はてなキーワード: 性愛とは
「大人同士で同意があればセックスしても誰も傷つけない」と主張する人もいますが、それは間違いです。
現実には大学生や新入社員など、20代前半の女性が酒やドラッグで酩酊させられ、「同意」を捏造するという性犯罪の手口が横行しています。
大人同士であろうが、同意があろうが、「生きた人格のある人間を相手にセックスしてもよい」という狂った倫理観を肯定すること自体が性犯罪の蔓延に奉仕しているのです。
ペド差別とかいう概念はないので発達障害はいい加減にしてもろて
勉強でも仕事でもゲームでもスポーツでも経験が長い年長者の方が通常は強い
ろくなことになってねーじゃん
そもそもの話として、小児性愛者であろうとも真っ当に育っていれば良心や良識は存在する。その上で自分の性愛が社会的に受け入れられない、実行してはならない、何よりも相手の尊厳を台無しにする行為にしかならない、と言うのは百も分かってる話。だからこそ良心や良識が機能している小児性愛者は自身の性愛に葛藤し苦悩する。なぜなら自身の性愛が児童の人生を踏みにじる代物でしかないから。真っ当に生きてきて真っ当に生活してるなら、そう言う考えにいずれたどり着く。
そして、そう言う前提があった上で「小児性愛者は見つけ次第処せ!」みたいな扱いを受けている、と言うのが小児性愛者への差別。図式としてはトランス女性への差別と同根で「(その人間の)存在自体が社会への脅威!だから見つけ次第追放しろ!始末しろ!」と有無を言わさず排除する対象としてしか見なされていない。そして「小児性愛」が持つ「児童への重大な加害性」と言う構造から、「小児性愛者」と「みなされた」だけで追放し迫害するのが当然の存在として扱われている。一部の人はこの構図に気がついて排除的な言動は諫めているけど、大多数はこの構図を当たり前として支持し、それを維持することを是としている。これが「小児性愛者」への差別の正体。
無論、小児性愛者の中にも性犯罪に手を染めるやつはいる。実際に児童性虐待記録物が存在する以上、そう言う行為が行なわれている事実は当然ある(とは言えこれは実親や義親、親族などの身内からの物もあると聞く)。ただし、そう言った行為が性犯罪であり、特に児童への重大な脅威となる、と言う事は「小児性愛者」であっても真っ当な環境に居れば共有できている。でなければ、COMIC LOの「YES!ロリータNO!タッチ」みたいなフレーズは生まれるはずがないし、生れようもない。またこれを是とする考えは「小児性愛」が子供を持つ親・社会から脅威として見られている事を理解している証左でもある。
ではこう言う前提があった上で「小児性愛者」への警戒を止めるのが「差別」を止めることか?と問われると、恐らくそれは違う。親であれば子を守ろうとするのは本能だろうし、社会として児童への性加害と言う危機に対策を打つのは当然のこと。これは「小児性愛者」が存在しようとしまいと別に変わらないし、変える必要もない。子供を守り育てる、と言う事は、親が子供を守る、と言う事も意味するし、逆に(虐待などで)児童への脅威となってしまった親から子供たちを守る、と言う面も当然ある。
では何を以ってすれば「小児性愛者」への差別とならないか、と言えば「小児性愛者だから危険だ」と言う考え方を捨てること。児童にとって脅威なのは子供たちへ加害しようとするすべての存在であり、「小児性愛者」だけが「子供達への脅威」ではない、と理解すること。それが「小児性愛者」に対する差別へ荷担しない唯一の方法だと私は考えています。
正直、二次で代替可能なロリペドは大人の女の代替としてのロリペドでしかないと思ってる。
二次ロリの完全に性欲に目覚めて性愛に答える準備もできている小さいという記号を乗っけたただの女体に問題なく欲情できる奴が俺は小児性愛者のセクマイだとか言ってるのほんと厚かましい。
この投稿を見て少し安心した。自制できている人もいるんだな、って。
自制しているなら、私は完全に共存できる。むしろ一緒に悩んで考えたいぐらいだ。
というかさ。異性愛者だって普通は自制してるじゃん。セクシャリティなんて、全員隠せばいいと思う。
異性愛者だって、たとえばパンツは脱がないで穴を開けて欲しい、それじゃないとやれないとか、
本当は赤ちゃんみたいに扱ってほしいとか、
きもい願望がいろいろあって、それを社会生活では隠して生きているんだよね。
そんなの、よっぽど安心した相手にしか、たぶん人生でよくても数人しか見せなくていいんだと思う。
…と書くと、投稿主は誰にも見せられないことが苦しさの原因になっちゃうわけだけど、
これは各方面からポリコレ棒で殴られることだし、投稿主にも不快な思いをさせてしまうのかもしれないけれど、
投稿主がちゃんとした、自制できる、責任感のある人だと感じたから書いてみると、
小人症の人(体が小さい)とか、知的障害の人(知的な面での純粋さを残している)とかと、
要素を分解して、付き合うわけにはいかないの?
