はてなキーワード: まなざしとは
現在日経に掲載されたたわわがホットですが、この手の話題って結構ありましたよね。
性的なまなざしだーーって批判する側はポルノを全て廃止せよとは言ってないんだよね。今回もナゼに日経に??ってのが焦点なわけで。つまりはゾーニングきちんとやってね、って要望なのよね。
なのに、アンチフェミとやらは表現の自由をたてにあーだこーだ言ってるわけだ。
で、思い出したのが、道端で己のイチモツをしごいてたおっさんのこと。
自分の部屋の中でやりゃーいいもんを、何故か他人に見せつけるようにシコシコしてるわけだ。見せつけるようにね。
たわわや温泉むすめもそう。見せつけてくるのね。そしてあーだこーだ言って何がエロいんだ??みたいな口ぶりでさ。やめてやめてというほど絡んでくる。
乳がでかいというか、デブ寄りなので乳もあるといったほうが正しい。
比較的不美人でデブで乳もある状態だと、人と比較しがちな思春期の頃などは乳があることに自分のアイデンティティを置いてしまっていた。それがルッキズムに包摂された結果だとか、後知恵の指摘はいくらでもできるが、とにかく自信のなかった思春期前後はデブだろうと乳があり、それが他者から求められることもあるという事実を嬉しく思っていた。
また、根暗陰キャなので美少女のイラストも好きだった。乳のでかいカワイイ女が描いてあると嬉しい。素朴にそういう気持ちがあった。
幸い、今は自分が生きる上で積み重ねたものによって、乳以外にも自分を大切にできるポイントがある。だから昔ほど乳をアイデンティティの置所としてはいないが、宇崎ちゃん前後に始まりたわわに至る巨乳イラストのバッシングは自分の気持ちとして少々苦しいと感じている。題材や文脈に対する不適切性を指摘されるのは仕方ないと感じるし現実にまなざしを受けるこれからの世代への配慮という論理は理解もできるが、まさに現実にあるまなざしによって救われた自己肯定感があると私は知っている。もちろん、乳がでかいことによって不快な思いもした。しかし私にとって、それは足し合わせて得点を出すものではなく、両方とも存在したのだ。そんな自己肯定感はまやかしだというのもわかる。ただ、自分を大事にするために、自分の足で歩いていくために自分が最初に握っていた自己肯定感は「乳がでかい」ことだけだった。
連呼したが、別に乳がでかかったことが重要なのではない。万人に対して正しいわけではないものに自分は救われた、救われてしまった、というような経験は、誰しもあるのではないかと思う。この気持ちの置きどころがなくて、ウロウロしている。
https://anond.hatelabo.jp/20220412020152
この件、なぜか「ジェンダー広告のリスク専門家」という謎の肩書のせいでジブレンゲさんだけが注目されているが
覇封捕棲屠の例の記事は、インタビュワーもインタビューされる教授も両方ともが元日経新聞記者だ。
https://www.huffingtonpost.jp/author/chuni-kim
https://twitter.com/chu_ni_kim
https://researchmap.jp/chunikim/education
この記者は経歴から見てもジブレンゲさんよりはるかにこの問題についてガチ勢だ。
今までは発達障害関連の話ばかりしていたようだが、この人の興味のあるトピックは「まなざし」である。
https://twitter.com/chu_ni_kim/status/1512951662138183680
今回の件でもこのように書いている。
https://twitter.com/chu_ni_kim/status/1512650983188271106
明らかに今回の文章は、インタビュー内容よりも記者の主観が色濃く反映されている。
ジブレンゲさんも言い訳はしていないからそれに類することは発言したのだろうが地の文について金春喜さんの誇張がたぶんに含まれているとみるべきだ。
6月と12月は給料とボーナス両方あってめっちゃうれしかった思い出(ボーナスだけだと思っていた)
>タイムカードが無い
うちはある。非接触ICカードで電子管理。サビ残すると怒られる(から先に退勤したことにする人もいるし、何を言われても全面放置の人もいる)。
>始業時間よりかなり早く出勤する
おじさんはめっさ早いけど人によってバラバラ。若いもんは早く来て机を拭けとか言われたけどやったことない。
