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されかけたの自体は4年前とかで、相手知り合いだし未遂だったし大したことない
ジェンダーについて考えるという行為そのものに対して、身体的な拒否反応が出てる気がする。ジェンダー関係のニュース記事の見出しとか、軽く活動してる知り合いのSNSを見ただけでかなりの動悸がする。
あと、そういう時に「女は劣っていて当然」というワードが反射的に脳内に浮かぶ。浮かんでるだけで、自分が実際どう思ってるのかは全く分からない
何が良いとか悪いとか論じるよりも遥か前の段階で、一人で気持ち悪くなってひっくり返ってる状態。今もやばい。
けど今回のレバノン逃亡は完全にアウト
保釈条件破ってレバノン逃亡って人質司法に正当性すら与えかねない悪手だし遵法精神の欠片も感じられないよ!
なんだよ保釈中の容疑者が監視の隙を突いてプライベートジェットで国外逃亡って……
「日本の司法制度は国際的に見て問題ありすぎ。こんな土人国家で裁判にかけられたくないからレバノンに逃げるわ。これからはこっちで好き放題言わせてもらうからよろしく。」
ゴーンの声明って要約したらこんな感じだよね?こんなん擁護できないわ!
ただ今回ゴーンがとった行動ってゴーンにしてみれば1番合理的な選択肢だよね
裁判にかけられたら勝ち目なかっただろうし失う資産も15億以上、加えて名声だって今より失墜してたんじゃないかな
「スカイウォーカーの夜明け」については、ほぼこの記事に同意。
【ネタバレレビュー・批評】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は何を終わらせたのか
では、続3部作は、何をしようとしていたのか。
今回、「スカイウォーカーの物語が完結」と、さかんに宣伝しているけど。
それはフェイク。
そもそもスターウォーズは、1983年にエピソード6の「ジェダイの帰還」で完結している。
だから、新三部作(プリクエル・トリロジー)は、前日譚を描いているわけで。
今回の続三部作は、「ジェダイの帰還」で終わっていなかったことにして始まっている。
ちょっと意匠を変えて悪の帝国を復活させて、レジスタンスは、まだレジスタンスのまま。
旧三部作と新三部作は、よくも悪くもスカイウォーカー家の物語でありすぎたからね。
スターウォーズ・ユニバースを拡張・発展させるためには、それを脱構築(?)する必要があった。
続三部作が作品として成功しようが失敗しようが、メッセージは明確だよね。
三部作ずつ描くというスタイルからも抜け出して、もともとの構想にあった連続活劇 - Wikipediaになったんだ。
続三部作の行き当たりばったり具合は、結局そこを目指していたんだ!
今回、スカイウォーカーの物語は区切りがついたので、「ハンソロ」みたいな中途半端なキャラの復活は必要ない。
いっそ、フォースも忘れ去られた、さらに数百年後とか描いて欲しい。
あれだけの科学技術があるんだから、もともとの素質と厳しい修行の必要なフォースは、機械仕掛けで置き換えて。
科学に裏打ちされた風の、超大作スペースオペラ連続活劇になるのだ。
ファンは、必ず観に行くよ!
