はてなキーワード: 放送禁止用語とは
たぶん最初に議論を読んだだろう記事を読んだときは、「盛り上がってるオタクに正論を説いてもムダ」(意訳)「あなたたちはバカにされてる」(意訳)みたいな「現状に気づいてない踊らされてるオタクに真実を教えてあげるね」というような語り口が嫌で、不愉快になった。
うがった見方かもしれないが、私にはそう思えて、「声を上げることは正しいと思う。が、上げたいなら上げたい人だけでやって」とだけ考えた。
実際、「男尊女卑が徹底してないのにミソジニー要素がある=女性差別=ターゲット層の女はバカにされてる」という論法がよくわからなかった。
仮にそれが女性差別であるなら、差別されてるのはコンテンツ内の女で、購買層の女ではなくないか?と思った。
下品と評されるコンテンツ、或いはスプラッタとかディストピアもののコンテンツを見るからかもしれないが、コンテンツ内の差別(倫理観?)=現実のそれに値するとは思えない。
見るけどやらない、では駄目なのか。人を殺すゲームをやるけど現実では人を殺さないという常識は差別に適用できないのか?犯人はゲームの影響で…論説はけっこうネットで叩かれるのに、この話ではそういう「現実と切り離して考えよう」みたいなのが見つけられなくて、そこがよくわからなかった。
で、後日(というか今日)、ちゃんとしたとこの記事で同じ話題を扱ってるものを読んだ。
引っ掛かるところはあったが、考え方は少し変わった。最初に読んだ記事より共感できたというか、ヒプマイにミソジニーがあると感じてて、嫌だと思っている人がいるのなら、ダメなことなのだなと思えた。
(ちなみに引っ掛かったのは、不良とヤクザの「カマ野郎」「女の"放送禁止用語"にでも」という発言を取り上げて、「女性が男性を虐げているという設定ならこういう女性差別発言が許されるのか」としてあったところ。個人的にこれらのセリフは「女性に虐げられてるから」出たというわけではなくて、発言者がそういう人種だからだと思う。一因ではあるだろうが、別に女尊男卑世界じゃなくても、不良は女っぽい男を蔑んだだろうし、ヤクザは女を酒権力金と並べてトロフィー化して放送禁止用語を吐いたと思う。要するにキャラ付けの一環というか、そういうの)
二個目の記事は、よく知らなかったヒップホップのミソジニーについても解説してあって、そういう状況にあるコンテンツと密接に関わったものにミソジニーがあるのは、嫌な人もいるんだろうな~と思った。
実感はないけど、一個目しか読んでなかった頃みたいに「そう思う人だけそう思ってて」と割り切ることもできない。たぶん批判してる人の意見が正しいんだろうなと感じてしまったから。
どのコンテンツでもアンチ意見は見ないようにしてるから、それと同じように避ければいいか…と議論を目に入れないようにしても、アンチ意見とは違って内容が世間的に正しいだけに、SNSで何回も目につく。
その度に嫌だと思う気持ちと、そう思うこと及び正しい(のだろう)意見に賛同できないことへの罪悪感で気が滅入る。
批判を理解しよう、批判側に立とうとしても、どこかで「言っても創作物なのに割り切って見ちゃ駄目なのか」というこれまでのスタンスが引っ掛かっていて、そうなれない。
こんだけ話題になってるってことは、「創作物なのに」で許される範囲じゃないんだろうなとぼんやり思うが、ぼんやり思うだけで、どうしても実感として自分のものに出来ない。わからない。
1つは「パンチを当てたりすると溜まって超必殺技に使ったりするアレ」だ。
ゲーム実況では「ガイジ」という言葉はNGワードに指定されることが多い。
当然である。
孫悟空風の喋り方で「お前、知的障害者か?」と相手に話しかけているような光景である。
だがこれもNGワードになり始めた。
そこで更になまって「ゲージ」となった。
では、「ゲージ」はNGワードになるのか?
