はてなキーワード: 公害とは
「公害」とは環境基本法で、「事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる(1)大気の汚染、(2)水質の汚濁、(3)土壌の汚染、(4)騒音、(5)振動、(6)地盤の沈下及び(7)悪臭によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずることをいう。」と定義されています。
コロナで人が死ぬと経済が停滞する。だから、ワクチンを開発してみんなに打ちまくる。
これはまさに、「経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動」でしょう。
そしてもし、本当にコロナワクチンに後遺症被害があるとしたら、
それは、人間の健康環境が破壊されているのだから、あきらかに社会的災害となる。
従来ならこれは「薬害」と呼ばれるけれど、薬害はたいてい対象者が限定される。
コロナワクチンは、全員が半ば強制的に打たれてしまうので、これまでの「薬害」とは
スパイクタンパク質の毒性が解明されて、その毒により後遺症が残った人の数が膨大で、
だが、当時の医療技術では、コロナに対抗する手段がそれしかなく、すべての賠償責任は免除された。
みたいになる可能性はある気がする。というか、たぶんそうなる。
モデルナの2回目受けた人、身の回りでいうと半分くらいの人が40度まで熱が上がってる
20-30代ばかりというのもあると思うけど
全身が痛くて寝てられないし、熱も人生で1番上がるくらい
正直、インフルエンザよりきつかった
国が推奨する医療行為受けると、インフルエンザよりきつい体験を半分くらいの人は経験します、って許されるの?
「副反応で発熱する人もいますよー」くらいの雰囲気で、受けさせるもんじゃなくない?
正直、こんなにきついなら受けなかったわ
3回目推奨されるようになっても絶対に受けないわ
なんというか、もうちょっとなんとかならんかったの?
「若いとインフルエンザよりきつい経験になる可能性が50%程度あります」くらいはしっかり周知して、今後副反応の出にくいワクチンが開発されるまで接種保留するのも全然ありなのよ!という空気は欲しいわ
テーマは深刻なんだけど、ジョニーデップの持ち味の出た、面白い映画だった。
どうでもいいことだけど、昔からなぜか、
ジョニー・デップのことをしょっちゅう、ジョニー・ディップと言い間違えてきた。
これは、バングラデシュのことを、バングラディッシュと言い間違えるより恥ずかしいことだと思っている。
そのジョニーデップが写真家ユージン・スミスを演じる?というのが、
パイレーツオブカリビアンのイメージがこびり付いた身には全く想像がつかない。
興味本位で観に行ったら、本人としか思えないユージン・スミスぶりに、おお、と感動してしまった(あったことはないけど)。
ユージン・スミスのことは、というと
この映画を見るまでほとんど何も知らなかったので、どういう背景があって、あの写真が生まれたのか、垣間見られてちょっと感銘を受けたりもした。
映画で描かれているユージン・スミスは、アル中で薬中。過去のいろいろで、メンタルをやられて写真家としてのモチベーションがどん底にあった頃のユージン・スミスだ。
一方、フォトジャーナリズムを標ぼうしたものの、売上が上がらず、次第に、魂を売るかのような大衆迎合的な記事や広告を載せ始めた、落ち目の写真誌「ライフ」が背景として描かれている。
ピューリッツァ賞を夢見て起死回生を図るべく、次の目標に選んだテーマが、当時、世界のあちこちで問題化し始めた公害だった。
当時、すでにMINAMATAの名は世界でも、
日本の辺境の地で奇病だの猫踊り病だのと言われ、長い間、対応がなされず蓋をされ続けてきた公害として知られていた。
この映画は、写真家として再起を図るユージン・スミスと逆転ホームランを狙う写真誌が、水俣病に目を付けるところから始まる。
いやー、こういう不純な動機、構図。なかなか良いと思う。
水俣の記録ドキュメンタリは、これまでも土本典昭やNHK、いくつかみたことがあったけれども、この目線はいままでなかった。
この映画の見どころはなんといっても、ユージン・スミスの写真家として、親としての葛藤を描くジョニーデップの演技。
