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2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2022-07-09

安倍死んでない説が上がっているくらいだからエルビスマイケル池田の復活も近いかもしれないな。

2022-06-08

90年代ってこんな感じだったよね

日本の文化は「マジ」と「なんちゃって」に分けられると思ってるんだけど

80年代なんちゃってが優勢だった時代なんだよ。バブル調子乗っててチャンネーシースーギロッポンとかふざけた時代

テレビだったら秋元康とんねるず時代だよね。真面目が馬鹿にされる時代

それが90年代はマジ優勢の時代になっていくのよ。正確にいうと91年にバブルがはじけてその残り香がなくなった94年くらいからかな。

そして00年代はまたなんちゃってに戻るみたいに繰り返してるとおもってる。秋葉系時代と言っていいから「てへぺろ」でもいいかもしれないw

10年代はけっこう「マジ」が復活してる感あったよね。震災の影響あるのかもなぁ。


90年代は「マジ」の時代から自分作詞作曲しないと音楽で飯食えなくて、不遇だったのがアイドルSMAP

アイドルというジャンル自体が「なんちゃって」になってしまったので、活躍の場がなくアイドル冬の時代なんて言われていた。

から開き直ってなんちゃってを始めたのがSMAPxSMAPで、なんちゃってが得意なフジテレビコントのコーナーを取り入れたアイドル番組を始めたのが戦略的だよね。

マネージャー飯島三智が仕掛けたらしいけど敏腕だよね

でも音楽はマジの中心だったから、彼らは従来のジャニーズがやってた王子様的な少女漫画世界からリアル青年イメージさせたマジに寄せた青いイナズマとかSHAKE勝負したんだよね

ゲンジのだれかがSMAPの歌の路線をうらやましがってた話をしてたのを覚えてるよ

とはいえ中居の超絶的歌唱力でやっぱりSMAPなんちゃって扱いだったけどねw


モーニング娘。もそのマジの時代に生まれアイドルって感じだよね

ASAYANそもそも「マジ」なんだけど、でも平家みちよに決まったオーディション負け組で組まれたっていう流れがなんちゃってだし、いかにもアイドルな売り方だよね

とはいえ00年代みたいに黒髪しろなんてこともなく、金髪後藤真希がそうだけどマジ時代対応したアイドルではあった

からそのあと出てくる00年代の歌が下手で口パク上等でダンスゴミなで、握手だのじゃんけんだので優劣を決めるAKBなんかと比べて歌とダンスは抜群にうまかったから、ハロプロオタクはそこが心のよりどころだったよね。

アイドルなのに「アイドルっぽくない」が誉め言葉という変な時代


アイドル不遇だから芸能事務所新人女の子売りづらくなった。それで発明したのが女優の卵という謎のジャンル

広末涼子代表例で、そういう人材はしれーっと音楽も出してアイドル的な売り方もする。この手法は今でも続いてるよね。

アイドルが好きだと言ったら馬鹿にされたマジの時代に、思春期男子に「アイドルじゃねーから」といいやすく消費しやすくしたのが女優の卵だったり女子アナなんだよね。

音楽は「マジ」の中心地みたいな感じだったか作曲はできないけどせめて作詞やらせろみたいなかんじでマジ売りを事務所におしつけられて

マジ時代対応したよくわからんエセアーティスト売りのアーティスト増えて、歌姫なんていうジャンルが生まれたり、裸足で歌いだしたり、あの時代のマジ対応はよくわからんこと多いw

から椎名林檎みたいなガチ人材業界人から勘違いされて「きみもそうなんでしょ?」みたいな扱い受けてたの笑うよね


松本人志テレビお笑いに「マジ」を持ち込んだ人だよね(談志とか上岡龍太郎とかもいるんだけど)

90年代お笑い芸人が芸能界ヒエラルキートップになった時代といえるんだけど、間違いなくダウンタウンの影響だよね

ビートたけし映画業界ではマジをやってたけど、テレビじゃ「なんちゃって」のキャラコマネチコマネチってやってたからその辺が微妙だった

(余談だけど、彼がプロデュースした伝説の糞ゲーたけしの挑戦状は「こんなげーむにまじになってどうするの」なのが偶然とはいえおもしろい)

