はてなキーワード: 乾杯とは
サンテグジュペリさんの『人間の土地』にこんなエピソードがあった。
筆者は郵便飛行機のパイロットで、仕事仲間が世界中に散らばっている。そこそこ危ない仕事なんで、ときどき事故で死ぬ仲間もいる。しかし、仲間といってももともと数ヶ月に一度出くわして乾杯するくらいの頻度でしか会っていないから、死んだと言われてもすぐに実感はわかない。しかし1年くらい仕事をして、死んだ仲間に全く出くわさなくなったことに段々気づいて、そこではじめて友を失ったことを実感するのだ、と。
ニューノーマル、正直いまはまだナメてるというか、また元の暮らしに戻れるような気分がどこかにある。でも多分そんなことはなく、外出外食のハードルはずっと高いままだろう。
多分今後の1〜2年のうちのどこかで、サンテグジュペリさんのエピソードでいう「死」を認識することになるんだろうなと思う。
その瞬間が少し怖い。
タイトルそんまま、こちらとしては最大限気をつけて行って帰ってきてコロナウイルス感染情報とか1ヶ月近くチェックしたけど感染発生拡大てな事態にも一切なってなかったので、実際はこんな感じだぞ!ていう体験談。
自分のスペックは埼玉県で一人暮らし・都内の会社へ通勤・実家は群馬・恋人いねえよ報告してーーーーーよ。旅行に限らず飯を食ってる時・風呂・自分の部屋にいる時以外はマスク着けて手洗いうがい消毒も欠かさずやってる。接触確認アプリも入れてる。
この時他県を跨ぐ移動はまだ解除されてなかったが、諸事情で絶対に帰省しないとならない事態が発生し2泊3日で帰省した。直近の帰省は正月だったが地元ではコロナウイルス感染者がゼロに近い状況の為、事前に家族と話し合い以下の内容で決行。
大学時代の友人含め3人で1泊2日。この頃は自粛解除と他県移動が一応解禁されていたはず。旅行自体はもともと4月の頭に行く予定だったが、緊急事態宣言が出たので宿泊先に話しとりあえず宿泊日を6月後半にずらしてもらっていた。日付が近くなってきたタイミングで移動解禁されたのでどうする?と相談してた時に自粛警察うぜーて話の流れになり、そんならこっちはバチバチガッチリに対策して行ってやろうぜ!となった。宿へは念の為事前に連絡して下みたいな対策しますんで行って大丈夫すか?と聞いて、こちらも対策しますんで待ってます!と有り難い言葉をもらった。
幸い全員体調も終わるまでオールグリーンの状況でロマンスカーに乗って無事箱根旅行が決行できた。去年の台風の影響でズタボロになってた箱根登山鉄道が7月23日から全線運転再開するから良かったら応援してくれできたら行ってくれ(全力ダイマ)。梅雨から夏の箱根は雨と花と緑のごっちゃから生まれる匂いがマッッッジでいい。行ってみてわかったが紫陽花の咲く最高の季節だったのに本当に人がいないし宿はほぼほぼ貸切状態で、のんびりできるのはありがたいけど経営状況を思うとつらたん。
こんなん個人の体験談だしそもそも増田だしこんなもんソースにもならないのは百も承知だが「コロナウイルスをばら撒いていく可能性があるから旅行はすべきではない」って論調にマジギレとお気持ち表明したいだけの勢いでご報告した。非常識な人間しか行かないと思ってんのか?仕事で行くやつはばら撒かないのか?実際行ったけど感染させなかったが???俺は行けないからずるい羨ましいってやつなのか?被害者が発生するかもしれないみたいな可能性だけで軽率に叩けるもんなのか?県内移動の旅行でゼロからゼロの地域に移動したらコロナウイルスに感染するのか?こっちだっていつもと違う所へ行く時はばら撒くぞーう!なんて気持ちで行くつもりはこれっっっっぽっちもないし、この旅行と帰省で取った対策の悪い所足りない所があれば教えてほしい。次回があると信じて活かすから。
