はてなキーワード: オルガスムスとは
俺が少数派だということは承知しているが全男性がこうだと思われても困るので俺個人について書く。
なお俺は童貞&処女の20代後半、体の性も性自認も男のパンセクシャル(バイに似ているが、バイセクシャルが「男と女の2性」を対象とする(バイは「2つの」の意。バイシクルとかバイアスロンとかバイナリとか。)のに対しパンセクシャルは「男女以外の性や無性も含む全て」を対象とする(パンは「全」の意。パンゲアとかパンデミックとかパノラマとか。)という違いがある。俺個人としては「文章だけを見て性を判断できないのと同じように容姿や声を観測したところで性は判断できないだろ、エロいかどうかに性が関係あるかよ」という立場だが、パンセクシャルが全員そう思っているというわけでもないんじゃないか。知らんけど。)
途中で飽きてきたのが目に見えて分かる。
文化人類学者たちの報告によれば、現代においても、アマゾンとまではいかなくても、女性上位の社会はいくつか存在するようである。しかし、地球上の大部分の社会では、我々の社会のように、男性上位になっている。これに不満をいだく一部の女性たちが、最近、ウーマン・リブとやらいう運動をはじめて話題を呼んでいる。ウーマン・リブとはウーマン・リベレイション、つまり女性解放のことである。
だいたい女は男にくらべて脳細胞の数が少ないせいか(日本人の場合、脳の重さの平均値・男1372.9グラム、女1242.8グラム)浅はかさと愚かしさをもってその身上とし、それがまた魅力ともなっているのだが、浅はかさもここまでくれば、いささか許しがたい。
女性解放運動というのは、昔から禁酒運動と同じくらいポピュラーで、同じくらい成功率が低いものである。理由は簡単。禁酒を望む酒飲みと同じくらいの比率でしか、解放されたいと願う女性がいないからだ。
ウーマン・リブの指導者にはくやしいことだろうが、大多数の男が男らしくありたいと望むように、大多数の女は女らしくありたいと望んでいる。
ある日、男らしくない男たちが大同団結して、男らしさが、侵略と反革命を支える。男らしさの返上。男らしさの基準で男の優劣をきめる社会に怒りをたたきっける」とわめいてデモりだしたとしたらどうだろうか。あるいは、突然豚に知恵がついて、豚らしさの返上。豚らしさの基準で豚の優劣を決める社会に怒りをたたきつける」と、ブーブーいいだしたらどうだろうか。
女性に特有の思考様式は、現実を無視して議論を展開することである。
現実の第一。原始、古代社会においては、母権社会、アマゾン社会がかなり存在したにもかかわらず、いまは見る影もないということ。これが意味するものは、女性上位社会は、人間社会史において自然淘汰された不適応社会であるということ。社会の不適応性は、その社会体制維持のために、どれだけのエネルギーを必要とするかにかかっている。
歴史上、女性は抱く女から抱かれる女へなることによって自己解放をなしとげ、現に解放された存在なのである。ウーマン・リブが志向しているものは、一種の先祖帰りでしかない。それはフランスの王統派と同じくらいアナクロである。
ウーマン・リブの幻想をかたちづくっている現実無視の第二は、女性が生理的にも心理的にも、抱くよりは抱かれることに適しているのだということに目をつぶっていることにある。人間の生殖器官の構造と機能を一べつしただけで、生理的に、男性は能動的、女性は受動的にできていることがわかろう。
心理的には、女性心理学の第一人者、ヘレーネ・ドイチェが指摘するように、女性の特性はナルシシズムと受動性の二語につきている。しかし、不幸なことには、ごく一部の女性は、正常な女性心理の発達を阻害されて、抱かれることより、抱くことを望むようになる。
マリー・ボナパルトは、正常な女性は膣型であるのに対し、この種の精神的不具の女性は陰核型であるという。陰核は発生学的にいって未発達のペニスである。彼女たちは、膣という素晴しい道具を持っていることを知らずに、陰核がペニスなみでないという点に欲求不満を持ちつづける。その結果は、真のオルガスムスをついに味わえないという結果になる。
