はてなキーワード: よっぱとは
Kutooとか、レインボーパレードとか、社会をよくするために行動する人たちがいる。
私は、それを、これは賛同できる、賛同できない、とかぼんやり考えたり、時に考えたことをツイートするだけの普通の人間だった。
「確かによくないことだとは思うけど、かといってゼロにしろっていうのもね」とか、そんな批判をしたり、「そんなことが起こってるのか、ひどいなあ」なんて賛同したりした。
賛同するときにも、いいことだと思いながら、実際に自分も行動することはせずに、
「正しいことを言っているのだから、自分がなんとかしなくても、きっとあの人たちの主張は認められて世の中はよくなる」
と漠然と思っていた。
それが変わったのは、あるパネルディスカッションに行ってからだった。
そこで、一人の参加者に声をかけられて、その人が参加しているという社会貢献アクションのFBのページを宣伝された。
私と同じ大学生だった。
ジェンダー論を専攻にしています。友達と一緒にこの組織を運営しています。
みんなに問題を知ってもらい、自分達も勉強するために、講演会やパネルディスカッションを企画しているんです。
そういう話を聞いた瞬間、急に、今までなにもしてこなかった自分が恥ずかしくなった。
「遠くでえらい人たちがいいことをやっている」
で済んでいたことが、目の前に来て、それが同じ大学生で、そんな状況がすごく衝撃的だった。
今まで「えらい人たち」で済ませていた人たちが、血の通った人間で、感情があり、傷つきながら必死に活動しているのだと、急に生々しく感じられた。
それから、かといって私は行動するわけでもなく、デモや活動を見るたびに、ジリジリと胸の焦げるような罪悪感を感じて過ごしていた。
世の中は勝手によくなっていくわけではなくて、血の通ったあの人たちが、血を流して戦ってよくしていっているのだと思った。
なのに、自分はなにもしないでそれを家から見守って、よくなった世の中だけを享受しているような気がした。
ローカルだから、東京のデモより自分が必要とされている気がした。
東京の大々的なデモより、報道とかも少なくてハードルが低そうな気もした。
たとえデモをしたところで世の中が何も変わらなかったとしても、なにもしない罪悪感で自分を嫌いになるよりはなにかしたほうがマシだと思った。
私の気持ちとしては、絡まれたなんてかわいらしい表現では物足りないぐらいの大きな衝撃だったけど、実際そのよっぱらいのやったことは、絡んだとしか言いようがないので、絡まれたと表現する。
私の主観では、私の心に土足どころかヘドロまみれの状態で転がり込んできてそこら中に吐瀉物を吐いていった、ぐらいの衝撃だった。
酔っぱらいは、散々みんなにひどい罵倒の言葉を投げつけた後、私の髪を掴んで、「高麗人か。高麗人か」と叫んだ。
あとで聞いたことによると、デモをよくしている人たちにとっても珍しいことだったらしい。
でも、当時の私にとっては、活動をして来た人たちはこんな理不尽と戦ってきたのかと思わされる出来事だった。
昔の自分はよくもまあ、主張の詰めが甘いだのなんだの偉そうに上から目線でデモにケチをつけられたものだと思った。
今までなにもしてこなかった自分も、そうして絡まれて何もできなかった自分も、全部が情けなくてボロボロ泣いていたときに、慰めてくれたのが、日本共産党の斉藤和子さんだった。
「私は政治家だから、みんなを守る方の立場なんだ。あなたが背負う必要はない」
というようなことを言われたと思う。
その後、日本共産党に、党員という形で党を応援するシステムがあり、それは誰でもなれることを知った。
(※後から知ったことだが、2020年1月現在の日本共産党の規約では、日本国籍を所持している必要はある)
他の人たちがこうして戦って世の中をよくしてくれているのに、自分だけその成果の甘い蜜だけ吸っている。
党員になれば、少しは、今まで世の中をよくしてきてくれた人たちに報いられるかもしれないと思って、すぐに共産党の事務所に行って、入党させてくださいとお願いをした。
