はてなキーワード: bgmとは
私は平原綾香さんの「 Jupiter 」という曲が、世界で一番嫌いな曲だ。
なんでかというと、平原綾香さんが歌詞をつけたせいで、ホルストの名曲が「 Jupiter 」になってしまうからだ。
この曲が発売された当時、私は小学生で、やたらと流行していたのを記憶している。音楽番組でもよく歌われており、持て囃されていた。
歌唱力が高く壮大でお行儀が良い歌詞だったからなのか、教師たちもこの曲を気に入っていたと思う。学校でも聴く機会が多く、歌詞をプリントした紙を配布された記憶もある。
「 Jupiter 」は好きでも嫌いでもなかったが、「 Jupiter 」という曲は私の身近にあった。
それが原因で、私はあの旋律が流れると、必ず平原綾香さんの声が脳内で再生されるようになってしまった。
よって、どんなときでも「エ~ブリデ~」と歌詞が流れだしてしまう。
私はそれが本当に嫌で嫌で嫌で仕方がない。
オーケストラを聴いていても、それはホルストの音楽でなく、平原綾香さんの「 Jupiter 」のオーケストラバージョンを聴いているような感覚になる。
なにかのタイミングで流れるたびに、平原綾香さんの「 Jupiter 」として聞こえてしまう。
地味にショックだったのはHUNTER×HUNTERのアニメだった。ボノレノフの「木星」のシーンも、平原綾香さんの「 Jupiter 」がBGMとして流れてきた。
やっぱり脳内再生されてしまう。どれだけ浸食されてるんだと切なくなった。
平原綾香さんはどうして既存の名曲に歌詞をつけて歌われたのだろう。
私と同じように、ホルストが作った名曲が、平原綾香さんの「 Jupiter 」として変換されてしまう症状を抱えている人は、相当な数がいると思う。
元々のメロディが壮大であるのと、平原綾香さん自身の高い歌唱力により「 Jupiter 」はすごく高尚な楽曲に聞こえきて、それがまた無性にムカついてくる。
苦手な音楽ジャンルがあれば聴いたりしないから害はないし、作品を貶めることなんてしないし、したくない。単純に私の肌に合わないだけで、他の人から聞けば良い曲であるからだ。
では、イマジン入れた責任は、音楽監督の田中知之氏にあるのだと思います。
これはコロナ関係なく、着物の件からあるわけですよね。ベタに海老蔵をねじ込むような国が、洋楽のイマジン使えって言う教養あると思います?国がねじ込んだのはイマジンではなくて、国内海外にボランティア経歴があり、君が代歌ったMISIAで、それと、もしかしたらゲーム音楽の方だと思います。
少なくとも、ドローンでイマジンの歌詞を用意できるぐらいには、イマジンは以前から用意されていたわけですよね。椎名林檎の代からイマジンではなく東京五輪音頭的なベッタベタな日本の曲を用意しなかった歴代の音楽監督や、さらに言うと、英語で開会式や閉会式のコンセプトを通した音楽監督の上のエクゼクティブプロデューサーの日置貴之氏の責任ですよ。全然、演出家と噛み合ってない。
あの記事すごく不思議だなと思うのは、「こんな時だけ(香川県の例を思い出してほしい)国や自治体に都合よく切り出されて使われる」という解釈までは「そんな意見もあるかな」と思えるくらい冷静なのに、そのあと「ビデオゲームファンとして全く許しがたい」ってめちゃくちゃ怒ってるところ。
普通、そこまで怒るってことは、自分の権利が侵されたり、約束を破られたり、直接被害があると思う。
だけど、筆者は実際はなんの被害も受けてない。言ってみれば、"たかがゲーム音楽ごとき"でここまで「許せない」とまで憤るのはすこし尋常じゃない。
じゃあなんでそんなに怒るの?と考えたとき、おそらく、この件で自分が軽視されたように感じてるんじゃないかなと思う。ゲームがバカにされる=自分がバカにされている、という感覚。
でも、その気持ちは切実なんだと思う。ゲームは、ときにとてもパーソナルな居場所になる。人生のどこにも居場所がなくても、ゲームだけは受け入れてくれた、という話はよく聞くし、もともとそういう性質がゲームにはある。
そこまでゲームに思い入れている、大事に思ってる人にとって、「これかければ盛り上がるでしょ」的なノリでゲーム音楽が使われたら居場所が奪われた感じでたしかに嫌だと思う。あの記事に共感するコメントが多くあるのも、そこの部分なのかなと。
でも、だと考えると、あの記事は「ゲームを大事にすることで自分も大事に扱ってほしい」以上の主張がないように思えてならない。
