はてなキーワード: 性愛とは
私が人生うまく行ってないから価値観が普通じゃないというのはその通り。
我ながら機能不全家庭育ちのオタクが性別や家族へ不信感持つパターンの典型だと思うし。
でも富野もアムロも普通にうまくいってる側じゃなく機能不全育ち側っぽいじゃん。
んで実際前半はいかにもこっち側なのに、いつの間にか保守側っぽい普通の人生と性愛肯定が出てくるのがわかんねーの。
人間関係や恋愛に絶望気味だった少年がヒロインとの出会いで愛に目覚めて……とかならわかるわけよ(その展開は私は嬉しくないし陳腐だと思うが、物語の流れとしてはわかる)。
でもフラウやファに対しては気むずかしげに突っぱねたりして隣に住む美少女というモテフラグをブチ折るほどちゃんと機能不全育ち感出してるのに、ララァやフォウには交流を通しての変化じゃなく出会ってすぐにキョドりもせずいい雰囲気作ったりしてさ、その辺が謎なのよ。
でもスッキリしないのが、「今という時に地に足を付けて考えてみれば、子孫を残す為に男と女がセックスをして女性が子を宿し、家族を形成してその子供を育てなければならない」という部分だ。
なぜ子孫を残さなければいけないんだろう?
たぶんこの違和感を突き詰めれば、現実の富野という個人がなぜ結婚なんかして子供を作ったのかが納得できないという話になる。
個人の人生として自由ではあるのだけれど、富野作品を見ると厭世や人間不信や苛立ちが漂っていて、結婚や恋愛なんかしなそうな人間に思えるのだ。
アムロやカミーユのような情緒不安定かつ奥手っぽい少年が、平然と、いっそスマートに男女交際できているのだって不思議だ。
書いていて自分でも整理しなおせた。
富野作品に漂う厭世観は、アムロもカミーユも富野も、孤独で生涯童貞で生きていく方がしっくりきそうだし私はそこにシンパシーを感じて面白く見れたのだが、しかし要所要所で性愛や子作りの肯定が暗示される、そこが繋がって内容で納得できないのだな、私は。
初代ガンダムの映画とZの映画とF91の映画と逆襲のシャアとリーンの翼を見た。
基本的にどれも面白かった(面白くなきゃこんなに見ない)んだけど、全体を貫く家族観というか男女観というかがどうも納得できない。
そして、軽くググったんだがその辺をうまく言語化してくれてる考察記事なんかも見当たらないので書く。
まず基本的に私は、男女に本質的差異はない……というか、あるかもしれないが、文化と科学の力でそれは限りなく縮小していくべきだと考えている。
男女に差異はあるかもしれないが認めるべきでない、というのが正確か。
生まれた時に定められる性別などというものがついて回るのは人間にとって不幸だと思うからだ。
時折SF作品などで描写される、無性で生まれ、ある程度成長したら本人の意思で性別を決定できるとかそもそも性別の概念がないので決定もしないとか、そういう世界が好ましいし美しいし幸福だと考えている。
また、家族制度もなくてよい。個人として生きるのに、家族がついて回るのは恐ろしい。
強い反出生主義ではないが、性別や家族の檻から抜け出すのが困難な現状での生殖は、あまり喜ばしいことだとは思えないので複雑な表情になる。
そして富野アニメなのだが、性別の差異を強調しているような描写があるかと思えば性差に無頓着な描写もある。
女性性を持ち上げたりしたあとに、逆に所詮女子供と馬鹿にしているような言動を主人公格が言ったりする。
家族についても、家族や血筋は呪いだというニュアンスと、家族って大事だよな!みたいなニュアンスが混在している。
そして性愛や生殖についてはなぜか妙に生々しく描かれている……基本的には肯定的だと思うのだが、美化というよりとにかく生々しい。
これがもし一貫して「男女は別物、家族は大事、ヘテロ恋愛して生殖バンバンしようぜ」みたいなことを語る作家であれば、私も「性別概念に魂を縛られた古い人間め」と見切りをつけるのが簡単なのだが、見た限りの富野アニメはそうとも言い切れない。
もちろん、そもそも作家性がなくその場に応じたエンタメを作ってるだけなので考える必要がないとかそいういうクリエイターでもなさそうだ。
識者からすると、富野由悠季の性別観、家族観、生殖観というのはどのように整理されているのだろうか?
