2022-04-21

乳のでかい女として生きてきたが

乳がでかいというか、デブ寄りなので乳もあるといったほうが正しい。

比較的不美人デブで乳もある状態だと、人と比較しがちな思春期の頃などは乳があることに自分アイデンティティを置いてしまっていた。それがルッキズム包摂された結果だとか、後知恵の指摘はいくらでもできるが、とにかく自信のなかった思春期前後デブだろうと乳があり、それが他者から求められることもあるという事実を嬉しく思っていた。

また、根暗陰キャなので美少女イラストも好きだった。乳のでかいカワイイ女が描いてあると嬉しい。素朴にそういう気持ちがあった。

幸い、今は自分が生きる上で積み重ねたものによって、乳以外にも自分を大切にできるポイントがある。だから昔ほど乳をアイデンティティの置所としてはいないが、宇崎ちゃん前後に始まりたわわに至る巨乳イラストバッシング自分気持ちとして少々苦しいと感じている。題材や文脈に対する不適切性を指摘されるのは仕方ないと感じるし現実まなざしを受けるこれから世代への配慮という論理理解もできるが、まさに現実にあるまなざしによって救われた自己肯定感があると私は知っている。もちろん、乳がでかいことによって不快な思いもした。しかし私にとって、それは足し合わせて得点を出すものではなく、両方とも存在したのだ。そんな自己肯定感まやかしだというのもわかる。ただ、自分大事にするために、自分の足で歩いていくために自分最初に握っていた自己肯定感は「乳がでかい」ことだけだった。

連呼したが、別に乳がでかかったことが重要なのではない。万人に対して正しいわけではないもの自分は救われた、救われてしまった、というような経験は、誰しもあるのではないかと思う。この気持ちの置きどころがなくて、ウロウロしている。

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