はてなキーワード: 寺社とは
ムスリムへのハラール給食を提供している/いた学校があることが認識できない人っていうまとめ見てビビった。見事に議論が噛み合ってない。
……それはまだ違憲判決が出てないだけなのでは?
「裁判になるまでは普通にやってて問題になってなかったこと」なんて、いくらでもあるからね。それこそ、親を殺した人を重い刑に処すのなんて、違憲判決が出るまでは当たり前だったわけで。
個人的に、ここで挙げられている横浜市立飯田北いちょう小学校のハラール給食は、憲法違反だと思う。……もしそれが本当にハラールなら。
ハラールは、単に豚肉を避ければよいというものではない。たとえば「特定の生徒の野菜炒めから豚肉を取り除く」だけではダメだ。豚肉と一緒に調理された野菜や、さっきまで豚を調理してたフライパンで炒められた野菜もハラールではないからだ。別々に調理する必要があるし、当然、新規の食器を購入する必要も出てくるだろう(要するに、「ムスリムにとって豚肉とはウンコのようなもの」だと思えばよい。誰も、特殊な趣味の人を除けば、ウンコと一緒に炒められた肉や、さっきまでウンコが乗ってた皿に盛り付けられた料理を食いたくないだろ?)。
あるいは仮に牛や鶏であっても、屠殺はムスリムか啓典の民(ユダヤ教徒・キリスト教徒)によって行わなければならないので、仮に「行政が認めたハラール」なるものがあるとすれば、それはすなわち「行政が、特定の宗教の信者のみを屠殺人として指定している」(あるいは、特定の宗教を持つ屠殺業者のみを選んで契約している)という意味になる。要するに、本当に公立学校でハラール給食を出すなら、仏教徒や無神論者の屠殺業者は入札に参加できないことになる。これは特定の宗教の優遇を禁じた憲法に違反する。行政が給食の契約をするに際して事業者を宗教で選別することは許されない。横浜市民のはてなーはぜひ横浜市立飯田北いちょう小学校の給食に関する行政訴訟を起こしてほしい。
ただし、小学校の給食なので、厳密なハラールではない可能性もある。つまり、普通の野菜炒めから豚肉を取り去って「ハラールですが何か」と言い張っている可能性はある。牛肉や鶏肉も、日本人が屠殺したやつを使ってるのかもしれない。それなら日本国憲法には違反しないので訴訟の必要はないが、それは断じてハラールではないので、ハラールであると嘘をついてムスリムの住民を騙すのはやめるべきだ。
個人的には、ムスリム住民にハラール給食出すくらいは別にいいじゃん、と思うが、市が神社に無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(砂川政教分離訴訟)、琉球王国時代から続く孔子廟に那覇市が無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(孔子廟訴訟)、大規模災害の被災地で寺社仏閣への支援がなかなか行われてこなかったりしてきたわけで、ムスリムだけ公費による優遇OKにするのは不公平感が強くて納得がいかない。土地の無償貸与がダメで、業者を宗教で選別するのはOKなんて通らないでしょ。憲法を改正して「伝統宗教に公序良俗の範囲でカネを出すのはOK」ってことにする以外に解決策がないので、ムスリムの人たちが公教育でのハラール給食を望むなら、ぜひ憲法改正運動に手を貸してほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20230422061616
日本海側の田舎町出身者。自転車以外の交通手段がないのはマジで人生経験的にマイナスとしか言えなかったわ。最大のウリである『豊かな自然』にしても、地元民は人生経験上のメリットとらえてないので子供の身で楽しもうとすると全力で止められる。
山登り行きたい→熊が出るぞ(蜂に刺されるぞ、マムシに噛まれるぞ等バリエーションあり)
星を見に行きたい→夜に出歩くなんて非常識だ
的な感じ
•火おこしちょっとできる
•虫怖くない
くらいのメリットがあったくらいだろうか。
(火おこしについては最近は野焼きがうるさいから今の地方の子はあまりやらないだろうな)
大人になって色んな地方出身者に会ったが、大体近い感想持ってると思う。まあ京都に住んでる人が寺社仏閣行かなかったり沖縄住んでる人が海で泳がなかったりみたいなもんで、都会や観光地にも似たような部分はあると思うけども。
地方(人口50万ちょいの県庁所在地)から出てきて京都に10年住んだが、諸事情により先月京都を離れた。
まるまる40代を過ごした京都について、良かったこと、不満だったこととかを書いてみる。
ちなみにお金はない。
良かったところ・好きだった場所:
●電車で近距離移動できて便利。ある程度の規模の都会なら当たり前だろうが、地下鉄もない地元と比較するとめちゃめちゃ良いと思った。
●京都文化博物館フィルムシアター。いつも観客の9割が老人。小さなシアターだが500円で名作が見られるのはありがたかった。特に、勝新の「顔役」、今井正「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」に出会えたのは大きい。地元にいたら見る機会なんてなかっただろうから。溝口健二「噂の女」も面白かったな。
