はてなキーワード: 神童とは
「敗者・凡才」サイドにもスポットを当てて感情移入させつつ、最後は天才サイドが勝つ、ということかな(意図が違っていたらスマン)。
すぐに思いついたのは
・りゅうおうのおしごと(小説だけど、漫画化したものがあるので、そちら)
・咲
・(未読らしいけれど、やっぱり)ガラスの仮面
…なんだけど、そもそも、そういうのって大量にある気がするね(とりわけ、芸術系と戦争系、スポーツ・麻雀のように、競技を通じ勝敗がはっきりする系)。
別ジャンルで、そういう系統の漫画が知りたいな。例えば日常系とか。
ビーバップハイスクールって、世代が違うし読んだことないけれど、ヤンキー日常系ケンカの天才ポルノと思っていいもの?
(追記)神童は、ヒロインの天才ポルノであり、ヒロインと狂言回しである主人公の、ほとんどセックスといっていい交流を味わうポルノでもあるよ!オススメ!
人生の落伍者なんてのは所詮は才能ガチャのハズレでしかねえのに、お前ら如きが人類や日本を背負ってると思い込むな。
ダンピングだろうが、脛かじりだろうが好きにやれ。
才能のある人間が一人、二人それを活かせばその何十万倍の無能が適当やってても人類は前に進む。
お前らはその一人二人に選ばれなかったおまけの方だ。
ガチャのハズレだ。
ガキの頃神童扱いだったのは「最初期ならチュートリアルクリアでもらえる☆3とかでも大事な戦力」っていう状態だっただけだ。
ギリギリまできてから「☆5だけだハズレの☆5」っけ気づかされた奴らもいるだろうけど、諦めてそれを受け入れろ。
お前らは世界なんて背負っちゃいない。
自分が生きることだけまずは考えろ。
活躍っておもにどんなの?
身体能力なら成長期に「活躍の場」に乗せるのがビジネス的にも「勝ち続ける・成長する」が見れるのでという大人の事情があるでしょ
ピークに上ったからと取り上げるとあとは衰退する様しか使えないのだし
若い身体を使って大人のビジネスに付き合わせるのは昔より多くなったかもしれないし同じかもしれないが
人間の社会性価値は退路を確保しつづける撤退戦なので二十歳すぎたら衰えていくからだと進行する価値に逆流するような
自分の価値を抱えて生き延びる必要があるので義務教育望ましくは高校大学まで出て生き方を学んだり導線を得てほしい
若い人間がピークを過ぎたら使い捨てというのはあまりにも悲しい
子役で成功して後の生き方を見失った人や若くして神童と呼ばれ後の凡才に苦悩するなど成功例に比例してあるのかもしれないが
ワイはガキの頃神童やったで
始めに自己紹介を少しだけさせて下さい。私は医学部を卒業して(そして医師免許を取って)、すぐに博士課程に進学し、現在在学中の者です。
大学のMD-Ph.Dコースに入っており、世間で言われる所の「研究医」というのを目指しています。
最近、色々と考えてしまった事があるのと、MD-Ph.Dコース(後ほど細かく書きます)について本音ベースの情報があまりweb上に見当たらないので、進路を考える高校生や医学生の参考になればと思い書かせて頂きます。
とはいえ、それ以外の方が読んでも研究医の事を知って貰うのに興味深いと思う内容もあるので、読んで頂けたら幸いです。
深夜に書いているので所々まとまっていない所もありますが、ご愛嬌でお願いします。
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1.「あれ? 入学時は基礎研究に興味ある人もう少しいなかったっけ?」〜医学部の6年間〜
医学部というのは大学というには特殊な環境(否定的な意味はない)だと思います。学年は100人程度で6年間、ほとんど同じメンバーで過ごします。
それまで神童とも呼ばれて、そして実際ある程度のインテリジェンスをもった集団ではあるので、どこの大学でも入学時は将来に夢と希望を持った人が多いでしょう。
するとやはり「将来はどんな風になりたい?」みたいな話にもなり、「外科医になってバリバリ手術しまくりたい」「家の病院を継いで地域を支えたい」「なんとなく内科とか良いかな」「コウノトリを読んで感動した!」など様々な事を言う人がいる訳です。
その中に100人中5人くらいでしょうか、「iPS細胞凄い!再生医学やりたい!」「基礎的な医学研究をしたい」などと言う変わり者が混じっています。これらの人が医学の基礎研究に興味がある人達です。
さて、夢と希望ばかり語っていても何も始まりません。医学部という所は医学を学ぶ所です。入学すると教養科目→基礎医学→臨床医学→臨床実習という順で学んでいきます。
そして5年生くらいで「将来はどんな風になりたい?」ともう一度話すと、当初基礎研究に興味があった人も「市中病院に行って多くの症例をみたい」「マイナー科の医者の生活に憧れる」等の意見に変わっている訳です。
