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はてなキーワード: 老老介護とは

2021-08-29

anond:20210826203711

noteに公開されてるぶんの「少女を埋める」読んだ。

なるほど、冬子の母の「虐めてごめん」というのは、若いからずっと妻(冬子の母)が夫(冬子の父)を引っ張る形で家族運営してきたことについてなのね。女の癖に生意気だといわれてしまうけど、うちはこうしてきたという矜持を冬子の母は持ちつつ、大人しい気質だった夫に対して負い目も持ち続けていたんだなぁ。

これを老老介護で起きた虐待告白と読むなんて、ゲスの勘繰りが過ぎる。

2021-08-24

母親が亡くなりました

これは過去記事から続いています

最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。


以前に語ったとおり、母親病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。

その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。


母親に関しての良い記憶殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレス負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブル枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力暴言は絶えず、幼いときから母親嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女スマホPCどころか自身ケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。


そんな母も亡くなりました。

一番最後家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身介護状態になってから父への依存マックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院生活が心を折るに充分だったに違いありません。

父はそれを後悔しているようです。

葬儀直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。

葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。


従来型のように通夜告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要儀式もありますから

しかしこれから葬儀直葬が主流になると確信しました。

高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。

なぜ喪主大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間お金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。

それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。

コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています

さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります

母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。

母親病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断のものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。

思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。

恐らく長いあい健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。

さら病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます

旅立ってからも人柄がわかってしまうのは苦々しいかぎりです。

自分家族崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せ家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者実家にお邪魔したときリビング家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。


今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続き簡単とのこと。いい時代ですね。

遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。

2021-07-24

開会式MVP

ミスター王さん松井の場面が、

老老介護とそれを手伝う中年の孫」に見える。

開会式MVP

ミスター王さん松井の場面が、

老老介護とそれを手伝う中年の孫」に見える。

2021-06-10

anond:20210609225859

ありがとう

ぼんやり農業経営というブラックボックスについておもってたことがいくつか明確になった。

実家セミプロ農家やってるけど農協とは全くつながりがないんだ。送って読んでもらおうかとおもうけど

いま老老介護が大変そうだから読まないかもな。

 

あとはよくあるけど農業分野でのAIとかビッグデータについてどうおもう?

結局日照・気温・降水量それに土質などにより

ここであれの種まきゃ絶対生るよっていう作物はどこにでもあるとおもうんだけど

(ただ、あわひえじゃ飼料用にしかならないかもしれんけど)

オレは10年後にはグーグルアグリでスマホを庭にかざしたらアボカド5%(4/25~)、ヒエアワ20%などと表示される世の中がくるんじゃないかとおもう

 

農家の膨大な知識セットは緯度経度に紐付けられてて土地から引き離したら消えるだけ

(そんで農大で共通的なことをおしえるにも専門がそれぞれ千差万別で「どこの」農大かによって偏向がある)

ゆえにGI表示とか囲い込み方向にうごきがちだけど

フランスの裏側にあるチリワインができちゃったみたいなおもいきった地球最適化があってもいいとおもうんだよなぁ

2021-05-01

親の介護2

そもそも晩婚高齢出産ひとりっ子子供のためにならんのよな。

うちは母親35父親41(!?)で初産。

まり俺が25の今、59と65のコンビ

お互い仕事はしてないので老老介護でやってる。

自分仕事は俺以外できないものなのでやらないわけにいかない。

詳細は言えないが、俺自身商品みたいなもん。

無理なんよマジで

25で介護になるとは思わなかったが、

そもそもこのまま進んでも所謂仕事盛りの30で父親70よ。

これで兄弟がいるなり、富豪ケア全部のせできるなりだったらいいが無理です。

入院してればいいのに、被介護者が寂しいと言うのでうちに帰ってきたんだわコレが。

寂しいのも分かるけど……

恋人はあと2年のうちに結婚したいらしいが、このゴタゴタのなか結婚できるのか?

