はてなキーワード: 権利とは
(即時取得)
第百九十二条 取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する。
(盗品又は遺失物の回復)
第百九十三条 前条の場合において、占有物が盗品又は遺失物であるときは、被害者又は遺失者は、盗難又は遺失の時から二年間、占有者に対してその物の回復を請求することができる。
第百九十四条 占有者が、盗品又は遺失物を、競売若しくは公の市場において、又はその物と同種の物を販売する商人から、善意で買い受けたときは、被害者又は遺失者は、占有者が支払った代価を弁償しなければ、その物を回復することができない。
その買取業者はまぁまず悪意または有過失なので、そもそもそれらの動産を即時取得しない。
売り払われた物が老婆の所有物では無いことは一般人並の注意力ですら容易に気付けたわけで、まして古物買取商が気付かないはずもない。
したがって、193条194条の話をするまでもなく、それらの物の所有権は依然として増田にあり、増田はタダでその業者に引渡しを求めることができる。
曲がり間違って即時取得が成立したとしても、支払うべき代金は「占有者が支払った代価」つまり老婆からの買取額2万円までであり、販売価格10数万円ではない(194条)。
そしてこれらは基本的には民事の話なのだから、警察を呼ばれたからといって、あの怠惰な警察がその古物商に味方するはずもない。
俺も米スタートアップで日本からリモート勤務してるけど、1度従業員の数分の1を解雇するレイオフに遭遇したよ
幸いにも自分はレイオフ対象にならず今も働いてるけど、うちの会社と大きく違うな~って思ったのはウチのスタートアップの場合はおそらくCEO/COO以外のマネージャー、VP、CxO含めてレイオフされる側だったこと
だってVPやManager, CxOクラスの人がバンバンfarewellメッセージをSlackに残して去っていくんだぜ?
むしろなんで俺がレイオフされなかったのか聞いてみたいが、誰がレイオフ対象を選別したのかも分からんしどうしようもない
ただ凄い面白いなと思ったのは、レイオフの2ヶ月後くらいにレイオフされた元従業員数名が普通に再雇用されて職場に戻ってきたこと
・レイオフは勤続年数長いシニア社員はレイオフ優先度下げなければならない
・レイオフ後再雇用を実施する場合はレイオフされた元従業員を優先的に雇用しなければならない
って法律だか規則だかがあった気がするけど、レイオフしといてすぐ再雇用するとか、こんなのありかよ!って思ったわ
だってレイオフしたらストックオプションパーだぜ?戻る方もどんな思いで職場復帰したのか気になってしょうがないわ
しかもレイオフで従業員が減ってストックオプションの権利が会社に戻ってきた後、残った社員に余ってダブついたSOが再分配されたんだぜ?えげつなさすぎだろ
元仲間の従業員のクビをぶった切って、死体に残った肉をレイオフされなかった社員で山分けだぜ??資本主義って凄すぎだろマジで
アメリカ企業の徹底した合理主義、利益第一主義、ほとんど表に出さない人間間の個人的感情・評価、これはアメリカのスタートアップで体験できる凄まじいダイナミクスさだよ
貴重な経験だった
割とCxOにゴマすって、俺は上層部と仲いいんだぜアピールしてた奴とか、普通にレイオフ対象になってたからね
だけどことあるごとにCxOやVPにかみついて発狂しまくってたシニアエンジニアは普通にレイオフ対象から外れてサバイブしてた
表面上仲良く友好的な雰囲気な奴だとか、上層部と喧嘩ばっかで仲悪そうな奴だとか、そいつらを会社の利益から逆算して冷徹にどっちを残すか決めてるわけだからな
日本だったら上層部と喧嘩したシニアエンジニアとか良いチャンスだとばかりに解雇するだろ?