日本にきたものの、途中でやる気をなくして投げ出してしまい、大切なはずのカメラまで現地の少年にあげてしまうシーンとか。
ただ、残念でならないのは、ロケ地。
違和感があったのでググったら、なんと日本ではない。観終わったあとに読んだ町山智浩のコメントによると、セルビア・モンテネグロなのだという。
どうりで、海のシーンが逆光でぼんやりしているものが多かったわけだ。
漁民も、漁民たちが扱う魚も、明らかに違和感ありまくりで、端的に貧相だった。違うだろ。。もっと豊かな海を描いてほしかった。
あと、土本作品へのリスペクト、というのもひそかに注目していたのだけど、
まあ特にないのかな、という印象だった。
過去の記録映画を観ていれば、モデルが誰なのか、すぐにピンとくる。
ここはやはり、あれだろう、船頭小唄だろう、と思ったのだけど
そのかわり、ユージン・スミスになついて、カメラに興味を示し、撮って遊ぶ天真爛漫な少年が描かれている。
しかし、考えてみれば、船頭小唄なんぞ奏でようものなら、そのメッセージ性が強烈すぎて、
物語を邪魔してしまうだろうから、日本の観客向けにはむしろないほうがいい、ということかもしれない。
映画のクライマックスは、水俣病の歴史で欠かすことのできない、大きな事件である、チッソ株主総会。
そこからの流れはとてもテンポがよく、裁判によりチッソが補償を決定するまでの激動の動きが、
ユージン・スミスのもっとも有名な写真である、「入浴する智子と母」の撮影シーンを織り込んで進んでゆく。
國村隼演じるチッソ社長が人間味があって、いい味を出していた。土本作品など過去のドキュメンタリ映画ではなかなか見ることのできなかった加害者の視点、被害者と向き合い補償を決断するチッソ社長の描かれ方は映画ならではであり、圧巻と言わざるを得ない。
見事な演出だと思う。
NHKアーカイブスでも視聴できる有名なチッソ株主総会は、1970年。
スミスが乱闘に巻き込まれて負傷した事件は翌年の東京本社での事件なので史実とはちょっと違うが、
映画は、1973年、チッソが補償を決断し、川本輝夫(映画では真田広之演じるミツオ)が裁判での勝訴をかみしめるところで終わる。
その後の水俣病の動きはわずかにエンドロールで触れられているに過ぎない。
この映画は、ベースの設定が雑誌ライフの復活とユージン・スミスの再起というテーマを背負っていたため、
チッソが責任を認め、補償に応じる、という、ここで終わりになるのは、それはそれでエンタメ的な収まりどころ、なのかもしれない。
しかし、現実の水俣病の歴史は、ある意味、まさにこの裁判勝訴と、それに続くチッソの補償協定とを契機に、
チッソVS被害者団体という構図から、経済優先で被害を黙認する行政VS被害者という構図に大きく変化してゆく。
この映画が第2幕の終わりだとすれば、第3幕はスーパーヒーロー不在の、果てしなき国との闘いだ。
チッソの社長が除去された水をコップで飲んで見せたことで有名な、有機水銀除去サーキュレーター。
効果がないのを知りつつ黙認してきた通産省を筆頭に、高度経済成長を錦の御旗に被害に蓋をし続けてきた行政の悪業が明らかにされてゆく。
最終的に国の規制権限を行使しなかった責任が最高裁で認められたのは、それから四半世紀後の2004年。
さらに一方で、1973年の被害者の勝訴判決は、チッソの患者への補償の契機となったものの、その補償協定そのものが、地域社会の新たな分断の出発点ともなった。
補償をするためには、患者が症状によって定義される必要があるのは自明の理だが、補償協定の1600万円を受け取るに値する症状という形で定義・整理されてしまったのだ。
そこに絡んでくるのが厚生省と当時の環境庁だ。国の定める、公健法上の患者認定基準が、チッソと患者団体との補償協定の要件に連動してしまったのだ。
どういうことかというと、国は広範囲に患者認定を推進するため、公害健康被害補償法により水俣病被害者の認定制度を創設したが、
そこで認定された被害者は、73年に本来は一部の患者団体と締結した補償協定の適用を受けることが認められ、1600万円を受け取ることができるようになる、という仕組みだった。
しかし、1600万という高額の補償が、結果的に、チッソの補償能力を超え、被害者認定の足かせとなってしまう。取りこぼされた多くの被害者が今日に至るまで苦しんでいる、というのが、
