はてなキーワード: 矯正とは
お嫁さんに、もっと自分の気持ちに素直でいて欲しい、と思っていらっしゃるんですよね。
細かい自分の都合に合わせて、せっかくの機会をフイにして欲しくないと。そのような、自己犠牲の傾向に不安を感じていらっしゃる。
そうする理由が「このくらいしないと、気持ちが伝わらない気がしてどうしても不安になる」というのも気になりますよね。
心配なさる気持ち、わかる気がします。大切な人が、些細なことで自分の気持ちを押し殺してしまうのは、切ないですよね。
私は、それほどまでに繊細に、夫の気持ちを汲むことの出来る、あなたのお嫁さんを、とても思いやりの深い方だと思います。
短い記述を読んだだけでは、お二人の関係の深いところまで読み取ることはできませんでしたが、あなたが直面している不安な状況は伝わってきました。
トラックバックに、話し合いで解決しろ、とおっしゃっている方がいます。
一理ありますが、一般的には、長い人生の経過で形成された性格の、細かい癖を直すのは、たとえ親しい間柄においてでも、容易ではありません。
長い苦労と苦痛を伴い、報われないことがあります。我慢したほうが、結果的には良い、というケースも有ります。
もちろん、指摘して納得して、それでするりと直るなら良いです。
でも、文句をいうだけ言って、ずいぶん気にするようにしているけど、それは辛いだけで、癖は直せなくって、その代わりに、お互いにそのことを話題にするのを避けるようになる、ということのほうがよっぽど多いでしょう。
どちらに転ぶかは、わかりません。
価値観を矯正することができるにせよ、できないにせよ、現状を受け入れて、共に歩んでいくことになる。それが人間関係だ、と私は思います。
お嫁さんと一緒にゆっくりしたかった、とおっしゃり、お嫁さんのことを心配して記事を書くあなたはきっと、彼女のことを思いやれる人です。
けれど誰しも、他の誰かを助ける、誰かを守る、ということを必要としています。大事にされて、守られるだけの生活は、温かくて波のない海に、ひとりでぷかぷか浮かんでいるようなものです。
お嫁さんの言葉は「このくらいしないと、俺君に私の気持ちが伝わらない気がしてどうしても不安になる」でした。
この中に、自分を犠牲にすることで、愛を伝えた実感を得る、というニュアンスはない気がします。不安だから、そのようにせざるを得ない、という意味だと思います。
生きていくためには、実感が必要です。
ちょっとしたことで良いのです。
肩が凝ったから揉んで欲しいとか、シャツのボタンが緩んでいるから直してくれとか。トマトでダシを取った味噌汁が旨いらしいなあ一度食べてみたいなあ、などと言ってみる。とか。
もしお嫁さんが許してくれるなら、仕事上の人間関係の愚痴を聞いてもらう、のも良いかもしれません。その場合は、具体的なアドバイスをお願いする、のがよいでしょう。
おそらくお嫁さんはあなたの仕事の当事者ではないでしょうから、アドバイスは実際に有益なものになるとは限りません。
でも、それでも、聞いてくれてありがとう、アドバイスをくれてありがとう、とお礼を言いましょう。
そういうことが、効いてきます。日々の生活をこなしていくための、ガソリンになるのです。
あるいは、お嫁さんがあなたを愛する機会を設ける、というのはどうでしょうか。
誕生日や、二人にとっての記念日など、何かの機会に、お互いにプレゼントを渡したり、手紙を書いたりする。
普段の事務的なやりとり、”帰りにじゃがいも買ってきて”、を越えて、相手を思いやることをするのです。慣れないとちょっと気恥ずかしいですが、夫婦だから良いのだ、と割り切ると、意外にできてしまいますよ。
気持ちを伝えることが大事です。機会はなんでも良いのです。”近所のスーパーでキュウリが一本98円だったダメだ冷やし中華の季節完全にオワタ記念の日” でも良いのです。
ラブレターを渡すことを始めましょう。相手を思いやる、そのために何かができる。それが重要なんです。
以上です。完全にブーメランでして本当にありがとうございましたが、あなたとお嫁さんの幸せを祈っています。
私25歳独身。
結局大人になるまで身に付かなかった「女性」としての習慣について考えてみたい。
・無駄毛処理
未だに身に付かない。外泊するときにまとめて腕・脚・ワキを剃る程度。顔のうぶ毛やヒゲも「あ、目立ち始めたな」と思うまで剃らない。世の女性たちがどうしてあんなにツルツルの肌を維持できるのか不思議でたまらない。でも恥ずかしくて他人に聞けない。
