はてなキーワード: 良心とは
感じて頑張ったのに気がついたら出会い系アプリの管理してましたという
ソーシャルメディアの可能性を信じて、
新たな仕事をしようとした。
従来のパラダイムの枠を超えたところで、
情報のクラスター、小規模だけれども楽しく有意義なコンテンツが
流れ込む仕組みを作ることで世の中を楽しくする仕事がしたいと思った。
その想いは今も変わることはないが、功を焦りすぎたのだろうか、
ソーシャル上のプラットフォームで使う出会い系アプリなどという
今にして振り返ればソーシャルメディア事業に全面的に
舵を切るという会社の方針は、一時の気まぐれの方針転換でしかなかった。
もちろんそれは私は努力することでいくらでも補強できたことで
まぁ「お互いの顔と実名が見えるSNSで身元確認もバッチリ!これまでにない
安心感でセフレを見つけられるアプリです!!」ぐらいに振り切れたら
相当話題になったかもしれんが。
ただ、なぜ関係者全員が二の足を踏みながら、世間をはばかるような
態度で開発を進めるようなアプリに手をださなくてはいけなかったのか。
理由は至ってシンプルで単に何百万というカネが入ってくるからである。
上司は必竟ソーシャルメディアがビジネスをドライブする力になるとは
信じていなかったし、社員は相変わらず受託開発のスタンスで働く人達なので、
もちろんそれはビジネスの基本だ。
いけない仕事などあるのか。カネなんかと引き換えで
そんな事に手を出せるのか、恥ずかしくないのかと。
なぜ社員が、年間の工数のおよそ5割程度を割いて一生懸命に作ったアプリを敬遠される。
「かなり斬新なアイディアで作ったけど、結局は出会い系、、うわーキツいわー」
みたいな雰囲気を作られて非協力的な態度を示されたら、
一緒に頑張った私とプログラマーは実に悲しい思いをする。
思い切って突き抜けてコンセプトを強烈に打ち出してしまえば、
こんな後ろめたい思いはしないだろうに、なぜそれができないのか。
なぜ血反吐はく想いで作り込んだアプリを堂々と世間にだしてやる事ができないのか。
マジでなえる。今でも思い出すと気持ち悪くなる。
乗せられていない。発注もとの実績にも乗せられていない。
こういう仕事がしたい。こういう事をしているんだぜ!と
家族、恋人、友人にアツくはなせるような仕事とかけ離れていたからだ。
だが上司にとってはそんなことはどうでもいいのだ。
結局売り上げが入ってくればどんな仕事でも受けるのがこの会社の
零細企業には入っていなかった。
私も甘かった。人の本質を見抜く力が足りなかったのだ。
会社としての思い切った方針転換も、流行にのっかるだけの気まぐれ
でしかなかった。
まぁ、それでも私は自分の想いをあきらめずに仕事を頑張って来た。
そのせいで体にガタが来て、上述の通り心も痛んでいたのでうつ病になってしまった。
正直、肉体的な疲労だけなら気合いで乗り越えられたと思う。
でも私が結局この会社から売上を取ってくるだけの要員という側面でしか
評価されない事に気づいて、なんだか悲しくなったし、どうせうつ病から
回復して復帰したところで前と同じように終電まで働く事になるのは明らかだ。
だからやめた。
こういう封に考えたのは理由がちゃんと理由がある。
今まで毎日終電近くまで働いてサービス残業時間なんて月80時間ぐらいのレベルだったのに、
制作や開発でさらに売上を取っていけという数値目標をだされたからた。
私も負けず嫌いな所があるのでそうやって吹っかけられるとついつい
突っ走る傾向があるのだが、現実的にはその目標を実現するには売上単価を
考慮するとどう考えても毎日深夜3時ぐらいまで作業しないと到達できない。
急性結膜炎とかになって、ある日布団の中でぽっくり逝くこと請け合い。
