はてなキーワード: 金魚とは
肉まんの豚さんに心の中で「ごちそうさま。私の中で共に生きよ。」って死に敬意を払うけど、
ただ魚が好きなだけの人です、主催者のメッセージに対する感想文書きます
https://artaquarium.jp/news/20200908/11/
オープンして間もない時は、集まった金魚の中にどうしても弱っている又は病気を持った金魚が含まれてしまいます。しかし我々は、それらを大事に扱って元気になって貰う努力を重ねております。
生体を仕入れたときに、すべての個体が元気ハツラツというわけではないのは事実だと思います。
水生生物全般に言えることですが、それまで住んでいた水と変わる時が一番体力に負担が掛かる時でもあります。ですので、病気の金魚が見受けられた場合、病気の金魚を取り出すのではなく、その水槽に留めたまま治療をすることが適切な場合もございます。
一部事実だと思います。水が変わるのは魚にとって大きなストレスです。ただ一番の負担かどうかは前後の水質によると思います。
病気(感染症)の蔓延している密度の高い水槽に健康に見える金魚もろとも留めたまま生活させるのが水替えのストレスより大したことないとは思いません。
また、アクアリウムにおいての病気の考え方は、伝染する病気が多いため、金魚を個体として治療するのではなく、病気の金魚が多発したアクアリウムシステムそのものから、病原菌を無害化させる処置を施しております。
事実かもしれませんが納得しません。水質そのもの、飼育環境そのものの改善が必要なのはもちろんですが、それは「個体の治療はしない」「病気の個体をそのまま展示する」にはつながらないと思います。
つきましては、病気の金魚が泳いでいたことは把握しておりましたが、金魚のことを考えると、取り除かないことが適切との判断の作品も幾つかございました。我々は金魚に精一杯の愛情をかけ、出来るだけ多くの金魚にそのまま残ってもらうため努力をしております。もちろん重度の病気の金魚は、隔離水槽に移し別途対応しております。
事実かもしれませんが納得しません。素人考えかもしれませんが、他の個体と隔離して個体同士のトラブルを避ける、バックヤードに移して人の目からのストレスを避ける、ライティングされない場所や静かな場所に移して音や光の刺激を避ける、など、「展示を続ける」よりも適切な手法が色々思い浮かびます。
重度の病気の魚は別途対応とありますが、写真や動画で見かける金魚も十分重度に見えます。「重度」の定義は何でしょうか。バックヤードに移せる個体数の上限に合わせて線引してはいないでしょうか。
尚個人的な好みの話ですが「金魚に精一杯の愛情をかけ」るのであれば、せめて主催者側は個々の金魚を見てほしいです。「作品」などとひとくくりに雑にまとめて見てほしくないです。
特に今年は夏後半の急激な猛暑の影響で、例年に比べて、アートアクアリウム美術館のオープンにあたり、金魚を各地から輸送させる際の金魚の状態が不安定になるタイミングとなりました。
また、金魚を水槽に入れた直後の不安定な状況は想定しておりますので、不安を与えてしまうような状況をお見せすることの無いオープンを予定しておりましたが、このコロナ禍において当初のオープン予定から2ヶ月も工事が遅れ、オープン間近に金魚を水槽に投入しなければならない、予期せぬ現実がございました。
要するに「やんごとなき事情によりベストな状態で展示できていません」と言いたいのでしょうが、展示している以上は人間の都合を優先させていて、「金魚を大事にしています」という姿勢と矛盾しているように感じてしまいます。
金魚の数、水槽の数に対して10名は十分な数と言えるのか。水質管理のプロがいるのはいいことだが魚の面倒を見れる人、治療ができる人はいるのか。万が一いないとしたら、なぜこんな展示を常設でやろうと思えたのか。
オープンから約2週間が経ちましたが、状況は日々改善しており、今はまるで違う状況になっております。
見に行ってないので、このあたりは近況を知っている人のコメントを待ちたいと思います。
全体的に、金魚の健康や命が蔑ろにされている気がして仕方がない。
アートの名を冠しているとはいえ、「アクアリウム」を名乗るのであれば魚を大事にしていただきたいです。
私達に対する謝罪の言葉等は見受けられませんが、それは別に構いませんが、傷ついた金魚やなくなった金魚がいる事実は大いに反省していただき、「仕方がない」で済ませず再発防止に努めていただきたいです。
金魚館には玉サバの写真がありましたがそもそも玉サバは金魚なのでノーカンです。
というかこの水族館なんかだんだんデカくなってませんこと?クソデカ水族館になってしまいますわ。
こちらにはエトピリカ様がいらっしゃいましたわ。ペンギンのように泳ぐ飛ぶ鳥ですわ。濃い霧にめしいますわ
飛ぶ姿は拝めませんでしたが餌やり時の潜水を堪能いたしましたわ!多分ペンギンと同じように魚は頭から派でしたわ。
あとついにここで寿司を食いましたわ!ついにっていうほど来てませんわ。多分3回目ですわ。寿司屋が館内に出来てからは2度目だと思いますわ。ともかく🍣ですわ!メニューが減ってましたがうまかったのでよいですわ!
