はてなキーワード: デザイナーとは
東京最低最悪最高って漫画、同じ作者の落ちてよケンさんの時も思ったけれど
何だろう、学生時代にデビューして、ずっと漫画家やってた人なのかな
あるいはわざと変なふうに描いているのかもしれないけれどそれにしても違和感。
故郷での生活と比べて東京での生活を自由な性格みたいに描いてるけれど、デザイナーってクライアントに従うからそんなに自由ではないし、
ビジネスやってたら好きな時間に寝て起きられるなんて事はないと思うんだけど。
東京の方が満員電車のせいで早起きを強いられたりするし、ビジネスマナーで何から何までガチガチだったりするよ
あと途中まで婚約者の顔を描かずに金と安定目当ての身売り婚みたいに描いておいて
結局主人公の事を全部分かった上で惚れてる理解ある彼くんでしたエンドってのも…
地方出身女子は読んで!解像度が高い!とか言ってるけど、この漫画のどっこが解像度高えんだよ
俺が考えた男尊女卑みたいな感じでうげえとなった
私は福岡出身で男尊女卑が嫌で東京に出てきたけど全然的外れだわ
→福岡から出れない女は嫁の貰い手はなかなかないので妹のような余裕はかませない
●この家は男はずっと座ってていい
→ひょっとするとこういう家はあるかもしれないけど、福岡市だともうほとんどないと思う
●ここでは女にとって一番大事なのは綺麗な服を着ることと家事ができることであって本をいっぱい読んでることなんてどうでもいい
→女がファッションと家事重視でいれるほど福岡は豊かではありません
●娘さんをくださいと言わないとダメ
→そんなのこだわる家あるのかもしれないがめったいないだろ
→支店経済で確かに雇用はかなり弱いと思うけど医療しかないは明らかに言い過ぎ
IT系頑張ってるだろ
→これだけは本当と思う
ただデザイン系学びたいだけなら関西でもええし福岡市には国立でデザイン学べる旧芸工大があるぞ??あれれ?
●早く子供作れという親と
●弟を家族でなんとなく優先してるとか
そういう描写にすべきなのよ
本気を見せなきゃならない。ロシアに。
プーチンがウクライナ侵攻とかいう言語道断の態度を止めないなら、
……と同じような論理だと思う。無辜のジャニーズメンバーを採用拒否するのは。
威力に訴えるのでなく、表現を駆使して事務所に批判を届けるべきだ。
女性を性的消費するフィクションは、不買運動などの威力行使を非難して「言論を使え」というくせに
男性タレントは平気でキャンセル・カルチャーする男女不平等の態度がバレてないと思ったら大間違いだ。
巨乳公共広告が取り下げられてもデザイナーは食いっぱぐれないが、ジャニーズ・キャンセルを正義と見た企業が相次いで採用拒否したら罪なきタレントは失業すんだよ。
ググったら予想以上に設定が細かくて草
ソレナンテ・エ・ロゲ(Sorenant et Roage)は1599年4月1日生まれのフランスの評論家である。
主に人間の性欲に対する研究を行い、また、学会では批評を行った。
●誕生
父親は後にフランス東インド会社となるパリ国営貿易会社本部の創始者であり、また、母はルイ11世の服装を製作するデザイナーという大富豪の家に生まれる。
幼少期には何にも興味を示さず、養育係やメイド達を困らせたが、13歳の時に友人であるピエール・ダレソレの奨めで同級生であるエマ・ギラクサと付き合う。
それをきっかけに恋愛にのめりこみ、数年のうちに数十人の少女と付き合ったという。
しかし、両親は一人息子が初めて物事に興味を持ったからと屋敷に離れ屋を作り、そこに彼女達を住まわせたと言われている。
なお、後にこれが現代のラブホテルの発端になったという説もある。
20代前半にして、既に100を超える女性とつき合っていたソレナンテは女を見る目が肥えて、フランスの週刊誌「プワソン・ダヴリル」に女性との付き合い方についての1コーナーを担う事になる。
そのコーナーは女性と付き合う為のバイブルとして貴族から平民まで幅広く読まれる事になった。
また、沢山の女性と付き合いながらも、三角関係を円満に解決したり、アメリカから連れてこられて売春婦にならざるをえなかった女性の人権についての批判もしていた。
そんな中、女性の人権を守る会(ドロワ・プル・プロテクション・ドゥ・ラ・ファム)の会長マルキ・ド・サドに注目される。
彼は活動当初は男尊女卑の社会であった為全く注目されなかったが、徐々に思想が広まり、認知されて来ていた。
そんな彼が、ソレナンテに注目したのはある意味必然とも運命の悪戯であるとも言えるだろう。
また、サキュバス・インキュバスの研究をし、それが強姦による妊娠への言い訳であるという批判をしていたザッヘル・マゾッホも彼に注目。
やがて同志となった。
しかし当然の事ながら、男尊女卑の体制を敷いていた貴族から危険分子として注目されてしまう。
貴族達の陰謀により彼らは何度も逮捕され、また釈放されては活動を行い逮捕されを繰り返した。
「またお前か」
と半ば飽きれられる程の知り合いになり、囚人が寝静まった頃こっそりと酒を飲む仲になっていたという。
そんなソレナンテだったが、貴族の陰謀によりついにルイ14世によって処刑が決定され1664年2月30日に処刑された。