>サビ残が当たり前
休日出勤が当たり前な雰囲気はある。みんな閉庁日も普通に来る。
>静かすぎる
フロアによるなぁ。福祉や戸籍関係は常に怒号だけど、総務財政界隈は超静か。
自然と仲良しグループができるからハミるとぼっちになる。就業中も休憩中も同じ。
朝のあいさつはそれなりにある。
>前職のほうが給料がいい
民間経験ないからわからんけど、田舎では公務員は「高給取り」だと妬まれるから、うっとうしくてしんどい。
>名刺が自腹
うちも自腹。みんな自分で勝手に作ってるからレイアウトも肩書表記も部署表記もバラバラ。いいのかそれで…
>縦割り過ぎる
話の通し方には順番がある、と教えてもらったけど、それより担当者と上層部のつながりの濃さですべてが決まる気がする。
>辞めても失業保険が貰えない
民間に勤めている友人に言ったら「そらクビにならんからだろ。失業しないはずだから保険なんか必要ないって考えじゃないの?」と言われた。
>組合
反核運動とか推しの政治家とかどうでもいいから、ぼくらの福利厚生に力を注いでほしいと思う所存。
冷蔵庫はある。けどいつ誰が入れたものかわからないものであふれて混迷を極めている。
電磁調理器と電気ポットもある。電子レンジない(ほしかった)。
特定の時期だけじゃない?互助会かなんかであっせんしてるやつ。
以前は執務時間中に銀行員がフロア内をちょろちょろしていたが、出禁になったらしい。
せめて掃除道具そろえてくれ。それから水を使う屋外清掃は年末にやらなくてもいいだろ…
役所内外から「ここ(役所)で働けないような奴が民間で勤まるわけねーだろ」と言われ続けているが、どうなんだろうか。
役所でも与えられた仕事を満足にできていないのは確かに事実だが…
>異動がよくあるくせにろくに引き継ぎをせず、それぞれの解釈でやってる仕事
あるある。超ある。仕事のやり方は基本口伝え。マニュアルなんか存在しないか、誰かが作ったお手製マニュアルがアップデートされずに引き継がれるか。
年度末になって「やってないのかよ!」→「だって聞いていない!」→「誰かに聞けや!前の書類見ろや!わからんなら前任にも聞けや!」の応酬。
なんかマニュアル整備のシステム入れてほしいけど、入れたって誰も使わないのは目に見えてるなぁ。
新規採用(中途採用含む)は半年か1年くらい人事預かりでギッチリ研修でもいいくらいだと思う。自分のときはそうしてほしかったけど、いきなり現場投入だった。
>地方は特に公務員信仰が強い。公務員になりさえすれば一生安泰みたいな意識がある。
確かに公務員への羨望のまなざしはすごい。親族が公務員になれて心底うれしい、みたいな年寄りとかいる(うちもそうだった)。
でも市民からの妬み嫉みは激しい。「昼はタバコ吹かしてひまつぶしして定時で上がれて休みはたっぷりの高給取り」っていまだに思われてる。
>公務員は組織としての体質が古すぎる。働き方改革なんて言葉は存在しなかった。
スラックとかラインワークスとか名刺管理とか便利ツール入れても絶対だれも使わない。
テレワークつったって、基幹業務系はインターネットから完全に切り離されてるから結局どうにもできない。
>今はなんかモチベが下がりすぎて、できるだけ責任がなく仕事も少なくぼんやり過ごしたいとばかり考えている。
部署によるけど(市町村役場の場合)市民が職員ご指名で執拗に窓口へ通い詰めてきて(あるいは電話で、はたまた呼び出されて)何時間も詰り倒される、とか普通にあるけど、誰も助けには来ないから。
私は確かに館林ルイの偽者でしたけれど、ご主人様は女性として生きていたころから好きでした。
だからたまにはご主人様が美空として生きていた頃の姿も見たいのです。
双子でも成長につれ微妙に顔つきが異なっていくように私の姿とご主人様のスーツの中の女としての姿は微妙に違うはずです。
その唯一無二のありのままのご主人様の女性としての姿も愛でたいのです。
私が他の女とレズセックスをするようになってしまってもいいのですか。
その肉体が着脱可能なスーツと考えてみるといろんなプレイが思い浮かぶのです。
たとえば背中が開くようになっているはずなのですが、そうしてぱっくり見えた背中とスーツとのコントラストを楽しんだり、あなたの女としての身体が放つ蒸れと体臭を今すぐ嗅いでみたりしたいのです。
