はてなキーワード: ハッピーとは
もう別れて4年経つ。
彼の事は別れた後半年くらいはちょこちょこ思い出したりしていたけど、だんだんと思い出す回数が減って、この2年くらいはすっかり忘れていた。
そんな彼といきなり夢で再会した。
夢から覚めた後、ぼけーーーっと思い返してエモい気持ちになったのでここにひっそりと書き残しておく。
彼とは大学で知り合い、社会人2年目の夏くらいまでの2年くらいをパートナーとして過ごした。
午前中の授業が終わり、即荷物をまとめ、駅まで続く坂を下っていたら、突然後ろから「ねえ!」と声がした。
あ、なんか落としたかな?と思って振り返ると、小走りで坂を下ってくる彼がいた。
「ねえ、歩くの早すぎない?」と妙に馴れ馴れしく声をかけられて私はちょっと嫌な気分になった。
「何か落としました?」と質問を無視して問いかけると、彼は笑って「いや、そんなんじゃないけど。あなた増田さんでしょ。」と答えた。
全く知らない人だったのでなぜ私の名前を知ってるんだ...?とかなり怪訝な顔をしたら、「俺、前にゼミの合同発表で会った事あるもん」と聞いてもないのに教えてくれた。
彼は私が何か言うよりも先に「明後日、授業終わった後にランチ行こ!」と誘ってきて、私が「え、あ、うん」とか何とか言ったのを確認して、坂を駆け上って行った。
私は坂を下りながら、呆気にとられるとはこの事かーなどと考えていた。
当日、私は知らない人とランチに行くのがめんどくさくて何とかしてバックレようと試みたのだが、あっさり大学構内で捕まってしまい、彼とランチをすることになった。
ほぼ初対面の人とはいえ、同じ大学に通う同学年の人なのでそれなりに共通点があり、ランチは案外盛り上がったような記憶がある。
ランチの後もなんだかんだと飲みに誘われる事が多くなり、気付いたらベロベロに酔っ払ってホテルに入っていた。
もう今となってはその時の行為がどんなだったか全然覚えていないが、お互いベロンベロンに酔っていたので適度な積極性もあり、それなりに満足できるものだった。
翌朝、駅まで歩いている時に手を握られて、付き合おうか的な事を言われた...気がする。もう覚えてない。
付き合いだしてからは本当に楽しかった。当時私は一人暮らしをしていた。彼は実家に住んでいたので、必然的にうちに入り浸ることが多くなり、一緒に買い物して晩御飯を作ったり、夜中に5km先のコンビニまで散歩したり、朝から晩までセックスしたりと楽しい事この上なかった。
私は彼のまっすぐな所や、どんな人も大切に扱う所、悔しい思いをしてもなにくそと強くなれる所が好きだった。
それに、晩御飯を作りながら飲むビールの美味しさや、煙をもくもく浴びながら焼き鳥が焼けるのを待つ時間のワクワク感や、駅の改札まで傘を持ってきてくれた時のキュンとした気持ちを、私が感じるのと同じくらい、幸せだと感じてくれる所が愛おしくてたまらなかった。
私が好きそうなカフェ、お気に入りのバー、彼の両親がプロポーズしたという思い出のレストラン、幼い頃から通ってる汚いラーメン屋、高校生の時初めて挫折を経験して男泣きした公園の東屋。彼が色んな場所でいろんなエピソードを教えてくれるたびに、彼が私を信頼してくれているのが分かって嬉しかった。
一人暮らしのマンションを引き払って、空港に行くまでの道中、彼が私の手を確かめるようにずっと撫でてて、それが切なくて涙が自然と溢れた。
飛行機に1人で乗り込んだ後すこししたら彼から「右ポッケ。」とLINEが来た。右のポッケには小さく折りたたまれた手紙が入っていて、「遠距離になっちゃうけど大丈夫。離れていてもいつも側にいるのを忘れないで。俺は君のことをずっと応援してるけど、本当に辛くなったら全部投げ捨ててもいいんだからね。」と書いてあった。
今思うとやけにドラマチックだな〜〜とそわそわしちゃうけど、当時はそんなこと1ミリも思わなかった。ただただ一番大事な人が近くにいない状態で新しい生活が始まるのが悲しくて切なかった。
お互い社会人になったけど、毎日LINEのやりとりは欠かさなかったし、電話もほとんど毎日した。予定が合えばビデオ通話で一緒に発泡酒で乾杯して、寝落ちするまで平気で5時間とかやってた。お互い実家だったからできた所業とも言える。