これからも旅行のできる世界がいいんで、自分としては今後も最大限の対策をして最大限楽しんでいく。そんでこれ見たやつ1人でもいいから自分のできる最大限を考えて近場でいいんで出掛けたり旅行してくれたらうれしい。ご報告は以上だ。
もう別れて4年経つ。
彼の事は別れた後半年くらいはちょこちょこ思い出したりしていたけど、だんだんと思い出す回数が減って、この2年くらいはすっかり忘れていた。
そんな彼といきなり夢で再会した。
夢から覚めた後、ぼけーーーっと思い返してエモい気持ちになったのでここにひっそりと書き残しておく。
彼とは大学で知り合い、社会人2年目の夏くらいまでの2年くらいをパートナーとして過ごした。
午前中の授業が終わり、即荷物をまとめ、駅まで続く坂を下っていたら、突然後ろから「ねえ!」と声がした。
あ、なんか落としたかな?と思って振り返ると、小走りで坂を下ってくる彼がいた。
「ねえ、歩くの早すぎない?」と妙に馴れ馴れしく声をかけられて私はちょっと嫌な気分になった。
「何か落としました?」と質問を無視して問いかけると、彼は笑って「いや、そんなんじゃないけど。あなた増田さんでしょ。」と答えた。
全く知らない人だったのでなぜ私の名前を知ってるんだ...?とかなり怪訝な顔をしたら、「俺、前にゼミの合同発表で会った事あるもん」と聞いてもないのに教えてくれた。
彼は私が何か言うよりも先に「明後日、授業終わった後にランチ行こ!」と誘ってきて、私が「え、あ、うん」とか何とか言ったのを確認して、坂を駆け上って行った。
私は坂を下りながら、呆気にとられるとはこの事かーなどと考えていた。
当日、私は知らない人とランチに行くのがめんどくさくて何とかしてバックレようと試みたのだが、あっさり大学構内で捕まってしまい、彼とランチをすることになった。
ほぼ初対面の人とはいえ、同じ大学に通う同学年の人なのでそれなりに共通点があり、ランチは案外盛り上がったような記憶がある。
ランチの後もなんだかんだと飲みに誘われる事が多くなり、気付いたらベロベロに酔っ払ってホテルに入っていた。
もう今となってはその時の行為がどんなだったか全然覚えていないが、お互いベロンベロンに酔っていたので適度な積極性もあり、それなりに満足できるものだった。
翌朝、駅まで歩いている時に手を握られて、付き合おうか的な事を言われた...気がする。もう覚えてない。
付き合いだしてからは本当に楽しかった。当時私は一人暮らしをしていた。彼は実家に住んでいたので、必然的にうちに入り浸ることが多くなり、一緒に買い物して晩御飯を作ったり、夜中に5km先のコンビニまで散歩したり、朝から晩までセックスしたりと楽しい事この上なかった。
私は彼のまっすぐな所や、どんな人も大切に扱う所、悔しい思いをしてもなにくそと強くなれる所が好きだった。
それに、晩御飯を作りながら飲むビールの美味しさや、煙をもくもく浴びながら焼き鳥が焼けるのを待つ時間のワクワク感や、駅の改札まで傘を持ってきてくれた時のキュンとした気持ちを、私が感じるのと同じくらい、幸せだと感じてくれる所が愛おしくてたまらなかった。
私が好きそうなカフェ、お気に入りのバー、彼の両親がプロポーズしたという思い出のレストラン、幼い頃から通ってる汚いラーメン屋、高校生の時初めて挫折を経験して男泣きした公園の東屋。彼が色んな場所でいろんなエピソードを教えてくれるたびに、彼が私を信頼してくれているのが分かって嬉しかった。
一人暮らしのマンションを引き払って、空港に行くまでの道中、彼が私の手を確かめるようにずっと撫でてて、それが切なくて涙が自然と溢れた。