私にとっては大雑把に言えば不快な場面が多いのだが、ただ不快だとは言い切れない部分もあり(だからこんなに見たのだ)、なんとも落ち着かないのだ。
16日の18時頃追記/
トラバを見て、少し整理できた。
富野作品には厭世観や人間不信が感じられるので、生殖や恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。
下世話に言えば、アムロもカミーユも機能不全家庭育ちで恋愛や家庭への不信をこじらせ幼なじみにも冷たい非モテっぽいのに、ララァやフォウとは出会って即スマートにいい感じになるのはNTの共感を踏まえても納得できないってこと。
これは富野自身が結婚し子供を作っていることへの「こんな作品作ってて家族持ちなの!? だから子孫肯定なのかもしれんけどよく結婚する気になったな!?」という戸惑いとも近い。
今年50歳になった。
自分のセクシャリティがAセクシャルであると自認してから、ほぼ20年が過ぎた。
自認はしたものの、Aセクシャルを名乗る事に迷いがあったのも事実である。
それは「もしかしたら、いつか誰かに性愛を向けることが有るかもしれない」という可能性を感じていたからだ。
しかし、結局のところ私は誰にも、どのセクシャリティにもどのジェンダーにも、性愛を向けることが出来なかった。
愛情を抱く事は有っても。
性嫌悪ではないので、行為をしようと思えば出来ないことは無かったが、私はそれを拒んだ。
その気が無いのにすることが、なんだか不誠実な気がして…
過去の幾度かの経験で気持ちの伴わないセックスは相手にもその「気持ちの無さ」が伝わってしまう事も判っていたし。
その「気持ちの無さ」は私にとっては「拒絶」では無かったが、そう捉えられてしまう事が多かった。というより殆どだった。
多くの人にとっては性愛や恋愛感情を含まない愛情は、家族や友人間に向けられるものでしかないという感覚だから当然のことである。
「友達以上にはなれないんだね」という意味合いの言葉と共に「僕が(私が)〇〇だから?」と、その人の属性(セクシャリティや人種、社会的な立場等)であるが故に拒絶された、その属性を否定されたと思わせてしまったような言葉が発せられる度に、自分自身の無力さを痛感した。
「私が相手に抱く愛情を、(多くの)人は『愛』とは呼ばないのだ」という事は解っていたが、どうにかして伝えたかった。
その人を本当に愛していると。
「身体の関係に応える事が出来なくても、私に出来る事ならあなたの望みを叶えたいし、力になりたいし、あなたを幸せにしたい」と。
「私にとってあなたの存在そのものがとても尊くて愛しくて、私を凄く幸せにしてくれる最高に素敵な人だ」ということを。
「行為の拒否は、あなたという人格や属性への否定ではない。あなたは何も悪くない」ということを。
でも、それは出来なかった。それは私の力不足の所為。(エゴイスティックな性格も関係してるかも知れないが)
私がもっと成熟した人間で、私の発話に説得力があったなら、少しは伝わったかもしれない。
その人達にもう会う事はないと思うけど、今でも私は伝えたい。
今年50歳になった。
自分のセクシャリティがAセクシャルであると自認してから、ほぼ20年が過ぎた。
自認はしたものの、Aセクシャルを名乗る事に迷いがあったのも事実である。
それは「もしかしたら、いつか誰かに性愛を向けることが有るかもしれない」という可能性を感じていたからだ。
しかし、結局のところ私は誰にも、どのセクシャリティにもどのジェンダーにも、性愛を向けることが出来なかった。
愛情を抱く事は有っても。
性嫌悪ではないので、行為をしようと思えば出来ないことは無かったが、私はそれを拒んだ。
その気が無いのにすることが、なんだか不誠実な気がして…
過去の幾度かの経験で気持ちの伴わないセックスは相手にもその「気持ちの無さ」が伝わってしまう事も判っていたし。
その「気持ちの無さ」は私にとっては「拒絶」では無かったが、そう捉えられてしまう事が多かった。というより殆どだった。
多くの人にとっては性愛や恋愛感情を含まない愛情は、家族や友人間に向けられるものでしかないという感覚だから当然のことである。
