はてなキーワード: 結果とは
信用できませーん。
枝野官房長官は20日午前の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所事故をめぐって放射性物質の拡散を予測した
「SPEEDI(スピーディ)」の試算結果が、事故発生翌日の3月12日未明に首相官邸にファクスで届いていたことを明らかにした。
その上で、「(官邸の)幹部で全く共有されず、担当部局で止まっていた」と述べ、菅首相らには届いていなかったとし、
枝野氏は、3月12日に届いた試算は仮定に基づくものだとしたうえで、「情報の存在自体が伝えられなかったのは大変遺憾だ。
避難指示の時にそういった情報があれば意義があった」と述べ、経緯を検証する考えを示した。仮定に基づく試算結果の存在を
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110520-OYT1T00516.htm?from=rss&ref=rssad
元増田も書いてるけど、まおゆうの魔王勇者はまどかじゃなくてインキュベーターの方だろ。まどマギはそういうテクノクラートが構築したシステムを否定した話。話のベクトルがまったく逆。まどかは結果として支配者にならなかったんじゃなくて、魔王勇者のようにシステムを構築して支配する気は最初からない。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110425/p1
まどかは、ホロコーストの悲惨を知らないし、非正規雇用の悲惨も知らない。両親の愛を存分に受けて育ち、またさやかのように失恋の痛みもない。彼女がその眼で見たのは、魔法少女の悲惨であり、魔女の悲惨である。キュウべえは、それが歴史の最善であると彼女に教える。人類の進歩は彼女たちの犠牲によって達成されたのであり、そのような犠牲は世の中にいくらでもある。もしその悲惨を許せないとするならば、かのじょは牛や豚を食べるべきではない。
キュウべえが試みたのは、自分自身の無力さをまどかに対して刻印づけることにあったのであり、彼女の内面に一つの法を措定することである。それが、神話的暴力とよばれるものの力なのである。キュウべえの口から語られる人類の歴史は、キュウべえによって因果付けられた道徳物語としての神話であり、それまでの法の説明であるとともに新たな法を打ち立てるものでもある。この法は、たとえばエネルギーなんちゃらの法則といったものとはなんら関係はない。
だが、まどかは願いによってその法を破壊するのである。彼女は、世界の摂理に対して考えるのをやめる。そして、目の前の魔法少女と魔女の悲惨だけを見る。目の前の悲惨は悲惨であるがゆえに、救済しなければいけない。彼女は魔法少女と魔女を救いたかったのであり、そしてやりたかったことをやったのである。母親やほむらの制止があったとしても。そして、かのじょたちがどれだけ自分を愛しているか知っていたとしても。まどかは自分自身以外のものを言い訳にせずに、自分のやりたいことをやるのである。かのじょは、どのようなダイタイアンも提示していない。まどかの願いが、それ以外の世界の摂理に関係していたという説には一切根拠がない。
その視点なら、まどかは批判されないといけないだろ。
結果として「支配者にならなかったから」評価するって、馬鹿じゃなかろか。
1Sv=5%癌死モデルってICRPの集団積算線量の事なんだと思うんだけど被曝 - Wikipedia - 集団積算線量 とか見ても
国際放射線防護委員会 (ICRP) の2007年勧告では、集団積算線量(人・Sv)は、放射線防護手段を比較するための道具であって、疫学的調査に用いるのは不適切であると明示された。特に、ごく微量な線量に被ばくした大集団についてガン発生数を求めるために用いてはならないとされた
ってあるとおり、これを前提に計算する事自体がナンセンスじゃないかな。
ちなみに集団積算線量の考え方は、LNTモデル(閾値がなく、どんなにわずかな線量でも確率的影響があるという仮説に近い説)を前提にしないと成り立たない仮説です。
つまり、仮説の仮説。
