プリパラでは「年頃の女の子のもとにプリチケが届く」という設定がある。
その届く時期はその子によって年齢もバラバラだったりするのだが、その設定上プリチケが届く=初潮なのではないかというそこそこ有名な考察が存在する。
正直、最初にその考察を聞いた時はキモイと思ったけれど、今考えると本当にそうなんじゃないかと思えてくる。
自分が拒否しようとも女性性を獲得していく身体と、まだアイデンティティを確立していない心。
プリパラの中では、「普段は厳しい委員長だけどプリパラの世界では語尾をつけて話すポップなアイドル」「自分のことを”ボク”と呼ぶアイドル」「男の子だけどまるで女の子のようなアイドル」(この子に関しては例外的にプリチケが届き正規に出入りしているほぼ唯一の男子)「男のように振る舞うアイドル」など、たくさんの少女が登場する。それはある意味では成長していく自分への抵抗でもあり、自己表現なのだろう。
その自己表現の場が、自らが受け入れ獲得したわけでもない「女性」をもたらしたものだと思うと、皮肉でもありそれが一種の真実なのではと思える。
身体は女性になってしまったけれども、心はあくまで自分の好きなままでいい。
私が一番好きで、憧れている紫京院ひびきはまさしくその体現者だと思う。彼女は「男性性の裏に女性性を隠す」のようなアニメによくある男装キャラではないから。
自分がそうしたいから、自分にとってそれが当たり前だから、男性として生きている。そこに、自分が好きで手に入れた訳ではない「女性性」は関係していないのだ。だから、私は彼女が大好きだ。
こうして文にしてみるとプリチケ初潮説がちょっとガチっぽいことも見えてくるし、公式側が本当にそれを裏コンセプトとして入れたのか知る余地もないがそんな風に捉えられるこのコンテンツはなかなかキモイと思う。と同時に、自分の認識よりずっと早く女性性を獲得していってしまう「女の子」にとって、ある種の救いとなってくれているとも思える。だって自分がそうだったもん。