たとえば異性愛者だって、「本当はこんな人が理想」という姿があっても、
だいたい理想の人とは付き合っていないわけで。
「異性愛者」「同性愛者」「バイ」「小児性愛者」「アセクシャル」みたいに
ラベリングして分けるためじゃなくて、
いろんな組み合わせが考えられるからなんじゃないかなと思うんだよね。
対人性愛者が子供を狙うのって、「子供が主に性欲の対象になるから」ではないよね。「本当は成熟した人間を性的消費したいけど、成熟した人間に抵抗されると勝てないから、抵抗できない子供で我慢しよう」という発想なんだよね。
そういう人間に「子供を性的対象とするのはよくない」と言っても無駄。本人としては「俺だってガキなんか嫌だけど、それしか選択肢がないんだから仕方ねーじゃん」ということになる。「俺はこんなに我慢してるんだから、少しくらい報われていいはず」という発想になる。
結局「人間を性的対象とするのはよくない」という社会的合意を形成していくしかない。
その点、「対人セックスは悪である」と認めて、二次元やドールで我慢している真面目な小児性愛者は立派だと思う。
年齢やら同意の有無やらで妥協してでも何がなんでも対人セックスにありつかないと気が済まない犯罪者予備軍よりも、よほど高い倫理感を持っていると誇りに思っていい。
私は腐女子ではないが、二次創作を見たりやったりしている女オタクだ。いわゆる女性向けソシャゲとか少年漫画とかの原作が何よりも好きで、二次創作は原作準拠・全年齢対象のものを嗜む程度に好んでいる。これらの二次創作は腐女子が多いため、かつては大人しめの腐女子コミュニティに属していたこともある。今は壁打ち。
ただ、性別問わずキャラを性的な目で見ることがなかったので、R18とかはキャプションが目に入っただけでそれなりのダメージだった。今も友達同士などの関係のキャラ同士がキスさせられているサムネを見かけると反射的に目を背けている(避けようとしてもpixivやtwitterから勧められる)。が、そういうのを描いている腐女子が描いたものであっても、CPなしとか公式CPのものなら普通に好きだった。
しかしtwitterのおすすめ機能で目にする機会が増えたのもあって、最近二次創作自体を怪訝な目で見ることが増えた。
その結果愚痴垢(特定作品ではなく、二次創作全般に言及しているアンチ腐女子系)を見に行くようになってしまって、それ自体は本当に最悪なのだが、まぁ結構共感できる内容も多かった。
ので、どこにモヤるのか箇条書きで分析をしてみる。
多分私は、腐女子コミュニティに属していたこともありながら全年齢公式準拠二次創作をほどほどに好む、という意味では両者の事情を知っており中立といえる立場なのではないかと思う。ただし今の私の基本的なスタンスは愚痴垢寄りである。
よって以下の内容も基本的に「どの程度正しいか」がポイントだが、私の個人的な感情や意見も入ることは明記しておきたい。ちなみに私は、腐女子以外にも百合や男女、男性向け、恋愛・性的要素なしなども含めた二次創作全般に同じスタンスでいる。もちろん自戒も含んでいる。愚痴垢やこういった投稿で腐女子が取り沙汰されるのは、単にファンが男性向け二次創作に比べて目にする機会が多く、腐女子という名前がついているからというだけのことである。
多分、二次創作を好む男オタクにもキャッチーな名前がついたら同じ現象が起きるだろう。というか男オタク全体という雑な括りですでによく燃えている。
前置きが長くなったが、本題に移る。一言でスパッと言おうと思ったが中立に近づけるためには無理だった。
→SNSの反応を公式が見ているとしても、一般ファンやファン候補も検索するので適宜検索除けをすべき。作品自体のイメージに関わる。愚痴垢ではSNSで目にしたファンの妄想が脳裏をよぎるため原作すら嫌いになってしまったという人も散見される。R18にはたとえ妄想であっても検索除け必須、鍵にもすべき。腐女子側も実際モラルがあり同人慣れしている人はセンシティブな内容にはツールを使ったりR18用の鍵垢で分けている人も多い。
