はてなキーワード: 嗜好品とは
クレンジングに関して言うと、化粧品って嗜好品でもあるから、香りや感触も大事なんだよ。
栄養成分だけ見たらマクドナルドのビーフパティも霜降りA5和牛もそう変わらんわけだけど、だからといって「高い牛肉なんて食べる価値はないです。適切なPFCバランスが摂れてるかどうかが大事なんです」とか言ったら「この人は何を言ってるんだ?」ってなるじゃん。
高いクレンジングは、肌なじみの良さ、洗い流す時のスムーズさ、洗い流した後の肌の質感、そういう部分が評価されてる。実際使ってみたら良いものはやっぱ良いよ。何かの有効成分が入ってるから高いという話ではない。メイク皮膜を溶かし肌残りなく洗い流すという工程をいかにスムーズにやるか、洗浄力と肌への刺激のなさを両立させるところで各社工夫してるわけでしょ。
適切な洗浄力のものを選ぶのが大前提であるけど、使用感にこだわって高いものを使うというのも、さほど馬鹿な選択ではない。
クレンジングって普通にめんどくさいから、使用感が良いというのはめんどくささを軽減してくれるという意味ですごいメリットがあると思う。
導入美容液については、単純に角質層を柔らかくして(=バリア破壊して)化粧水を浸透させる、みたいなやつばかりじゃないよね。
化粧水→乳液って皮膜を作る工程の前に塗るという意味で導入美容液って位置づけになってる製品も多いし(というか高級ブランド系はそういうのが多い)
まあ、素人がごちゃごちゃ言ってるのが気になるなら、皮膚科医の目線でおすすめのコスメでも紹介したらいいんじゃないの?
皮膚科医が診るのはトラブルのある肌であり、化粧品屋が想定してるのは健康な肌だから、当然推奨するものも違うと思うんだけどね。
BMI30のデブをBMI25にするためのダイエットと、BMI25のポチャをBMI22にスッキリさせるためのダイエットと、BMI22をモデル体型にするダイエットはそれぞれ違うのと同じ。
およそ6年噛み続けたガムをやめた。
最初は集中したくて買っていたはずが、気づけば中毒になっていた。
ひどいとボトルガムを二日で空けていた。平均的には1日1本(14粒)
体の変化は
・味覚が落ちた
・おなかがゆるくなりがちだった
・腹のガスがやばかった
・基本全て飲み込んでいたので、排泄物に消化されなかったガムが混ざってた(汚くてごめん)
くらい。年単位で一種類のガムにハマり、ひたすらそれだけを噛む日々が続いた。〇〇レッツとかア〇オとか普通のミントのやつ。1年前に最後に買ってからぱたりと買うのをやめた。なんでやめたのか自分でも分かってないけど、お金が浮いたし良かった。周りからも常にガム噛む奴って思われてただろう。今、特に代わりになる嗜好品にもハマってない。ほんとなんだったんだろうな。
およそ6年噛み続けたガムをやめた。
最初は集中したくて買っていたはずが、気づけば中毒になっていた。
ひどいとボトルガムを二日で空けていた。平均的には1日1本(14粒)
体の変化は
・味覚が落ちた
・おなかがゆるくなりがちだった
・腹のガスがやばかった
・基本全て飲み込んでいたので、排泄物に消化されなかったガムが混ざってた(汚くてごめん)
くらい。年単位で一種類のガムにハマり、ひたすらそれだけを噛む日々が続いた。〇〇レッツとかア〇オとか普通のミントのやつ。1年前に最後に買ってからぱたりと買うのをやめた。なんでやめたのか自分でも分かってないけど、お金が浮いたし良かった。周りからも常にガム噛む奴って思われてただろう。今、特に代わりになる嗜好品にもハマってない。ほんとなんだったんだろうな。
「贈答」というのがどのぐらいのレベルなのか。
お中元、お歳暮でしか出ないようなものなら、もう少し日常生活に近づけたパッケージングを意識すればよいのではないか。
ちょっとお高いクッキー缶のような適度な豪華さ、適度な気楽さを併せ持ったものを目指してはどうでしょうか。