ところが全然違ったわけだから、徹底した資本主義ってむしろ尊いものだな~って感心したよ
資本主義教に俺も入信しちゃいそうだ
30代も半ばになると、仕事でもプライベートでも年下の子と話をする機会が増えてきた。
「求めていないときのアドバイスほど嫌なものはない」というのは、その通りなので、なるべく意見を言わないように気をつけている。
でもそれって、かなり一方的で都合のいい考えじゃないかって、思うようになった。
直近であった具体例をひとつ挙げよう。
趣味の会で知り合った知人が、4月に新卒で就職したものの仕事が合わなくて悩んでいるのだという。
集まりのときに「仕事が本当につらい」「この前も身体が動かなくなって休んでしまった」「もう限界だ」という話をされた。別にアドバイスは求められていないと思い「へえ」「そうなんだ」とだけ返していたら、それでは足りないらしく「どうしたらいいと思いますか?」と尋ねてきた。
「辞めるとしても、失業保険がもらえるようになってからの方がお得かも」
「失業保険ですか?」
「1年以上勤めたら、自己都合退職でも月に十万ずつくらいもらえるはずだよ」
「1年は辞めない方がいいってことですか?」
「限界ならすぐ辞めてもいいけど、結局また別の仕事をしなきゃ生きていけないし、無職期間を長くしたいなら失業保険はもらえた方がいいよ」
「どういうことですか?」
「まあ、いろいろあるから調べてよ」
と、このくらいの会話をした時点で、相手はもう話を聞く気がなくなっている。「どういうことですか?」とは口にしているが、本当に説明してほしいわけではないのは、なんとなくわかる。
「仕事大変だよね」 「辞めちゃえば」と言ってほしいだけで、具体的なアドバイスなんて求めていないのだ。
それはそうなんだろうけれど、だとしたら、その話、私にする必要なくない?と思ってしまう。
自分自身、仕事が嫌いで、新卒で入社した会社は半年で辞めたし、その後も次の仕事を決めずに辞めたことが何度もあるし、失業保険とか、職業訓練とか、年金の免除とか、実体験を元にして話せることはたくさんある。
私には私の経験と考えがあって、誰かと会話をするのなら、なるべく自分だからこそ話せることを話したい。誰が相手でもいいのなら、私じゃない人に話してほしい。
共感してほしいだけでアドバイスはいらない、というのは、正しいのだろうけれど、「デートとか面倒だからホテル行ってセックスだけさせてよ」くらい下品な気がする。
なんというか、欲望丸出し。
「身体だけ貸してよ」は、言っている方も、下品さを自覚している気がするけれど「アドバイスはいらない」は、言っている本人は、まっとうな権利だと思ってそうで、それも嫌だ。
「アドバイスは求められていない」というのは、あくまでも年下の子に嫌われないためのテクニックであって、本質的にはナンパ術と変わらない。正義などではないはずだ。
一連のブクマ記事を調べたが「傍聴席のヤジ」については誰も触れてないように思う。
これらのセクハラは「ただし摩擦はないものとする」的に無視してよい、でいいのか。
それとも傍聴席のヤジさえもフィクションという理解でよろしいか。
あるいは、これくらいのセクハラは全国どこだって普通にあるということか・・・?
傍聴席は殺気だっていた。70代くらいの男性たちが前列に座る私たちの背後から、「こっちにだって選ぶ権利あるんだよ」「誰があんな女と」「犬だってしねぇよ」と声を浴びせたり、「(性被害が)本当なら(時間的に)町長はニワトリだ」と盛り上がったりもしていた。ニワトリの意味は、すぐ射精するとのことらしい。コケッコッコーと言っては笑っていた。セクハラを背中からずっと浴び続けた思いになる。
...
