はてなキーワード: セックスシンボルとは
はい、私です。マァムで目覚めました
まず最初の布の服スタイル。丈の長い服にブルマ?パンツ?いきなり痴女ですわ!オッパイもあるし
ロモス王のクソ支援で僧侶服になったが、実質ミニスカ。あの国反映するね。もしかするとマァムが痴女なのかもしれない
ザボエラ擬態マァムもクソエロいが、当の本人はパーティー離脱。レオナ姫とメルルという誰得が追加。お前ら高貴さと清楚さで頑張ってもエロさ出ないんだよ!
で、武術大会でマァム復活!エロチャイナ!もうブルマも見せまくり!恥じらいも無い。更にロン・ベルクの支援で無理やりチャイナ排除!もうデフォでパンツモロ見せ。最高!そこにミストバーン取り付いて褐色&吊り目!ティッシュ足りません!
一応フローラ様を含めた他メンバーも破邪の洞窟や、ゴメちゃん経由で乳見せもやったがマァムには勝てない。最終回までマァムは自分のセックスシンボルだった。あんなに好きだったポップもマァムとメルルと一緒に旅する結末で一気に嫌いになった
子供にエロい格好した巨乳で尻もデカい女とか駄目でしょ。一瞬で勃つわ。マァムの同人誌も出ているけど、やっぱ稲田浩司絵が最高。アニメやゲームでは大幅に規制されるだろうが、原作は変わらないのでこれからも自分は楽しんでいくわ。むしろ規制されてしょうもないので性を目覚める今の子供が不憫だわ
“世界を博愛と寛容で包むラブのマインドを伝播するライブ”のように俺は捉えている。
世間的な感覚では、ラブ=セックス、と捉えて「ラブライブ」の単語をいかがわしい響きと感じがちなのはよく分かる。
もし「ライブする少女たちはセックスシンボルではないか」と問われれば、「その側面は間違いなくある」としか言えない。
だが、この作品はそれをネガティブに描かない。そこに意義がある。
素直に、真っ向から、自分たちが女性であること、少女であること、若者であること、地域や学校に属する人間であること、そして成長する人間であることを全身で表現し、ライブで伝えるのだ。
そうした姿が不健全に映らないのは、世界観がそう設定されているからというのもあるが、
パフォーマンスをするキャラクター、そして演者が、純粋であることを恥じない強い精神を持っている/持っていく動線が描かれているからだ。
結果として、観る者は作品の独特の世界観に没入するほど、世俗的で動物的な「ラブ」ではなく、より高次元の「ラブ」への感度が高まっていく。
友愛、親愛、対立する者への愛、家族愛、級友や地元の人々への愛、郷土愛、自然や動物への愛、都会への愛(受容)、先達への敬愛、全国のアイ活する同志への愛。
これほど全方位に「ひねくれていない」生き方ができるのは現実の我々からすると眩しいが、作品によって感度が高められるとそれを肯定したくなるのだ。
これ許されるの?