ウーマン・リブは、一夫一婦制を、女の性欲求の封じ込めと非難するが、これは彼女たちが精神的不具者であることを公表しているようなものだ。正常な女性の性心理からは、女性が自ら一夫一婦を望むものであることは、あらゆる心理学上のデータが証明している。
多淫な女、複数の男性を望む女は例外なく冷感症、不感症なのである。オルガスムス不全がニンフォマニアとウーマン・リブを生むといっても過言ではない。女性が真に解放されたいと望むなら、早くオルガスムスを味わわせてくれる男を見つけることだ。そしてそのとき、オルガスムスを味わうためには、女は抱くことより、抱かれることが必要なのだということを忘れないことだ。
●知の巨人・立花隆先生による井田真木子著「プロレス少女伝説」評
「プロレス少女」はどうでもいいことを巧みに書いた典型のような作品である。
私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである。
花粉症の辛さについては、周囲の患者である上司や先輩からは嫌という程聞かされてきたが、私も遂に、という思いである。
増田の聡明な諸兄は当然にご存知のことと思うが、花粉症とは正しくは花糞症と書く。
すなわち宙を舞う花の糞に、我々は臭い臭いと鼻汁を垂らし、何としても吸い込まんとくしゃみ、糞にまみれた哀しい己の境遇を嘆き涙を流すのである。
ちなみに花粉症という誤表記は、今日日世に蔓延る「腐女子」なる変態女どもが、花粉、つまりこれは植物の精子のことであるが、擬人化されたたくさんの植物たちが春の訪れを悦ぶ余り一斉にオルガスムスを迎えてこれを放出し、これによって人間男子諸君が種付けされるさまを妄想したことによって生まれた、ネットスラングであることが知られている。
かくいう私も今朝ほど、日課である我が社の経営理念と社歌の独唱を終え、いざ我が城へ繰り出さんと社宅より表へ出るや否や、激しい悲しみに襲われ目が痒む痒む。
毎朝仕事行きたくないお腹痛いと涙したのも遥か昔のこと、今では一人前の会社人として、スキップで駅へ向かい、満員電車でツイストを踊る私である。
そんな私が通勤路という至福の道程を涙で曇らせるはずがない、私が会社に行きたくない訳がない。
会社の方角を見上げ、息を呑んだ。瞬間、鼻汁が垂れ、くしゃみ、確信した。
ああよかった、これは花の糞のせいだと。
http://anond.hatelabo.jp/20151223021454
http://anond.hatelabo.jp/20151223201827
すみません、御二方に便乗する形になりますが、少し思うところがあったので。
未知なる快楽に挑戦するといった観点からは、たしかにアナニーもサイニーも有効なアプローチですし、そういった活動に真摯に取り組まれる方を心から尊敬しています。
ですが、もしも本当に《快楽の彼岸》へ辿り着こうとするならば、私たちは現実を捨てなければならない。私は長年の自慰研究において、そう確信したのです。ややマイナーな部類ではありますが、ここではユメニーをご紹介いたします。
ユメニ―というのは、その名の通り「夢」のなかでオルガスムスに到達する方法です。
前提条件として
1.夢の内容を記憶していること
2.夢を自由自在に操れること
の3点が必要です。そう、つまりは明晰夢によって極地に達するわけですね。
ユメニーの場合、男性は大変ですね。男性は性的な夢を見ると、無意識的に射精をしてしまう性質(夢精)があります。これがユメニ―修行の大きな難関として立ち塞がります。
男性はこれまでの経験から、「射精の瞬間」を悦楽のクライマックスだと誤認している。まずはこの認知のエラーを修正する必要があります。(手始めにアナルを開発すると良いです)
夢のなかで満たされる快楽と、精液を放つ快楽とでは、まさに「月とスッポン」です。たかだかスッポンの快楽に溺れて愚かな行為に走ってしまう人が後を絶たないことを、私は悲しく感じますし、憐れみさえ覚えるものです。
私たち人間は、理性ある動物として、肉体的な快楽と決別すべきです。さらなる高み、上位の快楽次元を追求し《超人》を目指すのです。
快楽上位次元への到達が唯一可能なのは、ユメニーだけであると私は考えます。
