はてなキーワード: 却下とは
自分はごく初期から「これはアカン」と感想を述べてそのたびに怒られたが
最近は掲載順などでも明らかに低迷、打ち切りラインに入ってしまっている。
まず何よりもアカンのは題材であるMMAに作者の関心が薄そ~なところだ。
作者がその題材を好きなだけで漫画が成功するような甘い世界ではないだろうが
作者がその題材を好きですらないのは現代漫画ではド級のハンデになると思う。
(「なんでそれを題材にした?」の一言だが、ジャンプスポーツ漫画は何故かこれがちょくちょくある。)
作者はUFC(世界一のMMA団体)もRIZIN(日本一のMMA団体)も全く見ていないと思う。
「MMAのこういうとこすき!」みたいなこだわりのディテールが出てきたことがない。
ああこの選手が好きなんだな、あの試合が好きなんだな、という作者の好きが伝わってきたこともない。
思えば前作火ノ丸相撲にMMAの天才のようなキャラが仲間に居たものの
その際もMMAに関する描写やうんちくは非常にフワフワだったから
自分の記憶力が良ければ「この作者がMMAで新連載」と聞いた時点で違和感を持てただろう。
格闘シーンを売りにしないといけないのに格闘シーンで作者の逃げの気持ちを感じてしまう。
少女漫画の女性作家が暴力シーンやスポーツシーンで誤魔化しているのと似たあの感じ。
あれを相撲漫画で成功したベテラン作家から感じてしまうのはいかにMMAに積極的な関心や自信がないかの証左ではないだろうか。
MMAという幅広い技能が必要な競技に置いて主人公がどういう選手で
何で勝負をし何を回避していくのかというあたりもボンヤリしている。
「古武術を授けてくる痴呆の祖父」というキャラがこの漫画の一番の特徴だが
その古武術の内容もあまり考えている感じがせず、MMAの中で生きてこないし逆に弱点にもならない。
だいたい古武術とMMAというのも真島君の時代じゃあるまいし本当に四半世紀は感覚がズレている。
現代でMMAと古武術と言えばヤッチくんらの一連の動画で散々掘られているが
そのあたりを履修している感じも皆無で本当に読みごたえがない。
というかどういう系統の古武術なのかすら明確でないように感じる。(数十年前である真島君以下)
そして連載立ち上がりの数週を使った痴呆祖父介護と古武術が兄弟不和の原因としてしか生きてこない時点で
やはりいろいろと迷走しているとしか思えない。
先輩MMA女子が学校で寝技のスパーリングに誘ってくるのはいいとしよう。
制服のままなのもいいとしよう。
MMAに熱心過ぎる変な子ってことで説明はつく。そういう”ウソ”はいい。
でもブレザー脱がないのはおかしい。
少なくとも関心と想像力があれば描かないよな
ちょっとイライラしてて冷酷な奴が試合相手にケガさせる話なんだけど
ヒールフックは技名も力掛けるところも踵だけど壊れるところは膝だ。
かなりボーっとRIZINだけ見てるライトファンでも知ってるようなこと。
多くの脚関節は膝が壊れる。
脚関節で決着するとタップしてても間に合わずに膝の靭帯やられてることが多々ある。
なのにアスミカケルでヒールフックで決着したら足首が横に曲がってた。
大編集鳥嶋は「作家の描きたがるものではなく作家の得意なものを描かせろ」みたいなこと言ってたけど
描きたがってるもの却下して全然興味ないもの描かせてどうすんだ?
それなら描きたがってるもの描かせてやれよと思うのだが。
これを否定されると、そもそも他の全ての権利を行使できなくなる。
生存するために必要な環境を確保すべく、衣食住の保証のための権利がほしい。
働く権利、労働に見合った給料をもらう権利、商取引で不正があったら不正をただしてもらう権利など。
これは発言する権利、報道の自由の権利だろう。ここではまだ「表現の自由」にはなってない。
コミュニケーションが上手く伝わらないのはよくあることだ。ここでようやく「それぞれの個人が自己をそれぞれの手段で表現する自由がある」という理屈が必要。
つまり「表現の自由」は「報道の自由」のサブ権利であって、優先順位でいうとかなり後ろ。
「見てて不快」が生命に直結するほど切実でないなら「表現の自由」は優先されるだろう(そのケースの方が圧倒的多数)が、
生存権を訴える報道や権利獲得の主張に対して「表現の自由」を振りかざし「死ね」「ハゲ」とか言うのは順序から言って却下。
絵描きの「絵が禁止されたら稼げない」は労働の権利の主張として言うべきで、それは「表現の自由」じゃないよなと毎度思うんである。
証拠資料は膨大で、それを裁判官がチェックするだけで時間がかかる。
自民党の判断ではない。あくまで岸田首相個人の判断で文化庁に指示が出された。
岸田政権の間は、国の主張が通るだろう。
しかし高裁、最高裁判決が出る数年後に岸田政権が続いているか?
