はてなキーワード: 老老介護とは
老老介護みたいなもんだな
【追記】
【追記2】
確かにそうですね
でも、これは自分だけの日記であり添削を受ける必要はなく、事実誤認を指摘されたところでなんの問題もないと思っています
増田流に言うと「お気持ち」という奴でしょうか?未だに意味がわかりませんが
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タイトルだけだと辛いことのように思えるけど、私としてはむしろやっと入院してくれたとホッとしています。母は昨年の夏に意識混濁で路上で倒れ、緊急搬送された際に糖尿病や癌が見つかりました。転倒する事が多かったのはおそらく糖尿病のせいらしいです。そこから父親による介護を受ける形になり、妹が週2程度で介助することが多かったようです。私はやや離れて生活しており、コロナもあって実家と疎遠が深まっていたためあまり面倒を見ることはありませんでした。
私は昔から母が嫌いであり、そんな母の介護を手伝うのは自分としては考えにくいことだったのです。しかし介護から半年で老老介護はやはり限界になったようで、そこから度々私が介助をしに実家に戻るようになりました。尤も、母との相性が非常に悪いためにせいぜいトイレに連れて行ったりするだけで、あとは家の掃除等をするばかりです。食事や風呂はノータッチ。それでも多少は父親の負担を減らせたかもしれません。
父は2級の障害者手帳を持っています。そんな父親による自宅介護が必要なのは母の手術のためです。
母を施設に入れるためには、まずがんの治療が必要なのです。しかし空腹時の血糖値が400に達するほど重症化していた母は、糖尿病の治療をして手術に臨めるまで安定化させる必要があります。つまり「糖尿病→手術→施設」というプロセスが必要なのです。しかも母は糖尿病のためか足腰が立たなくなったものの、寝たきりとはいえない要介護2の状況です。この中途半端な状態によって自宅介護を余儀なくされました。幸いなことに父親は障害者手帳をもっているため、手術にまでたどり着けば特老(あるいは普通の老人ホーム)に母を入れられる可能性は非常に高いのはわかっています。医師からも父親1人での介護は無理と宣言されていますし、資料にも書かれてあるため希望はとおりそうです。
そんなこんなで母が入院しました。母はもともと精神的に不安定であり、過去には家族へのDVが頻繁に行われていました。そんな母ですから半寝たきりになってからは精神の不安定さは極大になっていました。父親への依存からか少しでも姿が見えないと大声で喚き散らします。夜中でも大声で父親を呼び、寂しくなると父親の動かしづらい手を掴んで離さないこともあったそうです。
そんな母を夏からずっと糖尿病の治療をほぼ1人で続け、罵声や大声や暴力に必死に堪えた父親は本当に凄いと思います。家を顧みずに寄り付かなった自分には到底言える資格はないかもしれません。
母は1度目の病院では手の施しようがないとさじを投げられ、最後はやや離れた大病院の精神病棟に入りました。そこでは人権についての約束事や、万が一の拘束等についても説明を受けました。そうしないと駄目な患者が多いのはいうまでもありません。案の定というか父親と離れた母は、重い扉越しにもわかるほどの大声で父親を呼んでいました。あの声に父親は毎晩・毎日悩まされていたので、仕事とはいえ対処に当たらなければならない職員の人々のことを考えると少々可愛そうではあります。ですが一番の被害者である父親の荷がなくなったのは本当に良かったと思います。
ほとんど何もしてこなかった自分は、結局母の入院時に車で送り届ける係を務めました。それしかできないからです。前日に実家に泊まることも視野に入れましたが、どう考えても母親の声で眠れないのは予想がついていたため、朝一で実家に車を飛ばす方法でなんとか乗り切ることが出来ました。帰りの父親は「これでようやくソファーではなくベッドで足を伸ばして眠れる」と言い、この選択が間違っていなかったと実感しています。