NOである。
「ゲージ」をNGワードにすれば二行目で述べた1つ目の意味での使い方をした発言まで不可能になる。
「ゲージ」はNGワードに出来ないのだ。
放送禁止用語をなんとしても使いたいという視聴者の情熱と、それをなんとしてでも阻止したい運営者・放送者の戦いは、遂に既存の言葉を汚染する所まで進んだのだ。
今後「ゲージ」がどういう扱いになるのかに注目したい
余計感じ悪いだろ。放送禁止用語みてーじゃねーか。
まんことは、女性器のことを指す。英語ではcunt、pussy、riseのスラングが相当する。接頭語「お」を付けて「おまんこ」と表現されることも多い。
以下については特記無き場合には、女性器そのものでなく、日本語における「まんこ」と言う語について解説する。 以下に詳しく表記されているように、テレビやラジオなどの公共放送媒体においては放送禁止用語の対象であり、ゲームなどにおけるプレイヤーの命名においては入力禁止用語に設定されていることが多い。これに対して男性器の俗称である「ちんこ」「ちんちん」などの語は放送禁止用語にされていることは少ない。「ちんちん」は物質そのものを指す用語であるのに対し「まんこ」は性行為を行なうことを指す用語でもあるため、特に女性軽視の象徴的な言語と定義されている。 同等の語としては、古語や日本語の方言に於いて、福岡県博多地方を中心に現在でも用いられる「(お)ぼぼ」[要出典][1]や、近畿地方から瀬戸内地方で広く用いられている「おめこ」や「おちゃこ」、沖縄県で現在でも用いられる「ホーミー」[要出典]等が挙げられる。
1921年に発行された『言泉』では、「まんこ」は陰門の小見出し扱いだった。しかし、現在では知名度が逆転し『広辞苑』第六版に収録された。また、斎藤光ら『性的なことば』では、まんことの単語が全国区のものとなったのは比較的近年のことであり、1972年に大阪で紅萬子がデビューしていること、1978年に京都大学のレガッタ大会において、「夕焼けのおまんた」というチームが出場したが大した騒ぎにもならなかったこと、更に1984年には1966年(昭和41年)生まれ、香川県出身であるタレントの松本明子が全国放送で、「おまんこ」と発しテレビ局を出入り禁止になる事件もあり、以上を根拠に、少なくとも関西圏では、めこはともかくまんこは周知されていなかったとし、全国に「まんこ」の影響が及ぶのは1988年頃の事ではなかったかと結んでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%93 より引用
ここにただの「こ」になったのに対して「ちん」をつける
最近のSNSを見ているとよく思うのだが、世の中には怖い「大人の世界」があり、自分はその世界の住人ではない、と考えている人が増えた気がする。
だから、業界人でもなんでもないのに「これ以上言ったら誰かに怒られそう」と勝手に忖度して自粛する例が後を絶たない。
ツイッターで「これ以上言ったら怒られそう」だと思うのも、居酒屋で喋っているのに「それ放送禁止用語だよ」とか言うのも、会社の企画会議で「そんなことやって大丈夫なの?」という発言が出るのも、もっと言うと今のマスコミが役人を徹底的に取材しないのも、どこかに怖い「大人の世界」があって、その世界の誰かに怒られそう、と勝手に行動をやめてしまう。
ほんとうはそんな世界なんて存在しない。いや、存在はしているのだが「今まさに自分がいる世界」なのだという自覚がない。
以前は陰謀論や都市伝説、あるいはヤクザ映画などがそういうイメージを醸成していたと思うのだが、今はインターネットが自給自足的に醸成している。
どっちかと言うと、そういう「自分が悪と認定したものに対しては何を言ってもいい」とか、
自分と異なる意見が存在すること自体否定してかかろうとする姿勢とかって、
左翼の側によくある悪癖だと思うけど?