あと近くのお土産屋にサバカレー缶にそっくりのイワシカレー缶が売ってましたわ。最初はこんなところでサバカレー売ってておハーブと思ったのですがよく見たらイワシカレーでおハーブ
特に猫が撫でられていたり、マッサージをされていたり、ブラッシングされている動画が好きで、下手なASMRのマッサージ動画よりずっと癒やされる。
でも、そういった動画を見ていると、猫は果たして本当に気持ちよく感じているのか?実は不愉快に思っているのではないだろうか?と不安になることが度々ある。人間基準で見ると猫は蕩けきった表情を浮かべているように見えるけど、その判断に確信を持って良いものなんだろうか。
私は動物を飼ったことがない。魚や虫、ハムスター等の小動物も含めて一切飼ったことがない。祖父母の家でも、飼われていたのは庭に放し飼いの金魚くらいだった。
だから、私が動物と長時間触れ合ったことがあるのは、30年前後生きた人生の中でもほとんどなくて、故に動物が何を考えているのか余計に読み取れないんだと思う。
猫は可愛いと思うけど、もう今更猫を飼うビジョンは見えない。猫がどう思っているのか確信できないまま無理やり自宅に連れ込むのがおこがましいとさえ思えてくる。猫が目の前で死にかけているような状況にでも遭ったら考えは変わるのかもしれないが、今までそういう経験もない。
そもそも猫は、人間基準の「感情」や「思考」があるという前提で良いのだろうか。猫に感情があるという説は何度も見聞きしたことがあるし、同じ哺乳類なのだからきっとあるんだろうなとは思うけど、ここも正直確信が持てていない。
自分を主人公と思っているタイプは相反することができるから、うまく付き合える可能性と、どこかでぶつかって嫌な気持ちを引きずり続ける可能性があって、だいたい最終的に後者になって落ち着く。金魚の糞みたいにひっついて取っ替え引っ替えして、自分はフッ軽アピールしてるけど、普通にドタキャンするしSNSでは連絡くれると嬉しいって書いてあるから連絡しても無視するし、意味わかんねーーーーーーー。ばーーーーーかーーーーーーーー。
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あとな〜こっちは全部知ってから問題提起してんだから、嘘つくなや。全部調べ尽くしてからやってんねん。嘘つかないでね、いうなら今だよってちゃんと言ってんのに一生隠し続けるのも意味わからんな。カスがよ。
メンタルぐちゃぐちゃになった
腐女子は(クソデカ主語にするな)解釈違いが覇権とるのがなにより嫌い、大嫌い
攻め違い受け違い逆カプより同カプ解釈違いが嫌い
絵とか小説で解釈違いが覇権まで上り詰めてるならまだ納得しようもある(でも嫌いなもんは嫌い!)けど、それが誰でも書けるはずの感想でそうなってるの腹立たしいし自分には書けないのも歯痒いし感想って結局優劣あるんじゃん!!!