いいですか? 夢のなかでは、時間も、空間も、すべて私が支配する。《空間と時間》というアプリオリな概念を夢によって塗り替えるのです。
私たちユメニストは、日頃から「夢日記」「アクティブイマジネーション」「瞑想」「補色残像を用いたイメージ拡大訓練」「体外離脱」「自律訓練法」「意図的に金縛りを引き起こす」などの血の滲むような修行を積んでいます。明晰夢の完全会得には、私も4年の歳月を要しました。
初心者の方には「夢日記」をおすすめします。夢の内容を忘れてしまうのではユメニ―など夢のまた夢ですので、まずは夢を忘れない能力を身につけてください。
夢日記を1年間も続ければ、かなり鮮明に夢の内容を記憶しておくことができます。
夢日記は、枕元にノートとペンを置いておくか、もしも初期投資を惜しまないのであればポメラを買って活用するのが良いです。
私はすべての夢をポメラで記録していますが、あれはとても楽です。Wordに移して確認してみたら、夢日記の総文字数が300万文字に達していました。小説を書くわけではないので、文体はめちゃくちゃで、箇条書きや単語の羅列でも構いません。とにかく「継続すること」が大切です。
夢を記憶できるようになったら、次は明晰夢(夢のコントロール)を会得します。詳しい訓練法と書くとこのスペースではとても書ききれないので、ググってください。
『最近幽体離脱にはまった』というタイトルの2chウィキがおすすめです。
幽体離脱と聞くとオカルトな印象がありますが、言ってみれば身も蓋もない「明晰夢」のことです。したがって「幽体離脱を会得する=明晰夢を会得する」と考えて頂いて大丈夫です。
幽体離脱ができるようになったら、いきなりエッチなことをするのではなく、まずは「夢の滞在時間を伸ばす」訓練に努めてください。私の場合は「夢世界でカップラーメンを作る」という修行を積みました。これで最低でも3分間は夢世界に滞在できるのです。
自称「明晰夢者――クリアドリーマー」には、たった10秒間くらいしか明晰状態を維持できないのに「俺はできる」と思い込んでいる人がいます。私もかつてはそうでした。
しかしそこで満足していては成長がありません。明晰夢ができるようになっても、現状に甘んじてはいけません。人間はいつだって成長できる。精神的に向上心のないものは、馬鹿です。
熟練のプロともなれば、夢世界で3年近くを過ごせる人もいます。(3年というのはあくまで体感時間であって、現実時間ではありません)
年レベルでダイブするにはコツがあって、それは「夢のなかで眠り、もうひとつの夢を見ること」(夢中夢を意図的に作り出すこと)です。夢中夢をある程度コントロールできるようになれば、目が覚めてもそこは現実世界ではなく夢の世界になりますので、理論的には半永久的に夢のなかに留まり続けることができます。(理論通りにいかないのは、人間の肉体としての限界が必ずどこかで生じるからです)
ユメニ―の素晴らしさを知らない人が「たかだか夢のためにどうしてそこまで努力するんだ?」と疑問に思われるのは仕方のないことです。しかしよく考えてみてください。もしも夢のなかで、なんでも自分の思い通りにできて、しかもそのリアリティが現実を上回るのだとすれば、それに優る幸福がこの世界のどこにあるというのでしょうか。
私は夢のなかではすでに、恋人と5年以上付き合っています。夢のなかでは友人にも恵まれ、永遠の青春を満喫しています。現実世界のことで悩んでいる人たちを見ると私は「まだ現実で消耗してるの?」と声をかけたくなるのです。
まずは夢日記、それから明晰夢です。高度に情報化された世界では、夢の操縦法なんてものは検索すればいとも簡単に情報が手に入ります。最初の第一歩を踏み出すのは、これを読んでいる方々です。
えーっとどこまで話しましたっけ。というか今私は文章を書いていますが、ここって本当に現実世界なのでしょうか。
多分書いたと思いますが、今ここにいる彼女が、5年間付き合っている私の恋人なのです。
近いうちに結婚する予定で、ええ、幸せな家庭を築けるように頑張らなきゃですね。イブに増田なんてよしてよ、とアヤコが笑っています。あ、そんなとこ触ったらくすぐったいって。あ、アハハハ。
