はてなキーワード: バストとは
少なくとも乗用車としてのFCVには全く未来がない。以下は7年前の増田に2年前の追記をしたものだが、ほぼこの予言通りになった。もう業界でFCV乗用車に将来性があると思っている人間はいない。事実上の敗戦処理をしている状態だ。
https://anond.hatelabo.jp/20150504101626
「FCVはバストラック分野ではバッテリ重量が爆増するEVと比べてコスト優位」という予測もあったが、これもテスラのSemi(EVトレーラーヘッド)投入によって覆されつつある。Semiの500kmバージョンの15万ドルという価格は、日本国内のディーゼルトレーラーヘッドの新車価格(1600〜2100万円)と大差ない。さらにLCA(ライフサイクルアセスメント)で見ると今のディーゼル車トレーラーヘッドよりも3000万円近く安くなるという、驚愕のコスパを実現している。
https://blog.evsmart.net/ev-news/2022-tesla-semi-update/
俺が増田で前から繰り返し言っているけど、なかなか理解してもらえないのが、今後EVは「環境にいいから売れる」わけではない、ということだ。EVは今後数年以内に「CVよりも安いから売れる」ようになるのだ。中国の宏光MINI EVもいよいよ日本発売が決まったが、当然爆売れするだろう。https://togetter.com/li/1963736
Semiもこれと同じ理由で物流分野でのシェアを大きく伸ばすだろう。契約企業は、Semiの環境負荷がいいから、イメージが良くなるから、切り替えるわけではない(お題目としては大々的にアピールするだろうが)。不断のコスト圧力にさらされる物流業界に貴重なコスト減の機会を与えてくれるから売れるのだ。EVという技術システムの本質的なシンプルさが、それをもたらしている。
一方、FCVという技術システムはEVに燃料電池とタンクをくっつけた複雑な機構で、今のディーゼル車よりコストを下げられるような技術的アドバンテージがどこにもない。今の化石燃料よりも高い燃料を、今の液体燃料タンクよりも高い高圧気密タンクに詰め込んで、それを車内で高額な燃料電池に突っ込んで電力に変えて、それでEVと同じモーター(eアクスル)を廻して走る。高くつくに決まっている。
バスが急坂でブレーキが効かなくなって横転事故を起こした件で、個人でバスを所有する変態さんが検証動画を出しているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1959853
前提の知識が全然共有されてないのが気になった。なので説明を書く事にするよ。
まず元記事のバス個人所有氏は2速で下ってるんだが、バスやトラックというのは2速で発進する。1速は急勾配での坂道発進とかの緊急用で普通は使わないのだ。
乗用車のオートマだと「PRND21」とレンジが分かれていて、2、1レンジではギアが固定される。峠の下りでは2速で下ると思う。1速に入れるって事は余り無いと思われる。その1速に入れてると思ってくれていい。普段じゃそんな運転する機会はないと思う。
動画では2速で下って回転数がレッドーゾーンに入って警報が鳴っているが、これはデモンストレーションでやっている事で、普通のバストラックではこういう運転はしない。
バストラックは大体100万キロ走って廃車になるのだが、そのディーゼルエンジンも精々オーバーホール一回程度でその距離を走り切る。乗用車と比べると非常に頑丈なエンジンなのだ。
だが頑丈に作ってあるために作動部が重い。その為にオーバーレブ(回転数数オーバー)に大変弱いのだ。ガソリン乗用車のつもりでシフトアップを引っ張る走り方をしていると壊れてしまうのだな。
