はてなキーワード: 知的障害者とは
自分はオリンピック反対派でオリンピック応援するのも嫌だと思ってる立場だ
伝染病が流行っててリスクが高い終息もしていない時期に大量の関係者が集まらないといけないスポーツの祭典をなぜやるのかと憤慨している
鈴木宗男とは真逆のオリンピック反対派だが、蓮舫のようにオリンピック反対してたくせにオリンピック応援してる見てる人間は気分が悪い
そもそものところ、やるべきでないタイミングで人が集まるスポーツの祭典を実行しようとするIOC、政府、東京都などに不満がある
ただできれば選手個人それぞれの意思でこのタイミングでオリンピックをやるのはおかしいと辞退してほしかった気持ちはある
まともな思考、理性があれば、このタイミングでオリンピックをやるのは無理だと判断できるのが普通だと考えるからだ
そういう判断をし辞退の決心や行動をできる選手がほとんどいなかったので、結局彼らも弱い流される立場の人間なのだろうと受け止めている
本題に戻すが、オリンピック反対派でオリンピック応援している人間は3歩歩いたら記憶をなくしてしまうような鳥頭の人間なのではないか
オリンピックを反対したのに、オリンピックを応援するその思考や感情が理解できない
もう少し筋を通すとか整合性を気にするとか全体の流れを考える力がない知的障害者か何かの類ではないかと愕然としている
オリンピック反対をしてたくせにオリンピックを応援し、そして今オリンピック期間中にコロナの新規感染者増加が止まらず過去最高を塗り替えていく
医療崩壊も止められず緊急搬送ができず死ぬ人が出たりするだろう
そういった流れになる可能性がとても高い
オリンピック反対をしてたくせにオリンピックを応援してる人に聞きたい
やっぱりオリンピックやるべきじゃなかったとオリンピック応援してた後に思った時にどうするんだ?自分が恥ずかしくなったりしないのか?
オリンピック賛成派から見てもオリンピック反対派から見ても、オリンピック反対をしてたくせにオリンピックを応援してる人は思考や感情の整合性が取れないヤバい人間の類になってしまうのではないか
そいつはよく、周囲の空気を読まずに場違いな行動を取ることが多くて、そのせいで周囲から軽いいじめのようなものを受けていた。
パワー系の知的障害者だったので、本気で向かってこられたら勝ち目がないのが周囲もわかっていたので、そこまでいかないように手加減しながらいじめていた。
いじめの内容は、軽く小突いたり蹴ったりする程度のもので、誰もそんな深刻に捉えていなかったと思う。とはいえ、本人は自分がそんな扱いを受ける度に、悲しげな表情を見せていた。怒ることもできないし、反撃することもできない。感情の行き場を失ったようなあの表情を今でもよく覚えている。
ある時、母にその生徒のことを話す機会があった。
同じクラスに知的障害を持った生徒がいて、ちょっといじめられているっぽいことを伝えた。
すると母は、突然真顔になって、
と言った。
私は母からそんなことを言われても全く気にせずに、それまでと変わらずその生徒をいじめ続けた。
それからしばらくしたある日、母と話していた時に、母のパート先の職場の話題になった。
母のパート先に、知的障害者の従業員がいて、その人が仕事ができない為に周囲を困らせているという内容だった。
「ある程度の規模の会社やと、ああいう人を採用するように法律で決まってるらしいねん。いややわ」
母は悪びれもせずにそう言うと、職場の全員でその人のことを無視したり、その人に重要な連絡を伝えなかったりとか、そういうことをしているんだと話した。
私は母に、
「それっていじめやよ。やっぱりそういう人がいると、そういうふうになってしまうやろ?」
と、皮肉を込めて言うと、
「だって、かわいくないねんもん。あの人もかわいかったら、優しく接してもらえるのにな」
と言った。
周囲からかわいく思われるように振る舞ったりできるわけないだろう。それができないから障害者なのに。
私は母からその話を聴いて、大人になってもいじめがなくなることはないし、そこには物理的な暴力が介在しない分、精神的な陰湿さが倍増しになってくるんだなということを学んだ。
そして、私のクラスにいたそいつも、この先大人になってもずっとそんな扱いを受けていくんだろうなと思うと、なんだか気の毒になってきて、それ以来、私だけはいじめるのをやめた。