あーーーーキツ
わりと長文感想送るタイプだけど、解釈違い読み違いで白けさせるのが怖くて匿名ツールでしか送れない
好き!最高!とだけ直接リプしてる人と神々がキャッキャしてるの見て羨まし妬ましぐちゃぐちゃ
公開リプで送って神と仲良くなりたい金魚のフンみたいに見られるのも嫌で今日も匿名ツールにお世話になる根暗(これはただの自己愛)(見られるのが嫌もなにも仲良くなりたいに決まってるけど下々の虫けらなのでなれません)
もー根暗なのがぜんぶわるい、嫌いなもんは嫌い、それを攻撃したい気持ちもしょーがない(実際やらなかったらしょーがないで済む)のに、どうにか体裁整えてから捨てたい、お気持ち匿名ゴミ箱であっても
宮城→仙台市だったからか知らないけど差別もなく適度な距離感と礼儀があって住みやすいと感じた。実際に永住した人も複数人知っている。周りも総じて評価は高い。
東京→東京にいればとりあえず困ることはないって感じ。ここに住みたい!とはならないけど、特に不便もなし。
神奈川→東京の金魚のフンとか呼ばれてるけど東京にも出やすいし運転を含め民度は良かった。横浜市民とそれ以外の市町村の出身者で壁があるようでその話題に触れないように意識するのが面倒ではあった。
奈良→暑いし寒いしで気温的には住みにくいけど一番住みやすい田舎のようには感じた。大阪にも京都にも出やすい。便利な田舎。
愛知→名古屋は神奈川にライバル意識強すぎる人が多い。洒落にならないくらい運転も荒い。その辺の住宅街で車が横転するくらいスピード出す。性格も悪い。ここも名古屋市民と他の愛知県民との仲が悪い。会社でも愛知には行きたくないって噂になるくらい。自分も数年でギブアップした。
兵庫→沿線によって民度が全然違うから引っ越す場所には気をつけろって言われた。実際にやばい路線がある。神戸行くくらいなら大阪行くので、大阪のベッドタウン。ただ住んでいる人達はいい人が多かったし、悪い噂はそんなに聞いてない。
大阪→転勤する前は絶対に行きたくないって思ってたけど住んでみたら意外と住みやすかった。治安も場所によるけどそんなに悪くない。人との距離感は近いけど高知みたいな異常な距離感ではないし、普通に話してるだけでも仲良くなりやすい。
高知→現在進行形だけど、良く言えばお節介、悪く言えば自分達の輪に入らない奴は晒し上げる。お節介っていうのは高知県が実際に自称してる。陰口で盛り上がらないと生きていけないらしい。ずっと誰かと一緒にいないと死ぬのかってくらい人と人とがくっついてる。アルハラが普通。返杯とかいうアルハラ制度をいまだに良しとしてる。隔離された世界で育まれた異常な世界って感じ。
東市来(ひがしいちき)だぜ 東がついてんのがホントにダメだ せめてただの市来だったらまだしもオリジナル感に誇りがもてた 東市来は市来の東バージョン、コンパチ、亜種、子分、金魚の糞って感じがする (同じ東でも東京はよくやってるよな)
もっとカッコいい町に生まれたかったんだ 氷見とか鳳(おおとり)とか 伽羅橋(きゃらばし)なんかでもいいかもな あるいは七里ヶ浜なんかもいいよ 洒落てる
俺は東市来に生まれてしまったばっかりに一生その名前と付き合うことになる 東市来の愛称知ってるか?「ガッチキ」だぜ 死にたくなるよな
(ちなみにこの「ガッチキ」って名前には屈辱的なエピソードがある 隣町の駅近くのコンビニでバイクに乗ったヤンキーの集団みたいなのに声をかけられビビっていたら、何を言われるより前にやつらのひとりが「あれ、君ガッチキの人じゃない?」つってきてハイって答えたら「じゃあいいや」といって解放されたのだ ガッチキには伝説の先輩かなんかがいてアンタッチャブルなのか、純粋に尋ね人とかをしていただけだからガッチキに用がなかっただけなのか わからないがなんか無性に悲しかった)
今はなぜか高級マンションが多く立ち並ぶ閑静な住宅街になっているところに父の実家はあった。
賑やかな街の中心まで車で10分ぐらいで立地はとても良い。
