ある対象への性的欲求を刹那的に・乱雑に・主体的に・一方的に消費したい場面に出くわす。これらの条件を満たすには、どうしても男性の肉欲による視点を持たざるをえない。だからネット上でチンコを生やすのだ。だがこの「シコる」という表現、男から見ればかなり不自然だ。
シコる——即ち陰茎を摩擦するという動作は継続的なものである。この言葉は「オナニーをしている今、この状況」に注意が向かっている。腐女子は仮想空間における自己の身体を性転換までしないとペニスを手に入れることができない。「男の身体を用いたその対象でのマスターベーション」は、その労力を払ってまで行う価値があるということだろう。だが、現実の男は「その対象でマスターベーションをしている」という状況に深刻な意味づけを行うことなどありはしない。
男のオナニーは点だ。性欲とは突如として湧き、すぐさま吐き捨てられる、処理すべきもの。その意味で男の使う「抜く」という言葉は理にかなってるといえよう。「抜いている」という言葉が不自然なように、断続的な男のオルガスムスを表現するのに線は相応しくない。もっと言えば、点というのはその前後としてしか語れない。「抜く」「抜いた」このふたつ。だから「抜ける」はあまり好ましくない。性処理にcanもcan'tも存在しない。
腐女子の用いる「シコれる」という表現は非常に女性的であり、やっぱり「抜いた」の方が自然だよなぁと現実にチンコ生やしてる私なぞはぼやくのである。
クリを シコシコするから、シコれるというんじゃよ。