ワイも自分で食うために「高級お取り寄せ」とかで検索して出てきたものを買ったりしているので、
そういうサイトに出てくるような、「自分へのご褒美()」で買いたくなるようなイメージ戦略はどうでしょうか。
開店から60年くらいですので老舗というほどではありませんが、親の代からある食品の小売業をやっております。
現在家族二人とパートさん達で廻しているような小さな商売です。
商品は日用的な食材ではなく、おもに贈答品で出る嗜好品のたぐいです。
ギフト需要の低下と仕入れ値が上がったのが主原因で、売り上げの右肩下がりが緩く10年ほど続いています。
コロナと物価高や不景気でさらに状況が厳しくなってきております。
ネットショップも始めて20年ほどになります。現在はCMSサービスと契約し、自ら手入れしております。
ウェブ販売も長い間やってる割に年間売上が250万円ほどで頭打ちです。
いっときは大きめのキーワードで検索結果トップを10年近く取れていたのですが、サイトのCMSを替える事態になって以降40位くらいになってしまいました。
ただし検索順位が下がっても、売り上げは変わりないのでウチの店はSEOとあまり関連しないのかもしれません。
おそらく実店舗を通じてウチの店の商品を知った、遠隔地の方が主な利用者層だと思います。
親愛なるニキネキ増田様達に相談させていただきたいのですが、もう少しネットショップの売り上げをあげたいのです。
どうしたらよいでしょうか。
かといってここで全貌をさらすこともできないので、そういう場合、どこか相談先はないかと考えています。
契約しているCMSサービスはコンサルやSEO的な相談はよそでお願いしますというスタンスです。
大手企業のようにお金がかけられません。年間10万円位で相談できるネットショップのコンサルとかあるのでしょうか。
そんなもの役に立たないのでしょうか。
どうぞ教えてください。
・インフルエンサーと伝手は無いし、ステマ的な物はいろいろ厳しそうだし、難しいかもしれませんね…。でもアイデア、ありがとうございました!
あくまで個人の好みを抜きにした全体的な傾向の話だけれど、普段の食事では足りない分のエネルギーを各自で嗜好品を選んで摂取しようってシチュエーションを考えたとき、
普段の食事で塩分も足りていない人は、同時に塩分を補う必要があるので、塩分との取り合わせの良いでんぷん(ごはんや芋など)によるエネルギー需要が大きくなる
逆に普段の食事で塩分が足りている人ほど、塩分との取り合わせを考えなくてもよい甘いもの(=糖類)によるエネルギー需要が大きくなる
日本の場合は普段の食事で塩分が供給されやすいので普通に生活する分には塩分不足には陥りにくいけれど、多量の発汗を伴う肉体労働・肉体作業に従事したりするとそうもいかない
そうした肉体労働は主として筋力・体力に比較的優れる男性が担当することになるので、男性だけ追加で塩分を摂取しなければならない状況が発生する
つまり「女性は甘いものが好き」は「女性は男性と比較してエネルギーを摂取するための嗜好品として塩分を追加で必要とすることが少ない」ことの言い換えと言える
当然普段からめちゃくちゃ汗をかく環境にいたり汗をかく運動をしていたり、単純に味覚の嗜好で甘いものが苦手という女性はいるけれど、全体の傾向としてはこんなところだと思う
逆に男性の甘いもの需要が増えているのも、現代では機械の発達やらなんやらのおかげで頭脳労働に従事する男性が増えたことで、かつての時代よりもエネルギーを摂取する嗜好品としての塩分の需要が下がったことが背景にありそう
この日記とこの表現の自由規制の話というのは、ほぼ同じ話をしていると思う。すごく似ている。
注:ここでは性表現に関する表現の自由、表現の自由に関する法解釈法運用の話はしないよ(ついでに言うと元増田も含めた一般人には正確な理解が期待できないし。元増田は法について一般人であることは見ればわかる)