もちろん、意見や進路を変えることは誰でも持っている権利だと思いますし、それについては何も思いません。ただ「あれ? 入学時は基礎研究に興味ある人もう少しいなかったっけ?」という感想を持つ訳です。
つまり、気づいたら基礎研究を進路として考えてたのは自分だけになっていました。
ただ、やはり医学部の生活を経験した身としてはそれも分かるなと感じてしまう訳です。
そんな事を次に書きます。
医学部はやはり忙しいです。しかし、大量の試験や実習でも効率よく通すことのできる必勝法があります。それは「人と違う事をやらない」です。
実際、僕も試験勉強に関しては他の人と同じ事をしていました。正直、それって考えるコストを全て外注できてしまうので凄い楽なんですよね。
そこで「そうか、人と違う事をやらなければ、上手く行くんだ!」という考えを持つと、まず基礎研究という進路は無いと思います。
何故かというと臨床に進んだ場合の初期研修制度、専門医制度というのが(皮肉抜きに)非常に良く設計されているからです。
言い換えると「○年の内にするべき事」がリスト化されていて、それをクリアすると有効な資格が取れるので、非常に良くシステム化されている訳です。
極め付けは臨床実習で様々な科を回ると「学生さん、何科志望?」とほぼ確実に聞かれます。
聞いている方は特に意識していないと思いますが、つまりは「この研修システムの中に入って、最終的には専門医を取って、そして臨床医として働くんでしょう?」という空気感を臨床実習で浴びる訳です。「そうか、人と違う事をやらなければ、上手く行くんだ!」という考えがあれば、その空気感に飲まれて基礎研究は選択肢として無くなります。
そこで「基礎研究に進むつもりです」というと何と言われるでしょう?
答えは「(いきなり興味がなさそうに)ふうん、変わっているね」です。
もちろん全員ではないですが、感覚的に質問してきた人でこういう対応をするのは75%という所でしょうか。
まあ、しょうがないですね。でも、この空気感というのは結構辛いです。
僕は比較的気にしない方ですが、日本人なので空気とか読んじゃいます。
補足としていうと、卒後数年の待遇は研究or臨床で全く違います。
これに関してはもはや言うのも野暮ですが、月収30万円の研修医vs学費を払う大学院生という事です。
3.「ボクと契約して研究医になってよ!」〜MD-Ph.Dコース〜
遠回りしましたが、本題です。
とにかく医学部出身の研究者が少ない!と言われているらしく、偉い人たち(http://www.chnmsj.jp/kenkyuui_jouhou_corner.html)が様々な大学でMD-Ph.Dプログラムというのを始めました。これは医学部6年間と大学院3~4年間がセットになったものと考えれば良いです。
(書くついでに調べてみたら、文部科学省の強いpushがあったみたいですねhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/02/1352252_3.pdf)
幸いにも僕の大学でも始まり、参加しましたが...なんとも言えません。
学校によっては飛び級を認めたりしているらしいですが、少なくとも僕の大学では「授業料相当の奨学金を支給します」みたいな感じだけであり、HPを色々みても他の大学でもそんな感じらしいです。
正直、これだけ大々的に研究医不足の危機感を煽っておいて、実際の支援内容が乏しすぎると思います。
幸い、自分はこの2点に関して個人的な事情でどうにかなりましたが、初期研修並みに上記二点が保証されるシステムとして確立しない限り、基礎研究にいく医学部出身者なんかいなくなると思います。
少し、愚痴っぽくなってしましました。しかし、現在自分の置かれている状況は総合的に見ると満足しています。
医学部を卒業してフルタイムで没頭できるようになると、研究も本格的にできます。
更に幸せな事に、良い指導者を見つける事もでき、研究者として生きて行く事を応援してくれるような環境も手に入れる事も出来ました。
もちろん条件検討に次ぐ条件検討で上手く行かなかったりもしますが、新しいデータ(もちろん裏には大量のNegative result)が出たりすると最高にワクワクしますし、それをもとにディスカッションするのは面白いです。
一度振り切れてしまえば楽しいです。なので、もし読んでいる人で研究医になりたいという人がいたら、是非そのまま突き進んで欲しいと思っています。
指導者からは研究できるポストが無限にある訳ではないし、将来も不安定だよと言われたりもしますが、それでもチャレンジする価値はあるのかなと考えています。
以上の僕の経験から研究医になりたいという高校生・医学部生にアドバイスを送るとしたら
です。
また、もしこの文章を読んでる「偉い人」がいたら
