はてなキーワード: エゴイズムとは
日本人のどこが個人主義なんだ?西洋の方がよほど集団主義じゃないか。
井上章一が知っている西洋人はしばしばこんな内容の感想を言うという。
その西洋人は日本を論じた本を読み、日本人は集団主義であると来日前までは信じていた。
しかし来日してみるとバラバラな個人主義的建築が群がっているという印象を受ける。
この日本のどこが集団主義的なのか?西洋の方が余程集団主義的である、という。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E7%AB%A0%E4%B8%80
井上 章一(いのうえ しょういち、1955年1月13日 - )は、日本の建築史家、風俗史研究者、国際日本文化研究センター教授。
うんまぁコレ。ミニブタとかめっちゃカワイイしな。w 牛も大人しいしナゲットの原料はヒヨコなんだっけ?
ナゼ殺問答の上手い回答を考え続けてるけど、最近は「どうして赤信号を渡っちゃいけないの?」がいいと思っていて、実は疑問自体が間違っているから考えても無駄だ。
赤信号を渡っちゃいけない理由は赤信号を渡っちゃいけないとみんなで決めたからであって、色彩心理学や光の波長etc、は決定までの動機の一つに過ぎない。青がダメだと決めたらそうなるんだ。
病害虫や不衛生、危険生物も『それが人間にとって』そうであるからで、害も危険も人がそう感じたからに過ぎない。
無制限に他の生き物を殺す人間も危険と認識される可能性が高いのは分かってるだろうから言及しないが、裏を返せば元増田は嫌われている生物を愛おしんでいるとは言えないか?
>罰せられなきゃいけない"ほど" ~
ではないにせよ、君は悪だとは感じているようだからサイコパスではないだろう。
悪は悪だと決めたからそうなんであって、その本質はヒトという種全体のエゴイズムに過ぎない。
戦争の例は月並みだから敢えて隣国の話を出すが、その国では日本に関する法律だけが違っているという。自分達も虐殺や差別を行ってきているにも関わらず、日本だけが許せず、未来永劫呪い、恨み、殺してやると公に発言しても拍手されるのだと言う。…これはその国の人間が異常なのではなく、人の本質なんじゃねーのか?
自己中心的で欺瞞的で残忍で、他の生命の価値すら自分達が決める権利を持っているという勘違いは、ヒト特有のモノだ。
それを社会として矯正して平和にやる為には教育しかないんだよ。
頑張って勉強し続けてくれ。
俺が偉そうに書いたのも、全部どこかに書いてあって昔読んだそれをまとめ直しただけに過ぎない。
もし君がナメクジを好きなら、それをかわいがるのを別に止めはなしない。
そうして増えたナメクジに愛着を感じたのなら、それが命の尊さだと思い込んで同じように犬猫や他人を大切にしてやってくれ。
元々が価値なんかないのなら、自分の気持ちがいいように色々な物を大切にした方が"自分が気持ちよく生きられる"からだ。
悪い事じゃないんだ。みんなそうしてる。
近年、諸要因に伴う労働プールの枯渇と求人倍率の上昇により、博士課程院生のキャリアパスとして、日本でもようやく民間就職が現実味を帯びつつある。
例えば、この前も数学科?の博士課程修了の方が研究職を諸事情により諦め、民間就職にシフトしたことについての総括エントリをまとめ、バズっていた。
http://wakabame.hatenablog.com/entry/2018/11/04/190441
こうした潮流自体はもちろん喜ばしいことであると思う。しかし一方で、一人文社会科学系院生であり、かつ一応数年間民間企業で働いていた人間として、民間企業でのキャリアパスが確保されること=バラ色の未来とはとても思えなかったという経験がある。
これは、①本質的に博士課程院生を日本の民間企業で雇う際の歪み(特に非エンジニア職制の場合)と、②いわゆる「役に立たない」ことを研究している院生は、本質的に民間企業の価値規範にそぐわないメンタリティーを、大学院教育の中で滋養しているという二点に起因していると思う。
というわけで、極めて私的経験かつ、まったくもってエゴイズムの塊のような問題提起をあえてしておきたい。これは、前述したような近年の博士課程院生の民間就職を過度に褒めそやす風潮に対し、挫折し結局研究業界に戻ってきてしまった人間として嫌味を言っておきたいという気持ちによる。
私は修士終了後、まあいろいろあって博士課程進学と同時に民間企業へ就職をした。コレ自体、かなりイレギュラーではある。
仕事内容はまあ、詳しく言うと確実に特定されるので防ぐが、政策調査や地方自治体の計画策定コンサルである。官公庁の調査案件を請負、クソみたいな――時々インターネットで炎上するような――分析と鉛筆なめなめを行い、官僚様と政治家様の願望にそぐう数値をでっち上げる仕事である。
で、これは当然のことながら人文社会科学系の研究者の価値規範と真っ向から相反する。というのも、私たち人文社会科学系の研究者は、扱うデータがどのようなものであれ、そのデータの分析においては仮説を用意したとしても、最初から結論を用意するということはしないからである。ところが、この業界――まあいわゆるシンクタンク業界なんだけど――においては、最初から結論が決まっているので、データ分析はいかに結論をでっち上げるかという方向に労力が注がれる。