オタクがセクハラリプ送りまくってTwitter閉鎖した頃から何も変わってないじゃん。
セクハラするオタクが一番悪いのは前提として、Inner Urgeといい「“上坂すみれ”はセックスシンボルだからセクハラしてもぉk」みたいな風潮を作り出す運営も信じられん。
上坂さん自身が「シコったとか言われると嬉しい!」ってタイプで精神的負担になってないなら良いけど、Twitter閉鎖したり普通に嫌がってんじゃん。
こんな売り方する運営も信じられないし、ボンキュッボンに歓喜してるオタクも気持ち悪い。
刑務所とか自衛隊宿舎とか男子校とか、そういった閉鎖的な空間で男だけで過ごしてると、次第に同性を性的な視線で見るようになる。そういう話があります。
はっきりいって、全然信じてませんでした。そんなわけないと思ってました。都市伝説みたいなもんだろうと。
でも今は完全に認識が変わりました。
男はいとも簡単に男に欲情します。環境次第で簡単にぐらぐらになっちゃう生物です。それを僕は身をもって体験しました。
3月末まで夜勤のデータ入力のバイトをしてたんですが、そこがまさに男の園みたいな職場でした。ビルの一室にスーツ姿の男が50人以上集まり、ひたすらパソコンに向かってデータを打ち込む。そういう環境でした。女性はひとりもいませんでした。
働き始めて数週間すると、どうも周囲の僕に対する接し方が不自然になっていることに気付きました。異様に冷たい人、あからさまに避ける人がいる一方で、照れくさそうに顔を赤らめながら近づいてくる人や、舐めるように全身を眺め回まわす人が現れ始めたんです。
どうも距離感がおかしい。今までの職場と明らかに違う。どういうことだろうと不審に思っていると、ある日、帰りの電車で一緒になった同僚に言われました。
同僚は顔を赤らめていました。若干鼻息も荒かったようが気がします。
これはもしや....。
僕は職場で感じている違和感の正体が掴めるかもしれないと思い、彼を夜勤明けの朝マックに誘って色々と話を聞きました。
驚きました。なんと僕は職場でゲイだと噂されていたのです。「立ち居振舞いが女っぽい」「股間をじっと見られた」「手が触れた時に女みたいにビクッとした」デタラメな噂が色々と飛び交っていました。
さらに「フェラだったらさせてやってもいい」「今度みんなでカラオケに誘ってガンガン飲ませてみよう」などという話も出ているようでした。
マジでびびりました。100歩譲って僕が若い美少年とかだったらまだわかります。全然そんなことないのです。ごく普通の男で、当たり前ですが女装もメイクもしてません。年齢は30才。完全にただのおっさんです。強いていえば、痩せて顔がつるんとしてる。その程度です。それだって人目を引くようなところは一切ありません。これまでに同性から性的な目で見られるようなことは一度もありませんでした。
全ては環境のせいだと思います。閉鎖的でストレスフルな状況の中、妙な力学が働き、なぜか僕が集団的な性の対象になってしまったんでしょう。深夜、朦朧としながらデータ入力をしているうちに、みんながちょっとずつおかしくなっていったんだと思います。イジメの力学や悪ノリに近い要素もあったかもしれません。
マックで話をしてくれた同僚は、僕がハラスメントの被害者になることを危ぶんでいました。もし不愉快なことがあったらいつでも相談に乗ると真顔で言ってくれました。顔を赤らめながら。すでに彼も集団の力学に感染していました。
驚きはしたものの、僕は事態を冷静に受け止めました。ショックで仕事に行けなくなるというようなことはありませんでした。特に実害はなかったし、毅然としていれば何の問題も無いだろうと思いました。刑務所の中で同じような状況に陥ったら恐怖におののいたと思いますが、夜勤のバイトなら問題ない。契約期間も決まっています。むしろアカデミックな興味が湧いてきたほどです。どうせならこの特殊な状況を仔細に観察してやろうかと思いました。結局、奇妙な思い出になっただけでしたが。
それから僕は数ヵ月ほど、集団の中で歪なセックスシンボルとして過ごしました。大勢のスーツ姿の男達が毎晩僕にジトッとした眼差しを向けてきました。僕はそれを不思議な気分でやり過ごし、そのまま契約期間を終えました。
特に酷い目に遭ったりはしませんでした。彼らも自らの「性のゆらぎ」に脅えていたのかもしれません。大胆な暴走に至る人間はいませんでした。
春からは別の職場で正規雇用で働いています。オフィスには女性もたくさんいます。僕に「ジトっとした眼差し」を向ける男はひとりもいません。そのギャップに軽い目眩をおぼえるほどです。