そして、入党したら、私が「世の中をよくするために戦ってきた人たち」だと思っていた人が、共産党員だったことが次々と発覚した。
共産党が、青年が政治に参加する方法を学ぶための民青という組織を支援していることも知った。
どうしてあんな風に戦えるのか、到底同じ人間と思えない、と感じてきたことにひとつ納得できる理由がついたような気がした。
ああいった人達は、誰かから、こんな風に、政治に参加する方法を教わってきたのだ、自分はそれと出会ってなかったのだ、と思った。
党員の立場で言うのもなんだけど、政治に参加する方法を学ぶ場は、必ずしも民青でなくてもいいと思う。
でも、すべての人に、何かしら、そうやって、政治に参加して、世の中を変える方法を学ぶ場所や、共に行動してくれる仲間に出会ってほしいと思う。
投票は、政治に参加する方法のうち、一番簡素なものでしかない。
長い戦いの末に私たちの先祖が獲得した「参政権」は、もっと多様で、その中には、投票よりも細かく正確に自分の主張を伝える方法が含まれている。
「政治に参加する」とは本来、特別政治に詳しい人が独占するものではなく、誰も正解がわからない中、それぞれが生活の中で行っていくものだ。
デモにしろ署名にしろ、仕事帰りにとか、買い物のついでにとか、もっと生活の中で気楽に行われるべきものだと思う。
自分は政治に何を求めているのか考えを整理することも、それをどう社会に伝えるのかも、練習なしにできることではない。
民青などで教わりながら、ときには間違えて失敗しながら、少しずつ身に付けていくものだ。
民主主義とは、みんながそうやって気軽に政治に参加することではじめて成り立つのではないだろうか。
多分今の世の中は、みんな政治に参加するスキルが足りていないせいで、民主主義がうまく回っていないのだと思う。
ちなみに、みなさん気になるであろう、党員としての生活については、入党して1ヶ月経つが、今のところ大して入党以前の生活と変わらない。
危ないことは特にないし、離党したければいつでも離党できるし、中国共産党や武力の影は欠片も見当たらないし、嫌な活動を強制されたりもしない。
党員としての活動の内容も、得意なことをできる範囲でとのことで、私に関しては、バイトでもやっている慣れた作業を気楽にやらせてもらっている。
恋をし~た夜は~すべてがうまく行きそうで~
江口洋介です。
いやもうこの時間よ。
あまりに仕事が終わらないから途中ランチ挟んじゃいましたのエグチのセットです。
なんでみんな午前中に好き勝手に私にボンボン用事を頼むのかしらと思って片付けてたら
こんな時間なのよ!
さすがにポテトは箸で食べなくない?
ポテチなら分かるけど、
とてもほほほ微笑み増し増しの微笑ましさよね。
でもさ
ああいうファストフード店とかで脂ぎった脂ギッシュな食べ物を食べたときに
まあ箸で食べたいって言うのはすごく分かりみのある話しだと思うんだけど、
みんなあの手で食べた直後スマホとか触ってるし、
画面がベタベタしないのかしら?って
意外とみんな普通にポテトの先でスマホを操作してて器用なのよね。
あれちゃんと画面動くのかしらって
いろいろと不安になるけど、
余計に紙ナプキンを多目に持って来ちゃいたいところだけどね。
私はいつもタマゴ好きなのでエグチマクリマクリスティーなんだけど、
あの焼き固められたタマゴのあの
還元糖とアミノ化合物の加熱した際に香るメイラード反応を私は楽しみにしてるのかも知れない。
結局は何だって良いのかもしれないわよ。
なんでもフライパンで焼いたら美味しくなるって言う、
あのポテトも何故か油で揚げているのに特有のファストフード店の香りと
ポテト!ポテト!ポテト!って節をつけて歌いたくなっちゃうあのブザー音は何なのか分からないけど、
あのポテト!ポテト!ポテト!ってフェスでも流れないほどのビートを刻みながら、
今でも鮮明に覚えているもの。
さすがに酔っ払って群衆で行く
飲んだ後のシメの代わりに
ハンバーガーを頼んで待ってるときのポテトコールの曲がかかったときに