お笑い芸人は「なんちゃって」を生業にする職業で、昔はいろもんなんて言われてたが、松本人志はそれをひっくり返しマジをお笑い商売にした人といえる

それでお笑いアーティスト芸能界マジヒエラルキー競争が始まったんだけど

HEYHEYHEYとか、うたばんとかお笑い芸人がMCやり始めて

浜ちゃんに叩かれた!うれしい!浜ちゃんにたたかれると売れるってジンクスがあるんです~なんて言って

お笑い芸人に媚びるアーティストみたいな構図が普通になって、あれでアーティストお笑いの下になったのを感じたよね


M-1がウケてるのは「マジ」だからだよね。あの時だけ、日本の笑いはかっこいい「マジ」が許される。

ただ初期のM-1テツトモみたいなのも交じってたことね。それで談志漫才じゃないとか言われてwあれってマジじゃないってことよね。

そんでM-1終わってフジテレビで始まったTHE MANZAI審査員秋元康がいてずっこけたねw

さすがなんちゃってフジテレビですね。そしてTHE MANZAIが失敗するのも当然よな。


そんな時代オタクキモイキモイいわれてたわけ

それでサブカル野郎AKIRAとか攻殻機動隊は別腹とかいう扱いをしてたよね

ジブリ世間一般でも別腹扱いだったけど

メイドコンテンツにする秋葉原なんちゃって文化の中心と言っていいんじゃないかな

「ご主人様~、萌え萌えキュン!」なんてなんちゃってにもほどがある

そこに秋元康のようななんちゃってでメシ食ってた人間が注目してAKB48始めたのは当然だよね

セガってだせーよなとかいって自虐させたり湯川専務のように実際の専務CMに使うなんて典型的なんちゃって戦略だけど

秋元って90年代のマジに対応できなくてさ、いつまでたっても80年代なんちゃって空気でスゲーダサかったイメージ

それが秋葉00年代ネット文化で復活してしまったのは俺の中で苦々しく思うことの一つ


アニメで一番マジをやってるのがコナンだと思ってる

宝塚歌劇団がマジを提供し続けているなって思ったことあって、コナン宝塚って結構似てるんだよね。

ジャンルは全く違うけど、マジというトーンが似てる気がするんだよね

「マジ」は「スタイリッシュ」「キザ」「見栄」「キメる」「気取る」「媚びない」でもいいよね

「マジ」は女性人気を獲得するのに重要キーワードだと思う。

スーツびしっと着て、テンションパリッと張って、キザで気取ってるのが好きなんだなって思ったよね

それで秋葉オタクはマジが嫌いなのよw

アニメコンテンツのなかでコナンAKIRA攻殻機動隊カウボーイビバップはマジの立ち位置だったけど

秋葉系オタクカウボーイビバップオサレアニメって嫌ってたよね

あとブリーチに至っては、作者の久保さんまでネタにしてオサレオサレって馬鹿にしてた

00年代秋葉オタクたちはネット冷笑ひろゆきみたいなキャラあこがれて、マジなものをなんでも馬鹿にしてた

秋葉がそうだったか2ちゃんねるみたいになったのか、2ちゃんねるがそうだから秋葉がそうなったのかしらないけど

とにかくマジをきらってなんちゃってミニひろゆきみたいな他人馬鹿にするような、中二病黒歴史という言葉をやたら好んで他人攻撃するやつらばかりだった

そのころアメリカテンション張ってるものが好きだからオサレもの、キザなものが好きでまっとうに評価してたよね、さすがハードボイルド母国って感じ

最近アメリカ日本シティポップが評価されてるらしいけど、あれもテンション張ってるキザでオシャレなコンテンツからアメリカ人が好きなのは納得

アメリカ人はエルビスプレスリーマイケルジャクソンとかブルーノマーズがそうだけど、伝統でも今でもずっとマジを真面目にやる国なんだよね。

日本人みたいに恥ずかしがってなんちゃってに逃げないし、他人オサレかいって馬鹿にしない。


あとはゲーム業界かな

ソニーがこの方向でそれ以前までの小学生に向けていたゲーム業界ファミ通などと組んでイメージの変革を起こそうとしていたよね

ソニー参入までは、ゲームを作る人は今でいう歌のお兄さんみたいな特集のされ方だった。「みんな新作まっててね~」みたいな感じだったけど

暗い部屋で間接照明をあてて「ゲームクリエイター」って肩書で、中高学生のあこがれの職業みたいにしていったのはソニーだよね

ソニーゲーム事業母体ソニーミュージックだからアーティストプロデュースノウハウがあったんだろうね

マジをつかったゲームクリエイターのブランディングは見事にはまったよね。

それに対抗しようとしたセガはなぜか秋元に頼ってなんちゃってやってセガってだせーよなとかなんちゃってをやりはじめた

秋元チェキっ子とかいアイドル番組スポンサーになってそらセガぶれるわって当時思ったよ

セガって渋谷の兄ちゃんたちに愛されてたのよ。秋葉っていうよりかは渋谷系だったよね

そんなセガ秋元なんちゃってに取り込まれ、そしてアイドルスポンサーするとか終わってたよね

あのころセガ方向性を見失ってて、サクラ大戦なんかもそうだけど、セガってこんなゲーム作る会社だっけ?っておもったよね

そのあとの話だけど、10年代セガ初音ミクとか、バーチャロンとある魔術の禁書目録コラボみたいに誰が得するんだみたいなことやり始めたり、とにかく秋葉系にすり寄っていくよね