あの数ヵ月を振り返ると、シュールでグロテスクな夢を見ていたような気分になります。おそらくあの職場にいた男達も、どうかしていたと首を傾げていることでしょう。
今回は少年ジャンプ+
うん、やっとエンジンかかってきた。
ここにきてやたらとアグニの本音や心情を言語化しすぎなキライがあるのと、きっかけとなる出来事や展開が弱いという部分もあるが、まあ理屈としてはそれなりにしてて悪くないと思う。
自分自身の本音を誤魔化すために、どこかで嘘をつく(演技をしないといけない)という、トガタに演技指導させられた際のセリフで持っていたミーニングが、ここで実はまた違う意味を持っていたというのは、まあ悪く言えば強引ではあるが、私はフィクションの範疇として許せるかな。
ただ、正直な所やりたいことは分かるんだけれども、伏線回収というよりは偏屈なことを描き続けた結果の帳尻合わせ、尻拭いという印象があるんだよね。
そこまで考えて練られた構成だと前向きに解釈するには、これまでがあまりに捻すぎなので。
1話で話題になって、私や何割かの読者が期待していた色々なことを随分と遠回りさせたものだと思うが、何はともあれここからヒーロー(主人公)としてのワクワクする活躍、展開を期待したいところだ。
こういうハッちゃけたキャラはみてて面白くはあるが、そいつに焦点あててくるとは……。
狂喜ともいえる表情の描写とかは、これまでにない人格であることがパっと見で分かるほどで、そこそこ長くやってきた中で随分と思い切ったキャラクターを放りこんできたな。
さて、ここからどう展開するかだな。
実は本当にいた他のストーカーをアプリ使って捕まえるのか、これを通じて自分を客観視するのか、或いは明確に語られていないダイヤの心情が語られるのか。
セックスシンボルみたいな、待望の先輩悪魔登場に小日向と思考が重なったが、お前は魂奪われる瀬戸際なんだから、随分と悠長だな。
言動も力も余裕があって、コメディ的には面白みのあるキャラクターではないが、まあそれは他の人に任せればいいってことなのだろうか。
結局、メムメムが先輩悪魔監査のもとやることになったが、今回は互いに追い詰められているし、どう落とし所つけるのだろうか。
あと、柱のコメね。
ああ、やっぱりそういう目的で描いたのか、それとも編集が単にチャラいだけなのか(少年ジャンプ+の編集、精神がチャラい傾向というイメージがあるんだよね、私の中で)。
メタ的にみても、作中の扱いからみても「どっちが勝ってもどうでもいい」バトルであることを承知の上での展開が笑えてくる。
優柔不断な対戦相手を狙って、自分の得意分野に誘い込もうとする狡すっからいこともしたが、あっさりかわされるあたりに哀愁漂う。
それでもカッコイイこといって、うまいことハッタリかまして関心もたせるあたりウマイとは思う。
ただ、今までのアエルの扱いとか作風とかを考えると、次回で雑なあらすじでアエルの見せ場がカットされても何ら不思議ではないんだよなあ(笑)
なんで彼女のフォロワーの人たちは結婚おめでとう、なんて言えるの?
レイヤー仲間っぽいアカウントがおめでとうって言ってるのはわかるんだ。というか友達が結婚するんだ、普通だよね。
でも、それ以外のおっさんたちはどういう気持ちでおめでとうなんて打ち込めるの?
おっさんらはオナネタとしての彼女をフォローし、応援してたんでしょう?
くだらない日常のツイートに、普段使わない絵文字使ってメンション送ってたのはワンチャンいいね!貰ってしこるためでしょ?
もう彼女は(少なくとも出産~子育て期間までは)コスプレ活動しないんだよ?
他の男のものになったんだよ?
AVや風俗に落ちることもなくなったし、クソみたいな男に騙されてハメ撮り流出、なんてこともない。
独身者の間からよく聞く言説として、「子供の頃は恋愛は不純異性交遊と言われ遠ざけられて育ったのに、大人になってからいきなり恋愛できる訳がない」というのがあるのですが……。私自身も喪女なれど、この言い分には全く賛同できないんですよね。
一つ、現代日本においては未成年者の恋愛やセックスは『不純異性交遊』扱いどころか、思い切り推奨されているというのが現実だと思うからです。特に女性の場合セックスシンボルはもっぱら十代の少女であり、さらには18、9歳ともなれば薹がたっているかのような扱いです。
いや、恋愛とセックスは本来別なんですけどね。十代男女に恋愛は薦めてもプラトニックを推奨するならば問題はないと思いますし。けれど現実はそうではなく、「好きならばセックスして当然、十代のうちにセックスするのが正義、二十歳過ぎて童貞処女は恥ずかしい」という社会通念が罷り通っている訳です。こんな世の中なのに「未成年の恋愛は不純異性交遊として禁止されている」?冗談でしょう?