もちろん、僕も今目指している過程なので、偉そうに言える立場ではないですが、少しだけその世界に足を踏み入れている分、思った事を書かせて頂きました。
ここまで読んでいただいた奇特な方へ、ありがとうございます。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
上記記事の内容を大まかに説明すると、教育における「親の年収格差」に加えて、「東京と地方との格差」も大きいのではないかというものである。
主張として同意できる部分があるものの、やや違和感を覚えたので増田に記したい。
上記記事の阿部氏は、東大入学時に、阿部氏と同級生との家庭環境の違いにショックを受けたようだが、私の場合、大学より前の高校入学時点でそれを体験した。
私は、公立王国である地方某県No.1の高校から、都内の某文系国立大に入学した。受験難度的に、東大より下だが早慶よりは上の大学である。
生まれてから上京するまで、築30年以上2Kのアパートに家族4人で過ごした。当時は受け入れがたかったが、控えめに言っても貧乏な部類に入る家庭だった。
地方と言えども、県No.1の高校ともなれば、同級生の親は医者・弁護士・経営者等が多数を占める。大規模な牧場経営者などもいた。一流企業のサラリーマンは割合的に少なかったと思う。
(地方の場合、一流企業のサラリーマンは東京本社から単身赴任しており、子供は東京に残しているケースが多いのかもしれない)
親の平均年収は1000万を超えていてもおかしくない。言わば地方豪族である。不動産価格や物価が低いにも関わらず、年収は高いわけで、可処分所得は東京の一流サラリーマンより多かっただろう。
私の家庭は貧乏だったので、高校の同級生は違う世界の住人なんだと感じたものである。
阿部氏の場合、高校ではそうした格差を感じなかったのだろうか?
もし感じなかったとしたら、高校の偏差値はあまり高くなく、何年かに一人現れる神童タイプだったのだろうか。
阿部氏は釧路出身とのことだが、釧路トップの釧路湖陵高校、北海道全域で見れば、札幌光星や札幌北・南・西・東などの高校なら、おそらく親の平均年収も高いはずだ。
つまり、地方の中でも平均年収や教育関心の高い層が存在しているわけで、地方が全てダメというわけではない。結局のところ、「東京と地方との格差」というよりは、「親の年収格差」のほうが遥かに大きいのではないかと感じる。
阿部氏の言うように、地方特有の閉塞感、都会に出るのを否定される空気は確実に存在するし、県どころか、町を出るのすら反対されることも少なくない。だが、こうした傾向は、年収の高い家庭、平たく言えば合理的な思考ができる家庭においては当てはまらないことが多い。やはり、「親の年収格差」なのである。
念のため説明すると、地方の場合、東京の港区のような「年収が高い人が住むエリア」が少ない。というか、年収と住むエリアが密接にリンクしておらず、年収の高い層が片田舎に住んでいることが多々ある。東京なら、年収の高い層が港区や田園調布などに集中しているのかもしれないが、地方の場合、それぞれのエリアが東京ほどブランド化されていない。「お金持ちの住む街」、「ガラの悪い街」という区分けが、そこまで明確には存在しないのだ。
繰り返すが、エリアの格差よりも、「親の年収格差」のほうが大きいと思う。
まぁ、とはいえ、地方は受験産業が発達していないのは事実である。東京では有名なSAPIXも地方ではほぼ見当たらないし、中学受験も一般的ではない。受験してまで通うに値するような私立中学がない県も多いし、あったとしても、中学はあまり重視されていない。地方で重視されるのは高校であり、出身大学より出身高校が学歴的意味を持つことも多い。「どこ高?」とは聞かれても、「どこ大」と聞かれることは少ないだろう。
そうした意味で、阿部氏の言う「東京と地方の格差」に一定の理解はできるものの、それでもやはり、「親の年収格差」のほうがクリティカルな要因だと思う。地方で年収が高い層は、地方の衰退していく現実を直視しているし、子供を東京の一流大学に通わせることへの抵抗が少ない。地方の有力経営者の場合、いずれは子供に会社を継がせる意志があっても、まずは東京の大企業で修行してこいというパターンも多いだろう。
似たような田舎町に住んでた事があるけど、
その辺に普通に進学塾(全国チェーンだが)があって「増田益男、〇〇大学合格!」とか書いてあるんだよな。
その大学名もでかでかと掲げられてるのは東京の有名大学ばかり。東大ってのもいた(地元の神童扱いなんだろうなこいつ、と思った)。
東京の大学より地元の旧帝に行く、って人が大多数の地方中核都市出身者としては、
もっと田舎だとどうせ自宅離れて進学するなら東京の有名大に、ってなるのかもしれないと思った。