町長室に入って座って話しましょうと言われたが、町長室前の立ち話でお願いし、20分ほど話した。その後、礼を言い立ち去る時、「町長室に入ったら犯されちゃうって警戒されちゃったね」と、支援者たちがふざけているのが聞こえた。思わずカッとくるのを抑えながら、階段を駆け下りた。
100年という時の流れは、人類の歴史の中ではほんの一瞬に過ぎない。しかし、その短い期間で私たちの倫理観は大きく変化してきた。
20世紀初頭には帝国主義や植民地主義が支配的だったが、現代ではそのような考え方はもはや受け入れられない。
当時、治験と称して人種や性別、階級による差別に基づく恐ろしい人体実験や非人道的な行為が行われていたが、それもほんの数十年前のことだ。
第一次世界大戦と第二次世界大戦を経て、世界は大きく変わり始めた。
1948年に採択された「世界人権宣言」は、この変革の象徴である。
全ての人間が生まれながらにして自由であり、平等な尊厳と権利を持つことを確認した。
これは、それまでの不平等な扱いに対する強い反省の表れでもあった。
現代の倫理観は、私たちの社会をより公正で平和なものにするための基盤となっている。
しかし、現代的な倫理観もまだ完全には確立されておらず、差別や不平等は依然として存在し、国際的な対立や貧困も解決されていない。
普通のソープからパパ活、乳首責め、コスプレから痴漢プレイ、SM、
男の娘逆レまで金を払えば経験できるセックスの快楽はほとんど経験してきたけど、
そこにワイの知らない素敵な快楽があると信じている素人童貞なので、
ああ、わかる。とてもよくわかる。
いつものように眠って、そのまま苦しみなく死ねるならと思わないことはない。
職をかえて上向く自信もなく、
このまま生きていても幸せになる道が見えない。
何の才能もなく、ただ惰性で生きている。
死にたいと考えないやつは
幸福な生活を送ってるか、考える事もできない極限的状況にいるやつなんだ。
後者は気付いた瞬間に理性も飛んであっさりなんて事もあるが。
他人に生きる事を選ばせようとする人々が羨ましい。
幸せなんだろうなと。
俺達にも幸せへの道があると勘違いするぐらい幸せなんだろうなと。
幸せの波にもまれ過ぎて幸せな感覚が麻痺する人もいるぐらいに幸せなんだろうなぁ。
もう無理なんだ、自分の手で這い上がれるような時期は過ぎた。
かえって迷惑をかけそうですらある。
ただそれだけの権利が欲しい。
それに自由恋愛とは、当たり前の話だが男性側にも自由が与えられる。
男も女を選ぶ権利があるので、容姿のいい女性に男性側の人気が集中する。
自由恋愛で何が起こったかといえば、極一部の上位女性に人気が集まり、残りの大多数は喪女になるだけだった。
フェミニストは「少子化より女性の人権の方が大切だ」と主張するが、家父長制の抑圧がルッキズムの抑圧に取って代わっただけだった。
今41だけどこの先今より幸せになれるイメージがなく、今幸せだからこそ早めに死にたいと思っている。でも現状、自死の方法が残された人にもの凄いダメージを与える方法しかないのが最大の悩み。あと失敗した場合の後遺症。それをクリアするために早く希望者は誰でも安楽死できるようになってくれないと本当に困る。よく安楽死反対派は「弱者への何故死なないのか圧」が強くなると懸念をあげるが、そんなん 知 る か に尽きる。ビンタしたい。だって皆言ってるじゃん、生きてるのしんどいよねって。しんどいだろ。「生きてるだけで偉い」ってそういうことだろ。
若い人は知らないけど、もう一定以上の年齢の人は皆自殺できないから生きてるだけでしょ?
それでも人間が人間を産むのは、古い人間ばかりになっていく恐怖に耐えられず新しい人間を誕生させたくなってしまうからだと思う。結局自分も早めに死にたいとか思うくせにちゃっかり子供は産む。本当に勝手だよ。滅びろ。そんな急がなくてもいつかは皆死ぬ、というけれどそれまでが長すぎる。死期を決めることができれば老後の為だけの死に金を貯めず経済活動にまわすこともできる。この先どんどん値上げされていくであろう介護費、医療費の問題もクリアできる。成田ゆうすけってそんな間違ったこと言ったか?「自分も老人になることわかってるのか?」と批判されてたけど自分もは早めに淘汰されたいからの発言なんじゃないか?PLAN75といわず、成人したらだれでも「安全に死ねる」ようにしてほしい。西麻布に核シェルターつくるとか馬鹿かよ、それより「安全に」死なせてくれよ。失敗のリスクがないなら自分で後始末してから逝けるから。人間はいつの時代も戦争をせずにはいられない最悪の生き物だし、全部終わった方がいいと思う。でも生きたい人もいるだろうから、全人類滅びろとは言わないけど、死にたい人には「安全に」死なせてほしい。それで死ぬ人が増えて、生きたい人のインフラが保てなくなってもそれは知らない。今、自殺や自死で検索すると「悩みを聞かせて」とか「命の電話」とかで汚染されているけど、国の建前として死んでほしくないのは納税者が減るから以外にないだろ。
好きな時に安全に死ねる権利が手に入ったら、本当に毎日飛び上がりたいほど幸せに暮らせると思う。この気持ちわかる人いいませんか?
