことのヤバさを真面目に考えるべき。
両思いじゃないと交際を要求してはいけない、なんてのもおかしいよね。告白とか婚活とかの全否定になる。
え? 未成年との交際は犯罪? いやいや、禁止されてるのは「16歳未満との性交」であって「16歳未満との交際」じゃないっすよ。「強制性交罪」っていう文字列、読めますよね? 手をつないで見つめ合う程度の交際であれば、50歳と13歳との交際は今も昔も完全に合法です(あれ、デートとかに連れ回すと誘拐罪になったりするのか? まあ少なくとも性犯罪ではない)。
親のところに来て交際させてほしいというなら、よほどの事情がない限り二人で来るか、二人が好きあってることが自明であるのが普通だよね(たとえば、娘の交際に憤り禁足令を出している父親の下に単身乗り込む彼氏くん、みたいな)。一方、当該のママさんはなんの兆候もなく一人で乗り込んできたらしい。
親が子供の交際にあれこれ口を出すのは、少なくとも中高生の場合は過剰な介入とみなされうると思うし、仮に中学生に対して特定の恋愛を禁止する権限(「お前があいつと交際することは許さん!」)を認めたとしても、特定の恋愛を押し付ける権限(「お前はあいつと交際するんだ、わかったな」)なんて認められるわけがないので、まずは本人の同意が第一。それを考えると、まずは本人に告白するなり何なりして同意を得るのが先でしょう? なんでまず親にアプローチしてんの? という話になって一気に怪しくなる。まさかとは思うけど、本人に直撃したら拒絶される可能性を見越して親の権力を使って籠絡しようとか考えてないよね?
もちろんこれは疑惑なので、実はとっくに息子くんとは相思相愛でした、息子くんがお母さんには言い出しにくいというので私から、という話なら、変な勘ぐりで申し訳ないけど。
でもって、契約は個人の自由なので、当該ママさんの旦那さんがどう考えているかわからんのだけど、そういう申し出って、ふつうは「前の関係」を精算してからやるもんじゃない……? いやもちろん「交際相手は一度に一人にすべき」というのは一つの価値観にすぎないので、「同時に複数の人と交際してもよい」という価値観はそれはそれでありうるし、尊重されるべきだ(ゆえにそれが法律婚として認められない現状は結婚の平等の観点からはおかしい)と思うんだけど、だったらわざわざ今の夫と別れる必要はないはずなので、当該ママさんはあくまで「交際相手は一度に一人にすべき」派なんだよね……? だったら前の相手との関係をきちんと精算してからにしない……?
まあでも、後に入金があることを予定して高額の商品を予約するとか、転職がうまくいくという見通しで新居探しをするとか、よくあることなので、そこまで責められる話ではないのかもしれないけれど……