はてなキーワード: 次元とは
あるいは、既存研究調査能力の著しく低い223人のエセインテリブクマカ達
人間が市場の全情報を持ってて最適な行動を取ってれば予測はできるんじゃね?(昔は絵空事だったけど今はコンピューターとかいう人民を苦しめるためのうるさ過ぎる箱があるのでギリいける)
情弱エージェントたるお前らが最適な行動を取れるわけではないので、効率的な均衡を取れないって感じだね。この世はめっちゃくちゃ焦ってる囚人ゲームの囚人だらけでめちゃくちゃ。
Cournot モデルに, 価格及び費用の非線形な構造, 情報の不完全性や遅れ,学習等を加味することにより, 複占・寡占エージェントの動学モデルを構築し, 市場が複雑に振舞うことが示されている.([Puu1991], [Puu 2003], [Kopel 1991]).
(略)
いやこんなクソ古い上に廃れた理論持ち出すのも変だけど、お前らは何一つ引用してこないのな←よく読んだらまあまあいた。もっと星つけて目立たせといて
貨幣は人間が作り出した。経済も人間が形作っている。では、なぜだれにも予測できない?
多分、お金も経済も、人にやる気を出させる作用があるという点に理由があるんじゃないか。
米軍には「チャレンジコイン」って制度があるらしくて、「褒章・叙勲するまでには至らない程度の功績があった隊員への謝礼」なんだと。だから金銭的には価値が薄い。でももらったら絶対嬉しい。貨幣や経済を一瞬でなくしたとしても、こういう「褒め」と、それを形にして交換する制度は出現するはず。
思うのが、経済も人間に作られるのを待っていた概念なのでは?遺伝子があたかも宿主を操っているかのように見えるのと同様、経済は人間を操る高次元の概念か
なんで俺の渾身のインモラル詩はバズらんでこんなカオス理論(古っ!古典じゃこんなもん)で散々語り尽くされた話、弄んでるんだ
人間なんて自分の身体すら思い通りにいかない生き物なのに、何故コントロール可能だと?
漫画「ハイパーインフレーション」読もうぜ!
自分たちで植林した杉の木さえ制御できずに花粉症で苦しんでいる人間がいるんだよ。いわんや非線形の創発現象を制御なんて夢のまた夢。
あざすよんどきます
幼い頃の自分はこれが言いたかったんだわあざすあざす。文系なのに頭いいんすね?バグ?
疎外(独Entfremdung、英alienation)の一語で済む話。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%96%8E%E5%A4%96
話題をむやみに広げたので色んな分野からツッコミが来とるわ中野のバスターミナルくらい知識が交差しとる
知った被って馬鹿に尊敬されつつまともなやつに馬鹿にされてる中田敦彦みたいなインフルエンサー(中田敦彦とか)の気持ちが分かったわ
群体が云々のトップコメ言いたいことは結構分かる(んだけど経済学で一般に言われてることではないよね?)。でも生物学の群体は全体として自分がやってることが分かって生活してるから制御できてんだよな。
群体とは,無性生殖(自分と同じ遺伝子を持つ分身をつくること)によって,殖えた個体どうしが体の一部などでつながりあって生きている生活の形です.
あとこれ→群体性と個体性
↓すまん引用元忘れた
話が進むほどブレイバーン自身が地球侵略のラスボス?疑惑が俺の中でますます膨らんでる
1話のピンチで上空から駆けつけてたがアイツこそ地球付近に突然現れた母艦の主じゃね?とか
バーンブレイバーンってタイトルからして語呂の良さ採用じゃなくて「ブレイバーンを燃やせ」って意味に勘繰りたくなる
ヒーローごっこがしたいアイツにとっては ブレイバーンの機体がプレイアブル機体ってだけで
地球や人類はゲームのマップや登場キャラといったオモチャの類いに過ぎないんじゃないのか?
あまりに能力がチートで次元をいくつも突き抜けてる上位存在すぎて 敵機体すら自分で用意してそうで
別個体?のスペルビアもあいつならチートでサクッと作れちゃいそうだし
人間性を8ビットの数値で判断することは適切ではありません。 以下にその理由を説明します。
1. 制約された範囲:
- 8ビットは、整数を表現するための非常に制約された範囲です。符号付きcharは通常-128から127までの範囲で値を持ちます。
- 人間の多面性や複雑さを8ビットの数値で捉えることはできません。感情、思考、行動、文化的背景、経験など、人間性は非常に多様であり、単一の数値で表現できるものではありません。
2. 多次元性:
- 人間性は多次元的であり、単一の指標では十分に評価できません。感情、知性、道徳、社会的スキル、創造性、共感、信念など、さまざまな側面が組み合わさっています。
- これらの側面を8ビットの数値で捉えることは、人間の複雑さを過小評価することになります。
3. 文脈と状況:
- 人間性は文脈と状況によって異なります。同じ人でも異なる状況で異なる側面を示すことがあります。
- 8ビットの数値は、人々の行動や意思決定の背後にある深層的な要因を理解するのに不十分です。
したがって、人間性を8ビットの数値で判断することは、その複雑さを無視するものであり、適切ではありません。人間性は多面的であり、数値だけでは表現できないものです。
亡くなる前と後で同じ家同じ空間にいるはずなのに心の居所のなさがまるで違う
本当に別次元に迷い込んだようだ
同じ部屋なのに何もかもが閉塞感に包まれている
逃げ場がないみたいだ
第五輪とは、古代から現代に至るまで、世界の支配を企てる一部のエリート層や秘密結社が用いてきた、異次元へのポータルを指す言葉です。伝説によれば、この第五輪は古代の神秘主義者たちによって発見され、その力を利用して物質界と精神界の間を行き来する手段として用いられました。