だいたい労働の生産性なんてさ、経済学をちょっとかじった人ならすぐイメージできると
思うけど、投入量を増やせば増やすほど効果は逓減していくものなの。
そんな事も考慮しないでとにかく生産性を挙げて仕事しろの一点張りじゃ部下はついてこねーよ。
もう既に毎日深夜まで作業してヘトヘトの状態で頑張ってんだよ。
だから私は体調が回復した今でもその会社に戻る気にはなれなかった。
自分の想いとぴったり合致した案件なんて「はぐれメタル」と会うぐらいレアな
もんだという現実も知っているし、甘えに甘えた発言だということは理解できる。
だがそれでも言わせてほしい。言うからには煉獄の炎で焼かれる覚悟だ。
コロコロ方針転換ばっかでカネカネうるさい奴らのために自分の人生を使うのは嫌だ。
ココまでの事を要約すると、こういうことだ。
本当に嫌だった。
今も嫌だ。
知恵がつけばつくほど家族のやってきたことの酷さを知ってますます嫌になる。
家族への恨みにとらわれて、家族が何をしてきたか嫌悪と憎悪をベラベラ喋り
似た者同士寄ってきては自分の親が如何なる毒親であったかを飽きずに語り合う。
毒親だと親を蔑めば蔑むほどその子は毒にどっぷり犯された毒子になる。
でも、私は毒家族なんて単語を振り回して自分の時間を浪費したくない。
たかが環境の良し悪しで家族を恨んだり家族を許したり振り回されたくない。
だから辛い時も苦しい時も考える。
どうすれば温かい家族になれたのか、どう言えば気持ちの良い家族になれたのか。
そして今、それを踏まえて、現在の家族にどうすれば良いのか、どう言えば良いのか。
どんな言葉を使えば最も心穏やかで、どんな風に言えば最も素直に話し合えるのか。
互いに良い影響を与えあう家族になるには、どんな行動をとるのが正しいのか。
苦し紛れに「親なんてどうなったって知らない、自分さえちゃんと生きれば関係ない」なんて思わない。
「自分が正しいことをやるのが大事。過去のことはもう全て些細なこと」とも思わない。
家族の事を一つ一つ、過去の事を一つ一つ、委細漏らさず大事に考えていく。
自己憐憫と自己愛の苦し紛れに、家族をハズレの家族・最低の家族と決めつけたりもしない。
一分の良心も一つの正しい行動も、自分の家族には全く存在しなかったと、
どうして都合よく無視できるのか。
所詮、自分がこの目で見てこの耳で聞いた範囲の事を全てだとしているに過ぎない。
隅から隅まで家族の全てを知りもしないのに、研鑽され経験を積んだ思考力もないのに、
どうして未熟な判断力のまま、若い浅知恵で、家族を駄目な奴だと完全に決めつけられるのか。
本当に自分はそれで正しいのか疑い続けるのを忘れれば、自分の良心を失ったことになる。
家族の事は勿論、物事をただ其の物事として
苦痛に曇らされず、すべき正しい言動を取れるように勉強を沢山できますように
もう一つ。
何故、自分はこんな家庭で生い立ちであったのか。
もっと良い親であったら、しなくて良い経験をせずに済んだのではないか。
自分の人生はロス無しで、もっと明るく幸せな生い立ちでもっといい人生になったのではないか。
こんな思いがたまに心を過ぎらないではない。
何故、自分はこんな家庭でこんな生い立ちでこんな経験をしてきたのか?
その理由をもし親に求めて辿っていくのなら、更に3代、5代、7代と原因を求め遡って
貧しく人心も開けぬ閉鎖的封建的農村とその精神が悪かったのであり
結局はそれを生んだ日本の歴史が悪かったということになる。
私は歴史が好きなので思う。
やったね!私がこんな生まれ育ちなのは、なんと歴史の宿命だったんだよ!
やっぱり私は歴史の中に生まれ生きていたんだよ!大感動だね!
あの家庭の中で私があの経験をしなければならなかったのは
日本の歴史がこの私を選んで託した歴史の課題だからだったのだよ!