月に1回くらいのペースで会いに行ったり、来てもらったりして、なんだかんだで良い関係を続けていた。
そんなある時、私が浮気を疑われた。しかも割と細部まで知っているようだった。
実際のところ、際どいところまでいったのは事実。しかも酔っててあんまり覚えてない。状況から判断すると明らかにクロだけど、私は必死に否定した。
彼が私のスマホを盗み見したという所を執拗に責めて、論点をずらしてごまかした。
彼は一応というか一旦は水に流す、と言ってくれた。だけど、この事件から明らかに私たちの関係はうまくいかなくなった。
LINEはするけど、どこかよそよそしい。写真つきのLINEがほとんど来ない。私と会いたがらないし、愛してるとか好きとか言わなくなった。
私は2週間くらいかけて「あ、これもうダメなやつ」と理解した。
浮気を疑われるような事をしたのは私だし、もう私がどうあがいても関係が修復することは不可能に近いな、と。
それを悟ってからは、LINEするのを辞め、Twitterやインスタもログインすらしなくなった。とにかく目の前の仕事に没頭して、家にいる時間も勉強に費やした。
そして、1ヶ月くらい経った時、自分から彼に「会って話したい事があるので時間をください」とLINEを送った。
もちろん、私は彼と別れるつもりだった。浮気まがいの事をした自分をもう一度信頼して欲しいなんておこがましいと思ったから。
久しぶりに会った彼は前に会った彼と同じで、お気に入りのカフェで仕事の事とか季節の事とか、当たり障りのない事を話して緊張をほぐした。
私が別れを切り出した時、彼は私の提案に答える代わりに、椅子から立ち上がり、ひざまずいて「結婚してください」と言った。
彼の手には指輪の箱があり、中には一粒ダイヤのリングが光っていた。
しばらく状況が飲み込めなくて、10回くらい「え?」って聞き返した。
彼は椅子に座りなおして、封筒を私に渡した。封筒の中には婚姻届が入っていて、彼の書く欄は全て彼の直筆で埋まっていて、捺印もされていた。
別れるつもりでいたのに、まさかプロポーズされるとは。夢にも思っていなかった。
いざプロポーズされてみると、やっぱり嬉しくて、私は「私でよければお嫁さんにしてください」と泣きながら答えた。別れるつもりだったのにね。
私は彼と連絡を取っていなかった数週間の間になぜか上司に認められてしまい、数ヶ月後から新しいプロジェクトに投入されることになっていた。
これまで1年目の社員にこんなチャンスが来たことはないらしく、部内でも若干どよめきが走ったくらいだった。
そのプロジェクトは海外出張も多く、仕事に忙殺されることが予想された。
この仕事は私が入社前からやりたいと思っていたことそのものだったので、私は二つ返事で快諾した。
いざその仕事が始まってみると、家は帰って寝るだけ。休日は半分仕事で半分勉強しないと追いつかない。
毎日できていたLINEも出張やら会議やらでまともにできない。予想はしてたけど、その何倍もハードだった。
もちろん彼にはそのことも伝えて会ったし、彼も理解してくれてはいたけど、だんだん距離が離れて行った。
私がやばい、と思った時にはもう遅かった。
仕事の合間を縫って会いに行っても、無言でドライブ。険悪な空気のままホテルに入って前戯もなしのセックス。もちろん嫌だって泣いて訴えても力で押さえ込まれる。
彼の友達を交えてBBQをしても彼は私を放置して友達と遊びに行く。
存在そのものを無視されているのが手に取るように分かって辛かった。
最後は私も耐えられなくなって、弁護士に相談して社会的制裁を施して、ぐちゃぐちゃになったまま終了。
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別れて4年経った今思い出すのは、私の人生で一番好きだった人との幸せな思い出と、一番憎かった人とのぐちゃぐちゃの修羅場。
もし人生で一度だけやり直すことができるなら、浮気騒動の前に戻りたい。本当にあれは私が悪かった。あれからお祝いの席以外ではお酒飲んでない。
「理不尽は突如やってきて、乗り越えれようが乗り越えれまいがお構いなく、都合も考えずにとんでもないのぶっ込んでくるのが人生だ」
というところ