生きてるうちに結婚写真が見たいみたいだけど、見たいなら入院してくれんか?

生きてほしい という気持ち自分生活の維持 というトレードオフ

もう少し自分の年齢がいってれば介護全振りもできたのになぁ。

はぁ

2021-04-24

anond:20210422123137

うちの実家は逆に父親が定年前後から20年難病わずらってる

(原因不明だが喫煙が主因ともいわれている。本人は昭和モーレツ社員の中に生息地をつくるために仕方がなかったといって特段すまなそうな顔はしないためにこれもまた母親にキレられる原因)

20年間×365日介護最初普通の人みたいだったが数年でボンベひきずってあるいていつ急逝してもおかしくないといわれてきて

最近階段が登れないので風呂介護だしトイレ場合によってオムツつかう。

 

最近とうとう母親がキレた。

離婚したほうが幸せかもとおもったってさ。

でもそのくらいの距離感のほうが安心した。

だってどっちにきいても離婚したくない、家から出たくも出したくもないって。殺し合いみたいな口喧嘩しながらいうんだもん。

恋愛結婚呪縛なのか見栄なのかおそろしいとおもった。

ずっと一体どういうことなだっておもってたもん。

金もらって介護してあとで聞こえないところであ~臭かった、あのおじいさん重いのよねぇとかいってたとしても

他人なんだからあたりまえ。そのほうがずっと心がよりそいあった過去の幻影を以て傷つけ合うよりは健全だと感じた。

から母親にいった、あなたのやってることは老老介護だ、アナタ自身後期高齢者だ、あなたコロナをおそれてひきこもってもいい。

24時間看護病院だって交代でやってるそれをずっと一人でやってるんだ、休め、っていった。

最近父親ショートステイにおしこんで介護休日をつくってなんとかやれてるらしい。

なぜかあれだけ罵られながら家にいたがってショートステイにいきたがらなかった父親最近は納得しているらしい。

 

愛人がいなくてもいないものの幻影をみてくらすのは辛いよ。

もう自分風呂に入れたしトイレにいけた父親はこの世にはいないよ。

元増田の叔母さんもいないんだろう。

頭はしっかりしていても距離感は間違えたがるもんだ。それが脳には辛いんだよな。

2021-04-15

anond:20210415175250

元増田だけど、多分そうだと思う。

介護士らしき人がいないってのは

旗持った引率っぽい人もジジババだったっていうことで、

若い人が誰もいなかったんだよね。

ホームももはや老老介護になってんのかね。

いずれにせよ、こんな時期に遠足なんてすんなって話よ。

どうせ老い先短いから好き勝手したろって感じなのかな。

2021-04-11

anond:20210411211737

もとは老老介護を見ている立場だったのが、いきなり両方とも老介護になったのかな

きついな…

2021-04-03

母が精神病棟に入院した

追記

一部のブクマカの人はブロックしました

追記2】

父親気持ちの代弁ですか

かにそうですね

でも、これは自分だけの日記であり添削を受ける必要はなく、事実誤認を指摘されたところでなんの問題もないと思っています

増田流に言うと「お気持ち」という奴でしょうか?未だに意味がわかりませんが

====

タイトルだけだと辛いことのように思えるけど、私としてはむしろやっと入院してくれたとホッとしています。母は昨年の夏に意識混濁で路上で倒れ、緊急搬送された際に糖尿病や癌が見つかりました。転倒する事が多かったのはおそらく糖尿病せいらしいです。そこから父親による介護を受ける形になり、妹が週2程度で介助することが多かったようです。私はやや離れて生活しており、コロナもあって実家と疎遠が深まっていたためあまり面倒を見ることはありませんでした。

私は昔から母が嫌いであり、そんな母の介護を手伝うのは自分としては考えにくいことだったのです。しか介護から半年老老介護はやはり限界になったようで、そこから度々私が介助をしに実家に戻るようになりました。尤も、母との相性が非常に悪いためにせいぜいトイレに連れて行ったりするだけで、あとは家の掃除等をするばかりです。食事風呂ノータッチ。それでも多少は父親負担を減らせたかもしれません。