かといって、記事としてそれだけだとあまりにエゴすぎる(というか、その怒りの根っこに気付いてない)から、政治の問題にしてみたり、他のゲームファンにガッカリしたと言って他罰的になってみたり、少し無理筋の正当化をしてしまうのかなと。
個人的にはあのゲーム音楽は、ゲームファンには理解させつつ、そうじゃない人には単なる入場BGMに聞こえるなかなか優れたバランスで使われてたなと思いました(というひとつの視点)(その後の聖火リレーではボレロが流れた。ボレロとゲーム音楽が同格の扱いなっていた、という解釈もできる)。
あとゲームは筆者の想像以上にもっと広く浸透していて、柔道金メダルの高藤選手は「金メダリストにふさわしいゲーミングPCが欲しい。試合が終わったら思いっきりやりたい」とコメントしてたり、
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc5725678c096a10b9d51590c4476c6e62cea923
スケボー金の堀米選手は「僕はメダルをポケモンのカビゴンにつけているんだけど、それにつけたいと思います」と言ってたり、あの会場にもゲーム音楽で喜んでいたオリンピック選手はたくさんいたと思う。ゲームはもうメインストリームのカルチャーだよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1866dab753fd1bf82673757152112e390ab2fb6a
SFCのシレン遊んだことのある人なら知ってるだろうが、ジェノサイドの巻物ってアイテムがあってな
敵に投げつけるとその冒険で同種の敵が一切出現しなくなる
別に小林賢太郎を擁護するわけじゃないけど、件の開会式に使われたBGMも元ネタを具に辿ればそういうのがいくらでも見つかるんじゃなかろうか
ロンドンでポールマッカートニーが歌うことだって、彼の過去の言動からそこに色々な曰がつけられて然るべきだっただろう
要は…自分は何が言いたいのか?
そのイベントは「平和の祭典」を標榜しているが、あんな大きなイベントが真の意味で平和的に解決されることは決してない
それは「平和の祭典」である以前に、どうしようもなくデカいプロジェクトだからだ
デカいプロジェクトには道理も裸足で逃げ出すような無理がどうしたって紛れ込んでくる
それこそ死人も出るだろう、限られたヒトモノカネのリソースの中で、曰く付きの人選が行われることもままあるだろう
別にIOCやJOCを批判するわけでもないんだ、デカいプロジェクトを制御しようと思ったら、誰がやってもああなるんじゃないか?
俺たちは子どもの頃、ジェノサイドの巻物に腹を立てていたか?俺たちの親はその言葉遣いの違和感に自覚的で、それを理由に子どもである俺たちがシレンをプレイすることをやめさせたか?
シレンがWiiに移植された時だって、ジェノサイドの巻物という名前はそのままだったはずだ、誰かそれに抗議したか?元を辿れば、任天堂だってevilじゃないのか?
親は親で、俺たちを育てるのに必死だった、俺たちを育てるというデカいプロジェクトの最中にいた
デカいプロジェクトの最中にいると、多様性のるつぼが渦を巻いて轟々やってきて、逃げる暇もない、にっちもさっちも行かなくなる瞬間が必ずやってくる
五輪の開会式でゲームのBGMが大々的に使用されていて好評を博していた。
世界中の選手が入場し、天皇陛下や総理なども列席するイベントの音楽にゲームBGMが採用され、アナウンサーは「日本が世界に誇るゲーム音楽」という感じで紹介していたようだ。
これ自体は文句なく素晴らしいことだし、開会式も思っていたより遙かにまともだった(事前のゴタゴタで期待値が低すぎたせいもあるが)。
しかしながら、末席ながらゲーム業界で働いている者の実感としては、なんというか違う世界を見ているような気分になったのも事実だった。
というのも、私の実感ではいつゲームが国家の一大イベントの音楽に採用され、「日本の誇り」と当たり前のように語られるようになったのか解らないからである。
思えばリオ五輪の閉会式でも当時の安倍総理はマリオのコスプレをしていた。これもまた画期的なことで、政府が世界に通用する、知名度の高いコンテンツとして実利的な観点からゲームを選択したと言うことだ。
しかし、日本政府はそこまでゲーム産業の知名度や競争力を理解しておきながら、ほとんど国家としては何の支援もしてこなかった(そして現在も特にしていない)。
