はてなキーワード: 1989年とは
○ご飯
朝:お椀で食べるチキンラーメン。昼:サラダ、スープ。夜:サブウェイ。
○調子
○ ファミコン探偵倶楽部後ろに立つ少女(スイッチリメイク版)
・はじめに
消えた後継者の続編で1989年にリリースされたファミコン版のリメイク作。
時系列的には前作より過去のエピソードにあたり、こちらから遊んでも問題はない。
女子高生の遺体が見つかりその捜査を始める主人公、しかしその裏には15年前の未解決殺人事件の謎が見え隠れするという導入。
ADVとしてはシンプルなシステムで、容疑者への聞き込みをコマンドを総当たりしたり、ポイントアンドクリックで現場を捜査していき事件を解決する。
・謎解きではなく捜査を楽しむ
所謂「本格ミステリ」のような解くべき主題となる謎が提示されそれを解き明かす、という雰囲気の作品ではない。
広く捉えればフーダニットものなのかもしれないが、これをそう呼ぶ人はちょっと文脈に気を使って欲しくもある。(あくまで本格ミステリにおけるパズラー的な文脈において、犯人の択を考える面白さを説いているわけでね)
勿論、ミステリの懐は広く、本格でないことが面白くないことには繋がらない。
今作もそうで、被害者と容疑者候補の輪郭を様々なキャラクタとの会話の中から浮き彫りにしていき、信用できる人とそうでない人を選り分けていきながら事件の真相に迫る楽しさがある。
老若男女のキャラの立ち絵が楽しめどのキャラも生き生きと演技をするのが楽しく、数回しか会話をせず名前のないモブキャラにもしっかり工数を使っており、フルボイスで尋問を楽しめる。
またADVで背景はただの書き割りであることが多いのだけど、今作では会話をしている立ち絵に加えて、背景に写っているモブキャラ達も演技をしており、これが面白い。
前作でもこの点を評価したが、今作では学校が舞台なだけあって、モブキャラ達が非常に多く、容疑者達と会話をする中で後ろで楽しそうにしている生徒たちの演出が面白かった。
前作では頼れる助手の橘あゆみちゃん、今作では主人公とのファーストインプレッションが描かれる。
これがまあ可愛い。
古い作品をまた時代が違う古い言葉で評してしまい申し訳ないが、萌えるキャラだ。
殺害された親友のことを思う悲しいシーン、容疑者に憤りを感じている怒りのシーン、主人公にすがる儚いシーンなどなど、魅力的なシーンがすごく多い。
特に中盤、かなり大胆なシーンがあり、そこで一気に惹かれて大好きになった。
演じている皆口裕子さんの演技も素晴らしく、超一流声優の演技をたっぷり楽しめる。
僕の年代だとヒロインよりもお母さんを演じていることを見る機会の方が多かったが、ヒロインをやっても当然一流は一流素晴らしかった。
・それにしても回りくどくないか?
そんなわけでプレイ中は楽しく遊んでいたのが、こうしてクリアした後に振り返ると、少し気になる点があった。
科学捜査で一発では? というのは流石に野暮としても、容疑者全員の身元の調査をまずさっさとすれば、1日で解決できたのでは? と思ってしまった。
学校が舞台なので警察が介入できず、かつ警察の手は15年前の未解決事件の時効までにそちらをあげることに手を取られている、という二つの言い訳も流石に強引さを感じた。
結局、未解決事件の方も、証言一つで重要な容疑者を疑うのをやめているし。
特に人物を同定するために「顔」と「名前」を入手するところすら滅茶苦茶回りくどく時間がかかる構成だったので、その辺は国家権力でさっさと総当たりで片付けてくれないかなあ、とヤキモキさせられた。(特定の年代の特定の高校の生徒をあらうだけなんだから、テキパキやれよと)
・さいごに
立ち絵や背景での演出や演技にこだわったハイクオリティなADVゲームだった。
ストーリーの方は20年以上前のものながら、面白く感じさせる勘所を抑えた出来で、そうと感じさせない楽しさがいっぱい。
特にメインヒロインの橘あゆみちゃんの可愛さは声優の熱演も相まって、今でも十二分に通用するキャラだった。
ファミコン探偵倶楽部シリーズとして、現行機に移植された二作品とも遊んだが、どちらも楽しかった。
主人公の少年探偵とあゆみちゃんのエピソードをもっと楽しみたい。
サテライトビューというSFCが衛星放送とリンクする今でいうインターネット配信専用のゲームで第三作目があるらしいが、プレイすることができないのでそちらのリメイクにも期待したい。
勿論、リメイクだけでなく、完全新作も大歓迎。
ただ肝心の開発会社であるMAGES.は赤字大幅拡大でニュースになってるし、キーマンの浅田誠さんはもうかれこれ9年前に発表したミステリートFが未だに不透明な状況でと、先行きは不安しかない。
@koichi_kawakami