●くまざわ書店四条烏丸店。規模は小さいが、いつもなにかしら面白そうな本があった。くまざわ書店で本を買ったあとは、同じビル内の神戸屋のイートインでパンを食べながら買った本を読んだ。ちなみに神戸屋が気に入っていたわけではなくて、単に近くて便利だっただけ。その神戸屋ももう閉店した。京都市の書店といえば大垣書店がメジャーだが、大垣書店にはあまり行きたいと思わない。どのお店もなんかつまらないと思ってしまうのだ。置いてある本は多分くまざわ書店とたいして変わらないんだろうけど。
●京都府立植物園。人が少ない。入園料が安い。どこに行ってもたいがい人だらけの京都で、のんびりできる貴重な場所だった。今いろいろ揉めているみたいだが。
●メキシコ食堂 オラレ!。ランチのタコライスがすごく好きで、行くたびに今日は違うものを食べよう、と思うのだが、結局タコライスを頼んでしまうのだった。
●市のサイトが古くて見づらい。あと、タイトルが「京都市情報館」となっていて紛らわしい。始めて見たとき、一瞬行政のサイトじゃないのかと思ってしまった。
●ごみ関連その1。越してきてしばらくはダンボールの回収が月1回だったような気がする(うちのマンションの独自ルールだったのかも)。今は月に2回回収があるのでまだマシだが、自分の地元では毎週回収がある。
●ごみ関連その2。粗大ごみの回収依頼が平日電話のみ。京都市規模の自治体で、いまどきこれはないだろう。
●恵文社一乗寺店。20代のころ雑誌で見て、いいなあ京都はこんな店があって、と憧れたものだったが、いざ行ってみると「あれっ」という感じだった。年を重ねて自分の趣味嗜好が変わったんだろう。20代のときに行きたかった。趣味嗜好といえば、同じく20代の頃は寺社仏閣に行くのが好きだったが、せっかく京都に10年も住んでいたのにほとんど訪れることはなかった。
ちなみに、ここでもよく言及されるいわゆる「京都人」について。自分はあまり交友関係が広くないのと、仕事でもいわゆる洛中出身の京都人と接触する機会もなかったので、それほど違和感を覚えたことはなかった。もちろん、いけずを言われて気づいてなかっただけという可能性もあるが、あえて深読みもしなかった。それで良いのではないかと思っている。いけずを言う京都人は、真意を理解できない地方民を見て「これだから田舎者は」と好きなだけ優越感に浸れば良いし、気づかないこちらは何も感じない、そもそも気づいていないのだから。
伝統工芸品、民芸品、郷土玩具を観に行ったり買うことなんだけど。伝統工芸品(実用品)ってね、その地域がどんな場所なのかを反映してて、知ると新しい地図が頭に広がる感覚が生まれて、それで趣味になった。
例えば凧は風が強い地域でよく作られてる。和紙は城下町や寺社仏閣のそばでできてることが多い。焼き物も、城下町のそばとか出荷用の港が近いとか物流ルートが発展に影響してる。馬の餌にするバカでっかいトウモロコシの葉っぱで編んだ履物とかを見ると、馬が運ぶような収穫物があって、細工ができるような農閑期がある内地なのかなって想像するのが楽しい。削り花は雪の中でも飾れる木を削った仏花。雪深い東北の冬に家族を思う気持ちを思う。横浜のシルクと八王子の養蚕の関係とかがわかると、昔の暮らしと地形がマッピングされていく感覚が気持ちいい。名産物は理由もなく名産にはならないんだよね〜。謎解きみたいに理由が現れるのが楽しい!
そして郷土玩具は込められたラブが強い。健康であってくれとか、いっぱいご飯食べてくれとか、大抵は子供のための願いなんだけど、まれに領主が農民の幸せを祈る飯盛人形とか出てきて昔の愛情の幅広さを知る。温泉地・観光地近くのお土産系も面白い。有馬筆、箱根挽物細工、からくりや技工の巧みさで旅の思い出話に花が咲いただろうなと想像する。今よりよっぽど各地が独立文化だった頃の多様な暮らしへの想像が掻き立てられる。
ちなみに私の一番のお気に入りは高知のお座敷文化と尾長鶏と穴の開いたぐい呑。九州とかはたぶん食べ物が豊富すぎて東北みたいに内職してお金になるような細工物をあんまり作らなかったんじゃないかって印象なんだけど、同じく南国の高知はその上を行ってて、細工物を作らないどころかパーティー文化用品が強烈に発展してる感じが大好き。日本海側文化圏出身だから、眩しい!
証拠がない時に言ったらネタだとか嘘だとか言われて悔しい思いをしたのでこの機会を逃せない。
これについて、「漫画表現のせいで現実のスカートめくりが発生した」のはほぼ事実です。これは発端になった漫画を描いた永井豪先生も自分で認めてらっしゃいます。その後「まいっちんぐマチコ先生」でさらに大流行となり、女児被害者が多発、PTAが猛抗議し、連載差し止めになる等大騒ぎになりました。
自分も実体験。マチ子先生流行時子供だった。パンツまで降ろされそうになった。のちにしつこくめくってきた子に「好きだった」と言われた。彼はもう忘れてるだろう。やられた方は一生忘れられない
2023/01/11
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sodium/status/1612993220979621888
ほーらな?
マンガ叩くフェミニストってほんとにマチ子先生の話するんだよ。
あのさあ、
もう立派なおっさんの俺でもまだ生まれてもいねえっつうんだよ。
40年前の少女時代にマチ子先生のせいでスカートめくられたと。
それはご愁傷さまでした!辛かったね!
でもその話を現代のマンガ叩きの根拠にするのは狂気の域だからな?
