はてなキーワード: デフレとは
Tokyo is trapped when it comes to managing this structural issue
日銀新総裁植田和男氏は、現在の日本の金融政策の2本柱であるマイナス金利とイールドカーブ・コントロールが引き続き適切であると強調した。これらの政策に固執することは正しいかと問われれば、私の答えは「イエス」である。この政策にリスクが無いからではない。しかし、代替案もリスクが高いからである。
日銀の資産購入(または「量的緩和」)や最近のイールドカーブ・コントロール政策を無視したとしても、日銀の短期介入レートが1995年以来0.5%かそれ以下であるという驚くべき事実がある。このような緩和的な金融政策を30年近く続けながら、需要の低迷と低インフレを懸念する国があると、どれだけのエコノミストが予想したであろうか?
これは明らかに根深い構造的な現象である。何が原因なのだろうか。答えは、慢性的な過剰貯蓄である。
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日本では民間投資が非常に多いにもかかわらず、民間部門の余剰貯蓄は例外的なものである
日本の民間部門の総貯蓄は、2010年から2019年の間(COVIDやウクライナ戦争のショック前)、GDPの平均29%という異常な数字を記録した。日本の民間部門はGDPの21%という大きな投資を行っていた。しかし、それでもGDPの8パーセントの貯蓄余剰を残している。(29-21=8)ドイツの民間貯蓄の余剰は平均してGDPの6パーセント、米国は5パーセント、英国はゼロに近い。
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経済全体では、政府や外国人を含めれば、貯蓄は投資と等しい。問題は、このバランスをどのようにとるか、そして重要なのは、ケインズが教えてくれたように、どの程度の経済活動のレベルでとるかである。
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高い貯蓄率を誇る日本では企業貯蓄が主流だが、ドイツでは家計貯蓄が重要視されている
まともな政策立案者であれば、不況によって過剰貯蓄を解消しようとすることはないだろう。むしろ、生産的な投資で貯蓄を吸収するか、国の貯蓄性向を低下させることを目的とした政策を選択するはずである。
1990年代初頭以降、日本の政策立案者が行ってきたことを考えると、民間部門の膨大な貯蓄超過の中で総需要を維持しようとした、ということになる。
超低金利は、例えば、民間投資を増やし、民間貯蓄を減らすことを意図している。しかし実際には、民間貯蓄の余剰、特に企業の余剰は巨大なままである。緩和的金融政策は、政府投資が貯蓄を上回ることによって、余剰の民間貯蓄を吸収(相殺)することを容易にした。
日本が何十年も苦しんできた(そして中国も同様に苦しんでいる)構造的な余剰貯蓄問題を管理する他の方法はなかったのだろうか。以下に3つの方法を述べる。
1つはドイツのやり方で、2010年から2019年にかけて、対外資産の純取得額は平均してGDPの7%。これにより、民間部門と公的部門の両方が貯蓄黒字を計上し、総需要と供給のバランスをそれなりに高い水準で保つことができた。これが日本にとって真似しにくかった理由は2つある。一つは、貿易黒字がアメリカの重商主義に真っ向からぶつかることである。もうひとつは、円相場に激しい上昇圧力がかかり、日本がデフレに陥る可能性があったことだ。実際、ユーロが存在しなければ、為替レート・メカニズムにおける通貨危機によって、ドイツ・マルクは大きく切り上げられ、ドイツ経済もデフレに陥っただろう。
*日本の企業や家計部門の余剰貯蓄は、政府やその他の国々の純貯蓄不足で相殺される
第二の選択肢は、経済における企業の内部留保(あるいは企業貯蓄)の極めて高い割合を低下させることを目的とした構造政策である。これは本質的に分配の問題であり、賃金が低すぎ、利益が高すぎるのである。これを解決する最も簡単な方法は、企業利益に対する税率を上げる一方で、投資の完全な費用計上を認めることである。他にも、従業員に利益を分配するなどの方法が考えられる。しかし、目的は明確で、過剰な利益を消費に振り向けることである。
第三の選択肢は、構造的な問題には手をつけず、金融と財政を引き締め、日本人にその収拾を委ねることである。これは「清算主義」である。最近、流行りつつある。しかし、それは日本が膨大な民間貯蓄超過を続けている限り、政策はそれを減らすか相殺する方法を考えなければならない。日本経済はまだ追い詰められている。また、簡単な出口もない。
https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。
前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男は中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。
それからの6年間、長男は部活に勉強に学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。
その高校の卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気。
いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。
ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。
その全てが許されている。
後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。
彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダーの問題に限らず、素の自分を臆することなくさらけだせる環境、校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。
生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。
ただ自分が卒業した関東の公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校が果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。
「自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。
ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。
最近ネットで高校生のやらかしがSNSで拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。
退学させてしまったら、更正のための指導・教育ができなくなってしまうではないか。
高校が勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。
先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。
PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。
卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男のコメントが書いてあった。
今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。
卒業式から一週間後、受験した大学の合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。
ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。
この東大というところは、多くの人にとって特別な意味を持つ大学のようだ。
老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。
実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。
しかし自分は田舎の公立中高から塾にも通わず、東京のとある国立大学に進んだ身だ。
大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。
全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。
こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。
寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。
しかしそれはそれとして、都会育ちのエリートや金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。
それから30年。
よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。