この手の団体はいろいろ言われることが多くて、増田も猫を譲り受けるときに家に来られたり個人情報を根掘り葉掘り聞かれたりでかなり辟易したんだけど、ボランティアで中に入ってみたら、そこまでしたくなる気持ちも分かった。それくらい虐待や多頭飼い崩壊の現場の話は酷かった。
性表現を公共に出すな、性表現をノーマライズするな、性表現は女性蔑視だ、とこの手のことにかなり厳しく、性表現に浸かりまくった性依存症気味のオタクは辟易するのかもしれないが、女性に関わっていると、それくらい世間には性犯罪や悪質なセクハラや女性蔑視が多くて酷い。現場と現場から遠い人で感覚に大きな開きがあるという点ですごく共通していると思う。
よく言われる、「そんなに譲渡の条件を厳しくして、条件を緩くすれば助かる命が保健所で処分されてもいいのか」という質問には、彼らはYESと答えると思う。
「そんなに世間をエロに厳しくして、オカズを手に入れにくくなり(女性にもおかずを必要とする人は結構いる)性を発散することが難しくなるかもしれなくてもいいのか」「好きな作品や好きな文化が今までと同じ形で存続できなくてもいいのか」という質問には、彼らは即答でYESと答えると思う。これも全く同じ構図だと思う。
それだけ現実において女性の心理的・肉体的安全性は担保されていない。この世界は性虐待をファンタジーと言い切れる優しくきれいな世界ではない。男性から見て完全に無害でちょっと羽目をはずしただけのファンタジーでも、女性から見たら実際に加害者が教科書にしてたものであり現実に経験する抑圧や虐待の理由であり男性の中に時々見えるミソジニーや偏見の正体であり存続し続ける加害精神の教科書であり現実の被害の反映だから。
現実の悲惨で酷い虐待や生命の尊厳の前には、多少の嗜好品の自由など消し飛んでしまう。
怖すぎるだろ。自分も驚いた。でも女性も、虐待や性加害をしにくるやつがたくさんいて、住所を明かさないようにしたり、顔を出して活動するハードルが高かったり、政治活動や目立つことをすれば性差別とハラスメントに遭い、同じくらい虐待を警戒している。その加害虐待の深さ多さ酷さについて、いまだ想像力が及んでいないから驚くのだ。
こんなの想像の範囲外だし怖すぎる常軌を逸したものだけど、これは女性たちにとっても日常なのだ。
餌やりさんっていうのは、その名の通り野良に餌をあげている人のこと。これだけ聞くと猫好きの人だと思うじゃん?実はそうとも限らなくて、餌をあげる時に猫がワッと寄ってくるのが嬉しくて、つまり承認欲求のためにしている人も多い。だから猫にはなんの愛着もなく、TNR(捕まえて避妊手術をして元の場所に戻すこと)に協力もしないどころか、気まぐれに毒餌をやったりするキチもいるそうだ。多頭飼いも同じように、必ずしも猫好きというわけではないらしい。
こういうのもたくさんいる。つまり、性風俗斡旋業者であり、AV業者であり、女性本人には興味がない、又は女性嫌いだけど肉体にだけ興味がある人だ。女性好きでもなんでもないのに性欲が気持ちよくて、女性に何の愛着もなく信頼関係もなく、利用しようとする人たち。そしてそれを黙認してしまう人々。気まぐれに傷つけるキチも多い。
それくらい虐待に対して敏感になっているし
つまり、こういうこと。
今現在どんな「損」や「困苦」を味わっていようとも、10代、20代の頃になに不自由なく暮らしやりたい事を親にやらせてもらい、ちゃんと社会に居場所を得て最低でも「年齢と同額の月収」得て30代くらいまで穏当に生きてきた人間は、そのような道を歩めなかったヒトから無条件にサンドバッグにされるくらいの「不幸」は味わって然るべきだと思うし、なんも言い返す権利はないと思ってる。
能力や技術獲得する上で当人がどんだけ努力し工夫した的な事実は一切関係ない。