父は2級の障害者手帳を持っています。そんな父親による自宅介護必要なのは母の手術のためです。

母を施設に入れるためには、まずがんの治療必要なのです。しかし空腹時の血糖値が400に達するほど重症化していた母は、糖尿病治療をして手術に臨めるまで安定化させる必要があります。つまり糖尿病→手術→施設」というプロセス必要なのです。しかも母は糖尿病のためか足腰が立たなくなったものの、寝たきりとはいえない要介護2の状況です。この中途半端状態によって自宅介護余儀なくされました。幸いなことに父親障害者手帳をもっているため、手術にまでたどり着けば特老(あるいは普通老人ホーム)に母を入れられる可能性は非常に高いのはわかっています医師から父親1人での介護は無理と宣言されていますし、資料にも書かれてあるため希望はとおりそうです。


そんなこんなで母が入院しました。母はもともと精神的に不安定であり、過去には家族へのDVが頻繁に行われていました。そんな母ですから半寝たきりになってから精神不安定さは極大になっていました。父親への依存からか少しでも姿が見えないと大声で喚き散らします。夜中でも大声で父親を呼び、寂しくなると父親の動かしづらい手を掴んで離さないこともあったそうです。

そんな母を夏からずっと糖尿病治療をほぼ1人で続け、罵声や大声や暴力必死に堪えた父親は本当に凄いと思います。家を顧みずに寄り付かなった自分には到底言える資格はないかもしれません。

母は1度目の病院では手の施しようがないとさじを投げられ、最後はやや離れた大病院精神病棟に入りました。そこでは人権についての約束事や、万が一の拘束等についても説明を受けました。そうしないと駄目な患者が多いのはいうまでもありません。案の定というか父親と離れた母は、重い扉越しにもわかるほどの大声で父親を呼んでいました。あの声に父親は毎晩・毎日悩まされていたので、仕事とはいえ対処に当たらなければならない職員の人々のことを考えると少々可愛そうではあります。ですが一番の被害者である父親の荷がなくなったのは本当に良かったと思います


ほとんど何もしてこなかった自分は、結局母の入院時に車で送り届ける係を務めました。それしかできないからです。前日に実家に泊まることも視野に入れましたが、どう考えても母親の声で眠れないのは予想がついていたため、朝一で実家に車を飛ばす方法でなんとか乗り切ることが出来ました。帰りの父親は「これでようやくソファーではなくベッドで足を伸ばして眠れる」と言い、この選択が間違っていなかったと実感しています


これから母は精神病棟で落ち着いてから手術に臨み、一般病棟を経て進路が決められる予定です。どう考えても自宅介護に戻してはならないため、何が何でも施設を探す必要があります。それが失敗したら今度こそ父親は倒れるでしょう。自分や妹も巻き込まれることは必至です。もしかしたら母は一般病棟にすら移れないかもしれません。正直言うとそれくらいに母の精神はひどい状態です。元気だった頃から周りへの暴力暴言が耐えなかった人が、癌や糖尿病程度でおとなしくなるはずがありません。母は歩けないだけの爆弾です。


とりあえずこれから父親と話す機会を増やそうと思います。母がいない生活もっと楽しんでくれたらな

2021-03-22

子なし夫婦になるかもしれない

嫁さんが注射をうけるタイプ妊活を、ここ1年ほどしてきたが、ケンカの拍子にもう病院は行きませんと嫁さん言い出した。

 

正直こどもは欲しい。

欲しい以上に必要だと思っている。貯蓄がそれほどできるはずもない家庭だし、老老介護をなんとか避けたい。

避けたいが、嫁さんが本当に病院やだというならもうやめるだろう。

別に妊活を諦めるフェーズに入っているとは思わない。所詮一年そこら。ガチャ12回ぐらい。排卵も何度かはそのうちにあった。続ければまたチャンスは発生するはず。俺ならまだ頑張るフェーズ