これはなんでそうなるかというと、この手の仕事がコンサルから派生しているからである。すなわち、元々コンサル業界の倫理観においては客の求める結論をはじき出すということがある程度正当化されているので(外コンのプレゼン術を名乗る本は多くの場合ただのごまかしである!)、それに基づいて目の前のデータを弄ることに抵抗がないのだ。ただ、そのデータを弄る際に、人文社会科学のスキルセットを援用するというだけなのである。
で、問題はこのスキルセットが活用できるという理由でもって、人文社会科学系の院生がこの業界を志望し、実際雇われているという現実である。サンプルサイズは極めて少ないが、私の周囲を観察するのならば、このギャップにやられて会社を辞める人間は実に多い。特に「優秀」――ここでの「優秀」とはアカデミアでの評価である――な人間ほどである。
事実、私は「優秀」ではないが、こうした現状に辟易して、言い換えるのならばアホなクライアントと上司の妄想に無理やり付き合うことに疲れて退職してしまった。
なぜこうなるのだろうか。それは、人文社会科学系の教育カリキュラムの価値規範が、現代日本企業と致命的にあってないからであると思う。
よく人文社会科学系の先生は、「常識を疑うこと」や、「新しい仮説を立てること」を大学教育の美点として強調する。私ももちろんこれらのことが本質的に良いことであることには同意したい。だが、これが現代日本の新卒就職においてよく働くかといえば、まったくもって嘘である。というのも、少なからぬ日本企業においてこれらのスキルが必要となるポジションは、多くの場合前頭葉が退化した老人によって占められており、我々若手社員がやりうることは、老人が出した意味不明な結論に向けて数字をでっち上げることだからである。この作業は、前述した批判精神と真っ向から相反する者である。私たちは、今まで培ってきたスキルセットをもってクソの世話をするのだ。
であるからにして、私は現在のアカデミア教育は、少なくとも人文社会科学系に限るのならば、民間就職に対し逆作用しか生み出していないと考える。ただ、これはアカデミアが悪いとは必ずしも言えない。繰り返すがこれは高スキル社員を作り出せず、無駄に高コストなジェネラリストという名の無能を社内に飼いながらスペシャリストの下請けを買い叩くという、日本大企業の伝統的構造に起因しているからである。鶏が先か卵が先かは言い難いが、そもそも日本企業において、一部理工系エンジニア(計量系の経済・社会・心理なども含めてもよい)以外は、「無能」――ここでの「無能」とはアカデミックにおける「無能」を意味する――でなくては生きていけないのである。
というわけで、現状の日本大企業の構造をそのままにしていては、博士院生をふくむ多様なキャリアを持つ社員の活用なんかできっこないし、実際出来てなかったよ、ということを本エントリは主張するものです。
金はないけどアカデミック最高!好きなことを好きにやれる環境って、結局俺たちには大学しか無いの。俺たちには理研も産総研も産学連携ベンチャーもない。同情するなら金をくれ。役に立たない研究しかしないけどね。
『なぜころ』ならぬ、『なぜうり』。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181105-OYT1T50036.html
↑男女差別ガーとか、大人の方をしょっぴけとか色々言われてるけど、
そもそも「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか?」っていうのが根本的に疑問。
誰か、納得いく答え出せるヤツいる?
その法律が立法された背景には、それが定められた理由が存在するはずで、俺が知りたいのはその部分だから。
でも、そもそもなぜ現代社会で児童売買春に「悪い大人」がすり寄ってくるのかといえば、それが法的に未整備なアンダーグラウンドの裏社会に置かれているからで、
子供の売買春に関してキッチリ法整備すれば、「健全な」児童売買春が成立する可能性はあるのではないか。
要するに、因果が逆。アンダーグラウンドに置かれているゆえに悪い大人がすり寄ってくる。故にこれも本質的な理由ではない。
・「子供は性的主体性を持つには未熟であり、誤った判断により一生のトラウマを植え付けられる可能性があるから」
どうだろう?ちょっと子供の判断力をナメすぎではないだろうか。
レイプされたとか、暴力や貧困等で強制された関係であるならともかく、自分から主体的に性を売る場合、そのような傷を負うとは考えにくい。
子供側は軽い遊びや小遣い稼ぎのつもりでも、暴力的な悪い大人に出会ってしまう可能性がある?それこそ、前述したように法整備されていない故の問題で、因果が逆。
個人的に、一番納得感のある回答はコレ。大人というか、親の幻想か。
子供が売春していたと聞いて一番ショックを受けるのは、当人の親だろう。その親の不安への配慮。
つまり、「子供が性を売ってはいけない」っていうのは、子供当人の為というよりは、その親の幻想や期待という、
他に納得いく理由考えつくヤツ、いる?