言ったらなんだけどマチ子先生の流行時代にスカートめくられてた人ってそろそろ還暦だろ。
そんな人の十代の頃の体験って、歴史的出来事として語るんならいいけど
その話で現代の話に普通に接続してこようとするのはやめてくれよ。
俺マジでマチ子先生ってマンガもアニメも見たことないんだよな。
絵とタイトルだけ知ってる。
「マンガの害」を語るフェミニストがマチ子先生例に挙げるのを何度も何度も何度も何度も見たからなんだよ。
マジでマンガ叩きフェミニストはマチ子先生マチ子先生って言う。
けど、現代のマンガを有害だって叩こうとする話で例示がマチ子先生まで遡るんなら
そのあとの40年は大した「有害マンガ」がないってことじゃん。
そんならいまのマンガを敵視して萎縮させようとする必要なくね?
マンガがどうこうじゃなくてマチ子先生が特別有害だった可能性濃いんじゃね???
で、はてブもだけど、
こんなコメントが一位になるってことは星つけてるのも大概中高年~高齢者ってことじゃん?
年長者に対して汚い言葉とか使いたくないから、自分で分別を持ってくれよ。
年取ってても、
けどマンガの思い出で真っ先にマチ子先生出てくる人達はマジで身も心も高齢者でしょ。
40年前に有害なマンガがあったから今のマンガはデータなしで叩いて規制していいのかよ。
なんかもうあんたら、脳の新陳代謝止まってるし現代にもマンガにもあんま興味ないでしょ。ほんとは。
はてなは老害叩きが辛辣な割に自分達の加齢ボケには無自覚すぎるんじゃないの?
こんな人達にあてずっぽうで現代のメディアとか表現とか語られたくないし
こんな人達の体感やお気持ちで表現規制なんかミリでもされたくないんだよ。
これは煽りでもなんでもなく言うけど
寺社巡りとか盆栽とか内向きの精神世界に目を向けたらいいと思うんだよ。
ネットでとんちんかんな社会にもの申す老人やってる奴よりずっと格好いいだろ。
もう社会の話に入ってくるなよ。
40年前の体験の話でいまの話に入ってこられるのいくらなんでもウザいよ。
あんたらだって若かった頃そういう年寄りにうんざりしたはずだろ。
実際なんかしらんけどマンガやアニメ目の敵にしてるの老人ばっかだし
オタクだというだけで凄まじく見苦しい偏見吐いて差別するのも年寄りばっかだし
言ってる話がマジでタイムスリップしてるみたいな時差があって話になんないんだよ。
もう黙っててくれよ頼むから。
んーだから悪影響を与える可能性はないわけではないけど規制は反対なら話が進むのだが、絶対悪影響与えないって言い張るからデータを出されてるだけでしょう。で今度は「現代漫画に悪影響は絶対ない」ですか。
2023/01/12
いやいやいやいやw
「現代のマンガはこのように著しく有害なのです!」ってデータで証明する必要があんの。
当たり前。映画だってドラマだってこの文章だってなんかの影響はあります。
そんな当たり前のこと言って表現規制根拠になると思ってるならそいつがやべーだろ。
「ほんの少しなら影響あるはずだ!」で規制できるなら
頼むよ。
お爺ちゃんかお婆ちゃんかしらねえけど日本語と道理くらい理解して。
A「ワシも十代のころスカートめくりした!」
もうこのお爺ちゃん会話が成立しねえだろ。
そして、この人だけじゃなくこういう状態の人が大勢いませんか?って話な。
houyhnhm うーん、実際どういう感じで影響があったのかがマトモに考えられてないのがなあ。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A そこで発明された訳でもないんだよ。
それな。
そもそも40年前のマチ子先生伝説自体まともに精査されてないんじゃね?
たとえば「単にこいつらの世代が性犯罪に対して甘かっただけ」なのでは?
という可能性についてきちんと調査されて却下されてもないわけじゃん。
あともう一つ「単にこいつらの世代がフィクションと現実の切り分けガバだっただけ」なのでは?説もきちんと検討してほしいよね。
東京卍リベンジャーズがあれだけヒットした後で暴力事件が激増したって話もないわけじゃん。
鬼滅の刃が社会現象になったあと刃物や刃物状のもの使った傷害事件が激増したこともない。
何よりお爺ちゃんお婆ちゃんの体験のような「性犯罪の大流行」が起きたことなんか一度もない。
「実は単に40年前が青春時代だった世代が特別にカスだった」可能性ちゃんと検討した?
その世代が特別に性犯罪に甘くて、特別にフィクションと現実の区別ガバくて、
「自分達がヤバかっただけなのに下の世代に説教して規制しようとしてる」って可能性は?
上で得意気に「ワシもスカートめくったぞ!」つってるお爺ちゃんもだけど、
それを自分の恥部としてんじゃなくて下の世代を殴る鈍器にしてる感じあるじゃん?
なんでお爺ちゃんお婆ちゃんの聖痕「スカートめくり」で下の世代が殴られたり抑圧されたりしなきゃならんのよ。
自分達を総括してろよ。
40代後半のおばちゃんは、実害があった記憶があるけど、その下の世代になるに従って漸減していってる(良くなってる)と思うし、一方で絶滅してる訳でもないのよねと思うのよ、現にこういうクソ増田が絶滅してないから
えっ論理が全くわかんねーんだけど
俺の文章によって性犯罪が絶滅してないと確信するってどゆこと?
「フェミニストを批判するなんてこいつは性犯罪者に違いない!」……ってコト?