合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。
「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」
もう自分が父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。
自分は次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。
小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。
反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。
ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである。
しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。
次男は別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。
そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。
偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。
ちょっと面食らったが、もともと大学は海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。
日本人が通えるアメリカの高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。
でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。
ここはもう腹をくくることにした。
そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。
ところでアメリカの高校は4年間あって、1年生から入るには日本の中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。
つまりいま通っている私立中学を中退してアメリカの高校に入学する。
なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本に帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。
まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。
1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。
ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。
最近は団塊ジュニア向けの商品やサービスの広告モデルや、テレビの再現VTRなどで、40代以上のシニアタレントの需要がそこそこあるらしい。
そしてめでたく合格した。
4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレントの仕事を紹介してもらえるようになるらしい。
まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初は習い事みたいなものだ。
そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。
タレントになるのが早いか、ITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。
妻も職場の資格試験に合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。
それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本のデフレを痛感する。
タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまうレベル。
以上、深夜のワイキキビーチより。
松屋のカレーが290円(フレッシュトマトカレー)→690円(普通のカレー)になったし
他のチェーンもこの20年で軒並み倍くらい値段上がってるけど、
2000年近辺が頭おかしかっただけで、そこと比べたら何もかもおかしくなるから。
マクドナルドの休日倍額で平日は65円でハンバーガー、80円でチーズバーガー食えたのも
2000年近辺。
ちなみに1990年のハンバーガーの値段は210円。チーズバーガーは240円。
吉野家も1990年が牛丼並盛400円だったのを2001年には280円に大幅値引きしてる。
各社顧客の囲い込みのために値下げ競争に突入してたのが2000年近辺なんだよ。
そのせいで後でめちゃくちゃになるんやけどな、ブヘヘ。
だからこの20年で比べるとチェーン店の価格はめっちゃ上がってるんだけど
30年で比べると上り幅はぐっと小さくなってる。
まぁ30年前の1990年はバブっとったんやけどな。
デフレで賃金も上がらない。数百円のために客にペコペコ頭を下げる。
おもてなしってなんだ。もし数百円で頭を下げるのがそれなんだとしたらやっすいおもてなしだな。そもそもおかしくないか?数百円でそこまでする必要があるのか?
クレームをつけてくる輩はだいたい自分の立場が上なんだと思ってる。相手が強く出れないのを把握したうえで頭ごなしに言ってくる。
なんで言い返せないんだ?お前ら安くこき使われてるのになんでそれを受忍してるんだ?
サービスって人が人に何かをしてあげること。そんなに安く提供しなくていいだろ?海外を見習えよ。スーパーの店員、座ったまま不機嫌そうに最低限以下のことしかしないだろ。そういうところこそ、海外を見習えよ。
不幸なんだ。みんな不幸なんだ。クレームつけてくるやつも、それを受けるやつも、みんな不幸。不幸のスパイラルはやめようよ。
政治家がおかしなことしてもみんな黙って苦笑するだけ。生活をよくするのはやつらの仕事なのに、仕事してない。でも苦笑してそれを受任する。
それ言ったやつ誰だよ・・・
丁寧に言うと
まずアメリカが急激な金利上昇した、専門家はそれで「2022年末に130円台は行くだろう」と予想した
1ドル150円は行き過ぎだった、為替はいつだって行き過ぎるが、結局戻って130円台になった(勢い余って割れたけど)
この戻りも急激だったんだけど
理由は「インフレが落ち着いてきたからFRBは金利上昇をやめるだろう」という勝手な憶測によるものだった
おかげでダウ平均はめっちゃ上がった、意味分からんだろ?過度な期待だ
ちなみにFRBは「金利上昇はやめない、インフレ退治は確実にやる」って言い続けてた
でもそれやると景気後退(リセッション)が起こりFRB的にもあまりよろしくないから、市場は「とか言って、やめるんでしょ」と思ってた
んで、1月2月あたりの経済指標で「インフレ意外と落ち着いてないじゃん」ってことになった
(つうかその判断がほんとに0.1,0.2%程度のわずかな差で言ってるからどちみち過剰反応なんだけど)
FRBは相変わらず「インフレ退治頑張る」と言うから、市場は「じゃあやっぱ株安、ドル高かぁ」となる
市場は基本アホ、というか上下に振ったほうが儲かるから過剰に反応してる
それで今は株安、ドル高になってるんだけど
(言うほど株安になってないのが気持ち悪いんだけど)
FBRは「金利上昇させるの2023年いっぱいで、来年は徐々に下げていく」って言ってる
高止まりさせるのはほぼほぼありえない、リセッションが起こるから
市場は半年後とか1年後のことを織り込んでいくから、来年の展開を見越して今年の下旬には動いていくはず
あと前回の150円の時ほどの勢いはないから、あそこまではいかない、だから140円台
あと、日銀総裁が変わるんだけど、デフレ政策辞めるんじゃないかという予想が出ている
歴史的に見ても、「アメリカのインフレ政策が終わったあたりで、日本にインフレの余波が来るため、日銀は少しインフレ政策をやる」らしいので
今年の半ば〜後半あたりは一旦円高に振れると考えられる
そういうのを全部加味すると、まあ120円台くらいじゃない?と思う、一瞬勢い余って120円割れるかもしれないけど
グローバル化とか産業構造の変換には、先に企業の設備開発投資や政府の基礎応用研究投資が必要。
しかし、近視眼的な費用対効果で基礎応用研究投資を破壊した。また、デフレを延々と続けることで、企業の設備開発投資意欲を損なった。
デフレを続けたのはデフレでも緊縮財政が必要だとか、消費税増税と、ため込まれる形の法人税減税、累進所得税減税、金融所得課税設定(事実上の減税)をしたから。
政府の基礎応用研究投資を削ったのも、何が成功するかは実のところ誰もわからないけど、選択と集中でどうなるかわからない基礎応用研究投資を削ったから。
これも新自由主義が原因。
起業が増えれば解だと勘違いしたものの、あほをおだてて起業だイノベーションだと叫んで、愚かな人形が見つかったら引っ掻き回して、潰して、次のおもちゃの人形を探す悪趣味な人形遊びでしかない。