映画のその後の世界なのだ。2004年に最高裁が被害者の要件を国の認定基準より緩く認定した、にもかかわらず、だ。
そして国の重要産業である化学工業、そしてチッソの賠償破産を食い止めるため国や県が金融支援をし続ける、という構図がこの映画の後に待ち構えている世界だ。
国は当然、実態調査、疫学的調査に消極的で、というか一度もなされたことがない。
その意味では、映画のエンディングシーンである勝訴判決は、実は新たな闘いの出発点ともいえるのが水俣病の歴史だ。
そのことを思い返しながら、映画の話に戻ると、この映画の残念なところは、以下の点。
・風景が日本でない、不知火海が見えない、漁民がいまひとつリアリティがない
・写真家、出版社、一部の被害者闘争のリーダーという限られた構図で、実態解明に尽力した熊大や問題を放置した行政が出てこない
・だから、なぜ原因企業が折れて補償に応じたのに問題が解決しないか、みえてこない→多分世界中の公害で類似のことが起きているだろう。
・エンドロールで見せている世界の公害にリアリティを与えるためにはやはり行政の視点をどこかに織り込まなければならなかったのでは。
ただ、だからといってつまらない映画では決してなかったし、満足感は高かった。みようによっては、セルビア・モンテネグロにしちゃあ頑張って日本の漁村を描いた、ともいえる。
ジョニーデップのクズっぽいキャラは最高に楽しめたし、撮影に至るまでの信頼関係の醸成など背景がみえたのは、この映画の見どころだ。
(追記)
バズってる「日本の薬害の歴史」の公害バージョンを作ってみたよ。
薬害の歴史はてブ:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/chou_kaorinn/status/1437974388062654468
政府&古河鉱業「確かに鉱毒出したけど対策したからもうおしまい!」→谷中村農民「そうはいくか!ちゃんと補償しろ!」→政府「お前らうるさいから消えろwww」→谷中村廃村、村民強制退去
宮崎県西臼杵郡高千穂町の役人&上級国民「ヒ素粉塵災害なんて町の恥じゃ!隠蔽しろ!www」→50年後に住民が西日本新聞に被害告発してやっと被害が明るみに出る
厚生省「過労か栄養失調じゃね?www」→「ごめん、鉱山から出たカドミウムが原因だった」
厚生省「確かに森永のミルクが原因かもしれないが、明確な因果関係はないねwww」→森永(1970年)「ごめんなさい、やっぱりウチのせいでした」
チッソ&厚生省&御用学者「メチル水銀なんてない!そんなこと言い出す学者なんか日本に要らない!さっさと消えなwww」→「ごめんな、やっぱりチッソとメチル水銀のせいだったわ」
三重県&四日市市「高度経済成長にはコンビナートがどうしても必要になるから我慢してくれwww喘息で死ぬのは高齢者で子供はほとんど死なないしwww」→「わりい、四日市の乳児死亡率が全国1位、国内平均の2倍になってしまったwww」
農水省「ダーク油(原因となった特殊な精製油)の提供なんか出来るかwwwおとといきやがれwww」→「ごめんな、あの時提供していれば・・・」
とかを上手く実感できるよう、パラメータ化できればいいが、どうだろうね。
地球の重要な資源であり、コロニーを支配下に置く道具は酸素だろうなぁ。
あと動植物に必須な窒素・カリウム・カルシウム・リンなどの各種元素。
宇宙空間からはこれらは取れないので、少量をほそぼそと月・地球からマスドライバーで運んでもらって、あとは排泄物から各種元素の分離と循環をきちんとする必要がある。
L1, L2 は、太陽エネルギーを得られにくいけど、月の資源を得やすい利点はある。
L3 は、他から離れすぎているんで、独立心は高いだろうが、酸素や資源は他から依存せざるを得ない。
L4, L5 は、軌道安定宙域が大きいので、多数のコロニーが設置できて、畜産・農業など、元素循環単位でコロニーを分離できるだろう。
そうだなあ…
お母さんが話を聞いてくれるかどうかはわからないけど、反論できないという増田の代わりに反論っぽいものは書いておこうか。
デルタ株は若者も無症状では済まないことが多くなっており、都内では本来入院が必要な患者が入れず苦しい思いをしている。
苦しいとは、咳が止まらない程度ではなく、2週間くらいの長期にわたって水の中に顔突っ込まれて溺れ続け、人生で最も苦しいレベル、みたいな辛さだ(ちなみにこれでも軽症〜中等症)。
