はてなキーワード: 不毛とは
この店は星いくつだの、この映画やゲームは何点だの人はやたらとその価値を数値で表現したがる。
私自身、星や点数をつけていた時期があった。最初は星で5段階評価、それじゃ大雑把すぎて点数の10段階になり、SABCとランク分けした上で10段階評価ををつける細分化まで行った。正しく分類分け出来ないだろうか試行錯誤していた。
ただ、人間日々変化するもので、1年前楽しんでいた、仮に90点付けた物が今も同じく90点をつけられるかと言われればそうではない。逆に楽しめなかった物が年齢を重ねる事によって見方が変わり楽しめるようになる事だってザラにある。
時間とコンテンツが増えればその分つけた点数や基準にブレが生じてくる。ブレたと認識する度に修正を要する。そんな事をしてまで点数というラベルを貼る行為に意味なんてあるのだろうか。
数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます。
今回の騒動では、そのインフルエンサーの普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています(過去の似たような炎上もそうでした)。
が、この問題の始まりは劇場側のスタッフの物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています。
①車いすユーザーに近い立場にいたこと 劇場スタッフの物言いが悪かったこと
持ってきた時点で関係者であった優位性と、劇場スタッフ側の問題性について傾けたい意図が感じられて正しく問題について考えられないと思われます
今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います。
別に誰であろうとよりよい環境やサービスがあればそれを受けてみたいと思うでしょう
それを料金以外で利用が可能とみてだれも適していないと明言をしていないからといって使用することとそれをSNSで流すことは問題行動であってそれを課題と見るかは関係者の裁量です
お金がないけどプレミアムシートでみたい、という人にお金がないけど見れるサービスを抽選などで行うというのも「課題」だとすれば課題として「生まれる」かもしれません
そらくほとんどが健常者の社員だと思います。当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からのリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。
よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。
車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。
そういう不利益があるから、障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。
ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。
一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。
③それ以外の問題
そういう問題やサービスの提供で補っているのだから通常必要がないとされているので通常の運営では提供していないのだと思います
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。
車椅子がノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。
「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)
昔バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオと懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。
でも安全のために仕方がないのです。
どう感じようと、自分がたった1件の車いすユーザーの関係者であった事をあげてきている以上、その1件をもってしてその関係者たる意見を支える骨子にしていますよね
あなたが自分の家族の非常時を「しかたない」ですませられるかもしれませんが、100人いればそれですまない人がそのうちに何人かいるわけです
この部分は先の運がどうのと、運にまかせてはいけないと混ざって全体の目的を不明瞭にしています
だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います。
そのためにすでに施策がとられて、そこに車いすが入ると想定されていないわけです
それを「あらたな課題」として「車いすを通したら(いや通さないで現状ある)」とすることで「なにをすべきか(今しなくてすむようになっている)」をわざわざする必要性に
「車いすだっていい席で見たい(車いす以外にもいい環境で映画をみたい人はいる)」をとりあげる意味がわかりません
車椅子の人があの位置で映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか?
そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフに負担をかけすぎずにそれができるか。
いろいろ考えることはできると思うんですよ。
⑦考える事のコスト
考えるだけならタダですけど車いすユーザーがそこまでして映画の席を整備してもらう必要性が、映画館のどこにあるのかを説明すべきでしょう
自分は年に一回しか映画にいけない、それだけの経済的余裕がないとする人が自分のために一年に一度だけだから特別に席を用意してほしいと願うなら、なにをしてあげられるでしょうか
特に必要性を感じませんが、その1個人についてのみ解決を必要とするとお考えならその人にチケットを誰かが渡すだけでよいはずです
映画館がたった一人のだれかについて、ほかの全体の映画視聴者をまきこんで対策をする必要性を感じるならそれを述べるべきです
たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場の設計だから諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます。
介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。
介助側にも休息は必要です。
障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。
社会のバリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。
街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います(100%無介助とまでは言いません)。
その実情が、車いすユーザー自体の改善努力や我慢が映画の状況を左右するのかどうかということです
SNSで話題になってそうしないと社会的な批判を受けて株価の低迷や売り上げの低下につながりとなった場合対策をせざるを得ないという状況にはなります
それこそが暴力ではないですか?
ユーザーが多くてそうしてほしい声が多いならその声をもってして改善の必要性を掲げるべきではないですか?