昔は黒く塗った塀に囲まれた長屋が道の両側にずらりと並んでいた。どっちの戦時中かは知らないが、空襲を避ける為みんな黒く塗ったと祖母が言っていたのを覚えている。電信柱に薄暗い街灯。狭い道を豆腐屋やラーメン屋みたらし団子焼き芋わらび餅の小さいトラックがギリギリゆっくり通って行く。
その中の一軒が父の実家で、ガラガラと黒い引き戸を開けると玄関まで飛び石が並ぶ。文字にすると高級な感じがするけど飛び石も小さい、石をジャンプすれば玄関まで一瞬で行ける。玄関を入ると目の前に細く急な階段がある。階段の横をすり抜ければ右手に六畳ぐらいが二間あり、まっすぐいけば台所がある。
居間には縁側があり外には猫の額ほど、とは良く言ったものでその言葉しか当てはまらないぐらいの庭がある。縁側の端に2段ぐらいの階段がありそこから外の便所への通路がある。もちろん水洗ではない。庭の横を通って便所に行くわけだ。
猫の額ぐらいの庭には小さく手入れさた植木鉢が並び、そこに見合ったサイズの池と言う水溜りがあった。水溜りにはお祭りの金魚を放り込んでいた。池の水は入れ替えたりしていないのでいつも緑色で得体が知れなかったが金魚はそこで結構大きくなった。たまに夜便所に行く時に真っ黒く光る水面すれすれに巨大な金魚が姿を現した時は泣くほど恐ろしかった。
台所もまた2段ぐらい降りて草履をはく。そのときはあまり使っていなかったが、木などを燃やして使うかまどがあった。ちょっとしたゴミはそこに放り込んで燃やしていた。台所から外に出られる勝手口があって近所の人が来た時、勝手口からすいませんとか言う挨拶をしていた。
ギィギィと鳴る急な階段を上がると柱だけ残り襖を全て取り払ったガランとした部屋があって、父のギターやレコード、伯母たちの絵や本が端に積んであった。そこで子供の私たちは遊ぶ。
あの家は今考えると100年ぐらい前のそのままの生活様式の家だったと思う。それに触れる事ができたのは良かった。
今は祖父母も父もその家もその辺り一帯もすべて全部消えてしまったけど私の記憶には残っている。
そして今ここにも残してみた。
2020年5月17日(日) 23:59まで https://gyao.yahoo.co.jp/p/00641/v10138/
大杉漣さん=室生犀星×二階堂ふみ=金魚と聞いてビビッときた人は見て。
2020年5月24日(日) 23:59まで https://gyao.yahoo.co.jp/p/00998/v01012/
前半と後半で画面の温度さえ違うように感じる、お話の展開を知っていてもなお「そういう方向に連れて行かれるのか!」という迫力のある映画です。どうぞ、よろしくお願いいたします。
拙作『氷菓』は、2012年に京都アニメーションさんからアニメ化されています。とても丁寧で、愛のあるアニメでした。映画はその偉大な先行作に対し、殊更に背を向けようとするのではなく、かといってむろんのことそれに寄りかかるのでもなく、蓄積は大切にしつつ別の表現をしてくださいました。
萌えはないけど、原作の「感傷」はきちんとあるので原作信者は見るよろし。逆に言うと、カプ萌えとしてのファンは別にスルーしても大丈夫なやつです。
2020年5月28日(木) 23:59まで https://gyao.yahoo.co.jp/p/00274/v09757/
演劇が原作のドタバタな小品。だら~っと見るぐらいで丁度良い。原作だとモロにタイムマシンがドラえもんのアレらしいよ。
2020年5月18日(月) 23:59まで https://gyao.yahoo.co.jp/p/01070/v00456/
自立してるタイプの白雪姫、元気になる~!というか、ターセム監督の映像は全部最高なので他の映画も見てほしい。
2020年5月21日(木) 23:59まで https://gyao.yahoo.co.jp/p/00274/v09853/
韓国映画。日本の漫画が原作というか原案。えっっっぐい。のが面白い。スパイク・リー監督リメイク版は宗教のニュアンスでまたちょっと雰囲気違う感じ。