そしてこれに関連した腐女子側の「棲み分けできている」という主張だが、これは完全に嘘だ。先に出したtwitterといいpixivといい、今の時代いくら検索避けやCP名明記をしたところでおすすめ機能が自動的に判定して勧めてくる。鍵垢以外意味がない。ちなみに「嫌なら見るな」「自衛しろ」なども内輪以外には通じないことを、腐女子に限らず全ての二次創作者は肝に銘じておかなければならない。一度目に入った時点でゾーニングなんてできていないことが明らかなのでアウトだ。
→由来を考えれば愚痴垢が正しい(腐女子側からもこの主張は多い)。しかし百合や男女など他のキャラ改変二次創作にも使うのが主流とはならないし、一次創作BLのファンも腐女子を自称するなど浸透していないのが現状である。また、腐女子にも色々なタイプがおり、昔は「公式ではBLじゃない(から二次BLは妄想)」タイプが多かったからこその由来だろうが、少なくとも今はそれよりも本気で公式がBLだと思い込んでいる腐女子が多い(これは次の項目にも絡む)。これは原義通りだと説明がつかない。
そして「腐向け」の略なのはわかるが、二次創作物そのものを「腐」と呼ぶのでは差別的だと言われても仕方がない。BL妄想ツイで「腐ってるAとB(※キャラ名)」という言い方も見た。そのキャラが同性愛者だと「腐る」のか? キャラを崩壊させたのはお前であって性指向じゃない。
たとえば百合の場合は「百合豚」「百合厨」など(こちらは自称より他称の方が多く由来も異なりそうだが)と表現の対象ではなくファンのほうを下げているので、これに準拠して初めてクリアできるのでは。
そもそも創作物である以上、作者が異性愛者以外を認識している人なのかどうか考えてみた方がいい。たとえば昭和生まれの少年漫画に異性愛者以外が登場する可能性はかなり低いだろう。逆に平成後期〜令和生まれの女性向けソシャゲは、ターゲット層はもちろんライターにBL作品の執筆経験がある場合などを考えると、ビジネス的に(腐女子がCPで争ったり夢女子を呼び込めなかったりするので)明記しないだけでBL的意図があるかもしれない。
それにジャンルや時代は異なるが『少女革命ウテナ』のように「同性愛を描こうとしていたが時代などの都合で友情にカモフラージュせざるを得なかった」パターンもあるわけだ。これ自体はtwitterで見ただけなので単なる噂かもしれないが、さっきの昭和少年漫画にもこの可能性はゼロとは言いきれない。この場合は同性愛描写を見出そうという試みも作品読解に役立つかもしれない。
ただし「読解」であって「誤読」「曲解」ではいけないし、原作者が明言しない限りは憶測に過ぎない。
そして逆にキャラを被創造物でなく一人の人間として考えれば、キャラが性的少数者だと考えること自体は作品背景なくまったく問題ないだろう。
でもなぜ同性・両性愛者(ゲイやバイ)に限定するのか。非性愛者(アロマ・アセク)などの可能性は考えないのか。そして公式で明確に恋愛だとわかる描写があったり結婚していたりする異性の相手がいるキャラでBL二次創作をするのはなぜか。そもそもなぜ恋愛や性愛の表現に固執するのか。
あとこの手の主張をする腐女子にはR18を好んで見るのにアセクシャルを自称する人がいるが、それはアセクシャルじゃなくそういうものにしか興奮できないだけ(スコプトラグニアという名前があるらしい)ではないのか。(ただし性指向を自認100とするならアセクを名乗ること自体は別にいいとは思います。この辺は話が別なので割愛)