10日苦しんでも治らず重症化して薬で意識落とされて人工心肺に繋がれて何ヶ月も後遺症に苦しむ(もちろん最悪治らず若くして死ぬ)のと、2〜3日38℃程度の熱で苦しんでも2週間くらいで治るのとでは大きな違いがある。
子どもをそんな目に遭わせなくて済むのはとても大きなメリットではないんだろうか。
副反応があるのはその通り。
普段風邪もひかないような人ほど免疫反応が強いから副反応も強めに出たりする。(あと寝不足や前日の飲酒等で疲れてる状態で接種すると強めに出やすいかも、という噂もある。)
でも2日くらいでおさまるし、ほぼ確実に治る。薬もある。
特効薬のないコロナに感染して苦しんで死ぬより遥かに辛くない可能性が高い。可能性は比べ物にならないほど。
科学的には十分に危険が少ないと結論づけられてるから世界中で接種が進められてる。
お母さんは公害とか薬害とかのセンセーショナルなニュースを見て育ってるから心配になる気持ちもわかる。
でも今はそれらの反省を踏まえて危険性を事前に十分に研究・調査して開発している。
あらゆる物事が進んでいる中、医療・薬剤だけ進んでないということはない。
お母さんが安心できるほどではないかもしれないけど、一応伝えておく。
確率などが絡むこの辺は本来なら研究結果で話をすべきで、文献をたくさん参照しないといけないのだろうが、数を見せても安心はしないだろう。
自分もその道のプロではないので、残念ながらそこまで追いきれない。
接種後に亡くなった方はそれはもちろんいる。
ただ、その中には事故や元々の持病、熱中症で亡くなった方も入っている。
これだけワクチン接種が進む中、接種後の死亡者が出なくなったとしたら、それは「不死になるワクチン」だ。それこそ胡散臭いだろう。
ただ、ワクチンそのものの影響で亡くなる方がいるかどうかは各国とも慎重に調べている。日本の対応が不安なら他国の対応を見てほしい。
日本ではまだ使われてないワクチンで10万~25万回に1回程の割合で血栓ができるらしい等が確認されている。
23億人が接種しても起こらなかった超低確率の「何か」を心配してるんだろうか。
それとも、2〜3日で身体から消滅するmRNAの呪いが何年も後に突然ジワジワ蝕みだすことを恐れているんだろうか。
重症化を抑える効果はあるかもしれないが、摂取が終わった人も感染はするので、無症状のままウイルスをばら撒くことになる。よって感染者数はワクチン摂取率上昇とともに増える。摂取をやめたら感染者数の増加は落ち着く。
接種が終わった人も感染しうる、無症状の人がウイルスをばら撒きやすい、それはお母さんの言う通り。
1つは無症状の人がウイルスをばら撒きやすいなら、ワクチン接種済みの高齢者もマスクをして自粛すべきという知識が広まれば、感染者数を減らすことができるはずということ。
それは無症状になりやすい若者もマスクと自粛をせよと言われてきたのと同じことだ。
2つめは、接種をやめたらデルタ株に感染する若者が減らないので感染者数の増加は落ち着かないということ。
デルタ株予防の有効性が他の株よりは少し低かったり、接種後何ヶ月も経つと弱まることもわかってきているけど、ワクチン接種を進めることで感染確率自体も下げられることがわかっていて、感染が爆発しつつある今、接種を控える理屈はない。
だから若者は必死でワクチン予約枠を取り合っている。お母さんの知らないところで。
反ワクチンは大声で主張しないと注目されないので、ネットには根拠のない強い主張がたくさん散見される。
でも、ワクチン接種に感謝してる人、肯定的な人は特に声を上げない。上げる必要がないから。
人間、一度思い込んでしまった考えを変えるのは、とても難しいことだ。
それを人から言われて考えなおせる素直な人は一握りだ。
でも、今回の件はお子さんである増田と、お母さんの周りの人の命を守れなくなるおそれに直結してしまう。
少なくとも感染が大流行しているこの半年に抗体を持っていることはリスクを大きく下げる。
できればお母さんもワクチンを接種して自分と家族の命を適切に守ってほしいが、せめて、お子さんがワクチン接種するのを否定しないであげてほしい。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_yuukousei_anzensei.html