今回のようにインフルエンサーの過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。
SNSの拡散による社会的不利な立場へ批評をあつめるような行動で、経済的活動に存在を与えんとした行動をもってして問題なので不毛でもなんでもなく、そこが原因だと思います
声をあげた最初の行動が、不利益をちらつかせて改善を提案するという情報の流布から問題提起をする事と、それによる注目度という活動自体の目的と利益がある事自体が問題です
障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。
今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分が障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。
最近LGBTだのなんだのと話題になってるけど、個人的にどうでもいいじゃんってなるんだよな。
推進派は非科学的なイデオロギーを撒き散らすだけだし、反対派は身体面での医療面しか見てねーし、目くそ鼻くそ。
くだらねーな。
しかもレスバをやってる奴らの年齢層を見てみたらだいたい、推進派が30〜40代、反対派が40後半から50、60代ばっかだぜ?
こんなんばかりが意見を出して法整備ダー、人権ガー、子供ガーとか言ってんの……もう日本は終わりだわ。
その中にLGBT当事者とか居るワケだけど、だいたいデカい声出してるの男ばっかじゃん。
ときたま女居るけど、どっち側にしろそのコミュニティに属してる名誉男だろ、くだんね。
どちらにも溢れている俺にはどちら側に付いてもメリット無いんだわ。
だってアイツらが掲げる【ホントーに困っている当事者】はガン無視なんだもんよ。
LGBT推進派は、各々の性自認が最優先って言って身体面でのリスクを度外視するよな?
何言ってんだって、ホルモン剤の使用や性別移行手術が身体に良いワケないし、簡単に戻れるワケねーだろ。つか戻れねぇよ。
じゃあLGBT反対派の意見は正しいか?っつったらそうでもねぇよ。
アイツらはホルモン剤や手術の前にカウンセリングとか勧めるけど、現実的じゃない。
カウンセリング料って保険きかねぇんだから、高くてとてもじゃねーが継続的に通えねーよ。
性自認が揺らいでいる時期はずっと通うのか?
無理だろ。特にガキはよ。
推進派はメンタルしか見てない、反対派は身体面のリスクしか考えてない。
もうこれ議論にならねぇよ、アホくさ。
視点違いすぎ。
推進派の言う通りにしていたら問題解決するのか?って言われたらそうでもないし、絶対に将来的に健康面で影響ある。
反対派の言う通りにしていたら問題にはならねぇの?それも無理筋だろ。だってアイツら身体の健康面しか見てねぇもん、それだとメンタル拗らせて最終的には社会不適合者まっしぐらだろ。
そう言う奴良く見るしな。
どっちも極端なんだよ。
いかに自分達の資材を確保するかがLGBT論争の影に隠れてる感じする。
この資材ってのは言い方悪いが女子供の事な。
推進派は女子供にLGBTは多様性だ、認めない奴は差別主義者だ!
反対派は男を女スペースに入れるな!女スペースを守れ、子供にホルモン剤?とんでもない!
ただし性転換手術済は女スペースOK。
一般女「……え?」
…………もうなにも言えねぇ。
聞いたとしても、どっちも名誉男の女ばかりのだろ。
バカらし。
例えば推進派はGにも子供を持つ権利がある!だから代理母認めるべきとか言うじゃん?
ガキ欲しいならLGBTコミュニティの身体女に頼めば良いだろ、なんで一般人まで巻き込む?
なら反対派はって言うと産めない奴がなんでか、少子化が〜、子供産まないと日本滅びる〜とか言うんだよ。
これを30代からもうほとんどガキ産む機会が無い60代の奴や元々産めない性別の奴らが日々レスバしてんの。
現在を生きる20代とかの一般女の意見なんか聞かねぇの、不毛すぎだろ。
政府がやってる少子化対策とかもそうだけど、どいつも産む女の事考えてねーわ。
資材くらいにしか思ってないし、女の意見も鬱陶しい!なんだよな。
黙って子供産め。
これで資材じゃないならなんなん?
ちと話が逸れたが、LGBTとそれに絡んで来る話ってとにかく他人の女や子供の意見を空気化するんだよ。
無い事にしたあげく、双方の発言のケツをふかされるのは他人の女子供じゃん。
意味ねーよ。
この論争に参加するメリットってなんだ?
推進派にしろ反対派にしろ自分に都合良い事しか話さねぇんだからメリットなんてねぇよ。
推進派は身体に害がある事しかしねぇし、反対派は精神的に害がある事しか言わねぇ。
互いの主張から溢れていく人間達のアフターケアを一切考えてないんだよ。
良く見る話だと子供にジェンダー肯定医療はやるべきじゃないって意見あるけど、じゃあ性違和で苦しむ子供どーすんの?