もう手を出すのはやめて、そいつが自然にみんなの輪の中に入ってこれるように声をかけるようにしたりして、そいつができるだけ孤立しないように気を使うようになった、
それで何が変わったわけでもないけど、あいかわらず周囲からは小突かれたりしていたけれども、それでもみんなと一緒に遊んでいる時にだけは見せる笑顔を見て、私は少しほっとしていた。
今はそいつとは疎遠になってしまっていて、どうしているのかはわからない。うまく社会に溶け込めていたとしても、こんな世界だから、たぶん辛い思いをしているんじゃないだろうか。
でも、どんなに辛い時でも、中学時代にみんなと遊んで楽しかった記憶がほんの心の片隅にでも残っていたら、それがそいつにとっての支えになってくれていないだろうかと、そういうふうに思う。
ここ数日、小山田の件を眺めていて、そんなことを思い出したりしていた。
私は父親から虐待と言えるレベルに理不尽で厳しい叱責を受けてきた
そのためサザエさんで波平がカツオを怒鳴りつけているシーンを見ると当時のことがフラッシュバックして傷つくし、
だから長谷川町子は即刻サザエさんの作者から解任されて謝罪すべきだ
これは私にだけ謝罪して済む話ではない
父親から虐待を受けた世界中の人々に長谷川町子は謝罪する必要がある
どれだけ創造的な人物であろうと、父親による虐待の被害者をあざ笑う権利はない
また、私はADHDを持っている上に知能が低いのでMr.ビーンを見ているとまるで自分のことが笑いものにされているようで傷つくし、
だからローワン・アトキンソンは即刻Mr.ビーンの作者から解任されて謝罪すべきだ
これも私にだけ謝罪して済む話ではない
世界中のADHD持ちの人々と知的障害者にローワン・アトキンソンは謝罪する必要がある
さらに、ADHD持ちや知的障害者の親兄弟などにはMr.ビーンのことを聞いて傷ついた人もいるだろうから、
ローワン・アトキンソンがコメディに関与することは世界にいる1億人を超えるであろうADHD持ちや知的障害者の現在を侮辱することになる
虐待被害者や障害者をネタにすることが不謹慎で人を傷つけ言語道断であるのなら、
長谷川町子とローワン・アトキンソンは解任されて謝罪すべきだ
何年も前の話になるが、ある夕方に普段は行かないような土地の通りを車で移動していたら、
バス停のベンチに、20代後半ぐらいの男性が足を組んで座っていた。ムスッとした顔で、黙って前を見ていた。
それから間もなくして、そのバス停の前を下校中の高校生の集団が乗ったバスが素通りしたのだが、
その際に、男子高校生らが開いた窓から顔や腕を出して男性に手を振りながら大きな歓声を送った。
すると男性が立ち上がって、真顔のまま両手でピースをしながら大声で「いえ~い!」と叫んだのだった。
奇妙な光景だったが、男性はおそらく知能ないし精神にトラブルを抱えているのだろう。
それが地域の生徒らに周知され、珍獣として面白がられていたわけだ。
コーネリアスの件で、障害者をいじめることが健常者をいじめることよりも非常識であるかのように
言われているが、本当にそうだろうか。通常のコミュニケーションに支障があるような人物は、
身体障害者はインターネットでは健常者と変わらぬフラットなユーザーの一人でしかない。知的障害者は重度であればネットにはアクセスしないだろうし、軽度であってもせいぜい「少し変わってる」程度でブレの範疇でしかない
しかし統合失調症はそうではない。とにかくインターネットのおもちゃとして相性が良すぎる。なまじ知的レベルは高く、一見するとまともなことを言ってるように感じさせつつ、よくよく耳を傾けると変なことを言っている
しかも良くないのは、インターネットではこちらからも糖質にアクセスできる。レスバしたり、ラジコンにしたりできる。ネット越しであればこちらが燃やされることもないから好き勝手にいじれる
90年代の「いじめってエンターテイメント」は批判されたが、実際に現代では「岩間ってエンターテイメント」になっている
糖質をウォッチするのはツイッターなどの文字ベースのコミュニケーションでも面白いし、もちろん動画のようなリッチコンテンツでも面白い。一般人に「剣持って俺のことか???」と絡む著名人が面白くないわけがない