こういうレベルの”感覚”で何かを確信する行為って俗語では「受信」とか表現されるよね。
この感じの人が社会について何か発言することの意義がわかんねーんだよな。
あと性犯罪が絶滅する日なんてこねーと思うので(あらゆる種の犯罪がそうだろ)
もしも「性犯罪が絶滅するまで表現規制の必要がある」という規制論者が居るとすれば
それも会話になんないよね。
こういう態度こそが歴史から学ばないってやつか。たかだか40年前を古いと言うのなら、戦時中や戦前に起きた自国の過ちを省みる事なんて到底無理なんじゃなかろうか。
2023/01/12
「40年前に一件そういう事例があれば現代の表現を根拠省略して規制していいんです!」
こういうのは「歴史を大事にしてる長老」っていう表現も違うよね。
「科学的な思考が出来ないのでフィードバックが適切でなく迷信撒き散らすだけの残念な年寄り」 側なんじゃねえの?
要するに自分達の世代独自のぐにゃぐにゃなナラティブで下の世代に話になんねーこと言ってるだけ。
きちんとした議論なんかする気もないんだよこいつらは。
すごいシームレスに反戦左翼イシューになだれ込むところもポイント高いよな。
こういうのゲンブツが無いと「そんなのいない、藁人形論法!」って言われるし
そしてこの古老がそこそこ星とって上位に来るのが
お前等二度と老害叩きで盛り上がったりすんな。
証拠はないが宅八郎とヤンキー漫画は実社会に悪影響及ぼした、証拠はないが性差別表現には一切悪影響はない、がオタク村の常識なんだけど論理的思考が苦手な一般人にはこれちょっと難しんだよなろんりてきに。
ヤベエまた訳わかんねえ皴皴反論だ
宅八郎って誰?ってWikipediaで調べるとオタクの戯画化的な格好でテレビに出て活躍したライターで全盛期は33年前。
数年前に亡くなってて生きてたら60歳。
だからさあ
現代の話だっつってるのにナチュラルにアラ還タイムスケールでレスしてくんのやめてくれよ!
30年以上前の人の話で当て擦りされてもわっかんねーんだよ!
さんざん「あんたらの時間感覚は狂ってる」って話をしたのに、生きてたら還暦の人の33年前の全盛期のネタで反論風の何かをしてくるの凄すぎるだろ。
ねえ、これ見てる人達も客観的に少しは気付かないか?自覚のない高齢化と時間感覚の解離がヤバすぎるだろこの村。
当時の証言者です「スカートめくり」も流行ってたし「ボインタッチ」はそれ以上に流行ってた。アニメ放送してた時期に被害集中。クラス中の男子がやってた。やめろ言うてもやめないんだよ猿だから。あまりにも胸糞 被害がなかったことに されてるのはスカート と違い成長期で胸の 大きくなり始めた子 だけに被害が集中する 構造だから。 普通に犯罪なんよ
俺の話聞いてた?
「40年前当時スカートめくりの流行などなかった!捏造だ!」的なこと1ミリも言ってないと思うんだが
これが1位に押し上げられるの
A「あなた達の40年前の体験談はいいけどそんなんで現代に規制かけようとするのはやめて」
B「当時を知る証言者です!スカートめくりはありました!犯罪なんです!」
B'「うおおおお!ハルモニが生き証人だ!歴史修正はさせない!!☆☆☆!!!」
年齢層高いとはいえここまでコミュニケーション不能とは思わなかったわ
正直まだまだ見くびってた
そもそも、国宝みたいなものより人権の方が大事なのは当たり前だよね。
国宝とかナショナリズムを高揚させるのが目的だしないほうが良い。
国宝とかああいうのって昔に作られた物ばっかりだよね。武士とか武力で人民から富を巻き上げたのは明らか。
農民が貧しい暮らしをしているのか自分たちは巻き上げた金で豪奢な鎧や刀など軍国主義的なものを作ってたんだから壊したほうがいい。
寺は女は解脱しないとか言ってるし、反フェミなのは明らか。それにあの世とかいう存在しないもので金を巻き上げたカルト教団。統一教会と一緒。
朝廷は天皇制が前提なのでだめに決まっている。天皇制とか家父長制度の権化だしね。
はてなのバカどもは国宝なんて全部メルカリで売ってその金をcolaboなどの今生きてる女性を大切にする団体の資金にするほうがずっと良い事に気づくべき。
増田は中間管理職のサラリーマン。日々たくさんの社会保障費や税金を取られている。
実家に帰って暇を持て余していたので、少しでも取り返してやろうと思って今年のふるさと納税の枠を計算していて気が付いた。
サラリーマンって収入をすべて把握されていて、給料天引きで税金たくさん持っていかれて悲惨じゃね?
それに引き換え寺社仏閣って固定資産税減免とかいろいろ抜け道あってずるくね?
実家が京都なので宗教関係者の金回りのよさとか税金の話とかはよく聞くのですよ。
だから宗教法人からたくさん税金取ればよくね?宗教法人税とか作ってさ。
いろいろ議論があるのは知っている。
文化財保護に費用が掛かるとか、中小の寺社仏閣は経営が厳しいとか。
俺らは給料から税金天引きでしっかりむしり取られるのに、あいつらは抜け道いっぱいあるよねと。
前述の文化財保護とか、中小の寺社仏閣とかの問題は制度設計で対応できるはず。
そう、サラリーマンに適用されている各種控除と累進課税である。
文化財をたくさん抱えていると税金を安くする文化財保護控除を作って管理費を抑える。
信者からお金をむしり取る反社会的な宗教、なんとか教会とかなんとか科学みたいなのは稼ぎもすごいから、その利益を税金でがっぽり持っていくことで力を削ぐことにもつながる。
自分で書いておいて何だが、素晴らしい政策に思えてきた。強いて言えば、甘い汁を吸っている宗教勢力くらい?