「友達以上にはなれないんだね」という意味合いの言葉と共に「僕が(私が)〇〇だから?」と、その人の属性(セクシャリティや人種、社会的な立場等)であるが故に拒絶された、その属性を否定されたと思わせてしまったような言葉が発せられる度に、自分自身の無力さを痛感した。
「私が相手に抱く愛情を、(多くの)人は『愛』とは呼ばないのだ」という事は解っていたが、どうにかして伝えたかった。
その人を本当に愛していると。
「身体の関係に応える事が出来なくても、私に出来る事ならあなたの望みを叶えたいし、力になりたいし、あなたを幸せにしたい」と。
「私にとってあなたの存在そのものがとても尊くて愛しくて、私を凄く幸せにしてくれる最高に素敵な人だ」ということを。
「行為の拒否は、あなたという人格や属性への否定ではない。あなたは何も悪くない」ということを。
でも、それは出来なかった。それは私の力不足の所為。(エゴイスティックな性格も関係してるかも知れないが)
私がもっと成熟した人間で、私の発話に説得力があったなら、少しは伝わったかもしれない。
その人達にもう会う事はないと思うけど、今でも私は伝えたい。
今年50歳になった。
自分のセクシャリティがAセクシャルであると自認してから、ほぼ20年が過ぎた。
自認はしたものの、Aセクシャルを名乗る事に迷いがあったのも事実である。
それは「もしかしたら、いつか誰かに性愛を向けることが有るかもしれない」という可能性を感じていたからだ。
しかし、結局のところ私は誰にも、どのセクシャリティにもどのジェンダーにも、性愛を向けることが出来なかった。
愛情を抱く事は有っても。
性嫌悪ではないので、行為をしようと思えば出来ないことは無かったが、私はそれを拒んだ。
その気が無いのにすることが、なんだか不誠実な気がして…
過去の幾度かの経験で気持ちの伴わないセックスは相手にもその「気持ちの無さ」が伝わってしまう事も判っていたし。
その「気持ちの無さ」は私にとっては「拒絶」では無かったが、そう捉えられてしまう事が多かった。というより殆どだった。
多くの人にとっては性愛や恋愛感情を含まない愛情は、家族や友人間に向けられるものでしかないという感覚だから当然のことである。
「友達以上にはなれないんだね」という意味合いの言葉と共に「僕が(私が)〇〇だから?」と、その人の属性(セクシャリティや人種、社会的な立場等)であるが故に拒絶された、その属性を否定されたと思わせてしまったような言葉が発せられる度に、自分自身の無力さを痛感した。
「私が相手に抱く愛情を、(多くの)人は『愛』とは呼ばないのだ」という事は解っていたが、どうにかして伝えたかった。
その人を本当に愛していると。
「身体の関係に応える事が出来なくても、私に出来る事ならあなたの望みを叶えたいし、力になりたいし、あなたを幸せにしたい」と。
「私にとってあなたの存在そのものがとても尊くて愛しくて、私を凄く幸せにしてくれる最高に素敵な人だ」ということを。
「行為の拒否は、あなたという人格や属性への否定ではない。あなたは何も悪くない」ということを。
でも、それは出来なかった。それは私の力不足の所為。(エゴイスティックな性格も関係してるかも知れないが)
私がもっと成熟した人間で、私の発話に説得力があったなら、少しは伝わったかもしれない。
その人達にもう会う事はないと思うけど、今でも私は伝えたい。
広告表現炎上問題については「表現には問題がない、あるいは他と比べて小さいのに、二次元性愛に対して差別心を持つ人々によって炎上させられた」ものと、「表現に問題があったのは確かだが、センセーショナルな炎上によって、二次元性愛に差別心を持つ人々によるヘイト扇動に利用されることが危惧される」ものがあり、後者については「マジョリティによる植民地主義的な検閲・法規制ではなく、マイノリティ自らの自治が必要」という意味で自主規制が必要という理屈もわかるのだが、いい加減前者のパターンを議論から外すのやめてくれという話ではあるわな。
https://ytakahashi0505.hatenablog.com/entry/2020/11/25/150335