私は歴史好きな者として、なんとしてもこの挑戦を受けて立たねばならない。
これはただの激しい思い込みかもしれないが、倦まず弛まず進むためにこの思いを忘れない。
さて、私は早く黙ってやるべき学習に戻るんだ
元気でも働けるとは限らない。仕事はいつでもすぐに発生するとは限らない。日本企業は中途採用を嫌がる傾向が少なからずある。自分で商売を始めようにも、普通はそれなりに元手がいる。それに就職して働き始めても、すぐに給料は入ってこない。給料は普通締め日までの労働に対しての計算だから、もらえるまでにはだいたい1ヶ月くらいかかる(まあ、良心的な所なら、その間の凌ぎとして準備金をくれるんだが)。
と言うと、大抵「仕事を選り好みしているんだろう、介護とかあるだろう」と返されるんだが、長期的に働くことを考えると選択肢は殆ど無いという現実を無視している。介護は確かに人手不足に悩んでいるが、あれは業態としては相当に特殊で、誰でもできるような仕事ではない(だから慢性的に人手不足になる)。人に勧める前にまず自分でやってみるがいい。
元値が22,300円
現在の公開買い取り価格が1/10で2,200円。ただ、在庫無しだから100円上乗せしてくれたかな。
ちなみにぶくおふでは中古2,950円で販売なので、儲け-100円は大きいが、amazonだと中古でも5,000円以上の値段設定なので、100円上乗せしても、まあ商品が売れる可能性が高いから大丈夫と踏んだのでは。
別の買い取りサイトでは2,100円だったので、まあ良心的な買い取りではあると思う。プレミアというほどではないと思うけど。
追記
うちの会社では、あまり専門スキルや技術力、品質の良さの価値は理解されない。不具合やwarningが出たりするソースコードをそのままにしておくのはエンジニアとしての良心からかストレスが残る。何とかしたいとは思うけれど、品質を上げたい、上げるべきだという気持ちはわかってもらえない。
ただユーザにとっての価値という視点で考えてみると、技術ではお金をもらうことはできないというのも理解できる。同業者やそれを利用してビジネスする人にとっては「技術」そのものが価値となるけれど、そうでないユーザからお金をもらうには、提供しようとしているものやサービスなどを知ってもらい、価値を認めてもらう必要がある。価値はユーザが求めているもの、つまりユーザにとってのニーズを満たしているかどうかで決まる。
実は誰も高い品質は求めてない。低品質が目的を阻害するなら品質を上げるべきだけど、高い品質は目的では無く、単なる手段。誰のための、何のための「技術」と考えると、常に高い品質を求めるというのは、エンジニアの自己満足に過ぎない、と思う。
生活保護制度には色々と不備があると思うんだけど、皆が働くより働かないことのほうが楽だって意識を覚えているのは変な話なんじゃないかな。
俺は働かないより働いたほうが良かったなと思っている。働いて給与は上がっているし、人との繋がりも増えている。割と順調なんだよね。でも、世の中にはそういうことじゃないことのほうが多い。俺も幸先不安だし、会社がいつ潰れるかはわからない。下手をうったら生活保護のお世話になるかもね。どちらかといえば働かないよりは、働くことのほうがまだ楽しいことだなと思えている俺は恵まれている。あるいは頭がお花畑なのかもね。
河本の生活保護云々で、不正受給の話がされているんだけれども、それと一緒に「生活保護受給者云々」って叩いている人もちらほら見かける。「不正受給しやすいシステムが問題であって、本当に必要な人間に廻るんだったらそれでいい」とは言っている。俺も不正受給しやすいシステムは穴だと思うわけ。でも、それでもその「不正受給をどうやって減らすか」って議論がズレて「如何に生活保護受給者を不利な立ち位置に陥らせるか」って議論に移行している人がいるってことは、認めてもいいんじゃないかな。なんか選挙権剥奪しようぜ、という人もいるくらいだし。
そういう人達を見ていて思ったことなんだけど。
生活保護者に対して、「働けるなら働いたほうがいい」っていう話が出ているんだけど、あれって「働いても生活が維持できるくらいのお金を捻出できない無能は保護されるべき」ってことだよなって思う。無能って言い方をすると怒るかもしれないけど。環境だろうが、自己責任だろうが、無能は無能だよ。