これから母は精神病棟で落ち着いてから手術に臨み、一般病棟を経て進路が決められる予定です。どう考えても自宅介護に戻してはならないため、何が何でも施設を探す必要があります。それが失敗したら今度こそ父親は倒れるでしょう。自分や妹も巻き込まれることは必至です。もしかしたら母は一般病棟にすら移れないかもしれません。正直言うとそれくらいに母の精神はひどい状態です。元気だった頃から周りへの暴力・暴言が耐えなかった人が、癌や糖尿病程度でおとなしくなるはずがありません。母は歩けないだけの爆弾です。
嫁さんが注射をうけるタイプの妊活を、ここ1年ほどしてきたが、ケンカの拍子にもう病院は行きませんと嫁さん言い出した。
正直こどもは欲しい。
欲しい以上に必要だと思っている。貯蓄がそれほどできるはずもない家庭だし、老老介護をなんとか避けたい。
避けたいが、嫁さんが本当に病院やだというならもうやめるだろう。
別に妊活を諦めるフェーズに入っているとは思わない。所詮一年そこら。ガチャ12回ぐらい。排卵も何度かはそのうちにあった。続ければまたチャンスは発生するはず。俺ならまだ頑張るフェーズ。
しかし、どう言いつくろったところで、俺が頑張ることじゃあないし、本人が頑張りたくないものを頑張りようがない。
喧嘩の勢いとかで辞めてほしくないからもう一回話はするけれども。本当にもう喧嘩とは関係なく嫌なんですということであれば、子なしで行くしかない。
ttps://ncode.syosetu.com/n9789bq/233/
・・・これやべーわ、ワイも先月にオトートから『オフクロがアルツハイマーの診断もらった』て電話してきたばっかりやったし。たまには電話してくれ言われたけど(ワイはコロナ大都市圏近郊住み、オフクロとオトートは南九州住みで会えない)話題もないしなー、そういや昔に牧野博士の植物図鑑みて草花のイラスト描くようになったんよゆうてたなー、てネットでポチって四国から贈ってやったらえらい弾んだ電話かけてきてなー...(普段オトートに老老介護させててこんなんしてるワイがファインプレードヤってるみたいでホンマ自分がイヤ)
離れて暮らす母親が糖尿病と癌を患いました。加え、痴呆や諸々の病気を併発しています。
その数年前から駅や階段等で転倒していたようで、同居する妹が心配していたのを覚えています。父と営む小売業でも、電話対応がおぼつかなかったり酷い接客をしたりと散々だったそうです。
コロナが広まっていた2020年のQ1あたりで、ついに精密検査の結果それらの症状が見つかったと連絡がありました。程なくして父親が介護をすることになり、妹は少し離れた場所で生活しつつも定期的に面倒を見に行くようになったようです。(このあたりは面倒くさい家庭の事情があります)
かくいう私自身は、何もしませんでした。母親と生活していた学生自体には殆ど毎日のように喧嘩をしており、一生この人と良好な関係を築くことはできないと思っていました。東京に近い場所からわざわざ遠ざかってまで今の場所に引っ越したのも、実家との距離を物理的に開けたかったからです。だからこそ、コロナ禍によって移動や人との接触を避ける世論には感謝したモノです。実家に帰ってあの母親と対面しないで済むのですから。
それが、妹からの連絡によって久々に帰ったのがつい最近です。父親が限界だと。確かに実家の仕事をしながら介護まで担当するのはしんどいでしょう。仕方なく掃除のために帰りました。
久々に出会った母親は病気の老婆そのもの。身体は小さくなって布団に横になるしかできなくなっています。糖尿病のせいで足が動かしづらく、トイレにも一人で行けません。癌の手術には血糖値等を下げる必要があるとのことで、それ専用の食事のために父親は毎日食材選びに苦心しているようでした。
1日目は掃除等をして日帰りです。それだけでもかなり満足して貰えたのでそこだけは良かったと思います。
問題は2週間くらいあけて2日目。再度訪問し、一部の介護をしつつ家の仕事もしました。そしてその日は実家に泊まる日でした。
母親は日中は「ごはん・トイレ・背中が痛いから起こして」が殆どです。自力で立ち上がることもままならないので、父親や自分がその介助をするわけです。それが夜間ずっととはおもいませんでした。