でもまあ、「自主規制の議論をした結果、コレとコレは問題があると判断したので取り下げたが、コレとコレは問題がないと判断したので取り下げないし、差別的な扇動に強く抗議する」と公式発表する判断ができる組織があれば色々と話は進みやすいだろうなとは思う。
「主語が大きい」という言葉は有名になりすぎて誰でも脳死で批判できる領域に成り下がったが、「主語が小さい」ことはあまり問題にされない。
嫌韓が盛り上がっていた頃から指摘しているのだが、差別を行う人々は時に「一般的に成り立つはずの事象を、あたかも特殊なことのように話す」ことがある。
例えば、「韓国は下水設備が貧弱で、水洗トイレでもトイレットペーパーを流すことが出来ない」ことを嘲笑う人がいる(いた)。しかしそれは全く逆で、「日本は下水設備が優秀で、水洗トイレにはトイレットペーパーを流すことが出来る」というのが正しい。「トイレットペーパーを流すことが出来る」のは、そもそも世界的に見て日本の方が特殊なのである。(最近は海外も状況が変わっているらしいが。)
このような論理は女性差別やオタク差別などでもしばしば用いられる。
「女は嘘をつく」と言うが、そもそも「人間は嘘をつく」のである。「女は感情的」と言うが、そもそも「人間は感情的」である。
「二次元表象が犯罪や差別を助長する」と言われる時、「二次元表象以外が犯罪や差別を助長する」可能性は無視される。「たとえ二次元でも小児性愛を肯定的に描くことは、現実の小児性愛の肯定に繋がる」と主張する人は、「たとえ成人でも対人性愛を肯定することは、現実の小児性愛の肯定に繋がる」とは言わない。
元増田です。
トラバで返しましたが、別記事に移そうと思いましたのでこちらに。
まさかこんなに反応が返ってくるとは思っておらず、びっくりしています。
最初に書いた通り、「結婚したいと思う気持ちが分からない」と言ったら話が通じない奴認定されたことに腹を立てて勢いのままに書いてしまったので、言葉が雑であったりしたと思います。お恥ずかしい限りです。
ブコメやトラバを読ませていただきました。同意の言葉や反対意見、提案など様々な言葉をいただけて嬉しいです。ありがとうございます。
その中のいくつかに返事をさせてください。私の自己満足なので読まなくても結構です。
異性を愛する気持ちも同性を愛する気持ちも抱かないけど、かといって人が嫌いなわけではないんだよなあ、というぼんやりとした気持ちのまま色々調べたりするなかで、「アセクシュアル」という観念があることを知りました。
アセクシュアルの観念はだいぶ曖昧だそうで、他のトラバにも書かれていましたが、「性欲を持ち、また、自慰を行うからアセクシュアルではない、と断言することは出来ない」らしいです。たぶん本当にあいまいな観念なんだろうなと思います。人を好きな気持ちは主観的なものに依存するので。
AVや同人誌を見る感覚は、ストーリーとして消費したいという気持ちが強いです。恋愛ものを読むけど恋愛したいとは思わない…みたいな。
性欲自体も持ち合わせていますが(エロティシズムを感じたり自分の中の欲求不満を感じたりするので)ただそれを実在の人間に対し自分自身がぶつけたい訳ではないです。AVも、あくまで画面越しだから自分と切り離して鑑賞できるという感じ。映画とかドラマで際どいモノとかありますよね。あんな感じです。
なのでアセクシュアル寄りの何か…と言った方が正しかったかもしれません。
自分自身がこうしたいなあ、と思う感情に外見は関係ないです。確かに自分の外見は需要がある、無い、で言えば無いだろと自分でも思います。
でもこのコメントをされた方は、結婚したくない=結婚できないブスの僻み という価値観で生きてこられたんだなと感じました。それ以上でもそれ以下でもないです。
「分からないなら分からないままでいいでしょ」という意見もありました。正論だと思います。
私が質問したのは、「自ら結婚したいと思うということは、結婚に対し何か魅力があるのかな」と考えたからです。
結婚している人や結婚したいと思う人を馬鹿にしたり、見下したりしている意図はまったくありません。「結婚の魅力ってなんだろう」という疑問でした。