まあ、宗教勢力に支援されている政治家はたくさんいるだろうから実現は難しいと思うけど、これを読んで税負担の公平感のためにだれか一肌脱いで欲しいものである。
■はじめに
気づかないうちに宗教団体Sの信徒になっていたので退会しました。
ネット見てたらそう珍しいことではない(Sにとっては常套手段)だけど個人的には初めてだったし、
知恵袋とかで自分と同様の状況にある方からの質問を見かけたりもしたので、せっかくなので書いておこうといった程度の忘備録です。
若干のフェイクも含めてぼかしつつ書いていますが、困っている人がいたとして
検索に多少でも引っかかることが出来ればとも思い、いくつかの固有名詞は生かしました。
増田の作法をよく知らないので、馴染まないところがあったらごめんなさい。
■宗教団体Sを知る
遠方に住んでいる友人から連絡があった。
私が転職したことを友達伝いに知って数年振りに連絡をくれた。嬉しかった。
近況報告をする中で、通っているという宗教団体Sについて熱く教えてくれた。
電話で何十分と教義を語る友人の熱意には驚いたが、私は宗教全般にそこそこ興味があったので、
その時点でSという団体名すら知らなったものの、友人の話をフンフンと聞いていた。
■友人と会う
しばらくして、友人が私の暮らす地方に遊びに来るという。
たまには日常を離れたいだろうし、そうした先に私の暮らす場所を選んでくれたのが嬉しかった。ここは良いところなのだ。
友人がこちらに滞在している間、ちょうどSで盛大に護摩を焚く行事があるので、
ぜひ当地にある分院に立ち寄って参加したいという。
■集会に参加する
久しぶりに対面した友人と施設に向かう。
清潔感のある施設の中に入るやいなや、教団の建物や教祖一家の写真、彫像が各所にあり、友人がいろいろ解説してくれる。
集会ができるようなスペースに通された。祭壇などがある空間にスクリーンがかかっている。……スクリーン?
結局、護摩とは本拠地で焚くもので、そこから離れた当地ではネット中継を見守るということだった。
複数(ドローン含め10台はあるか)のカメラが効果的に切り替わって飽きさせない。
世界各国から本拠地へと集まった何人もの信徒の名前のテロップが即座に入る。
離れたところにいるらしい合唱隊やオーケストラの生演奏も映る。
厳かに登場した教祖の姿に、故人である始祖の過去の映像が重なる。始祖の生前のスピーチも流れる。
大きなスクリーンに投影された映像は常に高精細で、乱れることが一切ない。
中継でありながらも綿密かつ予定調和的に作りこまれた映像にどことなく「ゆく年くる年」感を覚えながら、
音楽隊はどんなメンバーで構成されているのか(職員?一般の信徒?)とか、ボンヤリ考えながら、
厳粛にこなされる儀式の数々を相席食堂の千鳥の気持ちで見守っていた。
■お浄めを受ける
Sについてネットで軽く予習していたがこれについてはよく分からなかったので尋ねると、
短冊形の用紙にお願いする内容を記入する。
お浄めが結局何なのかよくわからなかったけれど、一つのお願いを500円で聞き入れてくれるというなら、
お賽銭や社会科見学のお礼のつもりで浄化してもらおう。ついでに知人の商売繁盛の祈願もしておこう。
友人も短冊形の用紙に色々書き込んでいた。
寺社で御祈祷を受ける時も同じような内容を書くので、こんなもんだろう。
友人の名前やSでの所属情報などを書く欄もあったのでそこは友人に記入をお願いした。
カウンターで用紙を渡し、お浄め、商売繫盛の祈願代として1000円を払う。それとは別に1400円かかるという。
ん?聞いていなかったけれど、お金を払うカウンターで突っかかるのも嫌なのでとりあえず払っておいた。
対応してくれた職員さんは気のいい人でお菓子をくれた。今はこの地域に勤務しているが全世界に転勤があるらしい。大変だ。
施設に入ったときに「お帰りなさい」と言われたのも、そういうアットホームな雰囲気づくりに一役買っているのだろうか。
■帰宅する
帰宅後、控えの用紙を改めて見てみる。
「精進願い」と書かれたその控えを見ると、追加で払った1400円の内訳が「登録費」と年度末までの「会費」だということが分かった。
え、私、登録されてる?会費、払ってる?つまり信徒になったんか??ここで初めて気づいたのだ。
友人に連絡を取って確認してみると「この用紙を提出したことであなたは信徒になった。説明足りてなくてごめんね、退会はいつでもできる」とのこと。
本人確認もなく、押印もなく、教団の教義やルールの説明も、意思表示の機会もないままに、どうやら私は信徒にカウントされる存在になっていたらしい。
私は「こうした大事なことは、まず家族との話し合いが必要」「自分のスタンスとは合わない」とそれとなく退会の意思を伝えるも、
友人からの返事は要約すると「あなたの気持ちは分かった。けれど、ここは様々な考えの人を受け入れるから大丈夫」と。
……もう何を言っても通じないと思うから、説得や議論はやめて、ほとぼりが冷めてから退会しようと決意した。
自分一人で解決しても良かったが、万一後から家庭内トラブルが勃発しても嫌なので家族に顛末を話すと「ちょっとそれはどうかと思う、賛同できない」と。そりゃそうだ。
しばらくしてから友人に退会すると伝えたところ、すぐに退会に必要な手続きを教えてくれた。
■退会する
先日お菓子をくれた気のいい職員が居たらちょっと気まずいので、その人と会いませんようにと思いながら向かった。
施設に入ると、数名の信徒が談笑していた。こちらをちらりとも見ず、挨拶もせずといった感じで、こんなもんかと思った。
平日の昼間という時間帯のせいかもしれないが、初めて行った日のように「お帰りなさい」と言ってくれる人もいなかった。
前回友人が精進届けを取ったのと同じ棚から退会届を出し、書けるところだけ書いた(ID、部会名などは空欄。氏名や住所のみ)。
望みも空しく対応してくれたのはあの気のいい職員だったので、なんかごめんよ、と内心思いつつ提出すると、
職員は退会届に受領印を押し、「はい、大丈夫ですよ~」と控えを渡してくれた。
こんなもんかと思った。施設に入ってから出るまで5分と掛からなかった。
■あとがき
結果、入会もあっけなければ、退会も超あっけなくできた。
信徒や職員にとって、こうした形で入会・退会する人の存在は珍しくもないのかもしれない。もう少し引き留められるものかと覚悟していたのに。
新興宗教では珍しく信徒が増えているというS。個々の宗教的バックボーンを否定しない(他宗教の行事参加OKなど)教義で
信徒を増やしているのかと思っていたけれど、こりゃ増えますな。
それにしても、入会させた人数で信徒としてのランクも上がっていくらしいのに、すぐ退会してもノーカンにはならないのだろうか?