デモを例に挙げると、ナチだのハーケンクロイツだの持ち出してレッテル貼りしたり、
放送禁止用語を使ったりというのは、いくら抗議でも、どう考えてもお行儀がいいとは言えない。
そして、お仲間のメディアも、こういうのを表立って批判しようとしない。
暴力や破壊といった行為に発展した時すら、まああいつが大統領やってる限りしょうがない、
この先どうなってしまうんだ、ぐらいの甘さだ。
逆に、トランプが負けていれば、おそらく支持者が似たようなことをやっただろうが、
そいつらが暴力に訴えた日にゃ、民主主義の敵とか言われて、徹底的に叩かれるに決まっている。
結局、そういう傾向は自分の敵にあるように、誰にでもあるのだと肝に銘じるしかない。
そりゃ、一般市民とメディアと大統領に求められるモラルが同じなはずはないし、
別に違和感というほど大したものではないのだけど、自分の中にはあげまん、さげまんに対する「え、それ使っちゃっていいの?」的な感覚がある。
あげまん、さげまんの後ろの「まん」は「ウルトラマン」の「マン」ではないし「まんじゅう」の「まん」でもない。
「まんこ」の「まん」だ。
Wikipediaによると「まんこ」の「まん」以外に「間」が転化したものと書いてあるが、世間の大半の人間は「まんこ」の「まん」だと思っているだろう。
検索してもWikipedia以外は「まんこ」の「まん」ということになっている。
まんこというのは世間的にあまり触れてはいけない話題、あまり言葉に出してはいけないことになっている。
放送禁止用語になっているし、ちんこと口にするよりも、まんこと口にすることにはためらいがある。
ちんこと書くのはいくらでも手が勝手に動くが、まんこは少しだけ意識して書かないとといけない。不用意に書けない。
女性器の洗い方が分からない、習わない的な記事も何年か前にはてなで話題になっていた。
そういう意味で、まんこというのは日本においてなかなかカジュアルに触れにくい話題であると思う。
こいつらはまんこだ。
おまんこの半分だ。
まんこ度高いにも関わらず、めちゃくちゃカジュアルに使われている言葉ではないか。
なんだかもうわけわからない。
サザンのマンピーのG SPOTみたいに、全部言わなければOKみたいな、多少隠れていればOKみたいな、モザイクが入っていればOK的な、そんな感じなのだろうか。
どうなんだそれは。
ねえ。見せて。
http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-1710.html
バカチョン技術となれば1000万もとれるわけもない。
バカチョンは今は差別用語として放送禁止用語になっているのである。
仮にもヘイトスピーチに反対するという立場をとっている人間たちがこのようなことでいいのだろうか?
チョンは江戸時代からある言葉で朝鮮人を表す差別用語ではないという擁護もあるかもしれないけど、そもそも朝鮮人を表す蔑称もそこから来てる。
なのでこれが差別用語でないというなら「シナ」とかもOKだろ。
あと、本論とは関係ないがツイッターのスクショをブログに貼るというツイッターの規約に違反する行為を行っていたり、
相手の言ってない事に対して反論したりして全体的に問題がある感じ。元のツイートでは文系学問は価値がないとかはまるで言ってないのだ。
まぁ批判の一部は読めば理解できるし、うまく書けているとは言えないと思う。
個人的には聴覚障害を持つ可愛い女の子が出てくるフィクションとして図書館戦争がある。
「え、出てきたっけ?」と言う人も居るかもしれない。そんなあなたはアニメ視聴者。レインツリーの国がそのキャラから生まれた派生作品だと、ファン以外にはあまり知られていない。