「もしかしたら、もしかして、年間200mSv浴びると100人に1人癌になっちゃうかもね~」
くらいのノリでいいんではないかと思う。不謹慎とかは別にして。
少なくともwikiとか、関連資料をざっと見た限りそう読み取れるんだが。
ここ最近の検索結果にヒットするのは、この手の根拠も数字の意味も考えずキーワード的な数字だけを拾ったものばかりに見えてしょうがない。
【先遣隊遺失物調査官Gentyによる思考ログ】
温度モニタに示される外気は、とても冷たいものであった。ただ「外気」といっても、この巨大な《ストラクチャー》に「内や外」があればの話だ。
今のところ、我々の先遣隊のいずれもがこの《ストラクチャー》の「境界」を発見してはいなかった。
三次元フォログラムはその「部分」を視界に示すが、この《ストラクチャー》の位相的性質については未だ明らかになっていない。
もちろんその中心部には惑星《ゴブ》の「大地」があるだろう。ただこの《ストラクチャー》がその大地に「根ざして」いたり、「建って」いたりするというわけではないようだ。大まかに言っても、この《ストラクチャー》は今のところ、この惑星を「包み込んでいる」。
それにしても寒い。この環境は有機生命体には最適化されていない。概ね、高純度ケイ素体の電磁誘導のために最適化されている。にしても、この環境が最適化の結果であるとも言い切れない。今のところその境界と同様に惑星《ゴブ》の「自然と人工物」の区別もできていないからだ。
フォログラムの断片から窺えることは、この《ストラクチャー》がフラクタル的複雑性を持つこと、有用性以上の目的をもった装飾が見られること。付け加えて―これは先遣隊文明調査局によって明らかになったことだが―この《ストラクチャー》が彼らの創造主たちが《baroque》と呼ぶ様式に近いことくらいである。
ごめん、正直竹島とか興味ないんだよね。
そりゃ、竹島が日本のものだと世界的に認識されなきゃ、漁業や海底資源なんかの問題も不利になるんだろうけど。
考えるよ。感じるよ。
オレは1年ほど前、数分先の自分自身を見ることができるようになった。
平凡なサラリーマンのオレの、なんの未来もない人生が、これから劇的に変わるんだと思った。
しばらくして、この力がほとんど意味のないものだということに気がついた。
オレは落胆した。
この力は一体なんのためにあるのだと、途方に暮れた。
どうしてもこの力を有効活用したかったオレは必死に考え、ひとつの使い道を思いついた。
試しに近くのくじ売り場へ行った。
くじを買ったら、1000円だけ当たった。
正解だった。スピードくじならぎりぎり間に合うようだ。
オレはグーを出したら負け、パーを出したら勝ちというルールを決めた。
その日から、くじ売り場の前を歩いて自分の姿を確認するのが日課になった。
スピードくじなんて滅多に当たらない。
ほとんどのオレはグーを出していた。
1ヶ月で1万円程度の儲け、たかだか小遣いが少し増える程度だった。
それでも、オレは満足して日課を続けていた。
最近、この力に異変が訪れた。
オレの前を歩くオレの拳が、握られていることに気づいたんだ。
自分の手を確認するが、開いている。
いや、それどころか、よく考えたらオレは負けたときの合図なんて出したことがない。
不気味に思いながらも、オレはその男を追って歩くしかなかった。
オレの拳は、かたく握られていた。
竹中さんの確率計算にギャーギャー言ってた奴らとか、掛け算の順序にギャーギャー言ってた奴らとかを見ててわかったんだけど、
世間一般では数式で書かれたものは何でも絶対的な真理として受け入れるようなんだよ。心理的に。中高の教育の賜物というか…。
全く理解できない価値観だから説得とか教育とかは個人ベースではたぶん不可能で、世の中はそういうちょっと頭がアレな人が大多数で構成されてるという前提を受け入れるしかなさそう。
色々と偏った解釈をした反論(?)が来そうだから予め書いておくけど、
どうも整理しきれてなくてうまく言えないけど、数学や中高の教科書に書いてある内容については、メタ思考の階層がせいぜい1段階しかないのが世の大多数の大衆っぽい。