幽霊2人も理不尽に死んでいるし、登場人物のほとんどがわけありだけど、だからかわいそうとか、だから人生イージーにしてやれよとかではなく、みんな理不尽を受け入れて暮らしている
春の湯は誰も拒まない、というのは、理不尽にあらがわないという意味でもある
最後のおっこの、「私は被害者の少女ではなく、ただの若女将です」というセリフは、「過去を乗り越え加害者を許した言葉」ではなく、「過去の理不尽と今の暮らしを断絶させる言葉」であるのよ
おっこの心は完全にぶっ壊れていて、トラウマでパニックになれば親の幻覚もみるレベル
それが、許しをこう怪我人を前にしたら急に受け入れられるようになるなんて有り得ないわけ
それでも、ぶっ壊れた心を持って、これからの人生を生きていかなきゃいけない
そこで出たのが、事故のことはキャパオーバーです、という表明の言葉だと理解している
おっこは過去を、受け入れず、忘れて生きていくんだよ
あれだけの経験は、乗り越えて強くなってハッピーなんてなるわけなくて、一生彼女の人生に影響を与え、影を落とすわけ
いやー、色々リアル過ぎる話
広い放飼場の周りをひとしきりウロウロして、「コビトカバってよくみるとデカいですわね」なんてゴミみたいな感想を抱いたあとふれあいコーナーに向かいますの
エントランスの内側からは開かない錆びた扉みたいなやつを開けて、消毒用アルコールを手に塗り込みながら気持ちを高めますの
ふれあいコーナーって言うから結構動物が寄ってくるのかなと思ってあらかじめ袖を上げてふれあう用意をしたりするのですが、入ってみると案外寄ってきませんの でも確かに家畜の空気を吸ってああ動物園に来たのですわよ!と改めて思うんですの
で、順路をゆったり回り始めますの ふれあいコーナーには大体注意書きが貼られていまして、飼育員さんが描かれた絵なんかが入っていることもありますの つっても”口元に指を出さないで”みたいなやつばかりでたいして見応えはないのですが、とは言えその辺で見られるものでもないのでしばらく見入ったりしてしまいますの
さすがに変な動物が多くて、いちいち足を止めて解説を読んでしまいますの 立食パーティなんかと比べると圧倒的に人出が少ないので少々立ち止まったところで罪悪感もありませんの 遠目に見てヘンな動物の近くに寄ってよく見てみるとさらにヘンなところが見つかったりして面白いですの
わたくしを威嚇する声を聞きながらいろんな動物を見て回るとずいぶん癒やされる感じがいたしますが、運動不足がたたって足は普通に疲れますのね ベンチに座ってみるとまた落ち着いて見られるのでちょっと趣が違う感じで楽しいですの
ふれあいコーナーが終わると、ちょっとヒンヤリした水道で手を洗いますの 水道の横にはポンプ容器に入ったこぢんまりとした感じのビオレu 薬用泡ハンドソープが並んでいますの これに関してはハッピーバースデーを二回歌ってよく洗います 普段衛生のことなんて気にしていませんが、不潔と言われれば確かに野山と同じ感じですわねなんて思いながらひとしきりゴシゴシして、外に出るとおさわりは終わりですの
放飼場はまだちょっと見てないところがありますがもう足も疲れましたし、逃げるようなことがあればニュースになるということで帰ることにいたしますの
テレワークがもてはやされてる昨今だけど、テレワークはダメだ。
正確には商品開発して、自社内で完結できる仕事ならいいけど、取引先があるような所はダメだ。
テレワークが始まってから、東京にある開発請負企業の進捗が著しく下がっている上に、レスポンスが悪くなりすぎている。
お尻が決まっているので、こちらは焦ってるのに向こう側は全然焦ってない。進捗が悪くてもせめて問い合わせにはちゃんと答えて欲しい。
正直スケジュール通りに進めるのが難しいならさっさと予定引き直す事を提案して欲しいし、詰まったらさっさと電話してきて欲しい。
会議が必要ならさっさと人集めるからとにかく連絡きっちりして欲しい。
テレワークで特に問題ありませんみたいな感じだけど、全然出来てない。
テレワークしてる方々は通勤時間が無くなってオフィスの家賃はなくなってハッピーだろうけど、そのしわ寄せがこちらに来ている。