「子共」って具体的に何歳?って質問あるけど、リンク先のママ活事件同様、高校生を想定しているよ。
自分の世間的な性的価値を客観的に把握していて、それが「売れる」ことも理解している年齢。
そういう「主体」が自主的に性を売ろうとしたとき、それを社会的に「いけないこと」とする理路とはなんなのかが、聞きたかったことだよ。
俺の速さで歩け、と。
世の中の人間は、動きが緩慢過ぎる。
そこをどけ。
クソ健常者に向けてのメッセージだ。
もし「遅いのには遅いなりの事情があるのだ」と主張する人間ばかりだとしたら、この国の国民は大半が身体的に不自由があることになる。
はっ?!バカか!
お前ら高速道路で100キロ出してるやつを、120キロ出して抜かしてるだろうが。
ちゃんと前見て周囲を気にしていれば、当たらないんだよ。
言い訳すんな。
急いで歩いて階段で転倒して、将棋倒しにでもなったら周囲を巻き込んで迷惑をかける?
はあ?!バカか!
50歳近くて心臓止まったことがあるオッサンでもコケねえんだよ。
お前ら全員体育1か??
別に足がもつれるほど限界まで速度を上げろなんて言ってねえんだよ!
俺の速さで歩きゃいいんだっつうの!!
将棋倒しが許されるのは、同人サークルにも所属せず自分では何も産み出さずコミケに同人誌を買いに行くだけの、腕立て腹筋が1回もできないブタだけなんだよ。
あいつらはコミケで死ねたら本望なのだから、身体能力なんてほとんど要らないんだよ。
y = 1 / xのグラフで、xに∞を入れたときのyくらい体力なんて無くても良いんだよ!
重ねて言うが、クソ健常者に向けてのメッセージだ。
お前らが遅いから俺が進めないんだよ、クソがっ!!
結弦が邪魔で一番になれない昌磨くらい進めないんだよ、おい!
スマートフォンが好き過ぎるのか?
そうだよな、一昔前では考えられないくらい、いつでもどこでも情報が得られて、どんどん賢くなっちまうもんな?
「勉強がしたいです……」てか?
お前ら三井か!
ん?あれはバスケだろうが!って?
じゃあアレだ、お前ら二宮尊徳か?!
その割りにはバカだなあ。
潰れるまで呑んでんじゃねーよ!!
飲みニケーションは嫌いとか言ってるやつは、それはそれで何か大切なものが欠けている気もする。
飲みだけがコミュニケーションではないし、いくらでも手段はあるのに、手段を目的だとすり替えて勘違いするバカが居るからタチが悪い。
でもな、比較してしまえば潰れるまで呑むバカの方が救いようの無いバカなんだよ。
どけよ、蛆虫どもがよお!!
いいか?
別に血ヘド吐くまで速度を上げろなんて言ってねえんだよ。
俺の速さで歩けば良いんだ。
は?お前が遅いヤツらを避けて歩けば良いって??
するわけねーだろ!
うんこが塊になって蠢いてるんだぜ?
かき分けて通るには、うんこに触れなきゃならないだろが!
汚ねえんだよ、触るわけねーじゃん。
確かにナウシカがいなければ現生人類はすぐに絶滅していただろう、そこは認める。
しかしナウシカに全責任を押し付けたのなら、押し付けられた最高責任者であるナウシカは最後まで慎重な判断をするべきだった。
墓の技術を用いれば現生人類が新しい環境でも生きていけるだけの可能性だってあった。
その真偽を確かめる前に破壊したのは全責任を背負わされた者の判断としては絶対に間違っている。
人が傲慢であることを認めるなら例え危険を冒してでも墓の技術を現生人類存命のために転用しようと努力するべきだろ。
ナウシカの境遇に対する同情は当たり前だが、それとは分けてナウシカは現生人類の運命を決断する立場にいたことを理解するべきだった。
墓と和解する、墓の技術を使って適応できるよう変わる、新生人類と共存の道を歩む確率なら後者の方が高いことは疑いようがない。
武力的制圧の観点からなら生殺与奪拳をナウシカが握った時点でついている。
ところがナウシカは根っからのテロリストだから相手が無力化しても最後まで暴力を手放さなかったわけだ。
真意を聞かされた人間がナウシカだけだったのが現生人類・旧人類・新生人類全員の不幸だった。
それにナウシカが押し付けられた側というのなら、ナウシカは現生人類と話し合い情報を共有しあったか?