第五輪は、通常の人間の感覚では捉えることのできない高次元のエネルギーを操作することができ、それを用いて未知の知識や力を得ることができると信じられています。この異次元のポータルは、エリート層や秘密結社によって、彼らの目的達成や世界の支配を目指すための手段として、古代から秘密裏に利用されてきました。
歴史上、第五輪をめぐる多くの陰謀や伝説が語られており、その存在は常に謎に包まれてきました。一部の信奉者や陰謀論者は、第五輪を現代の政治や経済の舞台裏で活動する影の勢力が利用していると主張しています。彼らによれば、第五輪を操作することで、人々の意識や行動を操作し、世界の秩序を変えることが可能とされています。
しかし、第五輪に関する情報は極めて秘密裏に扱われており、その真偽を確かめることは困難を極めます。そのため、第五輪にまつわる謎や陰謀は今日でも多くの人々の興味を惹きつけており、その存在は歴史の闇の中で謎めいたままに残っています。
案外、ちがう次元で続きそうだと思ってるんだけど。
今週のチャンピオンでとうげんあんきってマンガの2.5次元の特集で原作者とキャストと脚本演出が対談するってのがあった
はじめに目に付いたコメントは「普段原作者と会えることなんてないんでまじでうれしいです!!」ってのだね
それはすでに私の精神の一部であり 私の意識と融合しています ヒロインとヒーローには 全身全霊的なお互いの信頼関係に加えて ある種の「運命的な絆」があります
2011【 シー [ C ] THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY CONTROL】真朱
互いの信頼関係に加えて ヒロインとヒーローには ある種「奇妙的な絆」があります
『2.5 次元の味見/ Vtuber興味津々』 現時点で会員メンバー買うリスト(時間順)
杏仁ミル:きゃわいいペット 台湾で誰でも彼女を知ってる ある意味で台湾Vの代表格
兎田ぺこら:平穏な日々いつもありがとう もう「生活」というものでしょう
朵璃安 Dorian:「2023年 金V獎」で彼女のことを知った 歌がうまい
Zero ch.劫羅:ちょっとエッチな誘惑 小悪魔的な見た目なのに 守りたい気持ちが溢れ出す
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/45027695e530e051763275a72d54d44c1509526a
昆布(自然?)と味の素(化学?)が対立概念である、という図式をスンナリ受け入れている人々が多いようだけれど、そういう人々はいまだに味の素を石油化学合成食品だと考えているのだろうか。
味の素が化学合成を中止して発酵製法に切り替えたのは1973年のことだ。
1973年5月14日にMSGの最終晶析、23日に最終分割を行い、試運転開始以来10年10カ月にわたり続けてきた合成法によるMSG生産に終止符を打った。
(※MSG = グルタミン酸ナトリウム)
60年代~70年代の日本では公害が大きな社会問題となっていて、石油化学工業全体に対する消費者からの風当たりは非常に強かった。四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)を小学校で習った人も多いだろう。
味の素の基幹工場は、ほかならぬ四日市市にある。上の資料でも、石油化学製品を過剰に警戒する消費者の忌避感に逆らえなかった苦衷が(かなりあけすけに)綴られている。
1960年代前半には高い評価を得ていた技術が、わずか10年余りのうちに一転して受容されにくい技術になった。その背景には、化学に対する消費者の劇的な意識変化があった。化学合成技術を最先端技術としてもてはやす時代から、公害の元凶として排撃する時代に変わったのであれば、食品を化学合成で作るというコンセプトは受け入れられない。
「化学調味料は得体の知れない身体に悪いモノ」という風評やマイナスイメージは70年代にはすでに一般的だったのだ。時代はPCBや水銀やカドミウムが重大な食害事件を起こしている真っ最中である。化合物食品や食品添加物に対する不信感は、現代のオーガニック信仰などとはまったく次元の違う切実さがあったはずだ。
味の素の失敗は、せっかく製法を切り替えたのに商品名を変えなかったことに尽きると思う。すでにブランドを確立していて手放しがたかったのだろうが、味も成分も商品名も同じままだったら、誰も作り方が変わったなんて思わない。新・味の素とか味の素ネオとか、あるいは全然違う名前をつけた化学じゃない方の旨味調味料を売り出して、オリジナルの味の素は静かにフェードアウトさせるべきだったろう。令和の今に至っても味の素を「化学調味料」「化調」と呼ぶ人がたくさんいることが失敗をよく物語っている。
味の素系のブクマでコメントを見ていると「親が味の素を嫌いだったから自分にも使う習慣がない」という2世アンチも散見される。事実を知らないまま「味の素は悪者」というイメージだけが親から子へ、子から孫へと語り継がれてしまった結果である。
古いイメージをアップデートできていないだけならまだいい。それは無知なだけだ。
『美味しんぼ』には、露骨に旨味調味料を貶めるエピソードがある。山岡たちは(現在は味の素が発酵食品だと知りながら)わざと「化学調味料」という言葉を使い、味の素が化学合成していた時代のままの主張を展開する。まるで電気自動車の排気ガスが汚いと言っているようなものだ。
味の素の味が嫌いなら使わなければいいし、昆布の味が好きならば昆布を使えばいいし、「身体に悪いって言ってる人がちょいちょいいるから」くらいのよくわからん理由で使わないのもその人の自由だと思う。
私は基本的に増田に追記ってしないんだけど、スカタンなブコメひとつだけ晒し上げときます
安全とわかっているのだけど、遠慮したいのだね。味の素を愛好していた歌手・タレントの方が「がん」で亡くなった。生前に特製ソースと謳って、味の素を大量に投入していたのテレビで観ていた。