ほかの精神疾患と比べても糖質だけピックアップされてネットのおもちゃになってしまう。その娯楽性がインターネットと相性よすぎるのがよくないんだと思う
オリンピックの開会式の楽曲を担当する小山田圭吾さんの過去のいじめ(という名の凄惨な虐待)が
世間に渦巻く東京オリンピックへの反感に引火して、大炎上を起こしている。
今、世間はオリンピックを歓迎してない。おもてなし出来る雰囲気ではない。
特に首都高1,000円増しなどの政策はオリンピックに関心ない都民にも負荷をかけるので、
このオリンピックは佐野研二郎氏のロゴパクリ疑惑、森喜朗氏の女性蔑視発言などしょっちゅう炎上事件を起こしている。
この先の展開は全部同じで、組織委員会が本人に謝罪か釈明をさせて、続行とするが、それでは不十分と再炎上、
次々と追撃されて、損害がどんどん拡大し、圧力が限界に到達して、辞任させざるを得なくなる。
オリンピック組織委員会は問題を過小評価してしまい、損切りができない。
小山田圭吾氏もこれから海外報道に飛び火して、最終的には圧力が限界に達して、切るしかなくなる。
一方でトヨタはオリンピックCMを放送しないという決断を下した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/29eb18c22249c6022a450750d97dd9dbdbb34035
既に東京オリンピックに莫大な広告宣伝費を投入しているにもかかわらずだ。
この判断の速さと正確さには舌を巻く。
そもそも東京オリンピック自体損切りしてしまえばよかったが、膨大な投資をしてしまったので、その判断ができなかった。
「国民の生命を守るためにオリンピックを中止する。この決断の信を問う。」と解散総選挙してれば菅義偉さんでも勝てたかもしれない。
おそらく秋の総選挙は都議選の二の舞だろう。強力な政府がいなくなり、不自由するのは国民の方だ。
小山田圭吾さんについてだが、30年以上前に彼と彼の仲間がいじめ(というのなの凄惨な虐待)を行っていたのは事実だろう。
彼のインタビュー記事からは知的障害者への強烈な軽蔑が感じられる。自分より劣った弱い人間に対して、当時としても傷害罪に当たるような虐待を行っていた。
そのことを成人後に雑誌で誇らしげに語っていたのは、確かに90年代の時代背景もあるだろう。
過去の事件を現代の価値観から断罪するのは不当という意見もわかるが、やはり当時としても犯罪行為だろう。
東京オリンピックの開会式の楽曲担当という彼のミュージシャン人生の最高到達点(何故彼なんだという議論は置いておく)で
30年以上前の知的障害者へのいじめで、大炎上し、彼を選考した広告代理店の担当者、オリンピック組織委員会、彼の協力者に
莫大な迷惑をかけながら、最高到達点から最低到達点に引きずり降ろされるだろう。
個人的に人生の貸し借りは最終的には解消されると思っている。言わば小山田圭吾さん10代に行った知的障害者への虐待という”巨大な借り”は
50代の人生の円熟期のまさにピークで返済を迫られているわけで、イソップ童話のような話がまさに展開している。
彼はとんでもなく苦悩しているだろうが、まさにそれは人生の貸し借りの返済を迫られているものであって、
今回の事件にどのように対応するかは小山田圭吾さんの人生の可否に通ずると思う。
(追記)
小山田圭吾氏の留任 組織委があらためて強調「貢献は大きなもの」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4e4e3d2c6ffe2798f060409602ebfc621c5f059?tokyo2020
これは悪手だな。「高い倫理観を持って創作活動するクリエーター」という表現がとても良くない。
倫理観がないから、こんなことをしてるんじゃないかとツッコまれるし、
結局、小山田圭吾さんを切るまで際限なくダメージが膨らむ。大会は数日後なのに。
何でこんなに運営が拙いんだろう。
「東京五輪2020の作曲家が障害者の同級生に対する昔のいじめを謝罪("Tokyo 2020 composer apologises for historical bullying of disabled classmates")」2021/7/17(Sat)
2020年東京オリンピックの開会式で音楽が演奏される予定の日本人作曲家が、知的障害者を含む学校の同級生をいじめていたという報道を受け、謝罪しました。