まだ社会に出ておらず知恵遅れでそこそこ可愛くて痩せてた20代前半の頃、ガチで性知識がなく人間は全て善だと思っていたので、出会う男ほとんどからセクハラをされていた。性被害やストーカーなども絶えなかった。私は自分のことを可愛いとは思わないが、男からは可愛い(バカでやれそうな女の意)と言われていたので、まあ下等生物(穴)に見られていた。どうにか穴は守れたが、家に乗り込まれた時、男性恐怖症を発症して引きこもりになった。
それからはもう凄い勢いで肥えた。
20kg近く増えた。
アラサーになった頃、引きこもりをやめて外に出て婚活を始めた。まあ男性恐怖症だけど年頃だしと思ったからだ。
だが、1人も釣れなかった。
穴モテすらされなかった。
この時、初めて男と対等になった気がした。
ストーカーもされない、怖いことはない、なんなら男が逃げていく!私はこの頃ガタイのいいデブだった。
フリフリの服をすっぴんボサボサの髪で着て歩くようになった。デザイナーさんには申し訳ないが、好きなものを好きなように着るのは楽だった。それに「整えていない女」が可愛い服を着るのは「ヤバい女」の判定を喰らうことを理解したので、私は夜道を1人で歩けるようになった。
もう性器を見せられたり追われたり叫ばれたり郵便物を見られたり住所特定されたり揶揄われたり処女か聞かれたり卑猥なことを聞かれたりすることもないのかと思うと、デブスに甘んじていてよかったなと思う。恋愛はしてみたかったけど、誰かのせいの捌け口になるのが怖いから最初から無理だった。結婚してみたかったけど最初から無理だった。なら、もういいよね。
周りの人は痩せろ化粧しろ服変えろというけど、これが一番安全なのだ。変える理由がない。
デブになってよかった。
幼稚園に通う子供がいて、園グッズを作りたくてパウパトの生地を探したんだけど
全然かわいくない
(今さら子供の園グッズを作るのは季節外れですが、ハンクラが趣味のママは好みの布を見つけたら必要なくても子供の園グッズを作ります。趣味なので)
私がかわいくないと感じるだけでパウパト好きな子供から見たらかわいいのかアレらは
パウパトのキャラクターがデフォルメされた生地がかわいくないので、かろうじてこれはありかなと思える生地を買ってみた
キャラクターがデフォルメされてない原型でプリントされてる生地
生地、たくさん売りたいでしょ?
パウパトの生地を買うのはハンクラ趣味のママなんだから、主婦がほしいって思うようなデザインで売ってよ
わたしの子供は女の子だから、エベレストとスカイがメインのすごくかわいい生地を売ってほしいよ
来年の新作に期待だわ
異性愛者の男から見ても、男の整った筋肉は惚れ惚れする対象だし、
異性愛者の女から見ても、スタイルのいい女性の身体は見惚れるもの。
「自分たちと同じ種族の、健康でバランスよく整った肉体」を美しいと感じるのは、別に性欲抜きでも自然な本能だと思うよ。
『ランウェイで笑って』という服飾デザイナーの世界を描いた名作漫画があるんだけれど、
その中でも「人の肉体は美しい、だからそれを生かす」ことを重視した服を作る天才デザイナーが描かれていた。
だから気合の入ったドレスは、派手に背中を出したりと露出度が高くなりがち。
身体のラインが見えるボディスーツは、「戦闘服」としてしっくりくるビジュアルに見える(健康的、すなわち強いというイメージになるから)。
健康な肌が露出していることや、整った体形のラインが見えていることは「美」なんだよ。
人にはそれを美しいと感じる本能がある。
水着に感じる主なイメージとして、「エロい」以外に「健康的で美しい」があることは否定できない。
特になまめかしいポーズをとらなければそちらの方が強いし、女性だって女性の水着姿は好きだ。
ギリシャ彫刻に限らず、裸体は古来から芸術のメジャーな題材だ。
あれが全て「当時は下世話な性欲のために創られたもの」とはいえないだろう。
極論すると、これまで日本車ってデザインに力を入れてもそれが販売数に繋がらなかった。
(「これまで」というのはマツダがデザインの力で車を沢山売るようになるまで、ということ。)
いや、もちろんこれまでもデザインで選ばれる車というのはたくさんあった。
どういうわけか時代の流れとたまたまタイミングがピッタリとあって、
デザインの力で売れる車を作ってやるんだ!という哲学はそこにはなかった。
マツダ以前もデザイナーは必死こいて頭を捻って、いいデザインの車を考えていたと思う。
でも、やっぱりそこには妥協があったんだと思う。
営業からの「こういう車を作って欲しい」とか技術部門からの「ここの空間は必ず必要だ」とかそういう要請のほうが優先されていたのではないかな?
なぜかというと。
ぶっちゃけ、車はデザインの力で売れるものではない、という常識のようなものがあったんではないか。
いやいや、うちはヨーロッパのメーカーじゃないんだからさ本気でデザインやろうとしてどうすんだよ?みたいな雰囲気があったんでないか。
そこのところをぶち破ったのがマツダだったんだと思う。
マツダは日本の車メーカーではじめて車をデザインの力だけで売るんだ!と決断して、
そして成功した。
売れるものは恥ずかしげもなく真似する。
新しいプリウスのデザインなんて、昔だったら企画の段階でダメ出しにあってポシャってたんじゃないかな?
でも、今は違う。車はデザインが良ければ売れるのが証明されたからだ。
とまあ、かなり極端だとは思うけれど、ざっくりこんな感じの認識の仕方をしている。