ある対象への性的欲求を刹那的に・乱雑に・主体的に・一方的に消費したい場面に出くわす。これらの条件を満たすには、どうしても男性の肉欲による視点を持たざるをえない。だからネット上でチンコを生やすのだ。だがこの「シコる」という表現、男から見ればかなり不自然だ。
シコる——即ち陰茎を摩擦するという動作は継続的なものである。この言葉は「オナニーをしている今、この状況」に注意が向かっている。腐女子は仮想空間における自己の身体を性転換までしないとペニスを手に入れることができない。「男の身体を用いたその対象でのマスターベーション」は、その労力を払ってまで行う価値があるということだろう。だが、現実の男は「その対象でマスターベーションをしている」という状況に深刻な意味づけを行うことなどありはしない。
男のオナニーは点だ。性欲とは突如として湧き、すぐさま吐き捨てられる、処理すべきもの。その意味で男の使う「抜く」という言葉は理にかなってるといえよう。「抜いている」という言葉が不自然なように、断続的な男のオルガスムスを表現するのに線は相応しくない。もっと言えば、点というのはその前後としてしか語れない。「抜く」「抜いた」このふたつ。だから「抜ける」はあまり好ましくない。性処理にcanもcan'tも存在しない。
腐女子の用いる「シコれる」という表現は非常に女性的であり、やっぱり「抜いた」の方が自然だよなぁと現実にチンコ生やしてる私なぞはぼやくのである。
官能小説の奥義
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官能小説の書き方十か条があるので、簡単にまとめてみよう。
第一条 : 官能小説は性欲をかきたてるだけのものではない。性欲はオナニーで消えてしまうが、淫心は人間が根源的に抱えているものであり、オナニーでは消えない。性欲の奥に流れているものである。
第二条 : 好きな作家を見つけよ。淫心の入口はフェチ、自分自身のフェチを見つけろ。
第三条 : まず短編を書いてみる。30-50枚くらいの短編を、フェチを意識しながら書けという。好きな作家の未読作品の最初と最後をそれぞれ5ページだけを読んで、真ん中を自分で想像して書き、比べてみろという。
第四条 : 官能シーンを早く出せ。いきなり性交シーンという意味ではなく、胸でも尻でもチラリズムでもいいから、読み手のフェチを刺激することを始めよという。
第五条 : 自分がしたくてもできないことを書け。やったら犯罪だが、小説として書くのは問題なし。想像力、願望力をたくましくして、したくでもできないことを弄べと励ます。
第六条 : 三人以上の人物を登場させよ。一人の男と一人の女だけでは、話がふくらまない。キャラ×シチュ×フェチがバリエーションの基本だね。
第七条 : 恥ずかしいと思うな。自分のパンツを脱いでいるつもりで、すべてをさらけだすつもりで書けという。これは文芸小説についても言えるね。
第八条 : オノマトペをうまく使う。オノマトペに限らず、その状況を的確にイヤらしく一語で示すことができれば、官能小説として成功だと思う。
第九条 : 性の優しさ、哀しさ、切なさを知っておく。セックスを書くということは、基本的に男女の粘膜の触合いを表現することではあるが、それを掘り下げていくと、性というものが持っている優しさ、哀しさ、切なさに突き当たるというのだ。オルガスムスとは小さな死。
第十条 : 書いている途中でオナニーをするな 【重要】。これ重要。自分が勃起しないような小説で、読者を勃起させることはできないが、だからといって、その勃起でオナニーをしてはいけない。パワーが落ちて、書き進める気がなくなってしまうというのだ。接して漏らさずの誓いを守るでござる。
官能小説入門として読むと便利だが、それだけにとどまらない。「櫻木充は匂いフェチの本質をわきまえている」とか「女にハードエロは書けないという偏見を覆した藍川京」といった、作家の本質をズバリ言い当てており、官能小説ブックガイドとしても白眉。ホームのキオスクに並んでいるアンソロジーを手当たり次第に試す前に、まず本書で嗜好の傾向を押さえよう。ヒット率が高まること請合う。