勝手に一人で現生人類を愚かだと決めつけて話すタイミングもあったのに、一人で判断し一人で決断してたじゃないか。
それがエゴ以外の何だというんだ。
王蟲とは心を通わせるというが、ナウシカのような特異な人間でないからこそ現生人類を導く役目があったのではないか。
カリスマ的求心力を向かわせた先は結局ただの暴力と破壊活動だった。
平時においてはみなまとも、とは夏目漱石の言葉だが、平時でないからこそナウシカの本質が浮き出た最終審判となった。
どれだけ苦しくても人の命を奪ってでも生きたいと願わない人間もいる。
ナウシカは危険な道を手探りで歩くことよりも、エゴイズムにまみれた自分の信じる正義で現生人類の生きのこる選択を奪った。
それはナウシカに背負わされた責任よりも遥かに重い結果だった。
何度でもいうが墓の技術を破壊したというのは取り返しがつかない選択だ。
政治力・武力を持った人間が行うべき選択は、支持率や多数決が問題ではない。
正しい歴史が残るかどうかだ。
ってこんだけ書いててヴ王もその場にいたような気がするなあ。
というかラストでヴ王がナウシカの決断に納得してるのがやっぱり腑に落ちないわ。
ヴ王なんて墓所の技術を何としても手が欲しかった側の人間じゃん。
### なぜ私の研究はつらいのか
最近,研究がつらい.終わって欲しいというよりはやっていて楽しくない,苦しいという気持ちに近い.
最近はつらいつらいとTwitter(の鍵垢)で呟いていることも多い.
しかし呟いたところで何も変わりはしないので,なぜ研究がつらいのか,自分なりに考えてみた.
一時は研究をやっている意味がわからないだとか言っていたけれどよくよく考えるとそれは副次的なものであることがわかった.
その結果を以下に述べる.
なぜ小中学校時代の話なのかと思われた方も多いだろう.理由は,研究がつらい原因を探った結果それは自分の人格と大きく関わっていることがわかったからである.読みたくない方は飛ばしてもらって構わない.
本当に怒られることが嫌いな人間だった.学校の規則は絶対に破らないし,「人が嫌がることはやらない」を過度に解釈してほとんど能動的に人とは関わることはなかった.(能動的に人と関わるとフレーミング問題並みに人が嫌がる可能性を考える必要がある)
ここから分かることは,どうやら自分はクズなほどに『傷つけたくない』しそれすなわち『傷つきたくない』らしいのである.飛んだエゴイズムである.
受動的な自分でも,部活に入ったりすれば友達ができるものである.さらに4年間同じクラスという都合上能動的に働きかけられる友人も増えていった.
さて,大学に入学すると,これまで受動的に生きてきた私にとっては試練の連続である.成り行きで何もせずとも友人ができていたため,友人の作り方がわからない.サークルに入ろうとも編入という微妙な立ち位置のせいで疎外感を感じ辞めてしまった.
しかしここで変わろうと決意したのだろう.学科の控え室に引きこもり,会話になるべく参加しようと試みた.おかげで会話に参加することには慣れ,初対面の人とも会話ができるようになってきた.
しかしここで結局は「傷つけたくない」「傷つきたくない」自分に悩むことになる.初対面の人とは話せるものの,話したことがある人との距離感がわからないのである.この人は話しかけられる距離なのか,この人がご飯に誘っているときについていっても良い距離なのか,この人はご飯に誘っても気分を害さずに来てくれるのか,この人は課題のペアに誘ってもいいと言ってくれるか,この人にリプライを送っても違和感はないのか,などが全くわからずにまた病むことになってしまった.ちょうど1年前の話である.
これまで長々しく人生を振り返ってきたが,鍵となるのは『傷つけたくない』『傷つきたくない』自分である.これらが呪いとなって自信を蝕むのである.
研究がつらくなった流れを振り返ってみる.
きっかけは11月,先輩方にテーマについてのアドバイスを伺った時であったと思う.
長い時には1時間以上ずっとテーマのダメなところについてツッコミをいただいた.
ここで自分が強い人間なら(まともな人間なら?)そのアドバイスに従ってテーマを改善していた(この場合大きくテーマを変えていた)だろう.
『ツッコミをいただいたのはテーマであって,テーマが悪いのである.自分が否定されているのではない』と意識ではわかっているつもりだった.
しかし私の無意識下には人を「傷つけたくない」論理,いわゆる『この世の全ての不利益は当人の能力不足』という論理が存在するらしく,次のように解釈されてしまったらしい.
こんなクズみたいな論理のせいで,『傷つきたくない』自分は大きなダメージを負ってしまった.もちろん先輩方は何も悪くないし先輩方こそが正しいのである.そのアドバイスを勝手に悪く解釈し凹んだ自分こそが悪い.