しかし、どう言いつくろったところで、俺が頑張ることじゃあないし、本人が頑張りたくないものを頑張りようがない。

 

喧嘩の勢いとかで辞めてほしくないからもう一回話はするけれども。本当にもう喧嘩とは関係なく嫌なんですということであれば、子なしで行くしかない。

そうなれば、いろいろと考えねばならない。生き甲斐とか、夫婦円満とか、老後のプランとか。

2021-03-16

anond:20210316062128

ttps://ncode.syosetu.com/n9789bq/233/

・・・これやべーわ、ワイも先月にオトートから『オフクロがアルツハイマーの診断もらった』て電話してきたばっかりやったし。たまには電話してくれ言われたけど(ワイはコロナ大都市圏近郊住み、オフクロとオトートは南九州住みで会えない)話題もないしなー、そういや昔に牧野博士植物図鑑みて草花のイラスト描くようになったんよゆうてたなー、てネットポチって四国から贈ってやったらえらい弾んだ電話かけてきてなー...(普段オトートに老老介護させててこんなんしてるワイがファインプレードヤってるみたいでホンマ自分がイヤ)

2021-01-23

anond:20210123182929

介護度にもよるけど介護保険使いながらの老老介護組が多いんじゃないかな。

いよいよ手に負えなくなったら有料ホームとか特養かに一人で入ってもらうっていう。

二人分ってまあ単純に金かかるからね。

増田の家はお金はありそうだから大丈夫そうだけど。

だいたい老人ホームって二人部屋は50部屋中2部屋とかが多い。

あーでもうち安いとこしか見てなかったわw

しかしたら高級なところはそうでもないのかも。スマン。

anond:20210123182619

まじか。つまり二人とも存命なら普通は家で過ごすのかな。いわゆる老老介護か?

あるいは存命だったとしても別々のとこに入るんだろうか。

2021-01-19

母親介護から逃げた(追記あり

離れて暮らす母親糖尿病と癌を患いました。加え、痴呆や諸々の病気を併発しています

その数年前から駅や階段等で転倒していたようで、同居する妹が心配していたのを覚えています。父と営む小売業でも、電話対応がおぼつかなかったり酷い接客をしたりと散々だったそうです。

コロナが広まっていた2020年のQ1あたりで、ついに精密検査の結果それらの症状が見つかったと連絡がありました。程なくして父親介護をすることになり、妹は少し離れた場所生活しつつも定期的に面倒を見に行くようになったようです。(このあたりは面倒くさい家庭の事情があります

かくいう私自身は、何もしませんでした。母親生活していた学生自体には殆ど毎日のように喧嘩をしており、一生この人と良好な関係を築くことはできないと思っていました。東京に近い場所からわざわざ遠ざかってまで今の場所引っ越したのも、実家との距離物理的に開けたかたからです。だからこそ、コロナ禍によって移動や人との接触を避ける世論には感謝したモノです。実家に帰ってあの母親と対面しないで済むのですから

それが、妹からの連絡によって久々に帰ったのがつい最近です。父親限界だと。確かに実家仕事をしながら介護まで担当するのはしんどいでしょう。仕方なく掃除のために帰りました。

久々に出会った母親病気の老婆そのもの身体は小さくなって布団に横になるしかできなくなっています糖尿病のせいで足が動かしづらく、トイレにも一人で行けません。癌の手術には血糖値等を下げる必要があるとのことで、それ専用の食事のために父親毎日食材選びに苦心しているようでした。

1日目は掃除等をして日帰りです。それだけでもかなり満足して貰えたのでそこだけは良かったと思います

問題は2週間くらいあけて2日目。再度訪問し、一部の介護をしつつ家の仕事しました。そしてその日は実家に泊まる日でした。

母親日中は「ごはんトイレ背中が痛いから起こして」が殆どです。自力で立ち上がることもままならないので、父親自分がその介助をするわけです。それが夜間ずっととはおもいませんでした。

