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はてなキーワード: フランス革命とは

2024-08-06

右翼左翼フランス革命関連が起源だよ

anond:20240805223215

  

急進派が左の議席に、保守派が右の議席

もともと王の権力をがっつり削いで改革を強く推し進めたい勢力議長から見て左に座って、緩やかに変革したい勢力右側に座ったのが元だよ

左の人は民主制を主張し、これがのちに共産主義につながっていく。だから革新派労働者中心主義

右の人は左の反対みたいなもの。だから左翼と考えが合わない資本家保守派こちらにつくよね。

今じゃ区分けはそんなに大事じゃないけど、日本場合天皇制を軸にしたら覚えやすいと思うよ。

ただ、国会でも自民議長から見て右、共産党が左に座っているといううわさもあるね。

蛇足

元増田の納得できるところ

左翼思考主義右翼自然主義

左翼思考主義なので民衆自然な考えを「社会はこうでなければならない」と教化矯正しようとするから独裁に走るよね。

自然主義右翼はいろんな人の欲望交じりの「こういう社会がいい、ああい社会hがいい」というような自然な主張を調整していくから金持ち貧乏人もひっくるめて多くの人の意見を取り入れるよね。うまくいってるときはいいけどうまくいかないと衆愚政治だね。

私は「肉屋を支持する豚」と言われても自分自然と湧き出る意見に従って生きていける右翼社会の方が好き。

2024-07-31

anond:20240730143125

英独は比較的無関心だけど、フランスアジア人憎悪で有名。すぐ「シノワ」呼びするし、その癖に中華思想にハマって「東アジア中国開拓した」と思い込む傾向がある。

からアフリカとの交流があって民族差別根付いてる事、フランス革命や第二次大戦などで上流階級が何度も潰されてる事が影響して、多民族国家という概念が逆に理解できずに苦しんでるんじゃないかと思う。ライシテがどうこうと言い訳しても結局は「フランスは『白人』という単一人種単一民族国家では無い」事が受け入れられてないようにしか見えない。

2024-07-30

フランス革命についての省察」が保守思想の原点みたいにされるけど、案外はてなーフランス革命否定的なんだな

ちなみに「フランス革命についての省察」でバークヴァンデの虐殺予言いたことも書いてる

革新の行き着く先は暴力だよねって1790年に既に指摘されて、未だに上手く否定できていないことは都知事選で踊ってた人たちは意識すべきだろう

と思うよ

Twitterオタクくん、フランス揶揄するワードとしてヴァンデの虐殺を覚えたけど、あれむしろ現代ネット民こそ喜びそうな一件なんだよな

中央政府政策反旗を翻した旧体制指示の地方農村部からなる反乱軍制圧

というの、リベラル左翼とか反体制を嫌ったり都市型田舎を野蛮な土人の国かなんかと勘違いしてる人がたくさんいる現代ネット民なんかは喜んで賛同しそうな事件だよなと思ったり

このネタも声がでかいやつが「フランス野蛮人揶揄する」文脈で使ったからみんな批判してるだけで、口が上手いやつが真逆文脈で煽れば日本人も見習うべきフランス革命の英雄行為扱いされるちゃうか、と思う

Twitterオタクくん、フランス揶揄するワードとしてヴァンデの虐殺を覚えたけど、あれむしろ現代ネット民こそ喜びそうな一件なんだよな

中央政府政策反旗を翻した旧体制指示の地方農村部からなる反乱軍制圧

というの、リベラル左翼とか反体制を嫌ったり都市型田舎を野蛮な土人の国かなんかと勘違いしてる人がたくさんいる現代ネット民なんかは喜んで賛同しそうな事件だよなと思ったり

このネタも声がでかいやつが「フランス野蛮人揶揄する」文脈で使ったからみんな批判してるだけで、口が上手いやつが真逆文脈で煽れば日本人も見習うべきフランス革命の英雄行為扱いされるちゃうか、と思う

2024-07-29

ラザール・カルノー

フランス革命を語る上で結構重要人物だと思うんだけど、フランス革命絡みの話題になってもあんまり名前がでてこない。

ヨーロッパ中を敵に回したフランスが戦い続けられたのは、ひとえに彼の功績が大きいと思う。

あんまり話題にならないのは、思想面での影響が大きくないってのがあるんだろうな。

フランス革命とか明治維新とか

WW2からだいぶたって、この辺の歴史観もだいぶ変化してきたな。

むかしはこういうのにもっと肯定的だった。

でも、どっちもその時に出た被害とか、最終的に何をもたらしたのかとか冷静に見れるようになって見方がだいぶ変わってきた。

フランス革命も今話題になってる虐殺があったり、明治維新もただのテロリストだって言われるようになったり。

これからどう変わっていくんだろうなぁ。

フランス革命矛盾象徴する人物、オランプ・ド・グージュ

フランス革命勃発後は、オランダで始まった女権運動に刺激を受けて、フランスでも女権運動を開始して、女性新聞を創刊し、愛国募金運動女性のための第二国営劇場建設などを計画した。