今年に風俗で遊んだ女の子のメモから印象的だった子のまとめ。ちなみにメモによると年間の風俗支出は33万6千円だった。
ショートカットと八重歯が可愛いバスケ部系女子大生。びっくりするくらい柔らかくてデカいスライム系おっぱいと、ちょい日焼けしたツルツルお肌がやばかった。
文学部の女子大生。見た目は真面目そうなタイプ。専攻が中国書道史で、王羲之の功績について講義を受けながらしごかれていたらたくさん出た。
ロリータ系のメンヘル女子大生。リスカ跡と演技がすごいが顔はめちゃめちゃ可愛かった。
推定148cmのロリ系フリーター。安達祐実に激似のルックスとパフィーニップルが最高に興奮した。プレイ中ずっと好きなAV女優の話を聞いていた。
165cmで超足が長いモデル系。パパ活と風俗で食ってる模様。「街歩いてるちんちくりんの女は哀れすぎて気の毒になる」「報酬が発生しない食事に耐えられない体質」など含蓄のある言葉をたくさん頂いた。
ジムのトレーナー兼業のためかケツとおっぱいがぷりぷりだった。あまりに身体が綺麗なので「彫刻みたい」と言いたかったのだが間違えて「仏像みたい」と言ったら蹴られた。見た目は冷たい系のギャルだが乳首が敏感で感じまくっているのが興奮した。
事務職兼業。本上まなみ似の清楚系だが自分人生初のドMちゃんで、「首絞めながら頭撫でて欲しい」「おっぱいを握り潰す感じで触って欲しい」「昨日はハプニングバーで9Pして疲れた」などと言われて大変戸惑った。
ロリ系の眼鏡っ子女子大生。三つ編みが似合っていた。献身的な乳首舐めが最高だった。
営業事務OLとの兼職。ややぽっちゃりで狸顔の癒し系。会社がパワハラ体質らしく壮絶な様子を語ってくれた。ぱふぱふしながらよしよししてもらって至福だった。
専業風俗嬢。顔はお姉さん系で普通だがテクは流石にすごかった。「家が職場に近いと嫌な時間が早く始まってしまうから考えもの」とのコメントにはなかなか感心した。
美容部員兼業でめちゃめちゃ美人だった。化粧ぱっちりのギャルっぽい美形の顔で見つめられながらしごかれて超興奮した。
医療系専門学生。渋谷で遊んでる女子高生まんまの雰囲気。ずっと胃下垂の話をしていてムードもクソもなかったが、可愛い女子高生みたいな顔と張りのある若いおっぱいが素晴らしすぎるのですぐ出してしまった。
見た目は普通のお嬢様系でスリムなのにおっぱいがめちゃくちゃデカい。遠恋中の彼氏の話を聞きながらプレイして若干興奮した。
エステティシャン兼業で見た目はキャバ嬢系。さすがに身体を触るのがうまかった。昼職の方の客はおっさんのちんこ触った手で施術されてると知ったら発狂ものだろうな…
サブカル系女子大生。乳首がツンと上向きでパツパツに張ったフィクションみたいなおっぱいだった。プレイ中は三池崇史の話をして楽しかった。
この言葉は、別に貴方の子どもや親である貴方を否定しているわけではない。子どもを持つこと自体や、生命を否定するつもりもない。貴方が子ども好きで、自分の子どもを愛していることは本当に本当に、何も悪く思っていない。というか興味があまりない。
子どもは本当に可愛い。貴方の子どもも可愛いと思っているし、健やかに育って欲しいなと思っている。
でも私は子どもは欲しくない。
結婚して2年半あまり。30歳。夫婦の形が多様化している昨今、初対面で未婚既婚や子供の有無を尋ねてくる人はあまりいない。でも、何度か会って少し関係が深まってくると「お子さんは?」と聞いてくる人は結構いる。
子どもの有無を聞かれるのは別に良い。どこに住んでるとか、好きな食べ物とか、多分その程度の質問だと思うから。問題は「どうして子どもいないの?」と聞かれたときで、その答え方だ。聞いてくる人にはほぼ100%子どもがいる。
「子ども欲しくないんですよね」という言葉は思っていることそのままなんだが、あまりにも“強さ”がありすぎる。
普段子持ちの友人達のSNSを見ていると、みんな必死に、自分の全てを投げ打ってギリギリの状態で子育てをしているのが分かる。彼女たちの生活のほぼ全てが子どもで埋めつくされているように感じる。恐らく人の親をやっている人達は皆そうなんだろう。
だから相手の人生の「親」側面を否定して角が立つような気がして、私は「欲しくない」が言えない。いつも笑って誤魔化している。
あまりに何回も聞いてくるので、とっさに「できなくて…」と言って誤魔化したこともあった。すると、相手は翌日不妊治療院のホームページを印刷したものや、身体に良いと言われるお茶を持ってきてくれた。胸がギュッと苦しくなった。