2階で寝ていると1時間毎に母親の声で目を覚まします。耳はなぜか健常者並なので単に大声を張り上げる癖がついているようですが、とにかく真夜中でも人をかなりの声量で呼ぶのです。トイレならまだしも、お腹が空いた程度でも平気で呼びますし枕の位置を変える場合もあります。彼女には昼夜の区別なく不快と思ったら人を呼ぶことだけが手段になっているのです。でかい赤ちゃんかそれより質が悪い。これで徘徊や痴呆が深刻化すればもっと悲惨な目に遭うでしょう。父親が限界というのもわかります。寝れないんですから。
介護がどうしてきついのか。どうして介護職になり手がいないのか。よくわかる事例だと思います。これでもまだ楽な部類とはいえ、自分はこの一晩だけでうんざりする気持ちでした。そして夜が明けて帰ろうとしているとき、あることから母親と言い争うことになってしまいました。母親の癇癪が元々酷いほうで、親戚一同からそっぽを向かれるくらいには独りよがりです。だからこそ自分とも対立していましたが、自分にもその性質は受け継がれています。ちょっとした母親の癇癪と混乱に対して、自分は暴言で返すことしかできませんでした。それをしていい立場にはなく、むしろ四六時中一緒にいる父親や妹の方がずっと言いたいことを、自分は何段階も飛び越えて母親に浴びせかけたのです。
逃げるように実家を後にしました。帰り際に妹と玄関先で立ち話をし、お互いに家に寄りつきたくない気持ちがあることは幸いでした。その際にも家の中からは母親の奇声が漏れ出でていました。妹と意見が一致したのは、早期に母親の癌を手術して即介護施設に預け入れることくらいです。今のデイサービスだけではとても足りません。
今後は家の仕事のために2回/週程度の割合で実家に帰ることにしました。介護をせず家の片付けや配達だけをするのは、せめてもの罪滅ぼし。
正直、母親がああなったのは自業自得と思っています。彼女自身の不摂生と彼女自身が今まで重ねてきた家族への酷い惨劇が、そのまま返ってきました。私から見て父方の祖父母への虐待や父や私への数多くの暴力・暴言。特に祖母への虐待は酷く、元々足が悪かった祖母は本当に悲惨だったと思います。
結局、今の母はその祖母と同じように足を悪くして半寝たきりとなっています。いえもっと酷いかもしれない。
だけど今なら少しわかります。彼女には恐怖心があったのでしょう。今の母親は何かにおびえています。歩くときですら常に後ろに反り返り、前に進むことに本能的な恐怖を持っているようです。思えば彼女は何かにいらだつと同時に恐怖を抱えていたのではないかと思っています。そのおびえを怒りで紛らわし、自身の葛藤を正当化するために暴力で表現していたのかもしません。
俗に言う毒親であるとは思います。でもその遺伝子と性質は自分が受け継いでいるのは事実。だから今最大の恐怖は、両親が亡くなることではなく自分の性質が子供に向かうことです。母親が自分や自分の家族にしてきたことを、自らが行わないという保証がありません。また、自分が介護を必要としたとき、助けてくれるのが配偶者しかいなかったら。病院や施設に入ることができずにいまの父親と同じようなことを配偶者に強いたとしたら。
帰り道でそんなことを考えていたせいで、家に帰り気づいたら配偶者の腕の中で泣き叫んでいました。恐怖と後悔しかありませんでした。自分が母親や父親を遠ざけたことも、自分がいつか似たような立場になってしまうんじゃないかということも。そしてこの恐怖が誰かに暴力として向かうんじゃないかと。
逃げた自分にはいつか天罰が下るのかもしれません。いえ、いまが地獄かもしれない
【追記】
懺悔のつもりで書きました。実際、殆ど実家との交流を絶っていたので何もしていない状態で、ついこの間ようやく重い腰を上げて介護をしただけです。
でもやはり母親との相性が最悪です。あちらはどう思っているかわかりませんが、もし次あって話したらビンタの一つはしそうで本当に怖い。現状は母親と会わないほうが誰にとっても得だと思います。
実家に帰ったことで今まで実感しなかった介護の厳しさが現実になって、正直驚きの割合も強いです。老老介護とはよく聞きますが、それは間違いなく20世紀最悪の発明品です。家庭内でしていいものではありません。資格と経験と給与をもらって初めて成り立つ仕事です。善意だけで行うには厳しすぎる。
罪悪感から逃げると後悔することもあるので見極めてください。特にブックマークのコメントは当てにしないでください。自分で決めるしかないです。