日本の場合は、生活保護を受給できる資格のある人が、受給しない割合って、他の国よりも遙かに高いんだよね。海外の生活保護に類似する制度が、そもそももっと敷居が高すぎるんだろうけど。ネット上では「ナマポ」って言われていて、ナマポおいしいです!って話は出てたけどね。でも、多くの場合は「クズがいる」というだけでスルーしていたんじゃないのかな。ホームレスがいたとしても、一部の馬鹿な中高生か、妙に潔癖症じゃない限り、「いるんだ」くらいの気持ちしか沸かないのと一緒でね。
不正受給じゃないにしろ、日本の福祉制度の予算割合ってどんどん膨れ上がっている。理由の一つに、日本が高齢化社会に移行しているからというのがある。
統計によれば、大多数の生活保護受給者は、50歳から70歳に偏っている。改めて生活保護の統計を見ていて面白いのは、20歳から40歳の受給って、平成2年から平成11年ってどんどん減っていたんだよ。この時代は「働けばなんとかなる」っていう時代だったんだ。実は十数年前くらいって、働けばなんとかなる時代だったんだよね。既に労働市場からドロップアウトしている高齢者は、この間でもそれなりには増えていたんだけど。
それが平成12年から今日にかけて、異様な伸び率を示しているのは、もう単純に労働市場自体が若者を抱えきれなくなっているか、あるいはどんどん使い捨てにしていっていて、鬱病になってドロップアウトするケースとか多いんじゃないかな。そうなると社会復帰を諦めて「生活保護」になればいいやと思っている人もいる。当然、若者が抱えきれなくなっているんだから、家族で扶養出来ない人間も増える。扶養義務を厳しくしろっていう議論もなるほどね、って思うんだけど、それってますます働くってイニチアティブ、とくに家族がもうポンコツすぎて誰も働けない、っていう人の労働意欲を削るんじゃないのかな。そうなると生活保護を受けたほうがいいよね、って判断がどんどん増える。
本来、福祉に対して一番有効な手段ってのは、景気回復なんだよね。例えばバブルの時代であったり、あるいは高度成長期のころって、明らかに「働いたほうがいいじゃん!」っていうモチベーションになっていたと思う。だから、俺はむしろ景気回復手段みたいなのを考えたほうがいいよね。具体的にはわからないんだけど、そっちの議論のほうが必要だね。あとは高年齢者の貧困層を如何に取り込むかって話。もう年金制度と加えて、生活保護制度も、不正受給以前に高年齢者で圧迫するのは目に見えている。それは家族が扶養しろっていっても、もう誰も頼ることができないって状況がある。ホームレスをやっている人だって、割と老人が多いわけでさ。よく言われることなんだけど、若いひとよりも、老人のほうが貧困格差って是正されないんだよね。あと、老人が精神を病んでいたりした場合はどうするの、っていう感じ。社会からドロップアウトする人って、どうしても精神病を患っている人だったりするからねえ。
どちらかといえば、景気回復とか、労働環境とか、労働市場とかのほうが問題なんじゃないの?って感じなんだけどね。あるいは「もう高齢者なんて雇ってらんねえ!日本全体が姥捨山になってもいい!」っていう判断をするんだったら、それでもいいよ。国民の判断だし。あとは、「無能は死ね」って言って福祉をぶっちぎるか。でも、これも高齢化社会を考えると、姥捨山を作るってことだし。あるいは決起して「おらの米を盗むな」って言って、国会を爆破したり、税務署を破壊したりすればいいんじゃないかな。あるいは日本が破綻したときに、世界に対して「お願いだから養ってください」っていって、日本自体が、世界政府の生活保護のお世話になる方法を模索するとかね。逆に身分制を作って、表立って差別できるようにするとかね。昔の被差別階級は悲惨なところに追いこんで、そこに住まわせていたって話があるくらいだし。それを望んでいるというのもあるよね。ただ、身分制とかにすると、良心の呵責があるから、「こいつらは差別するやつらに値する」って言ってキャンペーンを打ちつづけるの。そうなると、労働市場云々の話とか、高齢化社会のことなんて考えなくなるだろうしね。
ただ、それをあまりオープンにしてしまうと良心的な人々から白い眼で見られるので
テーマを10に絞って、それぞれ2冊ぐらいずつ本をよんで、最低限の意見を準備しておきたい
それで私は社会問題に関心をもつ義務を果たしたことにしたい
…と、いうわけで、現代の問題を10に絞るとしたら、なんですかね?