クールジャパンという題目が掲げられて20年ほど経つが、その間についぞ政府の支援を受けてゲームが作られたという話を私は知らない(これは本当に無知なだけかも知れないが)。アニメ業界にも共通する、末端のクリエーターの低賃金、長時間労働は一向に解決されていない。
マリオの生みの親、宮本茂は2019年に文化功労者に叙されるまで何の政府からの表彰もなかった。人間国宝でもおかしくないだろうに。
世間の目も一貫して冷たかったはずだ。ゲーム脳等というオカルトが蔓延ったのはさすがに一昔前だが、今でもゲームというのは教育に悪いもので、映画や文学などの「芸術」とは違う、低級なモノという偏見は拭われていない。香川県では県ぐるみでゲームの規制が進行している。
そもそもゲームがお茶の間の話題になるのはせいぜい新型ゲーム機が発表されて電気屋に行列が出来たときか、任天堂からポケモンの新作が出たときくらいである。
例えば日本のゲームがGoTY(その年に発売された全世界のゲームの中で最も優れたゲームに贈られる賞)を受賞しても、それを大きく報じるのはあくまでゲームメディアだけで、一般のメディアには触れられさえしなかった。
国産ゲームがGoTYを受賞するというのは、その競争率や産業の大きさを考えれば「邦画がアカデミー作品賞を受賞する」「日本がワールドカップで優勝する」といったインパクトに匹敵する偉業といっても大げさではないと私は思う。
しかし全くニュースにもならない。ゲームというコンテンツを楽しむ人の数は映画やサッカーに全く負けていないはずなのに。
ちなみに日本は2000年代以降でもGoTYを3度受賞している。
このようにして、日本のゲーム産業というのは国から無視され、社会から蔑視されつつ、勝手に作品を作ってきた。予算の桁が一つ違う海外産のゲームにアイデアと日本独自のテーマなどを駆使してどうにか張り合ってきた。
そうしているうちに海外では評価されるようになり、今や一部の例外的なジャンルを除けば、国産ゲームの売り上げの大半を海外での売り上げが占めるようになった。
自分の認識している日本におけるゲームの立ち位置というのはおおよそ上記のようなものだ。
だから、オリンピックの式典のようなハレの舞台に唐突に日本のゲームが登場し、「日本が世界に誇る~」みたいな紹介をされているのを見るとパラレルワールドに来たような気持ちになった。
「今まで無視してきたのに都合良く利用するな」という憤りより、戸惑いの方が大きい。
オリンピックの開会式でゲームとかアニメのBGM使われたらそれだけで喜んじゃうんだもん。
権力にたてつくという反骨精神を持っているオタクなんてほとんどいない。
・終始、学芸会のようなしょぼい演出に共感性羞恥心が刺激される
・1972年ミュンヘン五輪で殺害されたイスラエル人選手への追悼が五輪史上初めて行われる
・参加国入場時に流れるゲームBGMの数々に沸き立つちょろいオタクたち
・あいうえお順による参加国入場で台湾は本来チャイニーズ・タイペイの「ち」の並びとすべき所を台湾の「た」の並びにぶっこみギリギリのラインを攻める
→想定外のタイミングで入場してきた台湾選手団にびっくりした中国メディアが別番組に切り替え、それが終わったら中国選手団の入場シーンが終わっていて中国人大発狂
・予定時間を大幅に超えたバッハの挨拶で、女の話は長い発言で辞任した森の伏線回収
・天皇陛下が開会宣言で「祝う」とすべき所を「記念」に変えてオリンピック憲章違反、暗に五輪開催への怒りを表明
・長過ぎるバッハの話に疲れ果てた菅と小池が天皇陛下の開会宣言での起立に遅れる
→参加国入場後にこれを流すセンス×
・ドローンショーは割と良かった
→書けと言う人がいたから追加
→おっさんホイホイ
→長嶋氏の五輪をリスペクトする姿勢に感銘を受けた(腕の状態についてカミングアウト)
→安直だが悪くはなかった
以上
補足だけどNieR Replicantも続編のNieR AutomataもどちらもBGMが素晴らしいので、
ミュージシャンによる音楽は楽曲だけが作品であるため作家の人格とリンクしやすいが、ゲームにとってはBGMは構成要素の一部でしかないためコンポーザーの成分はそんなに多くない
ただ、即興で作った開会式のBGMを使うとか母国語の母音子音を基準に入場国を入れ替えるとかゲームの音楽のオーケストラ仕様を入場曲に採用するとか中国の冬季五輪でこのアイデアを利用しそうで怖い。
