はてなキーワード: スタンスとは
女が女を叩いて終わったとか、フェミがいつも通り暴れて終わったとか、某区議はそこまでやることだったのかとかで話題が着地してるのがもどかしい。
そもそも今回の件だって最初は特に攻撃的ではなく、これはちょっと気持ち悪いという気持ちの表明だけだった。
その気持ち悪さってのは二次元で可愛く(エロく)描かれるタイツと三次元で実用的に履くタイツは全く別の物であることを
タイツを利用する人が感覚的にわかってるから、そこの線引きがされてないことへの気持ち悪さがあったのだと思う。
この件で性的犯罪を助長するとか性的搾取だとかそんなこと思ってる人は私の観測内ではほとんどいなかった。
絵は可愛いものもあったけどそれを公式がやるのはちょっと・・・というスタンスの人たちばかりだった。
スク水の広告や幼稚園の広告に快楽天の作家を使うのはちょっとなあって感情に近いんだと思う。
(そういう意味でいうと絵師の人たちはおおむね実力を出し切って絵を見た人たちに自分の絵の魅力を伝えられたともいえる)
対立したいわけでも謝罪してほしいわけでもない。ツイッターの中の人を攻撃したいわけでもない。善悪で語ることでもない。
でも終わってみると結局はそこに着地している。不毛すぎる。
今回、ちょっとこれは不快だなって思った多くのタイツ利用者達は・・・だと主語が大きいので、少なくとも私はそんなことを望んでるわけじゃない。
なのになんでそこに着地してしまうんだろう。謝罪はしなくていいんだよ。これがいいと思った企画なんだから企業として自信を持って出し続ければいい。
そのうえで私たちタイツ利用者がそのPRに対してYESとするかNOとするかきちんと企業が見極めて欲しい。それがマーケティングってやつじゃないの?
炎上したから消火しなきゃいけないなら、企画意図をきちんと説明するとか(まあ興奮している人たちがきちんとそれを受け取れるかは別として)
謝罪以外のなんかはないのかな。一部の過激な人たちの大声とアツギ製品ヘビーユーザーではなさそうな人たちとの応酬で何も解決せずに臭いものには蓋で終わってしまうんだよこれじゃあ。
だから同じことを何度も繰り返すんじゃないの?結局いっつもこれで終わりじゃん。
違うんだよ。そうじゃないんだよ。どうしたらいいんだよこの気持ち。メールで伝えればいいのかなぁ。大企業に伝わるのかなあこういうのって。
炎上しているタイツの件、ちょっとなんかうまく考えがまとまらんからつらつら書く。
色々考えると、「RTされている各絵師のファン」がターゲットなのだろう、と思ったのだけど、そうすると別に公式が全部の絵をRTしなくても良かったんじゃ?みたいな印象があるというか。
いわゆる「普通のOL/学生の一幕」としてただ道を歩いていたり仕事をしている作品は別に違和感がなかったんだけど、話題になってるスカートたくし上げしかり、「異性を誘うシーン(しかもどちらかというと無防備に誘っているシーン)」の方が気になったのよね。
ラブタイツっいうフレーズは、タイツで異性の視線をくぎ付けにする「モテ」の文脈や、タイツに対する偏愛を表す「フェチ」の文脈、ただただタイツのある生活って良いよねって言う「ライフワーク」の三つの文脈に理解することができると感じていたんだけど、特に一つ目と二つ目の印象が強い作品が多かったことは事実。
多分「どれかは刺さるやろ」みたいな感じのスタンスだったと思うんだけど、広告的には「ライフワーク」の文脈で語るのが一番良かったんじゃないかと。
ていうか、そもそもなんで絵師のツイートをRTする形式だったんだろうね。
これは上記の通り各絵師のファンがターゲット層だ、って言うのはわかるんだけど、R18の絵を描いている絵師もいる以上、そういう絵師には性的なリプがつきやすいから、その辺もう少し気を遣ってあげた方が良かったんじゃ。
最後に、これはすごい気になってるんだけど、タイツのパッケージ(実写のヤツ)ってエロいよね?