今の私は美空そのものでその体臭とかもご主人様の女性としての肉体が発するものと同じはずなのでしょうが、やっぱりいくら好きな人の体臭でも一度それに成り代わってしまっては、自分で自分を嗅ぐということに興奮することには限界があるのです。
小難しい言い方になってしまいますが自己ではない客体というか、自分の身体とは異なるものとして「美空」の匂いを嗅いで見たいのです。それは当然赤の他人に美空のスーツを着てもらうとかではなく、あらゆる意味でご主人様の女としてのもともとの身体が相応しい。
妥協案もあります。せめて顔の部分だけでもスーツを脱いでみてくれませんか。男性の肉体に不釣合いな可愛らしいご主人様の顔というのもまた想像するだけで悶えて来るのです。男女としてのセックスではなくたまにはそんなプレイも楽しんでみたいのです。
せっかくもともとは可愛らしい女性の姿で生まれて来たのですから、たまにはその可憐な顔も見せてください。その愛のあるまなざしやサドな表情は女性としての顔であってもいささかも魅力を失うものではありません。それどころかその顔のみの魅力というものも私は見出しているのです。
フェミニストが女性が職場に入るとお客さんか二級市民扱いで、ろくに仕事をもらえないし、男性と同じ働きをしても同じように評価されないというけれど、ここではその逆バージョンを体験できるね。
知識不足や配慮不足に対して軽蔑と侮蔑のまなざしで見てくる小児科医。この辺、女医のほうがカジュアルにいわゆるマンスプレイニングしてくる。
「よくお手伝いしてくれていいねぇ」とパパをお手伝い扱いする児童館職員。
女性だけの気を使わない集まりだから...と、パパの参加が拒否される会合。
ママが来ることしか想定されていない児童館や幼稚園での呼びかけ。
こういう状況を子供が生まれてからずっと経験していると、「もういいや二級市民で」と思うようになった。
逆に、ママさんたちのべたべたした付き合いが面倒くさいみたいなときにパパ言ってーと便利に使われてるよ。
もうさ、それでいいじゃん。男なんてそういうポジションでさ。
最近は専業主婦希望の女性が増えていて、フェミニストの方々が「女性が二級市民扱いされているから意欲を失ってこうなっているんだ!」というけれど、まあ、逆の立場でいて思うんだよね。
たしかに、パパであることでママだったら当然やるよねみたいな義務が外れていて、それは楽だなって。
最初から期待されていないから、周囲のプレッシャーみたいなのはママさんに比べると軽いと思う。
子供が生まれたころに持っていた「僕が一番、育児をうまくできるんだ」みたいな気をはった時に比べたら、ほんと楽です。今の期待されていない感じが。
人の親の立場から、世界中の子どもは守られるべきだと思っているし、その一環として、現在の日本で、二次元で子どもの性的コンテンツが”あふれている”というこの状況に対して、非常に憂慮している。
二次元で性的な子どもの姿が描かれても、直接的に被害を受ける子どもはいないが、まわりまわって子どもが被害を受けることになる。
「子どもを性的に見て良い」というメッセージの発信になるからだ。
例えば海外で、やたら馬鹿なアジア人が書かれていたり、アジア人が馬鹿にされているコンテンツがあふれていたとする。
そうすると、それがたとえ絵であっても、周りの人が「アジア人は馬鹿にして良いんだ」というメッセージを受け取ることになるだろう。
別にスカトロマニアAVみたいに、規模が小さくこっそりやっている分には特に叩かれないだろう。
それこそ温泉娘が公式でやってしまうくらい、「子どもを性的に見るしぐさ」というのは根深く存在している。
女子高生=性的、制服=性的というのは、もはやありふれた記号の一部と化している。
それは絶対通過しなければならないいけない道で、子供に選択肢はない。
今までランドセルを背負っていたのに、制服を着て、一つ学年が上がった瞬間に、女子児童はがいやでも、性的にみられてしまうのだ。
余談ではあるが、私もセーラー服を着て通学していた時は、1時間の満員電車の中で痴漢に遭遇する確率は300%だった。
入れ替わり立ち代わり、大体3回くらいやられるのだ。
しかし、セーラー服を脱いだ瞬間、大学生になった瞬間、私はぱったり痴漢にあわなくなった。
これは「制服」という、エロティックな記号を脱したからだと思っている。
先ほどアジア人のたとえをしたが、アジア人を馬鹿にする方がまだましだと思っている。
中高生のころの自分たちを思い出してほしい。どれだけ社会に対して働きかけができたか?
