謝らず、逆切れなんてできるはずがない。
でも、相手が不満を言うより先に先手を打って謝ってしまった。これは批判を浴びたくないから相手の口を封じる卑怯な策。
そもそも、過剰な「自分が悪い」アピールからは相手に「いや、こっちも悪いところがあったし」的な発言を引き出そうとする下心から来るものだ。
過剰な謝罪は、「自分の周りの人が不機嫌であることを許さない」というか、自分のために四六時中ニコニコしていることを強要する行為。
Twitterに弱気発言を書くのは構ってちゃんアピールだし、自分が悪いのに何を被害者面しているのか。
でも、こうやって取りうる選択肢を片っ端からふさいで回る行為は「だから何もしないんだ」と言い訳をしているように見える。
じゃあ何をしたらいいんだろうなあ。
…なんて締め方は狡猾さの極み。「ネット言論にがんじがらめにされて身動きが取れない哀れな自分」を演出し、酔っているのが見え見え。
…これも同類。不可能な結論に着地して見せて、自分が傷つけた相手を「理不尽な要求をする悪人」に仕立て上げている。
人が怒っているのを見るのが怖いんだよな。だから周囲に上機嫌でいることを強要する。
その相手に悲しい思いをさせない人間になるために最も足りないのは何なのか。それを補うにはどうしたら良いのか。それだけを知りたい。