自民党の少子化対策は、産む、ことばかりを問題にして、育てる、ことを考えてませんからね。
↓このような仕組みは、少子化対策にもきっとプラスになると思いますよ、岸田さん。
@kishida230
@DanishEmbTokyo
デンマークでは世界で初めて1989年から事実上の同性婚が可能となり、2000年には同性カップルがいずれの子でもない者を共同で養子とすることができるようになりました👩👩👧👦2012年には正式な同性婚も法制化。性的指向による差別が存在した前世紀を知らない世代が増えています🏳️🌈
📷© Mette Johnsen
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1626647512789716993
考えすぎかもしれないけれど…。主に環境問題からやり玉にあげられるリニアモーターカー(以下、リニアと略す)だけど、国防の観点から議論があってもいいように思うんだよね。
元アルファベット(Google)会長でオバマ政権時に米国防イノベーション委員会(DIB)の議長も務めたエリック・シュミット氏が指摘するように、AIは第二の核兵器となり戦争を根本から変えてしまうと言われている。そしてあまり話題になることはないが、AIは電気を大量に消費する。2030年までに世界の消費電力の最大20%がデータセンター関連が占めるようになるという予測もある。
AIは有事の時にだけ稼働させればよいという性格のものではない。311の時のヤシマ作戦は使えない。EVも普及していく流れにある。EVは国際的なトレンドであるため、抑制は難しい。一方、リニアは日本だけの事情であるため、比較的フリーハンドで考えることができるはず。少しでも節電できるものは節電してインフラ設計していくのがポスト核抑止力としてのAI時代の制度設計なんじゃないだろうか。
かつて(1989年)、リニアの消費電力量について、元国鉄技師の某氏が「1 人あたりでは新幹線の 40 倍」と主張し、鉄道総研の理事長が「東海道新幹線の3倍」と反論したことがあったそうだが、3倍のコストの意味が、論争当時(平時)と今(準有事?)とでは違ってきたと思うんだよね。
リニアは、東海道域に地震や噴火があった際の代替手段の位置づけもある。であれば、現行の東海道新幹線と同等の輸送量/時での消費電力量を第三者(できれば国防関連機関)がきちんと算出し、その差分をスピードアップのコストとして考え(私は新幹線大好き中央新幹線新設でいいじゃん派なので)、その電力の使い道がリニアでよいのかコンピューティングを優先すべきなのか、国防の観点からも安心させてもらいたいと思う。それに、リニアってネット環境大丈夫なんだろうか。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
マチコ先生のツイートばかりが注目を集めているが、元々の文脈として栗下元議員が昔の漫画(男塾)を読んで今の漫画では出来ない表現の多さを嘆いたツイートに対して、『表現規制によってスカートめくりが減少したため、表現規制にはよい点もある』と噛みついたユーザがおりそれを援護する形でマチコ先生の事例が出てくる。よって『昔の漫画はやりたい放題で被害者が多く出たが、今は適正な表現に向かうことで社会がよくなったので表現規制も止むなし』というのがマチコ先生ツイートをしたクソフェミの大筋の主張と理解できる。ブコメ等でも証言が見られるとおり、マチコ先生が流行した際にその影響でスカートめくりが横行したことは事実とみなしても問題が無いように思える。しかしこの主張に対しては40年前と現代ではセクハラに対する意識が異なるため、創作物の影響として現代に適用するのは乱暴との反論もあるが、両者決定的な証拠は出ていない。この記事の目的は、クソフェミの主張がデマである証拠を示すことにある。
結論を先に述べると、表現規制がスカートめくりを減少させたという事実はない。証明が難しいのではなく、ない。なぜなら表現規制によって漫画からスカートめくり等のセクハラ描写がなくなったという事実がないからである。
僕たちは勉強が出来ないという、2017-2021年の期間で少年ジャンプで連載され、コミックス440万部を売り上げアニメ化もされた人気漫画がある。この漫画の中では、スカートめくりをする悪ガキや風呂のぞきに誘う友人、下着の窃盗等の描写がある。
https://note.com/siotamari/n/n37a081298024