努力し工夫できる環境や知性を与えられた時点で一切合切全部「外的要因に基づく運の良さ」でしかないのだ。下地がちゃんとしてりゃ努力や工夫なんて誰でもできる。AIが描いた絵にちょろっと加筆するくらいの難易度でしかないからだ。
だから「運が悪い」ヒトは無限かつ無条件に運が良いヒトを叩いても良い、と僕個人は考える。
もとい、そうはいっても運良いサイドも腹が立ったら自分のこと棚上げして運悪いヒトに反論してもいいし、より運がいいヒトに対しルサンチマンをぶつけても良い。それによって被る「損」はそこれそ他罰などせず当人が自己責任やXX税として引き受ければよいだけ。「既に得している側」が損している側と同じカード切るならより沢山税金払うのは当たり前。
能力や立場の全ては「運」が生み出した格差でしかなく、各々が立脚する地平に見合った「正義」を信じて納得するなり怒ったり泣いたりしていればよい。
持つもの、あるいは「かつて持っていた者」は持たざるものの無限の愚痴と悪意をぶつけられても「仕方ない」と言わざるをえない。さもなければ不公平すぎる。
・
人間社会に属している限り絶対の善などというものはないし万人にとって得のある秩序などというものもない。
「真の自由」とはむちゃくちゃ厳しく何のフォローもないクッソ塩対応の「荒野」で暮らす事であり、その中で「自然(ネイチャー)」と対話できたと実感できた時こそ、真の意味で「自活できている状態」と言えるだろう。自由と安心は容易には両立できない。
人間が管理し親を努めている環境はことごとく「親の利益」を最優先にした環境となっている。親の利益が「強い子孫を維持する事」であれば、仮に子供の主観的には地獄のような体験をさせてでも「親を継ぐ事ができるだけの強度」を獲得させるべく「負荷」をかけるだろうし、それをしなければ子供はオートで親の財産や親が築いたインフラを食いつぶして「弱体化」するのは人間元来の性質的にも、歴史的にも自明の事実である。
「弱体化する方向に餌を巻いたりヒトを操る」事ほど邪悪で無為なアプローチはなく、エンタメというのは基本的にそういう性質(無責任甘やかし特性)を備えているので個人的には「悪カテゴリ」に入れてある。
「楽しい時間を過ごす代わりにむっちゃ無為に歳だけとってその責任は全部エンタメ摂取した人間の自己責任」。そんな残酷があってたまるかという話だが、世界は事実そのように仕組まれ、ユーザーを「嗜好品中毒」にする事を是として回っている。
抗いがたい魅力をふりまきながら「それに翻弄される側が悪い」と嘯く態度は「挑発的」だし「残酷」だ。
「魅力や快楽を用いて他者に何らかのアクションを起こさせようとする振る舞い」はことごとく「挑発」かつ「暴力」であり、これを無自覚アンド無責任に行う人間こそが「真の邪悪」だと僕は思っている。
普通の悪人は自身がやっている事の加害性を多少は理解しているのでまだ対話の余地があるぶん「相対的には善良」である。しかし、何故か世の中では自覚的悪人の方が無自覚なそれよりも悪者扱いされていて納得いかない。
「自身の加害性を理解できず加減無く加害してしまう人間」のほうがどうして純粋で可愛いという事になってしまうのだろう。力を持ったピュアな加害者の方こそ真の邪悪だろう。
しかしやはり感情的には「力加減を知らずに無自覚に加害してしまう赤ちゃんみたいな存在」は可愛いと言わざるをえない。ゆえに、私は邪悪なものが好きだと結論する。
「悪と邪悪を弱体化させる」ならば、まずは暴力的で挑発的な魅力に溢れたエンタメを共産国ばりに「制限」かけて抑制する必要があるだろう。
―と、そこまで話をシリアスに飛躍させずに「なあなあで終わらせる」為にはふつうにどん詰まりになるまでなんも考えずテキトーに現状維持して(エンタメ中毒のまま弱体化するに任せて)暮らしましょうねという話にしかならない。「真剣」になったら上記理屈にたどり着かないほうがおかしい。