統一教会潰しを率先して行ってる岸田首相は安倍派や勝共連合を応援する右派から極めて評判が悪い。
ネットでも今まで自民支持を表明していた層から倒閣運動が起きている。
野党側ではもちろん立憲支持者も維新支持者も統一教会潰し以外のところで岸田政権を支持しない。
来年、再来年には岸田政権は潰れて次の総理大臣が誕生してるはずだ。
裁判で国の主張を担当する文化庁のやる気にはもちろん影響が出る。
文科省に予算を要求する能力が遺憾ながら欠如しているのはいかんともしがたい。
だから、予算要求とか審査とかのプロセスは全てやめて、代わりに文科省が必要だと言った金額を無条件で拠出するのがいいだろう。そういう枠を作るべき。
その上で財務省の役人が文科省に天下りするべきだと思う。少し、指導が必要だ。
教育もそうだし、創価・統一の件でも、文化庁に強制捜査権を付与するとか、場合によっては武装を許可するなど骨太な対策が求められている昨今において、とにかく文科省の職員の力不足を補う施策がないとヤバい
小学校の半数の設置を厚生労働省に移管することも考えられる。保育園の進化としての小学校があってもよいだろう。これで守られる児童も多いはず。国立大学の、医学系衛生系のやつも厚生省に移管できる。農学水産の一部は農水に吸収させて、工学部も一部経産省かなんかに監督させる。これで文科省の仕事を減らす。
文科省は職員の能力が低い。これは仕方ない。しかも、普通に考えて今より優秀な奴を採用できるようには今後ならない。だから文科省の仕事は減らして下駄も履かせる。それで仕事のクオリティを確保する。とにかく文科省の低い能力の犠牲に児童がなるのはあまりにも失うものが大きすぎる。
川があって丸太橋がかかっている。
丸太橋はあぶないとおもいながらそれぞれが個人の努力で安全を確保しながら渡っている。
そこに「丸太橋はあぶないから禁止」という人が現れたらそりゃ炎上する。
いままでに吊り橋建築をしようとしてたとかいう実績があっても、完成してないうちに丸太橋を撤去しようとした政治家がいたことは
今、正に丸太橋を渡ろうとしていた人などは、一生、忘れないだろう。
もちろん、政治家も「安全帯があれば丸太橋OKのつもりであった」とか言い訳はしているが、そんなもの今までに出来る人はやってるんだから
施工管理の仕事を二年ほど続けていたのだか、激務に耐えきれず現場の仕事ではなく事務の仕事をしたいというと却下され退職したそうだ。
年齢も40歳を超え、再就職も難しいだろう、とは思ったものの激務で体を壊しても仕方ないし退職も致し方ない、と思った。
愚痴を聞くのも兼ねて飲みに行ったのだが、友人は所謂「子供部屋おじさん」であり両親と共に生活している。
昨日母親に退職したのを責められた、だの、実家にいると居心地が悪いので日中は外に出ている、だの、毎月3万円家に入れているんだから文句は言わないでほしい等の愚痴を聞いていた。
友人であり、友人の一回り以上年下の私も贔屓目に見て、甘えすぎだろう、と思うところはあるが、まあこの際友人に文句を言っても何も始まらない。
続いて、納期間近の現場は忙しくて残業ばかりだ、職人は全員中卒のバカなので扱いが難しい、等の職場の愚痴に切り替わる。
ここでも友人の甘さを指摘したくなるのだが同上の理由で聞き流し、その日はそのまま解散になった。
思えば友人とは5年以上の付き合いになるが出会ったときは非正規雇用の仕事をしており、何か気に入らないとすぐ退職していた。
二年ほど前にやっと正社員になれた時は、今度こそ続ける、と言っていたのにたった二年しか続かないのである。
忍耐力が無く、何かがあるとすぐに逃げ出して他人のせいにし、自分は全く成長しない。
そういう人は何を考え何を感じ何を求めて成長していくのだろうか。
この人と付き合っても何かを得ることはないのだろうな、とうっすら感じた私は元友人の連絡先を消してしまった。
暇空茜氏が東京都会計の瑕疵を発見して住民監査請求できたのは幸運だったし、意味は大きいと思うよ
桜を見る会を国会で追求した共産党ですらcolaboを擁護しようとしたのだから
で、国の補助金について監査請求をする制度は、いまだ存在しない(公金検査請求制度)
だから省や検査院に不正報告をしても、調査回答は得られない(つまりほぼ調査はされず、利権は野放し)
増田は通常裁判で追求しようと試みており、当事者照会ぐらいはする予定(文書提出命令申立は却下がデフォなので)
だからもし公金検査請求制度があるなら是非使いたいし、使いたい人もいると思う
税金チューチュー事件はしばしば報じられているが、司法が捜査権を独占していたら、3年時効なのに4年後発覚とかで捜査不可になってしまう
それを考えると、民度ってまだ低いほうなんだよな