ぱっと思いつくのはこんなかんじ
かなりテキトウ、つーかわからん
○原発問題
○財政問題
○基地問題
○環境問題
○国防問題
○戦争責任問題
○高齢化問題
○雇用問題
○性差別問題
保護を何倍も受けるためにわざと貧乏親族の戸籍を分割しまくったり、
その上で収入ある親族は「扶養したくない」と言って保護を丸取りしたり。
不動産購入してそのローン返済で「余裕がない」と主張して生活保護をフルゲットして
しかもその不動産は生活保護受給者のために買ってあげたものだったり。
これなんの発想かっていうと
免税お味噌会社作ってそこから人材派遣させて消費税まる食いしたりとか。
まあどれも開発後しばらくして税務署にとっちめられたけど。
生活保護でもやらないわけがないと思ってたけどやっぱりやってた。
個人個人が思いついてやったとは考えにくい。
いかにも会社の経理とか税務やってる人間が開発しそうなやり口なんだよね。(ねえ吉本さん…)
本当にこれらが取り沙汰されるのを「何も問題ないのに」とか「不当なリンチだ」とか言っちゃう?
そこから生活保護受給者全部叩いちゃいけない、って話とは切り分けた方がいいんじゃあないの?
いよいよモラルのたがは外れるし扶養回避ノウハウやら分割多重受給ノウハウやら
生活保護費がどれほど膨らむか見当が付かない。
有名人の影響力は凄いしね。
だいたい「生活保護の不正受給率はたった0.4%」とか得意げに書いてる人がいっぱいいるけど
その数字がどこから出たのか、どういう出し方してるのか、意味がある数字なのか、疑った?
なーんか検挙率な気がして仕方ないけど。
それこそ一人一人の善悪とか超越した話で、
税金の仕事してる感覚として、不正が0.4%ぽっちなんてぜーーーーったいに。ありえない。
そして不正は、
「やるチャンスがある」「リスクがない」「やっても悪くない」というサインを受ければ
燎原の火みたいにぶわーーーーーーっと増えるよ。
ものすごく甘い見通しをしてると思う。
記者の主張
起立斉唱命令が思想良心の自由(日本国憲法第19条にて規定されている)を侵害しているのではないか。
また、大阪府立和泉高校の中原徹校長は口元のチェックをして歌っているかを確認したが、それはやり過ぎ(職務権限を超えた行為)なのではないか。
橋本市長の答え
なお、これまで行政側が出してきた起立斉唱の職務命令についての最高裁判の判断は、すべて合憲となっている。
条例については平成二十三年六月十三日に公布され、その日から施行されてます。
現在までに最高裁判所での違憲判決は出ていないので、違憲性はない。
さらに言えば、公務員は全体の奉仕者のある(日本国憲法第15条)。
「私は思想良心の自由に従い、国家や国家の象徴たる天皇に忠誠は誓わないので歌わない」というのであれば、それは全体の奉仕者ではないということだ。
次に、口元チェックは職務権限外か否かについて。
教育委員会は各校長に対して「起立斉唱の確認をしなさい。裁量は任せる」との命令を出している。
これはつまり、方法や起立斉唱の基準については自由にして良いとの事である。
そして、中原徹校長は教育委員会に自らの方法を確認した上で口元のチェックを行った。
具体的には「後方から3秒間目視し、その時に口が動いていない教員を式の後に別室に呼び出し、そこで歌っていないと答えた教員のみを教育委員会に報告する」というものであった。
中原徹校長は起立斉唱の確認を、式を乱さず、その人の社会的評価も落とさず、理不尽な拘束などで無理やり自供させるなどの方法を使わなかった。
それ以前に、教育委員会が与えた命令をきちんと守り、確認だけに終始した。
もし口元チェックに問題があるならば、相談を受けた上でそれでも裁量を任せた教育委員会に非があるだろう。
http://www.pref.osaka.jp/houbun/reiki/reiki_honbun/k2011553001.html
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011060301000920.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E6%9D%A1%E4%BE%8B
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO127.html
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
はてな界隈ではやたらに差別ネタが盛り上がる。やれ、ホモがどうのこうの。やれ、てんかんがどうのこうの。