アンガーマネジメントは必要だなと思う
BtoBの仕事をしているが、怒鳴り散らすのは客のマネージャー層以上と相場が決まっている
上のレイヤーの人間ほど「キレる権利」を持っていると勘違いしている
その根拠でもある増田の過去編は https://anond.hatelabo.jp/20240506065437/ に書いた。
それはそうとして、そのように生きてきた弊害からか、「この世は私にとっての安寧の地ではない」と感じるようになった。
希死念慮や自殺願望ではなく、「生きるのがつらいから◯にたい」ではなく、本当に私はこの世に自分の居場所はないと思っている。
というか、誰しもないのでは?とすら思う。
私は私の人生の苦しさしかわからないが、少なくとも私はあの世からこの世に派遣された調査員あるいは流刑にされてあの世からやってきた囚人だと思い込むことで自我を保っている。
あるいは媒体。
精神としての私の居場所はどこにもなく、ただ媒体としての私がこの世にはあるだけだと気付いた。
付随というか、結局は各々の問題を家庭(笑)という民間の空間へ委託しているといってもいい。
少なくともこれまでの人生において、家庭(笑)の問題については、公的な第三者に助けられたことはほぼないと思う。
税金を納めるほどではない、どちらかと言えば税金のお世話になる可能性の高い人間がいっちょまえに社会的に何かしたいと思ったがゆえの生存戦略が子作りであり、言わばセルフケツモチ製造なのである。
国もその子供が健常に育てばそいつら(親)を税金で面倒を見る必要もなく、相互扶助の名目の元、後処理を押し付けられる。
問題は、そのようになった子供も同じことを繰り返してしまう可能性があることだ。
ちなみに私は全く反出生主義者ではなく、この事実を嘆きたいだけだ。
圧倒的知能か恵まれた環境にあれば別だが、悲しいかな、人間は知能による公平さのジャッジよりも前に自分が受けた分の苦しさを取り返してやろうという感情が先に来るだろう。
話は戻るが、要は媒体として、支配対象としての子供から20歳を機に搾取対象の成年後見人へ。
それどころか義務・罪・罰等は何もしなくとも来るのに、権利・功・賞等は能動的に動かないと得られない。
「親の扶養義務(笑)」「共助(笑)」「扶養(笑)」「相続(笑)」。
仮にそれも考えて親が私を作って死なせない程度に育ててきたのだとしたら、天才だと思う。
仮に婚姻で救われたとしても隷属先が変わるだけに思えてならない。
詳細は伏せるが、現在進行系で親の尻拭いをしている。
きょうだい児を召喚する親もいれば子供を成年後見人として召喚する親もいる。
言っちゃ悪いが、Xでよく見る、自分も障がいのあるのに、子供を作って愚痴を吐くアカウントで確信した節もある。
私は比較的人付き合いも避けながらも何とか生きてきたため、恥ずかしながら精神疾患の世界も逆に上流階級のこともわからないが、一般的に子供を作る前に自分の社会的な自立が先な人間も子供を作ってしまうのは、彼らには恋愛や性行為がセラピーとして作用してしまっているがゆえの結果と、相対的に自分よりも下の人間が作れる画期的な手段が子作りだからではないかとも思う。