ネタバレあり。
アマゾンプライムのバチェロレッテという番組の結末が話題になっている。
福田さんという才色兼備でお金持ちの家庭の女性を巡って17名の個性豊かな男性が競い合い最終的に一人が選ばれるというコンセプトの番組だ。
で、今回何が起きたかというと最終的に2人まで絞り込まれたうちの1人を選ぶというところで「やっぱり二人とも違う」として誰も選ばない選択をしたことで物議を呼んだ。
個人的には17名のなかにやっぱりタイプの男性がいなかった、という結論になること自体はしょうがない部分もあると思っている。
人は感情の生き物だし、ダメなもんはダメ、ということもあるだろうと思う。まして、世間からの注目度も高い状況だし、選んだ事実はその後も消えない。そこで踏ん切りがつかなかった、妥協できなかった、という結論になることもまあわからなくもない。
違和感を感じたのはそこではなくて、その数か月後の出演者があつまってのアフタートーク的なコーナー。
最初は男性陣だけでのトーク。この結末を知って途中で落とされた男性陣の中には怒りを露わにする人もいた。その気持ちもよくわかる。
「この17人のうちで1番になれば選ばれる」というルールを信じてやってきたものの、17人のなかで1番になっても選ばれないこともある、
というのを後出しで提示されたようなものだから「そりゃ話がちがうよ」となるのも無理ない。
その後、福田さんが登場してコメントをするのであるがここに違和感を感じた。男性陣のなかから「(誰も選ばないというのは)卑怯だ」という指摘に対して
『これは私の旅であり私の決断。私の人生を決めるのは私。私の決断に迷いはない。』
といったニュアンスのコメントを強い口調で終始繰り返し続けたのだ。そのスタンスは「私は正しい決断をしたと思ってる。周りがどう思うが勝手。」「私のことは私が決めるんだから外野はとやかく言うな」と言ってるような印象を受けた。
ここに違和感を感じた。”他者”への配慮があまりにかけていると思ったからだ。
たしかに”私の旅”であり”私の物語”なのかもしれない、でもここまで”旅”や”物語”は男性陣や番組のスタッフなど多くの人の協力なしには辿りつかないものなんじゃないかなと思ったのだ。
そこへの感謝なり敬意があるなら”申し訳なさ”の表明が最初にあるべきじゃないのかなとも思ったのである。
仮に「まず始めに男性陣、スタッフの皆さんに本当に申し訳なく思っている、でもどうしても選べなかった。すみません」というスタンスだったら大分印象も違ったと思う。
礼儀がなってない!とか言いたいわけでは全くなくて、なんというか根っこのところで周りへの感謝が結局はないのかなと感じたのだ。
もちろん本人も余裕がなく「私の物語!」と突っぱねるしか出来なかったのかもしれないし、放送にのっていないところでは謝っていたのかもしれないのであくまで放送されている内容を外野から見て感じたことに過ぎない
たかだか出演しただけの番組のルールに人生決定かけろって流石にフィクションと現実の区別ついてないっしょ 17人が怒ってるのもプロレス
素朴だけでかわいくて一番モテルタイプの町屋の娘さん的な人でバチェロレッテ開催して、最初は遠慮がちで申し訳なさそうだったのに、男を切っていく過程で娘さん性格に徐々に変容...
プラダを着た悪魔見とけ