思春期はジェンダーなんて決まらないものって放置するけど、それを拗らせたのが今のLGBT推進派だろ。
利権でやってる奴だけとか言うが、たまにガチもんな奴居るじゃん?
子供が抱く不安とか反抗期とかキチンと解消してやらねーとあぁなるじゃん。
スクールカウンセリングを受けさせろって言うが、この間、スクールカウンセラー足りませんってどっかの団体が声明出してなかったっけ?
じゃあ反対派の意見を通すか?それって女が大嫌いな家父長制だろ……ますます今の女が議論に参加なんかしないし、参加してるのは家父長制の中で生きて来た名誉男の女だけだろ。
……うん、くだらねー、参加する価値無し。
双方から大ブーイングを喰らったキ〇シーの方がまだ中立に見えるぞ。
俺はこれからどれだけ犠牲が出ようとLGBT関連は見てるだけにする。
特に意見とか言わないし、推進派反対派共に距離を置く。めんどくせぇもんアイツら。
ごちゃっとしたが、10代20代の女子供はこの先の身の振り方考えた方が良いぞ。
LGBTがどちらの方向に進むにしても、ソイツらのやらかしのケツを拭くのはまったく関係無いお前らになる。
これだけは確実に言える。
これだけ残して、俺はログアウトするわ。
なんかこれ読んでしみじみ思ったけど、結婚に恋愛を持ち込まないほうがいい。
うちの亡くなった祖父母は半世紀以上ケンカ一つなくやってたが、それは男女と言うよりビジネスパートナーだったからだと思う。
つかずはなれずの適切な距離を維持するための人類の叡智が「礼儀作法」である。
夫婦に限らず人付き合い全般に言える。知能も経済力も違う赤の他人と、下手に密着したり敵対せずに済ませるストラテジーこそはたっぷり慇懃に振る舞うことである。また無礼な人間の接近を許さないことである。
数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます。
今回の騒動では、そのインフルエンサーの普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています(過去の似たような炎上もそうでした)。
が、この問題の始まりは劇場側のスタッフの物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています。
今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います。
おそらくほとんどが健常者の社員だと思います。当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からのリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。
よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。
車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。
そういう不利益があるから、障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。
ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。
一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。
車椅子がノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。
「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)
昔バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオと懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。
でも安全のために仕方がないのです。
だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います。
車椅子の人があの位置で映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか?
そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフに負担をかけすぎずにそれができるか。
いろいろ考えることはできると思うんですよ。
たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場の設計だから諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます。
介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。
介助側にも休息は必要です。
障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。
社会のバリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。
街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います(100%無介助とまでは言いません)。
今回のようにインフルエンサーの過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。
障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。
今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分が障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。