2020年東京オリンピックの開会式で演奏される作曲家の一人である小山田圭吾氏は、自分がオリンピックとパラリンピックに関わることで「多くの人に不快な思いをさせてしまった」ことを大変申し訳なく思っていると述べました。小山田氏は自身のウェブサイトで「心よりお詫び申し上げます」と述べています。
組織委員会の前会長である森喜朗氏は、2月に女性のスポーツ管理者に対する性差別的な発言で辞任に追い込まれた後、このような恥ずかしい出来事が起こりました。
その翌月には、開会式と閉会式のクリエイティブ・ディレクターである佐々木宏氏が、人気女性タレントの渡辺直美さんを豚に例えて辞任しました。
コーネリアスとして知られる小山田氏は、1990年代に受けた雑誌のインタビューで、少なくとも一人の障害者の同級生をいじめていたことを明らかに反省していないように話していたことが報道され、ソーシャルメディア上で炎上しました。
小山田氏(52歳)は、ある少年にウンチを食べさせたり、他の生徒の前でオナニーをさせたりしたとのことです。
小山田氏は、当時の自分は「非常に未熟だった」と述べ、自分の行動やその後のコメントを「深く反省している」と語り、式典への参加に否定的な反応を示す人がいるのは「当然のこと」だと付け加えました。
東京2020組織委員会は、不適切な発言があったことを知らなかったとしながらも、小山田氏が「インタビュー時の発言を後悔しており、考え直している」と述べました。 また、小山田氏は開会式に「多大な」貢献をしたとし、「高い倫理観を持った人物」として、開会式の最終準備に専念することを期待していると述べました。
東京2020の最高責任者である武藤敏郎は、小山田が謝罪したことに触れ、開会式まであと6日となった時点で、彼がクリエイティブチームの一員として残ることを示唆しました。
武藤は、「小山田は過去の行為を反省し、より高い倫理観を持って行動したいと言っている」と述べました。
「組織委員会が小山田の行為を知らなかったのは事実ですが、彼の謝罪を聞いて、これからも東京大会に貢献してくれることを期待しています」と述べました。
スペシャルオリンピックスの起源は1962年に遡ります。ジョン・F・ケネディ元大統領がダラスで暗殺される1年半ほど前、元大統領の妹であるユニス・ケネディ・シュライバー氏がケネディ邸の庭を解放し、知的障害者らを集めてデイキャンプを行いました。
このデイキャンプが行われたきっかけはケネディ家のお家騒動でした。デイキャンプの21年前、ユニス氏の姉であるローズマリー・ケネディ氏が父親の独断でロボトミー手術を受けさせられ、重い知的障害を負ってしまいます。それからローズマリー氏の存在は厳重に秘匿されていたのですが、ジョン・F・ケネディ元大統領の就任によって明るみとなり、激しい批判に晒されました。
最初のデイキャンプにはそうした批判をかわす目的があったのです。しかし、知的障害者のレクリエーション参加という新たな可能性が示唆されたことで手ごたえを感じたケネディ財団は、同様のデイキャンプを北米各地に広げる助成活動を始めました。
ただ、予選でわざと手を抜いて下位グループに入り決勝で圧勝しようとする企みも無いわけではありません。それを防ぐために「マキシマムエフォート」というルールも採用されています。マキシマムエフォートとは「最大限の努力」を意味する言葉で、予選と決勝の成績に15%以上の差があると失格になるルールを指します。これによって予選から全力で競技にあたる風土を形成しています。勿論、失格になった選手にも表彰台でリボンが授与されます。
これはよく考えられたルールだね
どっちかというと、身体障害者と知的障害者を同一に扱うことで、真にどうしようもない知的障害者には触れずに身体障害者を救うことで「俺たちは障害者(知的障害者も)に手を差し伸べているんだ」と安心したいという健常者大衆の傲慢かつ身勝手な欲求から意図的にそうなってるんだと思うぞ。
パラリンピックに知的障害者なんてほんの一握りしか出てないぞ。
539種目のうち、22種目だけだ。
パラリンピックの出場者はほとんど「身体障害者」てこと知らないんじゃないのか?
批判してる奴は、知的障害者と身体障害者は同じって思ってないか?
一括りにしてないか?