そのとおりですね。正直ブコメにはあまり期待していません。予想通りのコメントばかりですし。
とりあえず知り合いにケアマネジャーがいるので、そちらに相談しようと思います。
【追記2】
知り合いから聞くところによると
父方と母方の祖母が特養とか老人向け住宅に入っているので、何となく分かる。父方の方は歳も歳だったし、実家でうちの両親が老老介護をやり続けると先に両親の方が倒れそうな状況だったので特養に入れて良かったと思う。本人も認知症がひどいうえに人さまにお世話されて受け身で生きることに慣れているので、職員の皆さまに苦労はおかけしているかも知れないけれど、家族としてはプロにお任せできるのはありがたい。
気の毒なのは母方の方で、元気なときはてきぱき動き回っていた有能な主婦だったのが、足腰がいうことをきかなくなり、いろいろな家事やら何やらを施設の方々に任せて自分はのんびりしていれば良い立場が落ち着かないらしく、施設に入るまでははっきりしていた頭がすっかり呆けてしまった。
周りの老人たちも人とコミュニケーションを取る意欲がないらしく、元々は元気でおしゃべり好きだった祖母が訳の分からないことを言うようになってしまった。幻覚や幻聴もあるようなので、脳の一部がやられる種類の認知症ではないかと介護に通っている母は言う。
一度だけ母と一緒にちょっとした食べ物を買って行って夕食をともにしたが、誤嚥したり喉に詰まらせることをやたらと恐れているのか、祖母の食事はむやみやたらと細かく刻まれていて味も薄く、あまり食べでのない代物である。結局ほとんど食べずに残していた。トイレはちゃんと個室になっているし、そんなに人手が多いようでもなさそうなのでやれることはやってくれているのだろうと思うけど、自分も将来ああいう施設に入りたいかと言われると悩む。
ただ、家族や身内だけで本人の住み慣れた家で介護をしようとすると周りの負担が重すぎるのでそういうところに入れているとしか言いようがない。無理に自宅で一人暮らしをして孤独死されても後味が悪いので、見守ってくれる人がいる場所にいて欲しい。身内のエゴと言われればそれまでだけど。
ある程度のお金持ちならもっと行き届いたサービスが受けられる施設に入れるだろうけど、施設の人は所詮他人である。他人だから淡々と冷静に対応できるところもあると思うけど、向こうとしては何か事故を起こして家族に訴えられたりすると面倒だから、人間らしい食べ物を供するよりも、とにかく事故の起こりにくい形で食べられるものを出そうとする。
自分が将来ああいう施設に入ることになるなら、部屋が狭くてろくに外出ができなくてもやれるようなハンドクラフト系の趣味を持とうと思っている。元増田同様、施設に過剰な要求をしても職員の皆さんに負担をかけるだけなので黙って見ているしかないのだが、面会に行って施設の状況を見ると暗い気分になる。
この時書いたブコメに准じて、都知事選各候補者の公約を確認中。
確認方法は、「都知事選 公約」などで出て来た候補者の公式ページの公約から、「障」「発達」などのキーワードで検索。
いずれも、6/27(土)19:00現在
なお、探して見つかった物だけなので、見落としがある可能性はある。
公約内での比率が大きいのは山本太郎氏、公約が(少なくともホームページ上では)詳細なのは宇都宮健児氏かな・・・
ここで挙げてない候補者についてはまだ調べてないが、公約発信の媒体としてホームページに力を入れてない候補者もいるようなので、一律ホームページで判断するのはフェアじゃないかもしれない。
公約のページが全て箇条書きであり、項目数が多いため、どの程度具体性や力点を置いてるかが良く分からない。個人的には、成人障がい者を障がい者スポーツの面からしか公約に掲げてない気がするのが気になる所。
とはいえ、「児童発達支援」と「重度心身障がい児への支援」の2項目で触れている以上、障がい児の子育てについて課題と考えてはいると思われる。
https://www.yuriko.or.jp/policy
※該当すると思われる項目のみ抜粋
・重度心身障がい児への支援強化
・「感染症バリアフリー」の検討:マスクや消毒液等の優先提供体制・透明マスク・接触が必須の障がい者への感染防止策・多様な申請手法・情報発信の最適化(手話や字幕の追加、音声認識アプリの活用)など
