はてなキーワード: 祓いとは
はてな匿名ダイアリー、自分のメモとして使えるの便利だね
なんとなく誰かに見られているから文章をきちんと書こうとするし、でも匿名だから何でも書ける。
自分は30歳女。26歳の彼氏と同棲している。交際5年目。自分が子供を望んでいないことと、入籍に抵抗があるが生涯のパートナーとして共に生きようと話している。気持ち的には事実婚。
2022年の春から同棲をはじめた。同時に共通の貯金をはじめて、それが目標額に達したので去年犬を飼った。今は3人で暮らしている。
彼氏はまだ若いからそこまで将来のことを考えていないようだが、自分は老後のことを考えると鬱になる。金銭面の不安が大きい。
ということで、匿名性を利用して毎月の収支を記録していこうと思う。
貯金:13万
美容費:2万
現金:3.5万
クレカの使用金額を先月の副業の収入以内と決めて生活している。
1/1時点で
12月のカードで足が出たのが9586円、それを差し引いて76226円以内でカードを切るよう目標設定
ゲーム課金:3200
pkmn:1760
洋服:5000
雑貨:1607
現金の方は、3.5万の内訳で
食費:4400
交際費:5000
雑貨:3900
洋服:2500
ヘアメ:2000
その他:お祓い5000円
差額の500円は2月への持ち越しとする
カードも現金も二次元の趣味が高かったな。リアルイベントあったしな、しゃーなしってかんじ。
1/1時点で296884円
そこから犬関係の出費(今月は入院したので高かった)が71480円で残高は225404円
仏教もキリスト教もイスラム教もあわせて30分くらいしか生涯で勉強してなさそうで草
俺はホンマモンの無神論者なんだが。お前も無神論者にならないか?
無神論者になろう杏寿郎。
科学で説明できない現象はすべて信じていない。物理的に観測できない現象は信じない。
俺は神を信じていないし、神だけでなく幽霊や精霊も信じていないし、言霊もオーラも運命もあの世も地獄も何もかも信じていない。
だから俺は誰にもバレないことが確定しているなら祖父の墓に小便をひっかけることも躊躇わない(なかなか確定しないので、やったことはない)
俺は神社には行かないし、友達付き合いで行ったとしても手を合わせながら「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」みたいな不謹慎なことを考えてる。
家族づきあいで仏壇に手を合わせるときも「そそそそそそそ尊師~」って脳内で歌ってる。
お前もそろそろわかってきだろ?世の中の宗教ってのは全部、全て、例外なく、本質的に統一教会やオウム真理教と同じなんだよ。
そりゃ悪質さでオウムや統一教会に勝てる宗教はなかなか無いかもしれんが、程度が違うだけでどの宗教もやってることは同じなんだよ。
ちょっと考えてみてほしいんだが、オウムや統一教会みたいな悪質カルトを規制するとして、どこに線を引くんだ?
家庭崩壊するまで献金させる団体は規制すべきなのか?じゃあ崩壊一歩手前までなら良いのか?崩壊しないように加減して徴収すればいいのか?信者1万人のうち1人だけ加減を間違えて崩壊してしまったらその団体は規制すべきなのか?10人だったら?100人だったら?信者が完全に自分の意思で献金した結果として家庭が崩壊したらどうだ?本人の意思だったら規制されるべきなのか?本人の意思かどうかはどうやって決めるんだ?崩壊するかどうかに関わらず献金自体を規制すべきなのか?大体の宗教は喜捨を良い行いと捉えているが?信者との金のやり取りなしで成り立っている宗教団体はおそらく存在しないが?新興の宗教はすべて規制すべきなのか?伝統があったらいいのか?オウムみたいにテロを起こしたらダメなのか?じゃあイスラムも規制するべきなのか?キリスト教も規制したほうがいいのか?テロじゃないにしても統一教会みたいにひっそりと国を蝕むのはいいのか?蝕まない程度で国政に代表者を送るのは?国会議員に干渉せずに社会運動をするのは?社会運動なら良いとして、なんで国会に干渉するのはダメで社会運動はいいんだ?壺を売ったらダメなのか?じゃあおみくじはいいのか?神社がお祓いをするのはいいのか?お祓いは1回いくらまでだったらセーフなんだ?1万か?10万か?信者が不幸になるなら規制すべきなのか?イスラム教徒はそうでない人から見たら不幸に見えることもあるが規制するべきなのか?ヘッドギアを付けるのはダメか?なら滝行ならいいのか?断食は?
な、難しいだろ?
どこからNGでどこからOKというラインを決めるのは、無理じゃないかもしれないが、どうしても「どこかに線を引かなきゃいけないから無理やり決めて思い切って引いた感」が出るだろ?合理的にラインを決めるのは難しいよな?
なんで難しいか教えてやろうか?