子どもを心から望んでいる人達に失礼なことをしてしまった。生命を望んでないのに望んでいるフリをするというのは、なんか自然に対する大きな冒涜の様な気がした。私は「できなくて…」と言わなくなった。未だに正しい答え方が分かっていない。大して関係が深まってない相手の子持ち人生を否定することなくやんわりと「子どもがいらない」を伝えることは非常に難しい。
なぜ子どもが欲しくないのか?と問われた場合、それらの答えとしてお金や時間など定量的な理由がいくつも挙げられるが、それは上っ面のことで、心を掘り進めていくと最後は“気持ち”に行き着く。
その“気持ち”を“気持ちの問題”と思い込み、問題を乗り越える(乗り越えたいと誰が言った?)様々な手段を提示してまで、子どもを持つことを推奨する人達がいる。
はてなには、子どもを持つことを推奨する人がとても多い。「今は欲しくなくてもそのうち欲しくなるだろうから後悔する前に産めるうちに産んだ方が良い」という考えの人も多い印象がある。
「産んでおいた方がよい」「なんとかなる」「私も欲しくなかったけどできたら最高だった」と言って、子どもが欲しくない気持ちを気持ちのままにしておいてくれない人達は、もし「こどもって必要ですか?」と面と向かって聞かれたらどう答えるつもりなんだろう。そして、自分達が「子どもって必要ですか?」と同じくらい不躾な発言をしていることに気づいているのだろうか。
私は子どもがいない主婦だ。最高に楽しい。これから先の人生を夫と思い描くことがある。50代、70代、90代。それらどのイメージにも「私達の子ども」の姿はない。どちらかが先に死んだときのイメージにも子どもの姿はない。
なぜ子どもが欲しくないのか?は、なぜ恋人が欲しくないのか?とか、なぜ結婚願望がないのか?と似ていると思う。大人だったら恋人がいない人に安易に「紹介するよ」「こうしたらモテるよ」「なんで恋愛しないの」とは言わないだろう。子どもがいない人に対してもそうあるべきではないだろうか。
分かり味がありすぎる
津原泰水の発言に関しちゃ「女流文学」という言葉が今ではあんまり推奨されない言葉なのも相まってちょっと雑語りなのでは? でも伊東麻紀は津原泰水が男性であることを以て勝手に女性蔑視の話に紐付けているのが最悪。
津原泰水がこう呟いた。
少女漫画や女流小説が、政治を直接的には描いてこなかったというのも、一因のような気がする。そこ、完全に座席が空いている。
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1206719227022860288
で、それに対して伊東麻紀が津原泰水の作品には女性蔑視的な部分があるという言及をして、色々と揉めている。
あんまり言いたくはないんだけど、この方もうっすら女性蔑視が漂ってるんだよね。作品を読んでいてもそれは感じる。いや、本当にあんまり言いたくはないんだけど。
https://twitter.com/ItohMaki/status/1207045087860887554
揉めてる様子は各位Twitterを見てくれ。
この話のポイントは、発言者の経歴とかを度外視して「字面から推測できそうな意図」だけ読み取ってしまうと意味が全く変わってしまうというところ。
まず、津原泰水は「女性作家」の話をしていない。津原泰水自身は津原やすみ名義で少女小説を書いているのだ。しかも2−3作ではなく、30冊近くに登るはず。つまり、「少女小説を書く男性作家」である津原泰水は、「少女小説」の書き手が女性に限定されないことを誰よりも知っているのだ。その意味で、「少女漫画」「女流文学」の書き手が女性であるとは限らないことも理解している(実際、他ユーザーとの女流文学に関するやりとりの中で紀貫之を例にあげている)。
更には、この発言自体、過去の話を話題にしている。女流文学というものがある一定の範囲で許容されてきた歴史が存在することは(残念ながら)事実である。ついでに言えば、元発言自体はジェンダーギャップ自体を批判する文脈である。その点を見過ごし、「女流文学」という言葉を使ったことだけを以てして、津原泰水の発言が女性蔑視的なものだと読み解くのは、解釈の飛躍である。「女流文学」というものはたしかに存在「した」し、津原泰水は現在の話には一言も触れてない。むしろ、津原泰水さんの立場から見た場合に、上記の発言は半ば自戒・反省の意図の方が大きい筈である。もっとも、「少女漫画」「女流文学」「少女小説」全部違うものであり、少女小説の書き手であれば少女漫画や女流文学を語れるのかというとそれも少し違う気がするので、増田自身は津原泰水のこの発言をうかつだと思うし、正直雑語りだと思いますよ。
それはそれとして、伊東麻紀はどのようにこの件に絡んでいるか。