日本の文化は豊富だが時間をあまりかけていないしあえて低予算臭さを出したというのはものすごい景気悪くてお金のない中国にとってはうってつけのアイデア。
さすがに入場国の順番を変えることはないが即席の開会式BGMとか人によっては滑稽にも感じる入場曲の採用は真似しそう。
中国はゲームやアニメのIPとか日本ほどではないにせよそこそこあるだろうし。
いや、これは皮肉的な意味で100点満点と評価せざるを得ないかもしれない。
東京五輪がもしかしたらおそらく平昌でも踏襲されていただろう暗黙の伝統をひっくり返す革命的な事例になるのかもしれないのだから。
物見遊山よろしく、気づいたら8時にNHK総合にチャンネルを合わせている自分がおり、ボクサーの津幡ありさの身体性と華に「なんか格好いい人が映ってんな。」と目が離せなくなり、結果、仄かな高揚感とともにオープニングセレモニーを見終えてしまった。
いやいや、こんなつもりじゃないんだ。こんなクソな五輪、1mm足りとも楽しむつもりは無かった。でもさー、五輪に携わる事自体が負け戦のような状況下で、火中の栗を拾いにいった関係者の献身や、実際の成果物としてのセレモニーはやっぱアガっちゃうもんなんだなぁ。すごいなぁ、祭り感でちょっと持ってかれてしもうたなぁ、
等と考えてた折に、ドラゴンクエストのBGMが爆音で鳴り響きふと我に返った。いや、すぎやまこういちって。小林なんかよりずっとあかん人連れてきてるじゃないですか。吹き出しの集中線もすんごくドメスティックなセットリストもめちゃめちゃダサくてはっと目が醒めた。
時は90年代。小室ブームまっただ中、オリコンランキングや音楽番組がクラスの話題として幅を効かせていた。
CDショップではゲームサントラは奥の隅の方にひっそりと置かれ、流通量も少なく、まさにマニア向けの商品だった。
「好きな音楽は何?」なんて問いに「ゲーム音楽」なんて言ったら鼻で笑われる。そんな時代だった。
たまにリリースされるアレンジバージョンだったり、メディアがCD-ROM媒体に変わることで、生演奏が取り入れられるようになっても、
まだミュージシャンからは音楽と思われていなかったり、馬鹿にされて悔しい思いをした、なんてクリエイターインタビューを目にしたこともあった。
インターネットが発達し、ニコニコ動画あたりでゲーム音楽を身近に楽しむようになってきたぐらいから、風向きが変わってきたように思う。
オーケストラのコンサートも多く開かれるようになってきた。聴きに来る人、そして音楽家が「ゲーム音楽が好き」という人が増えていった。
そして今回の開会式で、20曲近くの曲が入場BGMとして採用された。
安易だ、なんて批判的な意見もあると思うが、開会式を見た多くのゲームクリエイター、特に作曲者自身が、心から喜びの書き込みをしているのが全てだと思う。
NHKの映像の世紀とか言う番組もさ、ヒトラーやナチスの当時の映像お茶の間に流してる不謹慎番組じゃん
しかもおどろおどろしい音楽をBGMにして恐怖をあおり立てるような番組の作り方してるし
歴史的価値とかそれ以前に、ホロコーストの恐ろしい記憶を彷彿とさせる番組を日本を代表するメディアが流してるってどうなの?
詭弁じゃないのか?
レイプの被害を繰り返させない為に、レイプ被害者にレイプ中の撮影動画見せるのはOKなのか?
前回も書いたが、これは改善された。厚労省が推奨する間隔で無事に接種が行えた。
6月時点で屋外待機用のテントが設置されたが、7月の気温では厳しいものがある。
ちょうど授業期間(春学期)も終了し、教室が空いたことによって屋内に待機用の動線が設けられた。
おかげで手短かつ快適に接種を終えることができた。
待機会場で流れていた慶應ソングは廃止され、普通のピアノBGMに切り替わっていた。
理由は不明であるが、他大学を受け入れるならあまりにも(愛校心の)圧が強いので当然だとは思う。
前回、現地での呼びかけは「学生証・教職員証を出してください」程度だったが、今回は他大学向けに「受付票を出してください」といった呼びかけもなされていた。
"慶應義塾大学 職域接種 -site:keio.ac.jp" でGoogle検索した限りだが、以下のような大学から接種を受け入れているらしい。
数万人単位の学生を抱える他大学を受け入れる余裕はないだろうし、そんなもんだろう。
腕の痛みに加え、38度ギリギリ行かないくらいの熱が出た。ただ、接種翌日夜には回復した。
事前にポカリスエットと解熱剤を用意しておいてよかった。