ポテト!ポテト!ポテト!ってコールはしないところはまだ曲として未完成なんだと思うの。
エビバディセイホー!ってコールアンドレスポンスで言われたとき
恥ずかしくて声が上げられない東北の観客のように、
ノリ方が分からないのよねノリ方が。
なんだかポテト1つなのに思い出が走馬灯のように総集編の再放送でもやらないぐらい
半年の放送分を50分で一気に放送しちゃいそうなほどの連続ドラマってのは
役者さんの演技の「間」の妙ってことだと思うの。
あの台詞のない場面のト書きとト書きの行間の台本を想像しちゃいそうで、
ああ今こう思ってるのかしらとかああ思ってるのかしらとか想像しちゃいたいほどで、
あれこれ考えていたら、
コーヒーのおつまみにと食べていたポテトが無くなっちゃったわ。
もうよもう。
すぐ食べちゃったから、
やっぱりここは躊躇せずにMサイズにした方が良かったわよねって
アフターフェスティバルでランチタイムが終わらせることが出来たわ。
また次食べたいね!って美味しさの分量の方がいいのよね。
アメリカ行って張り切ってコーラLLサイズとか頼んでんじゃないわよって。
店員さんが親切で、
そんなに大きいの頼まなくてもおかわり無料だから小さいサイズの方がいいし
しかも冷たいのがいつでも飲めるんだぜって言ってくれちゃうところなんか
私は泣いたわ。
ああ懐かしいったらありゃしない感じで、
な、泣いてなんかないよ
歯が染みただけなんだかんね!
私菜っ葉好きだから菜っ葉よけろ!って言われても絶対買っちゃうわ!
ふと思ったんだけど、
ジャスミンティーの本場はジャスミンティーをどうやって煎れるのかしら?って思うけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
[追記あり] 結婚はしたくないといったらじゃあ別れて友達にもどろうと言われた。まあそれでべつにいいと思っていた。僕も彼女の事を愛すべき恋人というよりは気の置けない友人のように思っていたしすべての接触はその延長線上にあった。それで問題なかった。結婚したくない理由はそこではなく単純に結婚が嫌だから。僕は死にたいとは思わないが生まれてこなけいほうがよかったのではと思うことの方がずっと多いから子供だってほしくない。子供をつくらないなら金がかかるだけだし結婚だってする意味はないと思ってる。彼女に不満があるわけじゃなかったのだが、結婚する気がないなら終わりにしようと言われて結婚すると言えなかった。彼女はなら友達に戻ろうといってくれたのでホッとしたがすぐに泣きだしてしまった。さすがに罪悪感を感じたので彼女をホームまで見送ろうとしたが「いらない」といってタクシーに押し込められてしまったのが5カ月前だった。動揺したけどまあ友達に戻ると言っていたしもう二度と会わなくなることはないだろうと思っていたしそういった接触がなくなるという程度のはなしだろうとたかをくくっていた。しかし彼女からの連絡こなかった。5カ月も会わないどころか連絡すら取らないということは彼女と知り合ってから一度もなかった。しかし思ったより何も感じなかった。自分のそういうところが嫌いだし、結婚など協調性を求められる関係に消極的になってしまう理由だと思った。しかし先週僕の誕生日にひさびさにメッセージがきた。誕生日おめでとうとのことだった。自分でもびっくりするくらい、動揺した。心臓がこんなに鼓動をうって大丈夫か心配になるくらい鼓動を売った。てのひらにびっしょり汗をかいたし、目の前がくらくらした。ひとことありがとうと送って、彼女からの返信はなかった。彼女は僕に合いたいんだろうか合いたくないんだろうか。友達としてまた遊ぼうと言っていたのは彼女の方だった。しかし5カ月連絡がなかったので、あのとき言っていたのは僕が粘着して別れられなくならないための口からでまかせだったのか、単純にこの5カ月ずっと忙しかっただけなのか、僕にはもうわからなかった。でも合いたくもない人間に誕生日祝いメールを送ることは無いだろうと思って、それに彼女の友人としてつきあっていくという言葉を額面通り受け取り、また以前のように飲みにでも誘おうと思った。