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00569/v08711/v0828500000000528375/
早稲田行きの荒川線がほとんど空っぽなまま夜の王子駅に入ってくるのを見ると、東十条の夜を思い出す。
真夜中に電話をかけてくるのはだいたい振付師で、出ると必ず「寝てた?」と聞く。こちらが寝ていたとしても別に対応を変えようとはしていない。挨拶がわりに今どこと聞くと、永福町のアパートからかけていることもあれば、聞いたこともない名前の街にいることもあった。
新潟の燕市から夜中の二時過ぎにかけてきた日、東十条にクルド料理のレストランができたのと振付師はいった。半分寝ながら「ああ、ああ」と返事しているうちに、翌週の夕方に同行することになっていた。
レストランは駅近くの雑居ビルにあった。細い階段を登ると、青い壁に赤を基調としたタペストリーがかけられ、トルコ製らしいランプが天井から吊るされた店内は薄暗かった。
二人とも果実の蒸留酒を飲みながらピーチ味のシーシャを吸って馬鹿話をした。振付師は蔦の模様がついたノースリーブのワンピースを着て、耳には銀色のチェーンピアスが揺れていた。
「ね、知ってる? カニコーセンの人」
「カニコーセン?」
「あの、小説の」
「小林多喜二?」
「……?」
「お客さんの事務所の子がね、今度カニコーセンの舞台に出るからって、マネージャーさんが招待券くれて。で、帰りに駅ビルで原作の文庫本買って、バスの中で読んでたのね」
「読んだんだ。どうだった?」
「やばかった。いろいろ。で結局、タキジって殺されちゃうんだよね」
「うん、遺体の脚を見るとね、釘か畳針でグサグサ刺した痕だらけだったんだって。いったいどんだけ憎まれてたんだっていう」
「あの人の書いたものが、それだけ当時の警察機構を動揺させた、ということでもあるのかもね」
「30歳だよ。タキジ死んだの。今の私たちよりも若かったんだよ。それでどれだけの仕事をした? どれだけの人に影響与えた? タキジが生きてる間にカニコーセンは何か国語にも翻訳されて、世界の人が読んでるんだよ? あの時代だって、今だって、20代でそれだけのインパクト出せた作家って、そんなにいないんじゃない?」
「うん、いないだろうね」
「燃え方が足りない」
「足りない?」
「もっとたくさんの人に、私が伝えるはずのことを、私の仕事で、全力で伝えたい。そのためには死に物狂いでいまやってなきゃいけないのに、なにやってるんだろって、思うことがあるんだよ。もう無我夢中で、身体が自分の熱で焼き切れて無くなってしまうくらいに、全力でやってなきゃいけないはずなのに、私はまだなにもやってない」
「毎日家と会社を行ったり来たりしてるだけの僕からすると、日本中を飛び回ってるきみは、ものすごく燃えてるように見えるんだけど」
振付師は無言で何度も頭を振った。と思うとこちらの手を取って、荒々しくかぶりつく犬のような真似をした。
東十条の商店街には縁日が出て、りんご飴、ヨーヨー釣り、プラスチックのお面が裸電球の光を反射していた。振付師は金魚すくいの水槽を見つけると、やりたいと言ってその前にしゃがんだ。出張が多いのに世話できるのかと聞くと、預けるから大丈夫だもんと言った。
西日暮里のホテルに入ると、洗面所のシンクに水を溜めて、小指の先ほどしかない緋色の魚が入ったビニール袋を静かに沈めた。そうするのが金魚にとってよかったのか、二人ともわからなかったけれど、ホテルの部屋に篭っている間に死んで欲しくはなかった。
その後のことはよく覚えていない。いつも通りだったかもしれないし、もっと強く噛んで欲しいと執拗に懇願されたのはそのときだったかどうか、また別の時だったか、いまとなってははっきりしない。
そのときの金魚はいまだに元気で、振付師が熊本に一か月行ってくるといって置いていってから、結局預かりっぱなしになっている。冷蔵庫脇の水槽で年を追うごとに肥えて、握りこぶしほどの大きさになった。