だから彼の道路での実際の走り方は3速でリターダー動作(後述)か2速でオーバーレブしない速度って事になる。
アクセルもブレーキも踏まず、エンジンブレーキだけで抑速する。また、バストラには排気ブレーキとリターダーというエンブレの強力版が付いており、そのスイッチがハンドル左手にある。車種によるがウインカーレバーを向こうに押すタイプと、ウインカーと別に短いレバーが生えているのがある。動画でカチカチ言ってるやつだ。
これのスイッチを入れたり切ったりして速度を調節する。
ヘアピンではぐっと速度を落とす必要があるのでそこだけで足ブレーキを踏む。ブレーキ「ずっと踏みっぱなし」は絶対にNGだ。というかそんな運転するのはちょっと考えられない。
ブレーキを踏みっぱなしにして加熱させるとブレーキが効かなくなるが、その原因は2つある。
ブレーキライニング(押し付けられる摩擦材)が熱で滑りやすくなる事。「段々効かなくなる」のが特徴。
フェードが起きると独特の匂いがする。東武東上線とか伊勢崎線の古い電車で駅に着いた時に床下とホームの隙間から香ばしい匂いががした事ないだろうか?実はこれがフェードの匂いなんですな。MT車でクラッチを滑らした時とかも同じ匂いがするよ。
電車のブレーキはどれも同じ構造なのに東武の旧型車だけがあの匂いするんですな、不思議である。
あの匂いがしても東武電車は普通に走れるが、車だともうダメ。冷えると効きは幾分戻るがシューが変質してしまっているので交換か灼けた表面を削らないと効きは元に戻らない。
ブレーキ油が沸騰して水泡が出来る事。「突然、全く効かなくなる」という恐ろしい特徴がある。
ブレーキペダルの踏力の伝達には分子量の高いアルコールなどの液体を使っている。液体は圧縮できないからそのまま力が伝わるが、これが沸騰して水泡が出来てしまうと体積が千倍にもなり、また気体は圧縮できるから踏力が気体の圧縮に使われてブレーキを押す力にならない。
この両者は相反するものじゃなくて連続して起こる事もある。フェードが起きるとブレーキが効きにくくなるのでより強く踏まないとならない。そうすると発生する熱量が増えてそれでヴェーパーロックが起きてしまう。
で、増田の見立てだとこの事故の原因はヴェーパーロックだ。その理由には更にバスの構造を知ってもらう必要がある。
バスのサイドブレーキは、乗用車のように手でギギギと絞り上げるようなものではなくて、運転席の小さいレバーを倒すと全力で掛かるようになっている。
元々、バストラもハンドル式だったが、掛かる場所が違った。サイドブレーキはミッションについていたのだ。
昔のバスが終点に着くと、「ユッサユッサ」と揺れていたのを覚えているだろうか?これは車輪ではなくてミッション軸にサイドブレーキが掛かっていたからで、そこと車輪の間にあるシャフトやデファレンシャルギアの隙間、自在ジョイントのたわみのせいでユッサユッサしてたのだ。
だがこれはジャッキアップすた時などにデファレンシャルギアのせいでサイドブレーキが掛かっていない状態になり危ない。また急勾配で確実に止まっていられる事が車両法で定めらると、手で絞り上げる式では確実性と力が足りない。
なので、ブレーキのバネを普段は高圧空気で抑えておき、空気を抜くと強力なバネが全力でブレーキシューを押し付けるという方式に変更された。
画像を見たら一目瞭然だが、https://www.tbk-jp.com/products/brake_01.php
さて、変態バス氏の動画を見返して欲しいが、4:40頃から事故車両のブレーキ痕が続いている。
これはサイドブレーキが作用して後タイヤがロックしたって事である。
サイドと足ブレーキはシューが共用だ。もしフェードが原因だったらロックできないのではないか?