入会~退会の渦中にいた時は正常性バイアスが働いて
「友人だって騙そうと思って私を入会させた訳ではないのだ」と信じていたけれど、
時間が経った今、友人の態度は誠実なものではなかったと思うようになった。
施設に行く前に「こんな田舎で護摩が直接見れるのは楽しみ」と言った私に
「友人がわざわざ私の居住地に来る(当地はお互いの出身地ではないので、私以外に知人も居ない)」、
「私の運転で観光地をまわる予定」という中で「お寺に行きたい」と言われたら断りにくく。
友人には「退会届け出したよ」との事後報告もしていないし、
「退会届け出したんだね」との連絡も来ていない(知らないはずもないと思うんだけど)。
今後、よほどのことが無い限り、私から連絡を取ることはないと思う。
入会~退会の間の約半月、Sからの連絡(郵送物、電話、集会への参加呼びかけなど)が
一切無かったことにはほっとした。もしかすると、もうしばらく経っていればIDカード等が届いたのかもしれない。
ネット情報によると、退会届けを出さずともフェードアウトしてSに関与しないことは可能だが、
導き親(今回のケースでは友人)が自分の費用も年度ごとに払うのであれば会員は継続されるらしい。
もし私のように意思とは関係なく入会してしまった人は、モヤモヤするくらいなら退会届けを出しても良いかもしれない。拍子抜けするくらいあっさり退会できる。
ただ、導き親と頻繁に会う仲だったり、悩みを抱えていたりしたら私も退会を躊躇ったかもしれない。
でも、なーにがお救け、導き親じゃ。救けてくれとも導いてくれとも頼んでなんかないんじゃ。
続き↓
この日だけは生理にならないで欲しいと念じ、部活に励んでカロリーを消費しまくった時に限って、予定でもなかったのに生理になる。それがぼくのあるある事象で、修学旅行でも、ぼくは三日前から生理になった。荷物の半分が生理用品になる。トイレにやたら時間がかかり、ただでさえ移動中に立ち寄るトイレはとても混雑するのに、ぼくはそわそわとして落ち着けない。レイジとは同じ班になったが、レイジは相変わらず女としての煩い事には無関係の人だから、どこへ行っても楽しそうだ。
自由行動の日、レイジはぼくがトイレに行ったきり中々戻って来ない間、もっぱら寺社の境内で鳩とたわむれて時間を潰していた。ぼくが貧血と歩きすぎとでふらふらの状態でトイレを出ると、レイジの周りをうろうろしていた鳩達が一斉に飛び立つ。背の高いセーラー服の少女と鳩という、ミラクルな光景をレイジがつくりだしている。眩しくて目眩がした。観覧した寺社の事なんかろくに覚えていやしないが、その景色だけは今でもよく覚えている。
夜、泊まった宿では大浴場が貸し切りで使えたが、生理の生徒は部屋の内風呂を使ってよいとされていた。ぼくは当然内風呂に入ることになったが、大浴場を使える女子達はひとの気も知らずに一緒に入ろうよと誘って来る。ぼくはうっすらと屈辱を感じつつ断る。相部屋にも何人か内風呂を使う人はいたが、ぼくは「先に入る?」という気遣いを全部断って一番最後に入った。
せっかく広いお風呂に入れるはずが、見たことのないほど狭い風呂で我慢しなければならないのは惨めだが、レイジの裸を見ないで済んだのは良かった。小学5年生で行った臨海学校の風呂を思い出した。あれがぼくが集団で大浴場に入った最後の機会だったが、当時既に同級生には女らしい体型の女子が何人もいて、あれはかなり気まずかった。どこを見ても生々しい女体が視界に入るのが嫌でずっと俯いていたし、落ち着いて湯船に浸かっていられなかった。あの頃は成人女性のような体つきの女子もほとんどは薄手の子供用の肌着を着て、その上に体操着を着ていたのだから、思えば気持ち悪くクレイジーな文化を生きていた。それを許していた大人達の気が知れない。
修学旅行の夜は恋ばなで盛り上がるのは定番だが、同室に奇跡的にオタクばかり集結してしまったので、ぼく達は漫画とアニメの話ばかりをしていた。だがみんなそれぞれ好きなものが違うので、話が全く噛み合わない。なのに何故か会話は成立しているように見えた。
23時を回る頃には話のネタも尽き、昼間の疲れも出てきて、皆口数が減ってきた。ついにここにはいない他人の恋ばなくらいしか話す事がなくなってきた時、レイジがぼくに言った。
「なあ、お前は男同士って、どう思うの?」
誰にも聴こえるような大声でいうから、同室の極めてお喋りな女子が、
と盛り上げてくる。レイジのご指名はぼくだったから、全員が興味津々でぼくの答えを待っている。
「うーん、」
そういえばレイジって「やおい」が好きなんだったなと思いつつ、ぼくは答えた。
「男同士も、ぼくはいいと思う。ただし、美しいのに限る」