アニメでは色々な事情があったらしく、メインキャラにも関わらず出演シーンが無かった。酷いと思った。
スタッフも出したかったのか、特典アニメとしてその子がメインの話をアニメ化していた。
アニメ映画では1シーンのみ出てくる。
実写版では続編に登場した。時間の都合上1作目には出なかったのか、それとも「ま、今回は良いよね当たるかわかんないし」みたいな感じで出さなかったのか疑問はある。
方針か時代が変わったのか実写でそのキャラクターが登場して、少しホッとした。
スピンオフでは原作とは全く違う形で記者会見を開き、いわゆる「感動ポルノ」で訴えかけ始めたときは、頭をかかえ思わずテレビを消した。
まぁそんな風にしてあまり原作通り動かせてもらえていないキャラクターなのだが、ここで言いたいのは原作の話。
まぁいじめられてる描写が無いというのもある。彼女の周りで色々と問題が起こるというストーリーもあるのだが、彼女を気持ち悪いと思うことは無かった。
聲のヒロインは聖者のように描かれていた。無理に振舞っている部分を見抜かれ気持ち悪いと言われるものの、それぐらいじゃ彼女が聖女であることに変わりは無かった。
図書館戦争の彼女は嫉妬もするし人も避けた。聖者として描かれていなかったし、言いたいこともはっきり言っていた。
巻数を進めるごとに普通の女の子として描かれていたし、ある種それこそ「理想」であるかのような状況だった。
ここまで考えて分かったのは、聲の形のヒロインは健常者が障碍者に対する「こうあってほしくない」がつまったキャラなのではないだろうか、ということだ。
健常者の大半は「明るい障碍者」を好むのだ。ある種、自分の都合だろう。
言いたいことを言わない、遠慮をする、引っ込み思案でいつも申し訳なさそうに、そしてなにもかもを許してしまう。
そういう障碍者は多いだろう。そしてこれは障碍者だけではない。コミュニケーションがとれない人の多くはこうだ。
しかし世間でそういう人が好かれるのは難しい。もしかしたら聲の形が描いたヒロイン像は、こういうことだったのかもしれない。
また先にも書いたが、聲の形にはまともな大人がほとんど居ない。
ヒロインが自分をおしこめていくだけの環境は整っていたし、いじめがどうやっても解決できないだけの状況になったのも大人の責任だ。
しかし実際に、図書館戦争のように理解できる大人が周りに居ること。理解できる人と恋におちることができる状況はありえるだろうか。
もし聲の形の原作者がヒロインを「好きになってもらえるキャラ」として描いたというのなら、それはおかしいと言いたい。
だけど「リアルを描きたかった」と言うなら、ヒロインだけを見ると、もしかしたら現実を描いたのは聲の形だったのかと思う。
(ただ漫画全体を見ると付属要素にフィクションが多い。本当に許せるか?という疑問は残る。加害者と被害者の恋愛ものは時々実写であるので、その辺も考察していきたい)
うん。だからやっぱり好きなキャラクターは図書館戦争の鞠江になっちゃうね。
障碍者には言いたいことを言ってほしい。そういうことが言える環境に居てほしい。
この二人を比べた結果、そういうことを思うのだった。
このことについて、しっかり考えたことがあるだろうか。
害は果たして嫌なものなのだろうか。なにかに障害があるのは事実なのではないか。
龍と耳で出来た「聾」の漢字の何が悪かったのか。
「チンドン屋」と聞くと、
「あーほ、ばーか、ちんどんや!」
これって使っちゃいけない言葉なんでしょうか?
となると、実際にチンドン屋さんを見かけた時になんと呼べばいいのでしょう?