あらゆる宗教は本質的に同じことをやっていて、あらゆる宗教は本質的に悪質なんだけど、その中でも特別に悪質度が高いのが統一教会やオウム真理教だったってだけなんだよ。
この世には悪質度が1しか無い近所のお寺から悪質度100のオウムや統一教会までが存在していて、1から100の間のどこにラインを引けばいいかは規制する側の好みの問題なんだよ。10で規制したがる奴もいれば90まで許す奴もいる。
あらゆる宗教は地続きになってるんだよ。
俺は別に近所の寺まで規制するべきだとは思わないし、仮に統一教会であっても宗教弾圧は絶対にするべきではないと思ってるが、それと同時に俺は絶対に宗教を信じないし神を信じないし霊や地獄のような超越的な存在を信じない。
神や霊や地獄やオーラのような本当は存在しないものを存在していると主張しているからだよ。
要するに嘘をついてるんだわ。
例えば、飲むとガンが治るとされる麻原尊師の血液を10万で売るのは悪質な霊感商法だけど、飲むとガンが治る抗がん剤を10万で売るのは善行だろ?
前者と後者の差は、嘘をついてるかついていないかでしかないんだよ。
献金や霊感商法はいくら金を積んでも効果が無いから問題なのであって、仮に本当に金額に見合った効果があるならなんの問題もないだろ?
効果がないものを効果があると主張したり、存在しないものを存在すると主張していたりするから問題になるんだよ。
統一協会を否定するためには、神や霊のような超越的存在や、オーラや波動や神通力のような超越的な現象の全てを例外なく否定しないといけないんだよ。
おみくじを買うことと、仏壇でご先祖様に近況を報告することと、墓にしょんべんをかけないことと、占いを信じることは、全て統一教会問題と地続きなんだよ。
悪質度が0.1しか無いおみくじだって1000枚買って10万払えば悪質度100の統一教会に10万献金したのと実質変わらないんだよ。程度が違うだけで悪質なのは変わらないんだよ。
だからお前がダブスタ抜きで悪質カルトを否定したいなら俺のような完全無神論者になるしかないんだわ。
俺は大学で実験物理学寄りの研究をやっていたことがあって、極めて微弱で繊細な物理現象を観測できる巨大な装置をいろいろ使ったこともあったけど、神や霊や神通力なんてのは物理的に観測できないし再現もできないんだわ。
神がいる、いない、みたいな青臭い議論を今更したくはないけど、どう考えたって神なんて居ないし超越的な現象なんて存在しないんですよ。
それでも超越的存在や現象を信じたいなら東海道新幹線火災事件のウィキペディア読んでみろよ。
新幹線内で焼身自殺した男の巻き添えで女性が死んでしまった事件な。
「巻き添えとなったとみられる乗客の横浜市青葉区在住の52歳女性が、1号車後方のデッキで倒れ死亡しているのが発見された。司法解剖の結果、女性の死因は気道熱傷による窒息死と判明した[7]。女性は、伊勢神宮へこれまでの平穏無事のお礼参りに向かっている最中だった」
かわいそすぎるだろ。
なんで尊師マーチを心のなかで歌いながらお伊勢参りした俺みたいなカスが元気ピンピンで、この女性のような人がこんなに酷い死に方をするんだよ。
教えはどうなってんだ教えは。
一応言っておくけど、俺は無神論者でありながらも宗教弾圧は絶対にされるべきではないと思っているし、市民を守るためのカルト規制も慎重にするべきだと思ってるんだよ。信仰を大切にしている人に心無い言葉をかけるようなこともあってはならない。
思想はどのようなものであれ絶対に弾圧してはいけないし、思想の一形態である信仰も弾圧してはいけない。
でも、公権力が宗教を弾圧してはいけないのと、俺やお前が無神論を貫くのは、両立するだろ?
賢いお前なら神や霊を信じることのばかばかしさを理解してくれるはずだ。
お前もわかってきただろ?伊勢神宮も、近所の寺も、家の仏壇も、土産屋のパワーストーンも、おみくじも、天皇の御稜威も、占いも、全部統一教会やオウム真理教と同じなんだよ。神なんて居ないし、その他の超越的な存在も居ない。超越的なパワーも存在しない。この世界は物質とその運動で出来ている。
やはりお前は無神論者になれ杏寿郎
女性は不安を感じやすいと言われているのが占いに惹かれる理由だとは思う。かといって男性が霊感商法のターゲットにならないわけではない。家族の病気とかで不安を抱えたときに占いやお祓いに関心が向く人は一定数いると思う。
有名な占い師はそれなりに高いけど、高い=悪ではない。「占い」を求めてきた客の不安につけこんで占い以外のもの(パワーストーンや祈祷・ヒーリング的なもの)を売りつけるのが悪辣だ。というか、勧誘を目的に宗教団体が運営している占いハウスなども存在する。
俺は占い好きな男だが、不安は感じにくいほうだ。占いで物事を解決しようとは思わないが、伝統的な占いの背景にある世界観には魅了されている。心理学で公式的に人間心理を理解しようとする試みに近いかもしれない。
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
こなつのお祓いで人がしんだとか、あまりにもひどい言われようじゃん。
http://korekichi.com/archives/15473570.html
https://www.balstokyo.com/5ch/konastu_enzai/
本文で解説したように「ZUKI」という絵師が新人の「こなつ」を気に入らず、「汗@SIN_CHIN_TAISHA」を利用してトレパク疑惑を吹っかけたというのが事の経緯となっています。