それに倫理の面から正当化したいならまず他人の著作物を無断で利用どころか私物化していることを自覚してからにすべきだ。読む時は好きに読めばいいが、二次創作したり感想を言ったりするときは原作者や他のファンがいることを忘れてはいけない。
そして後者。「ホモ」は腐女子憎さからあえて使っているのかもしれないが、現在差別語扱いなので正当に腐女子を批判にしたいなら見直した方がいい。「勝手に」というのもそもそも原作者がゲイやバイとして描いているキャラの場合もあるので二次創作が勝手に……とは限らない。言うなら「勝手に恋愛にするな」とかが妥当では(実際愚痴垢でもこっちが主流という感じはする)。
噛み砕けば、どちらに関しても「奴らに付け入る隙を与えるな!!」である。
余談だが、以前キャラの一人をアセクシャルと捉えた上でソフトめなBLを描きワンクッションを置いている二次創作も見かけた。こういうやり方なら好感が持てる。キャラの組み合わせがそこまで好きじゃなかったから私には刺さらなかったけど。
→50:50。
まず前者、これを言う資格があるのは、二次創作に一切金銭を使わない……までいかなくとも、少なくとも「公式のために使う金(中古除く)>>同人誌同人グッズの印刷費制作費および購入費・即売会参加費など公式に行かない諸費用」と胸を張って言える人だけだ。言えるか?
あと二次同人で利益を出さないのとか女オタク界隈では大前提で暗黙の了解で利益が見えたらその瞬間総バッシングだが、でも実際は出てるんだろう。skebで許可されてない作品の二次創作で集金する人もいるし男性向けだとFANBOXでR18二次創作載せてる人多いし。その利益もちゃんと全額公式に還元してるのか? してるなら確かに公式の利益になるだろう。著作権的にも倫理的にも真っ黒だけどね。
あとは今もう削除されてるけど、はてブロの呪●●戦のやつ。あれは極端な人だし腐女子による悪意で書かれてる説もあるようだが、事実とすれば二次創作から原作に入った実例だ。購入せずに読んでいるし二次創作どころか原作を読むのも辞めているし最終的にやっぱり買ってない。とてもじゃないがこれで「二次創作が原作の利益につながる」とは言えない。あのブログが事実だとすれば、最初の時点で原作準拠の二次創作が主流だったなら読むのをやめる事態にはなっていなかっただろう。そもそも最初から読んでいなかったのかもしれないが、それならそれでいい。創作物にはイメージが重要なのだから。
後者はなんとも言えない。前述の公式費用>二次創作費用の人が大半かもしれない。二次創作をするために公式の資料集やインタビューの載った雑誌などを買ったり、二次創作で高じた原作愛を発散するために公式のグッズなどを買ったりする人がいるかもしれない。ただの希望的観測だけど……。でも二次創作でモチベが上がる原作者はおそらく多数派だろう。その二次創作の質にもよるが。
それにしても誰かここを具体的な数字にして調査してくれないものだろうか。「二次創作は本当に公式の利益につながるのか」とか、もうあるのかな。コミケの話はあるけどそうじゃなく二次創作と公式について……私はそんなに興味ないし……経済分野のえらい人~~(丸投げ)
(上の話題で検索したら腐女子ではないけどこんなもの(https://ichi-up.net/2016/059)が出てきた、愛すらないエロ二次創作で稼ぎまくって自分の仕事の踏み台にしてるってことだよな? 匿名確信犯。とんでもねえな)
→申し訳ないがこれに関しては愚痴垢100。二次創作は自由ではない。著作権的な問題はもちろんだが、公式の許可によりそれをクリアしていてもガイドラインがある。ガイドラインにほぼ必ず書かれている「非営利のファンアート」「公序良俗に反しない範囲」取り締まらない以上企業側の建前でしかないが、二次創作者たちは言われている以上守らなければ罰されても仕方がない。果たしてこれをR18同人誌が守れていると言えるのか。