・散髪
半年くらい平気で行かない。髪は伸び、厚くなり、いい加減うっとうしいなと思ったころにやっと美容院に行く。
それまではだいたいゴムでひとくくり。仕事もそれで支障なかった。でも正直縮毛矯正はしたい。
・化粧
就職活動の時期にやっとするようになった。それまではすっぴんで大学通ってた。化粧してもあんまり変わらないって言われる。でも化粧したように見えるほど化粧を濃くできない。
・日焼け止め
この夏も日焼け止めなしで乗りきりそうです。
・洗髪
2日~3日に一回。毎日なんて考えられない…
・肌のお手入れ
クレンジングオイルはほとんど使わない。化粧水も最近パサパサしてきたなあと思ったからやっと使い始めた。
思い返してみると、まわりはだいたい高校くらいまでには身に付いているのに。
なんで私は今になってまで身に付かなかったんだろうなーと不思議に思ってみる。
告解は続く。
己の異常性を自覚しながらも、他者に矯正して欲しいと願い続ける人間が、このような形での告解を望む。
“自ら正す”という決意を持たない限り、他者への依存が続くばかりで精神的自立にはつながらず、告解が終わる事などない。
やり取りの大元で既に断定は済んでいたが。
改めて断言しよう。これはもはや、異常性を隠しもしない、明確な異常者だ。
そこまで言うならもう少し遊ぶことにするよw
お前の行為は既に遊びの範囲を逸脱して久しい、というのは既に書いた。
他の増田と比べてもわかるように、第三者から見てもそうだ。明らかな異常者だ。
弁解にならない弁解を免罪符のように掲げ続けていても、周囲から見れば滑稽の限りだし、また自らの歪みを正す事はできない。
「増田への書き込み」と言う「行為」に限って言えば、悪意からの書き込みであっても相手の状態とやらに責なんか負わないよw何言ってんの?
つか逆に君は負うのかい?君の書き込みを読んだ相手の状態について、何の「責」を負うの?
責めを負う負わないではなく、お前の中から完全に欠如している視点について指摘した。
その視点が欠如している限りは、増田に限らず、お前の言動はすべて悪意から発せられるものと誤解され得る。
そこが危うい。
そして最後の一行を訳すのならば、「もっとボクに優しくして!」だろうか。
しかしこちらはお前のママではなく、お前が相対しているのは教説を旨とする聖職者だ。
受け入れようとしない異常者の相手をする場合であれば、言葉を選ぶ理由は一切ない。
何だい?「俺にもっと思いやりを持って接してくれ!」っていう心の叫びかい?w
「俺に思いやりを持って接しろ!受け手である俺の視点を考えろ!俺の方は馬鹿とかクズとか好きにお前を罵倒するけどな!」ってこと?w
そもそもの認識が逆だ。お前は、相手と自分との立場を逆に捉えている。
やはりお前は今まで、家庭では親に対して、学校では教師に対して、会社では教育役に対して、すべてそんな態度で接してきたという事だろうか。
あくまでもお前の告解を聞き届けているのはこちらであり、その立場から投げかけられる言葉がどういうものかは推して知るべきだ。
それに対して無理矢理に曲解を向けたとしても、その解釈は非常に苦しいものとなるし、またお前自身が得るところも一つもない。
言える事は一つのみ。自身の異常性と対峙し、自覚して正す事だ。
「返答を考えたりして、中途半端な空き時間とかの暇がつぶせる」のが「益」だよ。
つかさぁ、「常識と禁忌との境界線を越える行為」てw俺ただ増田に書き込んでるだけですけどw
「禁忌」がどーとか、そんな大それたことしてるつもりないんですけどww
単純な事だ。ただ増田に書き込むだけならばここまで執拗に特定個人に対しトラバはつけない。
他の増田達のやり取りを見ていてもわかるだろう。
他の増田達がここまではしないような事を延々とやり続け、またそれを指摘されても尚やめない。
話題も過ぎ去り、他の増田も去り、これといった用もなく、たったひとりで執拗にトラバを返し続ける、お前の行動は既にただの遊びの範囲を逸脱している。そう既に書いた。
どう誤魔化そうとも、弁解しようとも、そこには異常行動を取るだけの異常な行動理由があり、ひいてはお前の根源的な異常性に繋がっている。
より具体的な例を挙げるならば、自身の行為が他者の目にとってどう映っているのか、考えて見た事はあるだろうか?