皆はぼくの答えにキャーキャーと黄色い声をあげた。ぼくは半ばレイジに当て付けて言った。いつもぼくを驚かせてばかりいるんだから、たまには君もぼくの言うことにびっくりしろと思った。レイジにはぼくの意図が伝わったらしく、
「ああそうかよ、つまんねーな」
といい、さっさと布団を被って寝てしまった。
同室の女子達はカマトトぶっていたが皆「やおい」が大好きだった。学校までエロ同人誌を持って来て回し読みをしている連中(そういう奴らに限って本当はオタクではない)は他の部屋だったにしろ、みんな男同士の禁断の関係性に興味があった。禁断だからこそいいという価値観の共有されているところへぼくが堂々と「いいと思う」と言ったのはかなりウケた。隠すべきとされているものを隠さなくていいと言ってのけるのは、その時はまだ新しすぎる考えだったのだ。
実はレイジは「やおい」の愛好者で、そうとうの数のやおい同人誌を持っているらしかった。一年生の頃、ぼくの家にレイジが遊びに来たことがあるのだが、その時レイジが同人誌を何冊か持って来た。二人で格ゲーで遊ぶのに飽きた頃に、レイジが鞄からそれらを取り出して見せてくれた。それは幽遊白書の同人誌で、レイジが開いて見せてくれたページには、いやにリアルな筆致で描かれた幽助と蔵馬があられもない姿でぼくには理解不能なことを行っていた。ぼくは気持ち悪くて無理だと言った。ついでにいうとぼくの一番好きなキャラクターは軀だから、軀が出てこない時点でかなりがっかりだとも言った。するとレイジは
「まだ子供のお前には早かったな」
と言って本を仕舞い、代わりにもっぱらギャグ漫画ばかり載っている同人誌を出して、ぼくに貸してくれた。たぶん、レイジは「やおい」というものの中でもぼくが「気持ち悪い」と切って捨てた部分こそが好きだったのだと思う。
やおいというもの自体はわりと好きだとぼくは思った。でもぼくはそれを男同士というよりは人と人同士だと思って読んだ。女でなければ無性別。性別が無いというのは人として完璧なのではないかと、あの頃のぼくは思っていた。今となって思えば、そんな考えは母親譲りの潔癖症的な考え方であまり良いとは言えないのかもしれない。
修学旅行から帰った後、ぼくはレイジとは違う高校に進学しようと決めた。レイジは市内にある名門女子高を受けるといっていたので、ぼくは電車で何駅もある遠くの共学を受けることにした。レイジの行きたい女子高はぼくの母親の母校だったから、そこを目指すのは母親の思うつぼにはまったようで嫌だったのもある。
レイジと二人でつるむのは楽しいが、いつまでもそしているとぼくの世界は広がらないのではないかと思った。ぼくは一人で新天地を目指したい。だがそれは大きな間違いだと知ったのはそれから何年も先のことだ。現実には、一人でいるとずっと独りぼっちになりやすい。二人で楽しそうにしていると、それを見て何人もの人が集まってくる。友達が増えれば世界が広がる。独りきりで見える世界は、とても狭苦しくて窮屈だ。
だが、誤った道を選んだおかげでぼくの今の暮らしがあると思えば、それはそれで良かったのかもしれない。
レイジとは別々の高校に進学して以降は二度くらいしか会っていない。いつだったか、一緒にどこか遊びに行こうと約束して待ち合わせたら、レイジはまるでデキる女の休日ファッションみたいなスタイリッシュな服装に薄化粧までして現れた。ぼくはといえば、男ものの服を着れば男の子のようになれると信じた結果、ただの引きこもりみたいなダサい格好をしていた。どっちに合わせても相手が浮くし、そもそもお互いに学チャリで来て一体どこに行けるのかということで、近場の公園のベンチに座り、レイジがわざわざぼくに食べさせようと作ってくれた焼き菓子を食べながら雑談をした。
最後に会ったときはぼくはもう結婚していて、久しぶりに実家に帰省した際にレイジの家に遊びに行った。中学時代にレイジがぼくの家に遊びに来たことは何度かあったが、ぼくがレイジの家に行ったのはそれが最初で最後だ。
レイジの部屋はすっきりと片付いていた。オタクらしいのは座卓の上を立派なデスクトップパソコンとその周辺機器が占拠している事くらいだったが、それだって配線がごみごみと見えないよう置き方が工夫されていた。オタクの部屋というよりは仕事でよくパソコンを使う人の部屋といった感じだ。
「漫画と同人誌をいっぱい持ってるって昔言ってたけど、もう全部捨てたのか?」
ぼくが問うと、レイジは「いや、」と言い立ち上がって部屋の奥の襖を開けた。
「さあ見れ!」
その時ぼくは初めて、筋金入りのオタクは押し入れを改造して大量の蔵書を隠し持つのだと知った。
「だが、お前の読むようなものは何もないけどな」
レイジはお子ちゃまはそんなもんよりもこれでも見てろと言い、パソコンを起動させて秘蔵の面白動画を見せてくれた。ぼくらは中学時代のようにくっついてそれを見て、腹がよじれるほど笑い、床を転がった。