だとすると消去法でヴェーパーロックという事になる。
バスのブレーキ構造は、前がディスク、後ろがドラムというのが一般的だ。
見てもらうと一目瞭然だが、google:image:バスドラムブレーキ バスディスクブレーキ
ドラムというのは熱がこもりやすいがシューの摺動部とピストンの距離がある上に接触部が狭いところがあるので熱が伝わりにくく、ヴェーパーロックは起こりにい。
一方、ディスク式は摺動部とピストンが近い上に接触面積も大きいので熱が伝わりやすい。故にこっちの方がヴェーパーロックはし易いのだ。
だから後輪ドラムのフェードは大したことが無く、故にサイドブレーキは効いたが前輪のヴェーパーロックが来て全く減速できなくなったと考えるものである。
サイドブレーキが効いても減速できなかった理由は、一つは荷重の問題。下りでは車体がつんのめっているから荷重は前に移動する。だから後輪はロックしてスリップするがグリップ力が足りず減速できない。
この荷重移動を利用したのがドリフト走行なのね。ブレーキで前に荷重が移動している時にハンドルを切ると普段より舵が効く。前輪を中心に車がスピンしようとするからそこでサイドブレーキを引くと後輪が滑りだすってわけだね。
もう一つはホイールパークブレーキのせい。レバー倒すと後輪に全力でブレーキが掛かるので走行中ならいきなりロックする。スリップ状態はタイヤの摩擦力が低くなるから減速力が足りないって事になる。
よく出てくる排気ブレーキとは何かだが、エンジンブレーキを強力にする仕組みだ。
エンジンは2回転する間にピストンが2往復して1サイクルとなるが、爆発(燃焼)工程の前に空気を圧縮せねばならない。ディーゼルでは断熱圧縮で熱くなった所に経由を噴霧して燃焼させる。この圧縮には力が居るのでエネルギーロスだ。
圧縮の後に燃焼がなければロスだけが存在する事になる。エンブレはこの圧縮のロスを抑速に使っている。
排気ブレーキはここで更に排気管を塞いでしまうのだ。エンジンは圧縮ロスで虐められているのに更にペッと吐き出した息まで塞がれてしまう。とんだ意地悪だ。苦しいようやってられないよう、って事で更に速度が落ちてしまう。
排気ブレーキの作動中は「ドドドド」とエンジン音が野太くなって、解除時には「プシュ!」というのが特徴だ。
リターダーにはオイル式などもあって、これはオイルの抵抗でエネルギーロスをさせようというもの。木の板でかき混ぜる草津温泉の湯もみは水の抵抗があって結構大変、汗が出ちゃう。これと同じ仕組みだから湯もみブレーキと覚えてもらって差支えない。
でも日本のバスで一般的なのは、圧縮解放式ってやつで、これはエンブレの超々強力版である。
エンブレは圧縮ロスを利用するものだが、ピストンで圧縮された空気はその後どうなる?燃料が無くて燃焼されなくても、圧縮された空気はバネみたいにピストンを押し戻すのだ。
そこで圧縮解放式では意地悪して圧縮しきったところで排気バルブをちょっと開いてしまうのだ。すると圧縮空気は逃げてしまう。
更にまたすぐに閉じてしまう。すると今度は1気圧の所からピストンを引いていく事になるので真空ポンプの負荷が出来る。これで超強力なエンブレが出来るという訳だ。
新宿区の牛込柳町の交差点は急坂の底にあり、自転車で通る時に坂の上から一気に下りその勢いで向こう側の坂を上りたくなる。が、この交差点には信号があるのでそれをさせず停止状態からエッチラオッチラ上る羽目になる。
故に圧縮解放リターダーは柳町信号ブレーキと覚えてもらって差支えない。
圧縮開放式は空気が圧縮されたところでバルブを開くので動作中は「ンババババ」と結構派手な音がする。
因みにVTECみたいな可変複数カムによって実現されている。バストラもハイテクなのだ。
ある。
ブレーキ液には高分子アルコールを使うが、これは水を吸う。すると沸点が下がる。ブレーキは水が掛かる足回りにあって、そのピストンにはゴムのパッキンで水を防ぎ、ブレーキ液が漏出するのを防いでいる。
しかし窓をカッパギで拭いた時、水は残らないがなんかしっとりしているよね?あれが蓄積して水を吸い、200度以上ある沸点が150度くらいまで下がってしまう。この為に車検の度にブレーキ液は交換するのである。
因みにレースではもっと沸点が高いシリコン系が使われるが、これは親水性が無いので混入した水が水のままで存在してしまう。するとピストンが100度になると容易に沸騰してヴェーパーロックを起こし危険である。だから公道での使用は禁止されている。レースカーはレースごと、雨が降ったら走行ごとにブレーキ液を入れ換える。ブレーキ液にアルコール系を使うのはこのせいだ。
だからもしも車検(1年)ごとにブレーキ液を交換していなかったら沸点が下がりヴェーパーロックはし易くなる。この辺は国交省の調査を待つしか無いと思う。
また、少しではあるが、高山に上がって気圧が下がると沸点も下がる。
最後になるが、大型2種免許は他の免許取得後3年経たないと受験資格が無い。プロ中のプロのドライバーで、フェードしたりヴェーパーロックさせたりする運転というのはちょっと考えにくいんだよね。急坂であれば排気やリターダーのオンオフだけで慎重に下り足ブレーキには頼らないものなのだ。だから増田もちょっと腑に落ちない事故なのだ。
なら少女マンガの主人公はオッサンでいいのか、って話になってくる
読者の少女は、マンガの主人公の少女に自分を重ね合わせて感情移入するし
彼女の陥った危機や喜びを共有して、モラルを学んで、一緒に成長できるんじゃん
エロ漫画を愛好する男は好んで、女性が脱ぐエロ漫画を求めるだろう?