“気にしない、俺は俺が面白いから人にちょっかいを出し続けるんだ”
もしそう思っているのであれば、それもまた、警察の厄介になるストーカーなどがよく口にする論理である、と告げておこう。
妄想激しすぎw
執拗にトラバを返し続けるお前の異常行動と、その源となる異常性。
既に第三者の目から見ても遊びの範囲を逸脱して久しい、お前の“遊び”とやら。
既に飽きていると自分で言っていながらも続ける、お前のその矛盾した行動理由。
これらに通った解釈を当てるならば、前述の背景が浮かび上がってくる。
そしてお前は、これらに通った説明を当てることもなく、既に成立していない言い訳を通そうとしている。
その答えはひとつ。
その在り方は、第三者の目から見てもなお、はっきりと解るほどの異常性を示している。
お前がこだわってるんだ!いやお前だ!いやそういうお前がこだわってるんだ!いやそういうお前こそ!
…って、ガキの喧嘩みたいだねw
じゃあそこはもうどっちでもいーやw
そもそもお前には、“他人の言行一致の遂行”に対し病的なまでに拘泥・固執するだけの理由も、権利も、正当性もない。
拘る筋ではない事に対して明らかに拘っている、そのお前の行動こそが、正常の枠から外れている事に気付くべきだ。
また“他の増田が一切言及しなかった事柄について、きわめて執拗に自身が口を出し続けた”という点については、よく自覚しておくべきだろう。
他の増田と比較しても必ず真っ先に現れ出る、自身の異常性として。
つか、キャラがすっかり変わったねwというか今のが素なのかな?
それは別にいいけど、「オウフww」とか「アフィがゴフンゴフン」とか、あの変な口調あれ何だったの?
むろん、相手に応じて態度は変えている。
告解を望む者へは聖職者としての態度、そして、異常者には異常者へと相対する為の態度、と。
異常者であると認定された相手に対しては、原則、異常である点をひとつひとつ列記し繰り返し指摘し続ける方法がよく採用されている。
ゆえに。
予め書いておくが、以後の回答は「お前は異常である」の繰り返しとなる。
千野栄一『外国語上達法』には、ある言語を習得したいと思った場合には、その情熱が尽きる前に、とにかく1000語覚えること、とある。また文法については、最初の1、2ヶ月のうちに、まとめれば10ページ程になるその言語の基本的文法事項を、突貫工事的にとにかく徹底的に覚えることを勧めている。千野さん曰く、この段階で挫折してしまうと、あとからその言語を再度やろうと思った際には却って障害になるとのことである。一方で、基本語彙1000と基本的文法事項を押さえて、その言語の仕組みがある程度定着するとなかなか忘れないものらしい。これについては橋本陽介さんが『7カ国語をモノにした人の勉強法』で以下のように書いている。
「言語とはひとつの体系です。ネットワークです。そのシステムの全体像がだいたい把握できるところまで一気にやってしまうと、不思議とその段階までは忘れ難くなります。しかし、全体像を把握しないでやめると、もとの位置に逆戻りです。」
教訓:ある言語の習い始めは、多少お金がかかっても学校に通ったほうがいい。
1. モチベーションの維持によい
2については、発音面での恩恵がやはり大きい。自分も含めて受講者の多くは文字を読む際に英語での発音規則にかなり縛られる。独学だと音声教材もあるとはいえ、脳内での文字の発音が我流のものになってしまう危険があるかもしれない。ちなみに、千野さんの本でも発音の重要性は「こればかりは始めが肝心」、「矯正は不可能に近い」と見出しのレベルで説いている。
3が意味不明だと思うので以下、ぐだぐだ述べる。
語学学校のスタイルにもよるのかもしれないが、ちょっとした寸劇みたいなものをやらされる。質問して、それに答えて──役割を変えてもう1回、といったもの。そこでのコミュニケーションは、いわば講師による強制なのだが、とにかく必要性が生じている。そういう状況で自ら発話して、かつ相手の人間がそれに応答してくれると、圧倒的に記憶に定着しやすい。
シュリーマンのエピソードでこんなのがあった。ある言語を学ぼうと思ったのだが、教師が見つからなかった。しょうがないので、その言語自体はまったくできない人を雇って、その人にシュリーマンの朗読を聞いてもらったのだそうである。