数式や教科書に「これはこのくらいの範囲で正しい」とか書いてある場合は「数式や教科書の内容・結果の不確実性」を理解できる(でもたぶん丸暗記してるだけ)んだけど、「それらの記述自体の不確実性」という2段階目のメタ思考になると完全に理解の範疇を超えてしまうらしい。
生まれてこの三十数年、床屋で激安系をうたい文句にしてるところに、
お金もなくちょうど休みだったのでいってみたことなかったので行ってみた。
因みにいくつかある大手チェーンさんではないので、大手チェーンさんとは状況が全く違うと思います。
マジ大手チェーン以外で格安をうたい文句にしてるところに対してもちゃんとした吸引器などの設備と衛生管理をしっかりするようにお願い申し上げたい。
ヤフーの個人情報が騒がれており、さっそくパスワードを変更し、
もういいや!ってことでGmailにメールの移行を決意しました。
そこで、Gmailにさくっと、移行できるHowtoサイトをググリました。
実行後、なぜかヤフーのログイン履歴に、海外からのIPのアクセスが
ちょっと慌てて調べてみると、メールを移行する際にgoogleより
ちなみに、こんな感じでした。
8.22.161.*(海外)
64.152.25.*(海外)
なんだこれ???という不審なIPを見つけたらググってみてもいいかも。
【Googleを使い倒せ!】3 過去のメールをGmailにインポート
http://csms-seo.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/google2-3gmail-.html
横だが
1・今ある現実を踏まえて話をしてるとこでは前提を尊重しろ
この場合、「法を遵守してる場合、行為や結果の是非は問題としない」という前提が必要で、
そのような前提がある議論の場は滅多に存在しない。
通常は、「法的責任の追及においては」の断りつきで、法を守ってるからおkってなるだけ。
例えば「本屋で18禁のエロ雑誌を一般書籍と同じように売ることの是非」について言えば、
いや、元増田の批判対象はちょっと違うと思う。
「我々人間は今の姿のまま数千年前に神様がお作りになられたのだ」と「本気で」考えてる人達。聖書の天地創造を「伝承」じゃなくて「歴史的事実」だと思ってる。モーゼが祈ったら海を割ったとか、キリストが磔にされた数日後に復活したとか、全部「事実」だと。将軍様が数々の奇跡を起こして日本軍を撃退したとかいうオモシロストーリーが展開されてるどこかの国と大した差はないんだよね。
アメリカには結構こういうのが居る。州によっては、進化論を学校で教える事を「禁止する」法律が戦前から戦後の数十年間存在していた事もあった。それに違反して逮捕された教師もいた。
何年か前にアメリカのテレビ局が調査したら、アメリカ人の半数以上が「神が人を造った」と思っていたという結果も出てた。
コンピュータや核兵器やインターネットを造った国のくせに、こういう部分では未だに100年前のままで止まってるのがアメリカ人なわけで、「普通のアメリカ人」ってのは、日本人をバカに出来るほど偉くも賢くもないって事。それを笠に着て日本を見下してる「自称アメリカ在住日本人」も似たり寄ったりだと。
パスポートが8月下旬にexpireなcircumstanceなので切れる前にどっか行っとこうと思い立ち、5月11日(水) 〜 5月16日(月) という5泊6日の日程で、5年ぶり2回目の台北旅行に逝って北。夜着・朝発のスケジュールだったため実質4日間の旅であったが、なかなかに充実していたと思われ。
なぜ台北なのかっちゅうと、あまり金を使いたくないcircumstanceなので物価が安いところがよかったこと、台湾が親日国 (地域) であること、前回訪台時は存在すら知らなかった九份へ逝ってみたかったこと、そしてTOKYOとの時差がほとんどないため排便 (メイク・シット) のペースを乱さなくて済むからである。最後に挙げた理由がfirst and foremostってわけでは決してないが、かと云ってignoreできないことは想像に難くない。
そんなわけで