飛行機に1人で乗り込んだ後すこししたら彼から「右ポッケ。」とLINEが来た。右のポッケには小さく折りたたまれた手紙が入っていて、「遠距離になっちゃうけど大丈夫。離れていてもいつも側にいるのを忘れないで。俺は君のことをずっと応援してるけど、本当に辛くなったら全部投げ捨ててもいいんだからね。」と書いてあった。
今思うとやけにドラマチックだな〜〜とそわそわしちゃうけど、当時はそんなこと1ミリも思わなかった。ただただ一番大事な人が近くにいない状態で新しい生活が始まるのが悲しくて切なかった。
お互い社会人になったけど、毎日LINEのやりとりは欠かさなかったし、電話もほとんど毎日した。予定が合えばビデオ通話で一緒に発泡酒で乾杯して、寝落ちするまで平気で5時間とかやってた。お互い実家だったからできた所業とも言える。
月に1回くらいのペースで会いに行ったり、来てもらったりして、なんだかんだで良い関係を続けていた。
そんなある時、私が浮気を疑われた。しかも割と細部まで知っているようだった。
実際のところ、際どいところまでいったのは事実。しかも酔っててあんまり覚えてない。状況から判断すると明らかにクロだけど、私は必死に否定した。
彼が私のスマホを盗み見したという所を執拗に責めて、論点をずらしてごまかした。
彼は一応というか一旦は水に流す、と言ってくれた。だけど、この事件から明らかに私たちの関係はうまくいかなくなった。
LINEはするけど、どこかよそよそしい。写真つきのLINEがほとんど来ない。私と会いたがらないし、愛してるとか好きとか言わなくなった。
私は2週間くらいかけて「あ、これもうダメなやつ」と理解した。
浮気を疑われるような事をしたのは私だし、もう私がどうあがいても関係が修復することは不可能に近いな、と。
それを悟ってからは、LINEするのを辞め、Twitterやインスタもログインすらしなくなった。とにかく目の前の仕事に没頭して、家にいる時間も勉強に費やした。
そして、1ヶ月くらい経った時、自分から彼に「会って話したい事があるので時間をください」とLINEを送った。
もちろん、私は彼と別れるつもりだった。浮気まがいの事をした自分をもう一度信頼して欲しいなんておこがましいと思ったから。
久しぶりに会った彼は前に会った彼と同じで、お気に入りのカフェで仕事の事とか季節の事とか、当たり障りのない事を話して緊張をほぐした。
私が別れを切り出した時、彼は私の提案に答える代わりに、椅子から立ち上がり、ひざまずいて「結婚してください」と言った。
彼の手には指輪の箱があり、中には一粒ダイヤのリングが光っていた。
しばらく状況が飲み込めなくて、10回くらい「え?」って聞き返した。
彼は椅子に座りなおして、封筒を私に渡した。封筒の中には婚姻届が入っていて、彼の書く欄は全て彼の直筆で埋まっていて、捺印もされていた。
別れるつもりでいたのに、まさかプロポーズされるとは。夢にも思っていなかった。
いざプロポーズされてみると、やっぱり嬉しくて、私は「私でよければお嫁さんにしてください」と泣きながら答えた。別れるつもりだったのにね。
私は彼と連絡を取っていなかった数週間の間になぜか上司に認められてしまい、数ヶ月後から新しいプロジェクトに投入されることになっていた。
これまで1年目の社員にこんなチャンスが来たことはないらしく、部内でも若干どよめきが走ったくらいだった。
そのプロジェクトは海外出張も多く、仕事に忙殺されることが予想された。
この仕事は私が入社前からやりたいと思っていたことそのものだったので、私は二つ返事で快諾した。