まず、引用RTにて「作品から女性蔑視が読み取れる」という話をはじめ、やりとりの中で「女流作家という言葉を使う時点で女性蔑視」と津原を批判する。また、「津原やすみ」名義の作品を読んだことがない上に「読む気もない」と述べており、津原泰水が「女流文学」という過去のジャンルの話をしていたことに気づき「脱力」する。
女流ですか。その表現自体に男性よりはワンランク下というニュアンスが含まれてるんですがわかりませんか。女流と呼ぶなという女性作家は少なくないと思いますが。もうその時点で女性蔑視なんですよ。
https://twitter.com/ItohMaki/status/1207176254643793922
津原泰水名義の作品なら読みましたよ。それだけではご不満ですか。わざわざ古本で少女小説を買って読め、と。お断りします
https://twitter.com/ItohMaki/status/1207172161422557185
やっとわかったような気がします。「少女漫画」や「レディコミ」と同じように「女流文学」というジャンルがあって、作家の性別にかかわらず、そのジャンルに参入することは可能であるという認識だったわけですね。あまりにもズレがありすぎて、これ以上会話できるとは思えません
https://twitter.com/ItohMaki/status/1207187821678583808
はあ、ものすごく脱力。結局、最初から最後まで噛み合わない話をしてたわけだ。
https://twitter.com/ItohMaki/status/1207191049891762176
ここでのポイントは、「津原泰水が女性作家に責任をおしつけている」という前提で伊東麻紀が話を進めていることだ。津原泰水は一貫して「少女漫画」「女流文学」の話しかしていない。概ねの傾向として女流文学と呼ばれるものの殆どが女性作家によるものなので近いようにも見えるが、津原泰水の経歴を考えるとそこを同一視することはまず有り得ない。仮にあったとして、津原泰水の発言は半ば自省や自戒を含むと読める。この、カテゴリの話を女性の話に飛躍させている、そこに解釈の飛躍がある。誰も、そんなことは一言も言っていないのである。むしろ、文学において書き手の性別と作品の作風とは関係がないこと、そういう垣根は超えられることを実践してきたのが津原泰水なのである。
ここから得られる教訓はいくつもあるんだけれども、確実に言えるのは伊東麻紀は「言ってないことを勝手に読み取る悪い見本」ということだ。書き手が男性であること、自分が少女小説に嫌な思い出があること、女流文学というカテゴリに対して批判的な態度をとっていること、そういった先入観が、津原泰水に対する潜在的な拒否反応を生んでいる。その前提からスタートするため、津原泰水の発言から悪意を勝手に読み取っているのである。たとえば、やりとりの途中で津原泰水本人から「少女小説を書いていたから女性の気持ちはわかる」と津原泰水が言ってもいないことを勝手に読み取り、本人から問いただされている。
少女小説を書いていたから女性の気持ちはわかるし、女性蔑視もしていないというのは思い上がりですよ。性差別は社会構造そのものに組み込まれているものです。誰もそこから完全に自由ではありません。女性である私自身でさえ、女性蔑視を無意識に内面化してしまっている部分はあるでしょう。
https://twitter.com/ItohMaki/status/1207173245478174720
「少女小説を書いていたから女性の気持ちはわかる」というのは誰の言葉?
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1207174096586342401
ひとと議論・口論をする上で、この「相手の言ってないことを読み取らない」力はものすごく大事な能力なんだけれど、残念ながら知識の豊富さや政治的スタンスの正しさと相関性がない。「何を言ってるのか」、ひいては「何を言ってないのか」を読み取らないと、会話は全くかみあわなくなる。相手の言動から可能な限り意図を(できる限りフラットに、つまり悪意をできるだけ排除して)推測しようとする力は、最低限相手に対するリスペクトがないとできない。「コミュニケーションをとる相手に対して、少なくとも最初のうちは表面上だけでも最低限のリスペクトをとる(たとえば津原泰水は最初伊東麻紀に敬語で話しかけている)」という、人間が社会生活を送る上で多かれ少なかれ求められることができない人は男女関係なくたくさんいるんだなぁ、という悲しい気持ちが心に無限にわいてくるのである。本当に悲しい。