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5/11(水)午後6時ごろ発のUA853便で台北へ出発。ちょうどユナイテッドがアジア各都市行きのキャンペーンをやっていて、今回NRT - TPE往復が燃油サーチャージ等もろもろ込みで約35,000JPYであった。探せばっと安い航空会社もあっただろうが、
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機内でスタバがタダで飲めるのはユナイテッドだけのゆとりである。
なぜか予定時間より30分も早く
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桃園国際空港に到着。機内で見るためにiPadへ映画をレンタルしておいたのだが、離着陸やメシ喰ってる時間のロスがあったため映画1本のうちの半分強しか見終わることができなかったというくらいのメカッ早さである。ほんとに海外なのかここは
到着が早まって助かったことがあって、空港内の午後9時で閉まってしまうケータイショップに滑り込みで間に合ったことである。ここで台灣大哥大 (Taiwan Mobile) の3GプリペイドSIMを購入し、持参したPocket WiFiに装着・設定すればiPhone/iPad/MacBook Airでデータ通信し放題なんである。気になるお値段、5日間 (120時間) でたったの350NT$。少なくともここ台湾においては、海外パケットし放題はアス・ホールだと断言できる。
Pocket WiFi x 台灣大哥大の最強コンボについて詳細を知りたい諸兄はBingってもらえば数々の先人たちのレポートを目にすることができると思うが、what 拙者 experiencedからは2点お伝えしたい。まず、3GプリペイドSIM購入にはパスポートに加えもう1つの身分証の提示が必要になることは広く知られるところであり、日本からの渡航者の場合は日本の運転免許証が有用なのであるが、運転免許を持ってない拙者のような草食系はどうすればいいのか。私は顔写真付きの住基カードを提示したのであるが、案の定、受付ガールは「え... なにこれ... っ!? 」という反応。日本ですら「誰もそんなの使ってねーよ」なブツなので仕方がないといえば仕方がないんだが。私の場合、たまたま隣のキャリアの兄さんが日本人だったので、中国語で住基カードとはなんぞや? を台灣大哥大の姉さんに説明してくれて購入することができた。運も実力のうちである。そしてたまたま居合わせたその兄さんにはfrom the bottom of my heartな感謝を捧げる。
次に、私が持参したPocket WiFiは多数のブロガーがレポートしているイー・モバイル版ではなくソフトバンク契約版なので、使えるという確信のないままの挑戦であったが結果なんの問題もなく接続できた。少なくとも海外SIMに関してロックフリーであることはイー・モバイル、ソフバン共通のようである。
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リムジンバスで移動。わざわざ10倍の値段を払ってタクシーを使う甲斐性がないというのも大きな理由だが、私は旅行では、少なくともその都市を初めて訪問する際は、ホテルまでの送迎付プランやタクシーは使わない、という縛りを自らに課している。なぜなら、空港から鉄道・バスといった安価な交通手段でダウンタウンへ移動しホテルにたどり着くことが、その街を訪れる者へ最初に与えられるチュートリアルだからだ。
桃園からのリムジンバスは、目的のバスのチケットを購入し目的のバスに乗り込むところまでは簡単だが、目的地で降りることが非常に難しい。台北市内の路線バスであれば電光掲示板に停留所名が表示され、「次、降ります」ボタンもあるので簡単だが、リムジンバスの場合は運ちゃんが中国語で停留所名をシャウトし、「降りるぜ」という意思表示も運ちゃんとのコミュニケーションである。英語は通じないと思った方がいい。今回、私は見事に降りたい地点を通り過ぎてしまい、中国語もできないので「次に誰かが降りる地点で降りよう作戦」に出た。台灣大哥大のSIMのおかげでパケット通信を湯水のごとく使えるので、こういうときにiPhoneのマップで現在位置を常にトラッキングできることが心強い。近くに捷運 (MRT) の駅があると確信した上で降車すれば、いくらでも巻き返しが可能だ。もしデータ通信が使えない状態でバスに乗り込む場合は、いっそのこと割り切って台北車站まで行き、そこから捷運でホテルを目指す作戦でもいいかもしれない。