自分が脚フェチだからそう感じるのか、あるいは脚フェチじゃなくてもそう感じるのか、脚のラインがスラっとしてるパッケージでエロいなぁ、と思ってしまうんだけど。
そういうエロさを避けるために、一般に「スクールタイツ」と呼ばれるものは少女漫画タッチだったり、色数が極端に少なかったり、ポージングも特にただ歩いているだけにしたり女子二人の友情っぽさを出したりと、性的なニュアンスをかなり弱めたタッチの女子校生のイラストを使ってるんだと思うんだけど。
アツギ問題、あれに心底怒りを感じるなら当該公式アカウントにDMで、
あるいは企業窓口に直接クレームつけて自制なり改善なりを促すだけでいいんじゃないの?
改善させる義理もないと思うのであれば、黙って二度と買わなきゃいいんじゃないの?
自分が不快と感じたその瞬間に、開けた場であっさりお気持ち表明するのってどうなん。
「オタク的な視点に染まってる」「絵師は悪くないけど企業のスタンスはクソ」「アカウントの私物化」「マーケティングの失敗」
たとえ冷静にもっともな問題点を指摘しているつもりだとしても、いやむしろそういう目線になれるからこそ、
その声が集まって結果的に感情でぶっ叩く機運が形成されるかも、という結果を想像してほしい。
今その話題に自分が言及する意味があるのか、広く同意を得られることを無意識に期待して投稿しようとしてないか、
それこそ冷静になって考えてくれよ。
そのツイート、知らないかもしれんけど不特定多数の人間が見れるんよ。
内心で炎上させたい!火が上がるのを見たい!という意図があるなら止められないけどさ。
そうじゃないんなら、現在進行形でやらかしてるやつなんてスルーしとけよ。
大多数が不快に思っているという確信があるなら、そんな目線のなかで恥かいてるだけで十分だろ。
いくら気色悪くてもわざわざ何がだめかを部外者のバカにもわかる形でまとめて
個人の意見という御旗のもとにさらし者にしてやんなよ。たとえ企業アカでも中身は個人なんだから。
インターネットで争ってる人は怒っているのは敵対勢力だけだと思っているし、
「あくまで自分は敵対勢力の問題点を冷静に指摘しているだけ」みたいなスタンスで物申してる。
インターネットで争わないでください。
俺は怒っています。
ネタバレあり。
アマゾンプライムのバチェロレッテという番組の結末が話題になっている。
福田さんという才色兼備でお金持ちの家庭の女性を巡って17名の個性豊かな男性が競い合い最終的に一人が選ばれるというコンセプトの番組だ。
で、今回何が起きたかというと最終的に2人まで絞り込まれたうちの1人を選ぶというところで「やっぱり二人とも違う」として誰も選ばない選択をしたことで物議を呼んだ。
個人的には17名のなかにやっぱりタイプの男性がいなかった、という結論になること自体はしょうがない部分もあると思っている。
人は感情の生き物だし、ダメなもんはダメ、ということもあるだろうと思う。まして、世間からの注目度も高い状況だし、選んだ事実はその後も消えない。そこで踏ん切りがつかなかった、妥協できなかった、という結論になることもまあわからなくもない。
違和感を感じたのはそこではなくて、その数か月後の出演者があつまってのアフタートーク的なコーナー。
最初は男性陣だけでのトーク。この結末を知って途中で落とされた男性陣の中には怒りを露わにする人もいた。その気持ちもよくわかる。
「この17人のうちで1番になれば選ばれる」というルールを信じてやってきたものの、17人のなかで1番になっても選ばれないこともある、
というのを後出しで提示されたようなものだから「そりゃ話がちがうよ」となるのも無理ない。
その後、福田さんが登場してコメントをするのであるがここに違和感を感じた。男性陣のなかから「(誰も選ばないというのは)卑怯だ」という指摘に対して
『これは私の旅であり私の決断。私の人生を決めるのは私。私の決断に迷いはない。』