そしてフランス語では人間意味する言葉は同時に男性意味するため(仏 : homme)、『人間市民権利宣言人権宣言)』の中の「人間」には女性が含まれていないと考えて抗議運動を始める。

1791年憲法では実際に女性権利無視されていたこから9月14日9月5日)に自ら17条(人権宣言と同じ条数)から成る女性および女性市民権利宣言』を書いて発表した。

オランプは積極的演説活動を行い、記事を書き、愛国を謳った劇も書いた。彼女公然ロベスピエールやマラー批判ジロンド派を支持し、急進派の山岳派ながら"寛容派"のダントンを賞賛した。

1792年12月15日、オランプはルイ・カペー(前ルイ16世)の裁判に先立ち、元国王の弁護をしたいと国民公会に申し出たが却下された。

これが原因で彼女王党派と疑われ、家には人が押し掛けて脅迫を受けた。また女権伸張論を快く思わない革命派は彼女の行動を取り上げて嘲笑を浴びせたが、彼女問題にしなかった。

1793年7月20日、オランプはロベスピエールらを批判するポスターを貼る準備の最中に、反革命の容疑で逮捕された。

共和制連邦制立憲君主制のどの政権を選ぶか住民投票にすべきと呼び掛ける本を著したことによって反革命的と見なされた。

11月3日裁判が行われたが弁護士が出席せず、代わりの弁護士を付けることを願い出たが却下され、オランプ自身自身の弁護を行った。

彼女無罪確信していたが、扇動的な態度や王政復古を企てたとして有罪判決下り、同日午後4時に処刑された。

俺達若者フランス革命のようにニッポン老人に対して革命を起こさなければならない

パリオリンピック開会式共同執筆者たちのインタビュー

マリアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図しりたくて、いろいろ読んだ。

具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。

id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。

増田フランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。

フランスインテル(という名の番組っぽい)

https://www.radiofrance.fr/franceinter/podcasts/l-invite-de-8h20/l-invite-du-week-end-du-samedi-27-juillet-2024-3772628

ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリアントワネットゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。

ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネット斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的イベント世界中が知っています私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たち価値見出していた(後述する)ロンドンエリザベス女王ジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。

ホスト歴史家パトリック・ブシュロンはどうですか。

パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的モニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たち勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家アイデンティティではなく、あくま政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。

(中略)

ホストダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分であるような感覚ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。

ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人白人アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループカリブ海)の音楽オーヴェルニュの音楽ヨーロッパ音楽を、同じ時にね。

LeParisianのブシュロンのインタビュー開会式前のインタビュー

https://www.leparisien.fr/jo-paris-2024/ceremonie-douverture-des-jo-2024-au-debut-vous-allez-peut-etre-vous-dire-oh-la-la-cest-cliche-26-07-2024-S35XYLUGNBG53ARPSYLRKMM5PM.php

トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。

(中略)

最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージ正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちエッフェル塔私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」

(中略)

幸せな猥雑さ(売春宿)」を見せる

共同執筆者たちは、過去の開会セレモニー研究しました。そして、アテネ謙虚さと、ロンドン自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズム拒否することにしたのです。

ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」

開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である

私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージ軍隊デモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」

パリ歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます

軍事パレードではない

英雄物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいていますセレモニーはそうでなければならない。私は歴史家からナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニー軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」

少し考えた後、彼はこう付け加えた。

「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリ世界を迎えるのであれば、ありのまま世界ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的ものですから政治的もの排除するということはありえません。しか世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」

彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。

RFIまとめ記事開会式の朝に出た記事

増田はルモンドやリベラシオン課金はしていないので、まとめ記事が助かった)

https://www.rfi.fr/en/france/20240726-we-need-this-moment-of-peace-say-olympic-opening-ceremony-storytellers

(略)

ジョリーと4人の作家2022年末に共同の冒険を始めたときルートはすでに決められていました。

東のアウステルリッツからまりノートルダム大聖堂マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリールーブル美術館ガラスドームが特徴のグランパレなど中世遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります

私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツからエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリール・モンドに語った。

私たちパリ歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑広場彫像文学的書簡映画ミュージカルも調べました。」

彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏執筆を続けた。

フランスカルト映画アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズエミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句アメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。

彼らはショーを12絵画セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートパレードと掛け合わせた。

3,000人を超えるダンサー俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンス披露し、それぞれの絵画は、パリシンボルと、過去現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界パリ​​の歴史建築の旅へと誘う。

例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式記念碑であり、19世紀作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています

世界最後テレビノートルダム大聖堂を見たのは、火災ときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志物語です。」

自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。

パーティーを開いてお気に入りプレイリストをかけるのとは違います世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」

(略)

エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年フランス革命から1948年世界人権宣言まで、「解放自由の偉大な物語」を提供すると述べた。

セレモニーの詳細は秘密ベールに包まれているが、フランス価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランスモロッコ人の小説家であるレイラスリマニは、パリ集合的であろうとする努力価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。