全然違うんだが。
そういうのは差別だと俺は思うよ。
「障害者ガー」って言うけどさ、
ちゃんと分けろよ。
じゃないんだよ。
なんだよ。
そこはめちゃ大事なんだよ。
区別してくれ。
批判してる奴は、知的障害者と身体障害者を一括りにして「障害者」と呼んでるから
おかしくなってるんだよ。
だから、
「知的障害者をいじめてた小山田圭吾を採用するな!」っていうのは
もし批判するなら、
「もっとパラリンピックに知的障害者を参加させろ!差別するな!」
とかじゃないのか?
スペシャルオリンピックスという知的障害者のスポーツ大会がある。
スポーツを楽しむことにフォーカスした大会で、4位以下にもリボンが贈られるなどされる。
なんかね、パラリンピックは障害者のスポーツ大会って思われてるのが気になるんだよ。
なんか知らんが、良いイメージ。
そんな大会に、小山田圭吾みたいな障害者をいじめてた奴が音楽提供するのはけしからん、みたいになってる。
でもさ、パラリンピックって、ほぼ身体障害者のスポーツ大会だよ。
あと、聴覚障害者の参加枠もないんだよ。
これって差別じゃない?
詳しく書くと、パラリンピックの知的障害者の参加枠は、22競技中3競技しかない。
でも陸上だって、さっき数えたら167種目中8種目しか種目がなかった(ちょっと誤差があったらすまん)。
あとは身体障害者の種目だよ。
そもそもパラリンピックは強いものに価値を見出す大会だからさ。
障害者の中で弱肉強食やってるんだから、共生や多様性とは程遠いんだよ。
パラリンピックが小山田圭吾を採用したのは、こういう経緯があると思う。
パラリンピックは知的障害者の参加は少なく、聴覚や精神障害者の参加はない。
直球差別だろうが、ダウン症って顔さえ特徴的でなければもっと歓迎されてたんじゃないだろうか
出生前検診でダウンが分かっても生む夫婦が増えてたんじゃないだろうか
ダウン症は気が良くて優しい人が多いとよく言われている
これって、障がい児を育てる上でかなり有難いことだと思う
同じ知的障害でも自閉児のように、親さえなかなか認識しない、拘りが強く頑固、パニックを起こす等の特性があると無茶苦茶育てづらい
何より親の心を折るのは、自閉児にどんなに愛情をかけて育てても、それが(目に見えて親が期待するような形で)返ってくることがなかなかないことだろう
それに対し、ダウン症は知的障害を伴い健常児のようには「出来ないこと」が多いが、心の意思疎通は小さいうちから比較的取れる
健常児のそれとは異なるが、社会と関わりを持ち、福祉の助けを借りながら生きていくことができる
親が、自分の子はダウン症なのだと受け入れさえすれば、本人も親も「ハッピー」に生きていけているように思う
しかし、ダウン症持ちと関わりのない人にとって、彼らの特徴的な見た目は自分とは異質なものであることを強調し、共感的な関係を気づくことを邪魔する
ダウン症は知的障害の中でもメジャーであるから、ダウン症顔=知的障害者というイメージもあり、いっそう遠い存在と認識される面もあるだろう
顔も含めてダウン症ではあるのだが、ダウン症らしい顔と言うものさえなければ、ダウン症の人々はもっと社会に溶け込み、受け入れられていたのではないかなと思う
残念なことに、見た目の違いは壁をつくる要因だ
知的障害者を殺すのはだめです!
で?
じゃあ知的障害者の家族が原因で家庭崩壊して人生めちゃくちゃになった人は殺されてはいないからいいの?兄弟が知的障害者なことで学校でいじめられて不登校になって人生棒に振った人は?知的障害者が家族にいるという理由で結婚を許されなかった人は?家に30越えて字もまともに書けない知的障害者の汚いおっさんがいてそれでも性欲だけは立派にあるからその辺で汚ねえオナニーしてんのを見させられてる人は?障害者支援施設で働いた金でクソしょうもないマルチに引っかかって謎の浄水器とかを頻繁に買ってくるのに対応してる人は?そういう人たちは「死んではいない」から「殺されてない」ことになんの?人生はめちゃくちゃなのに?まあ自殺とかで死んだやつもいるけどな。それは自殺だからやっぱり殺されたわけではないっつーロジックになんのか。そのロジックとやらにどんだけ実質的な意味があんの?