まして釧路には医学部に10人入れる学校があるようで。それ進学校だよね?勿論その田舎町に進学校など存在しなかったけど、それでも上記の通りなのに。
「田舎は東京より遥かに遅れている」ってのも一種のポルノであって、
その著者はそれに合わせて本売る為に話盛ってるだけなんだろうね。
というハッシュタグが軽くバズっていた。間違った判断の話、合っていた決断の話、将来の配偶者との出会い話、果たせなかった告白の話、などなど。私も最近人生を振り返ることが多い。後悔は主に高校から始まっている。なまじ全入だったせいか、少し実力以上の場所に入ってしまったようで、幾つかの科目でついていけなくなった。親は家庭教師をつけようとしてくれたが、勉強が嫌いになってしまっていたので、全く受け入れらなかった。あの頃はまだ本を読むのは好きだったな。小中学校は何も勉強しなくてもクラスで3位以内をキープしていた。勉強をしていないのにできる、ことが自慢だった。授業を真面目にうけず教科書を最後まで読んで、あとは適当に遊んでいた。あそこでスポイルされないよう、何かしらのフィルタをかけておくべきだったんだろうと思う。せめて中学受験とかね。親は公立派だった。いじめも幾らか受けた。隠されたり金を取られたりレベルではなかったが「気持ち悪い」「汚い」「臭い」系のもの。あれは長らくの自己評価の低さに影響しただろうし、いま過剰に自己肯定に勤しんでいることにも影響はあるだろう。加害者を恨んでも仕方ないとは思うが、子供のしたことだと許す気にはなれない。もし仮に何もかも失い自暴自棄になったとしたら、彼らの子供を害してやろうか程度の恨みはある。私が100人居たとして、もっとも生き方を失敗した一人は実行に移すかもしれない。いじめなんてするもんじゃないぞ。小中学のいじめと、それに対し「勉強はできるんだ、あいつらとは違う」という自負。高校は階層分けされいじめがなくなったのは良かったが、勉強の自信は粉々にされた。それで大学には行かなかった。興味を持てなかった。親がもう少し上手くやってくれてればな、と思わなくはない。私の教育には失敗したと言えるかもしれない。彼らは恐らく公平であろうとした。学歴差別を利用しなかった。人間的にそれは褒められるべきことだとは思う。30過ぎても逆方向の学歴コンプレックスを抱えた人間は少なからず存在する。彼らは他の部分の魅力を創り出すことに失敗してしまった。私が当時学歴差別を埋め込まれていたとして今より幸せな生活だったかは正直なんとも言えない。ただ、勉強がもう少し好きだったらと思わなくはない。いまは少し勉強をしたい気持ちがある。当時にして9割以上が大学に進学する高校から、私は専門学校に進学した。大好きだったことを仕事にしたいと思った。それ以外のことに興味はなかった。入学してからひどく後悔した。一年次、父親に「やっぱり大学に行こうかな...」と言って「今さら何言ってるんだ」と言われた。今ならもう少しうまくプレゼンできるんだけど、当時はすぐに諦めてしまった。うーん。本当に大学に興味がなかったんだよなぁ。幾つかの大学名くらいは知っていたが、ランクなんて東大くらいしか知らなかった。ランク付けとか下品だと思ってたんですよ。インターネットはあったけど、まだ2chすら無かったんじゃないかな。あと数年遅かったらインターネット的な偏見を身につけて逆に勉強してたかなぁ。わからん。後悔はあるんですよ。うーん。今からでも大学に行く? 今は勉強自体はそこまで嫌じゃないし、受験勉強くらいしてもいいような気はするけど。経済的な余裕もあるし、4年やそこら社会を休んだところで仕事が見つからなくなるような職種でもないし、手を錆びつかせるほど鈍ってないとも思ってるけど。そんなにコンプレックスが強いならそれもいいんじゃない? 専門学校はまあ、客観的にはひどい代物だったと思う。払った金額に対して授業内容は薄かった。でもまあ楽しかった。それはやりたいことだったし、3年ぶりに神童に戻れた。毎日好きなことがやれて嬉しかったし、学校の課題には3倍くらいの量を提出していた。いい時期だったよね。向いてた。もっと子供の頃からやってれば良かったなと思う。中学校からこれをしてれば良かったかなぁ。まあ昔の話だ。後悔が色々とあるんですよね。まあ。取り戻していくこともできるかもしれないけど、そこまで若くもないんだよな。第二の人生がんばるぞ! みたいなことを言いたい。ハングリー精神を完全に失ってしまったし、でも今さら立場を手放せない。いままでフロンティア精神で頑張ったことはあんまりなくて、いつも受動的に追い詰められてから決めていた。今。これから自分の未来をどうしていくべきか。いい年になってしまった。どうしたら。どうしていくか。どうしようか。学校は悪くないかもなぁ。日常の通う先を変えたい気持ちがある。うーん。