「誰も仕事を失わない社会」を目指すならAIなんて封印して働き口を最大限に確保すべきだ。
「誰も働かなくていい社会」を目指すならAIに全ての仕事を任せて悠々自適に暮らすべきだ。
それなのになぜ延々と不毛な争いを続けているのか。
艦これ全盛期に相互フォローになって、それなりにやりとりもし、コミケの後のオフ会であったこともある絵師をブロックした。
元々、異様に「自分に関する」権利意識が高い人だった。まとめサイトに転載されるのはともかく、棘にまとめられてもキレるし、引用リプされてもキレるし、自分の思うような様式に沿ってない感想を貰ってもキレる人だった。
一方、他人の権利に対しての意識は極めて低く、アニメの切り抜きやスクショを普通に投稿していたし、他人へのリプライに漫画のスクショを多用するような人でもあった。他人のFAの三次創作のようなことも平気でやっていたような人でもある。
最近、彼の中では反AI熱が高まっていたようで、常々批判的な発言をしていた。しかし、それが段々とエスカレートしていき、最近は利用者や開発者は勿論、消費者に対しても激しい憎悪を抱き、犯罪者と断定し、「◯したい」と四六時中ポストするまでに至った。
それでいて、相変わらずアニメの切り抜きやスクショを投稿するし、漫画のコマをLINEのスタンプのように多用するような、他人の権利への意識の低さはそのままであり、やっていることと言っていることの乖離がひどくなっていた。
さすがに目に余った私が「AI利用者を犯罪者と呼んでいるが、あなたのアニメの切り抜きの投稿や、漫画のコマの使い方は権利者の権利を侵害している」って指摘したら「私には権利者を尊敬し尊重する意識がある。AI犯罪者とは違う。あなたは犯罪者の肩を持つのか」とキレてきた。
その後、一昼夜不毛なレスバトルをした結果、「お前はAIを肯定するクズだ!犯罪者だ!次あったら◯してやる!」との発言を引き出したところで、魚拓を取った上でブロックして、彼との関係は終わった。
私は基本的に、技術の進歩は止められないし、止めるべきでないし、それが既得権益とぶつかる場合は、議論で落とし所を探るべきだと思っている。しかし、絵師や彼らを取り巻く人達は、特に画像を生成するAIに関しては技術の破棄以外の選択や思想を他人が持つことも認めない。議論することは彼らにとっては恥辱であり敗北であり、暴力的な手段による完全排除以外の思考がない。
なんか疲れてしまった。
ヒトラーのユダヤ人説の漫画なんて今持ち上げたら荒唐無稽な陰謀論として学者らから叩かれまくって潰されても文句言えない感じなのに、現実では潰されることなく海外でも翻訳されてフランスの大手新聞社が日本の20大漫画の一つに選ぶほど傑作であると国際的評価が固まってる。
ユダヤ人の迫害を描いといて最後にそのユダヤ人がパレスチナで虐殺を行い、ナチスの若者がアラブ人ゲリラに参加して独立のために戦うという逆転現象が戦争の不毛さを描いていて素晴らしいし、今にめちゃくちゃ通じる物語。
エルサレムで一緒に過ごしたイスラエル人とパレスチナ人がフェンスで分断されて虐殺者とテロリストとして銃を突きつけ合うって現在進行系で起きてるんだろうな
[B! 食] 上タンばかり頼んでなにが悪い? 暗黙の了解があるというなら見せてみろ - 関内関外日記
このエントリーに対して「暗黙の了解を守れ」と繰り返すだけのブコメやそれにスターをつける人たちちょっと酷すぎませんか?
goldheadさんは明瞭に書いている。
繰り返すが、「了解」なんてないんだ。心優しく店のことを考えて「3人前」だと思っていたとしても、店としては「1人前も出したくない」と考えているかもしれない。10だと思って5か、5と思って3か。わかりゃしないんだ、そんなもの。暗黙の不毛さで、ただただ言葉に発せられない憎悪と嫌悪が広まっていく。
「空気を読め」とはそういうことだ。むろん、空気が読めなければ生きにくい。読めて当然の空気だろ、という状況もある。が、これは焼肉屋の食べ放題の話である。「食べ放題」なのだから、好きなものを好きなだけ注文するのが当たり前だ。何度も言うが、それが「当たり前ではない」という人は、同じ意見の側の人たちをも納得させられる数字を出さなければ説得力がない。たしかに「50人前」は過度に見える。見えるが、40はどうだ? 30はどうだ? 10なのか? 5なのか? 空気を読めというばかりで、自分は暗黙の了解がわかっているという顔をするだけで、基準一つ出せないのはどういうことか。単に他人を見下したい、良識派ぶりたいというだけではないのか。
そうやって、「自分はわかっている」という顔をして、「空気」を読むことを人に課して、その実、自分の中身は空っぽだ。あるのは原始的な反感だ。それも、世間や他人の顔色を伺うだけで、「食べ放題で上タンは◯人前だけ頼むべきである」という基準も出せない。
そんなものが世の中の空気であって、だれが幸福になるのか。店は上タンを食べ放題で食べられるのが嫌だったら、上限を定めるなり、食べ放題メニューから外すなりすればいい。それを明文化すればいい。そこになんの問題がある。それで世の中の風通しがよくなる。クリアになる。世界から憎悪や嫌悪の量が減る。違うか?
とまで書いてくれている。
そこから逃げて正面から回答しないのは不誠実だし現在トップコメの「品がない」に至っては対話を放棄した人格攻撃じゃないでしょうか。
ちらほらある「ルール内なら何をしても良いと言うのか!」というコメントも曲解がすぎる。
じつは個人的にはgoldheadさんの主張に全面同意ではない。
最初「50人前も頼むなんて常識的に考えなよ…」と思っていた側だ。
でもこれを読んでハッとさせられた。
たしかに何人前までならOKなのか私は答えられないし、そういう「常識」「暗黙の了解」を私たちは別の場面で「空気」「同調圧力」という言葉で批判しているのではなかったか。
私は考え込んで黙るしかなかった。
いま言えるのは牛タン食べたいということだけです。