また、仮に自由であるとしても、自由には責任が伴うと聞いたり考えたりしたことはあるのか? 二次創作は作品イメージという名の責任が原作者にも影響する。先に挙げたはてブロの例のように、原作と大きくイメージの異なる二次創作が跋扈すると原作にもそのイメージがつく。はてブロの例は二次創作を先に読んでいたが、これは原作を読むタイミングには関係ない。二次創作が原因で原作者が筆を折った場合、その責任は二次創作にある。いずれもあまり起きえない事例だとしても、本質はそういうことではないのか。
それから、ちょっと長くなるがこれは根本的な話題すぎて私個人の感情からも色々言いたい。
まず二次創作は借り物に過ぎない。たとえば図書館から本を借りるとして、借りた本から引用して論文を書いたり、コピーしたり、そこまでいかなくとも読んで学んだり自分の考えの参考にしたりするだろう(こっちは合法だから二次創作とはちょっと違うけど公共物なのは同じだし気持ち的に)。でも借り物を汚していいわけがあるか。図書館から借りた本に落書きしたり体液とかウンコとかつけたりして返すのか?いや本人はいいものだと思ってるからお菓子の食べかすで例えたほうがいいかもしれない。逆に借りた本に生ゴミと化した他人の食べかすとか体液とかウンコとかついてたらいい気分しないだろ。ましてや大切な人からのプレゼントとかに他人からそういうことされたらどう思う?なあ。せめて汚すのはやめてくれよ。男でも女でも何だとしても思い出のある、あるいは自分の人生の指標にするような好きなキャラがオタクの性欲で汚されてるのが目に入るの、本当につらいんだよ……知らなければ存在しないのと同じだったのに……
まぁこのズレた例え話はともかく、二次創作は借り物だから自由ではない。
あと本題とはあまり関係ないが、愚痴垢も腐女子もはたから見ていてエコーチェンバーが酷いからネットと距離を置いた方がいい。私自身このように中立っぽく振る舞おうとする程度には自分の考えを確立しているつもりだが、愚痴垢を見ているだけでかなり影響されている実感があるし、愚痴垢を見る頻度が日に日に増しているのには危機感もある。多分腐女子が検索避けをしなくなったり公式より二次創作に重点を置くようになったりするのもエコーチェンバーの一つだろう。
被害者にも加害者にもならないために、やるならフォロー0の壁打ち(鍵は適宜)で検索せず自分と原作に向き合うのが個人的にはおすすめ。
以上、意外と項目数が少ないがネタ切れ。というか愚痴垢に対するモヤモヤが腐女子へのモヤモヤに比べて少なすぎた。
また何か思いつけば追記するが、とりあえずこの辺にしておく。
※この投稿は愚痴垢と腐女子どちらが正当なのか決めたり彼らに何らかの行動を強制したりするためのものではありません。私も自分が絶対的に正しいなどとは思っていません。
まず、LGBTQに対しての私の見地は「LBTQは私には無害なので好きにすれば良いが、我が身にゲイ加害が降りかかるのは困るので、TFとゲイはちょっと生理的に無理」というものである。
さて、そろそろ秋であり、各地ではなんとかパレード的な催しが企画されるところだが、レインボーの名を冠するイベントも自治体主催で検討されていたりする。
理解促進という話であるが、人手の点で自身にもボランティア依頼が届いた。社会的に優良な市民を装っているため、協力はやぶさかではないのだが、ここで一つ疑問が湧いた。
同性愛やその他特殊な性愛に理解を求めるイベントは社会的に受け入れられるのに、例えば「結婚しよう!家族を作ろう!」ということを看板に書いてパレードをした場合、昨今の世では袋叩きにあうのではなかろうか?
なぜ性的少数者への理解は私のように少なからず良識的な市民を演じることができる者は増えており、今更公費によりそのようなイベントを打つ必要はどこにあるのか?