またワールドトリガーというこれもまた少年ジャンプで掲載されアニメ化もされた人気漫画(現在は作者体調不良によりスクエアへ移籍)では、主人公の一人が女性キャラの尻を無断で触るセクハラ描写が複数回登場している。つまりスカートめくりをはじめとするセクハラ描写は現代でも日本で一番売れている雑誌である少年ジャンプで描写されており、規制の対象ではない。よって表現規制がスカートめくりを減少させたという言説は、表現規制の事実がない以上、嘘やデマの類いであると言える。
元となる表現が規制されていない以上、スカートめくり等のセクハラを減らした要因は受け取り手にあると考えられる。マチコ先生の流行は80年代前半であり、セクハラの概念が日本に浸透した時期(セクハラが流行語となったのは1989年)よりも前である。その後数十年をかけてセクハラの概念は日本人の倫理観に浸透したが、それによって漫画の中のセクハラ描写が実行にうつしてよい行為ではないという認識が広がったことが大きな要因と考えるのが妥当な結論だろう。
現代の漫画にセクハラ描写があるのか、セクハラの概念が日本に広がったのはいつなのかは少し調べればわかることである。お気持ちドリブンで意見を表明することについては否定しない(世の中の物事の発端はお気持ち駆動のことが多いだろう)が、自分の意見が論理的に破綻していないかどうか、事実をベースに検証してから意見を述べた方が良い。やりたくないというなら好きにすれば良いが、ロジカルシンキングの出来ない馬鹿共という印象はついて回るだろう。当然だが、まともに調べもせず同調した奴らも同罪である。
事例として挙げた漫画がマチコ先生に対してマイナーなので影響が少ないのでは?→どちらの作品もマチコ先生の倍以上発行されている。また一番売れている漫画雑誌の人気漫画の影響が大したことないのであれば、創作物の不道徳な描写の影響を特別規制する理由もなくなる。
現代にセクハラ描写が残っているのであれば、その影響でセクハラ被害が出ている懸念があり問題だ→セクハラの概念のなかった時代ですら社会問題となったスカートめくりが、現代で漫画の影響によって各地で起こっているなら既に大問題に発展しているのでは?
ぼく勉には理系科目については天才だが他人の気持ちを理解できず、文系科目はボロボロというヒロインが出てくる。このヒロインはボードゲーム好きにもかかわらず対戦相手の気持ちが理解できないことから対人戦が苦手で、それを克服するために心理学を志している。しかしほとんどのボードゲームでは自身が期待値の高い行動を取ることと対戦相手に期待値の高い行動を取らせないことが全てであり、ロールプレイしているのでもなければそこにお気持ちの入り込む余裕は無い。従ってボドゲに勝ちたいヒロインが進むべき進路は間違いなく理系分野でゲーム理論等を学ぶことなのだが、適性を活かすべきと主張する教師すらそのことには触れない。ぽっと出のキャラならまだ良いが、連載開始時から出ているヒロインの設定くらいはちゃんと練って欲しい。
暇空茜
@himasoraakane
これはもう本当にわかりやすいんだけど「私に誹謗中傷して!有耶無耶にして!めちゃくちゃにして!アカい羽根募金のことを忘れさせるくらいに!!」
というおねだりですね。
これは会計がうまく行かないためだろう。
説明ができず怖いなら事業をサボってお金をもらってる。不正だから返せよ。
頑張っているフリに飽き飽き。
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
@colabo_official
代表/10代女性向けシェルター・シェアハウス・アパートや10代女性無料の #バスカフェ 脱性売買相談所
@key_together
運営/ 明治学院大学国際平和研究所研究員/著書http://bit.ly/2GhgLEw /mastodon yumeno@fedibird.com
日本 東京colabo-official.net誕生日: 1989年12月19日2013年1月からTwitterを利用しています
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
デマだと指摘してくれ、証拠も見せました。ジャーナリストを名乗りながら、事実も確認せずデマを信じている知人がいたこと、ネットリテラシーの低さに驚きましたが、一年以上デマを流され続けると、直接の知り合いで、左派のジャーナリストでも信じる人がいるんだと、その影響の深刻さを実感しました。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
でも、去年の10月に辺野古に行った際に、その男性が、私のいないところでColaboのスタッフに「仁藤さんの室井さんに対する発言はやりすぎ、過激だ」と話していたため、「室井氏に私が「制欲処理器だ」と言った」というのはデマであると直接説明しました。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