これで終わればまだ良かったものの,研究が手につかなくなり進捗は発生しないしMTGすらサボってしまった(遅刻ということにしたけれど)あたりからエスカレートしていく.その次の週のMTGが決定的で,ほとんど進捗がなかったことと先週の遅刻に加えて,このままじゃ卒論終わらないよと先生から指摘をいただいたのである.自分から見た先生はめちゃくちゃ怖かった.
自業自得そのものである.進捗を生まなかった自分が悪いしさらにはMTGをサボった自分が究極に悪い.このMTG後は涙目で実装の参考にする論文を読みながら退学する妄想が止まなかった.
この後は研究が非常につらくなった.自分のテーマが穴を抱えているという時点で(卒論提出まで時間がなく変更がきかない(と自分では信じ込んでいる))その欠点をいつ突っ込まれるかとビクビクしながら実装をしている.
最近は毎日のルーチンが面倒くさい.風呂に入るのも面倒だし入ったとこで出るのも面倒.寝つきも良くはないし朝起きれない妄想がつらく寝るのも面倒だし,朝はもちろん起きれない.
こんな状況もあってか2度目のMTG遅刻(=サボり)をしてしまった.もう半分先生には見放されてるんだろうなという気もする.どこまで被害妄想なのかはわからないけれど.
#### まとめ
すなわち,研究をつらくしているのはクズみたいな自分の人格なのである.
これを読んだ方は何も参考にならず自分語りをしているこの記事に失望したかもしれない.人を失望させる方がよっぽど人を傷つけているはずなのになぜこの記事を公開したのだろうか.
まあどんな卒論でも卒業はできるらしいので少しづつ進めていこうと思う.メンタル回復のため美味しいご飯を食べるようにしてみてもいいかもしれない(最近これが食べたいという食欲も沸かないけれど…).睡眠もしっかり摂るようにしてみよう(家が遠いので進捗を生むためには睡眠を犠牲にする必要があるけれど).もう一つ?知らない子ですね(そもそも同期とのコミュニケーションすら不安がっている自分にそれ以上ができるはずがない)
アドバイスができるとすれば実装前にテーマについてどこまでも議論しようということである.アイデアを出す段階ではテーマが否定されてもダメージは少なかったので,その時期にどこまで穴を無くせるかが勝負なのだと思う.
#### +α
そもそもこの人格では研究やっていけないどころかエンジニアとしてもやっていけないと思われた方も多いだろう(し自分もそう思っていて病みをエスカレートさせていた)
あるエピソードを紹介しよう.自分がとある企業に5日間のインターンシップに行った時である.機械学習周りでいくつか上司の方に言われた通りに実装を行った.ところが,最後の報告会で技術部のトップのような方からめちゃくちゃツッコミをいただいたのである.この時も涙目になりながら頷いていた. しかしこの後「絶対にもっと強いエンジニアになってやる」という気持ちが強く湧いてきたのである.
なぜ研究がつらい例とこの事例では最終的な結末が異なるのか.これはまだ私もわかっていない.卒論を終わらせたら何か分かることがあるかもしれない.ならば進捗を産むしかないだろう.いつかそれが分かる時が来ると信じて.
それって同調圧力で押さえつけてるだけで表立って堂々とやるやつがいないだけで、手口や手法がもっと陰険で陰湿化してみんな似たようなことやってるだけだよね
以前ここで、パンティー師がその手口を披露してパンティーを物としか見ないようなエゴイズム丸出しの手法に切れまくってたりとか、パンティー被れ騒動の時にも、自分らは良い子ちゃんぶって安全圏からパンティー投げたりするような、卑劣で陰湿なことしてる奴等ばっかりだったじゃん
トランクスとかブリーフやふんどしがこれよりもっと悪質でヤバいことしたって、お前ら何も言わないじゃん、だって文句垂れたらバットで頭叩き割られたりピストルで撃たれたり闇討ちされそうで怖いからだもんな?陰湿な奴等だよ、まったく。
そういう同調圧力の押し付けで窮屈な思いしてる奴等、はてなにいっぱいいるじゃん。
だから思うのよ、所詮こいつらなんて、腕っぷし強くてパンティーにでもなれば、文句の一つも言えなくなるようないじけてる弱虫ばかりなんだから、気にすることなく自分のしたい事を法律に違反しない範囲って条件だけど、自由にしなさいって誰から言ってやれば、救われる人達凄く多いんじゃねえの?