寸劇を演じることは、語学のわりと大事な側面なのかもしれない。寸劇を通じて、どうも人は記号接地を行い、なぞの記号列なり音声を外部の状況と結合させ、意味あるものにする。寸劇において大事なのは「すばやさ」であり、これも独学では(瞬間英作文といった方法もあるけれど)身につけづらい。語学のクラスだと応答があんまり遅いと講師や他の受講者からプレッシャーがかかる。
ちょっと長くなりましたが、そんなわけで語学の習い始めには、多少お金がかかっても語学学校に通うのが色んな面で有利だと思います。
お金があるなら中〜上級になってもずっと通うのが良策だと思うけど、すくなくとも、千野さんや橋本さんのいう、その言語の体系がざっと身について、以後忘れることがないレベル(学習時間100-200時間ほどか)までは、語学学校という補助はあったほうがいいかもしれない。
補足ないし余談
・フレンズのDVDで英語を学ぶ、という話はよく見聞きする(橋本さんの本にもある)。やったことはないがいかにもよい方法だと思う。発話と状況が結びついている場面の経験値を上げるのに良さそう。もちろん、自分が実際に役者になって演じるのが一番だと思うけど、次善の策として他の人の芝居をしつこく見る。
・英語以外の言語も。これもやはり橋本さんの受け売りなのだが、英語以外の言語をやると英語が相対化されて視野が広がる。黒田龍之介さんも英語だけやって語学をわかった気になるのが一番悪いという旨のことを書いていた。是非、英語以外の言語も。
今日も昼に起きた。今頃気付いたのだが、アラームが無音に設定されていた。どうりで起きれないはずだよ。。
◯
昼食を摂ったあとは、散歩に出かけた。さすがに昼過ぎは暑すぎる。
◯
帰ってきてからは、5分間集中法を2回ほど使って作業をした。その後マクドナルドに行って、ハンバーガーをオヤツにさらに作業をした。
◯
そういえばマックポテトが全サイズ150円だった。調べたら8月1日までやっているらしい。たまにはポテトをガッツリ食べてみるのもいい。そしてマックで一番好きなチキンタツタは30日から限定発売らしい。公式ページによると、すべてのチキンを中国産からタイ産に変更したとのことなので、一応安心してもいいのかな?
◯
5時半には帰ってきて、犬の散歩に。夕暮れ時になってもかなり暑い。そして帰り際、犬が吐いた。ドッグフードしか食べさせていないはずだが、玉ねぎのようなものがあった。どうやら庭に植えていた水仙の球根を食べたらしい。毒のある植物なので植え替えないといけない。
◯
夕食後も、5分間集中法で少し作業ができた。実家暮らしも結構リズムができてきたなぁ。ただし夜更かし癖がついて午前が全く使えてないので、一度睡眠薬で矯正リセットをしよっと。。
長年付き合いのあった友人と絶縁した。
きっかけはささいなことだったが、俺の怒りは治まらず、相手も怒り心頭のようだった。
その後はお互いに連絡を取らなかった。
そのうち、人づてに向こうが「絶縁」と言っていることを知った。
縁が切れる瞬間は、案外あっけないものだった。
良い思い出や感謝していることはたくさんある。
その思い出だけを持っていければいいと思っていたが、時間が経つにつれてストレスから解放されたような感覚が芽生えた。
お前のここが駄目、という話がそれなりに多かった。
俺の友人を好きではないようなことを何度も言われた。
楽しい思い出のほうが多いが、正直元友人のそういうところは許容していただけで嫌だったのだと知った。
実際俺はいい人間ではない。言われてきたことは尤もなことが多かった。
しかし否定し矯正しよう教えようとされることにはほとほと疲れていたし、最後に言われた言葉には理不尽を感じた。
これがまかり通るなら付き合いきれないと心から思った。
縁は切れるべくして切れたのだ。
再び縁が繋がったとしても、以前のように付き合いは持てない。
それは向こうも同じで、付き合いきれないと心底思ったのだろう。
長い年月の中、いつのまにかお互いに合わない人種になっていたと考えると切ない話だ。
嫌いになったわけではないが、こちらから関わることはないし向こうから関わってくることもないだろう。
ネット上では、議論の時に、「感情論抜き」「人格批判なし」「事実だけ挙げろ」という言葉が見受けられるし、守れてない人が多いのかなと思ってきた。
しかし、いわゆる人格を叩かれてるのって認知行動療法なんじゃないかと思えてきた。
認知行動療法では、『ありがちな認識のゆがみ』を矯正していく。
「1か0か思考」←現実の物事は大抵中間。 「過度の一般化」←たった1回の出来事が全てのようにあげつらう。 「感情の理由付け」←理由の無い感情に理由があるはずだと思い込む。