4人の作家は、自分たち物語に寛大な精神を持たせたかったという。

「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的価値観だけでなくね。」

ラグビーワールドカップの二の舞は避けたい

(略)

一方、昨年9月パリで開催されたラグビーワールドカップ開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。

アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽バゲットという出立ちで、1950年代フランスの村々を再現した模型自転車で巡り、ミルク絞りの女性ダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から時代遅れ陳腐フランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。

「ただの古臭い過去イメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家アイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから私たちセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」

フランス革命200周年

ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年フランス革命200周年記念式典を挙げている。

当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。

「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年ソ連中国天安門広場抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たち多文化フランスと呼ばれていたもの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」

数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗セレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。

結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。

それでも、暴力への抵抗必要性は残っている。

私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。

「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」

以下私なりの見解(読まなくてもいい)

なんでマリー・アントワネット

と思っていたけど、セーヌ川コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。

最後の晩餐のシーン

開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィア存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから真正からね。

要は、暴力クィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリ包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。

anond:20240729085348

フランス革命のことよりもフランス文化に対する理解がないとパリオリンピック開会式でのあの演出はわからない。

フランス人の言うユーモアとは不謹慎のことだと思っていい。

惨い歴史であるからというのはその演出を避ける理由にはならず、むしろ取り上げることこそが彼らのユーモアなんだよ。

マリアントワネットの生首がフランス革命の歌歌ってるのって、

日本でいうなら、信長本能寺業火に焼かれながらX JAPAN「紅」歌ってるみたいなことでしょ?

……ちょっと見てみたいな。

anond:20240729085806

オスカルについてはそこが最高の見せ場だもんね

 

アニメ化するらしいけどそのまんまやったら観る人が不満出るんじゃないか

フランス革命は本当は違うって

かといって革命側も酷いことたくさんやってて~みたいなのを差し込んで

作品として完成度が上がるかというと違うだろうね

パリオリンピックベルサイユのばら

開会式マリアントワネットの云々かんぬんであーだこーだ言ってるけど

ちょっと気になったんだど、ベルサイユのばらを読んでどういう読後感になるのが普通なんだろう

 

あくま作品だけ読んだというだけなら、基本的フランス革命は正しい、マリアントワネット

気の毒でもあるけど仕方ないって感じにならない?

 

なんかチラホラと日本ベルばら読んでるからフランス革命が酷い事知ってるみたいな

意見を見かけるけど何か書き間違いかなこういうの

2024-07-28

アントワネットの首とそのモチーフである聖ドニ

パリオリンピック開会式で、斬首されたマリアントワネット自身の首を持ちながら歌う演出があった

そのモチーフとなったのはフランス守護聖人聖ドニの逸話

パリで伝導していた聖ドニは異教徒の怒りを買い斬首されるが

自分の首を拾って説教しながら6km歩きそこで絶命したという伝説がある

マリアントワネットの首の髪型上方に伸びていたが

司教かぶる帽子イメージを重ねたのだろう

斬首刑にあった場所がモンマルトル殉教者の丘、絶命した場所名前をとってサン=ドニ

サン=ドニ大聖堂には歴代フランス王家の墓がある

しかギロチン処刑されたルイ16世マリー・アントワネットサン=ドニに葬られなかった

ナポレオン没落後のルイ18世時代遺体と思しき残留物がサン=ドニへ改葬された

日本語圏ではフランス革命やギロチンの良し悪しばかし論じられて

フランス国民なら誰でも知っているようなこういう背景情報は流れてこないが

文脈を踏まえてみると、やっぱり悪趣味だと思うね俺は

フランス革命が無ければ民主主義は無かった、みたいな過大評価も甚だしい言説を未だに信じてる人が多いのが驚き

現代フランスでもデモついでに商店街燃やしつつ略奪とかしてるし

フランス革命で気に入らない隣人をついでにぶっ殺してたのも普通にいい話なんだろうネ

マリー・アントワネットの生首について

批判してる奴はフランス革命のおかげで人権を勝ち得たことを知らない」とか言ってるけど、マリー・アントワネットギロチンにかけたジャコバン派恐怖政治は誰がどう見てもクソなんだから、やっぱりそんなのオリンピック肯定しちゃダメだろ、と思いました(ジャコバン派を習ったばかりの高校生並の感想)。

フランス革命否定するのは中世ジャップランドから

わーくには王権神授説を採用している

何があってもお上に逆らうべきではない

anond:20240728114630

日本大東亜戦争だって勝ってればフランス革命扱いだったし

フランス革命が失敗して、ただのテロとして片付けられてたら、ただのテロだったよね。

パリ五輪開会式を激賞してるぱよぱよぱよっぴ~さんは

そうしないと暴力革命を支持してる自分自我を保てないんだろうなって憐れみの目で見てます

フランス革命後の恐怖政治なんてモロにもし共産党政権獲ったらどうなるかを明示してるし

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