常々バニーガールのキワッキワの谷間とか、ギリッギリの鼠蹊部とか、アミッアミのタイツを見てハッピーになりたいなと思っていた。2019年12月末。久しぶりに会った大学時代の友人と2人で飲んでいた時、ちょうどエロの話で盛り上がったので、一緒にバニーガールバーへ行くことにした。
バニーガールバーは古い雑居ビルの4階に入っていた。2階には「マッサージ、ドデスカー?」的なお店。3階にはメイドバー……という、いやらしい匂いがぷんぷんと漂うビルの狭い階段を、ドキドキムラムラしながら友人と登った。
俺たちを迎えてくれたバニーガールは期待通り股間に訴えかけるものが多分に含まれた芸術的な衣装で、さらに愛想も良く、俺はハッピーになり始めていた。俺と友人の仕事の話だとか、網タイツがしょっちゅう破けて困るだとかそういう話題を経て、このバーが入っているビルの話題になった。俺はなんとなく「下のメイド達と交流とかはあるの?」と聞いてみた。するとバニーガールは、眉をひそめ「メイドはやばいコばっかなんですよ〜」と言って話し始めた。
「あのコら、あの狭い階段で全ッ然道譲らないの。あのスカート、広がっていて邪魔だッていうのに、全く知らん振りなんですよ!」
友人が「メイドやばいのおもろいな〜! どこのメイドもやばいんかな?」と言うと、バニーガールは一層嫌悪感を露わにして
「いや、絶対そうですよ。前メイド喫茶でバイトしてましたけど、あのコら無断欠勤とかめっちゃするし、礼儀とか全ッ然身についてないし、頭おかしいコばっか。メイドにまともなコなんてほとんどいないですよ!」と言い放った。
彼女はメイドに差別的な発言をしたと感じた。その場は「へーそうなんや」と言って別の話題に切り替えたが、友達と別れた後にジリジリと不快になってきた。
この「不快」というのは、友達同士との何気無い会話の中で、特定の人種の人々に対する、本人にとっては悪意のない差別的な発言と直面した後にも迫ってくる。だがそれらは決して差別的な発言そのものに対する、怒りだとか、悲しみといった不快感という意味ではなく、自分の感情のあり方にぐるぐると悩み初め、その取り扱い方に困ってしまう、という不快感だ。
その後振り返ってみて俺はどう感じたか。
メイドへの差別的な発言を目の当たりにしたが、咄嗟のことだったので「そんなことを言ってはいけないよ」とバニーガールに指摘すべきだったが、できなかった。そのことについて悔しさに震えた。
いや、それは違う。単にバニーガールの機嫌を損なうのが恐しく差別的な発言を指摘できなかっただけだ。それをメイドに糾弾されるのも恐ろしく、「悔しかった」と言って誤魔化し「咄嗟のことだった」と言い訳をしているに過ぎない。結局俺は周囲を顔色を伺ってばかりいるような人間なのだ。俺は自分の臆病さを情けなく思った。
いや、本当に考えるべきことは、差別的な発言を指摘できた・できなかったという次元ではなく、そもそもなぜバニーガールの彼女はメイドへ差別的な発言をしたのか、という点かもしれない。彼女自身について少し考える。どうやら彼女は、自身が「ヤバいコが多い」と感じていたメイドをやっていたようだ。それに、彼女とは別のバニーガールはアームカットの跡で肩がまるで焼きイカのようになっていた。彼女のことはよく知らないが、働いてきた中で結構追い詰められていて、メイドを差別し見下していないと自分を肯定できない状態に陥ってしまっていたのかもしれない。俺はそんなバニーガールの境遇に同情し心を痛めた。
いや、これはバニーガールを「メイドを見下さずには自分を肯定できない」と見下すことによって、俺は自らを肯定しようとしているのかもしれない。それを偉そうにバニーガールの境遇に対する同情だとか言い繕うなんて、なんて高慢で卑怯なんだろう。俺は自身の卑劣さに悲しくなった。
いや、そもそも悔しさに震えるのも、臆病さを情けなく思うのも、同情し心を痛めたのも、卑劣さに悲しくなったのも全部嘘で、結局どれも「差別はよくない」という世間に受け入れて貰うための薄ら寒い演技に過ぎず、本心はただ寂しさを埋めるために差別問題を利用しているだけではないだろうか。いやいや、それもまた違って……。
差別的な発言に直面すると自意識という触手にがんじがらめにされ、一体自分がどう感じているのかが全くわからなくなってしまう。鏡合わせの空間に迷い込み、どの鏡に映る自分が本物なのかわからなくなってしまったような不安に陥る。そういう意味で、差別的なシーンはとても不快だ。