2時間くらいして、もうすぐ帰るから挨拶がしたいと言われて出ていくと、その男性に「エロ文化は守るべき」という持論を繰り返され、マンスプされました。
その男性には、辺野古に行く時にいつも案内していただいていて、お世話になっていため、顔を見せました。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
しかし、昨日はバスカフェ中に、今までにないほど気持ち悪いことがありました。
左派のジャーナリストの知人男性がいきなりバスにきました。それだけでも迷惑なんですが、私ははじめ相手にせずに、当然バスの中にその男性を入れず、私はカフェの中で女の子たちとの時間を過ごしていました。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
そんな中、バスカフェの道路の向かい側には、静かにColaboに連帯しますとスタンディングしてくださる方々がいました。お気持ちを嬉しく思います。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
一方で、昨日バスカフェを初めて利用した子から、デマや誹謗中傷の投稿がきっかけでColaboを知り、調べてみたらまともな団体であることがわかって来てくれたという話も聞きました。でも彼女のような人は少なく、こうした攻撃に不安になりColaboにつながることが難しくなっている子が多くいると思います
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
このようにさまざまな妨害がありましたが、警備に駆けつけてくれた弁護士など協力者の方々のお力添えもあり、無事活動できました。アウトリーチも、女性メンバーだけでは行けなくなってしまい、警備をつけ、監視カメラも用意して活動。こうしたつきまといや嫌がらせはこれからも続くのでしょうか。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
さらに、NHK党の新宿区公認というこの男が、生配信をしながらバスカフェの前をうろつき様子を伺っていました。女の子たちも大変怖がっていました。
https://twitter.com/s_saishoji/status/1613140865282871297?s=20&t=61LtUMgdJks1aEWm776oUQ
https://twitter.com/s_saishoji/status/1613138154915270656?s=20&t=61LtUMgdJks1aEWm776oUQ
深夜の時間帯には3名の男が来てバス前で「N国万歳!」とか、差別的な発言を叫んでいました。
@s_saishoji
1月11日
周りの確認も。
新宿区役所前、Colaboのバスカフェ。「Colaboに支持します」のプラカード持ちも。状況確認と、歌舞伎町パトロール。参加者随時募集中。 https://youtu.be/SmII4QBcGQo @YouTubeより
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
·
3時間
アウトリーチ中に声かけチームの若い女性たちに冷やかしで声をかけてきたり、「貧困ビジネス?」と言ってきたりする男たちや、バスに来ようとする女の子に、バスカフェから少し離れたところで声をかけて「行かない方がいいよ」と言ってよりつけないようにするなどの妨害もありました。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
女の子たちやバスカフェは見せ物ではありませんが、このようなことはこれまでにもありました。
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仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
3時間
昨日のバスカフェにもさまざまな妨害があり、本当にひどかったのですが、それでもバスカフェは40名が利用しました。初めて来てくれた人も多かったです。妨害としては、まずバスカフェ前をゴミ拾いする目的のふりをしてうろつく、ジロジロと見にくる、撮影するなどの嫌がらせがありました。
40年前って1983年になるんだけど。マチ子の話するなら昭和の日本の価値観で論じないとバカが語ってるだけなんだよな。