そんなわけで淡水線圓山から捷運に乗り込むはずが2駅南の雙連まで行ってしまったが細かいことは気にしない。宿は士林站そばのゲストハウス。バス・トイレは共用だが部屋は贅沢にシングルを予約した。それでも1泊あたり700NT$。5泊で1万円くらいであった。ドミトリーでもよければ1泊500NT$で泊まれるので、甲斐性のない旅人にはうってつけである。詳細は「パピヨンステイ」でBingっていただき、先人たちのブログを参照されたい。
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http://anond.hatelabo.jp/20110520004109
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↓ おまけ写真集
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女子の場合男子に比べて現役合格でないと進学を親に許してもらえないケースが多いので、ほぼ確実に受かるであろうレベルのところしか受験しない傾向が高いらしい。
その結果、入った学生の中では女子の成績は比較的上位を占めるが、それより低い成績の男子合格者と同じレベルの学力を持つ女子はそもそも受験していない。
東京都の表現規制条例と大阪府の国歌斉唱問題。どちらも似たようなことを感じてしまうな。
なんていうか、どうしてそこまでしないと駄目なのかがわからん。
どうして条約を制定してまでゾーニングを押し付けなければならないのか。
どうして脅迫してまで国歌斉唱時の起立を促さなけえればならないのか。
どうしてこうも極端な対立になってしまっているのか。そこがわからん。
このままの流れが続くと、たぶん五歳の子供が逮捕されたアメリカのようになってしまうよ。
信念とか信条とか、そういった強靭な拠り所に寄り添って人生を謳歌するのが悪いとは言わないけどもさ、あんただけのユートピアを作っては貰いたくないんだよね。
権力とか圧力とか、そういった強大な仮想的と対峙して生活してもらっても別段構いはしないけどもさ、ナルシズムに酔っただけの英雄気取りは見てて痛いんだよね。
無論、東京都と府の教員の側だけに限らないんだけどもさ。やり過ぎだもん、実際。
曲げられない思いとか、内に秘めとけば十分じゃん。手が届く範囲だと、したくなっちゃうんですかね。学者と同じか。アスリートなんかと同じなのか。
可能性がある限り、それを求めたいのか。
ああ、面倒くさい。もしそうなのなら、いやきっとそうなんだろうけど、そういう「やりたい」思いに下支えされているものなのだとしたら、もう反論のしようがない。勝手にやってくれと言わざるをえない。
そこまではいい。厄介なのは、そういったことを認めてしまうと、こちらとしても動かざるを得ないということにある。実に億劫だ。ならやらなければいいのだけれど、やらないと現状が変わってしまう。決着がついてしまう。
いや、激流に身を負かしてしまってもいいのかもしれない。当事者意識を排除してしまえば、そう言った態度をとればいい。それが一番楽そう。でも、違和感だけは残るんだよね。
鬱屈としてる感じ。現状維持派だけじゃなく、みんながみんな鬱屈としているのかもしれない。
何にだろう。よくわからないけど、みんないろいろなことにぶち当たってるんだろうな。いつもいつもぶち当たっていて、すごく身動きが取りづらくて、ストレスが溜まってるんだろう。
どうしてなんだろう。生きづらい社会だなんて言い古された昨今だけど、どうしてそんな社会になってしまったんだろう。
不景気だから? 経済がよくなると、社会は幸福になるの? そもそも社会の幸福って何? 社会の幸福は個人の幸福に結びつくものなの? 個人の幸福って社会の幸福にフィードバックされるものなの?