フィクションと現実が切断されていたら、性別はランダムになるはず
一般のミソジニー男性は「この性格なら巨乳じゃないだろ」と偏見にタカをくくって女性に迷惑かける
実際に会ったときに「巨乳だと思ってなかった」とビックリ、したりするのさ
「『性格にふさわしいバストサイズ』観念をフィクションには抱くが現実には持たない」
そんな高度に特殊な切り分けを、私や貴方が、会得するのは可能だろうけど
一般の人々には到底期待できないって事だよ
生まれつきのバストサイズで性格は決まらないけど、その前提で考えても
太ってると巨乳になる体質の人もいるし
太ってる巨乳なら大雑把な性格とか連想できる(美味しそうなものがあったら、まあいいかと思って食べてしまう)から無関係でもないと思うワイであった。
イタリアに行った時にそんな目でよくよく通行人の女性を見ていると結構ペチャパイの女性多いんですよ
北欧の身長180 CM 以上の大きな女性でも誰しもテレビやネットに出てくるようなボインの女性ばかりではありません
嘘だと思うのでしたら現地の路上に立って行き交う女性のバストばかりおったらいかがですか
間違いなく大きいのはヒップの大きさです
巨大過ぎ 体格もいいですが
公式に物申すのは腰が引けるけど… カップ数表記はいささか度が過ぎるんじゃないか。
女子校、女子大、女性だけの職場と、今まで実在する男性にほとんど触れてこなかった。
それでも、趣味で研究対象としてる(とも言える)ので一家言あるつもりだったけど。
私は両方あっていいと思う。欧米とは異なる多様性のあり方が、日本にはあると思うから。
キャラクター設定にカップ数を記載しちゃうマンガも、書いたりしないマンガも、どちらもあっていい。
だけど男性オタクたちが、どうしてあんなにカップ数を書かせたがったのかは最後まで解らなかったんだ。
彼にも聞いてみたけれど、肩をすくめるばかりだった。女兄弟に囲まれて育って、同性の友達がほとんどいなくて、流れ流れて女まみれの職場にたどり着いた彼に、男らしい考え方を聞いてもマシな応えが帰ってきた試しがない(笑。
いくつか仮説はある。
一つ。アンチフェミニストとミソジニー、および腐女子を毛嫌いしてる人々の阿吽の呼吸による連携。
ネットには昔からこういう人たちがいるし。増田でも多いので、これが一番可能性が高いと思うんだけど、面白くないから省略するね。
二つめ。女子のカップ数を書くという行為を、あえてすること。しかも男性皆んなで肯定することに何らかの快感を得ていたんじゃないか。バストサイズを書かせるべく躍起になったのは、仕事を終えて一休みして後は静かに眠るだけの彼らにとって、男だけの連帯感情、見えない絆を確認できる貴重なチャンスだった。かも知れない。
三つめ。性的でプライベートな情報であるカップ数を、公然と表記させることで支配欲が満たせる。コメントの人たちは会社でセクハラしたり、電車で痴漢したりは決してしないけど、しかしそれでも男性である以上、支配欲は持ち合わせてる。だけど、ケアしてくれる誰かはいない。抑えているつもりでもキミの密かな欲望は、ずっと出口を探してたんだ。
女と話していて思うのは、やっぱりバストに女性的な魅力を感じている節はあって、いわゆる「自分磨き」の一環として胸へのコンプレックスはあるっぽい。
ただそれは「痩せたい」「二重瞼になりたい」と同等の願いであって、加齢や環境の変化等であまり容姿を気にしないステージになってくると比較的どうでもよくなるようだ。