かくいう俺も、差別ネタがホッテントリに上がる度に、「うーむ、けしからん」と良い人ぶったコメを付けたりしていた。
で、ふと思ったんだ。
承認欲求を満たすために関わる人間と、実際に差別を身近に感じているために関わる人。
俺のような、リアルじゃ滅多に差別に関わらない普通の男サラリーマンは、前者だ。
はてブで、「差別は無くさねば!」的な良心コメントを書くのも、初戦は☆が欲しいがためと、
こういう問題に興味持つ俺SUGEEEと、自己満足を得るために過ぎない。
後は、いきなり差別主義者認定されて攻撃を受けるのを防ぐため、か。
別に積極的に問題を解決していくためではない。そりゃ、被害者は気の毒だと思うけれど。それこそ、思うだけだ。
何らかの直接的メリットが無ければ、解決のために行動したりはしない。
後者の人間は、そりゃ関心持つのは当たり前だ。自分の日常生活にモロに関わることなのだから。
コメントの語気が荒くなるのもわかる。時々、やりすぎてリンチになってねぇか? と思ったりはするけれど。
俺が気になるのは、この二種類以外の人間はいるのか? ということ。
いるとすれば、一体どんな動機で関心を持っているのか? と。
そこがすげぇ気になる。
もしこの二種類しかいないのなら、差別問題は結局は当事者で解決していくしかないのだから、大変なんだろうなぁ。他人事だけど。
うちの会社では、あまり専門スキルや技術力、品質の良さの価値は理解されない。不具合やwarningが出たりするソースコードをそのままにしておくのはエンジニアとしての良心からかストレスが残る。何とかしたいとは思うけれど、品質を上げたい、上げるべきだという気持ちはわかってもらえない。
ただユーザにとっての価値という視点で考えてみると、技術ではお金をもらうことはできないというのも理解できる。同業者やそれを利用してビジネスする人にとっては「技術」そのものが価値となるけれど、そうでないユーザからお金をもらうには、提供しようとしているものやサービスなどを知ってもらい、価値を認めてもらう必要がある。価値はユーザが求めているもの、つまりユーザにとってのニーズを満たしているかどうかで決まる。
実は誰も高い品質は求めてない。低品質が目的を阻害するなら品質を上げるべきだけど、高い品質は目的では無く、単なる手段。誰のための、何のための「技術」と考えると、常に高い品質を求めるというのは、エンジニアの自己満足に過ぎないのかもしれない。
これ、工学部応用数学科で一番出来の悪い生徒だった自分でも分かるような間違いだらけで腹が立ってきた…塾の先生ってこんな誤解を招く説明しか出来ない人しかいないの?
これだったら、「ε-δ論法で調べてね」とか、「この本のここを読んでね」って言った方が、よっぽど正確だし、学生の後世のためになる。
塾でもよく訊かれるので解説を。
無限(+∞)というのは、「私達が理解できないくらい大きい数」ということを表す記号です。
∞は「数」なの?「(という)こと」なの?どっちなの?はっきりしてよ。で、「私達の理解」って何よ。「私たちの理解」なんて、定義に関係無いでしょ。10^10^10^10とか、私達に理解できないぐらい大きい数だと思うけど、∞ではない。
同じ程度の長さだったら、「∞はどんな数よりも大きい『こと』を表す記号です」でいいじゃん。ついでに言えば、「ですから、∞は数ではありません。もし、∞がある特定の数だったら、∞+1は∞より大きくなってしまい、『どんな数よりも大きい』という定義に反するからです。」とか付け加えておけば、なおよし。
∞ + ∞ = ∞ と定義します。私達が理解できないくらい大きな数を加えあっても、それが理解できないくらい大きいことに変わりはありません。
なぜ、∞ + ∞ = 2 * ∞ ではないのでしょうか? それは、∞は我々が知りえない数だからです。つまり、∞ = ∞ という計算が、 「私達の知っている意味で」等号計算が正しいかどうかなんて、誰も知らないからです。
∞+∞=∞、って定義なの?ε-δ論法使えば、∞の定義から、定理として導き出せるんじゃない?「我々が知りえない『数』」とか言って、∞をある特定の数だと誤解させるのやめろよ。等号「計算」って何?「誰も知らない」って何?良心的に解釈すると、「∞は数ではないから、「∞=∞」という表記をしたいのであれば、「9=9」みたいな数における等号とは別に定義しなければならい」ということを言いたいのだろうか。で、「∞ + ∞ = 2 * ∞」ではない理由は、単純に、∞という記号に対する+と*という定義を厳密にしていないからでは?