上級パンティーにでもなれば、そういう雑魚パンティーどもから搾取して面白おかしく暮らせるっつーんだから、俺も頑張って仕事しよって思った日曜だった
それって同調圧力で押さえつけてるだけで表立って堂々とやるやつがいないだけで、手口や手法がもっと陰険で陰湿化してみんな似たようなことやってるだけだよね
以前ここで、ナンパ師がその手口を披露して女を物としか見ないようなエゴイズム丸出しの手法に切れまくってたりとか、日本死ね騒動の時にも、自分らは良い子ちゃんぶって安全圏から石投げたりするような、卑劣で陰湿なことしてる奴等ばっかりだったじゃん
外人とかヤクザや半グレがこれよりもっと悪質でヤバいことしたって、お前ら何も言わないじゃん、だって文句垂れたらバットで頭叩き割られたりピストルで撃たれたり闇討ちされそうで怖いからだもんな?陰湿な奴等だよ、まったく。
そういう同調圧力の押し付けで窮屈な思いしてる奴等、はてなにいっぱいいるじゃん。
だから思うのよ、所詮こいつらなんて、腕っぷし強くてDQNにでもなれば、文句の一つも言えなくなるようないじけてる弱虫ばかりなんだから、気にすることなく自分のしたい事を法律に違反しない範囲って条件だけど、自由にしなさいって誰から言ってやれば、救われる人達凄く多いんじゃねえの?
上級国民にでもなれば、そういう雑魚ジャップどもから搾取して面白おかしく暮らせるっつーんだから、俺も頑張って仕事しよって思った日曜だった
こう言ういい加減な解釈を見てしまったのでイラッとした。なので書いとく
ユニゾン「fake town baby」の歌詞の意味は?解釈と考察!
「溢れんばかりの厨二病ワードが飛び交うこの作品がどうにも肌に合わない僕は、このアニメの視聴を諦めてしまった。」
つーことでやってみた。
かつてニューヨークと言われた街は、異界と人界とが交差して一晩で変わり果て、これにより異界ならではの超常日常・超常犯罪が飛び交う「地球上で最も剣呑な緊張地帯」となった街、「ヘルサレムズ・ロット」が構築される。この街は深い霧と超常現象により外界と隔離されているとはいえ、一歩間違えば人界は不可逆の混沌に飲み込まれてしまう。
そんな中、この街のいつ破れるとも知れぬ均衡を守るために秘密裏に活動する者たちがいた。クラウス・V・ラインヘルツ率いる「秘密結社ライブラ」である。彼らはさまざまな能力を駆使し、「血界の眷属(ブラッドブリード)」を筆頭とする異界の住人と日夜戦っていた。
半年前の事件で異界のものに遭遇し、妹が自ら差し出した彼女の視力によって救われた少年、レオナルド・ウォッチ。妹を救うすべを求めてヘルサレムズ・ロットを再訪した彼は、「ライブラ」の新人と間違われたことをきっかけとして、魔神による無差別襲撃事件に巻き込まれる。異界のものから与えられた「神々の義眼」の力で事件を解決し、正式に「ライブラ」の一員に迎えられた彼は、クラウスらとともに様々な事件(あるいは異界ならではの日常)へと挑んでいくのだった。
I’m sane, but it’s trick or treat?
I’m right, but it’s truth certainly.
Well then “awesome!” welcome to tragedy.
Fake town, Fake town, baby?
直訳すると「おいらは正気だが、そりゃまるで「トリックオアトリート」だ。おいらは正しい、でもそれは確かに真実だ。"まあすげえんだよ" 悲劇へようこそ。ここはフェイクタウンだぜフェイクタウン、ベイベー?」
つまりこれはレオナルドの視点から見た「ヘルサレムズ・ロット」の描写でこの街を訪れた第三者(おそらく視聴者)に向けて話している「ようこそ、この街に来るなんてマジ悲劇だねぇ、『マジすげぇよ』ここは。だって毎日ハロウィーン(悪霊と人間が同じ世界にいる様子)だぜ、気ぃ狂ったと思うっしょ。こっちはマジで正気。だってここは『ヘルサレムズ・ロット』なんだぜ。」
(1番)
情に伏すなんて到底無駄
束の間の安堵は当面邪魔
Hello me, Hello you, 「待った」は効かない
Fake town, Fake town
せっかく勝てる準備してたのに 残念だな 騒々しくて
(2番)
Hello me, Hello you, time to Rock ‘n’ Roll
Fake town, Fake town
前途多難なぐらいがおあつらえだね
始まるぞ 揺さぶられたら
レオナルドは強力な特殊能力持ちだが、いかんせん戦闘に向かない。ヘルサレムズ・ロットでは否応なくラブルに巻きこまれる。
「ヘルサレムズ・ロット」では予想以上に外界の常識が通じないので、外界で有効だった成功法が通じない。だから、これまでの経験値からはどうすればいいか計算が立たない。
という旨をレオナルドから第三者に説明しているというのが「血界戦線」のOPとしてのこの歌詞の内容(以下「」内はレオナルドによる「ヘルサレムズ・ロット」説明)
(1番)
ここは誰の現在地だ?