濃密で豊穣な日本語を、ご堪能あれ。
ブックオフで100円になってたエロ漫画を大量購入して色々気づいたことがあるので書く、その2である。
エロ漫画を古本屋で適当につかんで買っていると、その中に男性向けでないエロ漫画が入っていることがある。それによって気づいたことがあるので書く。
もちろん男の子が男の子にちんちんすられていっちゃうようなのもアナルセックスもあるんだが、それもいわゆるBLとしてイメージされるようなリーマン眼鏡と青年、みたいなものばかりでもない。中には、中性的な格好をした男性向けで萌えヒロインとして充分主役を張れる容姿の男の子が、男性向けで男役をやれるような男と、男性向けと同じページの比率で切ない恋愛をしてから結ばれる、なんて作品もある。正直、ヒロインがちんこすられてるシーンまで女性向けと気づかなかった。ふたなりかと思って読み直してしまったぐらいだ。いやこれゲイ向けなのかな。わかんないけど。作家の名前は女性風だった。
また、ちゃんと男女もののエロ漫画もある。少女マンガの恋愛をして毎回最後にセックスして終わる。男性向けとフォーマットは同じだ。
ただ、女性向けと男性向けを比べてしまうと割とはっきり区別可能である。男性向けが極めて強く必要とするあるシーンを、女性向けは必ずしも含んでいるわけではないのだ。
フィニッシュである。
男性向けでは、必ずどこかにはっきりと盛り上がるシーンが無くてはならない。それは男性キャラクタの射精であったり、女性キャラクタのオルガスムスであったり、ひどい目にあったキャラクタの絶望や絶叫であったり、プロポーズの瞬間であったりするが、作家がそこに向けて明確に絵のテンションを上げていくのは変わらない。そのシーンの後に落ち着くためのカットが入ることも多い。
ところが、女性向けではこれらは別に入れなくても良いのである。つまり日常描写からキスへ進みセックスに進行しているにもかかわらず、テンションはキスの段階からはさほど上がっていかない場合がある。セックスシーンでも強調されるのは「安心」である。ゼロ距離にいて受け入れられている、求められている、ここにいても良いんだ、といった安心を書くのが主題になってしまい、えっちな絵が描かれていても「ああすごいところみせちゃってるなあわたし」「でもみせてもよいんだもん」で男性向けのテンションとは明らかに違う次元となっていることがある。複数のこういった女性向けエロを読んで「やおい」ってのを女性が書き出した理由がちょっとわかった気がした。すごく盛り上がってどんと落ちるようなヤマとかオチとか意味とかは、男性が特に好む要素であって、女性の中にはそれが無くても楽しめちゃう人達がいるわけだ。
男としては、どうしても射精とそれに伴う快感が与える影響を考えてしまいますね。女性は性感がピークを迎えようが迎えまいが頓着してないのかなーとか。
今度はちょっと記事が短いから蛇足もつけとく。
少女マンガの利用法+顔射。というか眼鏡射。やべえ1行で終わった。
いかんあんまし覚えてない
前の奴にめちゃくちゃブクマついててびっくりしたわ。ありがとみんな。
オットー・ヴァイニンガーがピストル自殺する。23歳だった。この年の5月に『性と性格』という書物を刊行したばかりであった。
ヴァイニンガーはフロイトの思いついた言葉「人間だれしも男女両方の性質をあわせ持っている」を人づてに聞き、これに触発され、
「女は性的オルガスムスの興奮へ男を駆り立てる、セックスそのものだ」と断定。
また、
「女は母性的であるか娼婦的であるかのどちらかで、第三の道は存在しない。しかも母性も形こそ変われ娼婦性にほかならず、男が女から離れるには生殖行為をやめる以外にはない。」と喝破し、女性蔑視論を展開したのが、まさしく『性と性格』であった。
ヴァイニンガーは非モテであっただろうことは私の推測の域を出ないが、魔法使いになる道もあっただろうに、生殖行為への道を断ち切ることが出来ず、絶て得たのは23歳という瑞々しい自らの命であったというのは、時代を超えても、今生きる女性の私は、憐憫の情を抱き得ない。
105年の時を経た今も、多くの増田が抱える悩みというのは、昔とかわんないのね。
男って、テラ憐れwww