しかし付き合っていたころだって基本的に連絡は彼女からだったしアポも彼女からだった。自分で店を探して食事に誘って時間擦り合わせて予約をするということをしたことがなかった。一通「久々に飲みでもどうですか。空いている日はありますか」とメッセージをおくるだけなのにこんなに気が重いとは思わなかった。断られたらどうしよう。合いたくないといわれたら。それかいそがしいからとかわされたら。本当に忙しいなら、3度の飯より酒が好きな彼女が飲みの誘いも断るほど忙しいのだとしたら、とても心配だし愚痴くらいきいてやりたいと思った。でもいまの僕にその権利があるのか。そういえば男女の友人とはふたりきりで会ったりするもんだろうか。べつの共通の友人とか誘った方がいいんだろうか。でも僕は彼女と彼女以外のだれかと3人で飲みをするという状況が想像つかなかった。共通の友人の誰の顔を思い浮かべてもしっくりとこなかった。なんとか勇気を出してメッセージを送ったらふたつ返事で了承してくれて飲みにいけることになった。来月のなかばまで予定がすりあわなかったのでちょっと先だ。かつては全く気にしなかったことだが、その日まで連絡をしないでいることがなんだか恐怖に感じた。かつてはまめにメッセージをくれた彼女だが、おそらく今度は本当に当日になるまでメッセージを送ってくれることはないだろうと思えた。よって連絡をしたいなら僕からせねばならない。しかしなんて送ればいいのか分からない。もう用事自体はないのだ。いわゆる雑談などをすればよいのだろうが、雑談の内容がうかばない。彼女とのメッセージ画面をひらいてはとじることを日になんども行って居る。話題作りのために彼女が好きだったゲームを中古でかってきてプレーしはじめた。しかしだからといって文面はうかばなかった。気が置けないところが彼女の好ましいところだったのに、ぜんぜん気が置けない仲ではないのかもしれないと今更にしてきづかされた。というか、僕が気を使わないでいられるよう彼女が手を尽くしてくれていたんだとようやく思い至った。彼女はすこし粗雑だしちょっと下品なところもあったが、じつにざっくばらんで気立てがよくやさしい女性なのだ。そんなことわかりきっていた。僕が「君は気を使うタイプだと周りに思われないようにわざと豪傑にふるまっているよね」と言ったら、急に口数少なくなってでもすごくうれしそうに笑っていた。彼女は美人ではないが愛嬌はあるし人相がよく、親しみやすい人柄だ。そんな彼女のことだから、きっとこの5カ月のあいだにほかの男となにもなかったとは思えない。そう考えたら居てもたってもいられない。またメッセージ画面を開く。が、なにも送れない。僕が結婚すると言ったら彼女はずっとそばにいてくれるだろうか。またかつてのようにたくさんのメッセージを送ってくれるだろうか。もし今新しい男がいたとしたら、そちらを捨てて僕をえらんでくれるだろうか。彼女と会いたいが、しかし僕はやっぱり結婚はできない。したくない。それでも彼女と会いたいと思う僕は彼女にとって悪人だろうか。
【以下追記】
端的に言うと書いた人は彼女です。
彼の行動から彼の心情をかなり自分に甘めに推定して綴りました。
彼視点に調子に乗ってかなり自分を都合良く魅力的な人間として書いてるのでネタバラシ恥ずかしいけど面白いから許して。
なぜ二次創作したかというと、普通に自分視点で書いたら多分「うんち」とか「今日も女は男叩き」とか「ヤリモクにひっかかるダメ女」とかとしか言われないと思ったからです。
わたしの結婚観、子供産めるうちにしなきゃ、という自分と、こいつ以外と結婚するくらいなら子供もいらないし一生独身でいいんじゃないかという自分、ふたりの自分でゆれている。
そのため元彼ともう会わないほうがいいと思える理由を、自分に心地よいかたちでかき集めたかったのです。
もしくは彼に共感する人がいたら攻略法書いてくれないかなと期待したのもある。あまりなかったけど。
そのために増田民はてな民だまして申し訳なかった。わたしは悪人です。