こんな不快な思いはしたくないし、バニーガールとメイドが共存し手を取り合い、2人で俺を笑顔で迎えてくれる社会になるのであれば、それはとてもとてもハッピーな社会だと思う。なのでこのバニーガールによるメイドへの差別問題がなくなれば良い、とは思う。
しかし、差別問題について解決しようだとか、どうこうしようだとか考えるのは、メイドでもバニーガールでもない第三者の俺にとっては想像以上に体力を消費するし、例の不安な気分に陥ることになる。こんなことに頭を悩ます位ならば、例えばマイクロビキニの女の子について考えていた方がハッピーだし、有益な時間を過ごせるだろう。よし、というわけで今度はマイクロビキニバーへと行くことにしよう。
自分はアラサー女で、凄まじい孤独感に襲われて四六時中陰鬱としているため、叶うなら彼氏や彼女が欲しいんだけど、自分に他人との共同体を育む才能がないためにそれも叶わず、やるせなさに落ち込んでいる。
そもそも人間性における自己評価がばちくそに低い。自分は決して思いやりに溢れた人間じゃないし、ルックスも優れていないし、気分屋だし。あと、1人の時間が一定時間ないと気が狂う。
そういえば協調性がないこともあって、小さい頃から空気が読めず親から虐待されて育ってきた。
毎日傷だらけだったが親なりのしつけだと思い特に反抗もしなかったが、出来損ないの自分に嫌気がさし、就職して家を出れることが確定するまで、多くの年数を自殺願望と共に過ごした(意気地なしなのでそれも遂行できなかったが)。
人をすきになっても、交際したり、結婚したり、そういうことをするのがすごく怖い。自分の気持ちを押し付けるようなことができない。毎回ただすきになるだけで終わる。その人のことがすきだからこそ、このままでいたい。別に自分と一緒にならなくても、その人が幸せになってくれるならどんな形であっても構わない。関係性が壊れるくらいなら、自分の思いなど叶わなくて良いと、そう思っている。
先日学生時代の友人の結婚式に呼ばれてスピーチをしたんだけど、学生時代の「好きな人」だった彼女が幸せそうに笑うのを見てとても嬉しかったし、これまでの判断の積み重ねがあって今があると思う。
自分の幸せに価値がないと思う。自分の独りよがりな幸せに付き合わされる人間がかわいそうだから、そんな人は作ってはいけないのだ。
友人が次々と結婚し、独り者がいなくなっていく中で、皆が私のことを仕事に生きるひとだと思って誰も何にも思いやしていないけれど。みんなには一番大切な誰かがいるのに私にはそういう人間が今後も現れないような気がとてもするので、ちょっとつらくなってきた。
みんなこれから子供を産んで、家族が増えて、ひとり圧倒的な自由度を誇る自分は、あらゆる感覚がズレていくだろう。
んが亡くなったりして、世の中に辛いニュースが溢れてしんどいねって。その気持ちを先述の友人に吐露したら
半年前に生まれたお姉さんの息子さん(つまり彼女から見て甥っ子)の成長に関する報告があって、彼女自身はそれでかなりハッピーな気持ちになったんだろうし、励ましてくれようと思ったんだろうけれど、私は「他人の赤子の成長」にしか感じられず、逆にそういった幸福感とは真逆の毎日を送っているので若干苛立ちさえ感じてしまった。
「最強の人」に近づいてるみたいで。
令和にもなって結婚して家庭を持つことが幸せの最適解だとは流石に思ってないけど(そもそも自分は同性婚ができない時点で選択肢が半分なんだけど)自他共に認める、世界で一番愛していい人がいて、その相手から愛されている肯定感は、私を救ってくれる甘い蜜みたいにみえることがある。
今流行りのzoom飲み会とかでも、相手先が夫婦でちょっとイチャイチャしてたりすると、昔はこういうのいいなって穏やかに見てたけど、最近は謎にモヤるし、私はやがて幸せな人間を見ると許せなくなっていく美少女変身アニメの敵みたいになるのかなと思いゾッとする。
自分が変われば、とか色々あると思うけど、昔自室で飼っていたペットも世話の不足で殺してしまったことがあるし、他人と一緒に暮らすことができるっていうのは
ある種才能だと思うんですよね。