この傾向はけしてつい最近始まった事ではなく、少なくとも1990年代半ば頃からはずっとそうでした。
二つ、もし仮に「子供の頃は恋愛やセックスが禁止され」「大人になってから急にしろと言われる」のだとして、それの何処が悪いのでしょうか?もしこれが逆で、子供の頃は許されていた事が大人になったから禁止される場合は問題だと思います(例えば、子供のうちはアニメや漫画に夢中になっても許されるのに大人になると何故か『卒業』しないとおかしな目で見られるとか)。でも、子供のうちは禁止されていて大人になってから許されるのならば、何も問題はないのではないでしょうか?だって大人になるまで待てばいいだけの事なのですから。大体の物事において、年齢の上限を設ける事は問題ですが下限を設けるのには問題はないと思います。
だからセックスについて「子供のうちはしちゃダメだけど、大人になってからしましょうね」と教えるならば、それは全然悪い事ではないと思います。現実は全くそうではなく、子供のうちにセックスする事を奨励しているから問題なのですから。
アメリカは、世界でも特にマッチョ礼賛、筋肉信仰が強い国だと言われている。よくスポーツの舞台で話題になるステロイド、いわゆる筋肉増強剤であるが、この薬の典型的使用者像というのは、実はプロスポーツ選手ではないのだ。中流以上の30歳前後のホワイトカラーがそれだ。安定した仕事につき、それなりの社会的立場も得たサラリーマンが、次に求めるのが筋肉なのである。別に仕事に必要なわけではない。動機はアメリカ人なら誰でも持っているであろう筋肉に対するあこがれとコンプレックスなのだ。
それと比較して日本はあまり筋肉信仰は強くないと言える。男性のセックスシンボルはジャニーズの線の細い美少年達であるし、女性のセックスシンボルもセクシーよりも可愛いが優先される。男性的であることよりも、女性的(身体的に子供っぽい)であることが優先される世の中だ。もちろんマッチョはそれなりにモテるだろうが、アメリカと比べるとその扱いの差は歴然だ。
アメリカには白人、黒人、アジア系、ヒスパニック、中東系など様々な人種がいる。だから日本と比べて多種多様な顔の人が暮らしている。その中で、もし単一の美男子像を作ろうとしたらどうなるだろうか。白人の美男子には黒人の美男子は絶対になれないし、黒人の美男子にはアジア系の美男子は絶対になれない。逆も然りだ。ようするに、全くタイプの異なる顔が存在している中で、単一の美男子像を作ることは不可能なのだ。肌が白い方が良いのか、黒い方が良いのか、鼻は高い方が良いのか、低い方が良いのか…、というように、人種によって先天的に顔のタイプが決まってしまうのに、一つの理想像を作るということは人種差別につながるので、あまり好ましくないのだ。そこで、すべての男に共通する、顔以外の競い合うための平等なルールが必要になる。それが筋肉である。いかなる人種の男も、鍛えさえすればマッチョになることが出来る(アメリカ人はそう思い込んでる)。個人の努力次第で獲得できる筋肉は人種を超えたセックスアピールになるということである。
一方日本では、基本的には皆アジア系なので顔のタイプは皆似通っているし、ブサメンであれイケメンであれ、その理由を先天的な人種、民族に求める人はまずいないだろう。なので、単一の美男子像を想像することはある程度可能だし、そこに先天的不平等は存在しない。筋肉をアピールする前にイケメンもブサメンも決まっているのである。マッチョになってもイケメンはイケメンだし、ブサメンはブサメンなのだ。
そんなわけで、アメリカ人の筋肉信仰は原始的に見えてより進んだ社会の象徴である、という説を唱えた。もちろんこれは何のデータもない私の思いつきだ。アメリカ人男性の逞しく芳しいヌードを見ていてふと思いついたことだ。でも意外と説得力があるんじゃなかろうかと思った。