「嫌いなもんは嫌い うるせえ 黙れ」
それじゃ 多分とうに立ち行かない
ぐだぐだ言ってるだけじゃ 見向きされないのが この街のルール
またとない このcall or dropに乗るだけ
悪鬼羅刹さえも手を叩く さあ喝采万来、お待たせ
(2番)
期待斜め45度
前提享受して 走れ 進め
それで もしも叶っちゃうのならば
「外界の常識が通じないので、神頼みも通じない(神クラスの魔物結構住んでる)。もうわけがわからない。外界じゃ多少腕に自身があってツッパったところで立ち向かえるほど甘く無い上に、立ち止まってる暇すら与えてくれない。」
「眼前の出来事に対して「伸るか反るか」を決めてかないといけない。その厳しさは悪鬼羅刹が喜んじゃうくらい。とにかく頑張れ、うまくいくかどうかは君次第だから。」
どこまでが本当で どこからが嘘なのか
愛してる この街を 愛してる それでも
ああ 生きるsession もう当分は 飽きる気配がない
「こんな街なんで何がホントもう確かめるのも馬鹿らしいくらいなんだけど、この街が大好き。ほんと生きるだけで精一杯なんだけど、飽きないよねぇ。」
「嫌いなもんは嫌い うるせえ 黙れ」
それじゃ 多分 ぶっ飛ばされちゃうぜ
苦言雑言言ってるだけじゃ 見向きさえされないから
生命session 全部巻き込んで 楽しむのが この街のルール
ああ またとない このcall or dropに乗るだけ
もう驚天動地 バカ騒ぎ 後悔するぐらいで just just
ああ またとない このcall or dropに乗るだけ
悪鬼羅刹さえも手を叩く さあ喝采万来、お待たせ
「つーことこう言うルールの街なんで、全ては君次第。まあ頑張れ。」
さあ勝算万全、お待たせ
「てな訳で説明終わり、さあ行こっか」
面白くないもん。
アシモフの短編レベルの話をうすーくうすーく引き伸ばしてるだけだもの。
あれを読む時間があったらその時間で攻殻機動隊の映画を何度も見返したほうがいいよ。
「あの時代にあれを書けたのが凄いんですよ」なんて話を新入りにして何の意味があるの?
自分の意志で時代を少しずつ遡って、そしてふとした時に「この時代にもうここまで考えが進んでいたのか!」ってなるから面白いんだよ。
よくあるエゴイズムだ。
人に作品を勧める時は、とりわけ新入りにとって何が良い入口となるかを選ぶときは、自分がなぜその作品を勧めたいと思ったのかをキチンと整理すべきだ。
成田屋がどれだけ御大層な家柄かは知らないが、まあ叩かれて当然だろうね。
麻央さんとの愛を強調すればするほど、後妻は家の為の道具としか思ってない事が強調されるし。
かと言って後妻への愛を強調すれば麻央さんは死んだからどうでもいいのかよ糞が扱いだろうし。
つーかそれで宛がわれる後妻ってどんだけブラックよ。
子がいてそいつが後継ぎになるなら「今は苦労してもいずれ家の当主の母の地位が得られる」って希望があるけど
妻としての苦労だけは負わされるが、自分は子は産ませて貰えないか産んでも前妻の子より劣る扱いが確実な状態か。
それに対して「その女がエゴイズムの塊で跡継ぎを生むことに執着したなら」なんて言い方をする増田の認識も怖い。
自分が子を産む事は諦めつつ前妻の子を盛り立てて耐えるのが当然ってか。
小林麻央さんが亡くなってからというもの、TVでは毎日のように彼女の報道がなされている。
でも、正直何がそんなに大変かって、元女子アナの綺麗なお嬢さんが夫と子供を残し若くして死んでしまったことよりも、あの成田屋の若奥さんが亡くなってしまったことだ。
歌舞伎を知らない人はわからないかもしれないが、とにかく成田屋は300年以上続いていて、歌舞伎の家の中でも名門だ。上手いこと例えられないが、日本の車メーカーで置き換えてトヨタとしておく。
で、海老蔵はそこの社長になるわけだ。それで、梨園の妻って何してるかって、世間は悠々自適な主婦生活じゃなくて、劇場に挨拶回りして、チケット売りさばいて、お茶だの花だの着付けだの、江戸か明治のお嫁さんかいなって言うくらいの芸事を覚えて、夫に栄養のいいもの食べさせて、不祥事があれば謝り、跡継ぎを生んで育てるって、まぁとんでもない量の仕事がある。非常に言い方が悪いが、夫は商品で、妻は、営業、総務、アフターケアから新人研修まで一人でやってるってことだ。
つまり、歌舞伎界のトヨタの営業、総務、教育係がいなくなってしまったと言うことになる。
だからと言って、「はい、もう続けられません。成田屋は廃業です。お疲れ!」とは言えない。