・デフリンピックなど障がい者スポーツ国際大会の東京開催を推進
8つの主公約の中の1つに挙げ、1ページ丸々使って以下の通り公約している。今回調べた候補者の中では一番「公約の中での割合」が大きく目標に具体性もある一方、個人的には、掲げる政策は目標が具体的過ぎて範囲が狭い印象も受ける。
https://taro-yamamoto.tokyo/policy/7-2/
↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓
都の障がい者政策部局の責任者に障がい当事者を立て、審議会等の政策決定の場には必ず障がい当事者を半数以上とし、個々のニーズや障がいにあった十分な介護を保障する東京に。フルインクルーシブ教育の実現。
かつて米国教育省特殊教育・リハビリテーション・サービス局次長(クリントン政権)を経験し、オバマ政権では世界銀行顧問にもなったジュディ・ヒューマンさんは「当事者が政策決定過程で重要な位置を占めることが重要です」(『季刊福祉労働』81 1998年12月25日号)との言葉を残しています。
障がい者は、日頃の生活で差別を受けたとしてもどこに相談したらいいのかもわからず、いつも困っています。都にも障がいを理由とした差別に対する相談の窓口はありますが、障がい者の多くは、そのような窓口があることすら知らず、また体制的にも内容的にも十分なものではありません。障がい者の差別をなくすためこのような窓口の充実を行います。
また、現在の多くの障がい者政策は、障がい者のことをわかっている風の有識者や障がい者を「お世話」する施設運営者などが決めてきたとの批判もあります。このことにより障がい者が本当に求めていることに対応してきたとはいえないとも言われています。
このような問題を解消するためにも、障がい者の関係する部署には必ず障がい者を責任者として配置します。また、障がい者としても障がいの種類によって必要なことや、思いも違ったりするので、あらゆる障がい者を政策決定の場に参加していただき、その数は必ず半数以上とします。
障がい児が普通学校に通うだけで、インクルーシブ教育を実現している!ということに表向きはなっていますが、実際には、普通学校の中で、特別支援学級と普通学級に分けられているのが現状です。これはまだまだ本当の「インクルーシブ」ではありません。心のバリアフリーを実現するために、最終的には、障がい者と健常者が分けられることなく一緒に学べるフルインクルーシブ教育を目指します。
また、障がい者の住んでいる地域や年齢による格差や断絶をなくして、どこでも、生涯にわたって安心して暮せる地域生活支援を行います。加えて個々のニーズや障がいにあった十分な介護を保障するために重度訪問介護の充実を国や自治体と連携してはかります。
↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑
※7つの重要政策の1番目、「重要政策01 だれもが働きやすく、くらしやすい希望のまち東京をつくります」の中で、以下の通り公約している。
※ただし、障害者福祉はそのページ内でさらに12個立てた項目の6番目であり、どの程度力を入れるのかはやや不透明な気もする(とはいえ、公約は詳細に書かれており、やっつけな感じは受けない)
※なお、7つの重要政策の5番目、「重要政策05 教育現場への押しつけをなくし、すべての子どもたちが生き生きと学べる学校をつくります。」の中にも、「障がいのある子どもたちの教育を受ける権利」について触れた項目が立っている。
http://utsunomiyakenji.com/policy/important01
↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓
障がいのある子どもを抱える学童保育室の人員体制を民間学童保育も含めて強化します。
知的障がいや精神疾患など様々な困難を抱えた路上生活者が地域で生活できるようにサポート体制を作ります。
日本政府が批准をした国連・障害者権利条約を実質的なものとするため、平成30年に施行された「東京都障害者への理解促進及び差別解消の推進に関する条例」をより一層充実させ障がいのある人とない人が共生できる東京をつくります。