2階で寝ていると1時間毎に母親の声で目を覚まします。耳はなぜか健常者並なので単に大声を張り上げる癖がついているようですが、とにかく真夜中でも人をかなりの声量で呼ぶのです。トイレならまだしも、お腹が空いた程度でも平気で呼びますし枕の位置を変える場合もあります彼女には昼夜の区別なく不快と思ったら人を呼ぶことだけが手段になっているのです。でかい赤ちゃんかそれより質が悪い。これで徘徊痴呆が深刻化すればもっと悲惨な目に遭うでしょう。父親限界というのもわかります。寝れないんですから

介護がどうしてきついのか。どうして介護職になり手がいないのか。よくわかる事例だと思います。これでもまだ楽な部類とはいえ自分はこの一晩だけでうんざりする気持ちでした。そして夜が明けて帰ろうとしているとき、あることから母親と言い争うことになってしまいました。母親の癇癪が元々酷いほうで、親戚一同からそっぽを向かれるくらいには独りよがりです。だからこそ自分とも対立していましたが、自分にもその性質は受け継がれていますちょっとした母親の癇癪と混乱に対して、自分暴言で返すことしかできませんでした。それをしていい立場にはなく、むしろ四六時中一緒にいる父親や妹の方がずっと言いたいことを、自分は何段階も飛び越えて母親に浴びせかけたのです。

逃げるように実家を後にしました。帰り際に妹と玄関先で立ち話をし、お互いに家に寄りつきたくない気持ちがあることは幸いでした。その際にも家の中から母親の奇声が漏れ出でていました。妹と意見が一致したのは、早期に母親の癌を手術して即介護施設に預け入れることくらいです。今のデイサービスだけではとても足りません。

今後は家の仕事のために2回/週程度の割合実家に帰ることにしました。介護をせず家の片付けや配達だけをするのは、せめてもの罪滅ぼし。

正直、母親がああなったのは自業自得と思っています彼女自身の不摂生彼女自身が今まで重ねてきた家族への酷い惨劇が、そのまま返ってきました。私から見て父方の祖父母への虐待や父や私への数多くの暴力暴言特に祖母への虐待は酷く、元々足が悪かった祖母は本当に悲惨だったと思います

結局、今の母はその祖母と同じように足を悪くして半寝たきりとなっています。いえもっといかもしれない。

だけど今なら少しわかります彼女には恐怖心があったのでしょう。今の母親は何かにおびえています。歩くときですら常に後ろに反り返り、前に進むことに本能的な恐怖を持っているようです。思えば彼女は何かにいらだつと同時に恐怖を抱えていたのではないかと思っています。そのおびえを怒りで紛らわし、自身葛藤正当化するために暴力表現していたのかもしません。

俗に言う毒親であるとは思います。でもその遺伝子性質自分が受け継いでいるのは事実。だから今最大の恐怖は、両親が亡くなることではなく自分性質子供に向かうことです。母親自分自分家族にしてきたことを、自らが行わないという保証がありません。また、自分介護必要としたとき、助けてくれるのが配偶者しかいなかったら。病院施設に入ることができずにいまの父親と同じようなことを配偶者に強いたとしたら。

帰り道でそんなことを考えていたせいで、家に帰り気づいたら配偶者の腕の中で泣き叫んでいました。恐怖と後悔しかありませんでした。自分母親父親を遠ざけたことも、自分がいつか似たような立場になってしまうんじゃないかということも。そしてこの恐怖が誰かに暴力として向かうんじゃないかと。


逃げた自分はいつか天罰が下るのかもしれません。いえ、いまが地獄かもしれない

追記

懺悔のつもりで書きました。実際、殆ど実家との交流を絶っていたので何もしていない状態で、ついこの間ようやく重い腰を上げて介護をしただけです。

でもやはり母親との相性が最悪です。あちらはどう思っているかわかりませんが、もし次あって話したらビンタの一つはしそうで本当に怖い。現状は母親と会わないほうが誰にとっても得だと思います