いざその仕事が始まってみると、家は帰って寝るだけ。休日は半分仕事で半分勉強しないと追いつかない。
毎日できていたLINEも出張やら会議やらでまともにできない。予想はしてたけど、その何倍もハードだった。
もちろん彼にはそのことも伝えて会ったし、彼も理解してくれてはいたけど、だんだん距離が離れて行った。
私がやばい、と思った時にはもう遅かった。
仕事の合間を縫って会いに行っても、無言でドライブ。険悪な空気のままホテルに入って前戯もなしのセックス。もちろん嫌だって泣いて訴えても力で押さえ込まれる。
彼の友達を交えてBBQをしても彼は私を放置して友達と遊びに行く。
存在そのものを無視されているのが手に取るように分かって辛かった。
最後は私も耐えられなくなって、弁護士に相談して社会的制裁を施して、ぐちゃぐちゃになったまま終了。
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別れて4年経った今思い出すのは、私の人生で一番好きだった人との幸せな思い出と、一番憎かった人とのぐちゃぐちゃの修羅場。
もし人生で一度だけやり直すことができるなら、浮気騒動の前に戻りたい。本当にあれは私が悪かった。あれからお祝いの席以外ではお酒飲んでない。
なんだかいまだに落ち着かないんだけど、自分を落ち着かせるためにも書き留めようと思う
ぼくの会社はほそほぞとも何とかやってる会社で、この前の緊急事態宣言で解除が宣言されたある田舎県に住んでる
それでうちもそれまでは一応リモートワークしてたんだけど、明日からは一応出社しろといわれた
でも実は会社にちょっとした忘れ物があって、それで明日出社したとき同僚から「お前、あれ置きっぱなしにしてたのかよ」って揶揄されるのもいやだったんで、昨日それだけとりにいったんだ
土曜だから誰も居ないだろうと踏んでたんだけど、そこにまさかのぼくの直属の女上司がいたんだ
その女上司はたしか30過ぎで顔は柴崎コウに少し似ていて、でもそれをちょっと幼くした感じ
まさか土曜にそれも会社でばったり出くわすなんて思いもしなかったんだけど、直接にあうのは久々だったから思わず笑っちゃって
そしたら向こうも笑ってくれてさ、なんだかこう久々に知人に会って嬉しくなったみたいな感じでいつもだったら絶対こんな雰囲気にならないな、ってぐらいに穏やかな雰囲気になってさ、それで「このあと暇?」って聞かれたから「暇です」って答えた。実際に暇だったし。
そしたら「じゃあ飲みに行かない?」って誘われて「今からですか?」って当然聞き返した。だって未だお昼ごろだったから
でも、その女上司は「知り合いのお店で昼からお酒出してるところあるから」とそんな風な事を言うわけだ
別に悪くないなと思ってぼくも承諾して、じゃあ二人で行こう!って話になったんだよ
そこは案外会社の近くにある居酒屋でさ、こんな時期だから緊急事態宣言が解かれたといってもやっぱり空いてた
ぼくとその女上司しか客は居なくてさ、それに本当に女上司と店の人は知り合いらしくて、昼なのにも関わらずお酒やつまみを出してくれたんだ
それからはもうなんだか今でも信じられないんだけど、とても打ち解けられてさ、今までは仕事上のみの関係で正直ギスギスしていた感もあった
でも今はこうして二人で一緒にご飯を食べて、女上司の身の上話とか聞いて、といってもおおよその話題はやっぱりコロナのことで、外に出られなくて仕事以外の時には何をしている?見たいな話でだいぶ盛り上がったりしたんだ
でも既に結構飲んでしまっててほろよい気分で店を出ると、車だから足もないし帰りはどうしようかな?