彼の心情面以外は事実です。
別れてからようやく必死になってアポ連絡とか雑談連絡くれるようになったのは事実。そしてさらに事実はわたしが断ったのもあわせたら6回はアポきててそのうち3回会ってる。甘いよな。
あとわたしの好きなゲームをプレイしてくれたのは事実。急にプレイ中の写真送られてきて笑った。今まで雑談のためのラインなんて一回も送ってくれたことなかったのに。
かなり自分(彼女)に対して甘めに書いてるので、彼に対して憤りを感じてくれた人は安心してください。彼は本当はずっと一緒にいたいなんて思ってくれてないだろうし、わたしのことをいい女だとも思ってないだろうし、わたしに他の男ができたって気にしないだろうし、単純に友達づきあいしたいだけだろう。
あ、そうそう結婚したくない理由は別れた後に会った時本人から直接聞いたんです。でも聞いただけで心の中を見たわけじゃないから、単純にわたしが対象外なのをとおまわしに優しく言ってくれただけだろうね。
書き方について、いたたまれなくて推敲校正せず手癖でババー!っと打ったままあげました。たしかにこれなら目立つとも思った。論点がそこに集中したのは想定外だったけど。こういう文体好きって言ってくれる人がいてうれしいです。古い小説かはわからんけど乱歩とか三島とか南條範夫はよく読んだ。禁色、仮面の告白、孤島の鬼、城下の少年あたりが好きなただの腐女子です。
あと、少ないけどわたし(彼女)視点に関するコメントは全体的に的を得てるな。お見それしました。
以下蛇足。
でも話ついでに聞いてくれ。
別れた後会った時、彼がよっぱらって、「誤解するなよ、死にたいと思ってはいないし、辛いことばかりじゃなくたのしいこともあることはわかっている。でももし生まれる前に戻れて、生まれるか生まれないか選べるなら、生まれない方を選びたいと思う。だから結婚したくないし子供も作りたくない。静かに死んでいきたい」って話してくれた時、あーわたしの存在は彼の生存理由にならないんだな、とはっきりわかった。
そんな彼がわたしになにかと理由をつけて会いたがったり雑談したがったりしてんの無碍にできないじゃない。わたしじゃダメなのわかってるのに、さみしい彼に次の救いの女神が現れるまでは都合のいい女として付き合ってやろうかななんて思ってしまう愚かな自分がいるわけよ。
増田こじらせ男子部諸君でこの症例をのりこえたケースがあったらきかせてほしい。
さてネタバラシしたからあとは好きなだけ存分に上から目線で説教してくれ。こっちがわるいので女とみるやとか手のひらクルーとか気にせず。だましてごめんな。こんなよみにくい文章にコメントしてくれてありがとう。コメント全部読んでる。全部教材だ。全部ありがとう。
取材の経験もなしにプレスカードもなしにカメラの使い方もしらずにスクープどころか記事一本も書かずにばらばらになってしまった。
あれから25年が経つ。
彼女が落命した内戦の地は今は平和だ。けっして安定してはいないが。
そうなったらいやだ。
そんな依存症で苦しむより戦場でミサイル食らって死ぬほうがいい。
とつぜん意識がとおのき膝が折れ右半身と首をコンクリートに打ち付けた。
私は倒れていた。
撃たれたと思った。
ついに、やっと、ほんとうにやっと私は撃たれることができた。
苦痛はなかった。人は脳か心臓か大動脈が破壊されると眠るように崩れ落ちる。
やっと俺も撃たれた。
やっと俺も撃たれたんだ。
やっとみんなといっしょになれる。
嬉しかった。
ほんとうに嬉しかった。
みんなみんな撃たれて先に行ってしまうのに、いったいなぜ自分だけ生きているんだと、そんなことばかり考えながらの人生だった。
やっとそれが終わった。
へんな責め苦がついに終わった。
でも酔いが覚めて意識がもどり状況を把握した。
自分がまだ死んでおらず、撃たれてすらいなくて、たんによっぱらって昏倒しただけだった。
とても悲しくなった。
みんなに会えるまであと何年いきなきゃならないんだろう。
遠い昔に別れた仲間のために"What a Wonderful World"を歌った。