はてなキーワード: 勢力とは
はてなでは、選挙ではなるべく女性候補者に入れるようにしている、という人が多い。投票行動は個人の自由なのでそこに口を出す気はないけど、自分は逆に、女性候補者への投票はなるべく避けることにしている。
といっても、前は割と女性候補者に投票してた。吉良よし子議員にも票を入れたことがある。表現の自由を尊重する姿勢を見せていたし、女性議員が増えるのは良いことだろうと思っていたからだ。
でも、前回の衆院選で吉良候補は「“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意」という発言を堂々としていた。ありえない。俺の一票がフェミニズム的な表現規制に使われた。
立憲や共産といった左派政党は、近年フェミニズム勢力の浸透が進んでいる。選択的夫婦別姓やら緊急避妊薬承認やら再婚制限撤廃やら中絶の自由やらは支持するけど、表現規制にも踏み込んでこようとする人が多いので、基本的にフェミニズムというだけで警戒してしまうし、左派野党の女性政治家はいつフェミニズムに転ぶかわからない。いつ俺の一票を表現規制に使おうとするかわからない。だから、栗下善行とかと手を組んで「表現規制反対!」って前面に出してる人でない限り、野党系の女性候補者には票を入れられない。
じゃあ、自民などの右派政党は? なるほど右派政党の女性候補者ならフェミニズムに転ぶ心配はないかもしれないが、俺は(改憲それ自体ならともかく)自民党の改憲案には明白に反対だし、未だに夫婦別姓や同性婚程度のことすら認めようとせず、労働者の権利を削ることに汲々とし、女性天皇を認めずに皇統の危機を招くような反動的政党に票を入れられるわけがない。
なので、なるべく野党の男性候補者、もしくは野党で表現規制反対を前面に出して闘ってる女性候補者に票を入れよう、ということになる。もちろん男性だからって無条件で票を入れることはないけど(野党の男性地方議員がラブライブやら温泉むすめやらをバッシングしてたの何度も見たしな)、女性候補者よりはフェミニズムに転ぶ可能性が低いから安心するよね。
そういうわけで、前回の参院選は性別も考慮して入れる候補選んだよね。まさか自分が女性候補者を避ける日が来るなんて思ってなかったけど、吉良よし子議員の裏切りがショック大きすぎたから仕方ない。女性候補者はリスクがありすぎるから入れられねえんだわ、すまんな。
そういえばれいわ新選組って、ロシアに関するやべー発言とか陰謀論とかは聞こえてくるけど、表現規制の面についてはどうなってんの? 表現規制に対しちゃんと反対してるなら票入れてもいいぞ。色んな欠点も国会に重度障害者3人送り込んで参議院にスロープつけさせたり参院予算委であかさたな話法で質問させたりしてる点が加点法でいくと100点満点中300点くらいになるから俺の中では帳消ししてやっていいかなって思ってる(女性のクオータ制導入しろ、と主張してる政党が全然障害者を立候補させてないの欺瞞でしょ。日本には数百万の障害者がいるんだぞ。国会に介護がないと生きられない人を複数名送り込んだだけで山本太郎はめちゃめちゃ偉いよ)。
そんなにずっとレスバを続けてたいのか?
あっ答ですね。
「BL小説に移行するが、BL小説は世間の表舞台では存在しないことになっているので、表舞台限定のランキングには登場しない」
ですよ。
皆分かりきってたでしょ?
もうちょっと踏み込むと、中学生~大学生にかけて恋愛ADVが勢力を伸ばし始めて読書との競合が始まります。
男子の場合、エロ小説の勢力が恋愛ゲームと比べて弱いので、18禁ADVをやっているような子でも小説を読むときは一般のライトノベルになります。
女子の場合、BLが非常に大きな勢力として存在するので、ゲームではなく文芸に浸りたいときはBL小説or一般文芸の二択になり、そこからBLの存在を抹消すると一般文芸ばかりが残ることになります。
これが男女によって学生が読んでいる本のジャンルが表向き違いが出ることのトリックです。
つまり、表舞台における売れ筋小説のランキングをもってして「男は歪んだエロを学んでいる」「女は歪んだエロを学んでいない」というのは現実に対する認識が歪んでいるということです。
何故なら男子も女子もハーレムモノの小説やゲームに触れていますし、男子がフタナリの少女同士が絡みあうエッチなゲームを遊んでいる頃、女子はヤオイ穴のある男同士が掘り合っている小説や漫画を読んでいるのですから。
これに対して「そもそも正常な学生は、18禁のゲームなんてやりませんよ!」というこれまた現実の認識が歪みきった反論もあると思います。
あえてそれに乗っかってあげることにすると、男子向けよりも女子向けの方が「年齢制限破り」としか言いようのない「直接的な表現を避けているので対象年齢を問うことなくエロを匂わせる作品」が多いということに対してどう考えているのか聞きたいものですね……。
Togetterもブコメもそれなりに左右両方の勢力が拮抗していると思うが、どちらかが異常に偏っているように見えるのはあなたが偏っているだけなのでは?