母親に「なんで結婚しようと思ったの?」と聞いたことがありますが、なんとなく、と返ってきただけだったので、余計に疑問が強まってしまったのかもしれないです。
こうして意見を見ていて、私の質問の仕方に問題があったな…と反省しております。結婚について理解をしたい、と思って聞いてみたのですが、あの聞き方では不躾で理解しようともしないように聞こえますよね。
また、「結婚したくない」という私の意見に対し「結婚したい、と考えられない奴はおかしい」というような態度を取られてしまい、腹が立ってカッとなって書き込んだのもダメでしたね…
まさしくその通りです。
結婚しなくてもいいなあ、結婚したいと思わないし、と考えていても、やはり不安はあります。まだ20と少ししか生きていませんし、結婚をしないでひとりで生きていけるのかな、なんて考えたりします。経済的なことや、老後のことについての不安です。
結婚するなら色々出会いを求めて動いた方がいいのかな、と考えては、でもそこまでして結婚をしたとして、メリットは何なんだ?という疑問が湧く。その繰り返しです。
目からウロコでした。自分ではその違いをわかっていたつもりでも、わかっていなかったんだと思います。
なんとなく、恋愛+性愛=結婚というイメージがあって、結婚をする人はみんなパートナーに恋愛感情を抱いているんだなあと考えていました。
ですが、恋愛や性愛を伴わない結婚もあるし、恋愛感情があるからといって結婚したいとは限らないんでしょうね。
恋愛とか分からないし性愛も抱いたこと無いしむしろ気持ち悪いな~とまで思っていましたが、だからといって結婚したくない、には結びつかないんですね。
色々な結婚の仕方もあるのか、と納得しました。これが答えのような気がします。
様々な意見、ありがとうございます。
子どもが欲しい、寂しさを埋めるため、他にもいろいろな理由で結婚された方々を拝見しました。
確かに、まだまだ人間関係に寂しさを覚えることはありませんが、この先どうなるかはわかりませんよね。
そういった人間関係の構築のための結婚というのもあるんだなと感じました。
本当にありがとうございます。こう思っているのは自分だけではない、と分かることでものすごく安心しました。
様々なコメントを読んでいて、自分の世界はだいぶ狭かったんだなあと実感しました。
周囲にいる人たちが、異性と恋愛して結婚したい、と思っている人たちが多く、雑談のなかで恋愛の話になると肩身の狭い思いをしたり、嫌だなあ、と感じる機会が多々あったので、自分の中で恋愛や結婚に対し、マイナスなイメージが強かった気がします。
これからどうなるかは自分自身分かりませんが、もう少し視野を広げて、自分なりの「恋愛」や「結婚」を探ってみようかなと思います。
ブコメの中にあって、これが一番わかりやすく言語化してくださっているなあと思い、詳しく調べさせていただきました。
乃木坂46の齋藤飛鳥さんのコメントだそうです。こちらから引用させていただきました。
https://www.excite.co.jp/news/article/Asagei_147203/
exciteニュース 「乃木坂46齋藤飛鳥、ネガティブな「理想の結婚生活」発言もファンはホッコリ!」
私も似た気持ちです。
結婚することの利益、メリットは何か?という疑問もここからきていると思います。
他にも多くの反応をありがとうございます。可能な限り目を通させていただいています。
自分のなかでなんとなくの答えはでたものの、やっぱり社会はまだ異性との結婚が幸福で、それがすべてなんでしょうね。(齋藤さんの発言もネガティブと捉えられてしまいますし…)
ですが自分は自分なりに考えていこうと思いました。書き込んで反応をいただかなければ、しっかりと気付くことは無かったと思います。
重ね重ね、お礼を申し上げます。
とはいえやはり、もう少し寛容な社会であればなあ、と思わずにはいられません。
長々と失礼いたしました。それでは。
自分は、婚活は子供産みたいと思って始めた。子供欲しいっていうのも、せっかく機能ついてるのに体験しないで死んだら損した気がする、程度のもので。子供産んでみたい、姪も甥も可愛い、なら結婚しないと、くらい。