より幸福な社会を作ろうって、一番最初に誰かが思い始めたとする。なぜならその人がそう思ったその社会には、その人が満足できるだけの幸福が満ちていなかったからだ。
その人はより良い幸福を求めて、何度も何度もすり合わせを続けてきた。繰り返し続けた結果が現在の社会だ。僕らはまだ幸福な社会を求めているんだろうか。それって無理だと思うんだけどな。
幸福な社会と、社会の幸福は別物だ。幸福な社会ってのは、社会の幸福も個人の幸福も含まれた総体だ。要は理想郷。全てが最適化されていて、十分なフリースペースが確保されている、そんな存在だ。生きていける。生きていける……。
そう言えば、さだまさしは生きることは大体辛いことだって言ってた。ならどうして生きるんだろう、なんて野暮なことは聞くまい。その前に存在してしまっているのだから、仕方がないもの。
仕方がない。諦めかあ。諦めが蔓延してるから、こんな社会なのかしらん。そんなはずはないだろうけどなあ。
理想郷ってどんなんなのだろうね。たぶん、今のままの人間は生きていない空間なんだろうな。
脱線した挙句乱文になってしまった。綺麗にまとめてもない。そもそも初めからそんなものは用意してない。
ここらでやめとこう。
世にはコミュ力を高めると銘打った書籍が多いが大半は善良な市民向けのものである。しかし社会で役立つのは往々にして狡猾な世渡りコミュ術であったりする。例えば人を意のままに操るというと道義に反するので真面目なライターは書きたがらないが、そういう本のほうが実践的だと私は思う。ファシリテーションやコーチングやリーダーシップも人を操るものだと言えなくも無いが、これらは通常は相手の人間性を尊重するものである。対して、催眠術や洗脳術は人間性を必ずしも尊重しない。術者の配慮がなければそれは非人道的なものになりうる。そして実用性を求めれば求めるほど、術者の配慮にかかわらず倫理的にギリギリのラインを行くことになる。もちろん破壊的カルトが用いるような洗脳は明らかに倫理に反するが、もっと狡猾な洗脳はグレーでいて決してブラックにはならないギリギリのラインを行く。例えば、極めて有効な洗脳方法に相手に考えさせて答えを出させるというテクニックがある。こちらが思考材料を提供し相手の思考の方向を誘導した上で相手に質問を投げかけるか疑問を起こさせるような発言をして考えさせる。すると相手はこちらの望んでいた判断や決断を下してくれるという算段だ。この方法は思考力の無い人間をコントロールするにはあまりにも有効であるため、良心的な人間は心が痛むかもしれない。この手法はファシリテーションやコーチングやリーダーシップの手法にも部分的に含まれるものだが、それをラジカルに行っていくと詐欺まがいの商法やマインドコントロールまがいの人心掌握術に繋がってしまう。術者の配慮が行き届いていないとたちまち恨みを買うか、酷い場合には犯罪者になってしまう恐れのある危険な技法だ。そんな強力な手法が何故世間に広まっていないかというと使いこなすのが難しいからだ。セールス勧誘や統計トリックのような限られた状況においては広く知られた思考誘導の技法が存在するが、より一般の場合にも誘導を行えるような共有されたテクニックはたぶん存在しない。伝えるのが難しいからだ。結果として、セールス勧誘や統計トリック等に騙されないための知識を身につけた人達は大半の誘導を防ぐことができている。しかし、少数の狡猾な人間は任意の状況において高度な誘導を行える。この種の誘導に対しては、残念ながら自己防衛を行う有効な方法が存在しない。文脈に依存しないため、こういう危ない手口がありますよという知識は一切役に立たないからだ。文脈によらない誘導はコミュニケーションに長けた人間なら誰でも使えるレベルのものから、高度な知能を持っていないと使いこなせないものまである。前者については文脈依存性をまだ残しているため対策のしようがあるが、後者に至るともう手の打ちようが無い。中身は限りなくブラックに近いグレーであっても、透明度が高いためホワイトにさえ見えてしまうのだ。
あんまり、僕個人の意見を通したいとも思わないし、議論になってしまうの好きじゃないから、簡潔に僕の感想だけ書くよ。
ふーん、この元増田はこんな意見なんだー、と軽く流してくれたらおkです。
「熱狂の本質」って言葉は「熱狂した原因」って意味じゃないってことにも留意して読んでくれたらうれしいです。
論破しようとかしないでね。
おねがい。
どっちなんだろうね?