学校という檻の中で、一生懸命先生に従い、家庭では親に従い、大人のことを信じて成長している存在なのだ。
そのような未熟な存在を、社会が性的なまなざしを向けることは、はっきり言って卑劣極まりないと思っている。
とにかく、社会全体で「子どもを性的に見るのは許さない」というメッセージを発信する必要があると思っている。
パイが大きいので、女子児童だけの話をしたが、これはもちろん、男子児童も性的に見るべきではないという話です。当たり前である。
二次元で性的な子どもの姿が描かれても、直接的に被害を受ける子どもはいないが、まわりまわって子どもが被害を受けることになる。
「子どもを性的に見て良い」というメッセージの発信になるからだ。
例えば海外で、やたら馬鹿なアジア人が書かれていたり、アジア人が馬鹿にされているコンテンツがあふれていたとする。
そうすると、それがたとえ絵であっても、周りの人が「アジア人は馬鹿にして良いんだ」というメッセージを受け取ることになるだろう。
別にスカトロマニアAVみたいに、規模が小さくこっそりやっている分には特に叩かれないだろう。
それこそ温泉娘が公式でやってしまうくらい、「子どもを性的に見るしぐさ」というのは根深く存在している。
女子高生=性的、制服=性的というのは、もはやありふれた記号の一部と化している。
今までランドセルを背負っていたのに、制服を着て、一つ学年が上がった瞬間に、女子児童はがいやでも、性的にみられてしまうのだ。
余談ではあるが、私もセーラー服を着て通学していた時は、1時間の満員電車の中で痴漢に遭遇する確率は300%だった。
入れ替わり立ち代わり、大体3回くらいやられるのだ。
しかし、セーラー服を脱いだ瞬間、大学生になった瞬間、私はぱったり痴漢にあわなくなった。
これは「制服」という、エロティックな記号を脱したからだと思っている。
先ほどアジア人のたとえをしたが、アジア人を馬鹿にする方がまだましだと思っている。
中高生のころの自分たちを思い出してほしい。どれだけ社会に対して働きかけができたか?
学校という檻の中で、一生懸命先生に従い、家庭では親に従い、大人のことを信じて成長している存在なのだ。
そのような未熟な存在を、社会が性的なまなざしを向けることは、はっきり言って卑劣極まりないと思っている。
とにかく、社会全体で「子どもを性的に見るのは許さない」というメッセージを発信する必要があると思っている。
サンプルが少なくて申し訳ないんだけど、身の回りでもYouTubeでもSNSでも無能な働き者は必ずPanasonicのレッツノート使ってるんだよね。
なんで?
個人的にはレッツノートには何の恨みもないし関心もないけど、レッツノート見ると、「うわぁ、自分では仕事できると思ってるんだろうなあ」っていう偏見のまなざしを向けてしまう。
申し訳ないのだけれども仕方がない。
ちなみに元増田はマックユーザーではないことをあらかじめお断りしておく。
あと、レッツノートって外部メディアの位置とかタッチパッドとかどう見ても使いづらいよね?