成田屋は、前述の通り300年以上続く老舗の歌舞伎の一門であり、最近は成田屋は不祥事が多くて、中村屋が結構真面目に頑張ってたから霞んでる部分もあったが、家の格で言えば一番である。
その証拠に、麻央さんの力があったとはいえ、あの遊び人の海老蔵が、先代の團十郎が死んでから熱心に稽古に励んでいると言うではないか。
あのヤンキーが恐れおののいて真面目になるだけのお家だと言えばわかりやすいかもしれない。
つまり、今まで通りにお家を存続させるためには、妻かその代わりになる人の力が必要と言うことだ。
今までは海老蔵の母親が、麻央さんの代わりにその仕事をやっていた。でも、誰でもわかることだが、お母さんだっていつまでも元気なわけではなので、その代わりにも限りがある。
でも、息子には未来の團十郎になるための一種の帝王学を教え、娘には梨園の女としての教養を身につけさせる役割は誰がやるのだろうか。
もし海老蔵がやるならば、彼は團十郎になるための時間はとれるのだろうか。
もし再婚するとするならば、そして、その女がエゴイズムの塊で跡継ぎを生むことに執着したなら、そして生まれてしまったら、成田屋にお家騒動が勃発するかもしれない。
そうであるなら再婚は避けるだろうが、あの成田屋の團十郎に妻がいないこともそれはそれで問題ではないか。
ただの俳優ならこの純愛を貫き通すのが粋なのかもしれない。なぜ歌舞伎はそれが出来ないのか。そんなの理屈なんてない。
海老蔵もきっとわかっているだろう。
だからこその、あの涙の会見だったのだろう。
きっと、海老蔵は麻央さんをこれからも大事にし続けていくだろう。それと同時に、麻央さんが大事にしてきた成田屋を守っていくためにも、新しい奥さんをもらわなくてはいけない…。
世間はもしそうなっても海老蔵を(もしかしたら團十郎になっているかもしれないが)叩かないでほしい。
それが、一般人には理解できない、成田屋の当主としての務めになるのだから。
できることなら、麻央さんに海老蔵が團十郎になって、息子が海老蔵になって、夫がまたちょっとした不祥事を起こして麻央さんが謝ってるのを見て、おい旦那、ふざけるな、とか言いたかった。
都会に乗り入れる列車が観光列車(キラキラ列車)ばかりでイライラしているの。で、よく見たらブルジョワさんが群がっていて、よく見たらななつ星だの四季島だの止まってる。
お前ら、70万円だか190万円だか溝に捨てるために駅に群がったり、何日間も鉄道に休まず連続で乗ったりするんじゃねーよボケが!
そこにラッシュアワーがお出迎えか。おめでてーな。
よーし、オタクもカメラでお出迎えか。というこの風景、もう見てられない。
お前らに幾らかの時間と賄賂代わり含めた十数万円を渡すからもう一度考え直せ。大体鉄道会社はもっと殺伐としているべきなんだよ。中国・アメリカを見習え。
露悪趣味系やオタク系ならともかく、ミーハー系は車にでも引っ込んでろ。
この間、ターミナル駅行ったが観光列車ばかりで一般人と鉄オタぶちぎれだった。今時こんな電車好きな人間は田舎のブルジョワか奇特な外国人以外いない。この電車が好きだという人に鉄道を本当に愛しているのかと、鉄道を手ごまとして思っていないか小一時間問い詰めてみたい。
金持ちでない人はともかくとして、同じ金持ちから見てもまともな都会人目線では、「お前ら何十万を溝に捨てたいだけじゃないか」と思うんだがどうよ?
キモヲタ通の私から言わせてもらえば、通の間での最新流行は、やっぱり「(とくに格安系会社の高級席)航空・バス」これだね。
航空・バスオタクはエゴイズムが多めに入ってて、地域愛が少なめ。コレ。
一番の理由は寒さだ。
寒さに極端に弱い人間にとって、この時期野外で飲むのは、生きながら味わう地獄でしかない。
そうなると全てが面白くなくなり、完全に心がスニッカーズの泉ピン子になる。
あと、冷えて全然美味しくない自称料理自慢の手弁当を食わされるのも苦痛だ。
もうさあ寿司取ろうぜ、いい歳の大人は…みたいな感情が口に出さずとも全身からオーラの如くほとばしり、場の空気を悪化しかねない。
寒い・泥酔した友人がウザい・トイレもままならない・冷えた弁当が全然味しくねぇ。
と、ヘレンケラーの三重苦を上回る苦痛さに、ここ数年誘われてもことごとく辞退している。
でも、花見をしている人を、外から見守るのは本当に楽しいんだよな。
江戸遊びをしたり、太鼓と笛に合わせて踊っていたり、雀卓持ち込んだり、おっさんの二人組が目を細めて川辺でぷかーっとタバコふかしたり。
みんなこの世の極楽みたいだ。
でもあの仲間に入るのはごめんなんだよな。あの仲間に入りたい気持ちはあるのに。