といったニュアンスのコメントを強い口調で終始繰り返し続けたのだ。そのスタンスは「私は正しい決断をしたと思ってる。周りがどう思うが勝手。」「私のことは私が決めるんだから外野はとやかく言うな」と言ってるような印象を受けた。
ここに違和感を感じた。”他者”への配慮があまりにかけていると思ったからだ。
たしかに”私の旅”であり”私の物語”なのかもしれない、でもここまで”旅”や”物語”は男性陣や番組のスタッフなど多くの人の協力なしには辿りつかないものなんじゃないかなと思ったのだ。
そこへの感謝なり敬意があるなら”申し訳なさ”の表明が最初にあるべきじゃないのかなとも思ったのである。
仮に「まず始めに男性陣、スタッフの皆さんに本当に申し訳なく思っている、でもどうしても選べなかった。すみません」というスタンスだったら大分印象も違ったと思う。
礼儀がなってない!とか言いたいわけでは全くなくて、なんというか根っこのところで周りへの感謝が結局はないのかなと感じたのだ。
もちろん本人も余裕がなく「私の物語!」と突っぱねるしか出来なかったのかもしれないし、放送にのっていないところでは謝っていたのかもしれないのであくまで放送されている内容を外野から見て感じたことに過ぎない
元増田です。思いもよらず色々なご意見を頂いて、私自身も自分のスタンスについて色々と考えたり、反省する部分もあったりしています。
私自身、二次創作をしている以上、キャラクターやコンテンツを「消費」している自覚があります。可愛いと思うことも間違いなく消費で、性的な消費より軽いわけでも良いわけでもないと思います。あと、何かに対して性的魅力を「感じること」そのものを否定したり攻撃したりする意図はありませんし、理解できないわけでもないです(アウトプットの話をしたつもりでした)。
私自身、言葉も絵も(正解なんて存在しないわけですが)アウトプットをするならば、自分が自分を許せるところまで突き詰めて考えていかなければいけないのだな…と改めて思っています。自分自身が人やコンテンツに向ける言葉も。
心が弱い、向いてないのお言葉もとてもわかるのですが、無視できるようになったら、平気になってしまったら、自分が自分を許せなくなってしまうので、とりあえず増田に吐くのは今回だけにして、自分の中で色々考えていきます。死にたくならない程度に(自分にとっての衝撃の度合いはともかく、これは言葉が不適切だったなと反省しています…)。
ありがとうございました。
割とマジでそこら辺のペットが知恵つけて「よそのお家はもっといいエサ食ってるぞ」ってギャアギャアわめいてるのが今のフェミニズムに過ぎないんだよ
だってあいつら結局「自分は社会のお客様で、だから社会の問題に自分たちは一切関係ない、リソースを払うことも譲歩することもない」ってスタンスを崩すつもりがないんだから
最初に言っておきますが、愚痴というよりは毒吐きです。読む人によっては傷付いたり不快になったりすると思います。
ダメージを受ける恐れのある人は、読むのをお控えください。ダメだと思った時点でそっ閉じしてください。責任は取れませんので、マジ自衛してください。
また、面白くもないと思います。日頃のモヤモヤを書き散らしただけです。エスプリも効いてません。読むだけ時間の無駄です。
本当に責任取りませんよ?いいですか?
「二次創作は全て妄想。だから全て解釈違いで、全てのセリフが『○○はこんなこと言わない』だから」。
と、自分に言い聞かせてまいりましたが、最近、限界を感じております。
これ、建前じゃね?やっぱり、キャラ像を尊重して描く人と、自分の萌えのために歪めても平気な人がいねぇ?
いや、もちろん公式ではデキてないキャラ同士をくっつけて好きだなんだと言わせるワケだから、歪んでるのはお互い様なのかもしれんけども、それは分かってるけども、私の言いたいのはそういう事じゃない。
四角いトマトみたいに、自分の萌えの枠にキャラを押し込めて、「確かに赤いしヘタは付いてるけど…」みたいな、これトマト?????ってなるぐらい形の変わったキャラが量産されてない?