文学作品とかで言われるように、読者がいて初めて作品であって、ただのテキストでは盛り上がりってないと思うのです。
そういう意味で、両者があって初めて盛り上がったんだと思ってる。
我々ファンがいなかったら、時間の共有がなかったら、絶対にこんな熱狂は起きなかったし、作品がしょうもなくても起きなかった。
盛り上がり具合と、作品の質のバランスがとれてるか? って点に疑問をはさむ人が多いからアンチと信者が争うのだろうけど、
それは置いておいて、どちらもよかったから盛り上がったのだと思うよ。
これはねー。
増田さんがおっしゃってることに内包されてるけど、
""俺は大半の熱狂には「本質」なんてのはないと思うけどな。ただその時の流行にがっついた結果生まれる共通体験の虚像みたいなもん。""
まさにこの辺がポイントだと思うよ。
「その時の流行にがっついた体験の共有」みたいなものこそが、僕が考える熱狂の本質であって、
それは虚像であって本質ではない、とするなら、その熱狂に本質なんてないんだと思う。
ただ、あの時間を共有したものにとっては、「あの時間」そのものがまさしく、熱狂の本質だったと思うよ。
時間そのものが本質であり虚像であるものって、青春とか、文化祭とか、阪神の優勝とか、(一部の)恋愛とか、似たようなものがあるかもね。
それが虚像だからって、あとから大事じゃなくなるわけじゃない、って点でも。
「違うね。夜中に一人でDVDを観ていたらいてもたってもいられなくなり外に出て走り出す。これが熱狂。増田のはただの思い出づくり。宗教が足りない。僕はシムーンがあればいつだってあと10年戦える。」
ってブクマがついてるけど、これには正直、謝るしかないと思ってる。
だから、本質であり、虚像であり、虚像であっても大事なんだよ。
わかりにくいことばっか言って、お目汚しすいません。
あんま簡潔に書けんかった。
先天的な、背が小さいとか童顔とかの要素もあるんだろうが。
非常に簡単な例えだと、靴とか。
ギャル男の靴は大抵とんがっている。
靴でも鞄でもいい。
話は飛ぶ。
「私、この部分好きなの」
で俺は聞いたんだ。
「えっ、、なんで?ウォウフ!」
風俗嬢はこう答えた。
って俺の亀頭を愛でながら言った。
そん時、思ったんだ。
女の子によっては指よりも安心されることがあるな。
で、ファッション的に突き詰めていくと髪型も少し丸みがあった方が良いのかもしれない。
そうしたら、雨上がりのホトちゃんとか、バナナマン日村とか、バカリズムとか。
これでは話のオチとして、説得力がなさすぎ。
この話は、今後伸ばせる可能性はあるのであろうか。
意見ください。
痩せ薬として色々とヤバげな効き目を出すシブトラミン
服薬して、すでに半年以上だが、最近ききの実感がなくなってきたので(飲んでも腹がへる
一気に増量して、効き方を再認識しようとオーバードーズにちゃれんじ
一日の上限が15mgとのことだが
15mg一錠ごとに、5分ごと程度にスニッフ、舌下、経口で摂取
はじめにスニッフするも痛い
刺激っぽい苦みがある薬はスニッフに向かない、と思いつつも
とりあえず頑張るもほとんど鼻水で流れてしまう、薬効実感は希薄
経口で余った粉末と錠剤を服用
この時点での効き方は、胃に何も入っていないのに
一番効きがガクっと来た舌下
初めて服用した時の、視界がグワーッと広がり
お腹いっぱいがかなり強く感じる
食べ物を見ると「気持ちが悪い」になっている
効き方としてベストというか、これ以上無いくらい
痩せ薬として作用している状態に移行
飴、ガム、野菜ジュースなどをのぞけば
最後にまとめて食事をとったのが20時間ほど前(カップヌードル)で
下降線を描く前に、ジワジワと効き始める
目が冴えているというより、目があいてる状態のほうが楽という感じに