日本では、1986年に起きた西船橋駅ホーム転落死事件で、起訴された女性を支援する女性団体がセクハラという言葉を使い出した。このときは、酔っ払いとそれに絡まれた女性との間で起きた偶発的な刑事事件ということもあり、セクハラという概念も言葉もあまり広がらなかった[要出典]。
~
1989年の新語・流行語大賞の新語部門・金賞を「セクシャルハラスメント」が受賞。
今回の怒りは消費税増税が原因だろ。消費税増税は1989年失われた30年とともにある。1997年に消費税増税で景気回復を叩き落とし、2000年頃に結婚適齢期を迎える団塊ジュニア世代が氷河期世代となり、少子化を招いた。
金融緩和で回復が見えていたところ2014年消費税増税で叩き落とした。
過去にした貯蓄の取り崩しや、資金調達しての支出など、経済理論上の投資を初項、収入に占める消費の割合を公比とした等比数列の和が経済規模だ。投資乗数という
消費税増税はこの公比を落とすのだよ。藤井聡教授の調査でも実質消費の伸びを落としている。最悪の税金。
そもそも、ケインズ主義と新自由主義で税の立ち位置が違う。ケインズ主義は上記の投資乗数を意識しているのと、格差是正があるから富裕者や法人は高い税となる。
逆に新自由主義は政府の裁量を否定しているからフラット税制を意識する。消費税増税で、法人税・所得税など裁量性のある税金の減税だ。
新自由主義は致命的に資金循環をみておらず、政府の裁量が少なければうまくいくという幻想にすがるのみ。事実失われた30年を作り、世界的にも日本化としてデフレを恐れるようになった。
もっとも、新自由主義は、その前のケインズ主義で富裕者が高税だった反発でもある。松下幸之助が作った松下政経塾とか日本の新自由主義の牙城だったな。ただ、貯め込まれると経済を落とすから、あくまで使った場合のみ減税としないとならない。
だから、消費・設備研究投資・従業員賃上げなど実需に紐づいた金は減税、貯め込まれる金は増税とメリハリを付けるべきだ。そして、消費税は減税しないとならない。
トップ10に昭和(1926年~1989年)のコンテンツが6本
もう終わりだよこの合衆国
1 | Top Gun: Maverick (トップガン マーヴェリック) | $718,732,821 | 1986年の映画『トップガン』の続編 |
2 | Black Panther: Wakanda Forever (ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー) | $429,946,777 | 1966年登場のアメコミキャラ |
3 | Doctor Strange in the Multiverse of Madness (ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス) | $411,331,607 | 1963年登場のアメコミキャラ |
4 | Jurassic World: Dominion (ジュラシック・ワールド/新たなる支配者) | $376,009,080 | 1990年の小説および1993年の映画『ジュラシック・パーク』の続編 |
5 | Minions: The Rise of Gru (ミニオンズ フィーバー) | $369,500,210 | 2010年開始の映画シリーズ『怪盗グルー』のスピンオフ |
6 | The Batman (THE BATMAN-ザ・バットマン-) | $369,345,583 | 1939年登場のアメコミキャラ |
7 | Thor: Love and Thunder (ソー:ラブ&サンダー) | $343,256,830 | 1962年登場のアメコミキャラ |
8 | Avatar: The Way of Water (アバター:ウェイ・オブ・ウォーター) | $317,418,839 | 2009年の映画『アバター』の続編 |
9 | Sonic the Hedgehog 2 (ソニック・ザ・ムービー/ソニック VS ナックルズ) | $190,872,904 | 1991年登場のゲームキャラ |
10 | Black Adam (ブラックアダム) | $163,506,640 | 1945年登場のアメコミキャラ |
出典: Domestic Box Office For 2022 - Box Office Mojo https://www.boxofficemojo.com/year/2022/?grossesOption=totalGrosses
【朗報】 ハフポスト、ジャニー喜多川さんを記事にしまくってしまう
https://anond.hatelabo.jp/20220416094742