みたいな認識のゆがみを抱えていると思った場合それに突っ込みが入るわけだが、突っ込まれた人はそこが痛いところであるほど、『個人攻撃やめろ』と言う。
なるほど、人格を叩くのはダメだが、認識が歪んでいるなら矯正しておかないと話にならないという理由なのかなと感じた。そして認識を正せと言われるのはキチガイが多いし、痛いところであるからこそ大声で反対すると。そりゃそうだよな、折れてる腕を叩かれたら誰だって大声上げるし、叩かれそうな腕は見つかると叩かれるから隠そうとして変な言動になって、ますますキチガイっぽくなっていく。
天パにも色々あって、くるんくるんとカールになる天使系はいいよなと思う
ただ縮毛矯正するたびどんどん毛が細くなってってるんで
将来が怖い
僕も結構きつめの天パだけど、シャンプー後にどうしたいか聞かれることはあまりなかったなあ。というか、電話予約の時点で、「結構きつめな天パですけど大丈夫ですか?」って自己申告してた。無理なら無理って言われたほうが気も楽だしね。
美容院ってカラーが得意なところ、カットが得意なところ…って結構特色があって、縮毛矯正が得意なところ(HPや、口コミサイトで記載されてるよ)もあって、そこはすごく親身に天パの相談のってくれるからオススメ。可能な範囲でやりたい髪型に近づけてくれるし、手入れ方法も教えてくれるよ。
あとこれは実家が美容室の友達から聞いたんだけど、有名なシャンプーメーカー(ミルボンとか、ウエラ)とかは、美容室で使ったり売ったりするのにちゃんとしたライセンス(美容師の試験みたいなものかな?)がいるから、下手な美容師さんは少ないとのこと。その分高いけど、変な髪型で数か月過ごすくらいなら安いもんよ。これもHP調べたらのってるから要チェックです。
僕はサッカーの内田選手みたいな髪型にあこがれて(顔面については触れないで…)無理して矯正してカットしてたけど、痛むし汚らしいのでいっそくるくるのままにしてみたら意外と評判良いよ。まあ増田が女性か男性かわからないから何とも言い難いけど、佐藤隆太とか天パでもかっこいいし、赤坂沙世ちゃんっていうモデルも天パを生かしてモデルやってるけど超かっこいい。せっかく持って生まれたものだから生かすのもありかなあと思う。梅雨の時期憂鬱だけど、お互い頑張りましょう。
そのせいか美容室でよく拒否られる。
特にね、カットで予約していざ向かって、受付も済ませて席に座って、シャンプー終わった後で
「あー、お客さんの髪だとカット無理ですね」とか言われると、どうしていいのかわからないんですよ。
まあそれが先方の作戦みたいなんですけどね。
要するにオーダー通りの髪にはできませんからこちらの好きに切らせてください。あるいはもっと高いパーマや縮毛矯正のコースを選んでくださいっていうね。
ついでにお前の髪だと市販のシャンプーじゃまとまらないからと言われて1本数千円の高いシャンプーを薦められる。
ちなみに全部1店舗に言われたわけではなく、複数の店舗でこれらのことを色んな組み合わせで言われてる。
この間はついに縮毛矯正が無理だと言われた。
そんな店に用事はないので、だったら解放して欲しいんだけど。
酷い美容師に当たった事もある。
その美容室は珍しく気に入ってたんだけど、今まで面倒みてくれてた人が辞めてしまって、新しい人が担当に付く事になった。
そしたら開口一番「前にうちの店じゃないところで髪切ったでしょ!?」と責められる。
いや切ってないですと返事をするも、「嘘!絶対切った!酷い!!」と罵られる。
浮気をしてないのに疑われるってこういう状態か、正直もうどう対処していいのかわからない。
で、機嫌を損ねたのかどこかに行ってしまって、戻ってきたと思ったら「すみません、気のせいでした」と言われたんだけど、正直この人大丈夫かなと。
ハサミ持って頭をいじってもらうのに大丈夫な人なのかなと思うとすごく帰りたかった。
でもほんと、失敗しても要求に応えられなくて全く違うことやっても金払わないといけないし
器質性たって、そりゃ人間の行動原理全ては器質性によるものだろ。
それがなんとなくこういう屑な連中はこういう感じかなー、ってなってる程度じゃん。
単に屑な行動したら皆そうなる、ってだけだとしたらだからなんだ、って話。
逆に言うと、それを矯正することは人間の行動の自由をそのまま制御する恐ろしい話になるけど、それでいい?