90年代のマジなセガを知ってるからセガサターンを白くしたり、ドリームキャスト最初から本体カラー白だし

マジなイメージ修正たかったのかなあって思うところはある

あとゲーム業界のマジの代表格だったFFFF10になって秋葉系オタクなんちゃって文化に毒された結果が10-2

あれでまじでスクエニは死んだなって思ったし実際ゲームオタクから相手にされなくなったよね。

というか、秋葉なんちゃってに毒されて日本ゲーム業界は死んだよね

今、ゲーム業界でマジを守ってるのはカプコンフロムソフトウェアだなって思う

2022-04-14

エルビス演算子 ?:

?の部分がリーゼント

TypeScriptオブジェクトプロパティを省略可能にする ? と、その直後の型アノテーションの : が合わさってエルビス演算子に見えてすごく困った。

日本人には読めないアルファベットを前にしたかのような感じで困った。

2022-03-29

anond:20220329145249

R&B黒人音楽で、エルヴィスが盗用したロックパンクから白人文化ね。

人種で聞く音楽がはっきり分かれてて

今でもR&B

エルビスプレスリー黒人から文化の盗用文脈で昔から批判されとる。

まあロックが有名になって、R&Bも見直され世界評価も上がったか

2018-01-07

anond:20180107144940

タデナイトライブみたいに

政治や世相と絡めた風刺が効いている物真似は人気あるんじゃない?

あとはエルビスプレスリーそっくりさんみたいな

本物の代用としてのB級芸だよね

2017-04-13

世界進歩を測るモノサシは自分

人間の成長は30代前半ぐらいまでに止まる。

成長し続けている期間は、自分とともに世界も成長を続けているような錯覚に陥る。

そこから後は、世界は繰り返しだけになる。

から1960年代に30半ばを過ぎたひとは「エルビス以降は全部焼き直しだ」って言うし、1970年頃に成長が止まったひとは「ビートルズがすべてだ」、その後は「ツェッペリン聞け」、80年代青春燃え尽きたひとは「あそこで音楽の全要素は出尽くした」っていうんだ。

から、「ゼロ年代以降って何かあったっけ?」という言葉で、だいたいそのひとの年齢がわかる。

http://anond.hatelabo.jp/20170413151129

2014-10-07

企業とか政治家(政党)とかが工作員雇ってネット上で自作自演書き込みしてる」って、エルビスプレスリー(今ならマイケルジャクソンか)は生きてるとかアポロは月に行ってないとか太平洋ムー大陸が沈んでるとかエリア51UFO秘密基地があるとか、そういうレベルで語られるネタだと思ってたんだけど、意外と本気にしてる人が多くてびっくりする。

2008-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20081130181311

   ある時期「格好いい」                 

その後ある時期「何コレwww超ダセええええwwww」

更にその後の…「え?あらためて見ると意外と格好いい」

更に更にその後「○○もすっかり爺さんになったなー……」

よくあることよくあること。

むかーしエルビスプレスリーがそんな感じだったし日本で言えば吉田拓郎とかもそんな感じだった。

2007-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20071020203004

いや、俺もそう思うよ。

手段がなかったところに手段を提供したからそこに価値があるのであって、

これができるようになったのは大きな進歩なんだよ。

権利的問題さえクリアすれば、

例えば今は亡き三波春夫エルビスの声でサンプリングが作れるってことなんだよ。

今までもサウンドフォージとかで波形うねうねしてできなくもなかったけど、

その労力が軽くなる目処がついたってことなんだよ。

まあ、関係ないひとには関係ないことなので定規の話でもしれいればいいとおもうよ。

でも、人工音声は人間存在を冒涜する行為だ!

みたいな方向に無理解な人が進まなくてよかったとおもうよ。

2007-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20071019001349

KRAFTWERKとは言わなくてもYMOとか、電気グルーヴ

ここが初耳って…。

YMOぐらいは知ってるだろ。坂本教授がやってたバンドだよ。

モジュレーション自体はエルビスの時代からあるけど、わざっとロボットボイスにするのなんてありがちだろ?

いや、テクノハウスだけじゃなくて、トーキングモジュレーターを使うような音楽最近大抵はいってない?

前面にでてるかは別にしてそれこそ最近邦楽TOP100ぐらいは歌声加工されてるぞ?

なまの声なんて今はほとんどない。

君の言う音楽がどんな音楽かはわからない。

そもそも君が好きな音楽なんてあるのかね?

初音ミクにルチアーノの性能を求めるならお門違いだが、ボーカロイドがここまでできるほどDAWが発展したことがすばらしいんだよ。

Pro Toolsが登場して音痴でもCDがだせるようになってから、ずいぶん時間が掛かったけどね。

 
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