救急車の進行を無数の歩行者が妨げてる動画を見たけど、立ち止まった方が危険って考えは違うんじゃないの。
結果論にはなるけれど、後続の車両がアナウンスしたら先導したら進めたわけじゃない。
立ち止まったり、早足になったり、戻ろうとしたら、歩行者の足並みに乱れて、けが人が出てしまうかもしれないと言うのなら、どれだけアナウンスしたって救急車は進めるはずがなかったと思うんだけど。
曲がりなりにも流れを止めることができたのならば最初から止めることができたはずで、それができなかった動画の歩行者達は非難するに値すると思うんだけどな。
仕方ないだろうとかなんとか言って責任転嫁してしまうのは一番間違った、良心に反した態度だと思う。
少なくとも反面教師にはしないと駄目なんじゃないの。
そもそもリベ左派はネトウヨやキモヲタの個人情報を集団で晒さないし
http://anond.hatelabo.jp/20120314142416
そもそも、はてブのトラッキングの件だって通信の秘密の問題なのに、世間的には通信の秘密に対する認識がなさすぎる。
監視カメラなんていうのはなかなかするどいたとえで、通信の秘密というのは通信の中身だけではなく、どことやりとりをしたかということ自体も通信の秘密の対象だ。
どこでなにをしたかというだけではなく、そもそも、彼がどこに行ったかということ自体が、秘密にされるべき情報である。
はてブは、押そうが押すまいが、ボタン貼ってあるサイトを閲覧しただけでトラッキングされる。
これを拒否するにはCookie自体を食わなければよいのだが、いまどきはCookieが一般活用されすぎていて、ブラウザもデフォルトで受け入れることになっているし、受け入れ推奨にさえなっていたりする。昔だったら、「Cookieなんて便利な機能があるよ」なんてことで、サイト運営者が自サイトのためにCookieを食わせるのが一般的だったはずなのだが、いまはサードパーティーのCookieがやたらと多い。しかも、ほとんどのアクセスユーザーはCookieに無頓着である。
まあ、いま風に言ってみれば、Cookie情弱なんだろうな。残念ながら、サイト運営者側の良心に一面的に頼るしかないのかもしれないね、現状では。
ボタン貼られている以上は、はてなにサイトアクセス履歴のログとられるまでならばまだしも、それをどう使っていいかとか、売っていいかっていうのは全くの別問題だね。できることと、してよいことは、違うね。
はてながすべきひとつの結論はたぶん、自前で広告やることかもしれん。新はてブボタンをつくって、ボタンに広告も抱き合わせて、はてなで自前で行動ターゲティング広告を打てばまた話が変わるかもね。
そんときは、広告アクションがあったらはてなポイントの分け前くれよな!(笑)
きっとね、近頃のはてなは、経営的に必死で、上場とか言って是が非でも数字を出そうとしているんだろうね。
よそがやっていることを今更マネしても、二番煎じどころか出涸らしだよな。はてなブログとか、いまさら意味があるのかわからないんだけどね。SNSとかブログとか、よそがやっていることをやりたい症なんだろうな。
B1・俺はその主張に感銘を受けて、同じぐらいシンプルにエビデンスを求めた。
A2・突然ゴチャゴチャと変な条件を持ち出して同意を求めてくる。
B2・「そんな話は聞いてないから最初の主張のエビデンスを出せ」
これだけ。
これが通らないとなると話がどうにも進まんでしょう。
その話を通さないと”君が”困るだけだろ。
後付け条件や話の複雑化なんか聞く気は一切ないよ。
俺は元増田の最初の主張に当然存在するはずのエビデンスを求めてるだけなんだから。
別の話をしたいなら別にゴチャゴチャ言え。
出せないならはっきりそう認めて撤回なり謝罪なり良心に適う行動をしたらどうだ。
また別ツリーで
君が前にも同じように無根拠発言して同じように逃げたという指摘があるが
これは本当か。