東京都の障がいのある人にかかわる政策を策定する会議等には、障がいのある当事者が必ず参加するようにルール化します。
住宅・相談・介護支援・医療システムの整備を行い、家族に頼らなくても障がいのある人が安心して暮らせる東京のまちをつくります。
市区町村に対して財政補助を行います。重度障がい者の地域での自立生活や社会参加や見守りなど必要に応じたサービスが受けられるよう市区町村に財政援助を行います。
出前福祉制度を導入する~江東区兄弟餓死事件のような悲惨な事件をなくし、福祉の行きとどかない死角地帯をなくす。
「老老介護」も大きな課題ですが、高齢の親が障がいのある人を介護し続ける「老障介護」が、「老老介護」とならんでいま大きな問題になっています。高齢の家族に頼らなくても、障がいのある人が安心して暮らせるように在宅支援を拡充します。
障がいのある人が住むことができるバリアフリーの都営住宅建設を検討します。
視覚障がい者の転落防止のためのホームドアの設置、障がいのある人への差別のないバリアフリーのまちづくりをすすめます。
身近な地域に相談できる場と、その人にあった療育・教育を保障します
ADHDやLD、自閉症などの発達障がいなどの早期発見につとめながら、適切な支援が得られるように、身近な地域に相談できる専門機関を増やします。
障がいのある子どもたちが地域で普通に学べるような環境を充実させます。誰もが合理的配慮を受けて学べるよう教育の場を充実させます。
憲法25条の暮らしを実現するために、障がいのある人に、都独自の所得保障を拡充します
多くの障がいのある人たちは、きわめて低い所得水準を強いられ、生活保護や障害年金の基準引き下げによって、さらに貧困なくらしや家族への依存が強められています。生活保護基準の引き下げに反対し、障害年金の抜本的な改革を国に強く求めていきます。
障がいがあっても働ける仕事の確保に努めます。障害者就労支援施設への「優先発注」の促進策を具体化します。
大災害を想定し障がい者が安心して避難生活を送れるような体制をつくります
避難所をバリアフリー化し、障がい者が参加した避難訓練を実施します。
医療・介護の保障、視覚障がい者や聴覚障がい者のための情報コミュニケーション保障を行います。
東京都は独自に、病名や障害種別、障害者手帳の有無で福祉サービスの対象を判断せず、「その他の心身の機能の障害」(長引く病気など)が認められる者も、支給決定過程におけるアセスメントが受けられる仕組みを検討します。
↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑
http://utsunomiyakenji.com/policy/important04
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障がいのある子もない子も共に学べるフルインクルーシブ教育の推進・整備をすすめます。
学びの場における障がいを持つ子どもの、ハード面、ソフト面での支援体制の整備・充実をはかります。
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4つ立てた主要項目?の4番目「4.誰もが安心・安全で心やすらかに暮らせる東京へ」の中で、16項目中の以下3項目で関連する公約を掲げている。うち育児に関わる2件は、無難にまとめすぎていてどこまで力を入れるのか読み取りにくいものの、2項目あるので「取り敢えず書いただけ」という印象は受けない。
https://ono-taisuke.info/policy/
●手話言語条例を制定し、聴覚障害者の方とともに歩む東京都を実現します。また、障害者雇用の向上のため、分身ロボット等のテクノロジーを使った就労、超短時間労働制度などを公共事業から導入します。
●まだ多くの保育所で対応が困難な病児・病後児保育を拡充するため、対応施設を設置する民間事業者・基礎自治体にさらなる財政支援を行います。
●医療的ケアを必要とする障害児に対して、縦割りになっている保育・療育の垣根を超えて対応できる施設・事業者を増やし、そのための専門人材育成に努めます。