まあ、「東京新聞、朝日新聞は左寄り」というのも、「読売新聞、産経新聞は右寄り」というのも概ね正しいのかもしれないが、「だからこれらの新聞は読まない」とか言っちゃう人と同じ匂いがする。
うまくいくわけがない、というのは君個人の特殊な考えにすぎん。ネットにかぶれて捻くれた結果の尖りすぎた悲観論だ。
世の中を広く見てみれば分かる。日本の対外的な諸制度や実社会を。どうせダメだという思想で設計されているか? 逆だろう。うまく混ざり会えるように配慮されている。
日本のみならず世界中の国が、中国をはじめとした思想の異なる他国を受け容れて、共存し、繋がり合うことで草の根から平和を紡いでいることが分かるだろう。
そういうものが制度面から破棄されていく時流になったときにやっと警戒を強めるくらいのほうがいい。
異なるものを理解しようとし、共存をはかっていくことでしか、平和というのは維持できないんだよ。さもなくば同質化を図るために際限なく過激化していくしかないわけで、歴史を見ればその過ちの例が数多とあるだろう。
なので、ロシアとウクライナとか、中国と台湾香港とか、今まさに現実的な対立が存在している国や地域で対立勢力へのネガティブキャンペーンを張るのは理解できるにしろ、そうでないところへ過剰な敵意を向けるのは独りよがりな態度でしかない。
その愛弟子である胡錦涛さんもそのマインドを受け継いだのだろう
オープンマインドだった 胡耀邦・趙紫陽の時代(藤村 幸義)2011年4月
最近の中国は経済発展こそ著しいが、自由闊達な雰囲気はあまり伝わってこない。それどころか政治の民主化は遅れ、メディアへの規制は強まるばかり。経済面では国有企業の勢力が再び増している。なにか時代に逆行している印象もある。
これまでの経済発展方式を転換すると言いながら、実際には大胆な改革に踏み切れずにいるのも歯がゆい。改革・開放政策に着手してから30年余り。中国はいまいちど、この政策に着手したころ、胡耀邦・趙紫陽がリーダーシップをとっていたころのオープンで溌剌とした雰囲気を思い起こす必要があるのではないか。
胡耀邦に初めて会ったのは、北京空港だった。筆者が特派員として北京に赴任してまもない1979年の半ばころだったと記憶している。すでに前年末の党中央委員会議で、中央政治局委員・党中央宣伝部長への就任が決まっていたが、我々外国人記者の前には姿を見せていなかった。
背が低くて頭は三分刈りくらい、なんとも貧相な男が、突然筆者の前に姿を現した。にこやかに笑っている。すぐに、これがあの胡耀邦だと分かった。つまり、筆者が復活後の胡耀邦の姿を見た最初の外国人記者だったのだ。気がついた他の記者たちが寄ってきて、たちまちのうちに人垣を作ってしまった。
その後はとんとん拍子で出世していく。1981年6月に華国鋒のあとを継いで党主席に就任した(1982年9月には党主席制の廃止に伴い、新しく導入された総書記に就任)。
筆者がその自由闊達な人柄に直接触れたのは、1984年6月、日本経済新聞社が人民日報との交流をスタートさせ、北京に取材代表団を送り込んだ時だった。人民大会堂で、胡耀邦と会見するチャンスを与えられた。初めて会った時の貧相な感じは消え、頭髪も長く伸ばし、威風堂々としていた。
中国首脳との会見では、相手側に一方的に喋りまくられ、こちらから質問するきっかけを作りにくいのが通例だった。しかし我々は違った。儀礼的なあいさつは最小限にとどめ、日本経済新聞社の初代北京支局長だった鮫島敬治氏と筆者がタッグを組んで、次々と質問を繰り出した。
これに胡耀邦も応えてくれた。会見は予定時間を大幅に超え、1時間半にも及んだ。「今後10年間に外国から500億ドルの外資を導入してもいい」と、手に持った鉛筆を振りかざしながら、対外開放に積極的な姿勢をアピールした。
このやりとりがよほど気に入ったらしい。最後に胡耀邦は、同席した人民日報の秦川社長の方を向いて、「ことし秋に人民日報と日本経済新聞が共催してシンポジウムを開くように」と指示したのだった。秦川社長も驚いた様子だったが、すぐに同意し、その場で日中経済シンポジウムの開催が決まってしまった。
かくて1984年11月に「中国の対外開放政策と日中の経済・技術協力」をテーマにした日中経済シンポジウムが北京で開催された。筆者は当時、国際部デスクだったが、数カ月ほどその仕事を離れ、シンポジウムの準備にかかりっきりになったのを覚えている。シンポジウムのパネリストには、いま日本航空再建に采配を振るっておられる稲盛和夫・京セラ社長(当時)にも加わってもらった。
シンポジウム終了後には、胡耀邦と再び会見できた。年に2回も会ったことになる。メディアが単独で年に2回も中国首脳と会えたというのは、異例中の異例だった。
胡耀邦はこの時、韓国との直接貿易について「南北交流の進展を見ながら」との条件付きながら開始を示唆した。いまや中韓の貿易は大きく発展しているが、当時としてはかなり大胆な発言だった。我々との2回目の会談に胡耀邦も気を許したのかもしれない。