特に受け。元のキャラがどんな性格だろうと関係ない。テンプレートのようにすぐ照れて赤面し、可愛らしく恥じらって攻めを拒み、でも嫌よ嫌よも好きのうちっていう、どの界隈に行っても同じ、正に型に嵌めたように改変されてしまう。
ついでに言うと容姿も関係なく、原作では特に整った容姿とされていなくても、何故か二次創作では美女扱いで、やたらと同性にモッテモテにされる事も少なくない。渡る世間はホモばかりか。
私は『原作のAとB』が好きで、AとBだからこそのストーリーが読みたいんだけど、みんなはAとBのハリボテだけ流用した少女漫画が読みたいのか?と思ってしまう。
今私の居る界隈の受けは、プライドが高く好戦的で、粗暴で口も汚く、喧嘩っ早くて手やら足やらすぐに出る。非常に男らしい、原作においてはチンピラ扱いのようなキャラである。
そんな受けですら、攻めに迫られると、たちまち頬を染めて俯いて顔を逸らし、「いや♡だめ♡恥ずかしい…♡」的なセリフをのたまい、弱々しく腕を突っ張って抵抗(のフリを)し、そうこうしてる内に攻めの手管にメロメロ腰砕けになって流される…みたいな二次創作を、腐るほど見かける。
むしろそちらが主流と言っても過言ではないほどである。しかもそれがそれなりに評価もされる。作家同士のおべっかならまだ分かるが、支部のコメント欄でも「○○さんのB、めちゃくちゃ可愛いです〜♡」といった反応をよく見かける。
そりゃあ、原作にはBがAに性的に迫られるシーンなど出て来ないのだから、Bの反応は完全に妄想となる。それは分かる。分かっているのだが。
上記の、少女漫画のヒロインのような受け(いや、今どき少女漫画でも、こんな乙女全開のヒロインなんて少ないんじゃないか?知らんけど)の二次創作を読んでも、感想は「誰コレ?」しか出て来ないし、「あなたは原作のBを好きになったのではないのですか…?本当にBはこんな反応すると思って描いてますか…?こんなB見たいですか…?あなたの中のBはこんなキャラなんですか…?私と同じ原作読んでますか…?」と小一時間問い詰めたくなる。
それから攻めも。何で二次創作の攻めはあんなに猿みたいに受けの尻の事しか考えてないんだろう…。とにかく所構わずヤりたがる。年中発情期。そりゃエロ需要が高いのは分かるけども、抱きたい=愛情みたいなアピールをしてくる攻めがあまりに多くて、可哀想にすらなってくる。
端的に例えて言うなら、ド○え○んのノビジャイにハマッて支部を漁ってみたら、読む作品読む作品、肉食系俺様なノビと泣き虫乙女なジャイ(しかも何でか姉○崎寧○みたいな口調で喋る)ばかりで、しかもそれが持てはやされているぐらいの違和感である。
私にとって二次創作は、前提として原作萌えありきで、AとBへの萌えありきで、ゆえにAはAらしく、BはBらしくある事は非常に重要な事である。この「らしく」があくまで私の脳内像である事は理解しているが、それにしても同じ作品を読んで同じキャラに萌えたのだから、私以外の腐作家腐読者の脳内でも、根本的には大きくズレてはいない筈だと思っている。思っていた。
しかしあまりにも、あまりにもAとBの容姿と設定だけを拝借した少女漫画が主流過ぎて、分からなくなった。
もちろん、中にはAらしいA・BらしいBを追求して描いておられる(と私は感じる)作家さんも少なくはない。
しかし更に分からないのは、その原作に則ったABを描いておられる作家さんが、ハリボテABを描く作家さんとも交流し、作品を褒め合っている点である。
単に雑食でそれはそれとして楽しんでおられるのか、人それぞれだと割り切っておられるのか、描く時の好みと読む時の好みは別の話なのか、心にもないお世辞を平気で言えるコミュ力のある人なのかは分からないが。
私は内心で「誰コレ?」と思いながら「可愛いですー!」なんて言いたくない。「Bはこんな反応しない」と思いながら「キュンキュンしました♡」なんて言いたくない。言えなくはないが言いたくない。お陰様でどんどん孤立しているが、言わない。
だって嘘なのだ。心にもない事なのだ。言う方もだが、言われる方もそれでいいのか?嬉しいか?と思ってしまう。
表面上はそれで交流が広がるかもしれないが、内心では「私にはサッパリ良いと感じない作品を描く人」と思いながら交流を広げて何になるというのだ。いや交流にメリットはあるのかもしれないが、果てしなく疲れるその社交辞令に見合うだけの何かがあるのだろうか。
何より、心にもない賛辞で相手を持ち上げるのは、相手に対しても失礼であると私は思う。どうでもいい相手とのどうでもいい場面では幾らでも言えるが(そういう場面では相手もお世辞として受け取るから)、相手を尊重するからこそ、私は100%のお世辞は言わない。
自分が言われる側に立ってもそう思うのでそうしている。本当に好きで評価して言ってくれているのか、社交辞令としてお世辞で褒めているのかは、聞いていても何となく分かる。分かってしまう。
いい子いい子はどうでもいい子、というヤツだ。
お高く留まっているという非難は甘んじて受ける。お世辞を言うのが嫌なら、素直に相手を尊敬し、本心から褒めればいいのだ。正直、私もそう出来るならそうしたいという気持ちはある。
でも嫌なのだ。出来ないのだ。好きでないものを好ましく感じろと言われても難しいのだ。
私が好きになったAとBからかけ離れているように感じる作品を、それを描く人を、褒める事は出来ない。作品は別として本人を好きになる事は出来るかもしれんが、二次界隈の交流は、作品を褒める事が大前提なので。
分からないのは、「何故ハリボテ(に私には見える)作品が主流なのか?」という点。
みんな原作を好きになって原作のキャラを好きになって、だからこそ二次創作を始めた筈なのに、いつの間にか二次創作でのキャラ像をこそ好み、持てはやし、蔓延させている点。
中には、原作と二次創作は完全に別物と考えて、キャラ崩壊は自覚した上で「これが私の作風」とお考えの方もいらっしゃるでしょう。それはそれで分からなくもない。
消化出来ないのは、何の疑問も持たず、『二次創作で捏造されたAとB像』に迎合してる方々です。
姿だけ借りた別キャラの話が読みたかったんですか?それ、そのキャラである必要ってありますか?