実家に帰ったことで今まで実感しなかった介護の厳しさが現実になって、正直驚きの割合も強いです。老老介護とはよく聞きますが、それは間違いなく20世紀最悪の発明品です。家庭内でしていいものではありません。資格経験給与をもらって初めて成り立つ仕事です。善意だけで行うには厳しすぎる。

罪悪感から逃げると後悔することもあるので見極めてください。特にブックマークコメントは当てにしないでください。自分で決めるしかないです。


そのとおりですね。正直ブコメにはあまり期待していません。予想通りのコメントばかりですし。

とりあえず知り合いにケアマネジャーがいるので、そちらに相談しようと思います

追記2】

知り合いから聞くところによると

2020-10-19

anond:20201019150324

父方と母方の祖母特養とか老人向け住宅に入っているので、何となく分かる。父方の方は歳も歳だったし、実家でうちの両親が老老介護をやり続けると先に両親の方が倒れそうな状況だったので特養に入れて良かったと思う。本人も認知症がひどいうえに人さまにお世話されて受け身で生きることに慣れているので、職員の皆さまに苦労はおかけしているかも知れないけれど、家族としてはプロにお任せできるのはありがたい。

気の毒なのは母方の方で、元気なときはてきぱき動き回っていた有能な主婦だったのが、足腰がいうことをきかなくなり、いろいろな家事やら何やらを施設の方々に任せて自分のんびりしていれば良い立場が落ち着かないらしく、施設に入るまでははっきりしていた頭がすっかり呆けてしまった。

周りの老人たちも人とコミュニケーションを取る意欲がないらしく、元々は元気でおしゃべり好きだった祖母が訳の分からないことを言うようになってしまった。幻覚幻聴もあるようなので、脳の一部がやられる種類の認知症ではないか介護に通っている母は言う。

一度だけ母と一緒にちょっとした食べ物を買って行って夕食をともにしたが、誤嚥したり喉に詰まらせることをやたらと恐れているのか、祖母食事はむやみやたらと細かく刻まれていて味も薄く、あまり食べでのない代物である。結局ほとんど食べずに残していた。トイレちゃんと個室になっているし、そんなに人手が多いようでもなさそうなのでやれることはやってくれているのだろうと思うけど、自分も将来ああい施設に入りたいかと言われると悩む。

ただ、家族や身内だけで本人の住み慣れた家で介護をしようとすると周りの負担が重すぎるのでそういうところに入れているとしか言いようがない。無理に自宅で一人暮らしをして孤独死されても後味が悪いので、見守ってくれる人がいる場所にいて欲しい。身内のエゴと言われればそれまでだけど。

ある程度のお金持ちならもっと行き届いたサービスが受けられる施設に入れるだろうけど、施設の人は所詮他人である他人から淡々と冷静に対応できるところもあると思うけど、向こうとしては何か事故を起こして家族に訴えられたりすると面倒だから人間らしい食べ物を供するよりも、とにかく事故の起こりにくい形で食べられるものを出そうとする。

自分が将来ああい施設に入ることになるなら、部屋が狭くてろくに外出ができなくてもやれるようなハンドクラフト系の趣味を持とうと思っている。元増田同様、施設に過剰な要求をしても職員の皆さんに負担をかけるだけなので黙って見ているしかないのだが、面会に行って施設の状況を見ると暗い気分になる。

2020-09-21

常に既に老老介護

こんにちは昭和貴族

やめろじゃ喧嘩売んなじゃ

この程度で喧嘩売ったことにするのはナイーブに過ぎる

ムカついてるだけじゃんねえ

昔は遠くなりにけり

何で会話劇にするの

何で劇以外の何かが存在すると思うの

そこで死んだ人が居るから

また死の話か

2020-08-06

anond:20200806174914

100歳から80歳への恋は体のいい老老介護でお払い箱なのにね

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