主な執筆者は、
湊彬子「ハフポスト日本版ニュースエディター。朝日新聞から出向中です。元テレビ局員。 関心分野は、ジェンダー/メディア/LGBTQ/自己肯定感/エンタメ/ファッション…などなど。今の推しドラマは「スカーレット」です。 Twitter @minato_a1」
生田綾「1989年生まれ。ジェンダー、女性の生き方、人権、ハラスメントの問題、ルッキズム(ボディポジティブ)などに関心があり、取材しています。ドラマや映画、音楽などのエンタメから社会問題について考えることも好きです。」
習近平はどこで食事をしても、必ずお金を払うことを忘れない。 あるとき、習近平は正定西蔵洞コミューンにブリーフィングに行き、食堂で食事をした。 食事をする「テーブル」は、コミューンの庭にあるコンクリートのタイルで、その下にレンガを数枚敷いたものだった。 椅子がないので、そこにしゃがんで、普通の水を飲みながら食べる。 食後、習は "私が払います "と言った。 当時は肉まん2個で8セント、キャベツの炒め物で10セント、合計18セントだった。 食事代は習近平が全額負担してくれた。
2014年、習近平は蘭香を再訪し、昼食に蘭香打包、開封小籠包、白米を食べ、カリフラワーの乾物炒め、中原チャウダー、羊肉の煮込み、キノコ入りローストビーフ、冬瓜と豚バラ肉のスープという4品とスープを食べた。 食事が終わった後も、習近平は今まで通り食事代を支払った。
2014年、習近平がランカーオを訪問した際の食事代領収書は、当時の実勢レートと食事回数に応じて支払い、合計160元が満額となった。
習近平は友人を招いたとしても、迎賓館での夕食に招待することはほとんどなく、もし招待しても自腹を切るのが常であった。 たいていは、缶詰や野菜などを買ってきては、事務所でその友人たちをもてなす。 週末であれば、友人とお酒を飲むこともあったようだ。 また、食堂に行って料理を2品注文することもあったが、その場合も必ず自腹を切っていた。
正定県委員会の規則では、公金で客人を接待することは認められていない。 しかし、『正定が新天地に立つ』が出版されてからは、記者がどんどんやってきて、食事の問題が顕在化してきた。 また、「確かにジャーナリストは "お客さん "だが、仕事をするために降りてきているのだ。 気軽に食事ができるようにするべきだ。"
習近平の言うことは一理あると誰もが感じた。 習近平国家主席は、さらに3つのおもてなしの指針を示した。1つ目は、礼儀正しく接すること。 2つ目は、無駄がないこと。 第三に、食事に同伴できるのは一人だけで、他の幹部やスタッフには同伴できないことである。 当初、記者には一人分の餃子を食べてもらうことにした。 その後、正定で買った麺類、麻婆豆腐、バクラヴァなどの軽食に変わり、安くて美味しかった。
外からの客人を伴って食事をする場合、自分の分まで、客人の分と合わせて、すべて自分の懐から出して、いらないと思ってもダメです。 国民が払うべきでない金に対して、いつも「計算」していた。
当時、国内では前例がなく、正定で行われた仕事は画期的なものだった。 習近平はまた、組織や機関の幹部が公金で飲食することを禁じ、単位で宴会に招待することを禁止する規則を作った。
は、"Science "の略称で、"S "は "Science "を意味します。 1989年3月、彼は率先して「地方委員会と行政院の指導的幹部の清廉さと自己規律に関する若干の規定」を制定し、その内容は12条からなり、その中の一つに、草の根の人々はたくさん飲食してはならず、接待基準に従って食事を運営し、必要な食費を支払うことを厳格に要求される、というものがあった。 この経済精神は、その後の習近平政権にも反映され、2013年には「飲食物の無駄遣いの抑制を呼びかけるネットユーザー」に対して、「党、政府、軍の各級機関、人民組織、国有企業、そして各級指導幹部は、先頭に立って公式接待制度を厳密に実施し、あらゆる経済措置を厳格に実行すべきだ」と書き込んでいます。 政府、各級政府機関・軍機関、人民組織、国有企業、各級指導幹部は、率先して公式接待制度を厳格に実施し、各種節約策を厳格に実行し、公的資金の浪費に断固として終止符を打たなければならない。
習近平の "メニュー "とは? 手料理に勝るものはない。 しかし、これらの料理には、習近平の民衆に対する献身的な姿勢、心からの素朴さ、そして清らかな決意が感じられます。
出典:『正論』『新華社』『人民日報オンライン』などの習近平編集部/斯青(シーチン
https://news.sina.cn/gn/2019-08-06/detail-ihytcerm8718713.d.html