一方で特に男性向けの作品だと「胸がない=女性として価値がない」レベルの描かれ方をされる場合もあるので、その辺に対して「あれは妄想で作り上げたコンプレックスだ」と感じてしまうのも分からなくはない。
バストサイズへのコンプレックスは男性オタクの妄想だ、という意見を見た。
ある女性Vtuberが、おっぱい大きく人羨ましい… と言ってたのを知ってる俺は、困惑している。
先日の腐女子増田も、女子キャラのカップ数を明記するのは、ルッキズムを加速させる懸念があるとしていたと思う。
それってつまり、女子たちの中には友だちの巨乳を羨んだりする蔑んだりする傾向が、おっぱいコンプレックスがあるって事だよね?
しかし乳房が小さかろうと、大きかろうと現代では何の違いもないでしょう。
授乳量が足らなければ赤ちゃんミルクを買ってくればいい。実際のところ困るのはアスリートが記録出したい時だけだと思う。…そう考えると、おっぱいコンプレックスの実在するかは怪しい。
件の増田のコバンザメの増田は、その貧乳弄りが存在する事自体がアニメや漫画のせいで、ゾーニングとかではなく無くなるべき=規制すべきだと考えてるんだよ
まあ事実、自分は気にしてないから~で済む問題でもない、気にしてる人がぽつぽついるだけでアウトよ
その上で自分は規制するべきという声にはまったく同意できないし影響を受ける奴をどうにかすべきだと思いつつも、かといって女子高生のフリしてまでバストサイズを擁護するやり方も首肯しがたい
論理的に考えて、カップ数設定に意味があるならカップ数表記にも意味がある。
よし。
女性キャラクターを設定するときに、遅かれ早かれプロポーションを決める事になる。
果たしてバストサイズはどのくらいにするか。Bカップにするか、Cカップにするか。
というのも、「読者から見た」キャラ性がバストサイズで変わってくるからだ。
髪型・目付き・背の高さ、などの他のパラメータとも連動するので、一概には言えないが。
バストサイズが大きいほど包容力・自信・迫力、などが増して見える傾向にある。
モチロン、実は引っ込み思案だったり、わがままだったりするキャラもいるけど、その場合はギャップを狙ってそのように設定するのさ。
マンガのようなエンターテイメントは、現実世界に属する読者のステロタイプを利用して情報伝達を効率化する。
母親のような優しさをもつ安心感のある女性、というのを違和感のない文章で伝えるのは難しい。ストーリーを通じて小出しにするしかない。しかし、マンガでは垂れ目で胸元を隠した巨乳にすれば一コマで完了だ。
最近話題になったんだがディズニーの映画で、アニメでは白人だったお姫様を黒人のキャストに変えた事件があった。
これが炎上したのは、多くの観客にとって、黒人か/白人か、はキャラクターのアイデンティティに関わる重大な設定だという証拠だ。黒人か白人かはプラガブル(取り替え可能)な属性ではない。それらを入れ替えるとキャラに抱く印象が変わってしまうのだ。
この事実は、世界中の数多のフツウの視聴者の心の中に、普遍的に、差別的偏見が存在してることを意味する。
フィクションメーカーのフロントランナーであるディズニーは、もちろん現実を把握している。その上で敢えて、挑戦したんだろう。映画作りを通して、差別的偏見はただの偏見に過ぎず、実際は黒人の白人も何も変わらない同じ人間だよ、と教えたいのだ。