1)民放連側のに職業差別条項があるのみで、NHKでは問題ない。
そのなかでも、
3)自らの職業を紹介する際に「チンドン屋」というのは問題ない。(ex.百姓)
4)「誰々はチンドン屋だ」「何々はちんどん屋みたいだ」のような表現は、職業差別的発現と捉えられるので要注意。
5)「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」のような表現は、民放連の解釈だと、職業差別に当たるとし使わないように推奨されている。
6)「チンドン」「ちんどん」は楽器や現象を指すものであり、この問題とは関係がない。
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じつは法律はないのでそのものは犯罪ではありません。あるのは各放送局や放送団体で自主規制のために作った番組制作ガイドライン(通称:放送コード)だけです。なので、日本にはNHKのものと、民放連のものと2つ存在します。これを元に放送を制作している人たちが、「不適切だ」と判断した言葉が積み重なったものが、いま一般的にいわれている「放送禁止用語」のようです。そのため、この言葉がダメというのは明文化されておらず、過去の経験上「不適切」と処理されることの多い言葉を「ピー」で事務的に消しているというのが実情のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E9%80%81%E7%A6%81%E6%AD%A2%E7%94%A8%E8%AA%9E
「チンドン屋」という表現が「不適切」と判断される場合は、それが「職業差別」的な意図がある、もしくは、そう解釈もできる場合です。
なので、手っ取り早い回避策としては、「チンドン屋さん」という表現を使うことです。これは、「チンドン屋さん」は「愛称」なので言葉そのものに悪意は含まれていません。よっぽど悪意に満ちた使い方をしないかぎり(笑)。
また、「チンドン屋」は職業や業態を指す言葉なので、使い方によっては「不適切」になります。たとえば、自分自身の職業を紹介するために「私はチンドン屋です」という表現は何の問題もありません、差別にはならないので。
(私は百姓です。という言葉は放送上でも、よく使用されているようです。)
ただ、「〜〜〜は、チンドン屋だ」「〜〜〜は、ちんどん屋のようだ」のような表現には気をつけましょう。そこに悪意があれば「チンドン屋=悪いものの例」として使っていることになり、「チンドン屋に対する職業差別」が発生しますので「不適切」です。
問題は、「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」などの場合です。おそらくその表現をしている方には悪意はないのでしょうが、「チンドン屋」「八百屋」など「〜〜屋」という職業の呼称に歴史上、悪意を持って使っている時代があり、その悪意を受け取る側が感じる場合があるので、難しいところです。なので、その場合は「チンドン屋さん」「八百屋さん」と言葉を置き換えることによって回避しましょう。
一般的には、楽器、音楽、現象を指す言葉や擬音として使用されるものなので、問題はありません。ただし、「チンドン屋」「ちんどん屋」の略語として使用される場合もあります。その際には「チンドン屋」「ちんどん屋」と同じ扱いを受けるので、注意が必要です。
以上、ご参考になりましたでしょうか?
とりあえず言えることは、「さん」をつければ万事OKということです。
街で見かけたら、「チンドン屋さ〜ん!」と声をかけてみるといいかもしれません、きっといい笑顔で応えてくれると思います。
懐かしくて面白い! 2016年版チンドン屋さんまとめ - NAVER まとめ
なんせ「字幕」がない。
DVDやBlu-rayで字幕収録あるんじゃないかと探しても、あったりなかったりだから困る。
とくに自分の好きなジャンルのドキュメンタリーは字幕はほぼ、ない。
どうしても観たい作品は購入し、耳に悪いと思いながらもヘッドホン&大音量でなんとか鑑賞してる。
俺みたいな「耳が悪いから邦画観たいけど観れない」人ってかなりいるんじゃないだろうか。
映画界。つかソフト業界なんとか邦画も円盤化する時字幕追加してくんねーかな。
もしかしたらこれは福祉絡みの話だから国会の方に持ってくネタなのか?
2016.06.19 追記
最初はのっとりか?と焦ったけれど
どうやら放送禁止用語的“はてなコード”なるものがあるのかも。
で、それにひっかかると自動変換表示されるっぽい。
なんなん。
HAARPのことを何で報道・放送しないのかと言っている人がいたけど、イッちゃってる陰謀論者をわざわざ煽る必要はないだろう。
もしも「人工地震 HAARPとは?」なんて解説する夕方のニュースなんかが流れたら、たとえ陰謀論だと解説する内容だとしても人工地震陰謀論者界では大盛り上がりになるだろう。
人工地震陰謀論者A「おい、マスコミが人工地震のことやってるぞ!!」
人工地震陰謀論者D「マスコミの扇動には乗らないぞ~」(ワクワク)
人工地震陰謀論者E「放送終わった。。。反省会するぞ!!マスコミの偏向報道を検証だ!!!」
こんな風に、彼らは全力で反応してくれるだろう。
「キチガイ」という言葉が放送禁止用語になったのは、テレビの前のキチガイが俺のことかと暴れるからという話を聞いたことがあるが、それと同じだろうな。