そう思ってると「うち近いから、よかったら来る?」ってその女上司が誘ってくれた
悪いなあと思って断ろうとすると女上司のほうも寄ってるみたいで「よし、じゃあ行こう!」っていってぼくを引っ張るから、それにつられてほいほいと歩いていった
意外と女上司のマンションも近くにあって、もしかして徒歩で出勤してる?自動車がないのはそういうわけ?なんて思いながらも女上司の家に上がらせてもらって、そのあとにはリビングのソファにちょこっと座らされて「ちょっと待ってて」なんて言うわけ
半分はもう夢心地でぼっーとしてたら「お待たせ」って声をかけられて、振り返ればいつの間にかスウェットに着替えてしかもちょっとサイズが小さい?なんて思えるほどには体のラインが強調させれ入るもんだからなんだか妙にドキドキしてしまって目のやり場に困った。
「それ脱ぎなよ」って言われてさ、そうかとぼくも上着を脱ぐとすぐに受け取ってハンガーにかけてくれてさ、そのあと女上司が作ってきてくれたチンジャオロースで二度目の晩酌、乾杯した
底ではもう何を話したのかよく覚えてないんだけど、楽しかったことだけは覚えてる
気づけば外はもう暗くなってて、ぼくの酔いもだいぶ回ってふらふらしてたからか「よかったら泊まってく?」なんて冗談半分みたいに女上司は笑っていうんだ
それは流石に…と思ってやんわりと断ると、じゃあ少し休んでからでも良いんじゃない?と言うからそれには同意した
だからテレビを見てるようで見てないような状態が続いて、水をたくさんもらって、あと暑くて結構汗をかいていたんだ
それをみて「シャワーだけでも浴びてく?」っていうからタオルもないし断ろうとしたらタオルぐらい貸すからっていうし、なにやら結構強くおしてくるから従うことにした実際結構汗はかいててシャワーは浴びたかった
お風呂は普通ぐらいの広さで、シャワーを浴びはじめて少しすると後ろで物音がして、でも気のせいだと思ってそのままシャワーを浴びてた
でも次にははっきりと、お風呂の戸が開く音が聞こえたんだ
びっくりして反射的に振り返ると、そこには生まれたばかりの姿をした女上司がいて、ぼくに
省略されました。全てを読むにはわっふるわっふると書き込んでください。
エドガー・アラン・ポーの誕生日である毎年の1月19日にポーの墓参りをする謎の人物のこと。
「ポー・トースター」は「ポーに乾杯する者」という意味で「ポエテイスター=へぼ詩人」と掛けている。
彼はポーの記念碑の前に立ち、コニャックで乾杯し、そのボトルと、三本のバラと、ときどきメモを残していく。
黒い服につば広の帽子、銀色の杖、白いスカーフを身にまとい、顔を隠していた。
最初の目撃談は1940年頃で、彼が1998年に亡くなるまで墓参りは続いた。
1999年に残されたメモに、最初のポー・トースターが亡くなったので、息子が後を継いだとあった。
息子は、父親ほどこの行事に熱心ではないとみなされ、長年のファンからは失望された。
2009年がポーの生誕200周年だったので、それが区切りとなったのだろうと考えられた。
エドガー・アラン・ポー博物館の学芸員だったジェフ・ジェロームは、
1976年以降のすべての来訪を目撃しており、ポー・トースターが行う「秘密の合図」を知っていた。
故に、2011年に四人の偽者が登場したときもすぐに見破られ、やはり本物は現れなかった。
テレビではコロナ終息特番が流れて、それを見ながら、みんなコロナビールで乾杯するの。
そりゃ国ごとに起きた状況は違うし、それぞれの国にヒーローが居るからね。
小説とかもいっぱい書かれる。
もちろん、なろう系小説も今まで異世界モノ一辺倒だったものが、
コロナで社長が死んでなぜかバイトの俺が社長業をやることになったとか、
コロナで隔離入院中に出会った美少女が可愛すぎるんだが・・とか、
そんなの。
今までひたすら自粛自粛で抑えられていた購買欲が一気に満たされる瞬間を、商機を逃すはずがないでしょう。
ヤフオクやメルカリには、使わなくなったマスクやトイレットペーパーが格安で大量に出品される。
なんでこんなもの買いだめしていたのかと疑問に思う人が売りに出す。
転売規制は終了するも、購入価格より遥かに安く売る人ばかりで転売屋は結局儲からない。