二次元で性的な子どもの姿が描かれても、直接的に被害を受ける子どもはいないが、まわりまわって子どもが被害を受けることになる。
「子どもを性的に見て良い」というメッセージの発信になるからだ。
例えば海外で、やたら馬鹿なアジア人が書かれていたり、アジア人が馬鹿にされているコンテンツがあふれていたとする。
そうすると、それがたとえ絵であっても、周りの人が「アジア人は馬鹿にして良いんだ」というメッセージを受け取ることになるだろう。
別にスカトロマニアAVみたいに、規模が小さくこっそりやっている分には特に叩かれないだろう。
それこそ温泉娘が公式でやってしまうくらい、「子どもを性的に見るしぐさ」というのは根深く存在している。
女子高生=性的、制服=性的というのは、もはやありふれた記号の一部と化している。
今までランドセルを背負っていたのに、制服を着て、一つ学年が上がった瞬間に、女子児童はがいやでも、性的にみられてしまうのだ。
余談ではあるが、私もセーラー服を着て通学していた時は、1時間の満員電車の中で痴漢に遭遇する確率は300%だった。
入れ替わり立ち代わり、大体3回くらいやられるのだ。
しかし、セーラー服を脱いだ瞬間、大学生になった瞬間、私はぱったり痴漢にあわなくなった。
これは「制服」という、エロティックな記号を脱したからだと思っている。
先ほどアジア人のたとえをしたが、アジア人を馬鹿にする方がまだましだと思っている。
中高生のころの自分たちを思い出してほしい。どれだけ社会に対して働きかけができたか?
学校という檻の中で、一生懸命先生に従い、家庭では親に従い、大人のことを信じて成長している存在なのだ。
そのような未熟な存在を、社会が性的なまなざしを向けることは、はっきり言って卑劣極まりないと思っている。
とにかく、社会全体で「子どもを性的に見るのは許さない」というメッセージを発信する必要があると思っている。