胡耀邦は1987年1月に総書記を解任されるが、日中経済シンポジウムは継続され、1988年11月に北京で第3回目が開催される。この時に会見したのが、胡耀邦の後任として総書記に就任した趙紫陽だった。
趙紫陽も胡耀邦に負けず劣らず、あっけらかんとしていて、オープンマインドだった。ブルジョワ的との批判を恐れずに、いち早く背広を着こなし、ゴルフ場にも通った。
ある時、明の十三陵近くのゴルフ場で趙紫陽とばったり顔を合わせたことがある。アウトの3番か4番だったろうか、ゴルフ場スタッフが駆け込んできて、「中国の偉い人がプレーするので、ちょっと待っていてほしい」と要請された。しばらくすると、趙紫陽がパターを手にしてやってきた。せっかちな仕草で、最後までボールを沈めずに、次のホールへと移動していってしまった。
会見では終始、ハイテンションだった。すでにこの頃になると、批判勢力の攻撃にさらされ、趙紫陽の政治的立場はかなり苦しくなっていた。会見が始まって間もなく、趙紫陽は付き人にビールを持ってくるように要求した。外国人との会見で、中国首脳がビールを飲むというのは、おそらく前例のないことだろう。約1時間の会見中にコップ2杯を飲みほした。ビールに力を借りなければ、思い切ったことも言えなかったのであろうか。この会見の半年後に、趙紫陽も天安門事件にからんで失脚してしまう。
●改革に前向きだった両首脳
胡耀邦失脚の際に、日中経済シンポジウム開催を独断で決めてしまったことが失脚の一つの理由になった、との報道もあった。しかしその後もシンポジウムは隔年開催で続けられ、日中交流の促進に役割を果たした。
胡耀邦、趙紫陽ともに、中国の古くからの悪弊を取り除き、新しい枠組みを作り上げようと一生懸命だった。やや性急なところがあったにせよ、常に前向きの姿勢を失わなかった。
中国はいま、経済成長の維持、インフレ抑制、投資から消費中心への構造転換、という3つの難題に直面している。ところがこの3つの中で、どうしても優先しがちなのは、経済成長の維持である。国際金融危機に際しても4兆元という巨額の財政投入によって、成長率を維持しようとがむしゃらになった。
その結果、GDPが日本を抜いて世界第2位となるなど、世界から大いに注目を浴びたのだが、半面でその後遺症ともいえるインフレに手を焼いている。ましてや、投資から消費中心への構造転換になると、対策が後手に回りがちで、ほとんど効果をあげていない。胡耀邦や趙紫陽のあの改革へのチャレンジ精神をいまいちど、思い返すべきだろう。
特に胡耀邦は清廉潔白なことでも知られていた。昨年4月、人民日報は温家宝首相が執筆した、胡耀邦を評価する論文を掲載している。その中で温首相は、「70歳を過ぎた胡耀邦が、食事や睡眠の時間も惜しんで人々の暮らしぶりを知ろうと、対話などに努めた」と胡耀邦の地方視察に同行した時の思い出を披露している。暖房が効かない宿舎に泊まって風邪をひき、高熱を出したが、それでも仕事を続けたという。胡耀邦がいま存命ならば、腐敗・汚職が蔓延している最近の中国政治に何と言うだろうか。
ふじむら・たかよし 1944年生まれ 67年日本経済新聞入社 北京特派員 論説委員などを経て2000年退社 現在 拓殖大学国際学部教授 著書に『老いはじめた中国』(アスキー新書)『中国の世紀 鍵にぎる三峡ダムと西部大開発』(中央経済社)など
今まで何度も追及を受けるも躱し続けて勢力拡大をしてきたカルトの帝王・統一教会。
同じく毎年多数の苦情や被害相談があっても勢力拡大をしてきたマルチの帝王・アムウェイ。
この2つの団体の悪行を具体的に知ったのは悪徳商法マニアックスという今は亡き(今もあるみたいだけど普通の人は読むことはできない)掲示板サイトの投稿によってだった。統一教会やアムウェイの被害投稿がたくさんあったのだ。
サイトが現役だった00年代は、こんだけ被害が出ていても規制する法律はなく行政も何もできず、「やったもん勝ち」の時代であり、そうやって日本の、世界のインターネットは発展してきた。
それが2022年、統一教会は過去一番の糾弾を受け、アムウェイも行政処分を受けた。時代が変わったと感じる。
悪徳商法マニアックスは、Google八分を受けて潰れていったサイトだった。当時は「Googleが検索結果を操作して特定サイトを表示させないなんて」という驚きもあったけど、今はGoogleの検索結果が操作されて都合の良いサイトしか表示されないのは誰でも知っていることとなった。
SNSでは一般企業の「ずるい商売」については個人ですぐに告発されて拡散されて企業側が謝罪することになったりするが、統一教会やアムウェイなんかの巨大組織の悪徳商法だと組織的なSNS対策を上回れず無力に感じる。どっしりと淡々と投稿を積み上げる告発掲示板は今でも必要だと思った。