そもそも、ラベリングが無ければ投薬やサポートにアクセスできねーよ。
先天的なものであれば先に見つけ殺すなり排除するなり別のところに放り込むなりすれば良いかもしれないが、
後天的なものであるならば、ちょっと最初におかしな行動をとったことにより
ADHDだと言われ、そうだ僕はADHDだ、と思い込んでどんどんそうなってく、って話だよ。
そんで、その話を使ってどんどん逃げてく。
治療やサポート受けて上手くいかなくてもADHDのせいなんだーって。
当たり前だろ、俺は俺が思う存分ADHDでいられるために
カネ稼いだんだから
今の立場にたどり着くまで他人の靴の裏なめて
カネと信用を得るしかなかったんだから、当然ながらADHDは矯正せざるを得なかった。
今の立ち居地なら、それをしなくていいから非常に楽だ。
>は通らなくて当たり前だ。
現状は当たり前に思えるかもしれないが。本当はおかしい思考なのかもしれんと俺は思うぞ。
なんだってそうだ。社会常識を振りかざしていたら何も変わらない。
いまでこそ堕胎は当たり前だが、倫理的におかしいといわれ続けてきたんだから。
それと同じかもしれんぞ?
俺にもわからないが。
社会制度と治療方法、矯正や小学校あたりでのスクリーニングを行うことで。あらたな社会常識がでるかもしれない。
ごめん、頭悪いとか、言ったのは謝る。過激にしてみたのはちょっと議論を起こしたくて。
クズをクズとして扱わずに、「更正可能な者」と見なしたことなのかなと思います。
それゆえに、強力な措置で適応させようとした。
でもそれって実際無理なのかなって現実主義者の自分には思うわけ。
「馬鹿は死ぬまでなおらない」っていうのは真実だと思うんだよね。
一時的に戸塚ヨットスクールてきな劇薬で矯正しても、社会に戻したら9割はクズに戻るし、逆に矯正過程で壊れちゃうクズも居るわけ。
「クズ」は「クズ」としての居場所を作ってあげればいいとおもうんだ。
これは仕方ない。政治とは最大多数の最大幸福を目指すものなので、一部の排除はどうしても発生する。
排除されてるなりに、それなりの幸せ、を与えてあげることが、リアルな点での必要なんだとおもうんだ。
クズ山って表現は過激で内容も過激さはあるけど、それをいくらか”クズ”と定義される側が妥協できる点まで落として、そういう場をつくる必要があるんじゃないかな、と思うの。
二重まぶたの日本人って3割しかいないのか。 そのうち奥二重の人も考えると、実際はもっと少ないのかな?
自分は彫りが浅くて顔がでかくて二重で目と鼻が大きい典型的な縄文ブサイクなんだが
ぶっちゃけ一重に生まれたほうが楽しかったかもなあ、と最近思う。
一重の人って顔の線が細くて、化粧映えするのがうらやましい。
鼻は大きくならないし、鼻筋が通ってる人が多い。顔も小さめ。
一重の人が二重にしたかったらアイプチ使えばいいし、結婚するつもりないから整形でもいい。
二重の縄文顔を矯正するとなると、鼻を削ったりあごを削ったりしなきゃならない。
なんか前にも書いた気がするけど、やっぱり一重の人がうらやましいよー
童貞だけど。
明晰夢じゃなくても気持ちよかったことがなかった。
でも昨日の夢は自然な流れでセックスしてめっちゃ気持ちよかった。
セックスしようみたいな流れで、でも相手が直前にちゃんとゴムつけてねって言うとことかリアルだった。
2回くらいして3回目の前に夢のストーリーの流れが別方向に言った。
実家でやってたんだけど、きたこともないいとこのにいちゃんがいきなり来たみたいな話になって続けられなくなった。
リミッターがかかったのかな?あんまりやりすぎるとよくないからみたいな。
これまで床オナ最高だろwwwwと思ってたけどセックスもこんだけ気持ちよかったらサルみたいにやりたいなと思った。
ソープにはまる人はこんな気持ちなんだろうな。
でも絶対リアルはこんなに気持ちよくないんだろうと断言できる。
床オナ並の膣圧持ってる人なんていないだろうし。
うーんオナホで練習すべきかなー。