異性を人間として興味を持つことの方が少ない。そもそもコミュニケーション弱者で異性と縁がない。お付き合い=コミュニケーションとか負担でしかない。性愛には興味あっても、実際に体だけの関係やれるほどメンタル強くない。病んでひどいことになる。なった。
魅力的な異性とお付き合いしたい、とか、自分専用の異性が欲しいという意味で結婚しようとしたことは無かったと思う。だけど結婚してみると、一緒にいる相手がいるというのはとても心強い。触れる相手がいて安心する。これは良かった。
”人間性としての好意を持つ相手はいても、性愛的な好意を持つ相手に出会ったことがない。”この部分に非常に共感した40代童貞です。
よかったらアマプラにあるバチェロレッテという番組見て欲しい。
真実の愛を探す旅と主人公の女性は言ってるけど、真実の愛は探す、見つけるじゃなくて育むことという他の人レビューみて素敵だと思った。
勝手なこと言って申し訳ないけど、”人間性としての好意を持つ相手”とお付き合いしてみてその先に自分がどう感じるのか、やっぱりだめなのか、もっと一緒にいたいと思えるのか。
自分を深く知る意味でも経験として、軽い気持ちでお付き合いしてみるのがよいと思います。
自分を深く知ることが早ければ早いほど、あなたの人生の選択肢が広がると思ってます。
僕は自分自身を知ることが遅すぎました。
100人いたら100通りの自認があると思うけど、俺の場合はそもそも人体というか生命は不潔で気持ち悪いっていう認識があるんだよな。
マンコにチンコ突っ込むってウンコにチンコ突っ込むのと同じくらい気持ち悪い。
対人性愛者ってみんなスカトロ趣味と似たようなものじゃないかと思ってる。(スカトロはスカトロで尊重されるべき嗜好だと思うので、それと同様に対人性愛も尊重してるが。理解できないのはお互い様ということで。)
(追記)
この記事のトラバで追記していたのですが、別記事に移そうと思い掲載し直したので、URLを貼っておきます。
https://anond.hatelabo.jp/20201105221116
ありがとうございました。
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「本当に分からない、純粋な疑問だから教えて欲しい」って聞いたらおぞましいものを見る目で見られたので吐き出す。
私は結婚したくない。したいと思わない。
周りが好きな人を作り、誰々と付き合いたいだの彼氏がどうだのこういう人と結婚したいだの喋っている中で、私一人だけがその話題に一切同感できない。
そもそも人間性としての好意を持つ相手はいても、性愛的な好意を持つ相手に出会ったことがない。
かといって性欲は無いのかと言われるとそういう訳では無いし、AVも見るし18禁漫画も読む。腐女子だから商業も同人も読む。
最初は、自分が恋愛感情を抱くことが出来ないのは腐女子の性が邪魔しているのかな、なんて本気で考えてた。
自分が恋愛するんじゃなくて他の人の恋愛模様を見たいだけなんだよね~みたいな。
でも成人して、周りが異性と付き合っているのを目の当たりにして、本当に私は人を好きになれないのかもしれないと思い始めた。
要は「アセクシュアル」という部類に入るのかもと考えているんだけど、これって自分が死ぬまで「アセクシュアル」かどうか分からないんだよね。
これから人を好きになるかもしれないし、やっぱり好きにならないかもしれない。
死ぬまで分からないからこそ不安だし、老後どうしようかな~…なんて考えたりもする。
まだ20年を生きただけでしょ、って言われたりするし、「死んだ後自分の骨を焼いてくれる業者とか調べてる」って言うとドン引かれる。
結婚しないでいると人間的に欠陥があると思われてしまうこの世の中で、結婚したいけど結婚できないとか、結婚したくないけどしなきゃいけないとか、したいけどしたくないとか、色々な苦しみを持っている人って見えないだけで結構いると思う。
その人たちの苦しみと同じだとは言わないけど、
贅沢な悩みだって言われるかもしれないけど、
それでもやっぱり結婚はしたくない。
なんでみんな「結婚したい」と思うの?