と、レイジは言った。
ぼくはそう言い返した。
「そうかもな」
「でもぼくはもう結婚した。だからけっこう変わったと思う。ところで、レイジはぼくが結婚なんかするなんて変だと思わないの?」
ぼくはレイジに聞いてみた。ぼくの家族、特に母親はぼくの結婚をついに人生に敗北したと言って馬鹿にするし、昔の同級生達からも祝われるよりも先に引かれがちだった。
「変だとは思わねーな。だいたいお前、中学の時だってなんだかんだ好きな男いただろ。案外普通の女子なんだなと思ってたよ俺は。ずっとふらふらしてるより早々に結婚しちゃう方が良かったんだろ、実際」
「確かに……。ぼくはかなりモテないから、夫と結婚しなかったら永遠に独身だという自信がある。けど、ぼくだってぼくなりに頑張って、何人かと付き合ってはみたんだが、まあ色々と、無理だったかもしれない」
「色々っちゃなんだよ」
「言っても引かない?」
「別に引かない。俺は自分に話す事が何もないぶん聴き手に回り易いから、ダチの恋ばなを聞き慣れてるんでね。だから今さら何が飛び出しても驚かないぜ」
「じゃあいうけど、夜のあれがつまらなくて……別に苦手な訳ではないのだが……」
「あはははははははは!」
「笑うな! 何が飛び出しても驚かないって言ったじゃないか」
「いやいや驚きゃあしないって。むしろお前らしくて笑うわ。お前、本当にいつまで経ってもお子ちゃまなー」
「うー、うるさい。でも、否定は出来ない……。ぼくはもっとこう、セックスとは楽しいものかと思ったけど、全然そうならないんだ。しかも十中八九、ぼくのせいで盛り下がっているという、自覚がある」
「なぁ、膝出してみ?」
「膝? はい」
いぶかしみつつもぼくは素直に片膝を立てた。そこへレイジが指をさわさわと這わせた。
「それだからお前はなー。じゃ、今度は俺に真似してやってみ?」
ぼくはレイジの膝を擽った。だがレイジはぞくぞくするどころか擽ったさも感じないと言う。
「まぁまぁ。毎日部活に出て稽古に励んでも全然強くならなかったほど、運動神経のないぶきっちょさんのお前さんがさ、セックスの時だけ上手い事やれるなんて、その方がおかしいだろ? 女だからやれて当然じゃないんだ。才能のないもんはどうしようもない。諦めろ」
「そういうもんかな」
「おー。そういうもんだと俺は思うぜ。でもまあ結婚はしたんだからよかったじゃん。婚姻届出しゃあもう、お前のエロさが足りないなんて理由で簡単に別れる事なんか出来ないんだぞ」
「だといいけど」
「浮気されたら愚痴でもなんでも聴いてやらぁ。そういうの聴かされるのは慣れてるからよ」
「ははは。それより、子供が出来たらちゃんと連絡くれよ。そしたらお祝い包んでやるからさ」
「単に俺がそうしたいだけなの。うちは兄貴も結婚しそうにないし俺はこんなだから、がきんちょにお小遣いくれてやる機会があまりなくてな。ダチの子供にお年玉やると、俺も大人になったなーって思えるし、気分がいいんだ」
そんな事をレイジは言った。
確かに、子供のためにお金を遣うと大人になったという感じがする。一度に三万円は痛いが、それで子供達が喜んでくれたのだから、大した事のない出費に思える。しかしぼくは今やただの大人じゃなくて親だから、子供にしてやらなきゃいけないことは、他にも沢山あるけれど。
うちは先々代が信心深くて、お寺の独立に伴って2~3億円必要な案件とか、神社の改修に必要な数億円とかのプロジェクトに3~4桁万円の寄付をしたんだけど
檀家とかのトップになるのがステータスでそのために寄付するってのが当然だった時代が終わろうとしてる
実際うちの町内会的なのの平均年齢は(ちゃんと把握してないけど)70歳は超えてる
2~30年先には無くなる(補足できてる後継ぎは、町内会批判的かそもそも世継ぎがいないか)
うちのお寺は色々融通がきき、今後も利用したいし、月参りってサブスクが月3000円とコスパいいので付き合い続けていく方向で考えてくけど、
なら、管理のために個人のID番号と親族関係さえ登録しておけばすむ話
どう名乗るか、婚姻関係はどうするかなんてのは個々人が自由にやればいいんだよ
個々人によって同姓でも別姓でもいいし、多夫多妻でも同性婚でもやりゃいーじゃねーか
ただ、公的には一切関与しないってことだ
寺社や教会の了を得るのかもしれんし関係者で同意するだけになるのかもしれんが私的なことだ。勝手にやればいい
近親婚もオッケーだ
子の病気の確率が高まる、なんてことで個人の自由が制限されることはおかしいだろ
(ガンになりやすい遺伝子持ってたら子供産んじゃいかんのか?)
相手の意思表示に疑義があるロリショタはまた別の議論があるけどな