それとも皆さん、全て見えてて分かった上で楽しんでらっしゃるのかしら。
だとしたら、原作のキャラ設定とバックボーンと人気を拝借するだけして、自分の萌えに沿うように改変して、キャラ崩壊してでも都合良く動かした作品が描きたいのだとしたら。
それはもうファンアートではないのではないかしら…?原作へのリスペクトが希薄すぎやしないかしら…?
キャラ崩壊が凄まじいと、どんなに完成度が高くても、いやむしろレベルが高ければ高いほど、オリジナルでやれば?って思っちゃうです、個人的には。
だからといってハリボテ(に私には見える)作品や作者を攻撃しようというつもりはないのです。これでも一応。
結局のところ、作風もスタンスも「人それぞれ」って話に落ち着きますし、好きなものを好きなように描くのが二次創作なのだから、それを邪魔するつもりはないです。私には良さが分からないけど評価されてるワケだから、需要があるんでしょうし。
ただ、何度も言うように自分がマイノリティ側であると感じるので、言えないんですよ、誰にも。吐き出したかった。
交流が広がらないのは仕方ないので別に構わないんですけど、同じ原作を読んで同じABに沼ってAB界隈に居るハズなのに、何で原作のイメージに近いABがマイノリティなのか。ホント意味分かんない…。
一方で、マイノリティながら、同じ苦悩を抱える方も絶対にいらっしゃる筈だという思いもあります。
〇〇選手がジャイアンツに指名されました、というように、球団が一方的に選手を選ぶ。
ただし拒否することもできる。拒否した場合は、来年以降のドラフトで指名されないとプロ入りはできない。
「どの球団に行ったら一番力を発揮できるか」という観点は全く置いてけぼり。
ひどいマッチングだ。
野球が上手い選手ほど、行きたい球団には行けないのだ。本来は選ぶ立場にあるような選手なのに。
あまり注目されてない選手なら、スカウトと仲良くなった球団から指名されるだろうし、選手側から選ぶという意識もあまり無いだろう。指名されればどこでもいいというスタンスに寄っていく。
しかも一度プロ入りしたら最後、10年近く活躍しないとFAで自由に移籍できない。
ドラフトでは東京に家族も友人もいるのに、地方に飛ばされる事なんてザラだ。結局はFA宣言して東京に帰る。人として失われた10年を過ごしている。
自民党なんて中道左派でしかなくってアレが右翼だって言われたら諸外国の右翼に笑われる
自分のスタンスより左側に居る奴を右翼って言ってるだけ定期って奴な
だから日本で反安倍の人たち俺の言ってることを理解出来ないから安倍なんて支持しているんだ!ってスタンスをとって安倍支持層を馬鹿にして乖離が起きている
これはまぁアメリカのリベラル層が反トランプでやってることと一緒なんだけど自覚出来ないから改善されない
指示されないと真実を知っている私!に酔っていってもっと乖離を起こしていくだけ
(アメリカのリベラルは差別なんてしない!って言ってるのにトランプ婦人の英語に移民だから英語もまともにみたいなこと言っちゃった人とかな)
若者が安倍首相をというか自民党を支持しているのは「俺にもっと良い生活をさせてくれ」を実行して就業率の改善と国内産業の回帰をやった結果でしかないよ